みなし児 吉江喬松 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)麓《ふもと》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)十|位《ぐらい》の -------------------------------------------------------  アルプスの麓《ふもと》でした。イタリーに近《ちか》いアルプスの麓《ふもと》では空《そら》は拭《ぬぐ》ったように蒼《あお》く、山々《やまやま》は緑《みどり》にもえていました。私《わたし》はその時《とき》パリをはなれて、しばらくそこへ行《い》っていました。  ある日《ひ》私《わたし》の宿《やど》っていた家《いえ》の玄関《げんかん》に、十|位《ぐらい》の女《おんな》の子《こ》をつれて訪《たず》ねてきた婦人《ふじん》を私《わたし》は見《み》ました。その婦人《ふじん》は私《わたし》の宿《やど》のお内儀《かみ》さんに会うと、なにかいろいろと話《はなし》をしていました。そして私《わたし》には遠《とお》くにいてよく聞《きこ》えなかったが、何《な》んだかその少女《しょうじょ》をたのんで行《ゆ》く風《ふう》らしかったのです。主婦《しゅふ》はきいていながらも何回《なんかい》か涙《なみだ》を流《なが》していました。しばらくするとその婦人《ふじん》は子供《こども》を置《お》いて帰《かえ》って行《い》きました。  あとで主婦《しゅふ》に訊《き》くと、その子供《こども》はお内儀《かみ》さんの姪《めい》で、子供《こども》のお父《とう》さんは戦争《せんそう》に行《い》っていて、お母《かあ》さんは肺《はい》が悪《わる》くって働《はたら》けないため、子供《こども》をひきとってくれと頼《たの》みにきたのだと言《い》うのでした。 『本当《ほんとう》に可哀相《かわいそう》な子供《こども》で。』  お内儀《かみ》さんは私《わたし》の前《まえ》で涙《なみだ》をながしそうにしていました。  女《おんな》の子《こ》の名前《なまえ》はジョルジェットと言って、亜麻色《あまいろ》の髪《かみ》もふさふさと、あどけないその顔《かお》は、母親《ははおや》のそうした不幸《ふこう》な運命《うんめい》も知《し》らぬ気《き》に、親切《しんせつ》な伯母《おば》さんになついていました。  少女《しょうじょ》がその家《いえ》にきて二三|日《にち》すると、突然《とつぜん》少女《しょうじょ》の父《ちち》がお内儀《かみ》さんの家《いえ》を訪《たず》ねてきました。  その時《とき》その伯母《おば》さんの家《うち》の玄関口《げんかんぐち》で、自分《じぶん》の娘《むすめ》に会った兵士《へいし》はどんなに驚《おどろ》いたことでしょう。  ジョルジェットは驚《おどろ》いたよりも、むしろ悦《よろこ》んだのでした。戦争《せんそう》に行《い》っていた父親《ちちおや》が帰《かえ》ってきた。それは父《ちち》に会《あ》われず、母《はは》に別《わか》れていた少女《しょうじょ》にとっては、本当《ほんとう》に悦《うれ》しいことにちがいなかったのです。 『パパが帰《かえ》ってきた。パパが帰《かえ》ってきた。』 少女《しょうじょ》は父親《ちちおや》の胸《むね》に跳《と》びついて悦《よろこ》んだのでした。  父親《ちちおや》はそのまま自分《じぶん》の娘《むすめ》を、たくましい腕《うで》に抱《いだ》いて、伯母《おば》さんに会《あ》ったのです。伯母《おば》さんもそれを見《み》ると、 『まあ、お前《まえ》は、』 とばかり、次《つぎ》の言葉《ことば》はもう口《くち》から出《で》ないのでした。ジョルジェットの父親《ちちおや》は、家《うち》のお内儀《かみ》さんの弟《おとうと》でした。  だんだんと話《はなし》をきいて見《み》ると、ジョルジェットの父親《ちちおや》は、戦場《せんじょう》の方《ほう》から帰休兵《ききゅうへい》で、二|週間《しゅうかん》ほどの休暇《きゅうか》をもらって帰《かえ》ってきた途中《とちゅう》でした。そして、自分《じぶん》の家《いえ》に帰《かえ》る前《まえ》に、まず汽車《きしゃ》を途中《とちゅう》で降《お》りて、自分《じぶん》の姉《あね》の家《いえ》を訪《たず》ねてきたのでした。