建設列車 木内高音 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)驛《うまや》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)(|beaten track《ビートン トラック》) [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)あんこ[#「あんこ」に傍点] ------------------------------------------------------- 「今日は、鉄橋を渡るよ」 「昨日トンネルをでたばかりじゃないか、そんなに早く来るもんかい」 「来るさ」 「来ないよ」 「いって見りゃわかるよ」  ワイワイさわいでいる中に、昼すぎの授業がはじまりましたが、みんなは、今までのはなしのつづきで胸がワクワクしているので、先生のおっしゃることがまるで耳へはいりません。  それは綴方の時間でした。  先生は、みんなのざわついているのをごらんになると、 「どうしたんだ。いやにおちつかないじゃないか」とおっしゃりながら級長の信一の顔を見て「どうしたんだ、何かあったのかい」 「はあ、二号が今日どこまでくるかって、問題になっているんです」 「二号?」先生は腑におちない顔をなさいました。 「二号機関車のことなんです」 「建設列車のことなんです」  信一の答えをまたずに、級中のものがほとんど一せいに、われがちにさけびました。  先生は、なるほどわかったという顔つきで黙ってうなずいていらっしゃいましたが、それをみると生徒たちはますます調子づいて、 「先生、今日は二号が町へはいるんです」 「鉄橋をわたるんです」  と、なおもやかましくさわぎたてるのでした。  生徒たちは五年の男生で、先生は三年からずっと受けもっていらしった千野先生というまだ若い先生でした。先生は、なおしばらくだまっていらっしゃいましたが、急に決心したという様子で、 「それじゃあ今日は、汽車をみにいこう」ときっぱりとおっしゃいました。「今からすぐに……戸外授業ということにしよう」  みんなは大よろこびで、手をたたくものもあれば、ばんざいというものもあり、中には立ち上って二度も三度も飛び上るものもありました。机のふたを両手でバタバタとたたいたのは馬太郎というチビのくせに一等年からの子でした。 「しずかにしずかに」  信一は一生けんめいに、みんなをおちつかせようとしました。  初夏の晴れわたった日です。  千野先生は、二列縦隊のわきについて、先頭からちょっと下って歩きながら、 「道がいいと、幸福を感じるな」  と、半ばひとりごとのようにおっしゃいました。  全くついこの間までは雪どけのぬかるみで、ゴム長が泥にすいとられて、すぽっと足からぬけるようなありさまでした。ほんとに、北の国の雪どけ時分の道のわるさといったら、そこでくらした人でないと考えも及ばないでしょう。車の輪は半分以上も埋り、馬の腹帯も泥によごれるほどです。自転車などはのるものでなく、あべこべに人間の肩にのって歩くものになってしまいます。……それが日ましに暖かになるにつれて、黒いあんこ[#「あんこ」に傍点]のような泥が毎日少しずつ乾いて白い道になっていくころのたのしさといったらありません。子どもたちが下駄箱の奥へしまいこんでおいた去年のぞおりや運動ぐつを思いだしさがしだしてはいてみるのも、そのころのことです。 「道というものはね」と千野先生は話しだしそうにしましたが、ふいと調子をかえて、「その前にみんなにききたいな。道というものは、だれが作りだしたものか。……人間か、鳥か、けものか?」 「人間です」 「人間です」 「みんな人間か……そうかなあ」  先生は考えぶかそうにぐるっとひとまわり一同を見まわしながらおっしゃいました。すると一ばんうしろにいる馬太郎が手をあげているのが目にはいりました。といっても、年は高等科と同じくらいなのに組中で一ばんチビの馬太郎ですから、手のさきが見えただけです。それにしても、教室であったに手をあげたことのない馬太郎だけに、よくよくのことがあるのでしょう。先生に名前をよばれると、 「馬です」 「え、どうして」 「でも馬道といいます」馬太郎は柄になく赤い顔をしなからつづけました。「ぼくの生れたところは東京の浅草の馬道なんです。……それでぼくの名前は馬太郎っていうんです」  これは初めてきいた、と同級生一同はふり返って今さららしく耳の大きい馬太郎の兎のような顔をのぞきこもうとするのでした。