新憲法は甘かつた! 金森徳次郎、亀井勝一郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)挨拶※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]り ------------------------------------------------------- [#3字下げ]新憲法の生みの親は?[#「新憲法の生みの親は?」は中見出し] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 龜井 憲法の條文の解釋やその運用といつた專門的な面で私は全くの素人ですから、今日は現憲法の制定當時の状態やとくに第九條の問題について、私がきヽ役になりますから、詳しくお話して下さい。金森さんがラジオで「私の憲法草案に關する考え方は甘かつた」と仰言つたそうですが、「甘かつた」というのは、どういう意味でしようか。 金森 そのラジオつていうのは、あれは議會暴動の翌る日だつたか、録音したんですがね、この憲法ができる時に甘かつたつていうのは、人間を理想的なものに考えた。だからして、紳士を取扱うような考えで、すべてができたわけですね。ところが、人間というものは、ゼントルマンばかりじやありませんでしたからね、人間が惡魔になつて來ると、至る所、穴だらけになりますね。そこでもう齒が立たなくなつたというのが、近頃の感想なんです。だからして、甘かつたというんですね。 龜井 なるほど。だから、今あの憲法を讀んでみますと、非常に道コ的な感じがしますね。殊に第九條〔戰爭の放棄、軍備及び交戰權の否認(第一項)日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠實に希求し、國權の發動たる戰爭と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛爭を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。(第二項)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戰力は、これを保持しない。國の交戰權は、これを認めない。なんかそうですね。戰爭に對する懺悔という氣持が中心にあつて、日本人の道コの中心となるべき大へんいい個條だと思つて來たのです。 金森 何しろ憲法草案の論議された頃は昭和二十一年で、あの頃は懺悔の時代ですからね。そこでもつぱら筋の通つた憲法をこさえようと考えたんです。それで、われわれは戰爭しないであろう、戰力は放棄するであろう、學問の自由とか宗教の自由を認め、すべての國民を民主的に扱つて、人間がのびやかに暮せるように。こういう非常におめでたい考え方なんです。 龜井 そのころマ元帥が、日本だけじやこの憲法が實行できるとは思われないから、國際連合自身が戰爭放棄の方向へゆくべきである、と言いましたね。 金森 今もつて私共には判らんことがあるんですけれども、日本が戰力を放棄するという考え方、これはアメリカが日本に押しつけたんです。ところが、あれは幣原さんが言い出したんだ、という説もあるんですよ。  マックアーサーが日本から歸つてアメリカの國會で、三日も續けて證人に立つたことがあるんです。その時に、あの戰爭放棄の規定は、だれが言い出したか、という質問があつて、マックアーサーは答えて、あれは實はこのあいだ死んだ日本のかつての總理大臣の幣原君の言い出したことである。ある時、幣原君が自分の所へ訪ねて來て言うには、軍人であるあなたにこんなことを言つたつて、聞いてくれないかも知らんけれども、いかなる不和のブランも、各國が軍隊を持つていたら、これはできないことである。できるならば、世界中の國が戰力を持たないようにすべきである。それならばほんとの平和が得られる、けれども今の日本が世界に向つて軍備をやめろと言つたところでダメだからして、まず日本だけが今度の憲法で戰力を持たないという規定を作りたいと思う、同意してくれ、こう言つた。そこでマックアーサーは立ち上つて、この老いたる人の手を握らざるを得なかつた。