テンダネス 田部隆次 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)喧《ケン》傳 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#地付き](英文學者) /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)いろ/\な -------------------------------------------------------  ベーズル・ホウル・チエムバレンと言へば古事記その他の日本古典の英譯者、東京大學文學部における國語國文學の教授、日本學者の第一人者として普く知られた人である。「日本案内記」を編纂するために日本内地をあまねく旅行し、日本アルプスのいろ/\な山に登り富士山へも四囘登つた程よく日本を知つてゐた人であつた。この人が小泉八雲に寄せた私信のうちに日本國民性を論じた一節がある。彼は日本人の長所美點を擧げ乍らも「テンダネスといふ點ではこの民族は私共に劣つてゐる。」といつている。テンダネスとは氣の弱いこと、心のやさしいこと、情に脆いことの意味である。どうしてチエムバレンはかう見たのであらうか。私共日本人は「もののあはれ」に敏感であると自ら任じてゐる。この「もののあはれ」にあたる英語がないといつてその英譯にチエムバレン自ら當惑してゐる。もののあはれを解する民族がテンダネスに於て他の民族に劣るわけはなささうに思はれる。  しかし又一方日本人はこのテンダネスをいつも無理にかくさうとして來たのではなかろうか。宋襄の仁とあやまられないようにこれを表面に現さないことに努めて來たのではないか。氣の弱い人はその弱さを隱さうとして無理に強がつて見せる。「心を鬼にして」冷酷な仕打をしたり、悲しい時には「おのが部屋に泣きに行つたり」して人には涙を見せなかつたりして來た結果、テンダネスに缺けてゐるやうに思はれて來たのではあるまいか。  どの國の歴史にでも見られるやうに日本の歴史にも冷酷殘虐の行爲をほしいまゝにした支配者があつた。これに對して私共は義憤を感ずる。もしこれらの支配者にして何か少しのテンダネスを示してくれたら、その義憤は少し輕減されたであらう。信長がその妹婿淺井の一族に對し、秀吉がその弟秀次の妻子に對して取つた殘虐仕打、家康か孫娘の婿秀頼に對してとつた冷酷な行爲に對して、それを幾分たりとも緩和するに足るテンダネスは見當らない。あつたとしてもそれは喧《ケン》傳されてはゐない。それに比べると西洋にはそれが多分にある。事實か傳説がそれは知らないがヘンリー八世といふ世にも珍らしい亂暴な國王があつて、硬骨の臣下は幾人か殺され、幾人かの女性も殺された。その中の一人アン・ブーリンを死刑に處する際最後の苦痛を少しでも和げようといふ考から、斬首の名手をわざ/\フランスのカレーから呼び寄せたといふことがある。へンリー八世の娘であつたエリザベス女王がその政敵スコットランドのメーリー女王に死刑の宣告を下してその刑の終つたことの報告を受けた時は泣きくづれたといはれる。  こんな風に情に脆いことを示すのが西洋ではむしろ普通であり、又一般民衆の氣受けもよい。日本では必ずしもさうではないやうだ。  私はこのことについて、大阪市に近い堺の妙國寺事件を思ひ出す。慶應三年フランスの軍艦の水兵が住吉海岸で亂暴を働いたのを憤慨してそこの警備に當つてゐた土佐の武士が十一人のフランスの水兵を殺害した。その結果殺害されたフランス水兵の倍數だけの土佐藩士が切腹することにきまつた。フランスの役人がそれに立合つた。切腹した武士たちは日本側の報告では切腹と共にフランス人を罵つたり甚だしきははらわたを投げつけたりしたさうだが、そのはげしいけんまくに壓倒されて立合ひのフランスの役人はもうこれでよし、あとの者は切腹に及ばぬと先方から願ひ下げをしたので、切腹したのは、箕浦猪之吉以下十一人で丁度同じ數だけの武士が免れたといふ事件であつた。  私は少年時代この話を最も痛快なはなしと思つた。明らかにこれらの土佐藩の烈士達の烈々たる氣はくにフランスの役人達は負けたのであると考へたからであつた。しかし私は今日ではさうとばかりは考へない。此のフランスの役人達の心にあつたテンダネスのことを考へるからである。  テンダネスにつひて思ひ出す話が一つある。一九二〇年から二十一年にかけて私がロンドン滯在中讀んだ新聞の記事であつた。場所はロンドンだが町の名も人の名も覺えてゐない、たゞ事實だけが記憶に殘つてゐる。  夫婦と四つばかりの男の子の家庭であつた。父は食卓用のナイフで突然斬りつけられて頻死の重傷を負つた。警察官がかけつけてみると「加害者は子供で映畫のまねをして油斷してゐた自分にきりつけたのだ。」といつて被害者はそれから間もなく絶命したといふ記事であつた。私はこれを讀んでハヅミといふものは恐ろしいものだ、そんな小さな子供でも人を殺すことがある、チャールズ・ラムの姉のメーリーが突然發狂して母を食卓用のナイフで刺殺したことを思ひ出して、ハヅミといふことの恐ろしさを考へてゐた。  ところがその翌日の新聞にその續きが出てゐる。その被害者の男が警察署に來て、自分の兄の妻は興奮し易く、又興奮すればどんな亂暴でもはたらく女であることを述べて、今度の事は子供の仕業ではなく、兄の妻の仕業であると思はれる、これは夫婦喧嘩の結果であらうから今一度調べて貰ひたいと申し出たことが記してあつた。しかし被害者の自白もあり、子供を調べても一向要領を得ないから、この事件はこれで落着するだらうと附記してあつた。  おそらく事實はこの被害者の實弟の申立てた通りであつたらう。そして警察の人々も同じやうに考へたのであらう。然し、警察の人々はこの頻死の被害者の心に同情したのであらう。その被害者の心はかうであつた。妻はかんしやくを起して自分を殺害したが勿論これは過失である。しかしこれを荒立てて妻を罪人にしたのでは子供はたよりのない孤兒になる、それよりは子供を孤兒にしない方法をとる方がよい。そして自分は妻を赦す。妻はこの重大なる過去によつて一意更生してくれることを望む、こんな風に考へたのであらう。これがテンダネスである。  過失にしても夫を殺害するとは何といふひどい女だらう。これは默つて見てゐられぬといつて義憤を起すやうな人々の多い國もあるだらう。その民族はテンダネスに於て我々より劣つてゐるとチエムバレンはいふのである。[#地付き](英文學者) 底本:「文藝春秋 昭和二十三年十月號」文藝春秋新社    1948(昭和23)年10月1日 ※拗音・促音の大書きと小書きの混在は、底本通りです。 ※「取つた」と「とつた」の混在は、底本通りです。 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。