住宅斷想 菊池幽芳 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)會社現象[#「會社現象」はママ] /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)いよ/\ /″\濁点付きのくの字点(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)さま/″\に -------------------------------------------------------  私は建築に多少の趣味を持つて居るが、殊に住宅建築に趣味を持ち始めたのは大正六年現在の家を建てる二三年前からである。併しその當時可なり自分の趣味を滿足させたその家も私の趣味の變遷に加へて、近所に家が建て込み、周圍の小杉が一人前となつて、すつかり眺望を妨げられるやうになつてからは、風景の點は申すまでもなく、家そのものも少なからぬ不滿が生じ、今度新しく景色のいゝところが手に入つたので、多少とも私の趣味を滿足させるため、再び住宅建築に取かゝつたことを機會に、私の住宅觀察想と云つたやうなものを書いて見たいと思ふ。  私が現在の家を建てた大正六年から約十年になるが、この間の會社現象[#「會社現象」はママ]は文化的に目まぐるしい變遷を遂げた。殊に傳統を破つた驚ろくべき變化は、所謂文化住宅の建築である。この『所謂』つきの文化住宅というものは、大分世の反感や嘲笑を買つたばかりか、文化住宅を建てたもの自身も、いろいろの思はぬ不便や、慣習の相違や、建築の不完全やから、その大部分が文化住宅の悲哀を感じたに違ない事ではあるが、併し結局將來の住宅は、この文化住宅が形を變へ、日本人の生活に合致するやう消化されたものでなければならない事は、從來の純日本建築のみでは到底現代人を滿足させる事の出來ない點から見ても明白である。  現に文化住宅といふのも、最近にはバンガローや、コロニアル或はコツテージの安價な摸倣と云たやうな惡趣味のものばかりでなく、大分日本人のものになりかけた品位のあるものが建築されつゝあるのも事實だ。私自身の趣味もその十年間に大分變つて、現在の家は日本建のみであるが、日本家のみではどうも滿足が出來なくなつたばかりか、子供達が高等の學校にも入り女學校や中學にも入るといふ風に大きくなるにつけて、日本在來の家が全然家長主義で、子供等の個性の尊重とか、プライベーシーとかいふやうな事は全然眼中に置いてない欠陷も痛感せられ、また新時代を作つて行く子供達はどうしても洋館がなければ承知が出來ないらしくもあるので、和洋折衷といふものにどうしても我慢の出來ない私は、自分の趣味を滿足させ得る程度の洋館と、純然たる在來の日本家を繼ぎ合はしたものを作る事にしたのである。それは全く木に竹を繼いだやうなものかも知れぬが、洋館の中に疊を敷く事の何よりも嫌ひな私としては致し方のない事である。  私のやうな五十餘年を傳統生活の中に活きて來たものには、疊を離れた生活といふものは到底出來さうもない。これは恐らくは日本人として和服を捨てる事が出來ないと同じく、近い將來はおろか、遠い未來でも疊なしの生活には全然改め得るかどうかは疑問である。それに日本人の生活にこびりついて居る傳統の力ばかりでなく、日本の風土氣候が必然的に日本風の家屋を要求するからである。それは第一に日本の夏といふ事を考へて見れば分る。窓の少ない箱のやうな洋風住宅で辛棒の出來るのは、歐羅巴の大部分のやうに、夏服なしでも暮せるようなところで、日本の夏は御同樣にこの夏も經驗した通り全く以てやり切れない暑さである。それも空氣の乾燥して居る歐羅巴などゝ違つて、水蒸氣が馬鹿に多いのだからいよ/\やり切れないのである。夏といふ事を考ヘずに日本の建築は語れない。夏涼しく冬暖たかくといふのは、住宅建築の理想であるが、日本では冬の寒さと云つても大した事はないので、夏の惠まれた風通しのよい住家がほしいといふのが一般人の心理である。また從來の日本家屋は夏を目的として作られたと云つてもよい位夏の自然に順應して建られてもあるのだ。例の屋根と云つても野地板の上へビルヂングペーパーを布き、その上に土かひなしにぢかに赤や青のセメント瓦を乘せた所謂文化住宅ではトタン屋根の下に居る時と餘り相違はない、そんな家で四方薄つぺらな壁に圍まれ、窓が少ないと來ては夏迚もたまつたものではない。