馬太郎という珍らしい名まえの由来がわかってみると、ふしぎでも何でもなく、馬太郎の転校以来、なにかにつけてこの名まえのために馬太郎を不当にけいべつして来たことについて、みんなは多少ともわるかったなという気もちになるのでした。 「ああそうか」先生はひとりでにこみあげてくる笑いをおさえながら「なるほど、馬太郎君のおじいさんは、東京の有名な役者だったんだってね。……それはそうと道のはじまりは、君のいうように、ことによると馬だったかもしれないよ。先生がこの間よんだ本にこうかいてあった。  ヨーロッパや北アメリカでは、人間が最初にふんだ道は、もと、けものが水や牧草を求めて歩いた道だ。北アメリカの草原で水牛や野牛の通ったあとがインディアンや開拓者(というのは、初めて土地を開こんした人のことで、ここではアメリカ人の先祖のことだ)……そういう人たちの足でふまれ、だんだんに発達して最後に今の鉄道になったのだ、というんだね。……つまり人間の前に動物が道を作ったという説なんだ」  先生のおはなしは、まだまだつづきます。 「日本には、昔から、そま[#「そま」に傍点]道などということばがある。そま[#「そま」に傍点]というのはきこりのことだがね、そのそま[#「そま」に傍点]が草や木をふみわけて歩いたあとが、ひとりでに道になったのをそういうんだ。……りょうしになると、けものの歩いたあとをめっけてあるく。鹿みちなんてのは、そういうのをいうんだろうな。馬太郎君の生れた馬道になるともう大分すすんだもので、江戸時代に宿場のある街道をいったもんだろう。宿場というのは、馬や人夫のたまり場のことで、汽車も自動車もなかったじぶんには、長い旅をする人は、馬にのり、宿場ごとに馬をのりかえたり人夫を交代させたりしてのりついでいったものなんだ。その宿場のことを驛《うまや》ともいったので、今の鉄道の駅《えき》はそれをあてはめたんだろう。つまり、のったり下りたりする停車場は、ちょうど昔の宿場にあたるというわけさ。――少し話が横道にそれたが、道のはじまりは、今まで話したところから考えてみると、初めは、けものが、それから人がふみならしてできたらしい。そうすると、今でもそういう、ひとりでにでき上った道の見本がそこいらにあるね……わかった人?」  こんどは己之吉が手をあげました。 「今日はめずらしい手が上るな。よし、土屋」 「ハイ、もとの家の疎開あとにあります。畑にしているんですが、みんなそこを近道してつっきるもんで道になっちゃったんです、いくらなわをはってもダメなんです。歩いたあとは固くなって困っちゃうんです」 「アハヽヽそいつだ、人間はよくよく近道がすきだとみえるねえ」先生はしばらく笑いがとまらないようでしたが、「土屋のもとの家っていうと、四ツ角のソバ屋だろう。四ツ角のすみが空地になってるもんだから、みんな一ばん短かい、三角形の一辺をつっきってしまうというわけだ。英語には、ああいうのを、ふみ馴らした道(|beaten track《ビートン トラック》)ということばがちゃんとある」  いつの間にか、バラバラながら家並のある町通りを通りすぎ、町はずれの田や畑の間の道にさしかかっていました。大川の水音もきこえて来たようです。 「道のはじまりは、そのくらいにしておいて、こんどは、この今歩いている道のことを考えてみよう。……道は人間のつくったものだけれど、なかなか人間の好きなようにばかりはつくれないものなんだよ。ほら、この道にしたってそうだろう。まっすぐの方が近いにきまっているんだが、川にじゃまされて、こんなに曲りくねっているんだが、川といえば、川そのものが、水の道であるわけだね、しかし、川だって水の思う通りには、というのは、まっすぐにという意味だが、流れてはいない。なぜだろう……この答えはかんたんだ。じゃまものがあるからさ、固い岩や、木の根ッこなんかはよけて通る」  道はいよいよ川ぞいになり、向うに大橋が見えて来ました。大橋の向うには、例の鉄橋が一だん高くチョコレートいろのすがたを現わしました。 「あの大橋だってそうだ。川向うへわたるためなら、ここからすぐ橋をかけた方がよっぽど近いんだけど、川幅や水流のかんけいで、あすこの方が安全で工事もらくだからあんな川下へもっていったのさ。……つまり、道も橋も、ある程度自然の力にひきずられているというわけだ。あんなにひろい、何のじゃまものもないように見える空の道だってそうだろう。気流のわるいところは、飛行機もよけて通らなきゃならないからね」  ちょうど先生がそうおっしゃったときに、左手の山の端から飛行機が一台あらわれて、わあッという間に頭の上を飛び去りました。一同は、それを目で追っていたので、自分たちが、もう大橋のたもとへさしかかったのに気がつかないくらいでした。  橋の上は、きれいにかわいているので、みんないい気もちで、どんどんと足をふみならしました。 