角笛のひびき 吉江喬松 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)山《やま》へ |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|日《にち》じゅう [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)とき[#「とき」に傍点] -------------------------------------------------------  フランスのアルプスの山《やま》へ行《ゆ》きますと、夕方《ゆうがた》なぞ、霧《きり》のかかって来《く》る草原《くさはら》や、杉《すぎ》の森《もり》のなかから角笛《つのぶえ》のひびきが遠《とお》く近《ちか》く聞《きこ》えて来《き》ます。谷《たに》を隔《へだ》てて、向《むこ》うの山《やま》から、その響《ひびき》が林《はやし》や丘《おか》や谷合《たにあい》に谺《こだま》して、悲《かな》しく物寂《ものさび》しく、小暗《おぐら》くなった小途《こみち》の上《うえ》へかすかにたゆたいます。  何《なん》のための角笛《つのぶえ》でしょう? これは一|日《にち》じゅう草原《くさはら》へ放《はな》しておいた羊《ひつじ》の群《むれ》を呼《よ》び集《あつ》めるために牧童《ぼくどう》が吹《ふ》く笛《ふえ》の音《ね》です。羊《ひつじ》は長《なが》い草《くさ》の中《なか》や、夏花《なつぐさ》の咲《さ》きみちた森蔭《もりかげ》を一|日《にち》じゅう自由《じゆう》に遊《あそ》びまわって、思《おも》わず遠《とお》くまで迷《まよ》って行《い》っている中《うち》に日《ひ》が暮《く》れます。それを番《ばん》をしている羊飼《ひつじかい》の子供《こども》は、まず犬《いぬ》をやってそれを集《あつ》めます。羊飼《ひつじかい》の犬《いぬ》くらいかしこいものはありません。皆《みな》さんは羊《ひつじ》の沢山《たくさん》の群《むれ》が、一|匹《ぴき》か二|匹《ひき》の犬《いぬ》に守《まも》られて、通《とお》って行《ゆ》くのを見《み》たことがおありですか。  幾《いく》十、幾《いく》百となき白《しろ》い羊《ひつじ》の群《むれ》は、草原《くさはら》から、森《もり》の中《なか》から、八|方《ぽう》から犬《いぬ》に教《おし》えられて、むくむくと雲《くも》の湧《わ》くように、一つの処《ところ》へ集《あつ》まって来《き》ます。犬《いぬ》は鳴《な》きながら八|方《ぽう》をかけ廻《まわ》って、草《くさ》の中《なか》へ、森《もり》の中《なか》へ、谷《たに》の中《なか》へ、飛《と》び込《こ》んで一|匹《ぴき》のこらずおくれて途《みち》を失《うしな》った羊《ひつじ》を探《さが》しだします。その集《あつ》まって来《き》た羊《ひつじ》のまわりを、犬《いぬ》は前《まえ》へ後《うしろ》へ左右《さゆう》へかけまわって、遅《おく》れたものを叱《しか》りつけ、弱《よわ》ったものをいたわり励《はげ》ますようにして次第《しだい》に羊小屋《ひつじごや》の方《ほう》へつれて来《き》ます。  それでもまだ見落《みおと》されて迷《まよ》っている羊《ひつじ》が草《くさ》の中《なか》に居《い》るかも知《し》れません。羊飼《ひつじかい》は、角笛《つのぶえ》を吹《ふ》き立《た》てます。その響《ひびき》が四方《あたり》の林《はやし》や谷《たに》にひびき渡《わた》ると、どんな処《ところ》に迷《まよ》っているものでも、必《かなら》ず、その響《ひびき》をたよりに集《あつ》まって来《き》ます。