おそろしかったパリの話 吉江喬松 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)都《みやこ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)二十|間《けん》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#ここから2字下げ] -------------------------------------------------------  みなさんのだれも戦争のおそろしさは、さいわいに、ごぞんじないでしょう。世の中になにがおそろしいといって、戦争くらいおそろしいものはないのです。  私が四年ばかりいたフランスの都《みやこ》、パリへは、このおそろしい戦争が、すぐ近くまで迫《せま》って来て、昼のあいだは大砲のたまが落ち、夜は飛行機が来て爆裂弾《ばくれつだん》を投げおろし、夜昼、おそろしい目にあわせたのです。  人間がおたがい同士で殺し合ったり、家を焼いたり、水道をこわしたり、村や町や、りっぱな都会《とかい》をあとかたもなく破壊《はかい》したり、田や畑や、山や林を、みな荒したり、こんなおそろしい罪《つみ》がまたと世の中にあるものですか。  どんな事があっても、人間はおたがい同士、こんなおそろしい罪はおかしてはなりません。このおそろしい目にあわない人は、いくさという事を悪いことだとは思わないでいるようですが、一度でもそんな目にあってごらんなさい。そのおそろしさは、その悪いことは、とてもお話にならないくらいです。  まあ、大ぜいの人が集まっている美しい都会《とかい》の上へ、遠くの方から、大砲のたまが飛んで来て爆裂することを想像《そうぞう》してごらんなさい。日本の里数《りすう》で二十五里もあるところにその大砲はかくされてあるのです。  その大砲が時々、頭をあげて、大きなたまをはき出すのです。すると、それが、つめたい冬の空の中を飛んで、目にもとまらない早さで、二十五里のあいだを、パリの都へ飛んで来る。そして、それが落ちる下には、大さわぎがおこるのです。あなた方はたくさんのありのいる中へ、小さな石を投げこんだことがおありでしょう。ちょうどそれと同じことです。そのたまの落ちる下には頭を破られた人や手足をとられた人や、胸を打たれた人や、それが大きな声をあげて泣きながら、血だらけになって、逃げまわるのです。こんなおそろしいことがおありでしょうか。おそろしいことがありましょうか。  そのたまは、ある時は大通りの上へ落ち、ある時は公園《こうえん》の中へ落ち、ある時は屋根の上から大きな家をこわして、室内へ落ちるのです。今までなにごともなく、楽しそうにしていた人が、ふいにうたれてたおれます。用たしに出かけた人が、その途中で手足をとられてしまいます。美しい家がみるみる焼けてしまいます。みなさんの大事な学校がまったくこわされてしまいます。  一昨々年の四月の初めのある日の事でした。私は朝早く、区役所《くやくしょ》へパンの切符《きっぷ》をもらいにいった帰りみちのことです。――パンの切符というのは、それを持っていないと一日に三度たべるパンがもらえないのです。それとひきかえにパンを、代《だい》をはらってもらうのです。――晴れていたつめたい冬の空が、朝日で輝《かがや》いていました。私はその空を見上げながら、パリ大学の裏通りを下って来ると、カアッとなにか大きな音がしたかと思うと、目先が暗くなるような気がしました。そしてあやうくたおれそうにするのをふみとまると、私の立っている前の方二十|間《けん》とへだてないところで、学校の屋根の上からかわらがガラガラと落ち、土けむりが立って、人の叫《さけ》び声がしているのです。  進みもされず、退《しりぞ》きもされず、私はじっと立って見ていると、街《まち》の下の方から、ポンプをつんだ自動車がかけつける。付近の人々が四方から寄って来る。巡査《じゅんさ》がどこからともなくいく人も姿をあらわす。たちまち大さわぎになったのです。  それはなんでしょうか。二十五里の遠くからその日、敵軍《てきぐん》が放《はな》った大砲の第一発のたまが落ちたのです。そして大きな学校の屋根をつらぬいて、早く学校へ来ていた先生をひとり殺してしまったのです。学校の門も屋根も、大きな建物もこわされて、町の中はその飛び散った破片《はへん》で一ぱいになったのです。