「チャーリー・チャンの活躍」解説 佐倉潤吾 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#ここから1字下げ] -------------------------------------------------------  アール・デル・ビガーズの生み出した、ホノルル警察のシナ人探偵、チャーリー・チャンの名は古いミステリー・ファンには、実に懐しい。戦前に、チャーリー・チャンものはいくつも日本訳されて、人気を集めた。映画化されたものも、いくつか日本で上映された。チャーリー・チャンは私たち古いミステリー・ファンには、ホームズやポワロやファイロ・ヴァンスや、そういった特長のある大探偵のなかの一人であった。このふとった、子沢山の、落ち着いた、東洋風の英知を身につけた、人情家の名探偵は、ことにその人柄に魅力があって、忘れることのできない人なのである。  チャーリー・チャンについて、推理小説史家のハワード・ヘイクラフトは、すぐれた推理小説史“娯楽としての殺人”のなかで、次のようにいっている。 [#ここから1字下げ] 「物語作家は時として万人に忘れられない普遍的な人間性をもつ人物を創造する。こういう人物はそれが登場する作品のなかの人物というだけではなくなる。ディケンスはしばしばこういう人物を創作した。マーク・トゥエインもそうであった。推理小説の分野でいうならば、コナン・ドイルがそれをした。そしてアール・デル・ビガーズも、警句の得意な、忍耐強い、シナ人・ハワイ人・アメリカ人のチャーリー・チャンを創造することによって、これをしたのである。おそらくチャーリー・チャンほどに、最近におけるあらゆる探偵のなかで、一個の人間として読者に心から好かれたという人物はあるまい」 [#ここで字下げ終わり]  このヘイクラフトの讃辞は、ビガーズの作品でチャーリー・チャンに会った人には、うなずける。私もそう思う一人である。にもかかわらず、戦後の推理小説飜訳の波に、チャーリー・チャンは乗らなかった。むしろ忘れられた観がある。伝統的な本格派推理小説としてのビガーズの作品の面白さ、チャーリー・チャンの魅力、十カ国語にそれが飜訳されたという事実、アメリカ推理小説史上においてビガーズが占める高い地位、そういうものからいって、不思議であり、不当であるといった気がする。  これについてはこういうこともいえるであろう。ビガーズの作品は健全で、地味で、気取りがなく、ユーモラスで、ロマンチックで、構成が伝統的であって、読者をあっといわせるような超人的な主人公の活躍や新奇さに乏しいということである。このためにアメリカでも、ビガーズのチャーリー・チャンものの第一作「鍵のない家」が出たのは、一九二五年であったが、その翌年に出たヴァン・ダインのファイロ・ヴァンスものの第一作「ベンスン殺人事件」の超人性と新奇さに圧倒されて、最初は光が薄かったのであった。チャーリー・チャンものが高く評価され、アメリカ中の人気を集めるようになったのは、第二作、第三作と出て、チャンの個性の魅力が理解されてからであった。日本の場合は、ことに読者は新奇さを求める。チャーリー・チャンは同時代のファイロ・ヴァンスの光に消されたままでいる。しかし推理小説の一つの古典として、ビガーズの作品は日本で改めて紹介され、評価されるべきなのである。創元推理文庫に、彼の代表作である「チャーリー・チャンの活躍」が収められたことは、私はうれしい。  作者のビガーズのことだが、彼は一八八四年オハイオ州ウォレンで生まれ、ハーヴァード大学に学び、最初はボストンの新聞のユーモア欄を担当した。やがてその新聞の劇評欄にも関係し、そのことから演劇に興味をもち、最初の彼の劇作は成功しなかったが、彼の推理小説(チャーリー・チャンものではない)が劇化されたものが、非常な当たりをとった。その後、彼は主として演劇と雑誌小説の仕事をしたが、ついに一九二五年にチャーリー・チャンものの第一作を発表したのである。(前にもいったように、ヴァン・ダインのファイロ・ヴァンスものの第一作が発表されたのは、その翌年であり、さらにその三年後の一九二九年には、エラリー・クイーンの「ローマ帽子の謎」とダシール・ハメットの「マルタの鷹」の発表があって、クイーンとハメットによってアメリカの推理小説は新時代に入るのである)。