マクスンの作品 Moxon's Master ビアス・アンブローズ Bierce Ambrose 妹尾アキ夫訳 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)後《あと》になつて [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)下※[#判読不可、9-23]なつた ------------------------------------------------------- 「まじめなの、君は? まじめで機械が人間と同じように、ものを考える、というの?」  マクスンはすぐには返事をしないで、熱心に煖炉の石炭のここそこを、ポーカーでつついていた。つつきかたが、よかつたのか、火は間もなくさかんに燃えはじめた。数週間まえから、なんでもないことをきかれても、すぐには返事をしない彼の癖が、しだいにはげしくなるのを私は気づいていた。でも、それは問われたことを考えるのでなくて、なにかほかのことを考えているらしかつた。つまりほかのことで頭がいつぱいになつているのだ。  やがて彼はいつた。「いつたい機械といつたらなんのことだ? この言葉にはいろんな意味がある。たとえば辞書を引くと、『それによりて力がでて能率的になつたり、希望する効果がえられたりする、いろんな道具や構成物』と書いてあるが、してみると、人間も一つの機械じやなかろうか? そして人間が考える――あるいは考えると考えていることは事実なんだからね」 「ぼくのきくことに答えたくないのなら、答えたくないと云つたらいいじやないか?」と、私はじれつたげにいつた。「君はごまかして逃げているんだ。ぼくの云う『機械』が人間でなくて、人間が作つて支配するある物を意味しているぐらいのことは分りそうなものだ」 「機械が人間を支配しない場合はね」と云つて、彼は急に立ちあがつて窓ぎわによつたが、風雨の強い夜なので、窓の外にはなにも見えなかつた。彼はにつこり笑つてふりかえり「ごめん。なにもごまかしているんじやない。ただ辞書に書いてある不用意な文句が、示唆にとんでいて、議論すべき多くの事柄をふくんでいると思うだけなんだ。君の質問には簡単に答えられるよ。機械というものは、それがする仕事のことを、考えるものだとぼくは信じている」  なるほど、簡単な答えにはちがいないが、しかし、私はこの答えを聞いて、気持ちよくは思わなかつた。というのは、研究室における研究や仕事が、彼に悪い結果をもたらすのではないか、という疑惑を起させたからである。現に彼は不眠症になやんでいるが、これは軽視すべからざる打撃なのである。心まで彼はおかされているのだろうか? 今の私は別な解釈をするだろうが、すくなくもその時の私は質問にたいする彼の答えぶりから判断して、心までおかされているように思えてならなかつた。当時の私は若かつた。そして若い者に許されている恵みの一つは無智ということなのである。売り言葉に買い言葉で私はこうきいた。 「では、きくが、なんで考えるの――脳髄がないのに?」  いつもに似ず、即断的だつた彼の答えは、問い返しの形式をとつていた。 「植物はなんで考えるの――脳髄がないのに?」 「へえ、植物も哲学者の部類にはいるのか! じや、君の説明をきかしてもらおうか。前置きはいらない。決論だけでいい」  彼は馬鹿げた私の皮肉は無視して、「植物がどんな働きをするか、考えてみたら、君だつて得心がいくと思うのだ。感覚の鋭敏なミモーザや、虫を食べる何種類かの花や、それから遠方の花に花粉を送るため、蜜蜂がはいつてくると、ぎゆうと頭を曲げて、花粉をふりおとす雄蕊、こんな誰でも知つている例は、まあ云わずにおこう。しかしね、君、ぼくは庭の空いたところに蔓草を植えたことがあるんだ。そしてそれが地上に頭をもたげた頃、ぼくは一ヤードほど離れたところに棒杭を立ててやつた。するとその蔓草はその方にどんどん伸びてきた。何日かたつて、それにくつつきそうになると、また棒杭を引つこ抜いて、違う位置に立てた。すると蔓草は急にコースを変え、そこから鋭角を作つて折れ曲つて、新しい位置に突進しだした。ぼくが何度もこの動作をくりかえすと、しまいには蔓草のほうで疲れて断念したものとみえて、そこからちよつと離れた、小さい木のほうへ行つて、その木にからみついた。 「また、ユーカリ樹の根というものは、湿気を求めてびつくりするほど伸びるものなのだ。