大鷲に乗って少女を救う 吉江喬松 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)今度《こんど》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|線《せん》の [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)滞在《たいざい》していました[#「滞在《たいざい》していました」は底本では「滞在《たいざい》してしていました」] -------------------------------------------------------  今度《こんど》もまたスイスの山《やま》の中《なか》のお話《はなし》をいたします。  ヨーロッパのアルプスの連嶺《れんれい》の中《なか》、最《もっと》も高《たか》い峰《みね》の一つにユング・フラウという美《うつく》しい気高《けだか》い山《やま》があります。スイスの首府《しゅふ》のベルンの市《まち》から眺《なが》めると、空《そら》を限《かぎ》る一|線《せん》の上《うえ》に真白《まっしろ》に雪《ゆき》をいただく連峰《れんぽう》がならび立《た》っています。その中《なか》で、一|段《だん》と高《たか》く聳《そび》えているのがこのユング・フラウの峰《みね》です。これは富士山《ふじさん》よりは少《すこ》し高《たか》く、一|万《まん》三千七百五十|尺《しゃく》ばかりの高《たか》さがありますが、そのほとんど絶頂《ぜっちょう》まで高山植物《こうざんしょくぶつ》の咲《さ》き乱《みだ》れている傾斜面《けいしゃめん》を、あるいは氷河《ひょうが》が無言《むごん》の流《なが》れを刻《きざ》んでいる深《ふか》い深い谷《たに》の上《うえ》を、登山電車《とざんでんしゃ》が我々《われわれ》を運《はこ》んで行《い》ってくれます。  その登山電車《とざんでんしゃ》の途中《とちゅう》には幾《いく》つかの停車場《ていしゃば》があって、そこには、気持《きも》ちのよい小さなホテルがここ、かしこに立《た》っています。夏《なつ》は、これ等《ら》のホテルへ来《き》て滞在《たいざい》している人々《ひとびと》があります。  ある夏《なつ》のことでした。このユング・フラウの山中《さんちゅう》のホテルヘアメリカ人《じん》の一|家族《かぞく》が来《き》て、しばらく滞在《たいざい》していました[#「滞在《たいざい》していました」は底本では「滞在《たいざい》してしていました」]。両親《りょうしん》と子供《こども》二人《ふたり》、一人《ひとり》は男《おとこ》の子《こ》で八歳《やっつ》、一人《ひとり》は女《おんな》の子《こ》で四歳《よっつ》になる可愛《かわい》い子供《こども》たちでした。それに、この子供達《こどもたち》を世話《せわ》する一人《ひとり》の女《おんな》の家庭教師《かていきょうし》がついていました。  毎朝《まいあさ》十|時《じ》と、午後《ごご》三|時《じ》頃《ごろ》と、この二人《ふたり》の子供等《こどもら》は両親《りょうしん》や家庭教師《かていきょうし》につれられて、日《ひ》に二|度《ど》ずつ散歩《さんぽ》に出《で》て来《く》るのでした。ニューヨークの大都会《だいとかい》で育《そだ》てられた子供等《こどもら》には、このヨーロッパの高《たか》い山《やま》の中《なか》の生活《せいかつ》は、見《み》るもの、聞《き》くものがことごとくめずらしく、愉快《ゆかい》な、楽《たの》しいものでした。  朝霧《あさぎり》のなかから、白《しろ》い雲《くも》の湧《わ》きたつように、滑《すべ》り出《で》る真白《まっしろ》な羊《ひつじ》の群《むれ》、朝風《あさかぜ》に散《ち》る鈴《すず》の音《ね》、日光《にっこう》に輝《かがや》く高山植物《こうざんしょくぶつ》の香気《こうき》、その上《うえ》に真白《まっしろ》な衣《ころも》をつけた処女《しょじょ》の立《た》っているような絶峰《ぜっぽう》が、紫《むらさき》がかった大空《おおぞら》の下《した》に笑《わら》うように屹立《きった》っているのでした。  