「休め」先生の声です。「みんな、下の水を見てごらん」  一同は先を争うようにして、らんかんに走りより、雪どけのにごった水を見おろしました。ココア色の水が川幅一ぱいに盛り上って勢よく流れています。 「ああ橋がぐんぐん向うへいくようだ」 「らくちんらくちん、まるで船にのってるみたい」  みんなが、おもしろがってはしゃいでいると、 「水が動いているのか、橋が動いているのか」  先生がふいに、しかも妙なことを言いだしたので、一時はみんな、ぽかんとしてしまいました。 「水です、先生」  しばらくして一人がいうと、何といっていいのか、先生は本気なのか、ふざけているのかと、迷っていた連中が、一しょになって、水です水ですと口をそろえてさけびました。 「だけど、こうやって水をみていると、橋がぐんぐん川上へ動いているじゃあないか」  先生はおっしゃいました。 「だって、先生、それは水が動いているから、そういう気がするんでしょう」  ひとりが言いました。 「それはそうさ、感じだけからいえば、錯覚というのかも知れない。しかし、水にたいしては橋は動いているとも考えられる。ね、そう考えてもさしつかえないだろう。わからないかね。……では、この橋の下がたまり水だったとしたらどうだ。水にたいして橋は動かない、橋にたいしても水は動かない。ところが、今、この橋の下の水は流れている。だから、橋と水とのかんけいは動いている……橋が動いているというのは、川の水とならべてみると動いているということなんだよ。水がじっとしていれば橋もじっとしている、水が流れれば橋も流れる。――大水で橋が流れるときとはわけがちがうよ、水にうかんで流れる橋は、水と一しょに動いているんで、水と橋とのかんけいは動いちゃあいない」  生徒は、二三人のほかは、ほとんどみんながキョトンとしたような顔をしています。 「少しむずかしかったかな」千野先生は困ったような顔をして笑いながら「橋と水との関係ということがわかればいいんだよ。水の立場、橋の立場と両方の立場があるということと、流れる水の立場から考えれば、橋も動いているということがのみこめればいいんだよ――さあいこう、進め」  二号機関車は、ちょうどにトンネルを出てくるところでした。  枕木やレールをつんだ無蓋貨車の後押しをしている二号は、しいてあるレールのありったけのところまで先頭の貨車がさしかかると、しずかに止りました。それから、つんで来た枕木を下し、それを並べた上へレールをおろすと、工手たちが手早くレールを枕木へ太い犬釘でうちつけはじめました。つんで来ただけのレールが、こうして枕木にしっかりとうちつけられると、二号はポーッと汽笛をならして、今できたばかりの線路の上をしずかに前進するのでした。つまり、自分の運んで来た材料で線路をつくっては、その上をためしに歩いてみるというわけです。ちょうどに今日は、鉄橋にたどりついたものですから、建設列車はそろそろと鉄橋をわたりはじめました。  橋の上には、もうせんに、ちゃんとレールがとりつけてあったのです。 「やあい、鉄橋をわたるぞう」  さっき学校で、鉄橋をわたるといいはった子どもたちは得意で勝ちほこったような声をあげました。しかし鉄橋のこっちがわにはまだレールがなかったので、二号機関車は、またしずかに、もと来た方へ後じさりをしてかえりはじめました。 「わたりゃしないよ、半分わたったきりだい」 「半分でもわたれば、わたったんだよう」 「半分わたったんだから、あいこだ、勝負なし、あずかりってことにしようか」  信一がいったので、みんなは、どっと笑って、それでけり[#「けり」に傍点]がつきました。 「さあ、これで気がすんだろう、じゃあ、そろそろかえろう」  と、千野先生は来たときと同じような位置について歩きながら、 「さっきの道の話のつづきだ」といって次のような話をはじめました。 「同じ道でも鉄道となると、自然の力に対して人間の力がぐっと強くなって来ていることがわかるだろう。山でも川でも、じゃまなものがあれば、トンネルをほったり鉄橋をかけたりして、どんどん一ばん近い道を通してしまう。それでもやっぱり自然の力にはなかなか勝てないな、同じ山ぎわを通すんでも南むきの日あたりのいい方をえらぶことにしている。ね、ここもそうだろう。なぜ日当りをえらぶかって。それは、秋の終りから冬にかけて、レールの下の土が氷って霜柱がレールを持ち上げることがあるからだ。