なかには首《くび》に鈴《すず》をつけた羊《ひつじ》がいます。その鈴《すず》の響《ひびき》が夕暗《ゆうやみ》のなかで、草《くさ》の葉《は》の茂《しげ》っているなかでするのは、いかにも寂《さび》しい、またなつかしいものです。  この角笛《つのぶえ》の響《ひびき》には、フランスの古《ふる》い物語《ものがたり》が籠《こも》っています。今日《こんにち》、アルプスの山中《さんちゅう》でこの羊飼《ひつじかい》の笛《ふえ》の音《ね》を夏《なつ》の夕方《ゆうがた》耳《みみ》にした人《ひと》ならば、必《かなら》ずその物語《ものがたり》を思《おも》い出《だ》すでしょう。そのお話《はなし》は次《つぎ》のようです。  むかしむかし、今《いま》から千百|年《ねん》以上《いじょう》も昔《むかし》のことです。フランスとドイツとの両国《りょうこく》に瓦《わた》って、その領土《りょうど》を占《し》めていたシャルマーニュ大帝《たいてい》というえらい王様《おうさま》がありました。その当時《とうじ》のヨーロッパは一|時《じ》全《まった》くこの王様《おうさま》の支配《しはい》の下《もと》におかれたくらいの勢《いきおい》でした。  ところが、その頃《ころ》、スペインへはアラビヤ人《じん》が地中海《ちちゅうかい》の方《ほう》から侵入《しんにゅう》して、非常《ひじょう》な勢《いきおい》でスペインを征服《せいふく》してシャルマーニュ大帝《たいてい》へ対《たい》しても、いつも謀反《むほん》を企《くわだ》てていました。シャルマーニュ大帝《たいてい》はそれを怒《いか》って、是非《ぜひ》一|度《ど》、自《みずか》らこのアラビヤ人《じん》を征伐《せいばつ》に行《ゆ》かなければならないというので、軍隊《ぐんたい》を引《ひき》きつれて、ピレネ山《さん》という高《たか》い山《やま》を越《こ》えてスペインへはいりました。そして、このアラビヤ人等《じんら》を征服《せいふく》していよいよフランスへ引上《ひきあ》げて来《く》ることになったのです。  この大帝《たいてい》がピレネ山《さん》を越《こ》えて行《ゆ》く時《とき》も、帰《かえ》る時《とき》も、空《そら》には聖《サン》ジャックというキリストのお弟子《でし》が、光《ひか》りをかかげて、先導《せんどう》となって行《ゆ》きました。その時《とき》の途《みち》が今日《こんにち》の天《あま》の河《がわ》だということです。  さて、シャルマーニュ大帝《たいてい》は、隊伍《たいご》をととのえて、しずしずとピレネ山《さん》を越《こ》えてフランスの空《そら》の方《ほう》へ向《むか》って帰《かえ》って来《き》ました。幾月《いくつき》もの戦《たたか》いのために人々《ひとびと》は早《はや》くふる郷《さと》の空《そら》が仰ぎたく、ふる郷《さと》の山河《さんが》を望《のぞ》みたく、そしてその美《うつく》しいフランスの土地《とち》から産《さん》する紫《むらさき》の葡萄《ぶどう》の珠《たま》と、その葡萄《ぶどう》から造《つく》られる甘《あま》い葡萄酒《ぶどうしゅ》とを思《おも》って、胸《むね》をおどらせながら勇《いさ》んで山《やま》を登《のぼ》って来《き》ました。  けれど、その時《とき》、シャルマーニュ大帝《たいてい》一人《ひとり》だけは何《なん》となく沈《しず》んだような顔色《かおいろ》をして、部下《ぶか》の者《もの》どもがはしゃぎ騒《さわ》いでいるにも関《かかわ》らず黙《だま》って、とかく浮《う》きたたない様子《ようす》をしていました。