沙翁劇に殺された須磨子 青柳有美著 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)接《つ》けて [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#4字下げ]職業に同化し了る[#「職業に同化し了る」は中見出し] /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)「滿足させたい/\の」 ------------------------------------------------------- [#4字下げ]職業に同化し了る[#「職業に同化し了る」は中見出し]  御承知でもあらうが、帝劇專屬の女優に櫻井八重子さんといふのがある。素晴しく才氣の煥發した女で、舞臺も旨いが、和歌も詠めば脚本も作り、小説も書けば又繪も畫く。私は他人からも頼まれ、自分でも頼んで、此の女優の櫻井八重子さんに、時折美人畫を畫いてもらう事がある。ところで、幾度頼んで畫いてもらつても、櫻井八重子さんの畫いてくれる繪の美人は、その顏が總て自然のまゝな女の顏に成つて居らず、不思議にも皆な女優の舞臺顏に成つてるのだ。眼でも眉でも輪廓でも、筆か刷毛で舞臺化粧を施した頗るアーチスチツクの女優の顏に成つてるのである。櫻井八重子さんの職業が女優であるから、その畫く美人畫までが思はず知らず斯く芝居の舞臺顏に成つてしまうのだらう。松井須磨子が、文藝協會に入つて女優に成つてから、一月五日の朝藝術倶樂部の一室で、朱の紐に首を縊つて首尾よく自殺を遂げてしまうまでの生活の經過は、如何にも戯曲的で、近松的らしくもあれば沙翁物らしくもある。これは帝劇の女優櫻井八重子さんの畫く美人畫の顏が、悉く皆な女優の舞臺顏に成つてるのと同じで、思はず知らず、何時の間にか其の職業の感化影響を受け、生活が戯曲か、戯曲が生活か――その間にけぢめ[#「けぢめ」に傍点]を設け得られぬまでとなり、自他平等唯一乘法の三昧に入つてしまつた結果だらう。茲に至れば、倫理も人情も戯曲も生活も悉く一に歸し、倫理即人情即戯曲即生活といふ事に成り、無二無三又無四だ。 [#4字下げ]抱月の寫眞を挾撃[#「抱月の寫眞を挾撃」は中見出し]  須磨子が自殺を遂げた跡を視れば、佛壇らしい祭壇の中央に情人抱月の寫眞を安置し、その左右に自分の寫眞を各一枚づゝピタリと接《つ》けて飾つてあつたとの事だが、これは冷靜に批判すれば、如何にも不思議千萬な事で、抱月の寫眞と自分の寫眞とを並べて試《み》たからとて、體温の交流作用を營み得られるでも無く、固よりキツスが能《で》きたり握手や抱擁の能きやう筈も無く、ノン・センス至極のものたるには相違無いが、之を一種の變態性慾作用であるとして觀察すれば、如何に須磨子が接觸慾の猛烈な女であつたかを、この一事によつ推定し得らるゝのだ。總じて變態性慾の作用は、生理的官能の無い物を想化して之を生理的官能のある物とし、それを性慾充實の對象とするにあるのだが、須磨子は生理的官能の無い抱月の寫眞に自分の寫眞を接觸さする事により、性慾上の滿足を感じ得たものらしく、併も自分の寫眞を一枚だけ接觸させたのみでは、まだ何んとなく物足ら無く感じ、更に猶ほ一枚を加へ、左右兩方からビタリと抱月の寫眞を挾んで飽くまで執著《しつこ》く抱月に纒綿した形を演ずるに至つた須磨子の變態性慾作用は、如何に須磨子が接觸慾の猛烈な女であつたかを證し得て餘りあるでは無いか。須磨子が遺書のうちに於て三通とも、抱月と同じ墓に葬られん事を頼んだのは、欺く接觸慾の猛烈であつた結果の致す處でこの接觸慾を滿足させたい/\の一念が茲にも昂じて變態性慾作用となり、抱月の遺骨と自分の遺骨とを想化して共に之を生理的官能あるものとし、兩者の接觸によつて、現に胸中に漲りつゝある接觸慾を滿足させ得るかの如くに感じ、遂に自殺を遂ぐるに至つたものである。然し須磨子の性慾をして、最後に斯る變態的傾向を取るに至らしめたものは沙翁劇の「ロミオとジユリエツト」にある最後の幕で「ジユリエツト」[#「ジユリエツト」は底本では「ジユリツエト」]姫が情人ロミオの墓に至り、ロミオの死骸から短劒を奪つてこれで我が身を刺し“O happy dagger! This is thysheath; there rust, and let me die.”と叫びながら、ロミオの死骸の上にもたれ[#「もたれ」に傍点]懸つて死ぬ光景が、有力なる潜在意識となつて須磨子の胸底に蟠り其の有意識を動かした結果だらう。職業の影響する處も亦大なりといふべしだ。 [#4字下げ]中井優へ遺産分與[#「中井優へ遺産分與」は中見出し]  須磨子の自殺にして之を變態性慾の作用であるとか、或は月經來潮中の發作的作用であるとかと、皮肉な生理的觀察を下すのを廢めて、尋常一樣の倫理的或は人情的觀察を下す事にすれば、須磨子は情人抱月が須磨子の爲に拂つてくれた犧牲に酬ゆるに犧牲を以つてし、抱月を慕ふの餘り遂に自殺を遂げたもので、如何にもザブライムであり又美しくもあり、人情の美を盡くし道徳の極に達したものであるとも謂び得らるゝが、須磨子の爲に犧牲を拂づてる者が、情人抱月以外にも猶ほ他にある。その最も大なる一人は坪内博士だ。坪内博士は、抱月と須磨子との分離によつて、私財を喪ひ我が子の如き文藝協會を煙にしてしまつた人だ。須磨子の自殺は抱月の犧牲に酬ゆるに犧牲を以つてするにあつたとしたら、更に須磨子の斯の精神を延長して之を貫徹せしむるため、須磨子の遺産約三萬圓は擧げて皆な坪内博士に獻じ、之によつて一旦須磨子の犧牲となつて解散した文藝協會を復活し、博士の演劇研究事業を再興する事ともならば、須磨子は是處にも犧牲に酬ゆるに犧牲を以つてする美徳を死後に至つて發揮し、その自殺は一層有意義ともなり、一層倫理的色彩を帶びて來る事にもある。但し、其遺産の一部は有樂座正月興行の興行主たる關屋親次氏と松竹合名會社とが須磨子の自殺により興行を中止せざるべからざるに至つた結果として蒙つた損害の賠償金として支拂はるゝのが當然である。須磨子にして若し倫理的義務觀念の強い女ならば、正月興行を終つてから自殺を遂ぐべき筈のものであつたのだ。然らずんば、遺書のうちに該興行主にする損害賠償金支拂の件を認めて置いて然るべきものである。それから猶ほ遺産の一部は、藝術座專屬俳優中井哲氏へ慰勞金として贈與すべきものであらうと想ふのだ。蓋し、中井氏は文藝協會以來終始を松井須磨子と共にし、多くの俳優が出たり入つたりする間にも亳も心を動かさず最後まで須磨子と舞臺を共にし、須磨子にも藝術座にも亦島村抱月氏にも忠節を勵んで來た有力なる俳優であるからだ。同一の意味に於て、遺産の一部は專屬脚本家中村吉藏氏へも慰勞金として贈輿せられて然るべきものだと思ふ。 底本:「中外新論 二月號」株式会社中外新論社    1919(大正8)年2月1日発行 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。