大衆藝術の陣營 小林一三 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)刺※[#判読不可、273-上-14] -------------------------------------------------------      ○  昭和九年一月一日、東京寶塚劇場竣成開場! 觀客席約三千、劇場としては東京第一の大劇場を、年來理想の經營案によつて、是から試みようとするのである。『大衆藝術の陣營、家庭共樂の殿堂』といふのが我黨のモツトーである。娯樂は生活のエンジンであり、演劇は娯樂の最高機關であり、即ち演劇は生活の糧であるといふ主張から、國民劇創成の旗印を立て奮鬪すること正に二十年である。  今や、東京寶塚劇場は、國民劇創成を理想として出發せんとする時、先づ第一に寶塚少女歌劇と國民劇と、何の關係ありやといふ質問を受けるのである。寶塚少女歌劇は、寶塚音樂歌劇學校の卒業生研究生職員教師等六百餘名の一團隊を以て組織せるアマチユアーの劇團であつて、高尚にして優美、家庭共樂の觀賞に資するを以て目的として居るのであるから、純藝術的に見て如何にも物足らぬといふ非難があるにも拘らず、一世を指導し得る風潮に乘つて、大阪の片田舍から帝都の中央に堂々の陣營を張り、傳統的歌舞伎の王國大松竹と正に輸贏を決せんとするに至ったのである。果して然らば一般方略は如何。  既に大衆を以て其目標としてゐるのであるから興行時間に於て有閑階級に興することは出來ないのである。平日は夜六時から十時迄四時間(日曜祭日マチネーの場合には午一時から五時迄と二回)公演を以て大方針とし、觀覽料は國民の生活標準に則り二圓、壹圓五十錢、壹圓、五拾錢に區別し、前賣、當日賣、相半ばして需要に應じようとするのである。食堂賣店等市井一般の代價と平等にして劇場なるが故に暴利をむさぼるが如き舊習を學ばず即ち合理的に其の營業を勵行しようとするのである。東京寶塚劇場の此方針は、恐らく松竹系のあらゆる劇場をして、同一態度に出でしむるであらう。東京寶塚劇場のみが合理的に、正しい道を行く時、他のすべての劇場が惡弊を固執し得ざるは言はずして明白であるから、先づ此點に於ても劇場經營の淨化は、明るく、心持ちよく朗らかなる娯樂機關を充實するに至ることは國民大衆の爲めに斷じて無用の業でないと信じてゐる。即ち東寶の經營法は平凡にして常識的である。特に劇場なるが故に、別世界の風俗習慣を寛裕して來た道樂商賣から、普通のビジネスとして營利會社の本質に立歸らしめんとするのである。私は營利事業として劇場經營に一生面を開拓樹立しようとするのである。從來劇場經營なるものは、其昔俳優が河原乞食と輕蔑させられた如くに、賤業の一種として目せられて來たものである。職業に貴賤の別なしと口には言へど、人の難義を食ひ物にする日影の商賣や、社會の平和や秩序を攪亂して迄も投機の暴利を漁り勝ちの株屋米屋は正業と目すべからず、太陽は輝けど大道に暗影ありで、商賣往來も時勢に連れて變れど、昔ながらの芝居道が、實業の本筋に認められない時、偶然にも寶塚の東京進出は、藝術だとか國民劇だとか、さういふ文學的興味の問題を解決せざる前に、事業としての演劇がどういふ風に解決せらるゝであらうかを考へる時、私の責任は頗る重大であることを自覺してゐる。      ○  思想の動搖につれて、世界的に社會組織の激變して來た最近の歴史を顧みる迄もない。露西亞、獨逸、伊太利、等資本主義の經濟機構に驚天動地の夜風が襲來した其津浪の跡を見る時、レストラント、映畫、芝居、等所謂大衆娯樂の機關のみは、其運轉を停止せざるのみならず、寧ろ却つて世道人心に處し調和劑の一種として必要缺くベからざる利器として善用せられたる事實は、此事業に關與せる資本のみが有效に維持せられたる結果、たまたま我國に於ても營利事業として之を等閑に附すべからざるを意識しつゝも、未だ以て安全なる投資事業としては、そこに何等の活きた見本が無いのみならず、却つて惡いお手本のみが山積してゐる。劇場、映畫等此種の株式は、事業としては殆んど信用が無い、其時價は憐むべき慘状に沈倫してゐる。