大人の修身科 ――三つのデッサン(表現・劣等感・死體寫眞)―― 龜井勝一郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)平常《ふだん》の [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)(例)うまく※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]らなく /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)なま/\しい ------------------------------------------------------- [#3字下げ]公的表現と私的表現[#「公的表現と私的表現」は中見出し]  河盛好藏氏の譯編した「紅毛徒然草」といふ本の中に、アンドレ・モーロアの「イギリス氣質」と題する感想がのつてゐる。かなり以前に讀んだが、その中で「英國流の雄辯」といふ短い一節が私にはなかなか興味ぶかかつた。日本の議會で亂鬪が起つて代議士がどなりあつたり、或は政治家のいはゆる熱辯なるものを聞くたびに私は思ひ出すのである。  イギリスの政治家は、彼の取扱はねばならない問題が重大なら重大なほど、またそれが烈しい昂奮をまき起す危險が多ければ多いほど、ゆっくりと落着いて、靜かに效果をねらはないやうに[#「ねらはないやうに」に傍点]、その問題を取扱ふことに努力するだらうとモーロアは言つてゐる。少くともイギリスの大きな傳統を守る人であるなら、さうする筈だと言つて、ボールドウイン卿の例をひいてゐる。  それはかういふ話である。ボールドウイン卿が、「イギリスの國境はもはやドーヴァー海峽ではない。それはライン河である。」といふあの有名な言葉を述べたとき、ちやうどモーロアは下院の傍聽席にゐた。そのときの光景はフランス人にとつては極めて興味ある、また驚くべきものであつた。といふのは、我國(フランス)でなら、このやうな文句を議會の演壇から述べるやうな場合には、定めし議院中に響きわたれとばかり怒鳴りつけるところであつたらう。そしてそれだけの値打のある文句であつたのだ。  しかしボールドウインは、くすんだ、よく透らない聲でそれを言つた。「イギリスの國境はもはやドーヴァー海峽ではない。それは……」と言つて彼は口をつぐんだ。そして傍にある書類の束をめくりはじめ、何かをさがしてゐるやうな恰好で、やつと最後の一枚をめくつたとき、彼は漸く顏をあげて、滿足さうに、ごく低い聲で、早口に、殆んどつぶやくやうに、「それはライン河である」と言つたさうである。これはイギリス人の雄辯とはいかなるものであるかを、教へてくれた大きな教訓であつた、とモーロアはつけ加へてゐる。  これでみるとフランスの代議士も相當に大げさな熱辯をふるふらしいが、私は日本の代議士の場合、滑稽なほどそれが甚しいのではないかと思ふ。議場や樣々な委員會の樣子など、放送できいてゐると、なんのためにあんな大聲をはりあげるのかふしぎである。昔、市川團十郎がはじめて「帝國議會」の傍聽に出かけて、歸つて來たときの感想に、議員諸氏は平常《ふだん》の事を議するにもあんな大きな聲を出してゐるが、もし非常の場合に臨んだらどんな大きな聲を出すつもりだらう、と語ったさうである。これは島崎藤村の感想集で讀んだのだが、かうした態度は昔も今も變らないらしい。保守黨であらうと革新黨であらうと、この點では差異はないらしい。  表現方法やポーズの大げさなことは、政治家としてはあたりまへのことになつてゐるやうだ。選擧演説などのときもさうで、候補者の聲は一オクターブほど高い。それだけならまだしも、胸をそらし、腕をふりあげ、コブシで卓の上をどんと叩いたりするのをみると、私はその人が發狂直前にあるのではないかと疑ひたくなるのだが、一體これは、政治家だけの性格であらうか。日本人は元來露骨なゼスチュア[#「ゼスチュア」は底本では「ゼチスュア」]をいやしんできた民族である。俳優的ゼスチュアは最も不得意とするところで、いはゆる「腹藝」の一方を重んじてきた。今でも「腹藝」は用ゐられてゐるが、それと公的表現との間に、どうしてこんなに激しい差異があるのだらうか。