鐘は鳴らず 坪田宏 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)一九五〇|年《ねん》――六|月《がつ》二十五|日《にち》。 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一九五〇|年《ねん》――六|月《がつ》二十五|日《にち》。 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)早《はや》く云《い》え※[#感嘆符二つ、1-8-75] -------------------------------------------------------  一九五〇|年《ねん》――六|月《がつ》二十五|日《にち》。三十八|度線《どせん》の北側《きたがわ》で、一|齊《せい》に行動《こうどう》を起《おこ》した北鮮《ほくせん》軍《ぐん》は、計画的《けいかくてき》なスピードを加《くわ》えて、二十八|日《にち》には京城《けいじょう》を占領《せんりょう》した。  逃《に》げ遅《おく》れた住民《じゅうみん》はこの慌《あわただ》しい事実《じじつ》の前《まえ》に何《なに》も考《かんが》える余裕《よゆう》はなかった。唯《ただ》、南北《なんぼく》二つの異《ことな》る思想《しそう》の巨大《きょだい》な歯車《はぐるま》に挟《はさ》まれて死《しに》にゆく者《もの》が、どれも同《おな》じ人間《にんげん》であると云《い》うことの他《ほか》は別《わか》らなかった。そして、無意識《むいしき》のうちに手《て》に入《い》れた″朝鮮人民共和国《ちょうせんじんみんきょうわこく》″の小旗《こばた》を打《う》ち振《ふ》った。そして又《また》、一九四五|年《ねん》の九|月《がつ》、米国《べいこく》を迎《むか》えた日《ひ》のことを想《おも》い泛《う》かべたのである。  京城《けいじょう》が陥《お》ちて三|日《か》目《め》、尹順喜《いんじゅんき》は山嶺《さんれい》の彼方《かなた》に立登《たちのぼ》る太《ふと》い黒煙《こくえん》を眺《なが》めて、水砧《みずきぬた》を打《う》つ手《て》を休《やす》めた、暮《く》れるには未《ま》だ間《ま》があったが、強《つよ》い西陽《にしび》をうけて煙《けむり》は北《きた》へ北《きた》へと崩《くず》れてゆくのだった。京城《けいじょう》の市街《しがい》が焼《や》けているのだろう。噴煙《ふんえん》のように、もう五|日《か》もそれは続いていた。 『何《なに》をしているかね、おかみさん』  北鮮《ほくせん》軍《ぐん》の正規兵《せいきへい》が二人《ふたり》、両手《りょうて》にバケツを下《さ》げて立《た》っていた。半裸《はんら》の皮膚《ひふ》も顔《かお》も赤銅色《しゃくどういろ》に焦《や》けて、目玉《めだま》だけが白《しろ》かった。 『あら、水汲《みずく》みですか。私《わたし》が汲《く》みましょう』 『いゝよ、いゝよ。おかみさんみたいに美《うつく》しい人《ひと》にそうして貰《もら》っては、罰《ばち》が当《あた》る』  二人《ふたり》とも黄色《きいろ》い歯《は》を剥《む》き出《だ》して笑《わら》いながら、泉《いずみ》に浮《う》かんだパカチの水汲《みずくみ》で水《みず》を汲《く》み出《だ》した。四つのバケツが一|杯《ぱい》になると、未《ま》だ何《なに》か話《はな》しかけたい気配《けはい》を見《み》せていたが、順喜《じゅんき》が背《せ》を向《む》けていたので、黙《だま》って細《ほそ》い道《みち》を登《のぼ》って行《い》った。炊事《すいじ》当番《とうばん》兵《へい》なのだが、順喜《じゅんき》の家《うち》を宿舎《しゅくしゃ》に徴発《ちょうはつ》した北鮮《ほくせん》軍《ぐん》の或《あ》る支隊《したい》の兵士《へいし》達《たち》だった。  尹順喜《いんじゅんき》はまた水砧《みずきぬた》を打《う》った。遠《とお》くで機関銃《ホチキス・ガン》の音《おと》が断続《だんぞく》している。その銃声《じゅうせい》に逃《に》げまどう幾《いく》つかの生命《いのち》があると思《おも》うと、身顫《みぶるい》の出《で》るほど嫌《いや》な響《ひゞき》きを持《も》っていた。順喜《じゅんき》はそれに負《ま》けない早《はや》さで砧棒《きぬたぼう》を打《う》ち続《つづ》けた。  洗濯《せんたく》が終《おわ》った。籠《かご》に入《い》れて立上《たちあが》る。何気《なにげ》なく眸《め》をやった松林《まつばやし》の隙間《すきま》に順喜《じゅんき》は恐《おそ》ろしいものを発見《はっけん》してあやうく手籠《てかご》を取《と》り落《おと》すところだった。二つの眼《め》と、自動銃《じどうじゅう》の銃口《じゅうこう》が狙《ねら》っている。足《あし》がすくんで動《うご》けなかった。が、声《こえ》をたてないとみてか、その人影《ひとかげ》は四五|度《ど》手招《てまね》きをした。拒《こば》むことは出来《でき》なかった。籠《かご》をそこへ置《お》いて、ちょっとあたりに気《き》を配《くば》ってから前《まえ》の小高《こだか》い松林《まつばやし》へ歩《ある》いた。  近付《ちかづ》いてみると、韓国《かんこく》軍《ぐん》の正規兵《せいきへい》だった。足《あし》に巻《ま》いた止血《しち》の繃帯《ほうたい》に血《ち》が滲《にじ》んでいる。若《わか》くて、引《ひ》き締《しま》った顔《かお》だちの男《おとこ》だったが、順喜《じゅんき》を瞶《みつ》める眸《め》は必死《ひっし》で鋭《するど》かった。 『この附近《ふきん》に、北鮮《ほくせん》軍《ぐん》がいるか?』低《ひく》く詰問《きつもん》した。直《す》ぐには答《こた》えられなかった。 『早《はや》く云《い》え※[#感嘆符二つ、1-8-75]』 『います。