耽綺社の指導者 長谷川伸著 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)髷物|剣戟《けんげき》小説 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)髷物|剣戟《けんげき》小説 -------------------------------------------------------  耽綺社の会合における氏はいつでも、合作をする時は指導的な立場に立ち、茶話雑談の時は座長的な立場に立った。同人六人の内で氏ほどそういう立場について的確に能率をあげさせて行く技倆をもった者はない。合作の初めに毎回吉例として仮定主題を提出するのは氏であった。そういう場合に氏の提出する主題は甚だしく豊富であった。  会合の都度に大抵一度以上話が出るのは、小酒井不木作の髷物|剣戟《けんげき》小説が一篇ぐらいは世に送り出されてもいいだろうということであった。そういう時に氏は顔に皺を集中させて「それあ駄目です」と愉快そうな一笑をする事であった。とうとう氏は髷物を書いてみるという返事を与えたことがない。しかし、私共の見解では氏が髷物に指を染められたら現在より以前には何人も持ち合わさない或る物が確かに出ただろうと信じている。少なくとも氏の持つ材料の中に明治期以前の医術、医薬、医者、これを駆使し消化して氏特有の材料として、一つの異色がいわゆる大衆文芸界に点出されただろうと思う。それは今でも惜しくてならないことの一つだ。  氏を耽綺社の会合において見て先ず心づくことは、会合席上の整理按排のうまさだ。それからまた一方に筆記し一方に他人の談話の相槌を打ち、その間々に女中を指揮し、次々に進行係的な手腕を十分にふるっていたことである。これが皆同時に、一度に病を持つという氏によって行われるのである。  私共がいつもいう事だが「健康な人間が病人に圧倒される」この感じは深かった。いかにも闘病術博士の面目が極めて自然に流露するという有様を、会合のその都度の帰京の汽車中で、健康体であるらしい私共は、いつも繰返して氏の尽くることなきが如き精力を学ばなくてはならないと常に思った。  耽綺社の作った戯曲は「残されたる一人」「ジャズ結婚曲」「無貪清風」の三つ、長篇小説は「空中紳士」と改題された「飛機睥睨」「白頭の巨人」「南方秘宝」それから最近『サンデー毎日』に出た「意外の告白」とこれだけが主なる物であった。この内ただ一ツ「無貪清風」は本門仏立講信者の依嘱であったから別だがその他の全部は、合作の骨子をすべて氏によって与えられ、それを四人がよってたかって、神経をつけ肉をつけ血を盛りあぶらを塗ったものであった。  十二時間連続して合作に従事したある一日があった。九時間十時間の合作従事は毎度のことだが、食事中にも合作をつづけて十二時間ブッ通しに働いたのは、確かその一日だけだったかと記憶しているが、その日における同人はすべて最後にはへトへトとなっていた、用便に起《た》つのも軽快ではあり得なかったその時に、ひとり氏のみはまだ綽々たる余裕を持っていて、女中を呼んで自動車を命じ、おまけに忘れ物はないかと注意をするだけの潤沢なる余力を示していた。そんな時でも氏は御器所町の自邸へ帰られるのが、私共が帰ったその後であった。今更らしく私共はいい気に少しなり過ぎたなと後悔している。  どこまで強いか底の知れない氏を目前に見て、健康らしい体の持ぬしの私共は、度々、もっと踏ン張らなくてはならないことを痛感させられた。強い! という感じは、真に氏においてもっとも鮮かに見出されてきたのが、今となると返す返す思い出される。  氏の麗しい感情の現れの一つは三月二十七日名古屋における新国劇の故沢田正二郎氏追悼講演会にも現れている。氏に新国劇の俵藤丈夫氏を紹介し、また講演をお頼みしたのは私であった。義理がたく、そしていかなる場合にも強い氏は致死の病に臥しながら、講演に代るべき一文を草し、代読させて約束を確かに果された。こんな場合に恐らくはだれでもが、病気だからといって約束を取消すのが当たり前だ、然るに氏は僅々数日の後に不帰の客となるべき重患に倒れつつ義務を果したこの一事は強く今私共の胸を打っている。さればこそ俵藤氏は新国劇座員を代表して感激の涙を泛べて葬儀に参列した。 底本:「別冊・幻影城」株式会社幻影城    1978(昭和53年)3月1日発行 底本の親本:「サンデー毎日」1929(昭和4)年4月14日号 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。