そういう霜柱のいたずらを学者は「凍上」といっているがね、日が当ると当らないじゃあ、雪のつもり方やとけ方だってずいぶんちがうからね、スキーが一ばん早くから一ばんおそくまでできる場所をみればよくわかるだろう」 「そのほかに、山や川なんかの地勢ばかりでなく、自分勝手な人間の欲が、線路をやたらにひっぱりまわし、必要以上に曲りくねらせてしまうこともあるんだよ」 「ひっぱりまわすって、先生、どうやってひっぱるんですか」 「ハハハハ、まさか綱をつけてひっぱるわけでもないさ。――そうだね、どういうふうに説明したらよくわかるかな。先ず第一に鉄道ができて停車場でもできると便利になるからその近所の土地のねだんが上るだろう。だから自分のもっている土地の近くへ停車場を立ててもらいたいとか、その反対に、自分の畑の中へ線路を通されちゃあ困るとか、そういった自分たちの損得からわりだして、鉄道敷設のうばい合いやら、押しつけっこをする人たちがあるんだ。それで、初めの、国のかんがえ通りにはなかなかいかなくて、見す見す国の損になるとわかっていながら、むだなまわり道をしたり、とんでもない山の中に停車場ができたりするんだよ。……困ったものさ」  しまいの方は、ひとりごとのように言って先生はしばらくことばをとぎらせました。生徒たちも何というわけもなく黙りこんで歩いている中に、いつの間にか学校の門が目の前にあるので、びっくりしました。 「今日は、これでおしまいにしよう」先生は教室へはいるとおっしゃいました。 「どうだ、おもしろかったか」 「おもしろかったです」 「またやって下さい」  みんなが口をそろえて言いますと、先生は笑いながら、 「そのかわり、今日はなしたことを、みんなもう一度よく考え直してみて、整理しておくんだな、そうして、この次の綴方の時間に書いてもらうことにしよう」  そのとき黒ばんのわきの戸が開いて小使さんがはいってきました。先生は、小使さんのもってきた紙きれをごらんになると「よし、いま、すぐでいい」とおっしゃいました。それから生徒の方へむき直ると、 「これからみんなにひきあわせる人がある。それは今日から、この組のひとりになる」と言いかけて、ちょっとさっきの紙きれを見て、 「黒谷仙太君という少年だ。年は君たちより二つ三つ上だが、ああちょうど馬太郎君とおない年だ……気の毒なわけがあって学校は少しおくれている。くわしいことはだんだんにわかってくるだろうから、今はいわないが、しんせつにいたわってあげなくてはいけない。……これで、この組には年上の兄さんが二人になったわけだ。馬太郎君がきたのは、去年だったかな、おととしだったかな……」  と、ちょっとことばをとぎらせたとたんに戸があいて一人の少年がはいって来ました。  仙太にちがいありません。先生の紹介がなくたって、胸の白い布にかいてある名まえで誰にでもすぐわかります。その字が、よめなかったものが、たったひとりありました。それは、写真屋の子の高木でした。それだって実は高木のひどい近眼のせいだったのですから、これは例外です。  仙太は、じつに、ふしぎな上衣《うわぎ》をきていました。いろのさめた黒ラシャの服の胸一めんにくろぐろとあばら骨のようなもようがついているのです。しかし、もようといっても、その黒いすじは、そこだけ、もとの地色が残っているものらしく、よくみると、何かをはぎとったあとだということがわかります。  まったく、そのとうりなので、これは日露戦争に従軍したことのある、おじいさんの、近衛歩兵上等兵正装のお下りなので、もようのように見えるのは、肋骨という胸かざりの編み紐をとりのけたあとなのでした。  仙太は不仕合せな身の上で、物心つくとから[#「つくとから」はママ]おじいさんとたった二人でくらして来たのです。  しかし、いくら大好きなおじいさんのお下りでも、この服ばかりは仙太にとってあんまりありがたいものではありませんでした。でも「ほかに着るものがないんだから」と言われて見れば、仙太は、すなおに、がまんするよりほかにありません。袖は、おじいさんが切りつめてくれたので、腕章のあとはなくなりましたが肋骨のあとだけはどうにもなりません。仙太はときどき、そのあとを指のさきでこすってみるのでしたが、全たいが赤茶けた中に四十年前の地色をそのままに真新しく黒々と残ったすじは、どうして中々消えるものではありません。  それで、今も大ぜいの生徒の前に立つと、ひとりでに指さきが動いて胸のあたりをなでまわすのでした。  仙太は、馬太郎と並んでいつの間にか、五年男子組の中で二人の人気ものになってしまいました。  チビで気のきいた役者の子の馬太郎と、大男でのっそりした炭焼の子の仙太とは大と小、黒と白というほどにあざやかな取り組みで、黒ちゃん、白ちゃんと、今ではそれぞれのひいきができているほどでした。  馬太郎がこの町へ来たのは一昨年の秋でした。