直《す》ぐそこの私《わたし》の家《うち》には四十|人《にん》余《あま》りもいます。将校《しょうこう》も一人《ひとり》います』 『うん』兵士《へいし》は頷《うなず》いて、はじめて銃《じゅう》の構《かま》えを解《と》いた。 『うん、多分《たぶん》そうだろう』独《ひと》りごとのように呟《つぶや》いて、 『こゝへ、僕《ぼく》の現《あらわ》れたこと云《い》うな』諦《あきら》めたように背《せ》を向《む》けた。 『待《ま》って……今《いま》戻《もど》っては危《あぶな》い。斥候《せっこう》が出《で》ています。この道《みち》を通路《つうろ》にしています』  振《ふ》り返《かえ》った兵士《へいし》の表情《ひょうじょう》が乱《みだ》れていた。どうすれば好《い》いのか――そのように見《み》えた。尹順喜《いんじゅんき》は先《さき》へ出《で》ると、蹤《つ》いて来《こ》いと眸《め》で知《し》らせた。松林《まつばやし》の奥《おく》へ五十|米《メートル》ほど入《はい》った。小高《こだか》い山腹《さんぷく》を登《のぼ》りきったところに赤土《あかつち》の崩《くず》れた窪地《くぼち》があった。 『こゝに隠《かく》れておいでなさい。時機《じき》が来《き》たら知《し》らせに来《き》ます』  無言《むごん》で兵隊《へいたい》が入《はい》ったのを見《み》とゞけてそこを下《くだ》った。泉《いずみ》のほとりへ戻《もど》ったが、幸《さいわ》い人《ひと》に見《み》られた気配《けはい》はなかった。家《うち》へ帰《かえ》ると、明《あ》け放《はな》されたオンドルで、四五|人《にん》の部下《ぶか》と一|緒《しょ》に将校《しょうこう》は食事《しょくじ》をしていた。  けれど順喜《じゅんき》は落着《おちつ》けなかった。再《ふたゝ》びあの兵隊《へいたい》の居《い》る所《ところ》へ行《ゆ》けないような事情《じじょう》でも出来《でき》たら、あの人《ひと》はどうなるだろうか――順喜《じゅんき》にとっては大《おゝ》きな秘密《ひみつ》だった。といって、年老《としお》いた舅《しうと》夫婦《ふうふ》や、十をにも満《み》たない弟《おとうと》達《たち》に打《う》ちあけてその負担《ふたん》を軽《かる》くすることも出来《でき》なかった。なるべく表《おもて》の部屋《へや》の方《ほう》へ寄《よ》って北鮮《ほくせん》兵《へい》の会話《かいわ》や動作《どうさ》に注意《ちゅうい》してみた。韓国《かんこく》兵《へい》のことは全然《ぜんぜん》気付《きづ》いてはいないらしい。それで少《すこ》しは落着《おちつ》けた。  暫《しばら》くして、持《も》って出《で》なくても好《い》い浅漬《あさず》けを丼《サバリ》に盛《も》って、表《おもて》のオンドルに行《い》ってみると、誰《だ》れもいなかった。上《あが》りこんで切窓《きりまど》から覗《のぞ》いて見《み》ると、庭先《にわさき》の木蔭《こかげ》で将校《しょうこう》は地図《じず》を案《あん》じていた。食事《しょくじ》も済《す》んだのだろう、食器《しょっき》も片付《かたづ》いていたが、出入口《でいりぐち》のところに便箋《びんせん》らしいものが一|冊《さつ》置《お》き忘《わす》れてあった。跼《しゃが》んで見《み》ると赤《あか》い線《せん》の欄外《らんがい》に″朝鮮人民共和国《ちょうせんじんみんきょうわこく》″と印刷《いんさつ》してあった。ひどい物資《ぶっし》の欠乏《けつぼう》でちり紙《がみ》一|枚《まい》手《て》に入《い》れるのにも困《こま》るのだった。順喜《じゅんき》は上《うえ》から四五|枚《まい》だけ剥《は》ぎとった。  北鮮《ほくせん》の兵隊《へいたい》達《たち》は夜間《やかん》の残敵《ざんてき》狩《が》りに備《そな》えて、陽《ひ》の傾《かたむ》いた松林《まつばやし》の中《なか》で眠《ねむ》りこけていた。順喜《じゅんき》は食器《しょっき》を持《も》って泉《いずみ》のほとりへ出《で》た。人《ひと》の気配《けはい》はない。青芝《あおしば》の山肌《やまはだ》を登《のぼ》る。窪地《くぼち》の縁《ふち》に立《た》つと、兵隊《へいたい》は銃《じゅう》を抱《だ》いて眠《ねむ》っているらしかった。順喜《じゅんき》は安心《あんしん》とゝもにいじらしさを感《かん》じた。 『逃《に》げるのは今《いま》です』軽《かる》く揺《ゆ》り起《おこ》して早口《はやぐち》に告《つ》げた。 『若《も》しよろしかったらこれを着《き》ておいでなさい』と、白《しろ》シャツとズボンを出《だ》した。 『有難《ありが》とう。折角《せっかく》ですが捕《つか》まれば何《なに》を着《き》ていても同《おな》じです。このまゝ行《ゆ》きます』 『それもそうですね。道《みち》はこゝを降《お》りて少《すこ》し行《ゆ》くと、細《ほそ》い道《みち》が左《ひだり》へ岐《わか》れています。山《やま》を二つ越《こ》せば龜浦洞です。水原《すいげん》へも近道《ちかみち》が出来《でき》ます。御気嫌《ごきげん》よう』 『お世話《せわ》になりました。私《わたし》は南敬仁《なんけいじん》と云《い》う軍曹《ぐんそう》です。京城《けいじょう》大学《だいがく》から志願《しがん》したのです。改《あらた》めてお礼《れい》に伺《うかゞ》える日《ひ》があるかも知《し》れません』順喜《じゅんき》は瞶《みつ》められた視線《しせん》をそらすと、 『お互《たがい》にその日《ひ》を祈《いの》りましょう。私《わたし》、尹順喜《いんじゅんき》と申します。私《わたし》の夫《おっと》も韓国《かんこく》軍《ぐん》に従軍《じゅうぐん》しています。どこにいるか別《わか》りませんが……でも私《わたし》は逢《あ》えると信《しん》じています。こけ[#「こけ」に傍点]の一|念《ねん》かも知《し》れませんが……』 『部隊《ぶたい》は?』 『従軍《じゅうぐん》記者《きしゃ》です。