競馬の一日に就いて 麻雀インチキ物語 海野十三 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)焦立《いらだ》たしい [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#3字下げ]午前中は慎しむこと[#「午前中は慎しむこと」は中見出し] ------------------------------------------------------- [#3字下げ]午前中は慎しむこと[#「午前中は慎しむこと」は中見出し]  朝から競馬場へ駈けつける。直ぐに穴場へ飛びこむ。馬券を握ってスタンドへ出る。スタートが切られて、ゴールになって、しかし自分の買った馬は不幸惨敗を喫してしまう。それから曳馬でも見てまた直ぐに穴場へ入って馬券を買って……  そんな具合に朝のうちから馬券に熱くなっている人を見ると、見ている方で却ってはらはらする。  競馬の番組の仕組と云うものは、関東と関西とでは多少違うが、どっちにしても特殊レースとか大レースとか云った類いのものは、殆んど午後の競走にしているのが普通である。それを朝のうちから二度も三度も馬券に滑ったりすれば、相当に気持が腐って、愈々その日じゅうでの興味あるレースとか大レースとかの時には、まともな勝馬の鑑定力さえ失ってしまう。そうなると益々気持が腐る。時には焦立《いらだ》たしいような気持にさえなる。  元来が競馬は楽しみに行くべきものだ。それが少しも楽しいものでなくなるなどは賞めた事ではない。  損してもいい一定の金額などをきめて行ったにしても、午後の競走の八競馬あたりには、もう最後の二十円しかなくなってしまったなんて事になれば、気を入れてみたい所なのにそうも行かない、味気ない心にならざるを得ない。  一度取られればその次こそはどうだろうと、またしても手の出したくなるのは人情だ。儲かれば儲かったで、こう云う日は大いに買うべしと云うので、番ごと番ごとに手を出したくなる。余程自制心を奮い起さないと心の平静は保ち難くなる。  それと云うのが午前中から慎しみもなく馬券に狂奔するからである。勝馬鑑定に、心の動揺や喧騒や迷いは大いなる妨げとなる。  そこでじっくり落着いて競馬を見て、いい穴の一つも取ろうと思へば、先ず午前中ぐらいは馬券は控え目に慎み深く、静かに構えているに越したことはない。そうすればその日の競馬場の空気にも馴れ、穴場の人気の形勢や、曳馬の気配などにもよく注意が行き届くようにもなる。  心すべきは午前中の気持の構え方で、時にはこれ一つが午後まで祟って、周到な判断力を失い、怪しげな本命を買って損した次には、茲《ここ》は固いと思っていた本命のレースに、いつともなく疑心暗鬼の不安を持ち始め、無理な穴を狙ってみたりするようなへまを繰返して、一人で憂鬱になったりもする。大事なのは午前中の気持の持ち方である。 [#3字下げ]大穴の出た後[#「大穴の出た後」は中見出し]  大穴の出た次のレースでは、固い本命が屡々好配当をつける。それは大穴の出たための昂奮が競馬場の一種の雰囲気に変化を与え、人々はじっと落着いて固い本命などを検討している気にはなれなくなるからである。  こう云う時に諸君は一種の昂奮状態の競馬場内の空気に捲込まれてはならない。仮りに大穴が出たために諸君は馬券で損したにしても。  この時の心の構え方に隙があると、人は競馬の勝馬というものが何か理窟はずれの、籤引みたいなもののような気がしてくる。落着いた勝馬の考察ということができなくなってしまう。ついふらふらと無理な穴など狙ってみようなどと云う量見にもなる。  いつ如何なる時でも、レースに対してはそのレースの本命が確実かそうでないかを先ず第一に見極める精神を忘れてはならない。大穴が出て場内が騒然たる時に於いて特に然り。そしてその次のレースの本命が若《も》しも根拠に乏しく、危なげなものだとしか考察出来なければ兎も角、それが確実な本命であると信ずるならば、これは買うべきレースである。  多くの人は今の大穴のために今度もまた穴ではないかと考え、本命を避けたい気持に傾くのである。その結果確実な本命に思はぬ好配当がついたりする事があるのである。 [#3字下げ]番組の平凡な場合[#「番組の平凡な場合」は中見出し]  一見して、ああ今日の競馬は詰らないと云う気のする時がある。各レース共本命がきまっていて、変化なく、面白い穴など到底出そうにも思はれないのである。ところがその結果は必らずしも平凡に終らぬことがある。  