ある朝《あさ》、このアメリカ人《じん》の家族《かぞく》は、いつものように散歩《さんぽ》に出《で》て子供《こども》二人《ふたり》は家庭教師《かていきょうし》につれられて稀《めず》らしい草花《くさばな》を摘《つ》みながら、断崖《だんがい》の上《うえ》をよちよち歩《ある》いているのでした。男《おとこ》の子《こ》は小石《こいし》を見《み》つけては、深《ふか》い谷《たに》の中《なか》へ投《な》げ込《こ》んで、それがことこと音《おと》を立《た》てて下《した》の方《ほう》まで落《お》ちて行《ゆ》くのを面白《おもしろ》そうに見《み》ていました。女《おんな》の子《こ》は、あぶない足《あし》どりで、山《やま》の上《うえ》の方《ほう》に、また下《した》の方《ほう》に散《ち》っている羊《ひつじ》の群《むれ》を追《お》いでもするように、とかく家庭教師《かていきょうし》の手《て》からはなれて行《ゆ》きそうにしていました。  その時《とき》、不意《ふい》に、皆《みんな》の頭《あたま》の上《うえ》が暗《くら》くなって、何《なん》だか大《おお》きな嵐《あらし》が吹《ふ》き起《おこ》ったような音《おと》がしました。  何《なん》でしょう! 皆《みんな》がおどろいて、その音《おと》の方《ほう》へ頭《あたま》を向《む》けて見《み》ると、一|丈《じょう》もあるような羽《はね》をひろげた[#「ひろげた」は底本では「ひろげだ」]大《おお》きな一|羽《わ》の山鷲《やまわし》が、さあッという羽音《はおと》をたてて、空中《くうちゅう》に風《かぜ》を捲《ま》き起《おこ》して、皆《みんな》の上《うえ》へ舞《ま》いおりて来《き》ます。わッという声《こえ》を立《た》てて、皆《みんな》は草《くさ》の上《うえ》へひれ伏《ふ》すように、思《おも》わず倒《たお》れてしまいました。  しばらくして、ふと気《き》がついて見《み》ると、今《いま》まで女教師《おんなきょうし》の側《そば》にいた女《おんな》の子《こ》の姿《すがた》が見《み》えません。その女教師《おんなきょうし》が第《だい》一に騒《さわ》ぎだす、両親《りょうしん》があわててあたりを駆《か》けまわる。見《み》ると、その断崖《だんがい》の下《した》の方《ほう》へゆったり翔《かけ》って行《ゆ》く大《おお》きな山鷲《やまわし》の爪《つめ》に掴《つか》まれて、女《おんな》の子《こ》が脚《あし》をばたばたさせているではありませんか。  さあ大変《たいへん》だ! どうしたら好《よ》いか、人々《ひとびと》はただあれあれと叫《さけ》び声《こえ》を立《た》てるばかりでいますと、不意《ふい》に、何物《なにもの》か、その大鷲《おおわし》の背《せ》の上《うえ》へ、崖《がけ》の中途《ちゅうと》から飛《と》び付《つ》いたものがあります。何《なん》でしょうか。そのものは一|生《しょう》懸命《けんめい》で、鳥《とり》の背へしがみついて、両脚《りょうあし》で、鳥《とり》の腹《はら》をしめつけるようにしています。何《なん》でしょう。それは十五六|歳《さい》になる羊飼《ひつじかい》の男《おとこ》の子《こ》です。  この羊飼《ひつじかい》は、崖《がけ》の中腹《ちゅうふく》の空地《あきち》に、沢山《たくさん》草《くさ》の茂《しげ》っている場所《ばしょ》を見《み》つけて、そこへ羊《ひつじ》をつれて降《お》りて来《き》て、立《た》っていますと、急《きゅう》に目《め》の前《まえ》へ、大《おお》きな鷲《わし》が一人《ひとり》の女《おんな》の子《こ》を掴《つか》んで舞《ま》いおりて来《き》ました。今《いま》、それをとめなければ、もうその女《おんな》の子《こ》は、どこへ持《も》って行《ゆ》かれるかわかりません。そう思《おも》うと、その勇敢《ゆうかん》な羊飼《ひつじかい》は、身《み》の危険《きけん》を忘《わす》れて、思《おも》わず鳥《とり》の背《せ》に飛《と》びついたのでした。一つ間違《まちが》えば、千尋《せんじん》の谷間《たにま》へ、氷《こおり》と雪《ゆき》の中《なか》へ真逆《まっさか》さまに落《お》ち込《こ》むのでした。  