それはいつも自分《じぶん》の傍《そば》を離《はな》れずにいた自分《じぶん》の甥《おい》のローランという英雄《えいゆう》が傍《そば》にいなかったためでした。  ローランはその時《とき》、何処《どこ》にいたでしょうか。この英雄《えいゆう》は、大帝《たいてい》の軍隊《ぐんたい》がスペインを引《ひ》き上《あ》げる時《とき》、その軍隊《ぐんたい》の殿《しんがり》となって、最後《さいご》から敵《てき》のおさえとなって来《く》るのでした。というのは、アラビヤ人《じん》はシャルマーニュ大帝《たいてい》と和睦《わぼく》の約束《やくそく》を結《むす》んだけれど、いつその約束《やくそく》を破《やぶ》って謀反《むほん》を起《おこ》さないとも限《かぎ》らない。それが為《た》め、一|軍《ぐん》のなかの最《もっと》もすぐれた勇者《ゆうしゃ》のローランが最後《さいご》に残《のこ》ってその様子《ようす》を見《み》て引《ひ》き上《あ》げることになっていました。そして、若《も》しアラビヤ人《じん》が叛《そむ》いて背後《うしろ》からローランを襲《おそ》いかかったならば、その急《きゅう》を告《つ》げるために、最後《さいご》の手段《しゅだん》として角笛《つのぶえ》を吹《ふ》くことになっていました。それで、もしその角笛《つのぶえ》の響《ひびき》が聞《きこ》えたならば、シャルマーニュ大帝《たいてい》の軍《ぐん》は、すぐ引《ひ》き返《かえ》してローランを助《たす》けることに決《き》めてあったのです。  もう大帝《たいてい》の部下《ぶか》は勇《いさ》みに勇《いさ》んで山路《やまじ》を登《のぼ》りつめてそろそろ下《くだ》り坂《ざか》の方《ほう》へ向《むか》っていました。フランスの空《そら》が彼等《かれら》の眼《め》の前《まえ》に輝《かがや》きだし、美《うつく》しいフランスの平野《へいや》が彼等《かれら》の脚《あし》の下《した》へ広がりだしました。彼等《かれら》は跳《おど》り上《あ》がって万歳《ばんざい》を叫《さけ》びました。けれど、大帝《たいてい》一人《ひとり》は、やはり黙《だま》って、沈《しず》んだ顔付《かおつ》きをしていました。そして、今《いま》、彼《かれ》の部下《ぶか》の叫《さけ》んだ万歳《ばんざい》の声《こえ》がまだ消《き》えてしまわないうちに、大帝《たいてい》は遙《はる》か後方《こうほう》で、角笛《つのぶえ》の響《ひびき》がしたように思《おも》ったのです。彼《かれ》は不意《ふい》に馬《うま》をとどめて、じっと耳《みみ》を澄《す》ましました。彼《かれ》はまたたしかにその角笛《つのぶえ》の響《ひびき》を聞《き》いたように思《おも》いました。彼《かれ》は部下《ぶか》を顧《かえり》みて、『今《いま》、角笛《つのぶえ》がひびいたではないか、ローランの角笛《つのぶえ》が』と言《い》いました。  部下《ぶか》のものもまたちょっと立止《たちど》まって耳《みみ》を澄《す》ましました。けれど、その時《とき》は、ただ谷《たに》を走《はし》る水《みず》の音《おと》と、林《はやし》の中《なか》の風《かぜ》の響《ひびき》しか聞《きこ》えません。皆《みな》のものは大帝《たいてい》に、『それは、風《かぜ》か水《みず》の音《おと》でしょう』と言《い》いました。軍隊《ぐんたい》はまた大帝《たいてい》を包《つつ》んで、下《くだ》り坂《ざか》をおり始《はじ》めました。けれどシャルマーニュは甥《おい》のローランのことが何分《なにぶん》にも気《き》にかかってなりません。部下《ぶか》の軍隊《ぐんたい》が悦《よろこ》び騒《さわ》ぐなかにただ一人《ひとり》黙々《もくもく》として、馬《うま》をすすめていました。  