「家族」的性格が、突如として「社會」的性格に激變したときの突發現象かもしれない。 [#3字下げ]言葉は精神の脈搏である[#「言葉は精神の脈搏である」は中見出し]  これも或る勞働組合の幹部からきいた話で、私にはとても興味ぶかかつたので一度かいたことがあるが、かういふエピソードである。穩健な勞働組合なのだが、全國大會に出席した代議員の態度が、全國大會と地方支部大會と自分の職場とで、それぞれ微妙にちがつてくるといふ話である。全國から集つた大會では、共産黨そこのけの激しい口調で演説した人が、地方支部の報告大會では社會黨左派なみの口調になり、自分のぞくする職場大會で話すときは社會黨右派程度に穩健になり、さて疲れて自宅へ歸ると、細君に向つて「おいコラッ」と呼びすてゝ今度は保守黨なみになるといふ話である。  あまりうまく出來てゐるので、つくり話ではないかと思つたが、それを私に語つてくれた組合の幹部はごく正直な人で、要するに日本人に共通な一性格、即ち公共の場と私的な場における表現方法や聲の調子の、あまりにもの差異について反省してゐるのであつた。むろんどんな人間でも、公衆の面前と、自宅とでは表現方法も口調もちがふであろう。しかしみちがへるやうに俄然變つてしまふのはへんではなからうか。誰でも多勢の前に立つと昂奮するのは事實だ。他人に見られてゐるといふところからくる「無理」が生ずる。そして自分でも思ひもよらないことを口走つたりするものだ。  それにしても日本の政治家の、公共の場での膨脹現象はすこしひどすぎると私は思ふ。たとひ反對黨が集まつても、小規模の内輪での話なら、おそらくもつとおだやかであるにちがひない。重大問題ほど愼重になるのが當然で、口がうまく※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]らなくなるのが、ほんたうだ。同時に人間が内的に充實してゐる場合には、必ずあたりまへの口調で靜かにものを言ふものだ。重大事をあたりまへの調子で話せる人は信頼出來る。さきのボールドウインは、おそらく家庭で細君と話すやうな調子で議會でも話したのであらう。  日本には「話せばわかる。」といふ面白い表現がある。多勢の人がゐる席上で、議論が對立し、喧嘩別れになつても、あとで四疊半に坐つて一對一で話すと「わかる」といふのだ。議會より待合の方で政治取引が行はれるのもそのせゐらしい。小人數でゆつくり相談しなければならぬ場合もあらうが、そのときの調子を、何故議會へももちこめないのか。「話せばわかる」といふ調子を、議會でも實行出來ないものだらうか。つまり公的表現と私的表現の調子を、なるべく一致させるやうにしたら、民主主義もすこしは發達するのではないかと思ふのだ。人間と人間の交りは原則として一對一でなければならぬ。そしてどんな多勢の前でもこの原則を崩さない人間が信頼出來る。  人間を判斷するひとつの基準として、私は「聲」を聞くことにしてゐる。運勢判斷では人相や手相をみるが、聲相といふものもある。選擧のときなど私はこれを適用する。つまり普通の聲で、訥辯でもかまはないから、納得のゆくやうに演説してゐる候補者に好意をもつのである。  ところで表現方法やポーズの大げさなことは、政治家だけではない。あらゆる市町村の議員はむろんだが、また別のかたちで學者や評論家にもあらはれる。哲學論文や文藝評論を讀んでゐて、一體この人は何を言はうとしてゐるのか容易にわからないことがある。專門的な用語は或る程度やむをえないにしても、それには親切な註釋を加へるべきであり、やたらに難解な用語をふりまはすべきではない。何んでもない普通の問題を、小むづかしく論じられると、ひどく大げさにみえるものだ。またそれを意味ありげに解して、有難がつてゐる人間もゐる。  我々は事實よりも、事實の誇張によつて脅かされてゐる場合がよくある。言語魔術にひつかかることもある。ところでさういふ難解な用語や、横文字をやたらにふりまはす本人が、ひとたびおでん屋で酒を飮んで話すときや、友人女房と話すときをみるとがらりと態度が變つて、あたりまへの平凡な言葉を用ゐてゐる。さうなら書くものも、なるべく平易にした方がいゝではないかと私は思ふのだ。日常の言葉にこもる親しみやニュアンスを大切にしなければならない。  