もう五、六歩早かったらば、どうでしたろう。私はその建物の破片にうたれてたおれていたことでしょう。  私はそこを通り抜けるのがおそろしくなって、まわりみちをして家へ帰って来ました。まだ動悸《どうき》のしずまらない胸をおさえていると、遠くの方から、どうん、どうんという大砲のひびきがして、そのたびごとに窓のガラスがびりびりひびきをたてるのです。そしてその一発ごとに、どこかで、今私が出あったと同じようなおそろしい光景《こうけい》が演《えん》ぜられているにちがいないのです。  これが、十五分間ごとに、あるいは二十分間ごとにやって来るのです。これは昼間の出来事です。  ところが、夕方から、夜のあいだじゅう、朝までのあいだは、それよりもいっそうおそろしいのがパリの上へ飛んで来ます。それはいくつとなく翼《つばさ》をつらねて飛んで来る敵の飛行機です。  みなさんは晴れた日の美しい空を、元気よく大きなとんぼのように飛んでいく飛行機を時々ごらんになるでしょうが、その元気のよい飛行機が夜になっていくつとなく列をつくって、敵の方から飛んでくることをおもって、ごらんなさい。そしてそれらの飛行機は、みな大きな爆裂弾《ばくれつだん》を持っていて、それを人々の住んでいる家の上へ、たくさんの人の集まっている場所へ落すのです。  この爆裂弾は、大砲のたまなぞよりはいっそうおそろしいものです。これが一つあたれば五階も六階もある大きな家がこわれてしまいます。それがおそろしいので、飛行機が来たとなると、みんなの人が穴倉《あなぐら》へ逃げこむのです。家の中にいる人も、道を歩いている人も、みな穴倉へかくれてしまいます。  すると、まっくらな空の上を、敵と味方の飛行機がいり乱れて飛び、味方《みかた》同士《どうし》がぶっつからないように発火信号《はっかしんごう》をして、花火のように飛び散るのです。その中から時々、爆裂弾が落される。すると、それがなにかにぶっつかって、まっくらな空が、一時に燃《も》えあがるのです。それを目がけて、四方から、下から、大砲を打ちあげるのです。この音が陰気《いんき》で、おそろしく、なんともいわれないひびきをたてるのです。  時々は、みながかくれた穴倉《あなぐら》の上へ、家がくずれて、水道が破裂し、ガス管が破れて、穴倉にかくれた人全体が死んでしまうこともあるのです。  私の知っていたあるフランス人の家族の中にロンドンへいっていたひとりの娘があったのです。十四、五のおじょうさんですが、マルグリットという名です。ロンドンへも敵の飛行船がたびたび来ては、爆裂弾を落していくので、ロンドンから逃げ帰ってパリへ来たのでした。そのマルグリットのおじょうさんがパリへ来た晩です。飛行機が来てこのマルグリットさんの家の上へ爆裂弾を落したのです。そのおじょうさんは三|階《がい》の部屋《へや》にふしていたのですが、その爆裂弾は屋根をつき破り、六階も五階も四階も、つきぬいて、三階のマルグリットさんのふしていた部屋をもこわして、なお下まで落ちていったのです。  家は、半分《はんぶん》以上もこわされてしまいました。私はその翌朝《よくあさ》、そのこわされた家の前へいってみました。りっぱな大きな家です。それが屋根は飛んでしまい、半分以上もくずれて、レンガは一面に地上に散っているのです。その中にいたたくさんの家族の人々は、それぞれどこかへいったのでしょうか、だれもいないかと思っていると、狂人《きょうじん》のようになってそのくずれた家のまわりを歩きまわっている人があるのです。  見ると、それは、昨夜ロンドンから帰って来たマルグリットさんのおとうさんです。私はいそいでその人のそばへいって、だれか負傷《ふしょう》でもした人はなかったかとききますとその人は、きゅうに目をあげて私を見て、おどろいたようなふうをしていましたが、やがていうのに、娘がいないというのです。おじょうさんがどうかしたのですかというとまったくあとかたなくなってしまって、どうなったかわからないというのです。  それからいろいろたずねたり、調《しら》べたりしてみますと、そのおじょうさんのふしていた部屋で、上から落ちて来た爆裂弾が、破裂して、それがためそのおじょうさんは眠っている中に、身体がこなみじんにくだけて、あとかたもなく四方へ飛び散ってしまったということです。こんなむごい話がまたとあるでしょうか。