幸《さいわい》にその勇《いさ》ましい少年《しょうねん》は、大鷲《おおわし》の背《せ》へ飛《と》びつき、その上《うえ》へ乗《の》りうつって、両脚《りょうあし》で鳥《とり》の腹《はら》をしめつけ上体《じょうたい》をぴったりと鳥《とり》の背《せ》へつけて、左手《ひだりて》で鳥《とり》の翼《つばさ》の付《つ》け際《ぎわ》を掴《つか》み、右手《みぎて》を長《なが》く伸《の》ばして、鳥《とり》が大爪《おおづめ》で掴《つか》んでいる女《おんな》の子《こ》の身体《からだ》の下《した》へ落《お》ちないように、その上帯《うわおび》を固《かた》く握《にぎ》ったのでした。  そして、身体《からだ》の重《おも》さを上《うえ》からぎゅうぎゅうと押《お》しつけて、両脚《りょうあし》では一|層《そう》烈《はげ》しく鳥《とり》の腹《はら》をしめつけました。すると、さすが巨《おお》きな鷲《わし》も十五六|歳《さい》の少年《しょうねん》に上《うえ》から押《お》されるので、その重《おも》さに耐《た》えられなくなって、羽《は》ばたきも苦《くる》しげに、次第々々《しだいしだい》に下《した》の方《ほう》へ落《お》ちるように舞《ま》いおりて行《ゆ》きました。  けれど、もしこの鷲《わし》が、その舞《ま》いおりる途中《とちゅう》で、高《たか》い樹《き》の上《うえ》へでもとまろうものなら、それこそ危険《きけん》です。少年《しょうねん》はどんな場合《ばあい》に鳥《とり》の背《せ》から振《ふ》り落《おと》されないものでもない。一|刻も早《はや》く、下《した》の方《ほう》へ谷底《たにそこ》の地面《じめん》へ降《お》りてしまわなければならない。それに、もし、また途中《とちゅう》で、この鷲《わし》が巨《おお》きな嘴《くちばし》で、女《おんな》の子《こ》の頭《あたま》でもつつけば、大《おお》けがをするか、殺《ころ》されでもする掛念《けねん》がある。こんな事《こと》のない中《うち》に、どこへでも安全《あんぜん》な場所《ばしょ》へ降《お》りなければならない、と少年《しょうねん》は思《おも》いきめました。  ちょうど、発動機《はつどうき》に故障《こしょう》の出来《でき》た飛行機《ひこうき》乗《の》りが、安全《あんぜん》な着陸地《ちゃくりくち》を上から捜《さが》しているような心配《しんぱい》で、少年《しょうねん》は時々《ときどき》大《おお》きな声《こえ》を出《だ》して人々《ひとびと》を呼《よ》んだり、特《とく》に、下《した》の方《ほう》にいる女《おんな》の子《こ》に元気《げんき》つけるために『大丈夫《だいじょうぶ》だ、安心《あんしん》しておいで、私《わたし》が今《いま》に救《すく》ってあげるから』と、いわずにはいられませんでした。  ところが、下《した》に掴《つか》まれている女《おんな》の子《こ》は、あきらめたのか、恐《おそろ》ろしい[#「恐《おそろ》ろしい」はママ]のか、それとも驚《おどろ》いて気《き》でも失《うし》ったのか、少《すこ》しも騒《さわ》がず、あばれもせずに、じっとしています。もう呼吸《いき》もなくなったのかとそれがまた少年《しょうねん》の気《き》に掛《かか》って来《き》ました。  とにかく、朝《あさ》の冷《つめた》たい[#「冷《つめた》たい」はママ]空気《くうき》の中《なか》を、アルプスの深《ふか》い谷《たに》の中《なか》を、大鷲《おおわし》はこの少年《しょうねん》を背《せ》に載《の》せ、少女《しょうじょ》を下《した》にさげて、ずんずん落《お》ちるように下へ下へとおりて行《ゆ》きました。もう崖《がけ》の上《うえ》で、あれ、あれといっている人々《ひとびと》の目《め》には、小《ちい》さな小《ちい》さな黒《くろ》い点《てん》か何《なに》かのようにしか見《み》られなくなってしまいました。  その時《とき》、鳥《とり》はさあッという羽音《はおと》をさせたかと思《おも》うともう耐《たま》らないで、その重荷《おもに》をふり落《おと》すように、ある岩角《いわかど》の、少《すこ》し空地《あきち》のある所《ところ》を目《め》がけておりて行《ゆ》きました。