言葉は精神の脈搏だ、とは私のくりかへしてゐる持論だが、世の中が險惡になると、日本の場合は必ずと云つていゝほどまづ言葉が膨脹してくる。病氣のとき脈が高くなるやうに、言葉やポーズが大げさになる。精神錯亂状態のときの、日本人の基本的ポーズを、私は嘗て「斷乎として」といふ言葉と、「死ぬ覺悟」といふ言葉と、それから「涙」と、この三つの連續發作として要約してみたことがある。右派左派をとはず、何か事あれば、「斷乎として」「死ぬ覺悟」でと連發し、あげくのはては泣いてみせて、そしてたいていは實行しないのが實状である。逆に實行するときは盲目性を帶びる。これは危險な性格だ。全體主義が成立しやすい心理的地盤でもある。 [#3字下げ]文化的無條件降服[#「文化的無條件降服」は中見出し]  自分で自分を正當に評價するといふことは、まづ不可能だらう。あてにもならぬ「評判」を基準として、空想してゐるだけにすぎないやうだ。私自身いつも經驗するが、新聞の時評や二三の人からちよつとほめられると、自分のかいたものがいかにもすぐれてゐるやうにみえてくるし、逆に二三の人から惡口を言はれると、忽ち不安心な状態におちいる。人の評判などから超然とすべしと言ふが、世の中に住んでゐてそんなことは出來るものではない。しかも評判の實體をみれば、これまたたわいない場合が多い。人間の評價はすべて幻のごときものかもしれない。  しかし實際問題として、人間は大體において惡口を言はれる方が多いのである。いかなる偉人哲人でもさうだ。そして人の一生をふりかへつてみると、大體において功罪相半ばするもののやうだ。もし多くの人から悉くほめられることがあつたとしたら、それは彼の告別式の日と思つてまちがひない。祝賀會とか結婚式とか出版記念會は、すべて陽性の告別式と云つていゝだらう。  自己評價のむづかしさは、民族の場合も同樣である。敗戰後、日本は四等國の劣等民族といふことになつた。精神年齡十二歳といふことになつた。戰時中は優越感をもつやうに自分に人工を加へ、日本人同志自讃したが、今思ふとやはり告別式であつたのだ。それへの反作用として劣等感が出てきたことも考へられる。一體日本人の眞價はどのへんにあるのか。國内にゐただけではむろんわからないし、他國と比較しようと思つても比較出來ない面もある。  しかし明治開國以來の現象として、徐々に、深く、我々の心の底にたまつてきた或る種の劣等感はある。ヨーロッパの「近代」に接して、どうしても追ひつけないものを痛感したところからそれは來てゐるらしい。インテリほどさうだ。明治以來我々を惱ましてきたのは、要するにヨーロッパの「近代」といふものではなかったか。つまり思想の「黒船」である。驚き狼狽し、相手をはつきりみる前にまづ卑下した。戰爭中の優越感にしたところで、この劣等感を裏がへしにしたものではなかつたらうか。  ところで、これだけでは一面的な觀察で、他の面をみると、これは私のしばしば言つてきたことだが、日本人の知的好奇心は旺盛だといふことである。西洋のすぐれたものでありさへすれば、民族國籍をとはず、これを學ばうといふ態度そのものは正しかつた。偏見のない知的好奇心は、今後も益々のばしてゆかなければならない。ただ自主的判斷といふ點で、非常に困難な立場に立つのだ。せつかくの知的好奇心が分散したまゝ判斷力を失つてしまふ場合が多かつたし、強ひて判斷するときはしばしば獨斷におちいつた。  理由はいろいろあるが、ひとつには、かういふ事情にも發してゐるだらう。日本は極東の涯の島國だ。大部分の國民は自分の眼で外國を見ることは出來ない。ヨーロッパ各國の勤人や學生が、休みのときなど、ちやうど我我が東京から關西へでも行く氣持で、國境を越えて他國に遊ぶといつたやうな條件はない。このことは樣々な點で日本人を孤立化させてゐる。ものの見方も、受けとり方も、觀念的になりやすい。自分の眼で直接比較することが出來ないので、外國から來るものの前には無條件で低頭するか、機械的に反發してしまふ。  明治以來の日本インテリは、西洋文化に對して無條件降伏をつゞけてきたやうなものではなからうか。今度の敗戰における無條件降伏より以前のこの文化的無條件降伏と、そこからくる劣等感が習性になつたのではないか。むろん時々反發はしたが、そのときは國粹主義、日本一邊倒といふかたちをとりやすい。つまり孤立的な島國で、心のバランスをとるといふことは、實に容易なことではないのである。 [#3字下げ]人間を歪める劣等感[#「人間を歪める劣等感」は中見出し]  私は時々大和の古寺を巡るが、「外國の誰某からほめられた。」といふことを、鬼の首でもとつたやうに得意然と語る人がゐる。ほめられるのは結構だが、日本人がほめてもそれほど喜ばない。同じ内容の言葉でも、外國人が言ふと感心するし、日本人が言ふとあまり信用しない。古美術など今日では世界的に紹介されるやうになつたから、我々も注目し、大切にするが、全然外國に知られず外國人もほめてくれなかつたら、或はそまつにしてゐたかもしれない。自分で判斷し、いゝものはいいとして、大切にしようといふ心がけは薄いのだ。  私は時々反省するのだが、自分たち日本人の氣持の中には、商品でも藝術でも藝能でも、「外國人にほめられたい」といふ下心があるやうに思ふ。「ほめられたい」といふ氣持そのものはすこしも差支へないのだが、「外國人」めあての下心からくる卑屈さは困る。つまり劣等感から、ものほしげな顏をすることは避けたいのだ。敗戰後の主な觀光地へ行つてみるとわかるが、外人客への仰合心理をろこつにみせつけられる。異國からはるばるとやつてきた旅人をもてなす氣持と、旅人におもねる氣持とはちがはなければならない筈だ。  ギリシヤやローマやエジプトの古蹟を巡つてきた人たちの話をきくと、これらの國でも相當にだらしない面があるやうだ。やたらにチップを請求する案内人とか、にせ金をつかまされた話などよくきくが、その點は奈良京都などいゝ方だ。どこのお寺へ行つても、觀覽料を一度拂へばあとは自由に見られる。チップを請求する案内人にうるさくつきまとはれるやうなことはない。その代り觀光地の表情そのものが、全體として下卑てきた。いますこし節度がほしい。町の裝飾にしても。看板の色彩にしても。敗戰後アメリカ人等に多く接して、すべてポーズが大げさになつたのかもしれないが、もつとさりげなく外人に接し、互に心あたゝまる思ひで別れたい。むろんかうした事情の根柢には日本の貧しさがある。商人の懸命に生きるすがたでもあるので一層痛ましいのだ。  私は日本人獨特の優越感(戰時中にみられたやうな國粹主義)は再び抱いてはならないと思ふが、同時に自分たちの裡なる劣等感も始末したい。これは或る點では國内全體の現象でもある。たとへば地方の文化人と呼ばれてゐる人は、東京文化人に對し劣等感を抱いてゐる。その東京文化人は、パリ文化人やモスコー文化人に劣等感を抱いてゐる。それだけではない。地位や職業に關連してあらゆる社會にあらはれる。たとへば官立出身と私立出身、東京大學と地方大學。私は或る地方の新制大學の學生に會つて驚いたことがある。「自分など、どうせ田舍大學にくすぶつてゐるのだから……」と言ふのだ。就職先も二流三流の會社しかあるまい。それすらおぼつかないと云つた風で、東京大學に對して完全に劣等感を抱いてゐるのである。一體誰がしむけたのか。  明治以來の、官尊民卑といふ心理が、いまなほ深く大人の中にあるのではなからうか。つまり官僚主義である。それが教育面にも作用してゐる。官學尊重、東大出身者第一主義、これが就職の場合今でも作用してゐる。殆んど迷信と化してゐる。父兄にも影響して、是が非でも東大入學を子供に迫るやうになる。子供が小學生のときから大學選擇で心配してゐる兩親もある。それが立身出世主義にむすびついてゐることは云ふまでもない。そして落第して私立へでも入ると、本人も父兄もそのことで忽ち劣等感を抱く。  むろん大きな社會問題だ。本人の學問への熱意、職革に對する熱意でなく、たゞ出身校によつて右左されるやうなかうした風潮が消滅するのはいつの日か。むろん怠けものはいつの世にも絶えない。自分の怠慢は棚に上げて、ひがんでばかりゐる人間はゐる。それは困るが、私がいま述べてきたやうな劣等惑は、日本全體の貧しさからくるせち辛い立身出世主義や事大主義にむすびついてゐて、日本人の心理を大きく歪めてゐるのである。誰かに對して劣等感を抱いてゐるものは、また必ず別の誰かに對して優越感をもたうとするやうに。  生存競爭はどんな時代でも避け難い。世のいはゆる勝者敗者は出てくるだらうが、生存意慾をもつ前にもう劣等感を抱いてゐるのは困る。青少年にそれがあらはれてくるのが一番心配だ。何らかの劣等感から、自信がないといふ人が多い。