大変《たいへん》我儘《わがまゝ》ですけど、あなたに手紙《てがみ》をことづけてはいけませんでしょうか』 『従軍《じゅうぐん》記者《きしゃ》をしていられるんでしたら、数《かず》が尠《すくな》いのですからお渡《わた》し出来《でき》るかも知《し》れません努力《どりょく》してみます』  順喜《じゅんき》は手製《てせい》の角《かく》封筒《ふうとう》に封《ふう》じ込《こ》んだそれを手渡《てわた》した。南《なん》軍曹《ぐんそう》は雑嚢《ざつのう》の口《くち》を開《ひら》くと叮寧《ていねい》に蔵《しま》いこんだ。そして几帳面《きちょうめん》な挙手《きょしゅ》の礼《れい》を残《のこ》して一|散《さん》に松林《まつばやし》を駈《か》け降《お》りて行《い》った。順喜《じゅんき》は見送《みおく》って、若者《わかもの》のひたむきな生《せい》への力強《ちからづよ》さに心《こころ》をうたれた。  夜《よ》が明《あ》けた。赤松《あかまつ》の肌《はだ》に朝《あさ》の冷気《れいき》が漂《ただよ》っている中《なか》を、順喜《じゅんき》は水汲《みずく》みに降《お》りた。バケツに水《みず》が半分《はんぶん》も満《み》たないとき、逞《たく》ましい力《ちから》で背後《はいご》から抱《だ》き締《し》められ、口《くち》を塞《ふさ》がれてずる/\と引《ひ》き摺《ず》られた。もがく愚《おろか》を悟《さと》って隙《すき》を待《ま》った。大《おゝ》きく捻《ね》じ伏《ふ》せられたとき、やに[#「やに」に傍点]臭《くさ》い顔《かお》を目近《めぢか》に見《み》た。炊事《すいじ》当番《とうばん》の兵隊《へいたい》だった。チマの裾《すそ》に男《おとこ》の手《て》が懸《か》けられた。順喜《じゅんき》はその手《て》の反対側《はんたいがわ》に反転《はんてん》して立《た》ち上《あが》った。 『おかみさん、儂《わし》はお前《まえ》さんが韓国《かんこく》兵《へい》を逃《に》がしてやった事《こと》を知《し》っている。銃殺《じゅうさつ》になっても好《い》いかね』その顔《かお》が微笑《びしょう》に歪《ゆが》んだ。 『誰《だ》れだって兵隊《へいたい》はこういう事《こと》が好《す》きなんだ。こちらへおいでよ』  逃《に》げる方向《ほうこう》を考《かんが》えている隙《すき》を、再《ふたゝ》び挑《いど》まれた。助《たす》けを呼《よ》ぶより仕方《しかた》がないと思《おも》った。 『野郎《ジャシカ》ッ』間近《まじ》かで別《べつ》の男《おとこ》の大声《おゝごえ》がした。  二人《ふたり》が庭先《にわさき》へ入《はい》ると、将校《しょうこう》が上着《うわぎ》の袖《そで》に腕《うで》を通《とお》しながら出《で》て来《き》た。挑《いど》んだ兵隊《へいたい》は、最初《さいしょ》から不貞《ふて》腐《くさ》れて、女《おんな》が韓国《かんこく》兵《へい》を逃《に》がしてやったことを喋《しゃべ》りたてた。将校《しょうこう》は本当《ほんとう》かと、訪《たず》ねた。順喜《じゅんき》は頷《うなず》いた。怕《こわ》い顔《かお》をして考《かんが》えていた将校《しょうこう》は、やがて兵隊《へいたい》に向《むか》って、 『軍規《ぐんき》を乱《みだ》したら銃殺《じゅうさつ》だぞ! 知《し》っとるだろ』 『知《し》ってるとも。覚悟《かくご》の上《うえ》だ』傲岸《ごうがん》に云《い》い放《はな》って、薄笑《うすわら》いをした。  順喜《じゅんき》は一|旦《たん》赦《ゆる》されて奥《おく》の居間《いま》へ入《はい》った。そして三|発《ぱつ》の銃声《じゅうせい》を聞《き》いたとき、思《おも》わず顔《かお》を掩《おゝ》った。その後《あと》で再《ふたゝ》び庭先《にわさき》へ呼出《よびだ》された。全部《ぜんぶ》の兵隊《へいたい》が完全《かんぜん》軍装《ぐんそう》を施《ほどこ》して整列《せいれつ》していた。舅《しうと》夫婦《ふうふ》が哀号《あいごう》を連発《れんぱつ》して、必死《ひっし》に順喜《じゅんき》を庇《かば》ったが、三|人《にん》の兵隊《へいたい》に引《ひ》き離《はな》されて奥《おく》へ追《お》い込《こ》められた。将校《しょうこう》は頂垂《うなだ》れる順喜《じゅんき》を美《うつく》しい女《おんな》だと思《おも》った。が勝者《しょうしゃ》の特権《とくけん》は絶対《ぜったい》だと考《かんが》えた。 『君《きみ》は、我々《われ/\》朝鮮人民共和国《ちょうせんじんみんきょうわこく》の軍隊《ぐんたい》に対《たい》し、職務《しょくむ》妨害《ぼうがい》をした。気毒《きのどく》だが懲罰《ちょうばつ》を加《くわ》えるからそのつもりでいることだ』  順喜《じゅんき》は蒼《あお》ざめた顔《かお》を真《ま》っ直《す》ぐにあげた。将校《しょうこう》は後《うし》ろの部下《ぶか》を振《ふ》り返《かえ》って、あれへ後《うし》ろ手《て》に縛《しば》り付《つ》けよ――と一|本《ぽん》の松《まつ》の木《き》を指《さ》し示《しめ》した。終《おわ》るのを待《ま》っていた将校《しょうこう》は、ずか/\と走《はし》り寄《よ》っていきなり順喜《じゅんき》の上着《うわぎ》を引《ひ》き裂《さ》いた。豊《ゆたか》な胸《むね》がシミーズの下《した》に盛《も》り上《あが》っている。順喜《じゅんき》の頬《ほほ》が紅潮《こうちょう》して、妖《あや》しいまでの美《うつく》しさに輝《かゞや》いて見《み》えた。将校《しょうこう》は一|瞬《しゅん》たじろいだが、これは戦争《せんそう》に有害《ゆうがい》な美《うつく》しさだと思《おも》った。両手《りょうて》を差《さ》し延《の》べると憎悪《ぞうお》に満《み》ちた眸《め》で更《さら》にシュミーズを引《ひ》き裂《さ》いた。後《あと》は狂《くる》ったように一|片《きれ》の布《ぬの》きれを残《のこ》すことなく※[#「てへん+毟」、第4水準2-78-12]《むし》り取《と》ってしまった。  