せっかく面白い本をみつけてもあまり読まれていない。読まれないまま埋もれてしまう。図書館や図書室ならまだしも、そのままゴミとして捨てられたり、裁断されたりして失われてしまう。それがとても悲しかった。けれど、自分がお金を出して買えるか? といえばそれはできない。そんなお金はない。何もしないままただ借りて読んで棚にもどす。ずっと長いこと置いてあった埃っぽい本のような思い出ですね。
そのまま大学生になって、プロジェクト杉田玄白に出会いました。ネットに自分が訳した翻訳を上げて、それを見た人からの提案を受けて改めて考えて磨いていく。そのプロセスを経て、オンラインで読める文書が増えて、それがさらに色々な形で使われて行き、文化が豊かになり新しい局面が見えてくる。その先に何があるのか見てみたかった。そこから、翻訳を上げてプロジェクト杉田玄白に登録していくことにしたのです。
今思えば明らかに無謀です。翻訳という行為はとても時間がかかるものです。仕上がりを一定の水準に保ちつつ発表していくというのは、学生の内ならできたのですが、社会人となり日々が忙しくなり英語を日常的に使わなくなっていった私には、自分の翻訳をネットに上げていくことはとてもできなくなっていました。
埃っぽい日常がずっと続いていくように感じていました。それを変えたのは、2005年3月25日から9月25日まで愛知県で開催された愛・地球博でした。
そこはまさに非日常でした。会場に行きさえすれば普段と違う世界が広がり、歩いているだけで刺激され、考えさせられ、普段は出会えない人に出会い、私の人生を大いにねじ曲げてくれました。
愛・地球博には121カ国4国際機関が参加し、会期中の185日間に2200万人が来場しました。そこにやってきたそれぞれの国や人が、それぞれの目的をもってある場所に集い、いろんなことをやっていく。万国博覧会であることを理由に新しいことを試す。自分の国をPRする。商売をする。珍しいものを見に行く。少し歩けば違うことをやっていて、高尚なものから下世話なものまで眼の前に展開されました。
そんなことを考えたキッカケはリトアニア館でしたね。概要はここで。あの映像はシュールで忘れられない。両隣がイギリスとロシアだったからこぢんまりとしたパビリオンでしたが、行くたびに必ず寄っていました。万国博覧会という場で、あの映像を流そうと考えた人はすごいと思います。