これは有名な園芸家の話なのだが、一本のユーカリ樹の根が、古い下水管にはいつて、その下水管のこわれたところまで伸びた。こわれたのはそこに石垣ができたからなのだ。するとその根は石垣の隙間を見つけるとそこから侵入して向うがわに回り、それからまたもとの地点にかえつて、そこからさらに、石垣の向うがわの、下水管に頭をつつこんで伸びたと云うのだ」 「それがどうしたの?」 「この意味が君には分らないのか? 植物にも意識というものがあるのだよ。植物がものを考える証拠だ」 「かれにそれがほんとだとしても、それがどうしたと云うのだ? 植物のことを話しているのじやない、ぼくらは機械のことを話しているのだ。機械にも一部分に木を使つたのがあるが、それは生命のない木材で、まず大抵の機械は金属ばかりだ。鉱物にも思考力があるのか?」 「そんなら君は、たとえば、結晶化の現象をどう説明する?」 「どうも説明しないよ」 「君に結晶化の説明ができないのは、結晶の構成分子の間に、知的な協同作業が行われるという事実を、否定したくても、事実として認めざるをえないからだよ。兵隊が列を作つたり、誰も中にいない方陣を作つたりすると、君はそれを理性という。雁がV字形に飛ぶのを見ると、君はそれを本能という。けれども、君は鉱物の同質の粒子が水に溶解して、自由に活動して、数学的に完全な形になつたり、凍つた湿気の粒子が、均整美のある雪の塊になつたりするのを見ても、なんとも云うことができないのだ。そうした君の不合理を、おおい隠す適当な言葉でさえ、君は発見することができないのだ」  異状な興奮をしめながら、マクスンは熱心に話しつづけたが、彼の話がとぎれると、ちようどその時は彼が常から他人の入ることを許さない「研究室」と呼んでいる隣の部屋で、何者かが平手でテーブルを叩くような、妙な物音がきこえた。マクスンも私と同じように、その物音をきいたのであろう、急いで心配げに立ちあがつて、隣の部屋にかけこんだ。隣の部屋に誰かがいるのを、不審に思わずにいられなかつた私は、急にわが友に興味――いささかうしろめたい好奇心を抱くにいたつたので、さいわい鍵孔からのぞく誘惑だけはしりぞけえたが、じつと坐つて耳を澄ましていたのである。すると、なんだか押しあいへしあいしているような、雑然とした音がして床がゆれ、私の耳にたしかに誰かのあえぎと、「くそつ!」と罵る、のどをしぼる声がきこえた。しばらくすると、だがひつそりとなり、まもなくマクスンが、気の毒がるような顔で、笑いながら帰つてきた。 「急に出ていつてすまなかつた。隣の部屋に機械をおいてあるのだが、そいつが疳癪をおこして暴れだしたんだよ」  私は彼の右の頬に、四本の並行した、血のにじむ掻き傷のあるのを見て、「機械の爪を切つたらどう?」といつた。 [#ここから1段階小さな文字] (譯註=カーが「曲つた蝶番」にここを引用している。早川版六三頁) [#ここで小さな文字終わり]  云わぬでもよい私の冗談だつたが彼はそれには頓着せずもとの椅子に腰かけると、なに食わぬ顔で話をつづけた。 「君はあの人たちの説を信じないだろうが、ほら、君みたいな読書家には、名前を云う必要はないが、世の中のあらゆるものが知覚をもち、あらゆる原子が生きていて、感情や意識をもつていると説く人たち、あの人たちの説を、君は信じないだろうが、ぼくは信じている。世の中には死んで活力をもたずにいるものはない。世の中のものはなんでも生きているんだ。みな本能をもち、実際的、あるいは潜在的な力をもつている。みな周囲の同じ力に敏感で、それが関係をもつにいたるすぐれた有機体の、より高等、より精緻なもの、たとえば意志のままに改良されてきた人間という有機体なぞに接触すると、敏感にその影響をうけるのだ。そして人間の理知や目的を吸收する。その機構やその仕事が複雑であればあるほど、吸收する度が大きいのだ。 「ところで、君はハーバート・スペンサーの生命の定義を覚えているだろうか? ぼくがあれを読んだのは、もう三十年も前のことだから、その後スペンサーは、あの定義を変えたかも知らんが、ぼくはあれを一字一句も変える必要はないし、新しい文句を入れる必要もないと思う。あれは唯一つの定義で、あれ以外の定義はありえない。 「あの人はこう云つた。『生命とは、外界に共存するものや、それにつづくものと交通する、同時で、そして連続的な、各種の変化の一定の結合である』と。 「それは現象を定義しているだけで、原因を説明しちやいないね」と私はいつた。 「そりや、定義といつたらそんなものなんだ。