斜陽《しゃよう》が朝《あさ》の松林《まつばやし》に流《なが》れて、あたり一|面《めん》に斑《はん》を描《えが》いている。兵隊《へいたい》の跫音《あしおと》がその中《なか》に遠去《とおざ》かって行《ゆ》く。順喜《じゅんき》は肩《かた》に張《は》りつめた力《ちから》を落《おと》して、ぼんやりそれを聞《き》いた。  七|月《がつ》十八|日《にち》、国連《こくれん》の援軍《えんぐん》が南鮮《なんせん》に上陸《じょうりく》した。南鮮《なんせん》軍《ぐん》は洛東江《らくとうこう》の新《しん》防衛線《ぼうえいせん》に拠《よ》って北鮮《ほくせん》軍《ぐん》の南下《なんか》を支《さゝ》えていた。南敬仁《なんけいじん》軍曹《ぐんそう》はその戦線《せんせん》にいた。そして、若《わか》い自分《じぶん》の生命《いのち》を思《おも》う影《かげ》に、いつも尹順喜《いんじゅんき》のことを背景《はいけい》にした。直属《ちょくぞく》の将校《しょうこう》が見廻《みまわ》りに来《き》て、長大《ちょうだい》な補給線《ほきゅうせん》を持《も》つ北鮮《ほくせん》軍《ぐん》は、今《いま》に総崩《くず》れになる――と云《い》ったが、何《なん》だか他人事《たにんこと》のように思《おも》えてならなかった。敗戦《はいせん》の恐怖《きょうふ》もない。抜軍《ばつぐん》の名誉《めいよ》をかちとる慾望《よくぼう》もない。その上《うえ》、敵《てき》味方《みかた》の因果《いんが》関係《かんけい》さえぴったりとはこなかった。  朝《あさ》から雨《あめ》が降《ふ》っていた。どこかでメンコ蛙《がえる》が鳴《な》いていた。満々《まん/\》と水《みず》を湛《たゝ》えた洛東江《らくとうこう》対岸《たいがん》の敵陣《てきじん》も雨《あめ》すだれの奥《おく》に沈黙《ちんもく》していた。  突然《とつぜん》――雲《くも》を突《つ》き破《やぶ》って戦闘機《せんとうき》が舞《ま》い降《お》りて来《き》た。火線《かせん》を地上《ちじょう》に叩《たゝ》きつけると、赤《あか》い大《おゝ》きな星《ほし》を翻《ひるがえ》して再《ふたゝ》び雲《くも》の中《なか》へ突《つ》き刺《さ》さる[#「刺《さ》さる」は底本では「刺《さ》さゝる」]ように消《き》えて行《い》った。続《つゞ》いて二|機《き》、三|機《き》――地上《ちじょう》から激《はげ》しい応射《おうしゃ》の曳痕弾《えいこんだん》が噴《ふ》き上《あが》る。まるで白《しろ》い曳《ひ》き幕《まく》を幾《いく》つも垂《た》れ下《さ》げたように。併《しか》しそれはほんの二、三|分《ぷん》のことだった。爆音《ばくおん》が遠退《とおの》いた頃《ころ》には広《ひろ》い視界《しかい》の隅《すみ》で豆粒《まめつぶ》のような機影《きえい》が時々《とき/″\》雲《くも》の下《した》に現《あらわ》れるだけだった。  間《ま》もなく配置《はいち》が解《と》かれた。雨《あめ》の中《なか》で相変《あいかわ》らずメンコ蛙《がえる》が鳴《な》いていた。南《なん》軍曹《ぐんそう》は掩兵《えんぺい》壕《ごう》に入《はい》ると雑嚢《ざつのう》の中《なか》から白《しろ》い封筒《ふうとう》を抜《ぬ》き出《だ》した。  韓国《かんこく》従軍《じゅうぐん》記者《きしゃ》 江南日報《こうなんにっぽう》 崔基龍《さいりゅうき》殿《どの》  尹順喜《いんじゅんき》――心《こころ》の中《なか》で呼《よ》びかけてみた。満《み》たされぬ哀《かな》しみが、とめどもなく拡《ひろ》がる。南《なん》軍曹《ぐんそう》はじっとりとした角封筒《かくぶうとう》を裏返《うらがえ》して、書名《サイン》を瞶《みつ》めた。湿《しめ》りを帯《お》びた封《ふう》じ目《め》が少《すこ》し浮《う》き上《あが》っている。無意識《むいしき》に爪《つめ》をかけると硬《かた》い紙質《ししつ》の糊目《のりめ》は訳《わけ》なく開《あ》いた。手《て》に触《ふ》れたものを引《ひ》き出《だ》すと想像《そうぞう》した通《とお》り写真《しゃしん》だった。ベールを纏《まと》うた肢体《したい》が画面《がめん》一|拡《ぱい》に伸《の》びている。どこかの舞台《ぶたい》姿《すがた》らしい。崔蓮花《さいれんか》の署名《サイン》があった。有名《ゆうな》な舞踊家《ぶようか》それが、尹順喜《いんじゅんき》その人《ひと》だった。  八|月《がつ》七|日《か》、国連《こくれん》軍《ぐん》及《およ》び韓国《かんこく》軍《ぐん》は全線《ぜんせん》に亘《わた》って反撃《はんげき》を開始《かいし》した。鳴《な》りをひそめていた重砲《じゅうほう》が一|齊《せい》に火《ひ》を噴《ふ》き、シャーマン戦車《せんしゃ》が歩兵《ほへい》を誘導《ゆうどう》して北鮮《ほくせん》軍《ぐん》の前線《ぜんせん》に強圧《きょうあつ》を加《くわ》えた。午後《ごご》になると各所《かくしょ》に渡河《とか》が敢行《かんこう》された。敵《てき》は次第《しだい》に北面《ほくめん》へ異動《いどう》を開始《かいし》した。南《なん》軍曹《ぐんそう》の部隊《ぶたい》は正面《しょうめん》の敵《てき》を追《お》って北上《ほくじょう》した。そして九|月《がつ》二十日《はつか》になって、十五|日《にち》に国連《こくれん》軍《ぐん》が仁川《じんせん》へ逆《ぎゃく》上陸《じょうりく》した情報《じょうほう》を聞《き》いた。その時《とき》南《なん》軍曹《ぐんそう》は錦江《きんこう》の線《せん》に退却《たいきゃく》する北鮮《ほくせん》軍《ぐん》に追尾《ついび》して秋風嶺《しゅうふうれい》に到着《とうちゃく》していた。次《つぎ》から次《つぎ》へ重複《じゅうふく》する尾根《おね》の一つ一つを陥《おと》して進撃《しんげき》を続《つづ》ける南敬仁《なんけいじん》は猪突《ちょとつ》した。