キヤンプより 三嶋章道 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)飯田《はんだ》高原 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#ここから2字下げ] /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)にこ/\ -------------------------------------------------------  私は今、九州別府から二十里の山奧、九重山の麓、海拔三千五百尺の飯田《はんだ》高原に、二百の可愛いゝ健兒等と、キヤンプ生活を樂しむでゐる。天幕より顏を出せば、一方は雲を突く山々、茫々とした岡又岡、一方には千古斧鉞の入らざる森林、泉、岩を噛むで流れる流黄の川、大瀑布、原始的な温泉なぞ――眼に餘る大自然は展開される。  この大自然の中に我々は小さな蟲のようになつてほうり出されてゐる。おゝしかし、私の小さな子供等の元氣の事よ。どれもこれもまつ黒になつて愉快に生活してゐる。朝露の中にたき木を集めて飯盒をたく子、木を切る子、歌ふ子、そして樂しい日課、夜は又子供らしい原始的な藝術的なキヤンプフアイアに團欒する子等。――私が朝露をふむで、子供等の天幕を見まはると、起きたばかりの子供の脚や腕をさすりながら、「起きろよ、起きろ、伸びをしろ」なぞと云つてゐる班長もある。こんな家庭的なシーンに私は思はずも涙ぐましくなる。  この飯田《はんだ》高原のキヤンプは流石に朝夕は寒い位の風がふく。しかし、つい先頃までやつてゐた愛知縣の岡崎市外のキヤンプはひどかつた事なぞ思ひ出す。日中は私は天幕が百十度、子供等の小天幕は百二十度三十度と上る。兵隊でも百度以上になると訓練をひかへると云ふのに、其處に來た六百の子供等は、まあなんと云ふ元氣であつたらう。日々の豫定日課はみんなその中に、にこ/\しながらやつてのけた。しかも六百人の中で風を引いた二三人の子供の他は一人の病人も出さずに豫定の一週間をおへた時、私は涙がこぼれた。――それから見ると、今のこの九州のキヤンプは避暑に來てゐるようにらくだ。  一度キヤンプをした者には、この泥の土にぢかに眠る快感や、自然と戰ふ――と云ふよりも自然の子になり切る痛快を忘れられなくなる。そして、又…と云ひたくなる一種のキヤンプ病になる。刻苦艱難にたへる爲になぞと云ふべく――スカウトはそれはそうなのだが―若人にとつてそれは餘りに樂しい生活だ。  ある新聞記者が我々のこの生活をみに來て「文化的乞食生活」と云ふ名をくれた。よそからみたらそうかもしれない。しかしこの「文化」がまだ嫌だな。先日も愛知縣の有名な人が「ボーイスカウトとやらがはじまつてお蔭でこゝにも文化の風が吹いて來ました」とお世辭のつもりで私に云つた人があつた。勿論キヤンプを見た事もない人だ。丁度あべこべを云つてゐるのだ。我々は文化からぬけ出して自然の子になりにキヤンプに來たのだのに。  どこか、人間――文明人の來ない、文化の恩澤に浴せぬ地を探しもとめて、この飯田高原まで逃げて來たに、もう、別府の龜ノ井ホテルでこの脇に文化村別莊地をつくるとか飛行機を飛ばすとか云つて文化がおつかけて來た。我我はどこまで逃げればいゝのか……。  と云ふものゝ、我々は一方に自然の子になりつゝも、一方に自然を征服して子供らしい文明的の施設開拓をして行くところ、一寸「文化」つて字もつけられるのかもしれない。バリーの「アドミラブル・クライトン」つて云ふところだなと思ふ。  都會では火も光も水も、皆、スヰツチ一つで片がつく。それらを全部兩腕でやつてゆく生活は面白い。そしてそれをまた、スヰツチ一つに兩腕でしてゆく事も又面白い。前號の「文藝春秋」に田中博士は湖畔から豪い人が出ると書いてゐられる。私は又自然から豪い人が生れると云ひたい。