だから自分《じぶん》の家《いえ》がいまどうなっているかなぞと言《い》うことことは、無論《むろん》知《し》ろうはずはないのでした。  で、お内儀《かみ》さんは、苦《くる》しい戦場《せんじょう》から、ほんの少《すこ》しのひまを貰《もら》って帰《かえ》ってきた弟《おとうと》に、その家庭《かてい》のかなしい態《さま》を告《つ》げなければならなかったのです。  ジョルジェットの父親《ちちおや》は、自分《じぶん》の妻《つま》がいま胸《むね》の病《やまい》で病院《びょういん》にいると言《い》うことをきいて、心《こころ》から驚《おどろ》きました。疲《つか》れた体《からだ》も、たのしい家庭《かてい》で休息《きゅうそく》したならば、ほんの少《すこ》しの休《やす》みでも癒《い》えようものをと、思《おも》ってきたのに、そのたのしい家庭《かてい》には人《ひと》がいなくて、妻《つま》は病院《びょういん》に病《やまい》をやしない、子供《こども》は伯母《おば》の家《いえ》に厄介《やっかい》になっていると言《い》うのを見《み》ては、胸《むね》はわびしい思《おも》いで痛《いた》められたにちがいないのです。  ジョルジェットの父親《ちちおや》は、休《やす》むひまもなく、すぐさま病院《びょういん》に病《や》み伏《ふ》している自分《じぶん》の妻《つま》を訪《たず》ねて行《い》きました。  それからと言《い》うもの、ジョルジェットの父親《ちちおや》は、その姉《あね》の家《いえ》に留《とどま》って、毎日《まいにち》のように病院《びょういん》を訪《たず》ねては、ともすれば弱《よわ》ろうとする妻《つま》の心《こころ》をなぐさめ、はげまし、いたわっていました。  ジョルジェットは母《はは》の病《やまい》いが危険性《きけんせい》を帯《お》びているだけに、父親《ちちおや》につれられて病院《びょういん》に行《い》くわけには行《い》きませんでした。毎日《まいにち》父親《ちちおや》を送ってからは、ひとりぼっち、しょんぼりとしているのがいじらしい姿《すがた》でした。  そうこうしている間《あいだ》に、ジョルジェットの父親《ちちおや》には、帰休《ききゅう》の終《おわ》りがきました。いよいよまた戦場《せんじょう》に帰《かえ》ろうとする日《ひ》に、医者《いしゃ》は、 『奥《おく》さんは、いよいよ終《おわ》りにちかづきました。』 と言《い》う言葉《ことば》を告《つ》げました。けれど国家《こっか》は彼《かれ》の戦場《せんじょう》に帰《かえ》って、一|日《にち》も早《はや》く銃《じゅう》を執《と》ることを待《ま》っていました。もうドイツの大軍《たいぐん》は潮《うしお》のようにパリの近郊《きんこう》に押《お》しよせてきて、砲弾《ほうだん》や飛行機《ひこうき》は毎日《まいにち》のようにパリの人々《ひとびと》の心《こころ》を脅《おびや》かしていました。  彼《かれ》は意《い》を決《けっ》して、病《や》める妻《つま》をのこし、ジョルジェットを伯母《おば》に托《たく》して、戦場《せんじょう》に向《むか》って行《い》ったのでした。  父親《ちちおや》が戦争《せんそう》に行《い》ってから、ジョルジェットは、またさびしいもとの心《こころ》に還《かえ》って行《い》きました。  伯母《おば》さんが一寸《ちょっと》用事《ようじ》で外《そと》にでも行《い》くと、ジョルジェットは、よく廊下《ろうか》をひとりで跳《と》んで歩《ある》いて、やがて私《わたし》の室《へや》の戸《と》を叩《たた》くのでした。ジョルジェットは私《わたし》の名前《なまえ》をよく知《し》らぬため、 『ムシウー、ジャポネ、ムシウー、ジャポネ』 と言《い》って、入《はい》ってくると、いきなり固《かた》く、固《かた》く私《わたし》に抱《だ》きつくのでした。私《わたし》にはジョルジェットのどうにもならないさびしい心《こころ》がよく解《わか》っていました。  私《わたし》はジョルジェットに日本人形《にほんにんぎょう》をやりました。そして散歩《さんぽ》にもよくつれて行《い》きました。ジョルジェットはまことに、その顔《かお》かたちのように無邪気《むじゃき》な心《こころ》をもっていました。  