けれ共《ども》肉体《にくたい》は鉄《てつ》に勝《か》てなかった。迫撃砲《はくげきほう》の至近《しきん》弾《だん》に倒《たお》れた。金《きん》伍長《ごちょう》が応急《おうきゅう》処置《しょち》をした。夕方《ゆうがた》になって病院《びょういん》車《しゃ》の溜《たま》りまで運《はこ》ばれた。出血《しゅっけつ》がひどかったので、更《さら》に後方《こうほう》へ送《おく》って輸血《ゆけつ》をせねば駄目《だめ》だろうと軍医《ぐんい》が云《い》った。その準備《じゅんび》をしていると、 『金《きん》伍長《ごちょう》』と、案外《あんがい》しっかりした語調《ごちょう》で呼《よ》んだ。『おう』答《こた》えて、担架《たんか》を覗《のぞ》きこんだ。 『僕《ぼく》を、助《たす》けようとするのだったらやめろ。死《し》にたくはないが、潔《いさぎよ》くしたい』  苦痛《くつう》を堪《た》えて、左手《ひだりて》でボタンの千切《ちぎ》れた上着《うわぎ》の内《うち》ポケットを探《さぐ》った。そして白《しろ》い紙片《しへん》を掴《つか》み出《だ》して、金《きん》伍長《ごちょう》の手《て》に押《お》しつけた。金《きん》伍長《ごちょう》は、護符《ごふ》だろうと思《おも》った。 『それを、宛書《あてがき》の人《ひと》に渡《わた》して呉《く》れ。必《かなら》ず渡《わた》して呉《く》れるんだ……或《あ》る人《ひと》との、約束《やくそく》は守《まも》りたいからな』 『判《わか》った。届《とど》けてやる。さあ、出発《しゅっぱつ》しよう』 『待《ま》って呉《く》れ……君《きみ》は、好《い》い学友《がくゆう》だった。そして……好《い》い戦友《せんゆう》だった。生命《いのち》を、粗末《そまつ》にするな。済《す》まないが……タバコを呉《く》れ』  金《きん》伍長《ごちょう》は一|本《ぽん》のタバコを見《み》つけるのに骨《ほね》を折《お》った。やっと自動車《じどうしゃ》隊《たい》の一人《ひとり》から貰《もら》いうけ、火《ひ》をつけてとんで戻《もど》った。が、夕暗《ゆうやみ》の中《なか》で軍医《ぐんい》が頭《あたま》を横《よこ》に振《ふ》っていた。伍長《ごちょう》は苦《にが》いタバコを喫《す》った。  秋風嶺《しゅうふうれい》の山肌《やまはだ》は、ひどい冷気《れいき》だった。  九|月《がつ》二十六|日《にち》、国連《こくれん》軍《ぐん》は京城《けいじょう》奪回《だっかい》に成功《せいこう》した。そして十|月《がつ》八|日《か》には開城《かいじょう》附近《ふきん》の三十八|度線《どせん》を突破《とっぱ》し、二十|日《か》は平壌《へいじょう》を占領《せんりょう》した。しかも二十一|日《にち》には米軍《べいぐん》の先鋒《せんぽう》部隊《ぶたい》が鴨緑江《おうりょくこう》岸《がん》にまで到達《とうたつ》したのである。併《しか》しこれは、必《かなら》ずしも作戦《さくせん》上《じょう》の成功《せいこう》ではなかったのである。  金《きん》伍長《ごちょう》は交替《こうたい》の為《た》め前線《ぜんせん》から引《ひ》きあげ、京城《けいじょう》の西方《せいほう》、麻浦に終結《しゅうけつ》した。前面《ぜんめん》に拡《ひろ》がった漢江《かんこう》は既《すで》に結氷《けっぴょう》していたが、氷《こおり》滑《すべ》りを愉《たの》しむ子供《こども》の姿《すがた》もなく、終日《しゅうじつ》薄陽《うすび》の中《なか》に寒々《さむ/″\》と広《ひろ》い川面《かわづら》を暴《さら》していた。もっとも、クリスマスが近《ちか》づこうというのに、南鮮《なんせん》の連合軍《れんごうぐん》は京城《けいじょう》に新《しん》防禦線《ぼうぎょせん》を布《し》かねばならぬかも知《し》れなかった。  その日《ひ》金《きん》伍長《ごちょう》は休暇《きゅうか》をとると、夕方《ゆうがた》宿営地《しゅくえいち》を出発《しゅっぱつ》した。この機会《きかい》を喪《うしな》えば、又《また》いつ南敬仁《なんけいじん》との約束《やくそく》を果《はた》せるかも知《し》れなかったからだ。噂《うわさ》に[#「からだ。噂《うわさ》に」は底本では「からだ噂《うわさ》に」]よると従軍《じゅうぐん》記者《きしゃ》の臨時《りんじ》クラブが南《みなみ》大門《だいもん》の近《ちか》くにあるとの事《こと》だった。そこへ行《い》けば、本人《ほんにん》に手渡《てわた》しが出来《でき》なくとも、誰《だ》れか仲間《なかま》がいる筈《はず》だった。  西《にし》大門《だいもん》を通過《つうか》する頃《ころ》、すっかり暗《くら》くなっていた。そして戦災《せんさい》の跡《あと》もひどく生生《なまなま》しくなってくるのだった。風《かぜ》はなかったが刺《さ》すような寒気《かんき》が厳《きび》しい。宵《よい》のくちだったが行《い》き交《か》う人影《ひとかげ》もない。時時《ときどき》軍用《ぐんよう》自動車《じどうしゃ》が凍《い》てた路面《ろめん》をヘッド・ライトの光芒《こうぼう》で、掃《は》きたてるように走《はし》るだけだった。  金《きん》伍長《ごちょう》は洩《も》れ火《び》一つ無《な》い道《みち》を急《いそ》いだ。未《いま》だ瓦礫《がれき》の片着《かたず》いてない露路《ろじ》に入《はい》ると、学生《がくせい》時代《じだい》の記憶《きおく》を辿《たど》って、南《みなみ》大門《だいもん》への近道《ちかみち》をとった。ふと行《い》くてに人《ひと》の気配《けはい》を感《かん》じた。が何《なん》の気《き》もなく行《い》き違《ちが》った。殺気《さっき》というのだろう、本能的《ほんのうてき》に身体《からだ》を開《ひら》いたが、途端《とたん》にピストルの乱射《らんしゃ》を受《う》けた。