推理小説の原理 大坪砂男 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)近代絵画《モダン・アート》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)鬼才|超現実派《シュールレヤリズム》の [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)[#3字下げ](1)表紙絵[#「(1)表紙絵」は中見出し] ------------------------------------------------------- [#3字下げ](1)表紙絵[#「(1)表紙絵」は中見出し]  私の書斎の壁にはいつも近代絵画《モダン・アート》の鬼才|超現実派《シュールレヤリズム》の画家ダリーの描いた『ガラの肖像』が飾られている。そして、今、机の上には永田力君が表紙を描いた宝石誌が置かれてある。  この二つの絵をつくづくと見較べているうち、その画風に一脈通じる奇異な類似が感触されるのは何故であろうか?  ここには他の諸雑誌に見るような美人画とは全くその本質を異にした薄気味の悪い類似があって、それが我等の専門誌の伝統的感触をなしているのではないだろうか?  とすれば、モダン・アートを以て表紙を飾る高級文芸誌の流行に先駆けて、それよりも更に内容に的確であるシュールの画風を掲げ來つたこの伝統、これこそ我等が探偵小説本来の面目なのではないだろうか? [#3字下げ](2)仮面[#「(2)仮面」は中見出し]  同じくシュールの女流画家フイニィが好んで製作した数々の仮面。(みづゑ五六二号参照)柔媚な革と羽毛を以て獅子の如く猫の如き、又は木菟《みみずく》の如き奇怪な仮面を創作し、これを裸女の顔に被らせたあの素晴らしい妖美の効果!  それらの何と探偵小説的雰囲気を漂わしていることよ! [#3字下げ](3)ポーの文学[#「(3)ポーの文学」は中見出し]  さて、いよいよ本題に入つて、ポーの『ベレニス』の一節を読んでみよう。  ――だが私の狂つた頭からは、あの歯の白い、物凄い印象は出て行かなかつた。その表面にある一つの傷も、琺瑯質の上の一つの影も、緑の一つのぎざぎざも、私の記憶にそれを烙きつけずにはおかなかつた。あの歯! あの歯! それは此処でも、彼処でも、到る処で私の眼に見え、手に触れそうだつた。長く、細く、極めて白く、最初に凄く開かれたその瞬間のように、蒼ざめた唇がその周りに揺れていた。そして私の偏執[#「偏執」に丸傍点]は忽ち募つて来るのだつた――  さらに『黒猫』の一節を見れば、  ――或る朝、私は平静な気持で猫の頸に輪をかけ、樹の枝に吊した。……なぜならば、私が猫を愛していた事を充分知つていたから。猫が何一つとして私の気を悪くするような事をしなかつたから。こうした事をしでかすのは、私の不死の魂を大慈大悲の神の無限の御恵みさえ届かぬところへ堕す極悪の罪だということを知つていたから。だから私は猫を吊したのだ――  こう読んでくれば、この私と称する人物は、どう間違いようもない偏執者なのである。そしてこれらの小説は「その偏執者の自己批判書」だという事も承認されるであろう。 [#3字下げ](4)ダリーの画論[#「(3)ダリーの画論」は中見出し]  ダリーは彼の画風を次のように説明している。 『シュール・レヤリズムとは偏執的批判的精神である』と。 [#3字下げ](5)推理小説の本質[#「(5)推理小説の本質」は中見出し]  こう眺めてくれば、ポーの小説とダリーの絵画とは、もはや類似どころの沙汰でなく、その本質に於て全き一致を認めねばならないであろう。  即ち、ポーの鬼才は、推理小説とか超現実派とかいう言葉のなかつた遙か一世紀も以前に、すでにこのような近代文学[#「近代文学」に傍点]を独創していたのである。  従つて、彼の推理癖濃厚な小説に、現在の推理小説という名を冠らして定義するなら、『ポーの推理小説とは偏執的批判精神であり、シュール・レヤリズムの文学である』と言い得るのではなかろうか。  こう再認識して通観すれば、ポーに依つて創造された推理小説の血脈は絶えることなく、それを受継いだドイルの探偵小説から今日の宝石の表紙絵に至るまで、意識すると否とに拘らず、そこに所謂「探偵小説的感銘」を伝承し来つたのではなかろうか。 [#3字下げ](6)名探偵[#「(6)名探偵」は中見出し]  椎名麟三氏は最近のエッセイの中で、探偵小説の名探偵に論及して、 『……どんな残虐な殺人があつても、そしてまた連続的に殺人が起つても、探偵にとつては、それは彼の推理によつて解決しなければならない事件である以上の意味をもたないのである。いわば石を研究する考古学者や、手術をする医者などと同じように、それは知的な研究の対象であり、物的な処置をしなければならない対象なのだ。次々と何人殺されようとも、びくともしない。ただ誰が犯人であるか(その合理的解決)に向つて、彼の全感心がしめられているのである。犠牲者に向つて全く感情を動かすことなく、死というものさえ、彼にとつては何か物的なものなのである』  と観破している。 (とかく、一般文壇人が探偵小説を書くと、その特有な感触を外し易いとき、椎名氏の如きは達見の士というべきであろう)  憶うに、ポーによつて創造された名探偵とは、まことに気味悪い印象をまざまざと残像するほど、鋭利な推理癖に偏執した剃刃的特異人物なので、それが彼の超現実的批判精神の正体なのであろう。 [#3字下げ](7)極悪人[#「(7)極悪人」は中見出し]  これはもう申分のない殺人偏執者であり同時に、彼の計画する犯罪を縦横に批判し尽すだけの蒼白い狡智を兼ね備えている。 (倒敍探偵小説に於けるワンマン的魅力の主人公であろう) [#3字下げ](8)本格探偵小説[#「(8)本格探偵小説」は中見出し]  この推理マニヤの名探偵と殺人マニヤの極悪人と、その対立する二つの批判精神の間に火花を散らす知的闘争! これこそ手に汗を握らせる本格探偵小説独自の醍醐味でなくて何であろうぞ!  そしてこの怪奇な魅力(奇妙な味)こそダリーの絵に見る、ポーの小説に感じられる、あの妖しき美意識の煌めきでなくて何であろうぞ! [#3字下げ](9)変格派[#「(9)変格派」は中見出し]  ここではただ推理小説の精神だけが千変万化しながら妖しき詩美を繰拡げてくる。  極端に言えば、萩原朔太郎氏の『死なない蛸』(水族館の忘れられた水槽の中で、自分の躯を残る隈なく食いつくして、然もなお、永遠の憤懣のうちに生きている蛸)あの蛸がいまだに探偵小説的感銘として生き残つているのだ! [#3字下げ](10)戯作派[#「(10)戯作派」は中見出し]  だが、こうまで一途に生真面目な偏執的推理癖を、傍《はた》から眺めるとどんな風に見えるであろうか?  ソクラテスが真昼間に提灯を点して歩いた話も何かしら可笑しいように、人生という大暗黒の中を、合理主義という小さな灯で足元を照しながら目を光らしている人物の物腰は、どうやら滑稽に感じられてくるのではなかろうか?  ましてや、その灯を点しているのが自分自身である、と客観するもう一人の自分が居るに至つては、この二重写しの構図は、あまりに厳肅すぎて涙が出るほど可笑しいのだ。  それで、推理小説などという犀利な文学の裏腹から、戯作趣味のようなおどけた奴が産れてくるのかも知れない。 (江戸の小咄に――不意の大火で逃場を失い、大川に跳込んだが、それでも火の粉が降つてきて熱い熱い。何か被る物でもと見廻すと、便器《おまる》が一つ流れて来た。これ倖と手をかけたとたんに、中から咳払いが、エヘンエヘン――これなぞも、便所という厳肅な場に踞みながら、外来者を咳払いで追返した体験者の、超現実的所産であろう) [#3字下げ](11)原理の分解[#「(11)原理の分解」は中見出し]  全く、戯作派が誕生する程にまで孤高な文学形体のままでは、一般性に乏しい事も確かである。従つて小説の進化の必然が、推理小説の原理に分解作業をなし始める。  例えば、江戸川乱歩氏の『陰獣』では、この偏執的批判的精神を、別個の人物に代表させて、一方はあくまで執拗な犯罪者型となし、これに対する明快な探偵型の作者が事件を記述する構成をとつている。  更に木々高太郎氏の――大心地先生もの――になると、この批判者と偏執狂との対照はいよいよ鮮明の度を加えるに至つた。 [#3字下げ](12)文学論争[#「(12)文学論争」は中見出し]  かくて、原理の分解や、また他の文学要素を取入れた合成なぞが行われてくると、そこに必然、色々な新しい探偵小説が形成されることになり、その質感を問題にして甲論乙駁の諸説紛々としてくるであろう。  A『ポー文学伝承の魅力は、あの彗星のような妖しい光芒にあるのだ。分解合成はよろしいとしても、その特異な美を失つてしまうなら、推理小説その物の消滅ではないか』  B『いやいや、分解合成による新物質の創造は人類分化の当然なのだ。新らしい物質にはそこに新らしい文化の美が認めらるべきであろう。現在の文学から遊離したところに探偵小説を認めようとするのは、その感覚自体がすでに古いのだ』  C『ですがねエ、ポーはランプ時代に螢光燈を発明した程の天才だつたのじやないかしら。だから過去に於ては異端の文学であつたにしろ、現在ではこれがむしろ文学の主題になり得るのではないでしようか。  科学的恐怖時代と謂われる今日。原子爆弾のあの怪しい雲に向つて、人類の誰もが偏執した目差を送らずにいられない今日。しかも地球上の各地では、蒼白い批判精神が尖鋭化している今日。  我等の推理小説こそ文学の主題であると、声高らかに文壇に提唱すべき時節なのではないでしようか?』――1952.9.10―― 底本:「宝石十二月号」岩谷書店    1952(昭和27)年12月1日発行 初出:「宝石十二月号」岩谷書店    1952(昭和27)年12月1日発行 ※底本は、作者名を「大坪沙男」としています。 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 以下の文は、大坪砂男氏の解説に用意してみましたよかったらお使いください。 大坪砂男 大坪砂男(おおつぼ すなお、1904年2月1日 - 1965年1月12日)は、日本の探偵小説作家。作品はすべて短篇である。本名和田六郎。筆名はE・T・A・ホフマンの「砂男」に由来する。1951年に大坪沙男と改名した。