河原崎一座という田舎まわりの歌舞伎芝居の一座の子役として、馬子の三吉だの、先代萩の千松だの、寺小屋の小太郎だのと一人で引受けているうちに、だんだんと戦争がはげしくなるにつれて、芝居もできなくなり、大人の役者たちは、この町の興行を最後に、みんな工場や炭坑へはたらきにいくようになったので、馬太郎は、義理のお母さんと一しょにこの町へ残って、学校へ通うことになり、座元の丸井親分の二階においてもらっているのでした。  人ずれがしているので、小生意気なところがあり、学科はできないくせに、何にでも口をだしたがるので、ときには「なにを、このかめいどやくしゃ」などとやっつけられることもありましたが、気ごころも知れたこのごろでは、ものしりで話がおもしろいので、遊びなかまには、なくてはならぬひとりになっていました。「かめいど」というのは、亀井戸大根という意味で、大根役者をもじったものです。  そういう馬太郎と仙太をくらべてみると、それこそ、ぼんさいと山の若木ほどのちがいがありました。全く、おない年の実生のけやきを、一つは鉢うえにし、一つはそのまま山においといて十五年もたったら、このくらいのちがいになったかも知れません。一方は、小さいなからにきりととのえ、いじめつけられた枝ぶりが、一ぱし老木めいた感じをあたえるのに、一方は、のびほうだいに大きく育ってはいても、まだまだけやきらしい枝ぶりにはなっていません。何もかにもこれから、という感じです。  仙太には、馬太郎のはなしは半分くらいしかわかりません。いつも通訳につくのが信一でした。 「お前のおかず、いつだって時計のはらわたじゃあねえか」  馬太郎は、ある日、仙太のべんとうをのぞきこみながら、いいました。というのはぜんまいのことです。こんなのは、信一にだってわかりはしません。 「ぜんまいじゃねえ、わらびだ」  と仙太がいうと、 「こいつはいちばん、トチッたかな。だけど、いずれをあやめかきつばただね。……ぜんまいとにらんだのも、まんざらひがめではあるめい」  馬太郎は、きゃしゃな首をふり、大きな目をむいて、見えをきってみせるのでした。  仙太は、あいかわらず、色のさめた肋骨の上衣をきてきては、みんなをうれしがらせました。子供は何でも珍らしいものがすきです。しかも、それが気のきいたものだと自分のものにしたがり、やぼな安ものやみっともないものだと、ひとがもっていることをよろこぶものです。なぜといって、自分がもっていればひとに笑われるけれども、ひとがもっていれば笑うことができるからです。  ……でも仙太は平気でした。ほんとは、そんなに平気ではなかったのですが、自分がはずかしがると、おじいさんがかわいそうだと思ったからなのです。それはそれは大事にして、一年に一ぺんか二へん、旗日のときに着るのをじまんにしていたおじいさんが、その大事なものをくれたのだと思うと、とてもいやだなんていえやしません。おまけに、おじいさんは、毎朝のように、よくにあうにあうといってくれるのですから。  信一は、みんなが、そんなことで仙太をからかうのをなるべくそらすように気をくばっていましたが、日がたつにつれてだんだんにその心配もなくなってきました。みんなは、仙太のきものよりも、その中身――つまり仙太の人がらに興味をもってきたからです。  ある朝、先生の机の上に、小さな機関車がのっていたので、みんなはびっくりして大さわぎをしました。 「や、二号だ」 「建設列車だ」  みんながおどろいたのも無理はありません。かわいい機関車の胴なかにNO・2の番号さえもあざやかに光っているのです。ピストンからシリンダーまで、そっくりそのままついているではありませんか。しかも、よくみると、ごくわずかの針金やブリキの部分をのぞいて全体は、ほとんど木でできているのでした。 「おじいさんが手をかしてくれたんだ。おれひとりじゃこうはできねえ」 「さては孫かわいさのじじがてすさびか」  馬太郎が、さっそく何かの芝居のセリフをもじっていいましたが、いつものかるい調子はでませんでした。  二号の模型が、組中の共有になったことは、このお話のヤマを一つなくすることになるかもしれませんが、同時に五年生一同の名誉をすくってくれたことにもなるのです。というのは、この機関車をこっそりと家へもってかえり、自分の名まえをほりつけてみたいと思ったのは決して馬太郎ひとりではなかったのですから。  そのうちに本物の二号機関車は、教室の窓からも見えるようになりました。鉄橋をわたった汽車は、川向うの土手の上を一日に何度もいったりきたりするようになりました。  とうとうある日のこと、はんたいがわのトンネルからのびてきた線路と、二号がしきのばしていった線路とは、学校の窓からは、はるかに左手に見えるポプラ並木のかげで最初の握手をしました。  全線開通です。 