空に浮かぶ騎士 A Horseman in the Sky ビアス・アンブローズ Bierce Ambrose 吉田甲子太郎訳著 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)アメリカ合衆国《がっしゅうこく》が |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|師団《しだん》の [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#7字下げ]1[#「1」は中見出し] ------------------------------------------------------- [#7字下げ]1[#「1」は中見出し]  アメリカ合衆国《がっしゅうこく》が北部《ほくぶ》と南部《なんぶ》の二つにわれて、あの南北戦争《なんぼくせんそう》がはじまった一八六一年の秋のことである。西バージニアの山道ぞいにしげっているゲッケイジュにうずもれて、ひとりの兵士《へいし》が横たわっていた。うつぶせになって、左の手に顔をおしつけたそのすがたは、死んでいるのかとうたがわれた。ただ、皮帯《かわおび》にとりつけた背中《せなか》の弾薬《だんやく》ぶくろが、ゆるくひょうしをとって動いているので、生きているのだなと、わずかにうなずけるのだった。さしのべた右手は、ゆるく小銃《しょうじゅう》をおさえている。この兵士は、重要《じゅうよう》な任務《にんむ》についていながら、ねむりこけているのである。見つけられたら、当然《とうぜん》、銃殺《じゅうさつ》されなければならない。  兵士《へいし》がねむっている場所は、急斜面《きゅうしゃめん》を南へのぼりきった道が、にわかに西へおれるそのまがりかどにあたっていた。道はそのまま三十メートルあまり山のいただきを走ってから、さらに南へまがって、森のなかをうねりくだっていく。その二番めのまがりかどのところに、大きな、たいらな岩があって、北のほうへぐっと頭をつきだしている。下は深い谷で、道はその谷からはいのぼってきているのである。岩は、高いがけにぼうしをかぶせた形で、そのはずれから石をおとせば、谷にはえたマツのこずえまで三百メートル、まっすぐにおちるわけだ。  このあたりは、いたるところ森におおわれている。ただ谷底《たにぞこ》の北よりに、ひととこ自然《しぜん》の牧場《ぼくじょう》のようになっているせまい原があり、そこを小川が流れている。その原だけが、まわりの森よりは、緑がひときわあざやかに見える。そのむこうには、こちらがわと同じような高い大きながけが、ならびたっている。谷の地形はすっかり山にかこいこまれていて、出口も入り口もないように思われる。  かりに、この谷底へ一|師団《しだん》の兵力《へいりょく》を追いこんだとすれば、これをひょうろうぜめにして屈服《くっぷく》させるためには、入り口をかためる五十人の兵隊《へいたい》があればじゅうぶんであろう。ところが、そういう危険《きけん》な場所の森のなかに、現在《げんざい》、北軍《ほくぐん》の五|個連隊《これんたい》がかくれているのだ。全軍《ぜんぐん》の将兵《しょうへい》は、一日|一晩《ひとばん》の強行軍《きょうこうぐん》をつづけたあと、必要《ひつよう》な休養《きゅうよう》をとっているところだ。日の暮《く》れ暮《ぐ》れには、ふたたび立って、いま、たのみにならない歩《ほ》しょうがねむっている山を乗りこえ、およそ真夜中《まよなか》ごろに、むこうがわの谷にある敵陣《てきじん》へなだれこもうというのだ。それまでに味方《みかた》の行動を感づかれたら、なにもかもおわりだ。  それなのに、だいじな歩《ほ》しょうはねむりこけているではないか。 [#7字下げ]2[#「2」は中見出し]  ねむっている歩しょうは、カータ=ドルースというバージニアの青年だった。かれはゆたかな農家《のうか》のひとりむすこで、家はここからほんの何キロしかはなれていないところにある。  ある朝、カータは、朝めしの食卓《しょくたく》から立ちあがって、静《しず》かに、しかしおもおもしくいった。 