猫の奪還 窪田空穂著 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)草臥《くたび》れて |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)毛を|※[#「てへん+毟」、第4水準2-78-12]《むし》り [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)毛を|※[#「てへん+毟」、第4水準2-78-12]《むし》り -------------------------------------------------------  農村で暮してゐると、ひどい目に会ふことがある。当り前の話だ。私は農村にゐたつて百姓をしてゐる訳ではなし、炭焼きに行く訳ではなし、釣りには行くが、獲物を売つて、それで生活を立てる、と云ふ程に釣れやしない。よしんば農村にゐて、百姓をやつたつて、それでさへ喰へない時世なのだから、私が喰へなくなるのは、これや当り前の話だ。  だが、いくら当り前の話だつて、喰へないとなると、穏かではない。「喰へないのは当り前だよ」と云つて、女房子に平然と宣言する程、未だ腹が据つてゐない。殊に腹の中に空つぽな胃の腑や、腸があると、腹と云ふものは余計に、据りにくいものらしい。  子供などは特別、空の胃袋に対しては敏感である。騒げば騒ぐほど腹が空るつて、云つて聞かせても、矢つ張り騒ぐのだ。  いや面白い話がある。面白いと云ふと語弊があるが、余り米を沢山食つては具合が悪い、と云ふ風な状態の時に、人間は沢山、米を喰ふものだ。米さへも沢山喰つてはいけない、と考へなければならないやうな時には、肉だとか魚だとか、甘い菓子だとか、フンダンに喰へる筈はない。麦と米と半々位の飯に、菜つ葉の漬物か、生味噌と云ふことになる。  そんな時は、子供たちはまるで、腑甲斐ない親爺に面あてでもするやうに喰ふ。嚊も同様である。そして、最後に私自身といへども、自分に食客になつてるやうに、慌てて詰込むのである。 「いくら喰べても、喰べたやうな気がしない」  と、嚊は云ふのだ。私も同感である。 「胃袋は経済的な感覚は無いらしいね」  と、私は答へない訳には行かない。  そんな場合に、最も生活力の強さを現すのが「コロ」であった。コロは寺の境内に捨てられてゐた、赤ん坊猫だつた。それが泥んこに濡れて鳴いてゐたので、子供が抱いて来たのだつた。腹が空き切つてゐるのだが、飯を喰ふ道を知らないで、乳を呑むやうに茶碗の底に鼻を押しつけるだけなのだ。惨酷で見てゐられる状態ではなかつた。  そこで、私は煮干と飯とを口の中で溶ける程噛んで、指で仔猫の口へ入れた。 「お父ちゃんはうまいや」  と、子供がほつとしたやうに云つたものだ。が、お蔭で、それから私は、仔猫の養育係りに廻つてしまつて、両便の始末まで引き受けねばならなかつた。 「何と云ふ名にする?」  と子供に訊くと、 「コロコロして歩くから、コロだよ」  と、上の子が、即座に命名してしまつた。  そのコロが、私の家で食糧難に陥つた時、最も抵抗力が強くなつた。鼠などは、家中の鼠を捕り尽すと、どこかから捕つて来て、家の中に逃がしたりするのだ。  だが、鼠までは、私はコロの領分に入つて行きはしなかつた。が、雀や小鳥となると、どうにも虚心坦懐に見てゐる、と云ふ訳には行かないのだ。コロは小鳥を捕るのが、実に天才だつた。  尤も、私が犬や猫を飼ふ場合には、第一に子供の時から跳躍を仕込むことにしてゐた。布に煮干を包んで、鴨居にブラ下げて置くのである。届かない程度々々に引き上げて、届いた時には一尾、煮干を与へるのである。終ひには草臥《くたび》れてしまつて横目でその獲物を睨めながら、隅の方に引つ込んで寝て終ふ。と云ふ風な訓練法だつた。  だから、蚤程とは行かないが、五尺位は跳上るやうになつてゐた。  コロはその跳躍法を利用して、小鳥を啣へて来て、ふざけて遊ぶのだが、それは見てゐるのには、些か、惨酷であつた。  それに、人間が肉も魚も喰へない時に、 「コロ、お前だけ小鳥を喰ふつてえのは、ちと贅沢だぞ。みんなたあ云はん、腹と骨とだけお前にやるからな。お前だつて、俺に飯を噛んで貰つたんぢやねえか」  と、頗る下劣なる心情を起しながら、コロから小鳥をとり上げようとするのだが、そこは猫である。敏捷である。啣へて木の上に駆け登つてしまふ。  さうなると、畜生の浅間しさ、と云ふが、人間とどうか、と思はれるやうな、浅間しい気がこつちに起つて来るのである。  ――畜生逃げやがつたな。恩知らず奴――  と、カンカンになるが、それは私の方が無理である。  コロが小鳥を捕つて来たのは、私たちが、副食物に肉も魚も長いこと喰はないので、見るに見かねて、捕つて来てくれた、のではないのである。事情は正に逆なのである。  私の方で、肉や魚をフンダンに喰つてゐれば、コロの方にも骨や、脂が廻るのである。  私の方で、そんな風な、コロにとつては必要欠くべからざる、動物性食物を与へないから、コロは高い梢に登つて、長い時間の辛抱と努力とで、一羽の鳥を捕へたのだ。悪くすれば、コロは高い梢から地辺に墜ちて、一命を失はないとも限らない、冒険の結果である、貴い獲物なのだ。  コロにすれば、拾はれた事や、飯を噛んで貰つたことなど、忘れてしまつてゐるのだ。  