うさぎと はりねずみ グリム兄弟 Bruder Grimm 矢崎源九郎訳 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)秋《あき》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)三十|分《ぷん》 -------------------------------------------------------  みなさん。このおはなしは、うそみたいですけどね、ほんとうのおはなしなんですよ。わたしは、このおはなしを おじいさんからききました。  おじいさんは、はなしてくれるたびに、いつもいつも、こう いっていました。 「こりゃあな、ぼうや。まちがいなく、ほんとうのはなしなんだよ。こうよりほかには、はなしようがないんだからな。」  ところで、その おはなしというのは、こうなんです。  秋《あき》の、ある日《にち》よう日《び》の 朝《あさ》のことでした。ちょうど、そばの花がまっさかりでした。  お日さまは、空《そら》たかくのぼって、あかるく かがやいていました。朝風《あさかぜ》は、きりかぶの上を あたたかく ふいていました。ひばりは、空《そら》で 歌《うた》をうたい、みつばちは、そばの花のあいだで、ブンブン うなっていました。  村《むら》の人たちは、よそゆきをきて、教会《きょうかい》へでかけました。  こうして、生《い》きているものは、みんな いい気《き》ぶんになっていました。はりねずみも、やっぱりいい気《き》もちでした。  はりねずみは、じぶんの家《いえ》の、戸《と》のまえにたって、うでぐみをしていました。朝風《あさかぜ》にふかれながら、気《き》もちよさそうに、ちょいとした歌《うた》を、口のなかで うたっていました。歌《うた》がうまくても まずくても、そんなことはかまいません。ともかく、はりねずみは、たのしい日《にち》よう日《び》の朝《あさ》には、いつも きまって、歌《うた》をうたうのです。  こうやって、ぼんやり ひとりで、小声《こごえ》でうたっていると、ふっと こんなことをおもいつきました。 (そうだ、今《いま》、かみさんが 子どもたちを、おふろにいれてやっている。そのあいだに、ちょいと はたけへさんぽにいって、かぶのぐあいを みてくるとしよう。)  そのかぶというのは、はりねずみの家《いえ》の、すぐそばに ありました。はりねずみは、おかみさんや 子どもたちといっしょに、いつも そのかぶをたべていました。  それで、そのかぶはじぶんのものだ、とおもいこんでいたのです。 (いいことは、いそいでやるんだ。)  はりねずみは、おもての戸《と》をしめて、はたけのほうへでかけました。  ところが、まだ、いくらも いかないときです。はたけのてまえにある 木のしげみのところを、かぶばたけのほうへ まがろうとしました。すると、そこで ばったり、うさぎにであったのです。  うさぎも、やっぱり、おなじようなようじで やってきたところでした。つまり、うさぎのほうは、じぶんのキャベツばたけを、みまわりにきたのです。  はりねずみは、うさぎのすがたをみると、あいそよく、 「おはよう。」と、あいさつしました。  ところが、うさぎときたら、いやに こうまんちきで、おえらいだんなのような つもりでいます。だから、はりねずみがあいさつしても、へんじもしません。  それどころか、ひどく ばかにしたような顔《かお》つきで、 「おいおい。いったい どうしたわけで、こんなに 朝《あさ》はやくから、はたけのなかを、うろちょろしているんだね。」と、いいました。 「さんぽですよ。」と、はりねずみはこたえました。 「へえ、さんぽとはねえ。いくら、おまえの足《あし》だって、もうすこしましなことに、つかえるだろうになあ。」 と、うさぎは、わらっていいました。  こう いわれると、はりねずみは、ひどくおこりました。  ほかのことなら、なにをいわれても がまんできます。けれども、足《あし》のことをいわれては、がまんできません。というのも、はりねずみの足《あし》は、生《う》まれつき よこっちょにまがっていたからです。 「なんだと。それじゃ きさまの足《あし》なら、もっと ましなことにつかえるとでも、うぬぼれてるのか。」と、はりねずみはいいかえしました。 「あたりまえよ。」と、うさぎはこたえました。 「ようし。それじゃ、たしかめてみよう。かけっこをすりゃ、おれのかちに きまってら。」と、はりねずみはいいました。 「わらわせるない。その よこっちょにまがった足《あし》で、かつってのかい。」 と、うさぎはいいました。でも、すぐ つづけて、いいました。 「だけどな、おまえが そんなにやりたいんなら、おれは やったっていいぞ。で、なにをかけるんだ。」 「金貨《きんか》をひとつと、さけをひとびんだ。」と、はりねずみはこたえました。 「うんよかろう。じゃ、すぐ はじめるか。」 「いやいや、そう あわてなくてもいい。おれは、まだ 朝《あさ》めしをくってないんだ。ちょいと うちへかえって、くってくる。三十|分《ぷん》したら もどってくるよ。」 と、はりねずみはいいました。  うさぎはしょうちしました。そこで、はりねずみは、うちへもどりました。  そして、かえる道《みち》みち、ひとりでかんがえました。 (うさぎのやつめ。あのながい足《あし》を たよりにしているな。なあに、あんなやつにまけるもんか。あいつは おえらいだんなかもしれんが、まぬけだからな。なんとか うまいとこ、だしぬいてやれ。)  はりねずみは、家《いえ》へかえると おかみさんにむかって、 「おい、はやく したくをしろ。おれといっしょに、はたけへいくんだ。」 と、いいました。 「いったい、どうしたのさ。」