「北山鉄道開通祝賀会」の大きな額をあげた杉ッ葉のアーチができるやら、日の丸のほうずき提灯がぶら下るやら、この小さな山の町は、まるでサイダーの泡がコップからふきこぼれるようなにぎわいでした。  町会を単位にした等級あらそいの仮装行列、青年団や女子青年会のしろうと芝居、町中の芸じまんをよりすぐった演芸大会など、いろいろなもようしものがひとわたりすんでしまうと、停車場前の、お中食、荷物一時預りなどとそれぞれにかんばんをだした宿屋や土産もの屋などの目新しい風景を見につけたなりに、町は、また、しずかな山の町にかえりました。  しかし、小学校の生徒たち、わけても、信一たちの組のものは、相かわらず機関車をみにいくのを日課の一つにしていました。二号機関車の見えなくなったのは淋しかったけれども、そのかわり、いろんな型の機関車になじみができて、今度は何号だと遠くから言いあてるのが新らしいたのしみになっていました。  が、そのうちに、見ているだけれは、物たりなくなってきました。信一のように父が鉄道に勤めているものは、開通列車にものることができたので、別に何とも思いませんでしたが、そういうつて[#「つて」に傍点]のないものは、わずか一駅でものったものは大とくいで、じまんにするのでした。汽車にのる用事もなく、きっぷも買ってもらえないものは、何というわけもなく肩身のせまいような気がして、元気がなくなってきました。……みんなで二号を見にいったときの、組中が一つになった、あのしっくりした気もちが、どうしていつまでもつづかないのでしょう。ただみているだけのときは、みんなにとって同じ汽車だった、いわば、みんなの共有の二号だった(それは仙太のこしらえた模型と同じことです)のに、乗車券を買ってのるだんになると、こうもちがってくるものなのでしょうか。のれる人、のれない人――そういうちがいが、はっきりと、信一たちの組の中にもあらわれてきたわけです。用がないのにのらなくたっていいじゃないか。などといったってそうはいきません。のらないって何も恥かしがるわけがないじゃあないか、と、りくつ[#「りくつ」に傍点]をいえばそれまでですが、少年の心はそうかんたんに片づけてしまうわけにもいきません。信一は、つとめて自分が開通列車にのせてもらったことはもとより、汽車にのるのらないのはなしには口を出さないように気をつけていました。 「みんなにそうだんがあるんだが……」  木曜日の午後一同が帰りじたくをしていると千野先生がちょっと改たまったような口調でおっしゃいました。 「みんな一つ、会議をやってみないか」  会議ということばを知っているものも知らないものも、先生のことばのもつ何となく新らしいひびきを感じて、からだ中が熱くなるような気がしました。 「初めてだから、会議のしかたは先生が教えるが、あとは、君たちだけで、すっかりしまいまでやるんだよ」  会議というものは、先生たちだけがやるものと思っていた。だから職員会議、校長会議などということばは聞いていましたが――それを自分たちもやるのだということがはっきりわかると、馬大郎などは、急に自分の背が高くなったような気がしました。いや、これは馬太郎ひとりだけではないようです。近眼の高木などは、いつも鼻の上にずり落ちている目がねを、はじめて自分のもののように、しっかりと自信をもってかけ直したくらいです。  先生は、会議のしかたを説明すると、今日の議題を黒板にかいて、 「先生も、相談役として、君たちのはなしあいを聞いていたいのだが、ほかに用事があって、そうしていられないから、あした、君たちの報告をきくことにしよう」  とおっしゃって、お帰りになりました。  話のはこびを早くするために、先生がお出しになった議題を黒板の字をひろって要点だけかいてみましょう。  一、三角山の気象観測所へ荷物をはこびあげること  二、帰りは山向うへ下って、池の平駅から汽車にのって帰ること  三、以上のために、クラス全体を何班かにわけて、それぞれ班長をきめ荷物の分配をすること  四、今週の土曜日がいいか、来週の土曜日がいいか  観測所へ荷物をはこぶのは、今まで、馬の背でやっていたのですが、戦争のために馬の数が非常に少くなったこと、農繁期のために、田や畑の方へ馬がとられて、いわば馬の手が足りないので、その穴埋めを、五年生一同の手でやろうというのです。さいわい、荷物は、小さい軽いものが多いし、大きい重いものも、小さくいくつにも分けることができるので、五年生の仕事としても無理はないという先生のお話でした。  そうした国の役に立つということよりも何よりも、帰りの汽車が、大へんな人気で、もうみんな乗った気になって、はしゃぎ立ちました。