熊の皮を着た男 グリム兄弟 Bruder Grimm 矢崎源九郎訳 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)兵隊《へいたい》に -------------------------------------------------------  昔 むかし、ひとりの若い男がいました。若者は兵隊《へいたい》になって、勇《いさ》ましく戦いました。弾《たま》が雨のように飛んできても、いつも、まっ先にたって進みました。戦争《せんそう》が続《つづ》いているあいだは、なにもかもうまくいきました。ところが、戦争が終わって平和になると、若者はひまをだされました。 「どこへでも、おまえの好きなところへ行くがいい。」と、隊長は若者に言いました。  けれども、若者の父親も母親も死んで、この世にはいないのです。帰る家がありません。  そこで、若者は兄さんたちのところへ行って、 「また戦争がはじまるまでいさせてくれて、食べさせてください。」と、たのみました。  ところが、兄さんたちは情《なさ》けしらずです。 「おいおい。いったい、どうしろというんだ。おまえなんかなんの役にもたたないじゃないか。まあ、自分でなんとかやっていくんだな。」と、こう言うのです。  兵隊は鉄砲《てっぽう》のほかにはなんにも持っていませんでした。そこで、鉄砲をかついで広い世の中へでていくことにしました。やがて、兵隊は大きな荒《あ》れ野原にやってきました。どこを見まわしてもなんにもありません。ただ、まわりに木がはえているばかりです。兵隊はすっかり悲しくなって、木の下に腰《こし》をおろしました。そして、これから先のことを考えました。 (おれには金《かね》はないし、覚《おぼ》えたことといえば戦《いくさ》をすることだけだ。ところが、今は平和な世の中になってしまった。おれなんかを使ってくれる人はだれもいない。このままでは腹《はら》をすかして死ぬよりほかはない。)  こんなことを考えていると、急に、ザワザワという音がしました。あたりを見まわすと、見たこともない男が目のまえに立っています。緑色の上着を着て、とてもりっぱそうなようすをしています。ところが、足だけはいやらしい馬の足をしています。 「おまえはなにかがなくて困《こま》っているんだろう。わしはちゃんと知っているぞ。」 と、男は言いました。そして、言葉を続けました。 「わしがおまえに金をやるよ。それも、ちょっとやそっとじゃ使いきれんくらいの金をな。だが、そのまえに、おまえがなにもこわがらん人間かどうか、試《ため》してみなけりゃならん。わしのやった金がむだになってはつまらんからな。」 「兵隊がこわがるもんかい。まあ、試してみな。」と、兵隊は答えました。 「ようし、うしろを見るがいい。」と、男は言いました。  兵隊《へいたい》はふり向いて見ました。と、一頭の大きな熊がうなりながら、自分めがけて走ってくるではありませんか。 「ほほう。きさまの鼻づらをくすぐって、二度とうなる気がなくなるようにしてやらあ。」 と、兵隊は大声で言いました。そして、ねらいを定《さだ》めて、ズドンと熊の鼻先を撃《う》ちぬきました。熊はどっと倒《たお》れて、それなり、動かなくなってしまいました。 「なるほど。おまえは勇気のある男だな。だが、もうひとつ約束しておいてもらわねばならんことがある。それを、ちゃんとやってくれなきゃいかんのだ。」 と、見たこともない男は言いました。 「おれが天国へいくのに、差しつかえになるようなことでさえなければ、承知《しょうち》だ。だけど、さまたげになるようなことだったら、ごめんだぜ。」 と、兵隊は、自分のまえにいる男がだれだか気がついたものですから、こう言いました。  すると、その緑色の上着を着た男は言いました。 「それは、今にひとりでにわかるさ。これから七年のあいだ、おまえは体を洗ってはいかん。ひげもそってはいかん。髪《かみ》の毛をとかしてもいかん。爪《つめ》も切ってはいかん。神さまに祈《いの》ってもいかん。それから、上着とマントをやるから、七年のあいだじゅう、ずっとそれを着ていなければいかん。  