忘れると云ふことは、猫にとつてだけでなく、人間の間にあつてさへ、美徳ではないのか。  又は、忘れてゐないからこそ、耳や尻尾を引つ張つたり、紙袋で頭を包んで終ふ、人間の子供たちに、引つ掻いたり、鼠に食ひつくやうに食ひついたりしないで、畑に逃げ込んだり樹の上に避難したりするのではないのか。  もともと、私とコロとの間には、別に契約書や、証文などと云ふものを、交した覚えはないのである。極めて自然に、情愛を以て、私の一家の一員になつたのである。  それを今になつて、コロから食費や、間代を、物納によつて、雀の形でとり上げようと云ふのは、それや、私の方が間違つてゐるのである。  どうも、どんな場合でも、人間が、生物の中では一番慾張りであるのでは、あるまいか。  だが、何しろ、雀は未だ生きてゐるし、コロはもう、それを啣へて、杏の木から下りて来て、庭で、又ふざけ始めたのである。  雀は未だ、二三尺は飛べるのである。  その有様を見てゐると、私の反省は鈍つて来て、「焼き鳥」の材料を、コロが言語道断にも、生のままで、「一人で」喰つてしまふ、と云ふ風に考へられて来るのである。  その上、嚊と云ふものは、徹底的に現実的な考へ方をするのである。 「あら、コロが小鳥を捕つて来てるわ。勿体ないわ、あんた。人間でさへも小鳥が喰べられないのに、コロ一人で喰べるの、勿体ないわ。ねえ、勿体ないぢやないの」  と云ふのである。 「なるほど、勿体ない」  と、とつさに私も考へてしまふのだ。 「馬鹿なことを云ふな。猫は肉食動物だよ。だから人間よりも先に、雀を喰ふ必要があるんだよ」  とは考へないから、あさましいものだ。  たうとう、コロが雀を二三尺飛ばして、わざと知らないふりをして、満足の表情に、ウー、とうなつてゐる時に乗じて、私は小石を逆の方に転がした。  果して、コロは小石を追つかけた。  その間に素ばやく私は雀を捕へた。ちよつと済まないやうな気がした。が、厚かましく構へなけやいかん、と自分に云ひ聞かせて、家に上つて、裏に抜けて、畑で雀の毛を|※[#「てへん+毟」、第4水準2-78-12]《むし》りにかかつた。  だが、横領と云ふか、掠奪と云ふか、さう云ふ境地に、現に自分がゐると云ふことは、相手が畜生にしたつて、いや畜生だからこそかも知れないが、余り、清々しい気持のものではない。  で、毛を※[#「てへん+毟」、第4水準2-78-12]つてしまふと、表の荒れ果てた庭に出て見ると、コロは杏の樹にかけ登つたり、檜の梢をかけ廻つたり、熊笹の茂みに飛び込んだり、文字通り血眼になつて、自分の獲物を探してゐるのである。  ――悪く思うなよ――  と、私は口に出して云つて、火鉢に火を熾しにかかつた。  ――お前も畜生は畜生でも、レッキとした家畜だ。な、だから生で喰ふよりも、焼いてから喰つた方が、口に合ふやうになつてゐるんだ。尤も、ちつとばかり量が減るがな。然し共同生活をやつてる以上、お前も、いくらかの負担を負はねばいかん、と云ふものぢや。なあコロ。――  と、つむじ風のやうに、庭中かけ廻つてゐるコロを見ながら、考へた。  ――子供たちが股から胸へかけて、一本づつ喰ふ。と、カロリーはどの位あるかな。俺は頭だ、嚊は脊骨だけだ。腹わたと足の骨は、どうしたつて、コロに返さなけやいかん。全つ切り取り上げてしまふと云ふことは、人道に反する。コロに対しても恥づべき事と、云はねばならん。―― 「おい、小皿に醤油を少し持つて来てくれえ」  と、私は嚊に命じ、餅網の上に雀を載せ、どんな良心的なコックも及ばないやうな、真剣さでもつて焼きにかかつた。  ああ、小鳥の焼ける香りよ!  生ぶ毛見たいな毛が、大抵焼けたところで、醤油をつけて熔つた。焦がさないやうに、骨が軟く喰へるやうに、何しろ、貴重を極めたる副食物である。  家内中の血液が、肉体が、これによつて、幾分の溌剌さを加へようとする、その芳香、その焼鳥。  とたん。私の手が延びるよりも早く、コロは、猫であり、従つて世にも云ふ通り、猫舌を持つてゐて、熱いものは禁物であるにもかかはらず、その、ジウジウ脂を吹き出してゐる、熱い小鳥を銜へるが早いか、多分、舌の火傷をするのも気につかなかつたであらう、戸外へ一目散に駆け出てしまつた。 「あつ! コロに取られた!」  と、私は怒鳴つて、縁側に駆け出した。が、もうコロはそこらには居なかつた。 「コロに取られたつて。あんたついてゐたんぢやなかつたの」  と、嚊も駆けて来て、私を詰問した。 「速い奴だ、電光石火だ!」 「感心するもんぢやないわ。あんな泥棒猫。捨てておしまひなさいよ」  と、嚊が云つた。 「取られたなあ、先づコロだつたんだ。泥棒猫だなんて云ふな。あいつあ被害者だつたんだ。俺が取つた方の側なんだ。泥棒猫なんて云ふな、人聞きが悪い」  そして、私たちは漬物で、良心の苛責なしに夕飯を食つた。 底本:「猫の文学館T 世界は今、猫のものになる」ちくま文庫、筑摩書房    2017(平成29年)年6月10日 第1刷発行 底本の親本:「葉山嘉樹全集」筑摩書房    1976(昭和51年) 初出:「都新聞」    1936(昭和11)年4月28日〜4月30日 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。