生存の拒絶 上司小儉著 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)彼女《かのぢよ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)どつち[#「どつち」に傍点] -------------------------------------------------------  須磨子は何故死んだか。――それは彼女《かのぢよ》自身の外、誰れも知らない。いや彼女自身と雖も、さうハツキリとは自殺の理由を知らずに死んだかも知れない。  弱い個人が、強い世間に對して戰ふ時、生存の拒絶は、最も小氣味のよい方法である。如何《いか》なる強者も、これを何うするといふことは出來ぬ。自殺は卑怯だとか、憶病だとか言つてみても、死んだものゝ耳へは聞えない。  須磨子と抱月氏とは、似合ひの夫婦であつた。これ以上にシツクリと嵌《はま》つた夫婦は無からうとまでに思はるゝいゝ夫婦であつた。あれを眞の夫婦と見ないのは僞《いつは》り者のことである。憎むべきはこの僞り者である。  死後に於ける墓のことまでを氣にかけた須磨子の心はいとしいが、斯くの如き戀愛の物質化は詰まらない。生存を拒絶しながらも、拒絶した現世間に未練をもつのは愚かなことである。しかしそれまでの徹底を彼女に望むことは出來ぬ。其處まで解《わか》つてゐれば死ぬにも及ばなかつたであらう。  墓のことなんぞは、どつち[#「どつち」に傍点]にしても下《くだ》らない。 底本:「中外新論 二月號」株式会社中外新論社    1919(大正8)年2月1日発行 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。