しかし自信とは何か。要するに世間の評判とか自分の出身校への顧慮とか、おほむねさう云つた種類の他信なのである。さういふ意味では空想に他ならない。今日爲すべきことを爲し、建築家が石や煉瓦をひとつづつ積みかさねて行くやうに、一日の上に一日を出來るだけ誠實につみかさねてゆく生活者であればいいのだ。その他に「自信」などといふ餘計なものは必要あるまい。 [#3字下げ]死體の濫用は罪惡である[#「死體の濫用は罪惡である」は中見出し]  洞爺丸事件と相模湖事件は近來まれな悲劇であつたが、そのとき私のショックをうけたのは、死體寫眞の大げさな取扱ひ方であつた。私はあまりの行過ぎに立腹して、ラジオでもこのことを放送したが、この問題をめぐつて、もう一つの自畫像をデッサンしておきたい。我々共通の問題をふくんでゐるからである。併せて雜誌、グラフ、新聞、ラジオ、ニュース映畫製作者の意向もきゝたい。  私自身はジャーナリズムの中で生活してゐる人間だから、報道陣の人々の氣持は推察出來る。出來るだけ早く、一番なま/\しい現状を、正確に讀者へ提供したいといふ義務感から發したことにちがひない。そこにはジャーナリズム相互間の、激しい競爭もある。自ら危險を冒してでも、現場をとらへようとする功名心もある。職業意識から夢中のときもあらう。云はゞジャーナリズムの機構と、その性格であるセンセーショナリズム追求からくる必然の行爲とも考へられる。個々のカメラマンは要するにこの機構と性格のための犧牲者かもしれない。  しかし私の氣持はやはり釋然としない。たとへば立場を變へて考へてみよう。死體をうつしたカメラマン自身が死體になつたとき、或は彼の肉親が死體になつたとき、今度は私自身がカメラマンとしてそれをうつさうとしたとき、私自身に對し平然としてゐられるかどうかといふ問題である。木星號墜落のときも感じたことだが、せめて納棺の後とか、身體を蔽うた後でいゝではないか。  私が更にひどいと思つたのは、放送局の録音係である。これは或る夕刊新聞でみたのだが、相模湖で遭難した少年の遺骸にすがつて泣きくづれてゐる兩親の前に、四五本のマイクロフォンが差し出されてゐる寫眞であつた。こゝまでくれば明確に犯罪である。基本的人權の侵害である。基本的人權の侵害とは、他人の喜びを妨げたり、悲しみを弄んだりしてはならぬといふことだ。  一體何を録音しようといふのだらう。一番悲しんでゐる人の涙聲を録音しようといふのか。何か感想でも述べさせようといふのか。誰でも承知してゐることだが、悲しみのどん底にあるとき、人間は言葉を失ふものだ。どう言つていゝかわからないほど悲しんでゐる人間に向つて、口を割らせようといふのは一種の罪惡であるまいか。これほど人間性を無視した行爲はあるまい。  せめて自宅で落着いたとき感想をきくならまだしも、現場でのこの状況は一種の暴力と云つて差支へない。相模湖で息子を失つた犧牲者は、こゝでもう一度ジャーナリズムの犧牲者になる。二重の犧牲だ。そしてそれを追つてゐる放送局員も、また別の意味で職業上の犧牲者なのである。  古い話をもち出して恐縮だが、源信の「往生要集」の地獄篇を讀むと、妄語の人のおちる地獄がある。妄語の人とは今日で云へば我ら文筆業者とジャーナリストである。そこでどんな責苦に遭ふかといふと、鬼のため釘抜きで舌を抜かれる。抜かれるとまた舌が生じ、生ずるとまた抜かれて、八千年くりかへされるといふ地獄である。私はそれを思ひ出した。昔の地獄では舌を抜かれるが、今の地獄では無理に口を割らされる。一種の拷問である。相模湖事件だけではない。何事によらず突如として口先へマイクロフォンをつきつけ、感想もないのに感想を云へといふのは、あきらかに地獄の鬼の行爲である。 [#3字下げ]「生ける屍」の日本人[#「「生ける屍」の日本人」は中見出し]  文明が發達したおかげで、妙な地獄が出來あがつたものだ。私はジャーナリズムの行きすぎの面を指摘したが、しかし同時に、さういふ露骨な死體寫眞や録音を要求するのは誰かと云へば讀者だといふことも忘れてはならない。つまり我々自身のうちにある病的な好奇心である。新聞記事その他の活字だけではぴんとこない。  洞爺丸事件でも相模湖事件でも、悲慘なことがわかるためには、死體寫眞をみなければならないといふ状況は一體何を意味するか。