サウディ・アラビア異聞 岡崎勝男 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)リアッド[#「リアッド」は底本では「リアツド」] -------------------------------------------------------  數年前南米のベネズェラに行つたことがあつた。首府のカラカスは五、六千尺の高地にあるが、古いスペイン風の建物は取り壞されて、立派な高層建築にかわつているし、道路も見事に整備されて、ニューヨークをも凌ぐ有樣だつた。これが國内で産出する石油の金で出來たのだと聞かされて、驚きもし羨やましくもあつた。  ところが今年サウディ・アラビアに行つて見ると、砂漠のなかに物すごい近代都市が出現しつつあつた。これも油の金だそうである。世界にはわれわれのように、一生あくせく働いても食うや食わずのものもあれば、こうして自然に金のはいつてくる所もある。  サウディ・アラビアは、昔なら容易に行くことも出來なかつたが、飛行機の御蔭で、今ではカイロから四時間程で海港ジェッタに着くし、それから三時間も飛べば、首都リアッドにも行ける。それでも日本人などは滅多に行くひともない。私も無論初めてのことだつた。行つてみると、見るもの聞くもの珍らしい。何だかアラビアンナイトの昔にでも戻つたような氣がしないでもない。  一體この國は、非常に嚴格に囘教の掟を守つているらしい。だから酒などは一切飮ませない。酒を飮んでいるのを見つかると、鞭で四十打たれるそうだが、恐らくそんな不心得の者はいないのであろう。實際に鞭でたたかれたという話は餘り聞かない。王樣の晩餐に招かれたことがあつた。王樣は身の丈六尺四、五寸もあろうか、彫りの深い顏立ちで、見るからに偉丈夫である。テーブルの上には立派なカットグラスが四つ程並んでいた。さては王宮だけは別で、酒が出るのかと思つていたら、やがてそのグラスにつがれたものは、牛の乳、山羊の乳といつたようなミルク許りだつた。日本にもこんな法律があつたら、餘程世の中が靜かになるだろう。  おまけにこの國には映畫も芝居もない。婦人を見ると邪念を起して宜しくないという譯か、往來に出る婦人は少ないが、あつても例の黒いベールをかけて顏は見せない。これでは映畫も芝居もなり立たないのであろう。日本でもその内サウディ・アラビアに公使館を設けるというが、あそこで勤務するのには、餘程道心堅固なものでなければ勤まるまい。ひとごと乍ら心配になる。  面白いことに、この國では毎日時間が變る。ジェッタの港では、日沒はいつも六時ときまつている。そこで、時計の方を日沒に合わせなければならない。然し雲ひとつ無い紅海に落ちる夕日の姿は誠に壯麗で、囘教徒でなくても拜みたくなる程である。首府リアッド[#「リアッド」は底本では「リアツド」]にはアラビア時間というのがあつて、一日は日の出から始まることになつている。だからそれが午前零時となる。ホテルの食堂には、朝食午前一時より三時迄、晝食午前六時より八時迄などと書いてあるが驚くことはない。これに六時間をたすと、普通の時間が出て來る。然し考えて見ると、この方が合理的のようにも思われる。  この國は殆ど砂漠許りだが、そのなかには山もあれば谷もある。空から見ると、風で掃き清められた砂のなかから突兀として岩山が聳え立つている。まるで京都の龍安寺の石庭を大規模にしたような景觀である。ところがこの砂漠から大量の石油が出だしたので、急に世界の注視の的となつた。その上王樣は世界一の大金持だというのである。或る要人と逢つた時、一體日本ではどの位石油が出るのかと聞かれた。年間三十五萬トンほどだと答えると「ははあ、それではライターの油には充分ですね」などと冗談を言われた。この國の石油資源はまだ充分開發されていないそうだが、それでも年に五千萬トンは出るという。  こんな惠まれた國にも惱みはあるらしい。一つは政治的のもので、國民は反共であり、米國はここに有力な空軍基地をもつているが、同時にアラブ諸國の一員として、スエズ問題以來英、佛などに強い反感を示している。だから必ずしも自由陣營の諸國と同一歩調をとる譯にはいかないのであろう。おまけに中近東の風雲は、嵐の前の靜けさといつた感がしなくもない。もう一つは經濟上の問題で、莫大な石油の利潤を、如何にして國内の開發や工業化に使うかという點であろう。これも闇雲に金を注ぎ込む譯にもゆくまいし、それに技術者とか、關連産業とかいう點で、色々の隘路も出てくるらしい。それだけに日本に期待するところも大きいようだ。要人はいつも自分たちも日本も共にAAグループの一員であることを強調する。バンドン會議の將來にも深い關心を示している。王樣もこの五月には日本を訪問してみたいと樂しみにして居られるようだつた。然し中近東の情勢が今のように不安では、殘念ながら王樣の訪日も、延び延びになることだろう。 底本:「文藝春秋 昭和三十二年六月号」文藝春秋新社    1957(昭和32)年6月1日 ※拗音・促音の大書きと小書きの混在は、底本通りです。 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。