此時に於て、東京寶塚劇場が株式會社として「事業としての演劇」を實業家たる私の立場に於て實行しようとするのである。斷じて出來心でもなければ道樂でもない、日本に於ける此種の事業に新生面を開き度い希望に老來の勇を奮はんとするのである。      〇  私は餘りに乾燥無味の話に深入りしたくない、結局は興味本位の劇談が私の目的である。それは國民劇の創成に伴ふ東京寶塚劇場の使命である。劇壇のあらゆる方面の新人は、松竹の商賣本位の興行法に對して不不を抱いてゐる。松竹は獨占横暴だと非難してゐる。東京寶塚劇場の開演によつて、其獨占横暴を打破し、藝術的演劇の出現を期待し、そこに何等かの新味を樂んでゐるやうである。そして其結論は一致してゐる。即ち、松竹と華々しく決戰をせよと言ふのである。第三者の立場に於て見物人はそれが一番面白いであらう。然しながら私の信念は國民劇の創成にあるので、私は、劇を一つの事業として見る時、先づ第一に、營利の伴はない演劇は存在しない、存在しなければ、改良も進歩も國民劇も只だ徒らに夢のやうな空想に終るので、私には此種のナンセンスは考へて見た事もない、私は實行家であらねばならぬものと信じてゐる。實行すべき基礎工事が必要なので、松竹と決戰することが如何に壯快であるとしても、無謀の競爭によって勝利を得ようといふやうな人間放れの手段を實際家たるべき私に期待するならばそれは失望に終るであらう。私は松竹と妥協し提携し、全俳優をして私の思ふ通りの苦心をやらせ、私の考へてゐる興行法によって、國民劇の大成を期待してゐるからである。      ○  私の考へてゐる興行法、私の思ふ通りの芝居に就て、現在松竹が實行しつゝある俳優の待遇や使ひ方をそのまゝに直に適用する事は一寸六ヶ敷いと思ふ。此點に於て、松竹が如何に厚意を披瀝して東京寶塚劇場の爲めに、あらゆる俳優の融通と開放とを保證して呉るとしても、結局、そろばんが物を言はないので、私の理想が直に實行し得るや否やは斷言し能はぬのである。私は興行時間に就て其方針を明瞭にしてゐるが如く、毎夜開演四時間とすれば、俳優の勤務勞力に伴ふ收入減は、俳優としては到底これを承知せぬであらう。  現に松竹自身が、充分其不徹底を承知して居ながら、午後三時開場四時開演といふが如き中途半端の拙策を執りつゝある其重なる理由は、興行時間の短縮し其結果、俳優の動務時間が僅に四時間に減縮するからと言って、其給金を減額し能はぬ事情が存在してゐるからである。東京寶塚劇場が四時間興行の爲めに、松竹の俳優を借りたと假定する、從來の習慣から言へば、かゝる場合には給料は減額よりも寧ろ増額を書入れてゐる、増額されぬ迄も、同一條件として、俳優は喜ばぬであらう、彼等は勞務時間の短きよりも多く長きを希望し、それによって増給を期待するからである。這般の事情を綜合して見ると、結局、東京寶塚劇場に働くことは平日の勤務時間は四時間に短縮するとしても、マチネー四時間、並に興行日數三十日等働く分量も相當に増加するのであるから、到底給料減額は豫期せられぬであらう。即ち仕込金に於て減額が六ヶ敷のに拘らず、觀劇料の標準は五十錢、壹圓、貳圓と言ふのであるから松竹現在の興行法による俳優の組織を以て、私の思ふ通りの芝居を御覽に入れる事は不可能といふ結果になるかもしれない。然しながら、私は失望しない、私の方針は國民大衆の輿論と、時勢の推移に順應する時代思想の現はれであるから、東京寶塚劇場の興行方針に基き活躍する處の俳優が結局天下を取る勝利者であり新興藝術の殿堂に於て、國民大衆の爲めの芝居を創成するといふ自覺と、所謂國民劇の陣營に働く榮譽にめざむる時は、喜んで東寶劇團の幕内に參加し來るものと信じてゐる。此趨勢を看過せざる以上は、松竹も亦喜んで此方針に順應し各俳優の分解作用を計畫し、仕込金の減額による興行政策の革命的變更が起るものと信じてゐる。昭和九年の劇界は東京寶塚劇場の出現によって興行法に於ても芝居の組立てに於ても、從つて又芝居の内容に於ても著しく變化すべき可能性があるものと信じてゐる。而して芝居の内容の變化こそ、私が茲に明白に斷言せんとする國民劇の標本であると信じてゐる。      ○  國民のすべてが勤勞に從事するのを原則とする。しかも勞働條件は晝間八時間勤務を原則とすれば、夜間四時間の慰安は娯樂本位であるべきことは言はずして明白である。即ち演劇を高尚なる娯樂機關に織込むことは、やがて、演劇をして生活の必需品たらしむるものである。生活の必需品たる演劇をして娯樂本位の芝居に還へせしむることは、知識階級的演劇フアンや、藝術的指標に基く高踏派の期待を裏切るかもしれない。然し私の目的は一部少數者の要求する藝術の爲めの藝術でもなければ、從つて又、多數大衆に媚ぶるが爲めの享樂本位に墮落せしめようとするのではない、私の最大目的は、生活の單位を個人より家族に、從つて其娯樂も亦個人より家族に、即ち、如斯にして、家族より家庭に、更に、家庭より公共に、而して大衆に、全國民に、――其旗幟は簡單にして鮮明である。朗らかに、清く、正しく、美しく、これをモツトーとする我黨の藝術は即ち高尚なる娯樂本位に基くところの國民劇である。  綜合藝術としての芝居の要素に音樂を見逃すことは何人も出來ないであらう。既に音樂を必要とする以上は、花柳藝術的の三絃樂と、それに伴ふ悲哀の快感を中心とする範圍のメロヂーのみを固執するは時代精神を知らざるものである。全國民は、幼稚園から小學校、中學大學に至るまで西洋樂器の音階によつて教育せられ、國歌「君が代」は勿論、陸海軍の公式音樂に至るまで苟も洋樂の感化を受けざるもの無き現状に於て此種の管絃樂を度外し新しい演劇を企てるものあらば、其愚や笑ふべしであらう。私は西洋音樂を中心としたる芝居を作り度いと思ふのである。必ずしも三味線音樂を放棄しようといふのではない。三絃樂の長所と其利用とは、日本人である限り何人も其情調を歡迎するであらう。然しながら新しい國民の大多數は、洋樂のメロヂーによってステツプを踏むのである。全國の映畫館は洋樂の伴奏によつて興行しつゝあるのである。獨り歌舞伎劇や新派劇や現在の所謂芝居なるものゝみが、洋樂を捨てゝ顧みざる時、洋樂を加味せるもの、洋樂本位のあらゆる新興藝術が、それがレビユーであり、笑の王國であり、エノケン一座であり、或は、是等のものゝ生れ來れる本流に立つて、時代を指導し來れる寶塚少女歌劇等が、結局、如何なる形式と内容とによつて、新しい芝居を作り得るだらうか。といふ時、私は、大膽に斷言してゐる。大劇場による西洋音樂を中心としたる新しい歌舞伎劇である。それが即ち國民劇であるのである。茲に於て、私は寶塚少女歌劇[#「寶塚少女歌劇」は底本では「寶少女歌劇」]と國民劇と何の關係ありやといふ當初の問題を繰返すであらう。  寶塚少女歌劇は少女のみを中心としたる變則的藝術である、それは恰かも、男性のみを以て芝居を組織してゐる變則的藝術歌舞伎劇と同巧異曲である。女形の特種形態と其濃艶とを發揮して、そこに、歌舞伎劇の持ち味がある如くに、少女達の清麗にして優美なる男姿に其朗らかさを發揮してゐる少女歌劇の藝術がある。然しながら、要するに其存在は、品性維持の窮餘の策に外ならぬのである。其昔、風規上から御法度になつた女役者、野郎歌舞伎等幾多の變遷を經て現在の男歌舞伎のみが存在する如くに、男女の劇團が成立する迄の方便であり、訓練である少女歌劇の存在が、やがて其成育と開放とによつて、少女歌劇の上に、更に、本格的の寶塚式の歌劇即ち西洋音樂による歌舞伎劇の創成せらるゝ運命は東京寶塚劇場の竣成によつて存外早く生れ得るものと信じてゐる。  歌舞伎劇の洋樂化と大劇場に伴ふ此種の新興藝術に就ては、私の主張は二十年來終始一貫して既に語り盡してゐる。一言にして言へば、國民大衆の爲めに、家庭本位に、娯樂として見せる芝居は觀覽料を出來る丈、安くする必要がある。出來る丈安くするには澤山の觀客を收容する大劇場でなければ駄目である。既に大劇場である以上は、對話はセリフでなければ聞えない。セリフは一種のメロヂーである、即ち輕い歌である。既に歌がある以上は、そこにフリが必要であり即ち舞踊が加味せられる事になる。既に歌があり舞踊がある以上は音樂の之に伴ふ事は言はずして明白である。