シルが云つたように、われわれは原因は前にあり、結果は後にあるということ以外になにも知らないんだ。ある現象は違つた他の現象を必ずともない、時間的に最初のものを原因といい、後のものを結果という。兎が犬に追われるところを度々見ながら、それ以外の兎や犬を見たことのない人は、兎を犬の原因という。 「しかし」と、彼はごく自然に笑つて、「ぼくの兎は少々脱線して逃げだしたらしい。議論そのものに熱中するから脱線するのだよ。要するにぼくの云いたいのは、ハーバート・スペンサーの「生命」の定義によると、機械の動きもその中にふくまれるということなのだ。あの定義には、機械に適用できない部分はすこしもない。だから、このもつとも鋭い観察者、もつとも深いところまで行つた哲学者は、動いている人間が生きているなら、同様に動いている機械も生きていると考えたのだ。機械を発明し機械を造つた僕には、スペンサーの考えが間違つていないことがよく分る」  そう云つたあとで、マクスンは黙りこんで、放心したように煖炉の火を見つめる。おそいので私は帰りたかつた。けれども淋しい一軒家に、彼一人を残して帰るにしのびなかつた。しかもとなりの部屋には、なんだか私には分らないが、とにかく非友好的、ことによると悪意を持つているかもしれないものがいるのだ。私は体を前にかしげ、じつと彼の顔を覗きこみ、片手で隣の研究室を指さしながら、「マクスン、あの部屋に誰かいるの?」ときいた。  意外にも、彼は軽く笑つて、なんのこだわりもなくすぐに答えた。 「誰もいないよ。君が誰かいるように思つたのは、長々君に説明しているあいだ、ぼくが相手にならないで、機械が動くのをほつといたからだよ。別な話だが、君は意識というものはリズムから生れるということを知つているか?」 「そんなことはどうでもいい!」私は立ちあがつて外套をとつた。「ぼくは失礼するよ。でも云つておくが、動くままに機械をほつといたりしないで、これからはあれじや困るから、君の手袋でもはめさせておきたまえ」この皮肉の反応を見ようともしないで、私は急いで彼の家をでた。  そとは雨がふつて暗かつた。でこぼこの木片をしいた舗道をたどり、舗装せぬ泥だらけの道を横切る私の前には、ぼおつと町の灯を映した丘の上に夜空が明るかつたが、後は暗くてなにも見えず、ただマクスンの家の一つの窓から、明りが漏れているだけだつた。その明りが私には、なにか運命的と云いたいような神秘なものに思えた。それがわが友の「研究室」の、カーテンをせぬ窓であることは分つていた。おそらく、彼は機械的の意識やリズムの説明をしている間留守にしていた研究室に、また入りこんで工夫をこらしているのであろう。彼の説くところは、私には少々変てこで、いささか滑稽じみているように、その時には感じられたが、それがなんとなく、彼の生活や性格に――というより運命に、悲劇的な関係を持つもののように思われてならなかつた。もつとも、気がふれている男の妄想だなどとは、もうその時の私は考えなかつた。彼の意見がどんな目で見られようと、とにかく彼の説明に筋道が通つていることは事実なのだ。くりかえしくりかえし、私の頭に彼の最後の言葉がよみがえつた。「意識はリズムから生れる」短かい大胆な言葉だが、妙に私はそれにひきつけられた。頭によみがえるごとに、次第に意味が深くなり示唆に富む言葉のように思われた。一つの哲学の基礎がそこにあるようにも思われる。意識がリズムの産物なら、あらゆるものが運動をもち、あらゆる運動にリズムがあるから、したがつてあらゆるものが意識をもつと云えないことはない。いつたい、マクスンはこの重大な定義の意味や、この言葉の応用範囲の広さを知つているのだろうか? それとも彼は散々苦労して観察した結果、そんな哲学的信念に到達したのだろうか?  はじめマクスンの信念は、私にはうなずけなかつた。長々と説明をきいても、信ずることができなかつた。だが、そのうちタルサスのサウルのように、私は不意に大きな光にぶつかつた。そして、私は風雨と闇と孤独とのなかで、ルーイスの言葉をかりていえば「瞑想の無限の変転と興奮」を経験した。新しい知識をえたことが嬉しく、賢くなつたことが誇らしかつた。足が地を踏んでいないような、体が目に見えぬ翼で、宙に持ちあげられているような気持だつた。  思わず私が向きをかえたのは、いまやわが師、わが指導者とも思われだした彼から、もつと教えを乞いたいという衝動にかられたからだつた。そして自分でも気のつかぬまに、マクスンの家のドアの前に立つていた。