すべてにつけて刺戟の度を強めなければ、事の眞相を理解しないといふことだ。そして私の疑問に思ふのは、かういふ「わかり方」は果して健全かといふことである。  朝鮮戰爭のときもさうであつた。宣傳戰のために慘死體の寫眞がどれほど濫用されたか。頭蓋骨やら骨片やら、さんざん見せつけなければ、戰爭の悲慘を了解することが出來なくなつてしまつたのだらうか。私は暴動やデモで死傷した人の、生ま生ましい傷痕を示して宣傳しようとする左翼の人々の心理をも疑ふ。  死體寫眞を政治的に利用することが人間としてゆるされるだらうか。受難者を弔ふことは正しい。しかし他人の死骸で自己の思想を飾るのは罪惡だ。かうまでもしなければ納得出來ないほど、我々の神經は麻痺してしまつたのか。  そして次に起ることがおそろしい。洞爺丸のことでも、相模湖のことでも、時間のたつにつれて忘れ去られてしまふといふことだ。戰時中の空襲の悲慘さへ忘れられているらしい。このすみやかな忘却の中で、忘れてゐないのは遺族だけだ。さうならあのとき新聞に公表された死體とは一體何か。どういふ意味をもつていたのか。私のおそれるのはこの點である。あれも一時のこと、これも一時のこと、死骸であらうと何んであらうと、一時の刺戟劑にすぎないといふ一種殘忍な神經が形成されることである。私は併せて、かうした雰圍氣が青少年の心理に及ぼす影響をおそれるものである。  カメラもラジオも文明の利器である。これがあるために、どれだけ便宜をうけてゐるかわからない。しかしこれは世界的な現象ではないかと思ふが、文明の利器を用ゐることにおいて人類は節度を失つたらしい。水爆の實驗など最大の例だが、科學を道徳的に用ゐることに、人類は失敗をかさねてきたやうなものではなからうか。文明の進むのは結構だが、それは必ず濫用を伴つたといふことについて私は反省したい。  現代の道徳とは要するに節度の問題だ。濫用の抑制である。日本人は文明の利器を用ゐることにおいてとくに道徳性が缺如してゐるのではあるまいかと私はいつも疑問に思つてゐる。單に今度の報道の問題だけではない。死體寫眞の濫用は、同時に裸體寫眞の濫用を伴ふものである。人間のこの兩極端の姿から受ける強烈な刺戟の中で、平然としてゐる神經といふものが私には恐ろしい。青少年の性的犯罪や殺人行爲の、ひとつの條件ではないかと思つてゐる。  私は自分たちが文明人か野蠻人か疑つてみたくなることがしばしばある。文明と野蠻が今日ほど區別出來なくなつた時代はない。水爆の恐怖はむろんだが、すべて節度を失つた文明人ほど恐るべき野蠻人はないやうに思はれる。  同時にかういふ状態のもとに起る一つの危險についても述べておきたい。それは抽象道徳がふりまはされることと、言論や表現への統制を考へ出す政治家があらはれるといふことである。今日のジャーナリズムや娯樂に、たとひ行きすぎはあつても、檢閲制度などどんな形ででも復活させてはならない。すべて自制の問題である。自由とは節度への愛だと云つてもよい。自由の敵とは濫用だと云つてもよい。  そして責任はどこにあるのか。こゝで私はまた當惑してしまふ。洞爺丸事件でも相模湖事件でも、また死體寫眞の場合でも、個々人の責任もあらうが、それがすべて複雜なメカニズムにむすびついてゐるからである。責任の所在が今日ほど漠然とした時代はない。機械文明による仕事の細分化と機構の極度な複雜さから來た現代的特徴かもしれない。皆が寄つてたかつて不幸をつくりあげてゐるやうな印象をうける。  我々みなが互に飜弄されながら、日本を滅茶々々にしてゆくのではないか。そんな風に思はれてならない。  今日の政界の騒動をみてもさうだ。享樂街の表情をみてもさうだ。そこへ久保山氏の死體、洞爺丸遭難者の死體、相模湖遭難者の死體、死體つゞきであつた。私はふといまの日本そのものが全體として「生ける屍」ではないかと思つた。  國民の樣々な不幸をよそにして、いつ果てるともない政界泥仕合の寫眞などみてゐると、「生ける屍」の死體寫眞に接したやうな氣持になる。[#地付き](評論家) 底本:「文藝春秋 昭和二十九年十二月号」文藝春秋新社    1954(昭和29)年12月1日 ※拗音・促音の大書きと小書きの混在は、底本通りです。 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