マルクス主義は科学にあらず 山川健次郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)唯物《ゆいぶつ》史観および余剰《よじょう》価値の |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)大声|疾呼《しっこ》している。 -------------------------------------------------------  本日は関東大震災第六周年の記念日に相当する。わが輩この日に際して最近大不祥事たる共産党事件が震災よりもさらにさらに恐るべきものとなることを思い、その凶悪なる運動の根源をなすところの思想たるマルクス主義について、自分の平素考えているところをごく単簡にのべ、もって今日の記念講演にかえたいと思うのである。  マルクスはエンゲルスとの共著『共産党宣言』にかれらの先輩の共産主義者たるサンシモン、フーリエー、オーウェン等の主義は空想的であったといい、そうしてエンゲルスはその著『反デューリング』中「これ〔唯物《ゆいぶつ》史観および余剰《よじょう》価値の二発見〕で社会主義は一つの科学になったのである」といっており、しこうしてマルクスの主義を科学的社会主義といっている。それでマルクスの流れを汲んでいる者は、マルクスの主義は空想的でない科学的であると大声|疾呼《しっこ》している。しからば科学とは何をいうのであるか、科学とはなんぞやという問がおこってくる。わが輩の考うるところでは、一定の真理を土台として厳密なる論理で得られた諸々《もろもろ》の結論の総体を一つの科学というのである。この科学の土台になる真理が公理の場合もある。しこうして公理というのは――公理は英語ではアクシオムであって、公は公平の公、理は道理の理――これを言明するの辞《ことば》の意味を理解する能力のある者は、この言明に同意せざるを得ないものを公理というのであるが、この公理を土台とした科学の例として数学をあげるのが最も適当である。数学の土台たる公理が十ばかりあるが、その一つに「部分は全体より小なり」というのがある。すなわち全体・部分・小という辞《ことば》の意味がわかれば、この公理に同意せざるを得ない。また「同一のものが同時に二つの場所にあり得ない」というのがある。これも同一・同時、二つの場所という辞《ことば》がわかれば、この言明に同意せざるを得ない。数学という科学はこの誰にも異存のない公理が土台となって、厳密な論理で処理せられ出来上ったもので、誰でもこれを否定し得ないのである。また土台が公理でない場合もある。力と物体の関係を言いあらわす運動の定律というのがある。これと引力の定律というのを土台とし、数学を応用して天体力学すなわち星学の一部を築き上げることが出来た。この二つの定律は公理的のものでない。すなわちこれらの定律を言明し、その辞《ことば》の意味がわかれば誰でも肯定せざるを得ないものではないが、この二つの定律に反した事実がいまだかつて見出されんので、誰しもこの二つを公理同様の真理として扱かっても異論がない。この二つの定律を土台として造りあげた星学の一部によって、天体の未来の位置を予言することが出来る。するから英国・米国・仏国等で航海暦というものを三年も四年も前に作って航海する者の便利を図っているが、天体の位置が大体正しく出て来る。また肉眼では見えん惑星をこの天体力学の力で探しあてたこともある。このことを単簡に述べてみよう。  元来わが太陽系は太陽と八つの惑星と無数の小遊星と、並びにたくさんの彗星とから成り立っている。これら天の動く道をその軌道といい、この軌道のうちに焦点というところがあるが、この焦点に太陽があり、その周りに八つの惑星が動いている。太陽に近いものからいうと、水星・金星・地球・火星・木星・土星・天王星・海王星の八つがある。水星から土星までの五つの星は古い時から人間がその存在を知っておったが、天王星の見つかったのは天明元年すなわち紀元二千四百四十一年のことで、今よりザット百五十年ばかり前のことであるが、当時海王星のあることを誰しも知らなかったのであったから、天王星の運動を星学者が研究したが、当時知れておった太陽系中のおもなるものの引力をすべて勘定に入れて得た天王星の位置は、その実際上の位置と合わなかった。