猫と婆さん 佐藤春夫 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)下性《げしょう》の [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)しお[#「しお」に傍点]に /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)「ワアンワン/\/\」 -------------------------------------------------------  猫は数年前、息子がまだ大学に在学中、毎土曜日、定期的に通って十二時まで飲む飲み屋で、早春の一夜、なじみの女の子から帰りがけに外套のポケットに入れられたのを、途中で捨てもせず、そのまま大事に持って帰って来た雄の虎猫であった。母乳をはなれてはまだ育たぬかも知れないほどの小さな奴であった。無雑作にチビと名づけて飼って置いたのが、日々に無事に育って、チビという名がふさわしくないほど大きくなったのでデカチビと呼び改めるようになった。  デカチビはただのチビ時代から、まことに聡明な奴で、運ばれて来ると、その夜はいきなり冷蔵庫の下へもぐり込んでその翌日も一日中家の様子を見ていたらしいが、二日目の朝、近所にいる身内の娘が台所口から声をかけて入って来たのを聞きつけると、それをしお[#「しお」に傍点]に出て来てその足もとにすり寄った。前にいた飲み屋で女の子には親しんでいたからでもあったろうか。幸に身内の娘もその家に猫がいて猫は好きであったから、この子猫を珍しがって、台所にあった牛乳を与えたりしたので、やっと冷蔵庫の下のかくれがを出て追々と人になつくようになった。下性《げしょう》のいい奴で大小便には必ず外に出て甚だ始末がいい。  すこし大きくなると雄猫だのに鼠を取り出して二年あまりの間には、今までは時々見かけたねずみの影も姿も見なくなった。  デカチビは洋間の重い扉でも何でもただ締めて置く限りは自由自在に明けた。爪をひっかける手ごろの場所を見つけておぼえているからである。さすがに出る時に締めては行かなかった。もし締めて出ればこわいようなものに思えた。  毛の色つやもよく、よく太った丸顔で、動作も機敏に、栗の実などを投げ与えると板の間の上をどこまでも、ガラガラと追っかける姿など愛らしかった。  そのうち外に出歩くようになって、三四日も時には一週間も帰らない日があり、帰ってもまたすぐ出て行く。帰るとすぐさま台所の自分の皿のあるところへ飛び込むのである。帰ったまま出て行かないのを見ると、どこかに怪我をしている。 「こいつわが家を、食堂か病院と間違えていやがる」  と叱りながらも、 [#2字下げ]恋猫の面やつれして帰りける  などと主人は、ますますこのデカチビを愛して、その頭を撫でながら、客に、 「近ごろあまり大したのでないのが誰も彼も芸術院会員とかになっているらしいが、うちのこいつなども漱石の猫とともに会員に推せんされてもよいのだ。部長になってもよい。あんなのは猫でも杓子でもよいのだから、いや徒党を組むようなことは断じてしない猫や杓子の方がよいのかも知れないよ」  などと語っていた。この主人というのは二三十年前には二三のユーモア小説などを発表したまま世に現れず、志が埋もれている不遇作家だけにこんなひねくれた不平がましいことも言うのであろう。しかし文学に対する情熱を全く失ったのではないしるしに時々、世に問わぬ、というよりは世間が相手にしない詩のようなものを年久しく書いていたが、このごろは年のせいか、それもおっくうになって即興十七字詩と称して俳句まがいの駄句を放吟してひとり悦に入っている。  この主人というのは、当人は楽天家と自称しているにも拘らず、常に何かしら不平らしく気むずかしい顔をしている。息子がまだ幼少のころ、と言えば三十年も前のことであろうが、息子のところへ遊びに来た近所の子供が、彼が小声で歌っているのを聞いて、 「おじさんが歌を歌った!」  と泣いて帰った事があった。その子にとっては、彼が歌をうたった事はまるで化石が動き出したか何かのように、天変地異とも感じられたのかも知れない。デカチビの飼い主というのは、ざっとそういうおじさんなのである。  こういうへんな人物にはありがちのことであるが、人のあまり寄りつかない彼は子供や小動物が大好きで、また子供や小動物の方でもふしぎと彼にはよくなついた。テカチビもいつのころからか、最初はお互に無関心に見えた彼になつきはじめて、主人の夕食の膳のそばに来ては、まるでコマ犬のように行儀よく坐ってつき切りに動かなくなった。