しかも、荷役のほうびとして、乗車券もべんとうも観測所の方からだしてもらえるというのですから、今まで家でキップの買ってもらえなかったもののよろこびはなおさらです。早い方がいいというので、日どりは、あさっての土曜日ということにきまりました。みんな、あの二号機関車をそろって見にいったときのような気もちになり、汽車にのったものとのらないものとの間にできかかった、目に見えないみぞ[#「みぞ」に傍点]のようなものが、いつのまにかすっかりなくなってしまったことは、議長になった信一にとって、何よりも、うれしいことでした。 「ただ荷物をかつぎあげるだけじゃあつまらないじゃあないか」言いだしたのは、例によって馬太郎です。「どうせおんなじことだから、競争ってことにしようよ。……先生にさきにいっててもらって、タイムをとってもらうんだ」 「さんせい、さんせい」  この思いつきに、異議のあるはずはありません。もうあとは、ただ一つ、当日の天気だけが、しんぱいのたねでしたが、これは、おてのものの観測所の人にきけばいいということで、初めてのクラス会議はほとんどすべてが全会一致というありさまで、うまくまとまりました。  全クラス二十六人を三班にわけ、第一班は信一を班長に九人、第二班は仙太を班長に八人、第三班は班長が馬太郎で九人ということにきまりました。第二班を八人にしたのは、仙太が二人分の力があるからというわけで、はんぱの二人をほかの班にまわしたのです。荷物のわりあては、あした先生への報告が終ってからということにして、さあ、これで何もかもきまったわけです。みんなは帰りのおそくなったことなど何とも思わず桃太郎のように勇んで家を、ではない、家へ帰りました。  予報があたって、当日は、人間の一生のうちに、そう幾日もはないと思われるようないい天気でした。  千野先生は、キスリング型という登山用の大きなリュク・サックに生徒の十人分も荷物を入れて、一と足さきに山の観測所へつき、みんなの登りつくのを、時計を見ながらまっていらっしゃいました。  低いわりに急な山なので、道は、つづら折りとか稲妻がたとかいうように、鋸の歯を大きくひろげたような形についていました。  なぜ山道は、こんなふうにジグザグに曲っているのか――これは、自然のじゃまものや人間の物欲からではない。こないだ、生徒たちに話したのとは別なわけがこの山道の形にはあらわれている、それを、早くみんなに話したいと考えこんでいた先生は、ふいに、聞きなれた子供の声で考えをやぶられました。 「先生、一着、第一班」  みると、そばやの子の己之吉が、小さなリュックをしょって第一番にかけ上ってきました。つづいて一人ずつ、九人目には、級長の信一が、兄さんにかりたというピッケルを手にして、第一班のしんがり役をはたして、姿をあらわしました。 「よくみんな揃ってこられたね」  先生はタイムをとりながら、 「黒谷の班が一番になるかと思ってたが……」 「黒ちゃんは早いんだが、あとのものが、おくれちまったんです」己之吉は、はしゃいで言いました。「黒ちゃん、自分が強いもんだから、近道して、まっすぐにのぼったもんで、足のよわいものが、ついてこられないんです。それで、黒ちゃん、またあともどりをして、高木の尻を押したりなんかしてるんで、あたり前の道を歩いてきたこっちの方が先になったんです」 「ああ、そうか」  先生が、面白そうにうなずいていらっしゃると、そこへ、仙太の班がやってきました。どんじりの高木の目がねは、いつもよりもよけいずっこけているようでした。 「や、ごくろうごくろう」先生は、また時計をみて、「一分二十秒のちがいだ。さあ、あとは、三班だけだが、まだ影もみえないな、どうしたんだろう、河原崎にも似合わないな、どんな戦術をつかったのか」  一着になるかと思われていた馬太郎の班は、どうしたことか、それから五分もおくれて、つきました。 「はじめての道でもないのに、どうしたんだね」  という先生のことばに、馬太郎は、色白の顔を桃いろに上気させながら、 「とんだドジをふんじゃいましたよ」  てれたようにいうのでした。  馬太郎のはなしによると、「まともに」のぼったんじゃあ勝てっこはないと思ったんで、「こいつあ一ばん、計略にあり」と、ちょっとでも草のねているようなところがあると、ふんごんで「敵のうらをかこう」としたことが「身のあやまり」で、近道と思ったのは、いきどまりの草刈り道だったり、もっとわるいのは、谷間へ下りる水汲み道だったりして、「何のこたあない、道にひきまわされてしまった」というのでした。  芝居のしかたばなしよろしくの馬太郎のはなしには、みんな、つかれを忘れて笑いこけてしまいました。  