そうして、世界はこれについていろんな批評をするかも知れんけれども、これこそ、ほんとの世界をよくする道である、と言つたと證言してるんですよ。 龜井 なるほどね。 金森 しかし、それを幣原さんがマックアーサーに本當に言つたと論證する資料は、ほくらのほうにもないんですよ。  だが、もしも幣原さんが言つたことがほんとうだとすれば、幣原さんという人は大芝居を打つたんじやないか。事の行末をおよそ見當をつけておいて、それまでは人に打明けなかつた。千兩役者だという説も生れるんですね。 龜井 あの第九條を讀みますと戰爭は絶對放棄という感じを受けるのですが、この點はどうですか。 金森 結論的にいいますと、現在の憲法規定は相對的放棄になつているんです。それはね、あの憲法が練られる時に、衆議院の小委員會で、ちようど第九條をやつてましてね、一項と二項は一緒にしちまえ、戰爭はやらない、戰力も持たない、こうやればいいじやないか、こういう意見があつたんですね。ぼくはその時に、それはちがう、第一項は原理的にわれわれは侵略戰爭はやらない、これは永久の眞理として正しいんだ、しかしぶん殴られても抵抗しないというような、屈從的な立場というものには疑いがある、だから、將來自衛戰爭のためならば戰力も持てる、というような時代が來ないとも言えないんだからして、その時に原則的なものと手續き的なものとは分けておくほうがいいんだから、やつぱり置いてもらいたい、ということを、ぼくは減らず口みたいですけれども、雑談的に言つたんです。 [#3字下げ]現下焦眉の戰力問答[#「現下焦眉の戰力問答」は中見出し] 龜井 そうすると、金森さんのお意見としては、保安隊とか自衞隊が存續するために、第九條の改正をする必要はない、という。 金森 いえ、やつぱり改正するのが正しいと思いますがね。 龜井 軍備が進んでゆげば……。 金森 ええ。自衛戰爭はできますけれども、戰力は持てない。これは絶對的なんです。そこに矛盾みたいなものがあるんですよ。 龜井 なるほど。戰力の内容ということですね。そこで私は、兵力といつても、日本の場合はたとえば赤十字部隊というのは作れないでしようか。高度の醫術を持つた部隊を作ることによつて、國際連合に協力する。そういう軍隊はどうですか。 金森 それは出來ませんね。大體、戰力ということはウォー・ポテンシァル、戰爭に對する可能性ということでしようね。その戰力というものをどうやつて解釋するかという時に、素人は――というと語弊があるけれども、一部の人は字引によつて解釋しようとするでしよう。「戰」と「力」を組合せて「戰力」といえば、「戰いする力」というわけですね。素人の人はそれでもつて意味がはつきりしたと思うけれども、われわれは前後の關係なくしては意味を持たないと考えるんです。どこの國だつて自分の國を守る力はあるけれども、そうかといつて、戰力を持つということになると、また勝手なことをやる。それを抑制するために、ちようど武士が談判にゆく時に紙縒で刀の鯉口を縛つて、刀は持つてゆくけれども、抜けないようにしておく。それと同じような意味で戰力というものを持たないことにしたんですね。 龜井 こんどの水爆實驗は、戰力というものに非常な動搖を與えたんじやないでしようか。 金森 それはとにかく、そういう物騒なものを持つてる國と戰爭するという考えは、日本人にはないでしよう。 龜井 そうすると、日本の軍隊というものは、内亂鎭壓ということになるわけですが、實質的には。 金森 そうです。その内亂にも二つあつて、日本の中だけで起るものと、外國の煽動によつて起るものと、この二つですがね。日本の中に起る内亂を治めるのは、つまり行政ですよ。その行政の範圍内に必要なものだけは持たなければならない。 龜井 しかし現在は内亂というものは、すぐ國際戰爭に結びつくから、非常に危險ですね。 金森 ええ、危險です。ジリジリと來るような場合は、よその力で防げますけれども、ポカッと起つたものは自分で防いでいるうちに國際運合などの力を待つよりしようがない。そうなると、焦眉の急に備えるだけの準備は必要でしよう。 龜井 その場合の軍人の信念は、必勝の信念どころか、必敗の信念というか、向う三ヵ月くらい保ちこたえれば、というような妙なものですね。 