すると、今度《こんど》は、たしかに、はっきりと『ぼおう、ぼおう』という角笛《つのぶえ》の響《ひびき》が、人馬《じんば》の騒《さわぎ》の上《うえ》に聞《きこ》えて来《き》ました。シャルマーニュは『そらッ』といって、馬《うま》の頭《かしら》を立《た》て直《なお》しました。今度《こんど》こそは明《あきら》かに皆《みな》のものの耳《みみ》にも聞《きこ》えました。部下《ぶか》の者《もの》も一|時《じ》に足《あし》をかえして今《いま》来《き》た路《みち》へ急《いそ》ぎました。角笛《つのぶえ》はなお断続《だんぞく》して響《ひびき》いて来《き》ました。『ぼおう、ぼおう』と太《ふと》く細《ほそ》く、うったえるように、救《すくい》を求《もと》めるように、急《きゅう》を告《つ》ぐるように、怨《うら》むが如《ごと》く、怒《いか》るが如《ごと》く、林《はやし》の奧《おく》から、谷《たに》の中《なか》から、一|面《めん》に響《ひびき》きました。シャルマーニュは一|軍《ぐん》を引《ひ》きかえして大急《おおいそ》ぎにピレネ山《さん》をスペインの方《ほう》へかけおりました。  この時《とき》、ローランはどうしたでしょうか。彼《かれ》は四五|人《にん》の従者《じゅうしゃ》と共《とも》に軍隊《ぐんたい》の最後《さいご》からしずしずと山路《やまじ》へかかって来《き》たのでした。すると、シャルマーニュ大帝《たいてい》が心配《しんぱい》していた通《とお》り、それまで従順《じゅうじゅん》な風《ふう》をしていたアラビヤ人等《じんら》は、にわかに大声《おおごえ》で叫《さけ》び出《だ》し、大勢《おおぜい》の人間《にんげん》が一|時《じ》に兵器《へいき》をとって、ローランの後《うしろ》からどっと襲《おそ》いかかって来《く》るのでした。彼等《かれら》が恐《おそ》れていたのはこの英雄《えいゆう》ローランとその部下《ぶか》でした。今《いま》そのローランが小人数《こにんずう》の人々《ひとびと》と軍《ぐん》の最後《さいご》から山路《やまじ》へかかるのを見《み》ると、この人々《ひとびと》を打《うち》とってしまいさえすればシャルマーニュの大軍《たいぐん》とても恐《おそ》るるに足《た》らないと思《おも》ったのでしょう。いちはやく、ローランの身辺《しんぺん》に迫《せま》って、八|方《ぽう》から兵器《へいき》で囲《かこ》んで襲《おそ》って来《く》るのでした。そして、口々《くちぐち》に『ローランよ、自分等《じぶんら》の軍《ぐん》へ降《くだ》れ、でなければお前《まえ》の命《いのち》はないぞ、シャルマーニュの軍《ぐん》は最早《もは》や遠《とお》くお前《まえ》を置《お》いて行《い》ってしまった』と、叫《さけ》ぶのでした。  ローランはその中《なか》に突立《つった》って、八|方《ぽう》をにらみつけ、『汚《けが》らわしい、如何《いか》で汝等《なんじら》に降参《こうさん》するものか、この蛮人等《ばんじんら》よ、我《わ》が剣《けん》が一|度《た》び鞘《さや》を脱《だっ》すれば、汝等《なんじら》の頭《こうべ》は木《こ》の葉《は》のように払《はら》い落《おと》されるぞ』、と大声《おおごえ》に叫《さけ》びたてました。その勢《いきおい》いで、アラビヤ人等《じんら》は一|時《じ》四|方《ほう》へ退《しりぞ》きましたが、また多数《たすう》をたのんで集《あつ》まって来《き》ます。従者《じゅうしゃ》は、約束《やくそく》の角笛《つのぶえ》を吹《ふ》き立《た》てようとしましたが、ローランはそれをとどめて吹《ふ》かせません。