ある時《とき》はジョルジェットをつれて、小《ちい》さな馬車《ばしゃ》で山《やま》に行《い》ったこともありました。  その山《やま》はしずかなみどりにぬれて、すさまじい戦《たたか》いが人《ひと》の父《ちち》を殺《ころ》し、兄《あに》を殺《ころ》して、この世《よ》に行《おこな》われているとは思《おも》われぬほど、あたたかな自然《しぜん》の心《こころ》に充《み》ちていました。  二|週間《しゅうかん》ほどするとジョルジェットの母親《ははおや》は、とうとう病院《びょういん》で亡《な》くなってしまいました。  ジョルジェットの母親《ははおや》の葬式《そうしき》は、十二三|人《にん》の人《ひと》たちで、さびしい田舎《いなか》の教会《きょうかい》で行《おこな》われました。  その葬式《そうしき》のとき、ジョルジェットは、はたで見《み》ておっても胸《むね》が痛《いた》くなるほど 『|お母さん《ママ》、|お母さん《ママ》。』 と、泣《な》きつづけていました。  その間《あいだ》にも秋《あき》はだんだんにふけて行《い》きました。  ジョルジェットの母親《ははおや》が亡《な》くなって、しばらくしたころには、戦場《せんじょう》に行《い》った父親《ちちおや》が負傷《ふしょう》して病院《びょういん》に入院《にゅういん》したと言《い》う報告《しらせ》が伯母《おば》さんのところへ達《たっ》しました。やがて秋もふけた十|月《がつ》、私《わたし》が再《ふたた》びパリに発《た》とうとするころに、ジョルジェットの父親《ちちおや》も、病院《びょういん》で亡《な》くなったと言《い》う通知《つうち》がまたきたのでした。  いくつかの不幸《ふこう》がたくさんに重《かさ》なってきて、伯母《おば》さんもジョルジェットも、いつか悲《かな》しむることも忘《わす》れたように、ぼんやりしていることがありました。  私《わたし》がいよいよパリに還《かえ》る時《とき》に、ジョルジェットは、どうしても私《わたし》につかまって放《はな》れませんでした。泣《な》いて泣《な》いて私《わたし》の手《て》にすがっているのでした。そして、 『記念《きねん》に私《わたし》なにかあなたに、あげたいわ。』 とジョルジェットは言《い》った。 『何《なに》を私《わたし》にくれるの、ジョルジェットさん』 と訊《き》くと、 『ね、私《わたし》の本当《ほんとう》に大事《だいじ》なもの、それは髪《かみ》の毛《け》よ。私《わたし》が生《うま》れて少《すこ》したった時《とき》、お母《かあ》さんが私《わたし》の頭《あたま》から切《き》って下《くだ》すってたのよ。私《わたし》の一|番《ばん》大事《だいじ》なものだからあなたにあげますわ。』  ジョルジェットの顔《かお》を見《み》ても、その瞳《ひとみ》を見《み》ても、心《こころ》をこめて遠《とお》い異邦人《いほうじん》の私《わたし》に、その髪《かみ》の毛《け》を送《おく》っているのが解《わか》ったのです。  私《わたし》は悦《よろこ》んでジョルジェットの贈《おく》り物《もの》を貰《もら》いました。  またいつ逢《あ》うとも解《わか》らない、いやいやもう一|生《しょう》逢《あ》うこともないであろう、ジョルジエットの贈《おく》り物《もの》を、私《わたし》は本当《ほんとう》に悦《うれ》しくもらいました。 『ジョルジェット、有難《ありがと》うよ、長《なが》く記念《きねん》にとって置《お》きましょうね。』  私《わたし》はその髪《かみ》の毛《け》を手箱《てばこ》に納《おさ》めました。  パリにたつ時《とき》に、ジョルジェットは伯母《おば》さんと一|緒《しょ》に、長《なが》い間《あいだ》ハンケチを振《ふ》って見送《みおく》ってくれました。  私《わたし》は今《いま》でも、ジョルジェットがその時《とき》与《あた》えてくれた髪《かみ》の毛《け》を大事《だいじ》に持《も》っています。 底本:「信州・こども文学館 第5巻 語り残したおくり物 あしたへの橋」郷土出版社    2002(平成14)年7月15日初版発行 底本の親本:「角笛のひびき」実業之日本社    1951(昭和26)年 ※底本は、表題に「みなし児《ご》」とルビがふってあります。 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。