すると少年《しょうねん》は、危険《きけん》が近《ちか》づいたと感《かん》じたので、右手《みぎて》は、少女《しょうじょ》の上帯《うわおび》にかけたままで、左手《ひだりて》を離《はな》して手早《てばや》に、自分《じぶん》の腰《こし》にさしていた山刀《やまがたな》を抜《ぬ》いて、鳥《とり》がその空地《あきち》へ身《み》をおろすかおろさないに、その山刀《やまがたな》を鳥《とり》の背骨《せぼね》をさけて、一|突《つ》き突《つ》き通《とお》し、後方《うしろ》へ鳥《とり》をひっくり返《かえ》すようにする勢《いきおい》で、ぱっと、鳥《とり》の背《せ》から地面《じめん》へ素早《すばや》く飛《と》びおりました。  すると鳥《とり》は、不意《ふい》の襲撃《しゅうげき》におどろいて、思わず、羽《は》ばたきをすると共《とも》に掴《つか》んでいた女《おんな》の子《こ》を離《はな》して、仰《あお》のけに倒《たお》れかかりました。今《いま》、少年《しょうねん》の右手《みぎて》には女《おんな》の子《こ》が、左手《ひだりて》には血《ち》に染《そ》まった山刀《やまがたな》があります。少年《しょうねん》は必死《ひっし》の覚悟《かくご》で、素早《すばや》く少女《しょうじょ》を自分《じぶん》の背後《うしろ》へかくして、山刀《やまがたな》を右手《みぎて》へ持《も》ちかえました。  大鳥《おおとり》は直《す》ぐに飛《と》び起《お》きて、負傷《ふしょう》の痛《いた》さもかまわず、恐《おそ》ろしい勢《いきお》いで少年《しょうねん》に向《むか》って飛《と》びかかって来《き》ました。双方《そうほう》が必死《ひっし》の争《あらそ》いです。少年《しょうねん》は、右手《みぎて》で山刀《やまがたな》を振《ふ》りかざし、左手《ひだりて》で少女《しょうじょ》をかばい、昔《むかし》の物語《ものがたり》に出《で》て来《く》る英雄《えいゆう》のように、この猛悪《もうあく》な襲撃者《しゅうげきしゃ》をまちかまえていました。  大鷲《おおわし》は、太《ふと》い蹴爪《けづめ》の最初《さいしょ》の一|撃《げき》で、少年《しょうねん》の頭《あたま》を砕《くだ》こうと向《むか》って来《き》ました。けれど、ひらっと身《み》をかわした少年《しょうねん》は、身《み》をかわすと同時《どうじ》に右手《みぎて》の山刀《やまがたな》で鳥《とり》の翼《つばさ》に一|太刀《たち》あびせました。鷲《わし》の白《しろ》い下羽《したばね》が綿《わた》のように一|面《めん》に散《ち》りました。鷲《わし》は羽音《はおと》を烈《はげ》しくして、少《すこ》し舞《ま》い立《た》ったかと思《おも》うと、今度《こんど》は、両翼《りょうよく》をあおり立《た》てて、大《おお》きな風《かぜ》を捲《ま》き起《おこ》すようにして、少年《しょうねん》の周囲《まわり》を覆《おお》い包《つつ》む勢《いきおい》で迫《せま》って来《き》ました。その眼《め》、その嘴《くちばし》、その羽音《はおと》、まったくの巨大《きょだい》な悪魔《あくま》です。  少年《しょうねん》は背後《うしろ》に少女《しょうじょ》をかばうようにして、少《すこ》し後《あと》ずさって、岩角《いわかど》へ身《み》を寄《よ》せかけた時《とき》、ちょうどそこに手頃《てごろ》な石《いし》が、尖《とが》った岩《いわ》のかけらが少年《しょうねん》の目《め》にはいりました。素早《すばや》く山刀《やまがたな》を持《も》ちかえた右手《みぎて》で、少年《しょうねん》はその石《いし》を握《にぎ》るが早《はや》いか、目《め》の前《まえ》一|間《けん》ほどまで迫《せま》って来《き》たこの悪魔《あくま》の胸《むね》をめがけて、全身《ぜんしん》の力《ちから》をこめて打《う》ちつけました。ねらいのはずれよう筈《はず》はありません。大鷲《おおわし》はこの思《おも》わぬ打撃《だげき》に驚《おどろ》いてぱっと一《ひと》まず舞《ま》い立《た》ちましたが、また、こりないでやって来《き》ました。  それからは必死《ひっし》に飛《と》びかかる大鷲《おおわし》と、この勇敢《ゆうかん》な少年《しょうねん》との乱闘《らんとう》です。