そして、彼《かれ》の愛《あい》していた大剣《たいけん》デュランダールを抜《ぬ》きはなって、師子王《ししおう》のように狂《くる》いまわりました。アラビヤ人等《じんら》はその度毎《たびごと》に、ときをつくって逃《に》げ下《お》りるけれど、執念《しゅうね》くもまた攻寄《せめよ》せて来《き》ます。斬《き》り殺《ころ》され、踏《ふ》み殺《ころ》され、岩《いわ》に打当《うちあた》り、周囲《しゅうい》はアラビヤ人《じん》の死骸《しがい》が山《やま》とかさなりました。けれど大勢《たいぜい》をたのむアラビヤ人等《じんら》は一|向《こう》ひるまずに攻《せ》めよせます。ある者《もの》は山路《やまじ》を上《うえ》へ登《のぼ》って、大《おお》きな岩《いわ》を動《うご》かし、ローランを脅《おど》しつけて、『早《はや》く降参《こうさん》せよ、そうでなければこの岩《いわ》を落《おと》して皆殺《みなごろ》しにする』と言《い》いました。ローランは嘲笑《あざわら》って、身《み》を飛《と》びのけたと思《おも》うと、その大岩《おおいわ》は非常《ひじょう》な響《ひびき》を立《た》てて却《かえ》ってアラビヤ人等《じんら》の中《なか》へころび落《お》ち、多数《たすう》の者《もの》を怪我《けが》させました。  けれど、何分《なにぶん》にも数知《かずし》れぬ攻《せ》め手《て》のために、さすがのローランも次第々々《しだいしだい》に疲《つか》れて来《き》ました。部下《ぶか》の者《もの》もあるいは傷《きず》つき、あるいは死《し》にました。もう如何《いかん》とも仕方がないので、彼《かれ》は自分《じぶん》で、角笛《つのぶえ》をとり上《あ》げて、呼吸《いき》の限《かぎ》り、死《しに》もの狂《ぐる》いに吹《ふ》き立《た》てました。角笛《つのぶえ》の吹《ふ》き口《ぐち》は、ローランの口《くち》からでる血《ち》で赤《あか》く染《そま》りました。二|声《こえ》、三|声《こえ》、その響《ひびき》は山々《やまやま》、谷々《たにたに》に、恐《おそ》ろしい大《おお》きな牛《うし》の最期《さいご》の叫《さけ》びのように谺《こだま》して鳴《な》り渡《わた》りました。  それを見《み》ると、アラビヤ人等《じんら》は一せいに声《こえ》をあげて、森《もり》の中《なか》から、八|方《ぽう》にローランを取《とり》まいて肉薄《にくはく》しました。彼《かれ》はもう必死《ひっし》の力《ちから》で荒《あ》れ狂《くる》い、跳《と》び廻《まわ》り、人間業《にんげんわざ》とは思《おも》われぬ働《はたら》きをしましたが、その中《うち》に、彼《かれ》の親友《しんゆう》でいつもローランと共《とも》に、シャルマーニュ大帝《たいてい》を助《たす》けて働《はたら》いたオリヴィエという英雄《えいゆう》がまず傷《きず》つき倒《たお》れて、目《め》は見《み》えなくなったがローランを呼《よ》んで、『神様《かみさま》はおん身《み》を守《まも》りたもう』といって呼吸《いき》を引《ひ》きとってしまいました。  終《しま》いにはさすがのローランも、最早《もは》や自分《じぶん》の最期《さいご》が来《き》たと覚悟《かくご》をきめましたが、それにしても、自分《じぶん》が今《いま》まで幾《いく》十|回《かい》幾《いく》百|回《かい》となく戦《たたか》って勝《か》って来《き》た、その大切《たいせつ》な愛剣《あいけん》のデュランダールを蛮人《ばんじん》の手《て》に渡《わた》したくない。むしろ、岩《いわ》を切《き》って、剣《けん》を打折《うちお》ってしまおうと、傍《かたわら》の大岩《おおいわ》にはっしとばかり切《き》りつけました。