今春中山の三日目などにしても、最初は幾分そう云う感じがしたが、それは初日、二日目とその前二日が珍らしいくらい順調なレースが多かったために、また今日も順調な結果に終るのではないかと云う気持に、直ぐ考えを支配されていたからである。しかしレースが済んで結果になってみると、なかなかどうしてそう順調なレースばかりではなかったのである。つまりそう平凡には終らなかったのである。  第一、第二、第三競馬までは一番人気の本命が人気通りに勝った。だから最初から今日のレースはみんな平凡だと思っていた感情は、この三レースの結果に依って益々そう云う気持に傾いて行った。四競馬では新聞の予想などから人気の大勢を推察すると、二番人気の馬が勝てば相当の好配当になりそうな感じがした。それに今日も本命日和だと思うファンの気持がみんなその一番人気の馬に傾きそうにも見えたのである。  レースの結果は二番人気の馬が勝った。しかしその馬が勝てば少なくとも五、六十円になるかと想像していたら矢張り四十六円しかつかなかった。本命が勝とうと二番人気が勝とうと、どっちにしても今日の配当は詰らない。みんな平凡なレースばかりだと思う感情が、それで益々強くなった。  五競馬から午後の競馬になった。抽障碍である。ここは最近調子もよし、初日オショロ[#「オショロ」は太字]と相当のところ迄戦ったエマリー[#「エマリー」は太字]が殆んど絶対人気で、どうも吾々にしてもその馬が勝って当然と云う気がした。結果は直線コースになってから二番人気のトウテンコー[#「トウテンコー」は太字]に追込まれて、トウテンコーが二番人気ながら七十一円もの好配当になった。  六競馬の呼障碍は三頭立てで障碍初出走のザザ[#「ザザ」は太字]が大した事がないとすれば、ミスエメラルド[#「ミズエメラルド」は太字]は故障後の脚力に全く見るべきものなく、アケタケ[#「アケタケ」は太字]の本命で動かないような気がしていると、そのアケタケが一周ならずしてポロリと落馬して、ミスエメラルドが足にまかせて逃げてしまった。ミス三番人気で百十六円。  七競馬ア抽障碍は十五頭立てで概して出走馬の少なかった今季の中山としては賑やかなレースであった。その顔ぶれには駈歩から新たに障碍入りをした馬の名が大分並んでおり、それ等の馬が前季以来好調を伝えられているセイカ[#「セイカ」は太字]、ビウコウ[#「ビウコウ」は太字]に対してどこ迄戦うかと云う点に興味は感じられても、結局問題になりそうな馬は少なく大番狂わせなどありそうにもないと思っていると、これまた人気のセイカがポロリと落馬して、セイカと殆んど同じくらいに人気のあったビウコウは三着にさがり、時として着にはくるがどうも確実性に乏しいと思われ勝ちだったラブルミエール[#「ラブルミエール」は太字]が勝って、この日初めての大穴を明けた。  それから続く八競馬、九競馬共に出走馬は五頭と云う少数で、その辺も大した狂いはなさそうに見えたが、八競馬は一本人気のマタハリ[#「マタハリ」は太字]が複式にも入らずして、二番人気のハクエイ[#「ハクエイ」は太字]一着で単式七十一円、二着に入ったホワイトローズ[#「ホワイトローズ」は太字]が複式で九十四円つけた。九競馬は三番人気のニシキ[#「ニシキ」は太字]が勝って、単式九十三円複式四十円五十銭つけた。  あとの二鞍は共に本命が人気通りに勝ったが、恐らく平凡な結果に終りはしないかと思われたこの日の十一競馬のうちで最高人気が勝ったのは五レースだけで、大穴は一つだったけれど、結果は決して平凡でもなかった。  七競馬のア抽障碍のように、最初の感じでは平凡な顔ぶれだと思って、馬券を休む気になって、レースだけを見物していると思いがけなく大穴が飛出したりする。  平凡の如く見えて、平凡ならず、狂うかと見えて狂わず、競馬というものは実に千変万化であり、この道での苦労は如何に重ねても馬券ぐらい難しいものはない。口では云ってもその適確は期し難いが、それでも精神だけは飽くまで周到細心に、平凡の如く見えるレースの顔ぶれに秘められた番狂わせの可能性を探り、狂いそうに見えても実はそのレースの本命の確実なことを確かめる、――その精神を常に忘れざることが肝要である。 [#3字下げ]馬数多きレース[#「馬数多きレース」は中見出し]  時に出走馬の頭数の非常に多いレースがある。十六、七頭から二十頭以上に及ぶような事もある。馬券の安全を期する人は、このように頭数の多いレースは馬券を休むに越した事はない。  頭数多ければレースの失敗も起り易く、そのために馬本来の実力一杯のレースのできない事がある。