雨でずぶ濡れにはなつていたが、気持がわるいとは思わなかつた。興奮していたので、ドアのベルを見つけることができず、いきなりノブを回してドアをあけ、階段をあがつて先刻まで坐つていた部屋にはいつた。部屋は静かで暗かつた。マクスンが隣の研究室にいることは初めから分つていた。闇の中で壁をさぐつて、隣の部屋のドアを捜り当てると、二三度そこを叩いてみた。返事がなかつた。私はそれを外に激しい風が猛り狂つて、横なぐりに雨を叩きつけていたので、ドアを叩く音が向うに聞えなかつたのだと解釈した。天井のない部屋の、板ぶきの屋根を、こやみなく打つ雨の音はじつさい物凄かつた。  私は研究室に案内されたことは、それまで一度もなかつた。というより、入ることを禁じられていたと云つたほうがいいかもしれない。私に限らず、誰でもそうだつた。ただ一人例外があつた。それは熟練した金属工だつたが、それがどんな男か誰も知らない。分つていることは、名前がヘーリーであることと、滅多に喋らぬ男ということだけである。気がたかぶつていたので、私は日頃の慎みを忘れて、いきなりそのドアをあけた。そこに展開されている光景を見て、私は今までの哲学的瞑想を、一時に忘れてしまつた。  小さいテーブルの上にともつている蝋燭が、その部屋のたつた一つの明りだつた。そのテーブルの正面に、顔をこちらにむけて坐つているのがマクスンで、それと反対のがわに、こちらに背をむけて、もひとりの男が坐つていた。二人は将棋盤をかこんで、勝負をしている最中なのだ。私は将棋のことはよく知らないが、盤面のこまの少ないところから判断して、勝負は終局に近づいているものと思われた。だが、マクスンの激しい注意は、将棋そのものよりも、むしろ相手の男に向つているように私には思われた。じつと彼は相手の顔に視線を集中しているので、正面にいる私に気がつかないのである。その顔は気味が悪いほど蒼白く、目はぎらぎらとダイアのように光つている。相手の男はうしろむきなので、顔を見るよしもないが、私はその男の顔にはなんの興味ももたなかつた。  その男は五フィートぐらいと推定される身長の、ゴリラみたいな体格で、背幅がばかに広く、頭は太くて短く、丸顔のうしろに黒い髪を長くたれ、赤いトルコ帽をかぶり、着ているブラウスも帽子と同じ赤い色で、腰のところでベルトをしつかりとしめ、裾は腰掛までとどいている。腰掛は箱のようなものだつたが、両足はその箱にかくれて、私のところからは見えない。左手は膝におき、右手で将棋のこまを動かしていたが、それがふつりあいに長いように思われた。  体をすくめて、戸口から脇へよつて、私は蔭に隠れるようにした。だから、かりにマクスンがその男の肩ごしに、こちらに視線をむけたとしても、ドアが開いていることに気づくだけで、私が見える心配はないのだ。私は部屋にはいる気にもなれなければ、そうかといつて、退く気にもなれなかつたが、それは、ただなんとなく、いまにも悲劇が起こりそうな気配を感じ、友を護るのを自分の義務のように考えたからであるらしい。そして盗見するという自分のふるまいに、たいしたやましさも感じないで、じつと身を潜めていた。  こまの動かしかたは速かつた。ろくに盤面を見もしないでこまを動かすマクスンの手つきは、いちずに神経質で、素早いだけで、正確さを欠き、将棋を知らぬ私にも、もつとも手近で都合のよいこまのみを、動かしているのがわかる。相手の男もすぐこまを動かしたが、手の運動はゆるく、いつも同じで、機械的で、どことなく手の動きに見えのような芝居気があるのが、私の反感をそそつた。それらすべてのものに、私は無気味なものを感じて、思わず身震いしたが、それは私が雨に濡れていて、寒さを感じていたからでもあろう。  その男は二三度、こまを動かしたあとで小頸をかしげたが、そのたびにマクスンはキングを動かした。そのうちふと私はその男が唖であることに気がついた。そのつぎに、その男が機械――将棋をさす自動人形であることに気がついた。それから、その時には半信半疑で聞いたのだつたが、かつてマクスンが、そんな機械を作つたと話したことがあるのを思い出した。彼は長々と機械の意識だの、機械の知恵だのと喋つたが、それは後《あと》になつてこの細工を見せるための、予備工作だつたのだろうか? 細工のからくりを知らぬ私が、機械の動くのを見た時の驚き、その驚きを強いものにするのが、彼のあの時の狙いだつたのだろうか?  