すると、その剣《けん》の先《さき》から火花《ひばな》がぱっと散《ち》りました。その時《とき》、ローランは、今《いま》まで自分《じぶん》が戦《たたか》って来《き》た幾《いく》つかの勝利《しょうり》の姿《すがた》がまざまざとその火花《ひばな》の中《なか》に浮《うか》び上《あ》がるのを見《み》ました。 『オオ、デュランダールよ、おん身《み》は私《わたし》とともに、シャルマーニュを助《たす》けて、幾《いく》つの国、幾《いく》つの土地《とち》を征服《せいふく》して来《き》た。けれど、もう私《わたし》も最期《さいご》だ。神《かみ》よフランスを救《すく》いたまえ』、彼《かれ》はそういうと、巨《おお》きな眼《め》に涙《なみだ》をたたえて、一|本《ぽん》の松《まつ》の木蔭《こかげ》へ倒《たお》れてしまいました。  その時《とき》です、ローランの閉《と》じかかって行《ゆ》く目《め》の前《まえ》へ、六|万《まん》のフランスの兵士《へいし》が、怒《いか》り狂《くる》うシャルマーニュを先頭《せんとう》に、とき[#「とき」に傍点]の声《こえ》を揚《あ》げながら殺到《さっとう》して、アラビヤ人等《じんら》を追《お》い散《ち》らして行《ゆ》くのでした。そして、先刻《さっき》、ローランが命《いのち》の限《かぎ》り吹《ふ》き立《た》てた角笛《つのぶえ》のひびきは、まだ谷《たに》の奧《おく》に谺《こだま》して残《のこ》っていましたが、シャルマーニュ大帝《たいてい》が急《いそ》いで、松《まつ》の木蔭《こかげ》へかけ寄《よ》ってローランを抱《だ》き起《おこ》した時《とき》は、最早《もは》やこの英雄《えいゆう》はこの世《よ》の人《ひと》ではなかったのです。  それから直《す》ぐに、この大帝《たいてい》の怒《いか》りと悲《かな》しみとが恐《おそ》ろしい重《おも》い罰《ばつ》となって、敵《てき》のアラビヤ人等《じんら》の上《うえ》へ加《くわ》えられたことは言《い》うまでもありません。シャルマーニュ大帝《たいてい》が馬《うま》にまたがり、その馬《うま》の前《まえ》の右《みぎ》と左《ひだり》とに、ローランとオリヴィエとが立《た》っている勇《いさ》ましい姿《すがた》は、今日《こんにち》、フランスの都《みやこ》パリへ行《ゆ》く人《ひと》ならば、何人《なんびと》でもそれをノートル・ダムという大《おお》きな美《うつく》しいお寺《てら》の前《まえ》に見《み》ることが出来《でき》ます。  角笛《つのぶえ》の響《ひびき》のなかには、今《いま》でもなお、この英雄《えいゆう》ローランの最期《さいご》の恨《うらみ》がこめられています。夏《なつ》の夕方《ゆうがた》、アルプス山中《さんちゅう》で、一|度《ど》でもこの角笛《つのぶえ》の音《ね》を耳《みみ》にしたものには、その悲《かな》しげな、物寂《ものさび》しげな、そして古《ふる》い古《ふる》い昔物語《むかしものがたり》を籠《こ》めた不思議《ふしぎ》な響《ひびき》、『ぼおう、ぼおう』というそのひびきは永久《えいきゅう》忘《わす》れることの出来《でき》ない思《おも》い出《で》となって残《のこ》っていることでしょう。 底本:「信州・こども文学館 第5巻 語り残したおくり物 あしたへの橋」郷土出版社    2002(平成14)年7月15日初版発行 底本の親本:「角笛《つのぶえ》のひびき」実業之日本社    1951(昭和26)年 ※底本は、表題に「角笛《つのぶえ》のひびき」とルビがふってあります。 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。