と、おかみさんはたずねました。 「うさぎのやつと、かけをしたんだ。金貨《きんか》をひとつと さけをひとびんな。これから、あいつと かけっこをするんだ。だから、おまえも、いっしょにきていてくれ。」  これをきくと、はりねずみのおかみさんは びっくりして、大きな声《こえ》をだしました。 「あきれたねえ おまえさんは。頭《あたま》がどうかしたんじゃないのかい。いくらなんでも、うさぎと、かけっこが できるはずがないじゃないの。」 「だまってろい。おれさまのすることだ。男の仕事《しごと》に 口をだすない。さあ、はやいとこ したくをして、いっしょについてくるんだ。」 と、はりねずみはいいました。  はりねずみは、いったい、おかみさんを どうするつもりなんでしょうか。おかみさんは、いやでもおうでも、ついていくよりほか しかたがありませんでした。  ふたりは、ならんで あるいていきました。すると、はりねずみが おかみさんにいいました。 「おれのいうことを、ようく きいていてくれよ。ほら、あそこに、ながいはたけがみえるだろ。あそこで、かけっこをするんだ。うさぎのやつが、ひとつの うねのなかをかけて、おれさまは、もうひとつの うねのなかをかける。どっちも、上のほうからかけだすんだ。  ところで おまえは、こっちの 下のほうの うねのなかにたってくれ。それだけで、なんにもしなくていい。ただ、うさぎが むこうにやってきたら、やつにむかって、『おれは、もう きてるぞ。』と、どなってくれ。」  そのうちに、ふたりは、はたけにつきました。はりねずみは、おかみさんに、たっているばしょを おしえてから、はたけの上のほうへ のぼっていきました。  いってみると、うさぎは、もう ちゃんと きて、まっていました。 「どうだ、はじめるか。」と、うさぎがいいました。 「いいとも。」と、はりねずみもいいました。 「じゃ、いくぞ。」  こう いって、ふたりは、それぞれ、じぶんがはしる うねのなかへはいりました。  うさぎは、「一、二、三。」と、かぞえおわったとたん、あらしのように、はたけをかけおりていきました。  ところが、はりねずみのほうは、ほんの三足《みあし》ばかり はしったかとおもうと、うねのなかにうずくまって、そのまま じっとしていました。  うさぎは、おもいきり はしっていきました。もうすこしで、下のほうへつきそうです。  ところが そのとき、むこうから、はりねずみのおかみさんが、 「おれは、もう きているぞ。」と、どなったではありませんか。  うさぎは びっくりぎょうてん。ふしぎでふしぎで なりません。もちろん、今《いま》どなったのは、かけっこをしているあいての はりねずみだ、とばかりおもいました。  なぜって、はりねずみというのは、だれでもしっているとおり、おかみさんも、だんなさんと そっくりなんですからね。 (こいつは、どうもおかしいな。)と、うさぎはおもいました。そこで、 「もういっぺん かけっこしよう。それっ まわれ右《みぎ》だ。」 と、さけぶといっしょに、またもや、あらしのようにかけだしました。うさぎの耳《みみ》は、頭《あたま》のところで、ビュウビュウ 風《かぜ》になびきました。けれども、はりねずみのおかみさんのほうは、そのまま、そこに じっとしていました。  うさぎは、はたけの上のほうへ、いっさんに はしっていきました。  こんどは、はりねずみのだんなさんのほうが、 「おれは、もう きているぞ。」と、どなりました。  うさぎは、かんかんに おこって、 「もういっぺん やろう。まわれ右《みぎ》だ。」と、わめきました。 「ああ、いいとも。おまえの気《き》がすむまで、いくらでもやるぜ。」 と、はりねずみはこたえました。  そこで、うさぎは、それから 七十三べんも、かけっこをしました。そのたびに、はりねずみがかちました。  うさぎが、上へいったり 下へいったりするたびに、はりねずみか、はりねずみのおかみさんの どちらかが、「おれは、もう きているぞ。」と、どなりました。  けれども、七十四へんめには、とうとう うさぎも、おしまいまで はしることができませんでした。はたけのまんなかで、ばったり たおれてしまったのです。そして、首《くび》からは 血《ち》がながれでて、それきり うごけなくなってしまいました。  はりねずみは、かけでかった 金貨《きんか》とおさけのびんを、とりました。そして、おかみさんを、うねのなかから よびだしました。それから、ふたりでいっしょに、おおよろこびで 家《いえ》にかえりました。ふたりとも、まだ 死《し》んでいなければ、生《い》きているはずですよ。  ブクステフードの原《はら》っぱで、はりねずみとうさぎは、こんなかけっこをしたんです。そして、このときからというもの、ブクステフードのはりねずみと、かけっこをしようなんて 気《き》をおこすうさぎは、一ぴきもいませんでした。  このはなしをきいて、ためになることがありますね。  まず だい一に、たとえ じぶんが、どんなに えらいとおもっても、うぬぼれて、ほかのものを ばかにしてはいけない、ということです。あいてが、はりねずみみたいなものでもですよ。  そのつぎには、およめさんをもらうなら、じぶんとおなじ身《み》ぶんで、みたところも、じぶんとそっくりの人を もらうといい、ということです。ですから、じぶんがはりねずみなら、およめさんも、やっぱり はりねずみがいい、といったようなことです。 底本:「グリムの昔話(1)野の道編」童話館出版    2000(平成12年)年10月20日 第1刷    2014(平成26年)年8月20日 第14刷 底本の親本:「グリム童話全集」実業之日本社 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。