金《きん》伍長《ごちょう》は、張《は》り巡《めぐ》らした死《し》の陥穽《おとしあな》に墜《お》ちてそこへ崩《くず》れた。幾《いく》百万《ひゃくまん》と称《しょう》される犠牲者《ぎせいしゃ》の数《かず》の中《なか》に、――。  併《しか》しその傍《そば》で、行動《こうどう》の自由《じゆう》をもった生命《いのち》が蠢《うごめ》いていた。暗闇《くらやみ》の中《なか》に浮浪児《ふろうじ》が這《は》いよった。少年《しょうねん》は目前《もくぜん》の屍体《したい》を喪《うしな》ったら、飢餓《きが》と寒気《かんき》に負《ま》けねばならなかった。そっと手《て》で外形《がいけい》を探《さぐ》ってみると兵隊《へいたい》であることは直《す》ぐ判《わか》った。喰物《くいもの》の一|杯《ぱい》詰《つま》った雑嚢《ざつのう》を想像《そうぞう》して捜《さが》してみたが、着《つ》けてはいなかった。少年《しょうねん》は躊躇《ためら》った。食《く》うものがないとすれば外套《がいとう》を剥《は》ぎとるより仕方《しかた》がない。軍《ぐん》の外套《がいとう》など着用《ちゃくよう》は出来《でき》ないが、売《う》ることは出来《でき》る。ボタンを外《はず》して、屍体《したい》を転《ころ》がしたが、だが、それを断念《だんねん》しなければならなかった。露路《ろじ》口《ぐち》にブレーキの軋《きし》む音《おと》がして、二、三|度《ど》ヘッド・ライトが明滅《めいめつ》したからだ。それが若《も》し、銃声《じゅうせい》を聞《き》きつけてやって来《き》た秘密《ひみつ》警察《けいさつ》隊員《たいいん》だったら、生命《いのち》ごと持《も》って行《ゆ》かれる危険《きけん》があったからだ。  部屋《へや》には瓦斯倫《がすりん》ストーブが燃《も》え、天井《てんじょう》には野戦《やせん》ランプが吊《つ》り下《さ》げられていた。平服《へいふく》はその素性《すじょう》を隠《かく》す為《ため》のものだったが、そこは韓国《かんこく》秘密《ひみつ》警察《けいさつ》隊《たい》の、第《だい》五|異動《いどう》班《はん》の本部《ほんぶ》だった。 『兵隊《へいたい》の素性《すじょう》は判《わか》ったかね?』粗末《そまつ》な机《つくえ》を前《まえ》にした男《おとこ》が穏《おだや》かな声《こえ》で訊《たず》ねた。 『認識《にんしき》票《ひょう》の番号《ばんごう》を照会《しょうかい》していますが、委《くわ》しいことは未《ま》だ回答《かいとう》がありません』 『うむ。今夜《こんや》の間《ま》には合《あ》わないかも知《し》れない』男《おとこ》は口《くち》を噤《つぐ》むと、一|葉《よう》の書面《しょめん》にじっと目《め》をおとした。 [#ここから1字下げ] 永《なが》い間《あいだ》お別《わか》れ致《いた》しております。突然《とつぜん》の開戦《かいせん》が私《わたし》達《たち》にそうさせたのでしょう。私《わたし》達《たち》の為《ため》にも、祖国《そこく》の為《ため》にも不幸《ふこう》な悪夢《あくむ》です。けれど、私《わたし》はあなたの御健在《ごけんざい》を信《しん》じております。若《も》し十二|月《がつ》二十四|日《か》のクリスマス前夜祭《ぜんやさい》に、京城《けいじょう》が韓国《かんこく》軍《ぐん》の手中《しゅちゅう》にありましたら、私《わたし》は思《おも》い出《で》の鐘路《チョンロ》の教会《きょうかい》前《まえ》にてあなたのお出《い》でを待《ま》ちます。それまでに平和《へいわ》がやって来《き》て従軍《じゅうぐん》が解《と》けましたら私《わたし》達《たち》は自宅《じたく》でクリスマスを迎《むか》えられますのね。あなたは、私《わたし》の為《ため》にどちらかを御選《おえら》び下《くだ》さいませ。 [#ここで字下げ終わり] 『併《しか》し班長《はんちょう》、殺《ころ》された伍長《ごちょう》は北鮮《ほくせん》政府《せいふ》専用《せんよう》の便箋《びんせん》紙《し》に書《か》かれた通信《つうしん》文《ぶん》を持《も》っていました。果《はた》して忠実《ちゅうじつ》な韓国《かんこく》兵《へい》であったかどうかは判《わか》らない』 『その通《とお》り。だが、あの伍長《ごちょう》は韓国《かんこく》軍《ぐん》の軍服《ぐんぷく》を着《き》て死《し》んでいったのだ。疑《うたが》うことは悪《わる》い。事実《じじつ》北鮮《ほくせん》軍《ぐん》に関係《かんけい》があったかどうかは、これからの調査《ちょうさ》で明《あきらか》になる』 『では、班長《はんちょう》のこの手紙《てがみ》に対《たい》する考《かんが》えは?』  顴骨《かんこつ》の高《たか》い隊員《たいいん》が喰《く》い上《あが》るように反問《はんもん》した。班長《はんちょう》と呼《よ》ばれる男《おとこ》は静《しず》かに顔《かお》をあげて、 『額面《がくめん》道《どう》りに受取《うけと》ればたゞの私信《ししん》に過《す》ぎない。これを君《きみ》の云《い》う如《ごと》く、街頭《がいとう》連絡《れんらく》の秘密《ひみつ》通信《つうしん》だとすれば、態々《わざ/\》疑《うたが》われ易《やす》い北鮮《ほくせん》政府《せいふ》の用紙《ようし》を使《つか》ったことが余《あま》りにも莫迦莫迦《ばかばか》しい』 『その点《てん》は認《みと》めます。では、封書《ふうしょ》に尹順喜《いんじゅんき》と署名《しょめい》してあるにもかゝわらず、内容物《ないようぶつ》に崔蓮花《さいれんか》とサインした女《おんな》の写真《しゃしん》の入《はい》っていることは、どう解釈《かいしゃく》したら好《い》いのですか?』 『君《きみ》は崔蓮花《さいれんか》を知《し》らないようだが、これは舞台《ぶたい》人《じん》で舞姫《まいひめ》だ。尹順喜《いんじゅんき》はその本名《ほんみょう》だろう』 『或《あるい》は班長《はんちょう》の申《もう》される通《とお》りかも知《し》れません。