あとがき 妹尾アキ夫  フリーマンの序文のなかに出ている「ピアスン誌」という雑誌は、イギリスの短編小説ばかりのせる月刊雑誌だったが、第二大戦とともに廃刊になった。表紙のデザインは毎号かわったが、いつもかならずまっ黄色い表紙をつかうのが、この雑誌の特徴で、フリーマンのストーリーは、まれには「アーガシー誌」なぞに再録されたのを見たことはあるが、最初に発表されるのは、いつもきまりきって、「ピアスン誌」であった。時によると、何カ月も毎月つづいて、フリーマンのストーリーがのるようなことも珍らしくなかった。  むろん、どのストーリーにも、精巧な挿絵がついていたが、フリーマンの話にはそのほかにかならずといっていいほど、顕微鏡写真や、足跡の石膏型や、指紋のようなものの、実物写真がついていた。  顕微鏡で思いだすのはミルンの言葉である。「顕微鏡のでてくる推理小説はまっぴらだ」といったのはミルンであった。ミルンのみならず、おおくの読者もそれには同感であろう。けれども、フリーマンの作を読んでみると、顕微鏡は顕微鏡なりに、またよいところがあるということに気づくし、また、顕微鏡や化学実験を無視するのは、旧時代の推理小説だと主張する人々があることも忘れてはならない。  一九二七年一月の「ストランド誌」に、「実話と小説に現れたもっとも巧妙な殺人は?」という問いに答えて、フリーマン、チェスタトン、バレジ、ラーンズ夫人、フレッチャー、ベントリー、ルキュー、オースチンなぞが解答をよせているが、そのなかでフリーマンはつぎのように書いている。―― 「もともと、人間を殺すということは、そんなにむつかしいものでもなければ、知恵がいることでもない。だから、巧妙な殺人だとか、不手際な殺人だとかいうのは、言葉をかえていえば、犯人が自分を隠すためにとった手段が、巧妙であったか、不手際であったかということなのである。したがって、いちばん巧妙な殺人は、殺人が行われたということを、最初から誰にも知られないようにする殺人である。すなわち、殺人を自然の死のようによそおうのである。そうすれば死体を隠すという、厄介至極な問題に頭をなやます必要もないし、またどんな結果になるか分らぬ、不安な検屍審問もおこなわれないのである。 「だが、じっさいの社会では、どのくらい度々、そんな、誰にも覚られぬような、完全な犯罪が行われているだろう? それを知ることは困難である。というのは、世間に知られ、記録に残っているのは、みな死体を見ただけで他殺ということが分ったり、犯人が分ったりするような、失敗の殺人ばかりなのである。しかし、殺人というものは、他の多くの人間の行為とおなじように、ただ失敗の記録のみを見ただけで、殺人全体を判断することはできない。巧妙な殺人は、発見もされないし、記録にものこっていないはずだ。そして、私たちは、不手際で乱暴な殺人でありながら、長い年月のあいだ迷宮入りになってしまい、その犯人が何年かの後に、またおなじばかげた殺人をくりかえすことによって、初めて前の犯人が明るみにでるような例に、なんどもぶつかるにつけても、いま世にある、ごく平和で無邪気な顔をした墓石が、どんなに多くの記録に残らぬ殺人を見てきただろうと、怪しまないではいられないのである。 「ところで、実際の殺人事件が、探偵小説家の参考になるかというと、けっしてそうでないのである。実際の殺人事件は、なんの役にもたたないので、探偵小説家は、いつも自分で話の筋を考えなければならない。新聞のうえではスリルにみちた、はらはらするような殺人事件も、ひとたびそれが小説になると、無味乾燥でほとんど読むにたえないものとなってしまう。犯罪史で有名な殺人者でも、不手際なあやまちをたくさんおかしている。そんなのは頓馬な探偵でも見破ることができるのである。私は刑務所の医者をしていたこともあるし、また長いあいだいろんな犯罪記録も読んできたが、それらのなかで小説に使えるのは、たった一つしかなかった。それは『オスカー・ブロズキー事件』で、それも殺人方法の巧妙さに感心したのではなく、ただ、私に法医学上のちょっと面白い問題を思いつかしてくれるいとぐちになったにすぎなかった。ここに一八六七年、ノッチンガム州の巡回裁判で公判になった、その事件のあらましをかいてみよう。 「鉄道線路のそばの淋しい一軒屋にすむ、ワトスンという夫婦者が、レイナーという男をその家におびきよせて、絞殺して轢死とみせかける計画をたてた。二人はレイナーを手でしめ殺すと、死体をもちあげて垣を越させ、汽車の来る時刻が分っていたので、その時刻のすこし前に、線路の上に横たえた。 「ここまでは計画通りにいった。ごく簡単なことだったので、その後も計画通りに終るはずだった。もし計画通りに終ったら、頸の指跡、心臓の状態、肺の状態、頭脳の状態、みな車輪に寸断されて、他殺ということが、分らないですんだかもしれない。 「だが、よくあることだが、実際には手ちがいができた。殺人者は大体の計画だけは立てていたが、こまかい可能性を無視していた。一つの可能を見すごしたため、とんだ誤算ができた。それからまた、彼らは死人の帽子を線路のそばにおくことを忘れた。誤算の第一は汽車のくる時刻がいつもよりおくれたことだった。そのため鉄道員が死体を発見してしまって、まだ汽車のこないうちに、死体をどこかへ持っていってしまったのである。それが他殺死体であることはすぐにわかった。調べてみたら、ワトスンの家の垣に血がついていたり、家の裏の柔らかい地面に足跡があったりしたので、彼が犯人であることもすぐにわかった。家のなかにはいってみたら、帽子を焼いた灰がでてきたり、血のあとや、その他の犯罪の痕跡もみとめられた。すべてを見る神は、ここでも殺人者の切札に、手ちがいを生ぜしめたのであった。」 底本:「世界推理小説全集二十九巻 ソーンダイク博士」東京創元社    1957(昭和32)年 1月10日初版 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。