もし、おまえが七年のあいだに死んでしまえば、おまえはわしのものになる。だが、もし生きていればおまえは自由になって、そのうえ、一生《いっしょう》金持ちでいられるのだ。」  兵隊は、(おれは今、とても困《こま》っている。それに今までにだって、何度も死ぬようなめにあってきているんだ。ようし、こんども思いきってやってみよう。)こう考えて、承知しました。  悪魔《あくま》は緑色の上着を脱《ぬ》いで兵隊にわたしました。そして言いました。 「この上着を着てポケットに手をつっこめば、いつでも金《かね》がひとつかみ手ににぎれるぞ。」  それから、悪魔は熊の皮をはぎとって言いました。 「これがおまえのマントで、そして寝床《ねどこ》になるんだ。おまえは必《かなら》ずこの上で寝なさい。ほかの寝床で寝てはいかんよ。おまえはこのマントを着るんだから、これからは熊皮男という名前にするんだな。」こう言い終わると、悪魔の姿《すがた》は消えてしまいました。  兵隊はその上着を着て、すぐにポケットに手をつっこんでみました。たしかに悪魔の言ったとおりです。それから兵隊は熊の皮を着て、世の中にでていきました。いい気持ちになって、なんでも好きなことをいくらでもお金を使ってやりました。  最初の年は、どうにかこうにかがまんができました。ところが二年目になると、もうお化《ば》けみたいです。髪の毛はほとんど顔じゅうにかぶさりました。ひげときたらまるで荒《あら》い毛織《もうせん》の切れっぱしみたいでした。指の爪はけものの爪のようでした。それに顔は垢《あか》だらけです。もしも、からしの種《たね》でもまけば芽《め》がでたかもしれませんよ。  熊皮男をひと目見ると、みんな、逃げていってしまいました。でも、泊《と》まるところには困《こま》りませんでした。というのは、「わたしが七年のあいだ死なないように、わたしにかわって神さまに祈《いの》ってください。」と、言っては、貧《まず》しい人たちにお金をやったり、なにかにつけてたっぷりお金を払《はら》っていたからです。  四年目のことです。熊皮男はある宿屋《やどや》にやってきました。ところが、宿屋の主人はどうしても泊めてくれないのです。熊皮男は、「馬屋でもけっこうです。」と、言いました。でも、主人は、「馬がびっくりすると困るからね。」と、言って、馬屋のすみにも入れてくれませんでした。  けれども、熊皮男がポケットに手をつっこんで、金貨をひとつかみ取りだすと、主人のようすはすっかり変わりました。すぐに裏側《うらがわ》の部屋を貸《か》してくれたのです。でも、主人は、 「この宿屋に悪いうわさがたつと困るから、人に姿《すがた》を見られないように。」と、言いわたしました。  ある晩《ばん》のこと、熊皮男はたったひとりですわっていました。 (ああ、早く七年たってくれないかなあ。)と、心の底から思っていました。  すると、隣《とな》りの部屋から大きな泣き声が聞こえてきました。熊皮男は心のやさしい男でしたから、すぐに戸をあけてみました。見ると、ひとりのおじいさんが頭を抱《かか》えこんで、おいおい泣いていました。熊皮男がそばへ行くと、おじいさんはとびあがって逃《に》げだそうとしました。けれども、人間の声を耳にすると、おじいさんはやっと落ちつきました。熊皮男はおじいさんをやさしくなぐさめました。それで、おじいさんも悲しんでいるわけを打ちあけました。 「わたくしは財産《ざいさん》をだんだんに使ってしまって、今では、わたくしも娘たちもひどく貧乏《びんぼう》して、困《こま》っております。この宿屋《やどや》の主人にお金を払《はら》うこともできませんから、今にきっと、牢屋《ろうや》に入れられてしまうでしょう。」と、言うのです。 「それだけのことが心配でしたら、お金はわたしがいくらでも持っていますよ。」 と、熊皮男は言いました。それから、主人を呼《よ》んで、おじいさんのかわりにお金を払ってやりました。そればかりではありません。金貨のいっぱいつまった財布《さいふ》を、この気の毒なおじいさんのポケットに押《お》しこんでやりました。