「おとうさん、北軍《ほくぐん》の連隊《れんたい》がグラフトンに到着《とうちゃく》しました。わたしはそれに参加《さんか》しようと思います。」  父親《ちちおや》は、その威厳《いげん》にみちた顔をあげて、しばらく無言《むごん》でむすこをながめたあとで、答えた。 「いくがいい、カータ、それが正しいことだと思うなら。そしてどんなばあいにも、自分の任務《にんむ》だと信《しん》ずることはやりとげてもらいたい。バージニアにとっては、おまえは、むほん[#「むほん」に傍点]人《にん》になる。だがこの父にも、それをとめる権利《けんり》はない。戦争《せんそう》がすむまで、ふたりとも生きていられたら、そのときに、このことはよく相談《そうだん》することにしよう。ところで、おかあさんの容体《ようだい》は、おまえも医者《いしゃ》から聞いているとおり、いま、たいへんわるいのだ。せいぜいもつとしても、ここ何週間《なんしゅうかん》というところだろう。だがその何週間かはとうとい時間だ。よけいなしんぱいはさせたくない。なんにも話さずにいくほうがかえってよかろう。」  カータ=ドルースは、父にむかってうやうやしく頭をさげて、自分の生まれた家をたちさっていった。父は深い心のかなしみをおしかくして、りっぱな態度《たいど》で、それを見送ったのであった。  良心《りょうしん》と勇気《ゆうき》によって、またいのちをおしまないだいたんなおこないによって、カータ=ドルースは、すぐに、戦友《せんゆう》や上官《じょうかん》にみとめられるようになった。それだからこそ、かれはいまこうして、最前線《さいぜんせん》のこの危険《きけん》な歩《ほ》しょうにえらばれたのだった。それに、かれがこのへんの地理にあかるいことも、この任務《にんむ》につごうがいいとかんがえられたのだった。だがさすがのカータも、はげしい疲労《ひろう》には勝つことができず、とうとうねむりこんでしまったのである。 [#7字下げ]3[#「3」は中見出し]  あたりは静《しず》まりかえっている。おそい午後《ごご》の空気は、ものうくよどんでいる。どうしたはずみか、その静けさのなかで、カータのまぶたがわずかにひらいた。それからかれは、そっと顔をあげて、むらだつゲッケイジュの細い幹《みき》のあいだから、むこうの空を見つめた。右手は、自分でも知らずに銃《じゅう》をつかんでいた。  はじめにおこったのは、美しいなあというきもちだった。おもおもしい威厳《いげん》をそなえた騎馬像《きばぞう》が、れいのたいらな岩におおわれた、とてつもなく大きながけを台座《だいざ》にして、そのつきでた岩のはずれに、大空を背景《はいけい》にして、くっきりとえがきだされているのだ。人間の像が、馬の像の上に、まっすぐな軍人《ぐんじん》らしい姿勢《しせい》で座《ざ》をしめている。それでいて、大理石《だいりせき》にきざんだギリシアの神像《しんぞう》のような、ゆったりしたおもむきもそなえている。灰色《はいいろ》の軍服《ぐんぷく》が、うしろの空の色と、じつにうまく調和《ちょうわ》している。日光をぎゃくにうけている金具《かなぐ》も光らず、色のけじめもやわらげで、かげのなかにしずんで見える。馬のからだにも、白く光っているところは、ひとつもない。くらの前輪《まえわ》に、右手でかるくささえられている騎兵銃《きへいじゅう》は、遠くはなれているために、じっさいよりはまたいちだんと小さく見えた。馬上の人の顔はすこし左をむいているので、こちらから見えるのは、こめかみとあごひげの輪郭《りんかく》だけにすぎなかった。かれは谷底《たにぞこ》を見おろしている。全体が空に浮《う》かんでいるというせいもあり、とつぜん敵《てき》がちかくへあらわれたのをおそれるカータのきもちのせいもあったのだろうが、その騎馬像《きばぞう》は、なにかどうどうとして、むやみに大きく思われたのであった。  ほんのちょっとのあいだ、カータは、自分がねむっているまに、戦争《せんそう》がすんでしまったのではあるまいかと、うたぐった。そして、いま自分がながめているのは、えらいてがらをたてた将軍《しょうぐん》の銅像《どうぞう》かもしれないという気がした。