音樂ありとせば時代精神に於て洋樂を基調とすべきこと勿論である、茲に於て、東京寶塚劇場の使命は、寶塚少女歌劇公演の外に、大劇場として西洋音樂を中心にしたる新しい芝居の組立である。そこには從來の劇場に見られざる機械的設備による凡ゆる機能を發揮すると同時に、群衆的の雰圍氣と、其應用に伴ふ輪廓の大きな劇術や、トリツクや、或は又、強き偉大なる獨唱や、合唱や、群舞や、それ等を通じて觀客も俳優も一つの渦卷に抱擁せらるゝ幻夢境の出現によって生れるべき藝術、更に、それを偉大ならしむべき映畫の應用、忽ちにして名優の實演と言ふが如き、私の理想は必ずしも一片の空想に終るべきものではないと信じてゐる。而してこれを可能ならしむべき唯一つの理由は、寶塚少女歌劇の存在である。即ち、寶塚少女歌劇の存在は、其延長として茲に國民劇の創成を企圖し得るからである。  理想的の芝居をする爲に理想的の劇團を作ることは、必ずしも不可能ではない。只だ、營業としてこれを維持するのが六ヶ敷しいのである。これを維持する最良の方法は、損益勘定の外に、崩壞を防ぐといふ事である。寶塚少女歌劇が五百人の少女のみによつて團結する理由の一つはそこにあるのである。從つて存在し得る事實は、更にこれを改良せしめ、進歩せしめ、同時に其餘勢を他の方面に、理想的に發達せしめ得るのであるから、如何に理想的の名案があるとしても少女歌劇の存在をおびやかす危險は、斷じて排除すべきものと信じてゐる。此點に於て、私は世人の期待に報ゆることの多大なるを信じてゐる。      ○  寶塚少女歌劇は艶麗高雅であるとしても、何となく物足らない、グロテスクでない、エロチツクでない、若人の血ををどらし心臟を波立たしむる點に於て、如何にも藝術的壓迫力が乏しい、何となく、壓氣ないといふやうな非難を聞く。然し私は、家庭本位であり、娯樂本位である以上は、專門的に或る特別の刺※[#判読不可、273-上-14]を喜ぶやうな素質の空虚である事を後悔しないのである。寶塚少女歌劇は或點に於て『仁丹藝術』であり『味の素藝術』であり『キヤラメル藝術』であることを以て滿足してゐるのである。只だそれが如何に普遍的菓子であるとしても其キヤラメルは十年一日の如く不變のものでは商品とならないのである。絶えず時代の動きにつれて、其新鮮味と其活躍妙味と、あらゆる努力によって新正面を擴きつつある如くに、我寶塚少女歌劇も、日一日と目新しく其局面を開展しつゝあるのである。しかも強き酒に醉ふことを好む人は不平であるかもしれない。然しながら美しい香りのアイスクリーム、輕く甘いソーダ水など、快心の笑を含みて滿足する害のない娯樂を喜ぶ家庭本位の大衆を標準とする時、私は永久に平凡であり、或時は、舊式に、却つて勤善懲惡[#「勤善懲惡」はママ]の教訓的態度を以て、『大劇場藝術』といふ興味中心の陣營を守護したいと思ってゐる。今や、世を擧げて、五色のネオンの下に、微醺を潮してステツプを踏んで行くやうな輕跳の風俗に、男女の別なき廢たい的氣流が漲ってゐる時、やゝもすればこれ等の風潮に引づられ勝の杞憂が無いでもない、寧ろ反對に、之に對抗して指導的態度に生ることが必要であるかもしれないと痛感してゐる。私は、政黨が徒らに民衆に媚ぶる爲めに國の政治が惡くなった實例を知つてゐる。大衆對手の仕事は、大衆に媚ぶるばかりではイケない、大衆を善良に向はしむる爲めに娯樂機關の充實を圖ると共に其内容も高尚にして其藝術は教養的效果のある芝居こそ國民劇の要素としても必要であると信じてゐる。東京寶塚劇場が大衆藝術の陣營として大東京市五百萬の市民にデヴューせんとするに當って、私は『事業としての劇』を實業家として大成することが私の責任であり、その責任を果すことが、やがて國民劇創成を現實し得るものと信じてゐる。 底本:「中央公論 昭和九年 新年特大号」中央公論社    1934(昭和9)年1月1日 ※拗音・促音の大書きと小書きの混在は、底本通りです。 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※「二圓」と「貳圓」の混在は、底本通りです。 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。