おじいさんはこれで心配ごとがなくなりました。でも、このお礼を、どういうふうにしたらいいのかわかりません。 「わたくしといっしょに、きてください。わたくしの娘たちはびっくりするくらいきれいです。中のひとりを選んであなたのお嫁《よめ》さんになさってください。娘たちも、あなたがしてくださったことを聞きましたら、いやだとは申しますまい。なるほど、あなたはちょいとばかり、おかしなようすをしていらっしゃいます。でも、娘がきっと、あなたを普通《ふつう》の人のようにしてあげるでしょう。」と、言いました。  熊皮男はおじいさんの言うことがとても気にいりました。それで、いっしょに行くことにしました。ところが、いちばん上の娘は熊皮男の顔を見ると、びっくりぎょうてん。きゃっ、と叫《さけ》んで、逃げていってしまいました。  二番目の娘は逃げはしませんでした。立ちどまって、熊皮男を頭のてっぺんから足のつま先まで、じろじろ見ていました。が、やがて、こう言いました。 「人間の姿《すがた》もしていないような人を、だんなさんになんかできやしないわ。いつか、ほら、ここへきて、人間だと言っていた熊がいたでしょ。あのひげをそった熊のほうがこの人よりはよっぽどいいわ。あの熊はそれに毛皮の帽子《ぼうし》をかぶって、白い手袋《てぶくろ》をはめていたもの。いやらしいことはいやらしくっても、まだ、あっちの熊のほうが好きになれそうな気がするわ。」  けれども、いちばん下の娘は言いました。 「お父さん。この方《かた》は、お父さんが困っているのを助けてくださったんですから、きっと、いい人にちがいありません。お父さんが、そのお礼にお嫁さんをあげるとおっしゃったんなら、その約束はちゃんと守らなければいけませんわ。」  残念《ざんねん》なことに、熊皮男の顔は見えませんでした。垢《あか》だらけで、そのうえに髪(かみ》の毛がかぶさっていたからです。もしも見えたとしたら、いまの言葉を聞いてにこにこ笑ったのが見えたことでしょう。  熊皮男は自分の指から指輪をぬきとりました。そして、それをふたつに割《わ》り、一方を娘にわたして、もう一方は自分がとっておきました。それから、娘にやったほうの半分には自分の名前を書き、自分のとっておくほうの半分には娘の名前を書きました。そして、 「その指輪の半分を、だいじにとっておいてください。」と、娘にたのみました。  それから、お別れのあいさつをして、こう言いました。 「わたしはこれからまだ三年のあいだ、旅をして歩かなければなりません。もし、わたしがもどってこなかったら、わたしは死んだんですから、あなたは好きなようにしてください。でも、わたしの命があるように、どうか、神さまに祈《いの》っていてください。」  かわいそうに、いいなずけの娘は黒い着物を着ました。おむこさんになる人のことを考えると、いつも目に涙《なみだ》が浮《う》かんできました。姉さんたちは妹をばかにして、からかってばかりいました。 「気をおつけ。おまえが手を差しだしたりすれば、あいつに前足でひっぱたかれるからね。」と、いちばん上の姉さんは言いました。 「気をおつけ。熊は甘《あま》いものが好きだから、もし気にいられでもすれば、ぺろっと、食べられちまうよ。」と、二番目の姉さんが言いました。 「おまえは、いつも、あいつの言うとおりにしていなきゃいけないよ。でないと、あいつ、ウーウー、うなりだすからね。」と、また、いちばん上の姉さんが言いました。  すると、二番目の姉さんも、そのあとに続《つづ》けて言いました。 「でも、ご婚礼《こんれい》のときはおもしろいだろうね。熊って踊《おど》りがうまいんだもの。」  それでも、いいなずけの娘はじっと黙《だま》っていました。そして、すこしも心を動かされませんでした。  一方、熊皮男は、それからも、あちこちと世の中を歩きまわりました。そして、できるだけ、よいことをしました。貧《まず》しい人たちにはうんとお金をやって、自分のために祈ってもらいました。こうして、とうとう、七年がたちました。  最後の日の朝になりました。