それで太陽系のうちに天王星よりも太陽より隔りたるところに、一つの遊星があって、その引力が天王星に働いているのではあるまいかと星学者間に疑いを抱くものがありはじめたのである。しかしこの問題を解決するのは、非常に困難な問題だ。二物の間の引力は、その間の距離の自乗に反比例し、その質量の積に正比例するから、距離一のところで引力が一なら、距離が二のところでは二の自乗の四に反比例するので、一の四分の一になる。また質量一キログラムの引力が一なら、同所における二キログラムの引力は二となるのであるが、天王星の運動に影響を起す天体が――のち海王星と判った――いかなる距離にあっていくばくの質量を持っているかがまったくわからないから、算用が甚だむつかしい。しかしこの困難な問題を解決することに成功した学者が、しかもほとんど同時に二人あったのである。一人は英国人でアダムスという人であるが、ケムブリッジ在学生中からこの問題を解決する志を立て、大学を卒業したのは天保十四年すなわちわが紀元二千五百三年で、それより二年ののち弘化二年すなわち紀元二千五百五年に解決して、いつのいつかにはこの星すなわちのちの海王星と名づけられた星がどこにあるかということをはっきり算用して、その算用書類をケムブリッジ大学の天文台長チャーリス並びに皇室星学官エーリーの両人に呈出したのが、彼がかぞえ年で二十七歳の時であった。むかし相模《さがみ》太郎時宗が元の使節杜世忠を斬って日本の決心を示したのはその二十四歳の時であって、いにしえより英雄豪傑の士は、若くして頭角をあらわしたものである。大器必ずしも晩成にあらずである。  しかし少しの行きちがいのため、ケムブリッジの人たちが望遠鏡でこの星のあるべき所をさがさなかったのである。翌年に至り、仏国の星学者ルヴェリエーという人が、アダムスの業績をまったく知らずに、同じくのちの海王星を研究し、算用して得た結果はアダムスの得たのとほとんど一致しておった。ルヴェリエーはベルリンのガーレーという人に依頼して、ベルリン天文台の大望遠鏡で捜索《そうさく》してもらった結果、ルヴェリエーの指示したところに近く八等星ぐらいの光りのある惑星が見つかって、これが今いう海王星であるのである。  かくのごとく本当の科学は動かすべからざる真理を土台として、厳密な論理で結論を築くのであるから、結論の真理であるのは申すまでもなく、肉眼に見えん星の位置をも定め得るのであって、ある程度まで未来のことを予言し得るというのが科学の特色であるのである。すべての科学が星学のごとく厳密ではないが、大体において星学におけるがごとき性質を帯びているのである。マルクスの徒は自分の主張が科学的であるというているが、その主張の土台となっている基本説ともいうべきものが、動かすべからざる真理であるだろうか。マルクス主義の土台は、唯物史観・階級闘争等であるが、ある程度までは唯物的に歴史を説明することが出来る。たとえばある歴史家は鎌倉幕府の亡びたのは蒙古襲来と、それに引き続き国防に莫大の金を費したので、非常の無理があって人望を失ったのがその原因の一つであるといっているが、これでもって全体を説明することは出来ん。いわんやすべての歴史を唯物的に説明することは出来ん。一例をあぐれば、わが明治維新という史実を、唯物的にはいかにしても説明は出来ない。またマルクスが金科玉条《きんかぎょくじょう》と頼む他の基本説も完全な真理ではない。少くも公理同様に扱ってもよい程度のものでない。しからばこれらの基本説を土台として築いたかれの説を科学というべきではないことが明白である。かつかれの説はグラグラする土台の上に築かれたるものであるから、結論の真理でないのは当然である。マルクス信者は科学は世人に信用がある、それで自分たちの信ずる説は科学であると大きな声でとなえたところ、本邦では科学とはいかなるものかを知らず、またその土台となるべき命題を充分に批判し得ない人たちが、土台をば鵜呑みに呑んで、真理であると速断して、マルクス主義の信者となったものが多いと思う。  してみると信用を得るために科学という仮面をかぶったエンゲルスらの目的は達せられたものであるという人もあるのは、無理もないことである。  