併《しか》しこの手紙《てがみ》の名宛人《なあてにん》の崔基龍《さいきりゅう》は従軍《じゅうぐん》記者《きしゃ》でありながら、反戦《はんせん》同盟《どうめい》を結成《けっせい》していた男《おとこ》です。九|月《がつ》の検挙《けんきょ》前《まえ》に逃亡《とうぼう》し、行方《ゆくえ》不明《ふめい》中《ちゅう》だと情報《じょうほう》簿《ぼ》に記載《きさい》されています』 『一|説《せつ》には太田《たいでん》附近《ふきん》で屍体《したい》が発見《はっけん》されたとも云《い》われている。君《きみ》はそれをどう思《おも》う?』 『信《しん》じない』功《こう》を焦《あせ》る隊員《たいいん》は、断言《だんげん》した。 『よろしい。何《いず》れにしても十二|月《がつ》二十四|日《か》がくれば判《わか》る。儂《わし》は反戦《はんせん》同盟《どうめい》会員《かいいん》の秘密《ひみつ》連絡所《れんらくじょ》を知《し》っている。そこへこの手紙《てがみ》を届《とど》けさせておくのだ。崔基龍《さいきりゅう》が生《い》きていれば、それを受取《うけと》るだろう。そして、鐘路《チョンロ》の教会《きょうかい》の前《まえ》に行《い》くに違《ちが》いない。その時《とき》何《なに》もかも判《わか》る』  十二|月《がつ》十|日《か》、噂《うわさ》に違《ちが》わず北方《ほっぽう》から続々《ぞく/\》と撤退《てったい》して来《き》た国連《こくれん》軍《ぐん》は京城《けいじょう》の新《しん》防衛線《ぼうえいせん》に充満《じゅうまん》して行《い》った。北《きた》からの難民《なんみん》は、負《お》いきれないほどの荷物《にもつ》と深刻《しんこく》な戦争《せんそう》の苦悶《くもん》に喘《あえ》ぎながら鉄橋《てっきょう》の墜《お》ちた漢江《かんこう》の氷上《ひょうじょう》を渡《わた》って、長《なが》い長《なが》い行列《ぎょうれつ》を作《つく》り南下《なんか》した。  十二|月《がつ》十九|日《にち》、その難民《なんみん》に追《お》いすがって、北鮮《ほくせん》軍《ぐん》にとって代《かわ》った中共《ちゅうきょう》軍《ぐん》が再《ふたゝ》び三十八|度線《どせん》を突破《とっぱ》し、南下《なんか》した。  十二|月《がつ》二十四|日《か》がやって来《き》た。新《しん》陣地《じんち》の壕《ごう》ではクリスマスに背《せ》を向《む》けた兵隊《へいたい》達《たち》が北方《ほっぽう》から来《く》る者《もの》を待《ま》ち構《かま》えていた。その日《ひ》尹順喜《いんじゅんき》だけはクリスマスに向《む》き合《あ》って、夫《おっと》の崔基龍《さいきりゅう》を待《ま》った。崩《くず》れた飾《かざ》り窓《まど》、吹《ふ》き飛《と》ばされた尖塔《せんとう》。そこにも受難《じゅなん》の姿《すがた》が痛《いた》ましい。順喜《じゅんき》はじっと待《ま》った。秘密《ひみつ》警察《けいさつ》隊員《たいいん》の看視《かんし》をうけて、じっと思《おも》い出《で》の教会《きょうかい》前《まえ》を護《まも》った。  夜《よる》と寒気《かんき》が訪《おとず》れた。暗《やみ》に光《ひか》る看視《かんし》の眸《ひとみ》以外《いがい》に、誰《だ》れも来《こ》ない。尹順喜《いんじゅんき》は厚《あつ》い毛糸《けいと》のショールを頭《あたま》から蔽《おゝ》うと尚《なお》も立《た》ちつくした。真《ま》っ暗《くら》いクリスマス前夜祭《ぜんやさい》だった。さすがに疲《つか》れを覚《おぼ》えて、探《さぐ》り当《あ》てた壁《かべ》に上半身《じょうはんしん》を凭《もた》せかけた。  ふと、背後《はいご》で灯《ひ》かげの揺《ゆ》れるのを感《かん》じた。崩《くず》れた壁孔《かべあな》がくっきりと見《み》えた。教会《きょうかい》の奥《おく》で蝋燭《ろうそく》の裸火《はだかび》が揺《ゆ》れている。こんな夜《よる》に誰《だ》れかにお祈《いの》りを捧《さゝ》げているのだろうか――夫《おっと》は来《こ》ないかも知《し》れない――いや――順喜《じゅんき》は強《つよ》く否定《ひてい》した。そんな不安《ふあん》と向《む》き合《あ》うのは未《ま》だ自分《じぶん》の信《しん》じようが足《た》らぬからだと思《おも》った。 『随分《ずいぶん》、長《なが》らくお待《ま》ちですな』突然《とつぜん》声《こえ》がした。順喜《じゅんき》は耳《みゝ》を疑《うたが》った。振《ふ》り向《む》いたが誰《だ》れもいなかった。 『寒《さむ》い。あなたは誰《だ》れのために凍《こゞ》えていますか。こちらへ入《はい》りなさい』 『どなたで、しょうか』やっぱり人《ひと》がいた。 『名乗《なの》る程《ほど》の者《もの》ではない。あなたは、尹順喜《いんじゅんき》……そうですね。こちらへお入《はい》りなさい。儂《わし》は、何《なに》もかも知《し》っている。あなたの為《ため》に席《せき》が設《もお》けてある』  別《べつ》に怕《こわ》い気《き》は起《おこ》らなかった。尹順喜《いんじゅんき》は云《い》われるまゝに奥《おく》に入《はい》った。隅《すみ》に、天井《てんじょう》の落《お》ちてない小部屋《こべや》があった。そして野戦《やせん》ストーブさえあかあかと燃《も》えていた。 『こゝにいるのは、私《わたし》の忠実《ちゅうじつ》な部下《ぶか》だ』そこにいた顴骨《かんこつ》の高《たか》い男《おとこ》を、そうひきあわせた。案内《あんない》した男《おとこ》の容貌《ようぼう》を、尹順喜《いんじゅんき》は始《はじ》めてみた。外套《がいとう》の襟《えり》に深《ふか》く顎《あご》を埋《う》めている。出《で》ている部分《ぶぶん》は毛《け》の着《つ》いた防寒帽《ぼうかんぼう》で包《つゝ》んでいた。