だが、そのとき、馬が、ちょっと動いた。そして、かれの夢《ゆめ》のようなきもちを、いちどにふきはらってしまった。かれは、味方《みかた》の軍隊《ぐんたい》が、いま、どんな危険《きけん》にさらされているか、はっきりそれをさとったのである。  カータは、注意ぶかく銃身《じゅうしん》をしげみのあいだからつきだして、台じりをぴたりと肩《かた》につけた。銃口《じゅうこう》は、まさしく馬上の人の心臓《しんぞう》をねらっていた。もう引き金をひきさえすれば、カータ=ドルースの任務《にんむ》は、とげられるのだ。その瞬間《しゅんかん》、馬上の人はふいに、このかくれた敵兵《てきへい》のほうに顔をむけて、じっとながめた。カータは、自分の顔を、自分の目を、いや、自分の心臓《しんぞう》を、のぞきこまれたような気がした。  戦争《せんそう》で敵《てき》をころすということは、これほどもおそろしいことだったのであろうか。しかもその敵は、自分にとっても、また戦友《せんゆう》たちにとっても、いのちにかかわる秘密《ひみつ》をさぐりだしてしまっているかもしれないのだ。カータ=ドルースの顔は青ざめていた。手足はふるえ、空中の騎馬像《きばぞう》は、黒いかたまりになって、目のまえで浮《う》いたりしずんだりした。  銃身《じゅうしん》をささえた手はだらりとさがり、もたげた顔も、がくりとおちた。さすが勇気《ゆうき》のさかんな若《わか》い兵士《へいし》も、あんまりきもちをはりつめすぎて、あぶなく気をうしないかけたのだった。  だが、それは、長いあいだではなかった。カータは、しだいに気力をとりもどしはじめた。かれはふたたび顔をあげて、銃《じゅう》をしっかりとかまえた。指は引き金をさぐっている。心も目もすみきっていた。敵《てき》をいけどりにすることはのぞめない。敵に気《け》どられたらさいご、敵は馬を自分の陣地《じんち》へとばして、このできごとを報告《ほうこく》するにきまっている。カータのなすべきことははっきりしていた。敵がなんにも知らぬまにうちころすことだ。だが待てよ。馬上の人は、じつはまだ、味方《みかた》のことはなんにも知らずにいるのかもわからない。ただあそこに馬を立てて、あたりの風景《ふうけい》に見とれているだけなのかもしれない。たすけてやれば、そのままもときた方角《ほうがく》へ馬をかえして、ひきあげていくだけのことかもしれない。すくなくとも、そのひきあげるときのようすを見れば、敵が味方のひそんでいることに気がついたか、気がつかなかったかを判断《はんだん》することはできるだろう。カータは頭をねじって、遠く谷底《たにそこ》をのぞいて見た。緑色の草原を、一|隊《たい》の兵と馬とが、長いうねった線をえがいて行進している。おろかな部隊長《ぶたいちょう》のひとりが、何百という峰《みね》に見おろされたむきだしの原っぱをとおって、馬を水のみにつれていくことをゆるしたと見える。  カータ=ドルースは、いそいで、目を谷底《たにそこ》から岩の上の人と馬にうつした。もう、ゆうよはできない。かれは銃《じゅう》をかまえて、静《しず》かにねらいをさだめた。だが、こんどかれがねらっているのは、馬であった。かれの頭のなかで、家を出るとき父にいわれたことばが聞こえていた。 「どんなばあいにも、自分の任務《にんむ》だと信《しん》ずることはやりとげてもらいたい。」  かれはすっかり静かな気分になっていた。 「あわてるなよ。おちついて――」  かれは自分にいいきかせた。ねらいはさだまった。かれは発砲《はっぽう》した。 [#7字下げ]4[#「4」は中見出し]  ちょうどそのとき、北軍《ほくぐん》の将校《しょうこう》がひとり、地形てい察《さつ》のために、マツ林のはずれを歩いてきた。五百メートルばかりむこうに、緑色のマツのこずえをつきぬけて、大きながけがそそりたっている。見あげると、頭のしんがくらくらっとするほど高い。――と思ったとたんに、将校は異様《いよう》な光景《こうけい》を見た。馬上の人が、そのままのしせいで、谷へむかって、空中を乗りおろしてくるではないか。  