金森 いや、現在でも、何んのためにわれわれは武を練つてるか、という疑いがあるわけですね。だから、保安隊へ入る者が恥かしがつて、小さくなつて挨拶※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]りをしてる、というんです。一、二年前の話で、今はとうか知りませんけれども。 龜井 いつそのこと赤十字部隊ばかりにしたらいいな。世界のユニークな存在になりますよ。 金森 精神は同じですよ。ぼくの考えは、平和は絶對に求める。自ら平和を攪亂することは絶對にやらない。これは當然の信念です。しかし、同時に自己を守るということは人間の本性です。世界が一つになるまでは自分を自分で守るより仕方がない。このことは認めますね。そうすると、平和論と自衛とが矛盾するわけがないんですよ。 龜井 自衛といいますけれど、果して自己を守り得ようか、という考えが……。 金森 それは守り得ないかも知れませんよ。正義というものは、われわれが口にしているだけであつて、實際に腕力がふるわれれば、腕力が勝つんです。 龜井 ぼくは絶對平和論というのは一種の空想だとは思うけれども、再軍備というものもまた空想ですね。ですから私はどうしても、軍備がほしいというならば、軍樂隊と赤十字部隊だけを作れ、というんですよ。同じ空想なら成るべく金のかからぬ空想をとれというのが僕の持論なのです。 金森 勿論何程の武力を持つてみたつて何んにもならん。ただ自分の力である程度まではやりましよう、というだけのことで、それ以上は神頼みでしようね。 [#3字下げ]愛國心による徴兵復活論[#「愛國心による徴兵復活論」は中見出し] 龜井 徴兵制度の可能性というものも、全然ないわけですか。 金森 ぼくはあると思いますね。そういうと、世間の人は非常に不都合だといいますがね、今日の世界というものは、國と國とが分れて生きているわけです。國がよくなることによつて世界をよくしよう、という信念を持つていなければ、われわれは安心して生きてゆかれませんや。とすると、自分の國を自分が守るということは、少くとも當分の間の眞理としては、當然過ぎるくらい當然でしようね。そこでわれわれが自己の國を守る手段を、もし國家が持つ適法に持つとすれば、その場合に、昔のというか元の教育勅語に、一旦緩急あれば義勇公に奉ずべし、ということがありましたね。あれは呪うべく笑うべき規定である、という議論があります。しかし「義勇公に」ということを「天皇のために」というなら、勿論これはまちがいです。しかしこれを「公共のために」と解釋したら、これは當り前のことですね。 龜井 そうすると、つまり徴兵が可能になるという場合は、やつぱり一種の戰力の前提條件として、守るに値する國という觀念が、強くなければいけませんね。ところが、いまの日本で見出されるものは、國家解體の危機ですね。果して守るにあたいするかどうか。 金森 それがぼくには判らないんです。しかしそれは青年の導き方一つですよ。國會議員さんだつて神樣じやない。どつちかといえば、品位の低い人が多いかも知れませんね。そういう人たちが暴れたからといつて、絶望するのは早いですね。 龜井 絶望というよりは別の希望をもつわけですね。つまりいまの國情の否定であつて、日本國そのものの否定ではないという意味です。 金森 若い人はもう國を愛さないんだ、と獨斷する人も、その人の主觀から來た議論をしてるんじやないですからね。 龜井 いや、大體において國を愛さなくなつて來ましたね。勿論理想としては、守るに値する國になりたい、と思うのですけれども、現在、徴兵とか憲法の改正とかは、困難なように思うんです。憲法で戰爭を放棄したんだ、そして戰爭は絶對にやつちやいけないという氣持ちが深くしみこんでいますから。 金森 やつちやいけないことは勿論だけれども、自分および同類を守るためにどうするか、そこの問題ですね。 龜井 そこでまた戰力という問題ですけれども、少しぐらいの防備を持つていると、かえつて禍いを遺すという……。 金森 それは理窟です。非常に強い理窟ですけれども、そこまでは人間の智惠では讀み切れませんからね。