これまで悪人としてのみ推理小説に登場していたシナ人は、ここにはじめて法の味方として、登場した。超人的な頭脳をもつ名探偵に代わって、むしろ平凡な人間らしい人間が、探偵になった。このチャーリー・チャンによって、彼の名声は確立した。彼が死んだのは、一九三三年、五十八歳のときで、場所はカリフォルニア州パサデーナ、病気は心臓病であった。彼は死に、たとえその作品は忘れられても、チャーリー・チャンの名は推理小説の歴史にいつまでも残るであろう。  この「チャーリー・チャンの活躍」の原題は、“Charlie Chan Carries On”である。「チャーリー・チャン引き受ける」ということであって、その意味は本文中にあるように、チャンが彼の友人、イギリスの探偵ダフ警部に頼まれて、あとを引き受けて捜査をつづけるのである。日本語の題としては分りにくいので、「チャーリー・チャンの活躍」とした。この本は戦前に、当時の推理小説の飜訳の多くの例に洩れず筋だけ通す抄訳程度のものであったが、たしか「世界観光団殺人事件」といった題で、訳が出た。私は読んだ記憶があるが、訳者の名は記憶していない。この題はこの作品の内容をいちばんよくいい現わしている。ニューヨーク、ロンドン、パリ、ニース、サン・レモ、ゼノア、地中海、紅海、印度洋、インド、シンガポール、香港、横浜、ホノルル、サンフランシスコというコースの小規模なアメリカの世界周遊旅行団で、まずロンドンのホテルでその一人が殺される。ロンドン警視庁のダフ警部が、犯人は旅行団中にあるとみて、旅行団のあとを追う。さらに三つの殺人が行なわれ、ホノルルでチャンがダフ警部に交代して、船がサンフランシスコに着くまでの間に、犯人を発見するのである。戦後、長谷川修二氏の訳が早川書房から出たそうであるが、私はその訳は読んでない。私が新たに訳したのは、私の好きなこの作品に私なりの完訳をしたかったからである。  この作品には、伝統的な本格推理小説の要素がすべて備わっている。最初から、あらゆるところに伏線が隠されていて、それが鍵となるという謎解きの構成が、緻密に組まれている。書くほうも大変だが、読むほうも自分で謎を解くつもりで読むとなると、楽ではない。本格推理小説がすたれたのは、行き詰ったのと、読むのに骨が折れるからだが、そういう読み方をする必要はない。物語として読めばいいのである。筋も面白いし、人物の描写も正確だし、こちこちの謎解き小説とはまったくちがう味だ。前半はダフ警部の活躍であり、後半がチャンの活躍になるのだが、このダフ警部というのが、また実に好感がもてる追跡者の典型なのである。全体にみなぎる古風な味も楽しい。推理小説も犯罪捜査も、イギリスが世界一という時代であり、アメリカ人のほうが敬意を表している。旅行団のメンバーはアメリカのさまざまなタイプの人で、デトロイトから来た人、アクロンから来た人がいるが、今日自動車工業の中心、タイヤ工業の中心として、誰でも知っているデトロイトやアクロンを、ロンドンの人たちは知らないという時代だ。  お断りしておきたいのは、ダフの肩書はチーフ・インスペクターというので、これはイギリスの制度のスーパーインテンデント(警視)とインスペクター(警部)の中間の地位で、英国大使館情報部のパンフレット“イギリスの警察”には、大警部としてあるが、いかにも明治調なので、上席警部と訳した。それから、チャンの助手の日本の刑事は、Kashimo となっているが、日本の名らしくないので、カシマとした。同じ理由で、ホノルルの理髪師 Krymota はクリモトとした。アクセントの置き方の問題である。 底本:「チャーリー・チャンの活躍」創元推理文庫、東京創元社    1963(昭和38)年8月2日初版    1974(昭和49)年7月12日7版 ※本文中 Earl Derr Biggers 氏について「アール・デル・ビガーズ」と表記されていますが、これは底本どおりです。 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。