歌材の佛像 會津八一 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)迷企羅《めきら》がたちに [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#ここから5字下げ] -------------------------------------------------------  私はこれまで、割合にたくさん古い時代の佛像を歌に詠んで來た。その中でも、飛鳥、奈良、平安あたりが一番多く、時にはずつと下つて、室町、江戸にまでも及んでゐる。まづ飛鳥時代としては [#ここから5字下げ] 法隆寺百濟觀音 [#ここから2字下げ] ほほゑみてうつつごころにありたたすくだらほとけにしくものぞなき [#ここで字下げ終わり] [#ここから5字下げ] 同夢殿救世觀音 [#ここから2字下げ] あめつちにわれひとりゐてたつごときこのさびしさをきみはほほゑむ [#ここで字下げ終わり] 奈良時代では [#ここから5字下げ] 東大寺廬舍那佛 [#ここから2字下げ] おほらかにもろてのゆびをひらかせておほきほとけはあまたらしたり [#ここで字下げ終わり] [#ここから5字下げ] 聖林寺十一面觀音 [#ここから2字下げ] さくはなのとはににほへるみほとけをまもりてひとのおいにけらしも [#ここで字下げ終わり] [#ここから5字下げ] 新藥師寺十二神將 [#ここから2字下げ] たびびとにひらくみだうのしとみより迷企羅《めきら》がたちにあさひさしたり [#ここで字下げ終わり] と、いろいろあつて、そして平安時代の初期に入ると [#ここから5字下げ] 觀心寺如意輪觀音 [#ここから2字下げ] さきだちて僧かささぐるともしびにくしきほとけのまゆあらはなり なまめきてひざにたてたるしろたへのほとけのひぢはうつつともなし [#ここで字下げ終わり] [#ここから5字下げ] 室生寺如意輪觀音 [#ここから2字下げ] みほとけのひぢまろらなるやははだのあせむすまでにしげるやまかな [#ここで字下げ終わり] [#ここから5字下げ] 法華寺十一面觀音 [#ここから2字下げ] ふぢはらのおほききさきをうつしみにあひみるごとくあかきくちびる [#ここで字下げ終わり] なとがある。  すると、批評家の中には、この最後の四首あたりを拾ひ出して、そもそもこれが會津のエロだと云ふものがある。これを云ひ出したのは、私の義弟の櫻井天壇で、かなり古い話であるのに、今でもこれを引きあひにして、遙かに呼應せんとする人がある。なるほどエロといへばエロでもあらう。しかし、これを私だけのエロにして、簡單に片づけるといふわけにも行かぬ。  奈良には、もと竹尾ちよといふ人があつた。あちらでは誰知らぬものも無いほどに有名な歌人で、『うたかた』『大和路巡禮の歌』などの歌集もあり、地もとに出來た繪葉書に、この人の歌を刷つたものが、いろいろあつたりして、東京にも相當に知られたものである。この人は、後に大阪へ移つて、今も健在な松山夫人であるが、この人が、ある時、私の奈良の宿へ訪ねられて、一と晩、歌の話をしたことがある。  その時、竹尾さん問うて曰く、私の歌は、何處の何寺の佛さまも、同じやうに詠んでゐますけれども、それにくらべて、あなたの御歌の佛さまは一體づつ氣持を變えて、別々に詠んでありますが、何うした加減で、あんな風に御出來になるのでせうかと。私の穿き違ひかも知らぬが、この時竹尾さんは、いくらか羨しいことででもあるやうに、かう云つて問はれた。私はこれに答えて、私もかねてから、此のひらきを感づいてゐましたが、これはつまり御互の性分のちがひ、流儀のちがひから來るので、しかたの無いことでせう。あなたは、いつも人間として、ことに若い女としての感傷で、佛にすがつてお詠みになつてゐるから、像としての樣式とか、技法とかいふことに、こだはりの無い御歌が出來るのでせう。佛教の目から見たら、その方が、ずつと神妙な詠み方なのでせう。私の方では、そこのところが、あなたのやうにまつ直ぐに、ひたぶるには行かない。その上、私は美術の方で、いくらかの心遣ひを持つてゐるので、同じく佛像といふ中でも、しらずしらず、その間に差別をつける。そして同じ御釋迦さんでも、觀音さんでも、歌になれば、つい一體づつ詠みわけてゐるやうなことになる。佛さんの方から見たら、これは決して良い態度では無いのでせう。  これだけを私は、決して竹尾さんへの御愛想に云つたつもりは無い。ただの人が、ただに見て過ぎる路傍の草叢でも、植物學者の手にかかれば、すぐ何十何種と、はつきり分類される。そして一々學名までつけて標本に作られたら、整然たる鑑別には服すとしてもそこには、もはや、たくさんの乾いた標本があるだけて、一筋の路傍の草の、味も氣分も無くなる。