われわれは屈從よりは正義を擁護して、もし死ななければならん場合が來れば、喜んで死ぬ……。 龜井 それよりも道コ的のほうが、もつといいんじやないでしようか。 金森 だから、その道コ的というのはどういうことか。道義に反して殘虐なことをやられた時に、默つてされるままになつているか。とにかく抵抗して、あとは運命に從うか。これは理窟じやなくて……。 龜井 金森さんはクライマックスだけをお話しになるから……。(笑聲)そういうことは滅多にないと思うんですがね。 金森 そこが認定の問題ですね。 龜井 要するに再軍備というものは、恐怖觀念に基ずく空想ということですね。 金森 あなたはそう割切つちやうけれども。 龜井 いや、割切つてるわけじやないのですよ。現實には判らないのです、正直に申上げまして。近い未來を豫想しえないわけです。すべてが空論の域を出ないような氣がします。 金森 しかしね、飛行機に乘つて北海道へいつただけでも、これは恐怖心かも知らんけれども、なんだか心配になりますよ。マルキ・ド・サドという人は、人間をチリ、アクタの如く虐待した。グロとエロとの組合せによつて、人間を無情殘酷に潰した、というでしよう。あれは小説にしても、少くとも根底になる事實はあつたと言われておりますがね、そういう人間はいますよ、世の中には。 龜井 います。 金森 それが現實性をもつて迫つて來た時に、どうやつて防ぐか。防げないと言われれば、ギャフンと參るんですがね。 龜井 ええ、そこなんです。ぼくの考え方もむろん空想的なのですよ。と同時に、軍備をやれば安全だと言いきれるものじやないのですね。このことは誰にも割切れませんね。絶對平和ならば大丈夫だ、といつて割切れるものじやないし。だから、空想論と現實論じやなくて、空想論と空想論だと思うんです。 金森 ぼくら、もう少し具體的ですね。 龜井 その具體的というのが判らないんです。(笑聲) 金森 牛は角を持つ。兜蟲は役にも立たん兜を持つ、といつても、それを持つことによつて、ある程度のバランスがとれる。國だつてそうですよ。バランス・オブ・パワーの問題ですからね、何んにも持たなければ、非常に不利益な低い所でバランスがとれることになる。婦人の貞操は守られない。人人の自由は抑えつけられてしまう。かつて日本が植民地を持つておつた、あの時の植民地の姿がそうだつたんですね。植民地というものは武力がない。だから、平和的屈辱で我慢するというわけですね。つらいことですよ。ぼくはそういう時は自殺するほうです。屈辱して自己の存在を守るよりも、ね。これは龜井さんに賛成してもらつたつていいと思う。 [#3字下げ]總理はオールマイテイか?[#「總理はオールマイテイか?」は中見出し] 龜井 話は別になりますけれども、よく内閣總理大臣の權限があまりに強大だ、ということが言われますね。それは憲法第六十八條の規定〔國務大臣の任命及び罷免(第一項)内閣總理大臣は、國務大臣を任命する。但し、その過半數は、國會議員の中から選ばれなければならない。(第二項)内閣總理大臣は、任意に國務大臣を罷免することが出來る。が一つの根據になるわけですか。外國の制度と比べて、日本の規定は無理がありますか。 金森 ぼくは無理はないと思いますがね、やり方が惡いと思うんです。濫用ですね、權力の濫用です。 龜井 非常に聰明な總理大臣ならば、濫用されないけれども。 金森 しかし制度としては、どこの國だつて同じようですよ。たとえばアメリカの大統領は國務長官を動かせます。制限はありますがね。制限は日本の總理大臣だつて多少はある。程度の差ですね。しかし、さきほど申上げたように、われわれの憲法はゼントルマンを相手にしたものなんです。ところが、やつてみるとゼントルマンじやないものだから、ボロが出て來る。そこでわれわれはボロを出さないように、何か手を打たなければならんじやないか。憲法の問題よりも、もう少し緻密な法律制度の問題になるんですね。  近頃よく多數の横暴ということがいわれる。これが正しいかどうか。多數の横暴ということは、なるほど横暴に相違ないんです。けれども、觀念的にいうと、民主主義というものは、ほかに物差しがないから、しばらく多數で解決する。だから、多數が通したから横暴だ、という議論は、ぼく感心しない。