出遅れと云うような馬数少ない時よりはスタートの可能性も多いわけでありコースを他馬に沮《はば》まれたりする機会も多い。どうしても幾分レースに無理が生じるのである。  同じく穴を取るにしても、出走馬の多い時よりは少ない時の方が取り易い。それは馬数が少ないために、互いの馬の実力の比較にも考察が行き届くし、穴馬に対する推定が合理的に働くからでもある。それが十五頭からのレースになると各馬がどのようなレースの作戦を秘めているかも想像できないし、騎手自身もたとえ作戦を持っているにしても、馬数多いためにその作戦にも間違いを来し易い。  殊に馬数はそんなにいても、その中で一着のほぼ確定している馬、つまり確実らしい本命が一頭いる時、こう云うレースに馬券を買ふと、屡々自分の予想を裏切られる。馬数は幾ら多くとも強い馬は強いのだ。この中では断然これが強い。しかしその割に馬数が多いから、ほかの馬にも人気が割れて、存外配当もつくかも知れない。そんな風な考えも起きるか知れないが、事実はその反対となるのである。  即ち二十頭近くのレースに、それ程の信頼をファンに与える馬がいるとすれば、ファンの気持は殆んどその馬だけに傾く。その馬以外の馬では、どれもこれも安心がならぬような気持のする中に、ただ一頭そう云う馬がいるのだから、その馬だけが断然光っているような気のするのは当然である。そこで馬数はいくら多くとも人気は殆んどその馬一頭だけにかぶってしまう事になる。  今春中山返り初日に収得賞金三千円以下のアラブ競走は十六頭立てと云う多数の出走馬であったが、その人気の形勢を見ると、単式投票数七百七十一票の内、一本かぶりのエンタープライズ[#「エンタープライズ」は太字]は五百三十九票を占めてしまっているのである。従ってエンターが単式で来たとしても僅かに五十銭しか配当はつかないのである。馬数が多いから多少はほかの馬にも票が割れるだろうなどと想像すると大間違いである。  しかもこのレースの結果は、エンターの惨敗に終ったのである。エンターの実力はこれ等の馬の中では断然一位ではあるかも知れない。しかしこのように馬数の多い時はレースの過程にどのような間違いが起らないとも限らない。エンターの敗因は別段馬数の多いために禍いされたわけでもなかったようであるが、馬数多いレースに対しては、そう考えてよい場合が屡々あるのである。とすると人気は一本かぶりでその上危険率が多い。莫迦らしいレースなのである。そうかと云って穴を狙へば、あっさりその本命の馬に勝たれてしまったりもする。だからこう云うレースには馬券に手が出しにくいのである。それが怪しい本命ではないにしても、勝って幾らの配当にもならず、万が一負けることでもあれば莫迦を見る。黙って見物しているに如《し》くはない。 [#3字下げ]第十一競馬の本命[#「第十一競馬の本命」は中見出し]  その日で最終の第十一競馬。もしもこれに確実な本命があるとすれば、恐らくその配当は他のレースに於ける確実な本命の場合よりも割のいい配当率になる。  中山三日目のユキオミ[#「ユキオミ」は太字]のように、いくら確実な本命と云っても、ああまで確実さが一般に徹底してしまったような勝馬では、あの程度の払戻になるのも当然だが、普通の場合は、これが今日の馬券の最終だと云うので、山気の多い人は兎角穴を狙う。儲かっている人はどうせ儲けている金だから、最後は一つ穴を狙ってやれと云う気持も起し勝ちだし、損している人は今更本命をとって少しばかりの配当を貰ったって仕ようがない。最後の有り金で穴を狙ってみようと云う量見を起すのである。これは人間の心理として、どうしてもそうなり易い。「穴人気」の項で記した福島の古抽優勝戦の票の割れ方などがその最もよい例である。そこで諸君は十一競馬には、今まで以上に特に勝馬の検討に忠実でなければならない。一般ファンの陥り易い心理的過誤に陥らぬためである。そしてそこの本命に信頼できないとすればまた別問題だが、その確実性を見極めた場合に於いてはたとえその日は勝っていても負けていても、敢然その本命を狙うがよい。へんな馬の人気などに惑わされることなしに、率のいい払戻金を狙うが悧口というものである。 底本:「わかっちゃいるけど、ギャンブル!」ちくま文庫、筑摩書房    2017(平成29)年10月10日第一刷発行 底本の親本:「菊池寛全集 第二十三巻」菊池寛記念館     入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。