吉田さんの誠意 大野伴睦 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)態々《わざ/\》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#3字下げ] /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)わざ/\ ------------------------------------------------------- [#3字下げ]人情味溢れる人[#「人情味溢れる人」は中見出し]  吉田さんの事を話するには、ちよつと、その前に鳩山先生の事を話さないわけにはいかない。これは大變、デリケートな問題であまりふれたくはないのだが。  僕は到頭、今度の自由黨内紛の騒ぎで、三十一年間の長き間、影の形に添ふ如く行動を共にしてゐた、大先輩であり、大恩人である鳩山先生と涙の訣別をしなければならなかつた。泣いても泣ききれない心持であつた。  再建日本の爲、政局を安定させ、國内統一の一番大切な時なので「大義親を滅す」、で心ならずも御別れしなければならなかつた。  鳩山先生が一部策士の爲に操られた事は心から惜しみても餘りある痛恨事である。  僕は世上に言はれてゐる所謂、吉田の新側近では斷じてない。吉田さんは世間で、ワン・マン、獨裁だと言はれてゐるが、それは、全然否定する譯にはいかない。さう云ふ嫌ひは充分にあると思ふ。  だが、此の短所は一面、今迄の占領下の日本にとつては必要だつたので、逡巡する事が出來なかつた結果自然にさうなつたのであらう。獨立後の日本の總裁としては大いに考えて貰ひたい所であると思ふ。  個人としての吉田さんは、ワン・マン、獨裁も何もない、ほんとに情の厚い人である。  例えば、僕が野黨の幹事長を一年半ばかり務めた時、仕事の關係上、弘禪坊主の樣にしよつちゆうではないが、一週間には二、三度お會ひしてゐたが、いつもやさしい情がある人だつた。  昭電事件の時の話であるが、僕が明日、保釋になるといふ時が丁度、第二次吉田内閣が成立をする所だつた。  その時、吉田さんは、明日、大野が小菅から出てくる。ついては、彼は一年有半野黨の幹事長として言ふに言はれない苦勞をして來たのだし、それに又、詰まらない事件にひつかかつて氣の毒であつたのだから、彼が出てきて一目、内閣の閣僚名簿を見せてから内閣を組織したいと云つて一日待たうとした。  その時、故人の古島さんが、その氣持はよく判るが、政治上の事は飽く迄も私情にとらはれてはいけない。公事ははつきりしなければいけないと云つて取り止めになつた。  それで翌晩、荻外莊にお訪ねしてお會ひした時には、手をとつて、相擁して泣いてくれた。實に人情味溢れる人である。  その外にも、幹事長をやめた直後、家寶として持つてをられた乾隆時代の花瓶を態々《わざ/\》、私の茨屋に迄持つて來てくれた。その時一緒に次の意味の漢詩もそへられた。  此の花瓶は支那の天津で求めたもので、愛玩措く能はざるもので海を渡つた時にも常にともにしたもので一番大切なものである。今永年幹事長の役を盡してくれた御禮にこれを贈る。  願はくば、終生、此の花瓶を見る時には私を思ひ出してくれ。  と言ふものであつた。これにも僕は深く感心した。 [#3字下げ]總裁への御願ひ[#「總裁への御願ひ」は中見出し]  鳩山先生の場合でも、吉田さんは自分は單なる財産管理人である。だから、その財産を増やして返したいと言つてをられた。  病に倒れた時にも見舞に行く僕や林、益谷にいつも見舞品と手紙をあづけられた。世間で傳はつてゐる、吉田は誠意がない、鳩山の復歸を妨害していると言ふのは廻りの人が鳩山先生に、さういふ風に吹きこんだり、世間に噂を流したからであつて、決してさう云ふことはない。  僕が鳩山先生と最後の御別れをした時にも、吉田さんが誠意がないと云ふのは嘘である。  先生が又、それを本當にさう御思ひになるなら、先生は人を見る眼がなかつたと云ふ事になるのではないかと言つてやつた。  鳩山先生も後、六ヶ月辛抱すれば、福音が訪れたらうに、本當に惜しい所で自由黨を脱黨されてしまつた。  政治家の中には一遍でもよいから大臣になりたいと云ふ大臣病患者がうようよしてゐるものだが、吉田さんは、大臣を今迄六十何人もつくつた。  だから、心から恩義を感じて感謝をしなければいけないのに、反對に逃げて行つた者が少くない。  石橋、植原、等皆さうである。これは、どう云ふわけか考えてみなければならないのではなからうか。  弘禪坊主の問題でも、僕が忠言をすると、君は彼と仲が惡いからだと言つてきかなかつたが今度は判つたと思ふ。判つても、負惜し味が強いから、間違つてゐたとは言はないだらうが。  今度の自由黨内紛の事件で、人心の恐しさが判つたから良い結果を生むであらう。  これからは、願はくば、黨の運營と人事に互つては、側近者の辯のみ聽かないで、黨長老の言葉も聽いて貰つて、獨裁ではない、眞の民主々義の政治を行つて貰ひたいといふのが僕の總裁へのお願ひである。 底本:「文藝春秋 昭和二十八年五月号」文藝春秋新社    1953(昭和28)年5月1日 ※拗音・促音の大書きと小書きの混在は、底本通りです。 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。