彼が時々自分の食べるものを分けてやるので、チビはここで食べるものは、いつも当てがわれる台所の鰺《あじ》の定食よりもうまいと気がついたものらしい。猫という奴はデカチビばかりではなくみな美食家であるが、デカチビには特にその傾向が甚しく、いつもは喜ぶ、鱸《すずき》のさしみなどでも一日経ったのはちっと鼻をつけたきり見向きもしない。  デカチビを愛する主人は、自分の好みよりはむしろ猫の好みを主にして副食物を択ぶようになった。自分はいつどこででも気に入ったものを食べることもできるが、猫はそれができないと思ったからである。そのうちにふしぎと好みがだんだん猫に似て来た。そうして自分は三度に一度、あとの二度は猫にやって、副食物の大半はデカチビにわけてやるようになった。それもただくれるのではなく、猫と対談しながら食べさせるのである。 「だめだ、だめだ。そうむやみと背延びして立ちあがっても黙っているのではくれない。なぜ、くださいとか何とか言わないのだ?」  と言えば、相手は、 「ニャア!」と答える。 「そんなのはだめだ。なぜもっと元気よくいい声を出さない?」 「ニャアン! ニャン!」  食べてしまったのを見ると、 「黙って食べるやつがあるか。おいしかったなら、おいしかったと言わなきゃいけないではないか」 「ワアンワン/\/\」とまるで小犬のようにつぶやき吼え呻るのである。  いいかげんに食べ、こちらでももうやるものがなくなったころには、ひとりで出て行くが、それでも出て行かなければ、手を振って見せると出て行く。  いつか夕食前に手にとって見た書物が面白くて読み耽っていると、チビが障子の向うに来て部屋に入れよと呼ぶのであった。ここの障子は積み上げた雑書が邪魔になって自由に明けられないのである。猫の呼ぶのもその意味もわかっているが読みかけているところが面白くて立って行ってやらないでいたら、デカチビは障子の破れから、部屋のなかの主人をのぞき込んでいるのであった。これでは主人も立って行って部屋に入れてやらなくてはなるまい。こうして彼と愛猫とはいつものように対談しながらともに食事をすましたことであった。  昨年の冬は特に寒くて安普請では部屋を暖めると隙間風が洩れ入るし、炉辺でテレビを見ている家族の連中も、そろそろ番組にも飽き夜が更けて寒くなるに従って、ひとりふたりと追々におのおのの寝所に引き揚げて行き、最後までひとり取り残された主人だけが、瞑想だか妄想だかに耽って夜更けまで起きていると、部屋の燈を見つけて忍び込んで来た愛猫は主人の胡坐《あぐら》の上に来て膝と膝との凹みのなかにすっぼりと躯を丸めてのどを鳴らしはじめた。もうそろそろ寝ようかと考えていた主人は胡坐のなかの安眠者におつき合いしていたが、ふと放吟して言う―― [#2字下げ]天籟《てんらい》を猫と聴き居る夜半の冬  主人の聴いたのは厳冬深夜の天籟には相違なかったが、猫は捕り残した鼠の足おとでも天井に聴きつけて耳を動かしていたのであったかも知れない。  そういう彼の愛猫でまた親友を兼ねたデカチビは、このごろ頓《とみ》に元気を失い、半月ばかり前、久しぶりに五六日家に帰らなかったのを最後に、あまり外へも出かけずそれに目をしょぼしょぼさせて毛色も悪く痩せて肩の骨などがあらわに、むかし栗の実を懸命に追いかけたころのおもかげは名残りもない。年をとったのだから是非もないと思うが、せいぜい栄養を与えて肥らせてやろうと、好きなものを択《え》って与える食事なども今までのようによろこんでは食べず。従って対談にも身を入れない。一旦口に入れたものも食べないで残すような様子がおかしいので、注意してみると、上顎も下顎もすっかり歯が落ちてしまっているのであった。いつの間にこんな事になったものやら少しも気がつかなかったが、まだ十歳にもなるまいがもう老猫になってしまったものと見える。さんしょううおに入歯をしたとかいう話は聞いたが、猫に入歯をしてやることも厄介だし、その後は一旦噛みほぐしたものをやることにした。今までは満腹すればすぐ部屋を出て行ったのに、このごろではいつまでも主人のそばを立ち去らないで満腹の身をぐったりとその場に横たえて動かず、声をかけてやっても返事もせずに、ただ尻尾のさきをピリピリさせて返事に代えるだけで、眼をしょぼしょぼさせて見上げる様子などもなさけない。  そのうち姿が見えないと思ったら、外に出かけたのでもなく部屋の隅の机の下にもくりうずくまっていたり、便所の片隅に隠れるようによこたわって動かず、大きくゆれる腹と見張った目とで死んでいるのではないことがわかるような状態のことなどもある。  