少年《しょうねん》の投《な》げつける石《いし》は、鳥《とり》の翼《つばさ》に、胸《むね》に、眼《め》に、ひしひし当《あた》ります。その度《たび》ごとに鳥《とり》は叫《さけ》びを立《た》てて、苦《くる》しまぎれに一|層《そう》鋭《するど》く飛《と》びかかります。羽風《はかぜ》で空気《くうき》が揺《ゆ》れ動《うご》き、ちょっとでも油断《ゆだん》をすれば、それに吹《ふ》き飛《と》ばされ、ちょっとでも気《き》をゆるめると、鳥《とり》の嘴《くちばし》で突《つ》き殺《ころ》されます。周囲《まわり》は鳥《とり》の白羽《しらは》が雪《ゆき》のように飛《と》び散《ち》り、少年《しょうねん》はその中《なか》を少女《しょうじょ》を背後《うしろ》にかばいながら、悪闘《あくとう》をつづけていました。  その時《とき》、崖《がけ》の中腹《ちゅうふく》から、がやがやという人声(ひとごえ》が聞《き》こえて来《き》ました。少女《しょうじょ》の両親等《りょうしんら》がそのへんにいた羊飼《ひつじか》いたちを頼《たの》んで、大急《おおいそ》ぎで降《お》りて来《き》たのです。ようやく径《みち》を見付《みつ》けて、この鷲《わし》と少年《しょうねん》との闘《たたか》っている岩角《いわかど》近《ちか》くまで来《き》ました。けれど、戦《たたか》っている人《ひと》と鷲《わし》とは夢中《むちゅう》です。血眼《ちまなこ》になって眼《め》の前《まえ》の敵《てき》を相手《あいて》にしているものには、何《なに》も耳《みみ》にはいりません。  不意《ふい》に、どうんという一|発《ぱつ》の銃《じゅう》の音《おと》がしたかと思《おも》うと、今《いま》まで夢中《むちゅう》になって少年《しょうねん》眼《め》がけて飛《と》びかかっていた大鷲《おおわし》は、空中《くうちゅう》をころぶように、くるくる舞《ま》いをして、更《さら》に下《した》の方《ほう》へ、谷《たに》の中《なか》に落《お》ちて行《ゆ》きました。少年《しょうねん》はほっとして、思《おも》わず後方《うしろ》へ倒《たお》れかかりましたが、気《き》が付《つ》くと、もう自分《じぶん》の周囲《しゅうい》には、大勢《おおぜい》の羊飼《ひつじかい》が集《あつ》まって来《き》て、父親《ちちおや》の腕《うで》に抱《だ》かれた女《おんな》の子《こ》は、にこにこ笑《わら》ってこの自分《じぶん》の救主《すくいぬし》の方《ほう》へ手《て》をさし出《だ》していました。  その時《とき》の少年《しょうねん》の悦《よろこ》び、その時《とき》の女《おんな》の子《こ》の両親《りょうしん》の悦《よろこ》び、大勢《おおぜい》の人々《ひとびと》のほめ言葉《ことば》、それはいまここで書《か》くまでもありません。眼《め》の前《まえ》の美《うつく》しい、大《おお》きなユング・フラウの真白《まっしろ》な峰《みね》までも、朝日《あさひ》の中《なか》にこの勇《いさ》ましい少年《しょうねん》の姿《すがた》を賞讃《しょうさん》しているようでした。  それから間《ま》もない頃《ころ》です。このアルプス山中《さんちゅう》の勇敢《ゆうかん》な少年《しょうねん》は、そのアメリカ人《じん》の帰国《きこく》の一|行《こう》の中《なか》に加《くわ》えられて、フランスの都《みやこ》、パリへ来《き》ました。ここでも人々《ひとびと》が、大騒《おおさわ》ぎをしてこの少年《しょうねん》を迎《むか》えました。それから彼《かれ》は間《ま》もなく、大西洋上《たいせいようじょう》の汽船《きせん》でアメリカへ、この家族《かぞく》の一|行《こう》と共《とも》に渡《わた》って行《ゆ》きました。 底本:「信州・こども文学館 第5巻 語り残したおくり物 あしたへの橋」郷土出版社    2002(平成14)年7月15日初版発行 底本の親本:「角笛のひびき」実業之日本社    1951(昭和26)年 ※底本は、表題に「大鷲《おおわし》に乗《の》って少女《しょうじょ》を救《すく》う」とルビがふってあります。 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。