夜鳴く鳥 吉江喬松 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)都《みやこ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#「鶯《うすいす》」はママ] -------------------------------------------------------  フランスのリヨンの都《みやこ》を思うごとに、私たちは懐《なつか》しい一つの思い出がある。  初夏《しょか》の青葉《あおば》のけぶるソオヌ河の上流へ、ある知人を訪《たず》ねての帰るさであった。知人の家で遅《おそ》くまで話していたために、最終《さいしゅう》のリヨン行きの電車に乗り遅《おく》れて、宵闇《よいやみ》の路を、私は一人、四里ばかりも歩いて帰らねばならなかった。  初夏の夜は若葉の匂《にお》いでむせるばかりにかんばしく、しっとりとした夜気《やき》が、下を流れるソオヌ河の流れから立ちのぼって、楽しくも寂《さび》しい夜であった。私の歩いて行く木下の真白の路の上を、一群《ひとむれ》の人々が、これも電車に遅れた連中《れんじゅう》であろう、三人の白い軽い姿をした少女と、それ等の母親と兄らしい人とが、歩いて行った。リヨンへの途《みち》づれと思えば、私は幸《さいわ》いのことと、歩《あゆ》み寄《よ》ってはなしかけた。彼等は手に手に、鈴蘭《すずらん》の花や、含羞草《ねむりぐさ》の花を持っていた。  果《はた》して彼等は、一日の散歩《さんぽ》に日を暮らした連中であった。遠い国の旅人《たびびと》と思ったのか、どうかわからないが、私が訊《き》く道順《みちじゅん》を丁寧《ていねい》に教えてくれて、一里ばかり行けば、別の電車がリヨンへ行くであろう、そこまでは同行しようと約束した。  しばらくして彼等は互に腕を組んで小声《こごえ》に歌いながら、歩き出した。その時、どういうはずみであったか、最も年少の一人の少女が、十二三にもなろうと思われるのが、不意に私の傍へよって来て、「ムッシュ、ヴォトル、ブラ、シル、ヴ、ブレェ」(腕をかしてやって下さい)といった。  私はあまりに不意のことではあったが、悦《よろこ》んで腕をかしてやった。少女は、柔《やわら》かな腕を私の右腕へかけて、元気よく歩き出した。なぜ皆と一緒《いっしょ》に歩かないかと訊《き》くと、自分一人は、彼等の兄弟ではなくて、いつも別々になっているから、自分で自分を助ける人を求《もと》めるのだといって、私が何人であるのかも知らないでいるようであった。  私は、少女が私をどこの国のものであると思っているか、と訊いて見た。彼女は私が東洋人であろうといった。そして日本の話をすると、日本の少女は活発《かっぱつ》だろうか、日本の少女等はよく散歩《さんぽ》をするだろうかと訊《き》いた。  不意に少女は立ちどまった。 「ムッシュ、ロシニョォル、シァント」(鶯《うすいす》[#「鶯《うすいす》」はママ]が鳴きますよ)といった。  耳を澄《す》ますと、下の谷間《たにま》から、夜鳴く鳥の声が断続《だんぞく》して聞こえて来た。悩《なや》ましい、そして物をつつむような鳥の声、幾度となく詩人等の胸をおどらせた愛の鳥、ペガンの美を歌う誘惑《ゆうわく》の鳥、少女の胸には何とひびくのか知らないが、彼女はしばらく黙《だま》って立っていた。  そしてまた黙って歩き出した。  夜のうすい霧《きり》が星影をつつんで、路の両側の森は影が黒く、その黒いなかを透《とお》して、なおときどき夜鳥の声はひびいて来た。  少女はまた、日本にもロシニョォルがいるだろうかと訊《き》いた。いても日本のはちがう、日本では夜は鳴かないといったらば、「そう、日本は光の国だから」と、もっともそうに言った。  夜気はやや冷《つめ》たく少女のうすい白い衣はいかにも軽すぎるように見えた。一時間も歩いて私達は明るい電車通りへたどりつくことが出来た。 底本:「信州・こども文学館 第5巻 語り残したおくり物 あしたへの橋」郷土出版社    2002(平成14)年7月15日初版発行 底本の親本:「角笛のひびき」実業之日本社    1951(昭和26)年 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。