不精になったのかずうずうしくなったのか、夜などは寝ていた近くに尿をたれ流すことが度々あり、下性のよいその生来の美徳まで失われてしまった。しかしあまり元気がないので叱りたしなめることもできない。それでも一声かければ、耳をうしろにして恐縮の意を示しながらコソコソと逃げて行ってしまう。尤も、これらの失禁はものかげに隠れ込んでいたために気づかれないで部屋のなかに閉じ込められてすぐには外に出られなかったせいとわかってみるとあまり深くとがめることもできまい。  何にしても病気に違いないといつもの猫医者に来てもらうとやはり老衰と栄養失調だと言いながら五六日栄養の注射をして行ったらしい。  この医者は何らとりえのない駄猫を愛して医療までしているのを見て、ノラ猫に不便《ふびん》をかけている慈善家だと思っているらしい。彼は猫の美と珍とのためにそれを愛する人は知っていても、そのかしこさのために、また愛そのもののために愛する人のあることは知らないらしい。  年をとるのは猫ばかりではない。愛猫が老い行くと同様に、主人も亦年をとって行く。しかし人間の定命は猫よりも長いだけに、猫みたいに僅々《きんきん》この七八年のうちに、そう一度にどっと老い込むわけではなく、体力も気力もまだ決して衰えてはいないと思っているのは、もともと子供のように主観的な当人だけで、周囲の人々が仔細に見たら、童子のような、こんな猫の愛し方など、人間と猫との相違こそあれ、やっぱりデカチビ同然の老態なのかも知れたものではない。  この家の婆さんの来歴は、猫のものほど明確ではない。一口に婆さんと言うが年のほどもよくわからない。それでも三十を越えた息子がいると聞けば、この家に三十年以上いることもわかり、婆さんの年のほどもおおよそ見当がつく。  もともと猫のように可愛らしくもなく、栗を一所懸命に追っかける時のチビほど敏捷でもなかった。チビほどではなかったとしても二十年前は、今とは違っていた。  アメリカとの戦争中といえば、もう二十数年も前のことになるから、婆さんの壮年末期もしくは婆さん初期に入っていたかも知れない。それでも、不精者でものの役に立たぬ亭主どのを差しおいて防空演習にも実戦にさえ参加して隣組の義務を果していたものであった。 「たから戦争に負けたのはお前たちのせいだ。おれは戦争の見物にはでかけたが、戦争をしたおぼえはない」  と敗戦後、亭主は婆さんをからかうのである。  疎開して後は、児孫ら一家五人のために食糧集めに大童《おおわらわ》で活動し、町まで仕入れに出た帰りには、その背負っているあまりに大きな荷物に、行きずりの人が、 「あんたさん何をあきないやすか」  と問うので、 「何でも売りやす」  と答えたほどで、防空戦での実績のほどはわからないが、疎開中の活動なら殊勲甲であろう。疎開から引き揚げる時にも、赤帽のいなかった上野駅の長いプラットフォームを、背に両手に大きな荷物を蟻のように運んだものであった。  その翌年の正月、孫たちが近所の子供連を集めて来てのかるた会の席上で亭主どのは、亭主関白妻、 [#ここから2字下げ、折り返して5字下げ] 疎開して後の力にくらぶれば 昔はものをかつがざりけり [#ここで字下げ終わり]  と読み上げて子供たちをまごつかせたものであった。  その後、二十余年を経て、この働き者が台所仕事まで一切お手伝いに任せ切ってしまって、ほとんど何もしなくなった。そうして二十年前のことを、 「あの時は気が張っていたし、まだ年も若かったのだから」  と婆さんは、その十数年間に猫の七八年分を一気に年取ったらしく婆さんになったことを自認している。そうして近ごろでは、そんなところへそんなものを置いては危くて困ると何度も注意するのも聞かずに土瓶ややかんの類を出入口に置いたのを蹴ったり、つるを足にひっかけてひっくりかえしたり、さては食膳に運ぼうと捧げ持って来た盆をそこらに投げ出して、お漬け物をバラ撒いたり、茶碗をおっ欠いたりすることが度重なる。亭主どのは渋い顔をして、それでも笑いながら、 「なが年、つれ添うて子まである間がらだから、役に立たなくなっても仕方がないとは思っているが、こう度々わるさをして室内に洪水や噴火のような天変地異を起されてはもう我慢もならない。ここに佐藤春夫先生という方がお訳しになったイギリスの詩人の『疲れた人』という詩がある。こうだ―― [#ここから2字下げ] 私はしづかな紳士なのです、 私はいつも坐つてゆめ見てゐます。 それだのに私の妻は山腹にゐて まるで谷川のやうに荒ら荒らしい。 私はしづかな紳士なのです、 私はいつも坐つて考へてゐます。 