多數の力を無茶に使つたから横暴だ、というなら判りますがね。  そこで考えてみると、今の吉田内閣は兩方の缺點を持つてる。どうしても議論のつかないことは多數で解決するか、武力で解決するか、二つしかない。武力は困るから多數でゆこう。こういうことですね。そこで問題は、多數ということに、何故に眞理があるか、という問題にゆかなければならないんです。 龜井 そこまでゆくと、文學の世界になりますね。政治じやないと思うな。 金森 政治の基本原理ですね。多數か武力か、どつちかですよ。けれども、多數のほうが無難だから、多數を認めているんです。しかし多數だから正しいという考え方は、是正されなければならない。 龜井 それは正しくないですね。 金森 そこでね、總理大臣の横暴ということがもしありとすれば、總理大臣というものは國會の多數に支持されるという身分が必要なんですから、それは國會の多數が問題なんですね。もし吉田さんがワンマンだとすれば、國會および政黨が微弱であつて、吉田さんに意見を述べ得ないで、自分の得手勝手に動きまわることを容認している所に缺陷があるんですね。私は吉田さんを辯護するわけじやないけれども、吉田さんにわがままをさせている多數のほうに、弱點があるんじやないでしようか。  もう一つは、少數者が多數になるように持つてゆくべきですね。それを多數になれんようにしている制度があれば、それは制度が惡いけれども。たとえば世論が強く現われれば、結局、國の根本を握るものは國民ですから、正しくすることができると思うんです。 [#3字下げ]理想選舉の可能性[#「理想選舉の可能性」は中見出し] 龜井 小選舉區とか、いろいろ議論がありますけれども、理想の選舉法というものがあるとすれば、どういうものでしよう。 金森 金を使わないで、しかもいい人が出ることですね。今のように、おれに投票してくれつて哀願して、乞食のような態度をとる。これでほんとにいい人が出て來るわけはないと思うんですよ。 龜井 そういう選舉ができるような正しい方法が考えられるでしようか。 金森 それがないんですね、今は。 龜井 議員の任期を縮めたらどうですか? 金森 日本ではぼくもそれを考えてます。衆議院四年、參議院六年ですけれども、ものの進歩の鈍い時代ならば、百年かかつても少ししか變らないでしよう。今のように瞬くひまに世の中の情勢が變り、人の考え方が變つてゆく時代には、四年、六年というのは、非常に長いんです。 龜井 衆議院は二年でいいと思うな。 金森 これは解散があるからというので四年としたんですけれども、解散と[#「けれども、解散と」は底本では「けれども 解散と」]いうものはいいものじやない。人を不安の念に陷れますからね。それを考えると、やつぱり國民との連絡が無難にゆくというのは、一年か二年ですね。 龜井 民主主義を日本で發展させるためには、くりかえし、くりかえし、選擧をしたほうがいいと思うんです。選舉というものは民衆の批判力ですから。參議院の六年も長いですね。 金森 三年でいいですね。二年と三年、衆議院は國民の生きた氣持ちと一體になる、參議院は少し高級なものを代表する、ということでゆけばね。 龜井 今ここで選舉法その他を改正して解散すると……。 金森 この瞬間にやるかどうか、ということですよ。解散をやつて惡いというんじやない。ただこの瞬間にいくら解散をやつても、出て來る人はそんなに違いません。一つの釣堀で鯉を釣つて、それを放してやつて、また釣つても、やつぱり同じ鯉が掛つて來るんです。 龜井 それと、ぼくがいつも疑問に思うのは、政治批評家という人は多いが、自分は代議士に出ないでしよう、ほとんど。 金森 批評家というものは、無責任ですね。 龜井 どうも濟みません。(笑聲) 金森 どこか現實性が鈍いんでしようね。そういう嫌いがあるんでしよう。 龜井 批評家はさんざんだね。(笑聲)しかしたとえば山川均氏とか清水幾太郎氏とかいう人が、社會黨左派から立候補するということは、ありえないでしよう。向坂逸郎さんにしてもそうだ。立候補しませんね。 金森 まあ、それに近い責任感がないと、いい批評は出來ないかも知れませんね。 [#3字下げ]責任曖昧な現行制度[#「責任曖昧な現行制度」は中見出し] 龜井 參議院が純粹の職能代表になつてほしいと思うのです。 