米國の或る教育家は「米國を背負つて立つたような各方面の豪い人は皆、田園の自然の中に育つた人か、でなければ、都會の人でも常に自然を愛して自然と親しむだ人達ばかりだ」と云つてゐる。そうかもしれない。又、『若し自分が王樣ならば』――と小アレキサンダア・ヂユマは書いてゐる。『若し自分が佛國々王であつたなら、自分は十二才以下の少年を斷然、都會へ來させないつもりである。其年齡に達するまで、彼等を戸外で生活させる。日光に曝され、野原や森林の中で、犬だの馬だのを伴侶として自然と眞向ひに對ひ合せて置かう。此は身體を強健にし、理解を敏ならしめ、靈に詩を與へ、さうして、少年の中にあらゆる文法教科書よりも、教育上、遙かに價値多い好奇心を惹き起すものである。少年は夜の靜寂と共に、亦、その物音をも解するであらう。彼等は凡ての宗教の中の最善なるもの、即ち神が、自ら、その日毎の奇蹟の榮光ある姿に於いて啓示する宗教を有つであらう。さうして、十二才になれば、強い、高尚な精神を有つた、さうして理解力に充ちた少年となつて初めて組織的の教育を受け容るる事が出來るであらう。元來、組織的の教育はかゝる時期に至つて甫めて授けられるべきである。爾後、四五年を以つてその効果は完成せられるゝのである。――少年にとつて不幸にも、但し佛國にとつて幸にも、自分は國王とならなかつた。それで自分の爲し得る事は單に忠言を與へ、途を暗示するに止まつてゐる。その途は――兒量に對しては、その生涯の第一歩に體育を施せと云ふ事である』と。  ヂユマフイスは十二才以下と云ふが、私の子供等は皆十二才以上だ。私は我々のこの生活は十二才以上でないと堪え得ないと思ふ。そしてその位の子にいろ/\工夫させて自然征服や觀察推理の頭を發達させるのが面白いのである。都會の子には短かいかゝる生活も頭にも體にも隨分と役に立つ。田舍の子には寶の山に居りながらそれを利用して樂しく遊びつゝ自然征服や觀察を發達させる方法を空しく知らないで過さずにすむ。  日本で一般に今迄もキヤンプ生活はかなりされた。しかしその多くは山登りの爲や、戰爭の爲めや、測量の爲め等で、「キヤンプの爲のキヤンプ生活」は非常に少なかつた。今でも少い。  しかしキヤンプの本統の味は、キヤンプの爲のキヤンプ生活をしなくては、そして仲のいゝグループでしなければわからない。  山登りのキヤンプはどこまでも、山登りのためのキヤンプで、登ることが主でキヤンプは從であるからその本統の味はわからない。  最近、キヤンプが流行する。これは喜んでいゝのか、悲しんでいゝのか、私は一寸わからない、なぜなら、キヤンプと云ふものを知らないでキヤンプする人々が十中八九だからである。  馬鹿に金をかけた贅澤なキヤンプ――これではキヤンプの味はわからない。――  それから一番いけないのはキヤンプ道コを考へないキヤンプである。それは公衆道コや禮儀を知らないで社會に住むようなものだ――。それから、キヤンプ衞生を知らぬキヤンプ生活。放縱。無規律。無節制。見るにたへないだらしなさ。これらのキヤンプは流行する事は、かへつてキヤンプが流行しないほうがどんなにいゝかしれはしない事だ。前號田中博士が、湖沼を營業者なぞが破壞するのをなげいてゐられるが、私はこれをそれ以上にかへつてそれをやる人がわからずにするため、そして又多くの俗人が、キヤンプ地を破壞しキヤンプ其ものを傷つける事を慣慨してやまないものゝ一人である。  こゝまで書いて來て、今や、私は、もう私の可愛いゝ子供等と遊ばねばならぬ時間になつた。下界から離れ、凡て下界と交渉をたつたこの生活も、時間だけは下界と同じで、そして下界以上に嚴格である。私は筆をすてなければならない。 [#ここから2字下げ] (大分縣玖珠郡飯田高原、日本スカウトキヤンプ地) [#ここで字下げ終わり] 底本:「文藝春秋 十月號」文藝春秋社    1926(大正15)年10月1日発行 ※底本は、作者名について目次では「三島章道」、本文では「三嶋章道」としています。 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。