それだのに私の妻は旋風になつて駆ける インキのやうに黒い夜のさなかを。 おヽ私にください、私の種族の女を、 私のやうによくひかへ目なのを 私たちは火のそばに辛抱づよく坐つて 私たちが死ぬまでぢつとしてゐように」 [#ここで字下げ終わり]  婆さんはせっかく爺さんが読んだ詩に対しては、ただ、 「何だかおもしろそうな詩ね」  と一口言っただけで、それ以上の反応は少しも示さなかった。張り合いのない奴だと爺さんは心中甚だ平かならず。猫ならば耳をうしろに伏せるとか、尻尾のさきをピクつかせるとか、何か多少の反応もあったろうにと、そこで爺さんはもう一度出直した―― 「役に立たなくなったのは、年のせいで是非もないと永年のなじみがいに黙っていたが、こう度々わるさをするようになっては、何かと仕置きはしなければなるまい」 「それに猫のようにかわいらしくもありませんしね」 「うん、そこだよく言った。猫はひとの言葉のそばから口出しをして話の邪魔はしない。ついでにそこに気がついたら、猫ほどかわいらしくなくとも、猫よりもえらいのだがね」  ところで仕置きをすると息巻いてみたところで、追放するところとては何処にもなし、監禁して置きたくともそんな部屋とてもなく、またそれを設ける資金などはまるでないとあっては、爺さんに方法はない。 「ところで今日こわしたのは、わたし自身のお茶わんで、あなたがお気に入りの馬のお茶わんではありません。それに免じて、少しは情状を酌量してはいただけないものでしょうか」 「いや、いけない。こわした物によって情状を酌量するなんて、それは偶然の結果ではないか。それに日常の雑器とは言え、みな家宝なのだ。買い直せばすむものという考えが、そもそもの間違い、そういう心がけが物を粗末にしているのだからね」 「おやおや、これは情状酌量どころか、かえってやぶ蛇に、また一つ罪状を告発されたようなものでしたね」 「いや、その心配なら無用、罪の重なる場合は、その重い方を処分するのが原則なのだからね。それに情状酌量の方は、猫のようにかわいらしくもないという謙虚な自己認識で何とか考慮してもよい。それにしても仕置きは必ずしないでは措かない。このままにすませばくせになる。身辺の平和をさわがし、室内の秩序を乱した大罪は重い。正に追放に当るものである。しかし情状は十分に酌量しよう。終身刑というのはよく聞くが、終身執行猶予というのは有るか無いかは知らないけれど、この際、特例をひらいて、この恩典に浴させることにしよう」  と宣言した爺さんは、心中、何やらもの足らない気分であったが、こう言い了ったところで、ふと名案が思い浮んで言い足したものであった―― 「手に持ったものを取り落したり、ものに躓《つまず》いたりすることのしばしばあるのは、ただの粗相ではなく、何か神経系統の病気の場合がよくあるとか聞きかじったことがあったが、一度や二度ではなく、あまり時々のことなのだから、これはやはり用心して置いた方がよさそうなと思うのだ。仕置きは終身執行猶予として、その代りというわけでもないが、一つお医者へ任意出頭して診察してもらって来たらどうかね」 「お医者へ行くのですか?」  と婆さんは追放と聞かされた時よりは、しんけんな顔をした。追放などとはただ爺さんのいつもの戯言《ざれごと》と聞き流したが、診察のためお医者へ行けと言われては聞き捨てにならない現実として、同じく爺さんのいいかげんな戯言も何やら不安が伴うばかりか、婆さんは爺さんのまだ知らなかったむかしから今も医者に診察されることか理由もなく大嫌いなのであった。爺さんはそれをよく知っていたから、こういう風変りな罰ならぬ罰を課したものらしい。  一時は死ぬのではないかとまで見えていたデカチビ、爺さんの親友たる愛猫は、新涼とともに健康を取りもどして食慾も出た。でも歯は生えて来ないから、軟くおいしいものなら吠え呻りながら盛んに食べているという。  それにしても婆さんはその後、爺さんの要求する身辺の平静と室内の秩序とを果してどれだけによく保持し得ているかどうかはまだ十分に聞き及ばない。爺さんは愛猫を語るように事こまかくは婆さんを語らないからである。そうして最後に、 [#2字下げ]老いらくの恋と愛撫す桐火桶  という近作一句を示したものであった。今年の二月、余寒のきびしかった頃のことである。 底本:「猫は神さまの贈り物〈小説編〉」実業之日本社文庫、実業之日本社    2020(令和2年)年10月15日 初版第1刷発行 底本の親本:「玉を抱いて泣く」河出書房新社 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。