地下潜行者の心理 大坪砂男 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)歪《ゆがみ》を [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#地から2字上げ]――了―― -------------------------------------------------------  ここに「地下潜行者の心理」という何かしら薄黒い影のような難かしい題を出されましたが、実のところ、私はそうした異常心理学の専門家でもなければ、また幸か不幸か、地下へもぐつた体験者でもないのであります。  ただ、私は探偵小説を書いているので、これも「お前が地下潜行者を小説に扱うとき、どういう風に書くか?」という問題が出されたものと独り決めして、思いつくままを記してみましよう。しかしそうすると、これは小説作法の種明しということになつて、あまり有難い注文ではありません。  尤も、従来、探偵小説に対するごく初歩的な非難のうちに「お前は実際の人殺しをした経験もない癖に、どうして殺人者の行動が判るのか? そんなデタラメは、みんな嘘つぱちだ!」というのがあり、閉口することがあります。  それで、ここに探偵小説の種明しをしながら、できれば信用を回復したいと思うのでありますが、まず最初に、ごく常識的に考えた地下潜行者の心理はどんなものだろうか、想像してみることにしましよう。  この場合、当局の追求から必死に逃廻つている彼にとつて、何よりも邪魔な存在は、彼自身の顔であります。彼の顔によつて、彼は個人識別されているのだ! と思つただけで彼は自分の顔が街のショウィンドウに写るのをチラリと見てさえ、慄然とし、いよいよ彼自身の顔を険しくしないではいられないでありましよう。  この顔をなくしたいという心境は、即ち、自己の否定になりますが、同時に、このときぐらい彼が自分の顔を意識している状態はなくて、つまりは、自分を消したいと希うことによつて、逆に、ますます自意識過剰に陥らざるを得ないのです。  いま、その人物をAと名づけまして、もし誰かに「Aさん」と呼びかけられた時も、返事をしてはいけない。いや、ちよつと振返ることさえ危険この上ないのです。  それなのに、自分の名前というやつは、長い間の習慣で条件反射になつている。この条件反射を克服し、不意に名を呼ばれても、赤の他人の如く平然としていようとすることは普大抵ではありませんし、また絶えず注意を怠らず、意識をはつきりさせておくことを要求されているようなものでしよう。  このように自分を抹消しようと努力すること、その事が、一層自意識を旺盛にするという全く相反する二つの力に圧迫され、この人物は我とわが心を絞り上げるほどの苦痛を味わうのです。  ここに、彼の心は歪《ゆがみ》を生じる。心の形が歪められる。で、もしその心の歪み方を測定して図に描ければ、これが彼の心理状態であると目に見ることさえできるでありましよう。  そこで、この人物の心の形を眺めながら、彼の行動を描写して行けば、そう大した誤りは犯さずに済むのではないか。このため、私は「良心の力学」という物を使つて登場人物の姿を確かめようとするのですが――。  元来、人間は常に心の充足を求めている。心が満ち足りることを希つているのであります。そして、この充足感という物を幾何的な形に示そうとすると「表面積に対して内容の最も充実した状態」即ちゴムマリのような球形になつて、これは太陽の如く荘厳であり、月輪の如く美しく、円満具足している。  従つて、この充足した心の状態を「良心」と呼んでも良いでありましよう。つまり、良心とは弾力性あるゴムマリ状のものと認めて下されば結構であります。  併し、人間の生活はそのままが運動ですから、この良心もしばしば外部の刺戟をうけて、力の均衡が破れ、そこに心の歪がおこります。例えば、バットで強打されたゴムマリは必ず扁平な形になつて飛んで行くようなものですが、これはやがて表面張力により、元の円い形に返り、めつたにパンクすることもありませんから、御安心ください。  ところで、地下潜行者の場合はどうか? 彼の心中では二つの矛盾した力が用作してあたかもゴムマリを両手の間で圧迫しているようなものです。勢、形がラグビーの球のように変形されつぱなしでまた、こう変形することによつて、からくも逮捕から免れようとする気持を保つている。まことに、惨憺たる状態というほかありません。  そして、更に、こう変形された恰好を観察すると、これは円い球が打撃を受けて劇しい運動を起している時に生じるのですから、それを眺めただけでも、彼の心理状態は凄いスピードで素ッ飛んでいることが推定されるでありましよう。  たとえ、彼の肉体は安楽椅子に倚つていようとも、彼の心は休むひまなく走り続けている。ここに、追われる者の異常心理があり、その結果、常識では考えられないような行動ともなつて、言わば、ラグビーの球がその形のために妙にイレギュラー・バウンドするのと似ているのではありますまいか。  佐藤春夫氏が「探偵小説とは、行動の文学である」と言われたのは、まことに含蓄ある表現で、ここに登場する人物の心が歪んでいる限り、その形は運動状態を現していますから、体がどれだけ静止している場合でもその読後感に行動的な感銘を残すのであります。  ことに名作になると、この「良心の力学」が棉密に測定され計算されて、心理の裏打が必然的な行動となつて描写されている。決してデタラメな印象を与えるものではありません。  全く、地下潜行者は、たとえ無実の罪で逃廻つている場合でも、自分の良心を歪めずにいられない状態であり、言いかえれば、我とわが良心を拒否しているような惨状です。  こうした人物の目から見れば、何気なく街を歩き、誰に呼びかけられても平気で振返れる平和な人々は、いかに良心的な生活を楽しんでいるか――それを始めて痛切に感じるだろうと思われます。  そうです、地下潜行という言葉がそつくり当てはまるように、自分の良心を歪めているとき、朝ごとの太陽も彼のために明るくは昇らないでありましよう。[#地から2字上げ]――了―― 底本:「宝石七月号」岩谷書店    1954(昭和29)年7月1日発行 初出:「宝石七月号」岩谷書店    1954(昭和29)年7月1日発行 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。