やれ衣紋の刀法だの、臺座の寸法だのと、平素、枝葉の末に走つてとかく大聖世尊を忘れがちな吾々には、ほんとの佛の歌らしいものは詠みにくいのであらう。しかし私などが、今さら信心ぶつたことを詠みにかかつても、始まらないことであるし、歌はおのづから歌で、信心とは別な一つの道であつて見れば、自分は、ありのままに此の道を行く。これがもとから、そして今でも、私の腹である。  もとの京都帝國大學の濱田博士は、學問の上では、私とは專門も近いし、若い頃からの知りあひで、懇意であつた。この人も、私の歌が好きで、昔出した歌集を一首も殘さず暗誦してゐるといふほどであつた。もつとも、その暗誦を、目の前で聞いたのでは無いが、畫家の曾宮一念君のところへ行つて、そんなことを吹聽した末に、いくつも歌つて見せたといふことを、あとで曾宮君から聞いた。しかし、いくら懇意にしても、無理に歌の贔屓まで、しなければならぬといふ義理があるわけも無いから、やはりいくらか私の歌が好きであつたのは確かであらう。が、そのもとはと云へば、專門の上から、互に似たり寄つたりのことを知つてゐたので、あちらが私の歌の素材によく通じてゐたとも云へるし、こちらの歌が、あちらの美術史の試驗に及第したとも云へるところであらう。世間では、よく「天ハ二物ヲ與ヘズ」なとといつて、作家の能力の狹さを歎くけれども、いやしくも作家と名乘るほどのものは、とにかく一能だけは有るらしいが、鑑賞家の方は五物も六物もあるらしく見せながら、つきつめて見ると、實は一物もあぶなつかしい人が多いやうに思ふ。だからせつかく歌が解つても、佛像が解ると云ふわけに行かないやうに、佛像に理解があつても、必ず歌の判斷が出來るといふわけにも行かない。そこへ行くと濱田君などは、兩方が解つて、自分では繪も描けたし、その上に書道の方まて解つてくれたらしいから、此の人などは、私などにとつては、それこそありがたい知己の一人であつたと云ふべきであらう。  この濱田君あたりが見たならは、觀心寺、室生寺、法華寺なとの觀音を詠んだ私の歌を、いきなり私のエロにしてしまはずに、これこそ日本美術史上、際立つて特色の強かつたその時代の、官能的な持ち味が滲み出して、ついこんな歌になつたのであり、また同じ時代のほかの一面として、東寺の五大明王などになると [#ここから2字下げ] たちいればくらきみだうにぐんだりのしろききばよりもののみえくる ひかりなきみだうのふかきしづもりにをたけびたてる五だいみやうわう [#ここで字下げ終わり] といふやうな、こんな密教的な、いはば印度臭い、神怪な趣味にもなつたのだといふことが、よくわかつてくれたであらう。だから好んで百濟觀音や夢殿觀音の、幽寂な微笑を、歌つてゐた私が、忽ちこの平安初期の妖婉な肉感に着目したとしても、それをただ私だけのエロのせゐにして、したり顏でゐるならば、鑑賞家としては、申譯のない不用意だと云はねばなるまい。  私は又、新藥師寺の有名な香藥師《かうやくし》如來の像が好きで、かつて [#ここから2字下げ] ちかづきてあふぎみれどもみほとけのみそなはすともあらぬさびしさ [#ここで字下げ終わり] と詠んでゐる。これをその當時、友人の山口剛などは、會津は平素人を見くだして、鼻であしらつてゐるものだから、いざ彼が近よつて拜みに懸つても、こんどは佛さんの方で、あひてになさらない。と、いかにも痛快らしくその氣持を書いてゐるが、なるほど佛さんがあひてになつてくれないといふ淋しみは、まさしく私の氣持であるが、それにしても、かうした感じは、あの像を見たものならば、殆んど誰もが、身にしみて覺えがある筈の、あのうつとりとした、特有の眼つきからも來てゐることを、山口などは知らなかつた。そしてみんな私のせゐにして、何か特別の見つけものでもしたやうな物の云ひ方をしてゐるのである。  しかし思えば、私が奈良の歌を詠み出したのは、三十年も前のことで、それに櫻井、山口、吉江等の批評的な序跋をつけて、『南京新唱』として世に送つてから、すてに二十年にも近い。その間に、世上では、奈良美術の研究や鑑賞が、思つたよりも流行つて來て、今では「觀心寺の眉」とか「香藥師の眼つき」とか云つただけでも、説明なしにうなずく人がだいぶ多くなつたから、今さら不足を云ふことも無いやうなものだが、これ位のことにでも、二三十年はかかるといふのであると、かりそめにも詩歌の作を後世に遺すといふことも、隨分心細いことであるらしい。つくづくと考へられることである。 [#地から2字上げ](一九四二年一月十八日夜稿) 底本:「世界教養全集 別巻1 日本随筆・随想集」平凡社    1962(昭和37)年11月20日初版発行    1964(昭和39)年5月4日4版発行 入力:sogo 校正: 2013年4月10日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。