私が有頂天になつて喜んだその喜びの正体はこんなものか? これが「瞑想の無限の変転と興奮」か! 胸くそが悪くなつて、帰ろうとしたら、またあることが、私の好奇心をとらえた。人形がじれつたそうに、大きな肩をすくめたのである。その動作があまり真に迫つて、ほんとの人間そつくりなので、人形と知つているだけに、驚かずにいられなかつた。私が驚いたのはそれだけでなかつた。次の瞬間、人形が拳をかためて、激しくテーブルを叩いたのである。これには私以上マクスンが驚いたらしい。びつくりして、彼は椅子を少しばかり後にずらせた。  つぎに彼は自分の番になると、片手を高くさしあげ、はげ鷹のような勢でその手をおろし、こまの一つを掴んで、「王手詰め!」と叫んで、腰を浮かせ、自分の椅子の後に立つた。自動人形は身動きもしない。  風はいつのまにかおさまつて、それにかわつて雷鳴が、しだいにひんぱんに、しだいに音高く轟きはじめた。その雷鳴のたえまに耳をすますと、低い機械的な唸りが、ちようど雷鳴と同じように、しだいに高くはつきりとなるのが聞えた。それは人形の体からくるもので、いくつかの車の廻転している音にちがいなかつた。それはなにかのはずみで機械が狂つて、機械の活動を制止する部分が利かなくなつた時――たとえば、追歯車の歯止めが外れた時のような音だつた。だが、いつまでもその音の性質を考えてはいられなかつた。私の注意は、自動人形の奇怪な動きに注がれた。かすかな、しかし連続的な、痙攣がはじまつた。はじめ、麻痺した人が、おこりにかかつた人のように、かすかに頭や体を震わせていたのだが、だんだんその震動を激しくしだしたと思うと、だしぬけに眼にもとまらぬ速さで、ぴよんと飛びあがり、まつすぐに両手をのばして、潜水夫が突いてかかる時のような姿勢で、テーブルとイスを躍りこえた。慌ててマクスンは身を引こうとしたが間にあわなかつた。私は恐ろしい人形が両手で彼の首を絞めるのを見た。彼は人形の手頸を握つていた。テーブルはひつくりかえり蝋燭は床に転んで消えてまつ暗になつた。暗いなかで、格闘の気配は、手に取るように聞えた。その気配のなかで、いちばん恐しかつたのは、絞められた彼が、けんめいに息をしようとして、喉を鳴らす音だつた。その無気味な音をたよりに、私が闇の中の友を救おうと、一足ほど前に進みでると、そのとたん、目が眩むほどのまぶしい光線がぱつと部屋にあふれて、床で格闘している彼らの幻影を、私の頭に、私の胸に、私の記憶に、じりじりと焼きつかせた。下※[#判読不可、9-23]なつたマクスンは、鉄の指で喉を絞められ、顎を突きだし、目をはり、大きくあけた口から舌を出している。そしてなんという対照!――描かれた殺人者の顔の表情は、いとも平穏で、さながら将棋の次の手を思案しているかのよう! 私はそれだけ見た。それから闇、そして沈黙――  三日後、私は病院で正気にかえつた。痛む頭に次第に恐しい悲劇の夜の記憶をよみがえらせた私は、枕元にマクスンの信ョしていた職工ヘーリーが坐つていることに気がついた。私の目の動きを見ると、彼は顔をのぞけて微笑した。 「話してくれ、なにもかも」と、私はかすかに、彼にいつた。 「承知しました」と彼はいつた。「火事になつた家から、救い出した時には、あなたは死んだようになつていたのです。どうしてあなたがあの家に行つていたのか、誰もしらないのです。ですから、みんな、それを知りたがつています。火事の原因も分らない。私は雷だと思うんですが」 「マクスンは?」 「きのう埋めました――焼けのこりを」  だんまりやで通つた彼も、必要な時には喋る男らしい。当夜のことを病人に話す時の彼は、そうとう愛想がよかつた。しばらく激しい精神的の苦痛を味わつたあとで、私はまたきいた。 「だれが私を救いだしてくれたの?」 「そんなこと、知りたいですか? 私です」 「有難う、ヘーリー君。君に神のめぐみがありますよう。君が作つた自動人形、発明者を殺した将棋さしの人形も、君が救い出したの?」  目をそらして、彼はしばらく黙つていたが、やがて私に顔をむけると沈んだ声で、 「あれ、知つていますか?」 「知つている。見た」  何年も昔の話である。今きかれたら、こう自信たつぷりには、答えられないかもしれない。 底本:「宝石四月号」岩谷書店    1956(昭和31)年4月10日 ※底本は新字新かなづかいです。なお拗音・促音の大書きと小書きの混在は、底本通りです。 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。