その上《うえ》、薄《うす》い色玉《いろだま》の眼鏡《めがね》さえかけていた。 『そこへおかけなさい』叮重《ていちょう》だが、無気味《ぶきみ》な余韻《よいん》をもっていた。 『これは、あんたのものですね? 崔蓮花《さいれんか》と尹順喜《いんじゅんき》――同一人《どういつにん》に間違《まちが》いないね。夫《おっと》は崔基龍《さいきりゅう》』じっと瞶《みつ》めて、返事《へんじ》を促《うなが》した。順喜《じゅんき》は頷《うなず》くより他《ほか》はなかった。男《おとこ》はそれを見《み》とると、顴骨《かんこつ》の尖《とが》った隊員《たいいん》に目配《めくば》せをした。隊員《たいいん》は頷《うなず》くと女《おんな》に一|瞥《べつ》して、表道路《おもてどうろ》の方《ほう》へ出《で》て行《い》った。 『さて、儂《わし》は韓国《かんこく》秘密《ひみつ》警察《けいさつ》、第《だい》五|異動《いどう》班長《はんちょう》の資格《しかく》で、あんたを取調《とりしら》べる。断《ことわ》っておくが、あんたは儂《わし》の云《い》うことに間違《まちが》いがあったら発言《はつげん》すれば好《い》い。よく承知《しょうち》しておいて貰《もら》いたい。気《き》の毒《どく》だが、あんたの夫《おっと》崔基龍《さいきりゅう》は、今夜《こんや》こゝへはやって来《こ》ない。崔基龍《さいきりゅう》と云《い》う男《おとこ》は、表面《ひょうめん》江南日報《こうなんにっぽう》の従軍《じゅうぐん》記者《きしゃ》だったが、本当《ほんとう》は朝鮮《ちょうせん》反戦《はんせん》同盟《どうめい》の大《だい》幹部《かんぶ》なんだ。それが判《わか》ったのが八|月《がつ》、そして九|月《がつ》の大《だい》検挙《けんきょ》を前《まえ》に失綜《しっそう》した。開城《かいじょう》、平壌《へいじょう》、そして京城《けいじょう》、大邱《たいきゅう》と転々《てん/\》していたことは大体《だいたい》想像《そうぞう》出来《でき》た。反戦《はんせん》同盟《どうめい》を唱道《しょうどう》する者《もの》は北鮮《ほくせん》にもいたから……けれど、どちらの政府《せいふ》にも徹底的《てっていてき》に嫌《きら》われたんだ。そして、太田《たいでん》に現《あらわ》れたとき、或《あ》る刺客《しきゃく》の為《ため》に殺《ころ》されてしまったんだ』 『信《しん》じられません』尹順喜《いんじゅんき》は即座《そくざ》に答《こた》えた。 『信《しん》じられない……何故《なぜ》? それが証拠《しょうこ》に、ここへやって来《こ》ないではないか。あんたは、一九五〇|年《ねん》、七|月《がつ》一日《ついたち》附《づけ》で夫《おっと》に手紙《てがみ》を出《だ》しただろう? 誰《だ》れに依頼《いらい》したのだね?』 『韓国《かんこく》兵《へい》です。南《なん》と云《い》う学生《がくせい》出身《しゅっしん》の軍曹《ぐんそう》でした』  尹順喜《いんじゅんき》は顔《かお》をあげると、相手《あいて》の顔《かお》をじっと瞶《みつ》めた。 『あなたは、その手紙《てがみ》を御覧《ごらん》になりましたのね』  激《はげ》しい語調《ごちょう》で詰問《きつもん》した。男《おとこ》は黙《だま》っていた。 『嘘《うそ》ですわ。夫《おっと》が死《し》んだことなど嘘《うそ》でございます。もうそのような残酷《ざんこく》なことはおっしゃらないで……この上《うえ》、私《わたし》にどうしろとおっしゃるのです。私《わたし》は……』 『待《ま》て』班長《はんちょう》は強《つよ》く手《て》で制《せい》して、すっと立上《たちあが》った。そして無言《むごん》のまゝそこを出《で》た。 『私《わたし》の夫《おっと》は来《き》ている……どこへもゆかないで……』尹順喜《いんじゅんき》は譫言《たわごと》のように呟《つぶや》いて床《ゆか》の上《うえ》へ崩《くず》れた。  暫《しば》らく何《なん》のもの音《おと》もしなかった。唯《ただ》ストーブの燃《も》え続《つゞ》ける幽《かす》かな音《おと》だけがした。  順喜《じゅんき》はやがて、人《ひと》の気配《けはい》を感《かん》じて顔《かお》をあげた。男《おとこ》が、立《た》っていた。 『忠実《ちゅうじつ》な部下《ぶか》に暇《ひま》をやった。副《ふく》班長《はんちょう》の進級《しんきゅう》辞令《じれい》を添《そ》えて……あの男《おとこ》は、必死《ひっし》になって儂《わし》を狙《ねら》っていた。あれは崔基龍《さいきりゅう》の素性《すじょう》に異様《いよう》な関心《かんしん》を寄《よ》せていた奴《やつ》だ。小《ちい》さな平和《へいわ》を勝《か》ちとるにも、戦《たゝか》いは必要《ひつよう》な手段《しゅだん》かも知《し》れない』 『…………』 『あゝ、奇蹟《きせき》だ。崔基龍《さいきりゅう》は、今《いま》帰《かえ》ったよ』  尹順喜《いんじゅんき》は立上《たちあが》って、大《おゝ》きく両手《りょうて》を開《ひら》くと、夫《おっと》のぶ厚《あつ》い胸《むね》を犇《ひし》と抱《いだ》いた。泪《なみだ》がとめどもなく流《なが》れる。  一九五〇|年《ねん》、十二|月《がつ》二十五|日《にち》の降誕祭《こうたんさい》。暗《やみ》の底《そこ》で、砲声《ほうせい》が殷々《いん/\》と轟《とどろ》いていた。[#地付き](完《かん》) 底本:「宝石十二月号」岩谷書店    1952(昭和27)年12月1日発行 初出:「宝石十二月号」岩谷書店    1952(昭和27)年12月1日発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※底本では、表題は「鐘《かね》は鳴《な》らず」とルビが付いています。 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。