少し早いけれどもと、観測所の人たちの用意しておいて下さったおむすびに、パンをいただいて、峠を下り、池の平の駅についたときは、まだ、予定の十四時三十六分の下り列車には、三十分以上も間がありました。 「今は山中、今は浜  今は鉄橋わたるぞと  思う間もなくトンネルの  やみを通って広野はら」  列車が動きだすと、誰ということなしに歌いだし、合唱がはじまりました。歌の文句にある「わだちのとどろき」がひとりでに伴奏になり、ふだんは唱歌の苦手なものも、はずかしさを忘れて、声のかぎりに歌えるのが何とも言えず、みんなの心をひろびろとひろげ高めてくれるのでした。 「汽車も、考えてみれば、動いている道なんだよ」歌がとぎれると、先生が話しだしました。「だから、世の中がすすんでわれわれの思うとうりのものになれば、汽車賃なんてものは、一一はらわなくてもいいようにならなければいけないのだ」  先生のお話は例によって少し、とびはなれて、わかりにくいようです。みんなの顔いろをみて、先生はつづけました。 「じゃあ分りやすいように昔のはなしからしよう。昔はね、道を歩いても、道銭といって、お金をはらわせられたことがあったんだよ。一つの道を切りひらいた人がその道をこしらえるのにかかったお金を、通行人から、そのたんび少しずつとりかえそうというわけなんだ。(橋銭や、わたし賃なんていうのは、今でもちょいちょいある。道銭のかたみだ)先生の知っているのでも、今はどうなってるか分らないが、日光のけごんの滝へ下りる五郎兵ェ道というのは、ひとり五銭くらいとっていた。……今では、たぶん県の方からでもまとめて金をだして、そんなめんどくさいことはないようにしたろうと思うが……。この話でも分るように、道というものは国中みんなのものでなければならないのだから、ひとりの人の商売にさせておいてはいけないのだ。それと同じことで、汽車が「動く道」ならば、一一、道銭をとるようなめんどうなことはしないですむようにしたらどうだろう、というのが先生の考えさ。日本でも、鉄道は大たい国有になっているが、その費用を、一一、乗車券をうってとりもどしているのは、考えてみれば、道銭と同じ古いやり方じゃあないか。鉄道の費用などは、税金や、貨物の運賃だけでまかなって、のる人は、道を歩くと同じに、用があるときは誰でも好き自由にのれるようにしたら、どんなにべんりだろう。キップもいらないし、改札も検札もいりやしない。キップをこさえたり、うったりする、そんな手数をはぶいただけでも、ずいぶん、むだなお金がいらないですむと思うがね。……夢のような話だって、アハハハ、しかし、人間が空をとぶ夢だって、今では、夢でなくなっているんだからね」  先生は水筒の水を一口のんで又つづけました。 「用がある人が、お金がないばっかりにのれなかったり、そのはんたいにお金とひまがあるというだけで、用もないのにむだな汽車旅行をし、それをじまんにするというようなバカげた不公平なこともなくなる。……どんな便利なものができたってそれが金のある人たちだけのひとりじめだったら、世の中はたのしくないじゃあないか」  改札口という汽車にたいする「門」ができ上ってから、みんなの間にわきだしたモヤモヤした目にみえない壁のようなものに思いあたって、生徒たちは、それぞれ胸の中でこっくりをしました。 「学校だってそうだね。どんなに頭がよくって学問がすきでも、金がなければ上級の学校へ上れないというのでは、りくつに合はないばかりではなく、人間――日本ばかりではないよ、世界中の人間全たいのためにも大へんなマイナスだ。学校の月謝なんてものは、小学校から大学まで、汽車賃とおんなじに、いや、それよりももっと前になくなるのが当り前だね」 「すてきですね、先生」 「早くそうなればいいなあ」 「ぼくたち、うんとべんきょうするぞゥ」  みんなが、はしゃいで口口にいいたてると先生は、その間に又水筒の水を一口ごくりとのんで、 「……汽車にのっていながら、先生の話は大分脱線したらしいぞ」 「脱線じゃあないです、先生」 「…………」  そんなことをいいあっている中に、列車は、三角山の裾をくりぬいたトンネルにはいりました。 「思う間もなくトンネルの」  と誰かがまたうたいだしました。 「やみをくぐって広のはら」  さあっと外の光りがさしこんで来ました。  青い青い外の景色にみとれながら一同は、また声をはり上げてうたいつづけました。 底本:「信州・こども文学館 第5巻 語り残したおくり物 あしたへの橋」郷土出版社    2002(平成14)年7月15日初版発行 底本の親本:「建設列車」川流堂    1947(昭和22)年 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。