ついでであるから共産党のことにつき一言する。この間ある学校で寄宿入舎を許可するのに、簡単な口頭試験をするのが習慣であるが、この間この試験を行った時思想問題につき受験者の感想を聞いた問の答えに、自分の考えは左傾でも右傾でもないしら紙だといったということを聞いた。もちろんこの左傾というのは共産主義のことをいったのであったのに、答えが右の通りである。受験者の考では、問題はきわめて軽微のことで、たとえば今夏は避暑に湘南地方へ行くとか、または房州地方へ行くとかぐらいの問題で、いずれにしても大したことでないから、その場合にきめても差支えがないというくらいに、軽微の問題としているではなかろうかと思われる。しかし共産党問題ぐらい目今重大な問題はない。もし万一かれら逆徒――世の中ではかれらのことを左傾派とか左翼とか言っているが、わが輩はそんなナマヌルイ名でかれらを呼ぶことをいさぎよしとせん、かれらの真相で呼ぶこととして逆徒というのである――をして志を得しむれば、国体は破壊せられ、国家は滅亡することになるのである。勿論われわれ国民が充分力をつくせばかれらに打ち勝つことが出来るが、今のところではわが国民の冷淡なるのは実に残念である。過般《さきごろ》治安維持法の改正の時にも新聞・雑誌の多くは反対であった。国を覆《くつがえ》し、国家を滅すことを企《くわだ》つる者に極刑を加えることがなぜ悪いのかわが輩には判らない。第一次共産党事件の時、早稲田大学内なる佐野学の研究室を捜索したのを、ある大学の教授が学園の神聖を汚したものとして、早稲田大学総長の傍観を憤《いきどお》ったということを聞いているが、日本国中で宮中と締盟諸国の大公使館とを除けば、学園であれ何であれ、司法権の発動を許さぬところはない。学問の独立とか研究の自由とかいう美名のもとに、国家の危急を軽視する傾きのあるのは残念なことである。  今の内閣が先だって政治の綱領を声明されたが、その十ヵ条のうちに、わが国において現今最も大切である共産党事件に関し、これに対する方針につき一言もいっていない。これをちょっと見れば、内閣の諸公も世間なみに共産党事件などは軽く見られているかにも思われるが、済々たる多士のこの内閣が、月なみ的にこの一大事を軽く見られることなどは断じてなかろうと思う。何か深き考えでもあるものでもあるかと思われる。またちょっと聞くともっともなようであるが、実は大いなる誤りであることがある。世の人が目今共産党事件などに関し、思想は思想で取締るがよいとよく申しますが、いま共産主義者は学生なるとしからざるとにかかわらず、ただ単に共産主義を信じているというばかりでなく、同志を募《つの》り毒悪な宣伝をなしているので、かれらはすでに毒悪主義を実行することに取りかかっているのである。するから思想は思想で取締るということは抽象的には正しいが、いま日本の共産党は実行に取りかかっているのであるから、思想のみで取締るというようなことでは充分でないのである。厳重な制裁を加うることもまた必要である。しかし思想の方からも取締りをすることも怠《おこた》ってはならん。いまマルクス崇拝の本や論文がたくさん出るのに反し、反マルクスの本や論文はきわめて少い。そこで浅薄なマルキストはマルクス説の根拠の薄弱であることを、自分で発見することが出来んものであるから、マルクス反対の書籍の出ないのは、マルクス主義を反駁《はんぱく》することが出来んで出ないのであるとますますマルクスに溺れるのである。しかし実のところは、いまはマルクス大流行であるから、反マルクスの本があまり売れる見込みがないので、本屋が引き受けない。これが反マルクスの少いゆえであって、反マルクス説がなりたたんのではない。するからなんとかして本邦に少くない反マルクス学者の、反マルクス本をたくさん発表せられんことを希望してやまない。 底本:「現代日本記録全集9 科学と技術」筑摩書房    1970(昭和45)年2月28日初版第1刷発行 底本の親本:「男爵山川先生遺稿」故山川男爵記念会    1937(昭和12)年発行 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: 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