騎士《きし》は、しっかりとくらに腰《こし》をつけて、軍人《ぐんじん》らしく、まっすぐに上体をたもっていた。ひかえたたづなはぴんとはっている。ただ、ぼうしだけは、風にあおられてとびさった。そして頭からは、長い髪《かみ》の毛《け》が空にむかって流れている。たてがみを雲のようになびかせた馬のからだは、大地を走るときのとおり水平である。四つのひづめは、もうれつないきおいではやがけをしているときのように動いていたが、見ているうちに、そろってまえのほうにつきだされ、いま、地上へおりたとうとするときのしせいになった。  空に浮《う》かぶ騎士! 将校《しょうこう》はまぼろしを見ている思いだった。感情《かんじょう》がたかぶって、走ろうとしても足がいうことをきかなかった。かれは、ほうりだされるようにころんだ。そしてそれと同時に、一発の銃声《じゅうせい》を聞いた。ただ一発、そしてあとは、しんと静《しず》まりかえってしまった。  将校は立ちあがった。しかし、ふるえはまだとまらない。そのうちに、すりむいたむこうずねがいたんできた。そして、そのいたみのおかげで、やっとわれをとりもどすことができた。そこで、がけから二百メートルばかりはなれたところまで、かけつけてみた。そのへんに、馬と人とは、おちたにちがいないと思ったからである。しかし、むろんかれは、そこになにものも発見することはできなかった。空中の騎士の美しさにまどわされて、かれは、それがまっすぐ下へむかっておちていったのだということに思いいたらなかったのである。馬と人とは、がけの真下《ました》に横たわっているはずだ。将校《しょうこう》は、一時間ののちに陣営《じんえい》へかえった。  この将校はかしこい人だったから、たとえほんとうのことでも、人が信《しん》じてくれそうもないことは、だまっているにこしたことはないとかんがえた。だから、自分の見てきたことをだれにも話さなかった。 [#7字下げ]5[#「5」は中見出し]  発砲《はっぽう》したあと、歩《ほ》しょうカータ=ドルースは、ふたたび銃《じゅう》にたまをこめて、見張《みは》りをつづけた。十分とたたないうちに、味方《みかた》の軍曹《ぐんそう》が、四つんばいになってかれのそばへしのびよった。カータはふりむかなかった。ふせたままのしせいで、身じろぎひとつしなかった。 「発砲したのか。」  軍曹は小声できいた。 「はい。」 「なにをうったんだ。」 「馬です。あそこの――ずっとむこうの岩の上に立っていたんです。もう見えないでしょう。がけから、ころがりおちたんです。」  カータの顔には血の気《け》がなかった。だが、そのほかにかわったようすは見えない。へんじをしてしまうと、かれは顔をそむけて、口をつぐんだ。軍曹《ぐんそう》には、なんのことかさっぱりわからなかった。 「おい、ドルース、はっきりしたことをいうのだ。命令《めいれい》だ。へんじをしろ、馬にはだれか乗っていたのか。」 「はい、乗っていました。」 「なにものだ、乗っていたのは。」  ドルースは、もういちど軍曹のほうをむいて、それから、ひとことずつかみしめるようにいった。 「わたくしの父です。」  軍曹《ぐんそう》は立ちあがって、歩みさった。「なんということだ!」と、かれはつぶやいた。 [#ここから1段階小さな文字] [#地から2字上げ] ――アムブロース=ビアズ作『空の騎士《きし》』(アメリカ)より [#ここで字上げ終わり] [#ここで小さな文字終わり] 底本:「空に浮かぶ騎士」学研小学生文庫、学習研究社    1984(昭和59)年11月20日第9刷 ※底本は1956(昭和31)年新潮社が刊行した「空に浮かぶ騎士」を新たに学習研究社が刊行したものです。 ※本作品は吉田甲子太郎氏が「原作をそのまま翻訳せず、かなり自由な気持ちで日本文に書きあらためた」ものとされており、作者名として「吉田甲子太郎訳著」と書かれています。 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: 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