金森 參議院をそういう人で構成して、數に重きを置かないで、あそこで叫ばれたことに重きを置く。こうなれば理想的ですね。こんどの議會で參議院のやつたことがいいか惡いかは判りませんけれども、ある程度までは參議院らしいことをやつてますね。 龜井 やつてます。それから昔の貴族院のいい所、つまり學士院の代表とか、藝術院の代表を入れてゆくことは……。 金森 それは出來ないことはございません。研究課題ですね。實はそういう狙いで全國を一區とする議員を百人としたんですけれども、それが全國組織を持つてる者がはびこつちやつて………。(笑聲) 龜井 現議員は次の選舉に立候補できない、ということではダメですか。 金森 いや、いや。ダメなことはありません。政界のボス的勢力の固まることを防ぐために、再選はこれを許さずという、それ自身は暴論だけれども、大局から見ると正しいという論は立ちますね。ロータリークラブの會長および役員は一年限り、再選を許さずというんです。だけど、現在の議員が職業的政治家になつてる時には、ちよつと反對が多くつて實行困難でしようね。 龜井 マイナスの投票はどうですか。得票でなく減票ですね。ぼくはこのことについて書いたことがあるけれども、差引計算が非常にむずかしいんですね。しかし賛成十萬票、反對八萬票なら、殘りの二萬票で勝負する、そういうことがあつていいと思うんですが。 金森 これも研究課題ですね。最高裁判所の裁判官の信任投票みたいに、マイナス投票も面白いですね。  しかし新聞を見てると、議會は無茶ばかりやつてるようだけれども、速記録を讀んでみると、そうでもないと思いますね。攻撃するのが世論の常だけれども、ブラスの面も見てやつていいんで、それを助長して缺點を除いてゆくようにするのがほんとうですね。まだ、そんなに絶望することはない。動物園へゆくと、角のある動物や牙のある動物ばかり見るでしよう。普通の形をしたやつは、ちつとも噂に上らない。それと同じ嫌いはあるんです。 龜井 ありますね、たしかに。 金森 それから私は現在の日本の制度の中では、爲政者の組立てが非常に惡いと思うんです。というのは、大臣とかいうものは、案外、政治を知らないんですよ。それは立派な人だから、場所へゆけば一口淨瑠璃はやりますけれども、ほんとに責任を帶びてやる人は少いんです。やらないように制度が出來ていますね。辭職をすれば、もう責任がない。僅か半年か一年の仕事のために、永久の計畫と努力をする大臣があつたら、それはよつぽど偉い人です。多くの人は一時の日傭取りでしよう。  そういう不完全な組織だから、今の日本には永遠の計畫もできないでしよう。國の政治というものは深刻なもので、たとえば外交といえば二十年か三十年の考えがなければならない。教育だつて十年やそこらじや効果は出て來ません。有効な國防計畫をやろうとしたら、二年や三年じやダメでしよう。司法だつてそうでしよう。 龜井 差當り、ぼくはせめて教育だけは内閣が變つても、それと關係なくやつてゆけるように、獨立した機關になつてもらいたいと思うのですが……。 金森 それだと國民から浮いちやうんですよ。そこでぼくは教育とか文化とか司法とかいうものに、それぞれ總理大臣が要ると思うんです。近ごろ問題になつてるのは、兵隊を動かす總理大臣ですね、これが氣紛れなことをやつたり、自分の政黨の力を強めるために兵隊を使われたら困りますからね、これの解決方法として、一人の總理大臣にコブをたくさんくつつけて、そのコブをうまくコントロールしなければ、總理大臣は動けないようにしておいて、パーマネントに政治をやつてゆくことが必要ですね。生きた總理大臣は一人だけれども、千手觀音というのがあるでしよう、唐招提寺にゆくと、ほんとに千本の手を持つてる觀音がありますね、ああいう組織にすることですね。 龜井 面白い考えですね。 底本:「文藝春秋」文藝春秋新社    1954(昭和29)年8月1日発行 ※新字と旧字の混在、拗音・促音の大書きと小書きの混在は、底本通りです。 ※「自衛」と「自衞」の混在は、底本通りです。 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。