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青空文庫はそろそろ富田倫生さんから切り離すべき

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青空文庫はそろそろ富田倫生さんから切り離すべき

今はすっかり青空文庫の一工作員となっているので、富田倫生さんの追悼イベントに行って参りました。といっても、自分の夏休みがたまたまこの時期になったので、すでにシンポジウムは締め切られており、お別れ会のみ、参加をさせて頂きました。

富田倫生さんとは全く面識がありませんでしたので、半分くらいは隅っこの方にいて、田原総一郎さんとか西和彦さんとかその他数々の方のコメントを聞いていただけですが、コメント最後の大久保ゆうさんの言葉と、富田さんの奥様の言葉には考えさせられるものがありました(どちらも、メモをとっていったわけではないので不正確だと思います。それぞれの方には問い合わせないで下さい)。

「現在活動しているといえる工作員の人数は多くて20~30人」

青空文庫の工作員として現在名前があるのは800人程度とされておりますが、常時活動しているといえるのは10人程度、今現在活動しているといえる工作員は多くて20~30人といわれました。ある程度活動しているというのがどの程度なのかは触れていませんでしたが、テキストをぽつぽつ提供している人まで含めて30人程度だとしたら、ものすごく少ない人数でやっていることになります。校正者も不足するでしょうね。私が入力したものでも、2年程度かけて入力したものの内50作品程度が校正待ちのままですし。

※この部分につきましては、大久保さんがtwitterで「発言は体感的な数なので正確ではないのですが、一応今年入ってからの校正者数が30数人、ですね。」「それから、入力者は校正と兼務していない人で10人強なので、10+20~30+α、というのが実状といったところでしょうか。(団体名義も1でカウントしてます)」とつぶやいておりましたので、補足しておきます。

「『タダで読める青空文庫』とは言わないでほしい。『いつでも、どこでも、誰でも自由に読める青空文庫』と言ってほしい」

今でも青空文庫といえば、「著作権が切れた文学作品などをインターネット上で無料で公開している」の枕詞がつきます。『本をタダで読める』と『本を自由に読める』というのは違う意味を指します。本だと分かりにくいのですが、「フリーソフトウェア」について考えた所から意識されるようになった区別なので、分かりづらいのでしょう。

そもそも、英単語であるフリー (free) には、「自由」と「無料」、双方の意味をもっていて、”free”だけでは区別が付かない。これに対し、フリーソフトウェアの概念においては、「自由」と「無料」の違いが大きな意味を持つ。このため、英語圏では、自由のfreeと、無料のfreeを区別するため、無料を示すのに「free as in “free beer”(無料ビール)」、また、自由であることを示すのに「free as in “free speech”(言論の自由)」などという表現がよく使われる。(以上Wikipediaより引用)

ただ、この手の自由は主に「作者」「作り手」の方に立つ人にとっては重要なことで、音楽の世界でも重要な考え方だと思いますが、「読者」「使い手」にとっては自由であるか否かはたいしたことではないのだと思っています。「タダで読める本」という言葉を青空文庫からはぎとるのは難しいことなのだと思っています。「無料で読める本が私たちに問いかけること」 ――追悼 青空文庫呼びかけ人 富田倫生さんとかあるし。