かわいいマルグリットさんは、おそろしい爆裂弾でこなみじんになってしまったのです。  夕方になると人々はもうじっとしてはいられなくなります。道をいく人が立ち止まっては空をあおいで、星を見るようになりました。それが星であるか、飛行機であるかとうたがうようになりました。じっさい、空に輝き出した星かと思っていますと、それがいつともなく動き出して、光を散らしながら空の上を走っていきます。夕方からかけて空の上を味方の飛行機がいく台《だい》となく見張《みは》りをしはじめるのです。  そして、若い十八、九才の兵士《へいし》が勇ましくそれに乗ってパリの番《ばん》をするのです。きのうまで中学や高等学校の生徒であったものが、きょうは飛行機に乗ってパリの守りするようになりました。その若い兵士たちはその飛行機の上で、終夜、美しいパリを守っているのです。私が別に書いた「パリの守り」という詩を読んでいただきたい、このけなげな空中の勇士等の心持をうたったものです。  これらの勇士達が演《えん》じた闇《やみ》の中の空中戦《くうちゅうせん》のものすごさ、私はおなじく闇の中で、高い窓の窓掛けのかげからこわごわながらのぞいて見ていたのです。空一面がもの音でみちみちている中に、時々落ちる爆弾で、まっくろな空が破れて、高い屋根がいくつもぱっとうかび上がる。九百|尺《しゃく》も高いエッフェル塔《とう》の頂《いただ》きから大砲がたまを打ち出すのです。これは散弾《さんだん》で、落ちてもどこへも害《がい》は与えない。そのひびきがいんいんと四方へ鳴りわたって、なんともいわれない世の終りのような感じを与えます。  爆弾の落されるところはたいてい、停車場《ていしゃば》か、兵舎《へいしゃ》か、銀行《ぎんこう》か、大事な建物ですが、ちょうどそれが当らないときは、周囲《しゅうい》の家をうちこわすのです。  悲惨《ひさん》な話が毎度起って来ます。 [#ここから2字下げ] 「パリの守り」 ――けなげな空中の勇士の歌――[#「「パリの守り」――けなげな空中の勇士の歌――」は中見出し] あなたたちが、夕方、あおぎ見る空の星、もしそれが、つめたい尾をひいて動きだしたならば、 夜空に高く、パリの上を、よもすがら守っている私達だとお思いなさい。 四百万人の住む大都会は 燈火《とうか》一つなく、ためいき一つ立てず まっくろな闇《やみ》につつまれて、 大きなけものの死がいのように、じっとしている。 やがて、地平線《ちへいせん》の一角から、 渡鳥《わたりどり》のむれのように、 翼《つばさ》をそろえて飛んで来る一|隊《たい》、 これこそは、敵機の来襲である。 私達の前に、うしろに、火花が散る。 上に、下に、ひびきが爆発《ばくはつ》する、 深い水中をくぐってあらそう魚のように、 敵、味方が闇《やみ》の中を、空気の中を、 あるいは、横転《おうてん》し、落下《らっか》し、しょうとつする。 焔《ほのお》につつまれて、闇の中に落ちていく敵機、 下には、暗黒の底に、 セーヌ河がいぶし銀の色に、 かすかにうねって、それをまちうけている。 たちまち耳をつんざく爆音、下は一面の光り、 ノートル・ダムがうかびあがる。エッフェル塔《とう》が真下に見える。 しまった! 敵機に爆弾を落させたのだ。 けれど、すぐまた、もとの真の闇、空一面に、プロペラのひびき! 夜明けの光りが、しらじらと東の空に、 闇は西へ、西へと流れていく。 その中へつつまれて、いつのまにか消え失《う》せた敵機、 私達もまた今夜のために、しばらく地上へおりて休みをとろう。 美しいパリよ、安心しているがよい。 どんなに敵が来て、おびやかそうとも、 熟練《じゅくれん》な猟師《りょうし》の銃《じゅう》のように、一つまた一つ、 夜ごとに北から来るこの怪鳥《かいちょう》どもを、私達の手で射落して、 闇と焔《ほのお》のなかに葬《ほう》むってしまうのも、もう、まもないことであろうから。 [#ここで字下げ終わり] 底本:「信州・こども文学館 第5巻 語り残したおくり物 あしたへの橋」郷土出版社    2002(平成14)年7月15日初版発行 底本の親本:「新選日本児童文学大正編」小峰書店    1968(昭和43)年 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: 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