熊皮男はいつかの荒《あ》れ野原に行って、ぐるりと木が植わっている下にすわりました。まもなく、風がザワザワ吹《ふ》きはじめました。と、思うまもなく、悪魔《あくま》が目のまえに現《あらわ》れました。そして、しゃくにさわったような顔をして兵隊《へいたい》を見ました。  悪魔は古い上着を兵隊に投げ返しました。そして、 「おい。その緑色の上着を返せ。」と、言いました。 「まだ返すわけにはいかんよ。まず、おれの体をきれいにしてくれ。」 と、熊皮男は言いました。そこで、悪魔はいやいやながら水をくんできて、熊皮男の体を洗ってやりました。それから、髪《かみ》の毛をとかし爪《つめ》も切ってやりました。さて、こうなってみると、熊皮男はいかにも勇《いさ》ましい軍人《ぐんじん》です。それに、まえよりもずっと男っぷりもよくなりました。  さいわい、悪魔《あくま》は行ってしまいました。これで、熊皮男は気持ちがすっかり軽くなりました。そこで、町へ行って、まず、りっぱなビロードの上着を着ました。それから、四頭の白い馬に引かれた馬車に乗って、いいなずけの娘の家に行きました。  でも、これが熊皮男だとはだれも気がつきません。父親は身分《みぶん》の高い武将《ぶしょう》だと思いこんで、娘たちのいる部屋へ案内しました。熊皮男はふたりの姉さんたちのあいだにすわらされました。姉さんたちは、しきりに、ぶどう酒をついだり、すばらしいごちそうをすすめたりしました。ふたりとも、お腹《なか》の中で、(こんなりっぱな男は、見たことがないわ。)と、思っていました。  ところが、いいなずけの娘は黒い着物を着て、熊皮男の向こう側にすわっていました。下を向いたきりで、ひと言《こと》も口をききません。やがて、熊皮男は父親に向かって言いました。 「娘さんのひとりを、わたしの嫁《よめ》にくださいませんか。」  それを聞くと、ふたりの姉さんはとびあがって、大急ぎで自分の部屋に駆《か》けこみました。ふたりとも、りっぱな着物に着かえようと思ったのです。なぜって、どちらも、自分こそお嫁さんになれるものとうぬぼれていたからです。  さて、お客は、いいなずけの娘とふたりきりになりました。そこで、いつかの指輪の半分を取りだして、それをぶどう酒のはいっているコップの中に落としました。そして、そのコップを、テーブル越《ご》しに娘に差しだしました。  娘はコップを受けとって、ぶどう酒を飲みほしました。と、どうでしょう。コップの底に、指輪の半分がころがっているではありませんか。とたんに、胸《むね》がどきどきしてきました。そして、リボンに結《むす》んで首にかけていた自分の指輪を取りだして、それに合わせてみました。すると、そのふたつはぴったりと合いました。それを見て、お客は言いました。 「わたしは、おまえのいいなずけだよ。まえには熊の皮を着ていたけれど、いまは神さまのお恵《めぐ》みで、人間の姿《すがた》にもどれたんだ。そして、もとのとおり、きれいな体になれたんだよ。」  それから、熊皮男は娘のそばに行き、娘を抱《だ》いてキスしました。  そうしているところへ、ふたりの姉さんが思いっきりおしゃれをしてはいってきました。ところが、りっぱな男は、いちばん下の妹のものになっているではありませんか。おまけに、この男こそ、いつかの熊皮男だというのです。  姉さんたちはかんかんに怒《おこ》って、外へとびだしました。そして、ひとりは井戸へとびこんで、おぼれて死にました。もうひとりは木に首をくくって、死んでしまいました。  夕方、だれかが戸をトントンと、たたきました。おむこさんが戸をあけてみると、緑色の上着を着た悪魔が立っていました。悪魔は言いました。 「どうだい。おまえの魂《たましい》ひとつをもらうかわりに、ふたつの魂がおれのものになったぞ。」 底本:「グリムの昔話(3)森の道編」童話館出版    2001(平成13年)年4月10日 第1刷    2019(平成31年)年3月20日 第15刷 底本の親本:「グリム童話全集」実業之日本社 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。