そこへ行くとどんな日本家屋でも瓦の下には土が乘つて居り、四方開放して襖や障子は葦簾と入換り、風は吹通し次第、敷物は籘莚や呉座となり、座布團も輕い麻か何かに變り、極めて簡單に室内が一變され、住宅としての氣持が全くわれわれの傳統的氣分に一致して涼しい家となつて了ふ。かういふ早變りは文化住宅では鯱鋒立ちしても出來ない。それに第一晝寢でもするとか、疲れた身體を横たへるとかするのは、疊の上に大の字に寢そべるに限る。身體が半分埋まるベツドの上では午睡といふ氣分は取れないし、安定と慰安の感といふものは、ソーフアやベツドでは不充分で、疊の上に寢そべるほどそれほどたしかな安定感とくつろぎが得られるものでない。その上疊といふやつは非常に便利で、どこでもそれが敷かれてある限り、寢室にもなれば居室にもなり、座蒲團[#「なり、座蒲團」は底本では「なり 座蒲團」]さへ敷けば何人でもお客が出來る。來客がなければ座蒲團は隅の方へ何枚でも重ねて置いて少しの不體裁もない。洋館ではそんな手際のよい事は藥にも出來ない。第一餘分のお容の處分のつけやうのない上、その家としては是非とも考へて置かねばならない葬式の時などは、どうして弔問客を處置するか、所謂文化住宅の悲哀に當面するに極つて居る。  併し、それだからと云つて私自身日本家屋だけで滿足出來ない事は前云つた通りで、やはり洋館もほしい。一寸した來客の應對などは椅子式がよく、食堂や書齋も洋館が便利である。殊に私のやうに五十年も生きて來て、ぽつ/\老境に入るものには、冬向暖房の設備が是非ほしいが、日本家ではそれが出來にくい。尤も洋館でも所謂文化住宅では家全體が日本家より冷へる上に、その暖房の設備さへ、なつてないものが多いのだから、そんな家は建てる氣にもならんが、せめて冬の暖房設備だけは何を節しても遺憾のない洋館が欲しい。つまり私は日本家にも洋館にも同じ程度の愛着を持つて居るのだ。どちらにも住みたいのだ。そんな二重生活はいけないと云はれるかも知らんが、併し私は兼て二重生活讃美者で、今度の洋館に日本家を繼いだ家も、私の二重生活を具體化したものと云つてよい。二重生活といふものは趣味の上から見ても、經濟的に見ても頗る結構なもので、二重生活によつて日本人の生活内容は豐富にされるものと私は信じて居る。また夏を例に取ると汗ダクで歸つて來て洋服を大急ぎで脱すて、湯殿で汗を洗ひ流し浴衣一枚になつてくつろいだ氣持は洋服のみの生活者には到底味はれない。洋服を捨てゝ和服に變るところに氣分の轉換がある。氣分を換へるといふ事は誰もが神經衰弱にかゝつて居る今日の生活には最も必要である。日本料理、支那料理、西洋料理と、さま/″\に味はふところに胃の腑の享樂がある通り或時は洋服或時は和服、椅子から座蒲團、靴を穿いて窮窟な足を下駄で休める。生活内容は二重生活のため豐富にされこそすれ、何の不都合も感じない。その上經濟的に見ても同時に和服と洋服を着られぬ限り、二倍だけ長持する事になるから、最初のもとで[#「もとで」に傍点]が餘分にかゝるといふものゝ結局は同じ事であるばかりか、巧みに双方を利用すれば却つて經濟についで便利と愉快は此上なのである。  そこで二重生活讃美者としての私の建てる家は、當然の結論としても洋館と日本家と繼合はしたものになる譯だが、その日本家は四角な箱の中に疊を敷いて、ぐるりは壁の、例の折衷式日本家では無論ない。疊の先には縁側があり、縁側の天井には化粧野地が見え、北山丸太の垂木が行儀よく並んで、軒先三尺は外に出て居やうといふ、そして縁鼻にはガラス障子が建てられ、縁先には夏は打水にしつとりと涼を呼ぶところの庭石が並んで居る純然たる日本家である。かうして日本家の上品な落つきといふものは洋館を對照する時ます/\目に立つ。こゝに日本人の洗練された趣味があるので、日本家にはいよ/\捨てられぬ愛着を感する。と云つて私は一方に洋館讃美者である。但し調布や洗足などの田園都市にざらに建つて居る陸屋根めいた、不快な箱のやうなバルコニーを持つ家、獨逸風の出來損ねの家、所謂アメリカ建築、バンガロー風の家、急勾配の家ハーフチンバーの家、さてはマンサード、皆私の趣味ではない。明るい空の下に育くまれた西班牙、南佛、伊太利などラテン系民族の建築に憧憬を持つ私は、屋根勾配の緩やかな、窓その他の表現に多分の藝術的匂ひを漂はして居る西班牙伊太利風のものが一番好きである。で、今度の建築もさう云つた風のものを狙つて居るので、瓦もスパニツシユスタイルの栗色のものにする、そして全體の調子に、周圍の自然に調和したどこまでも落ついた品位を出したい。また私の見るところではスパニツシユ・ミツシヨン風のものが一番日本家屋との調和が取れると思ふ。但し仕上げて見ればどんなものが出來上るか分らないが、兎に角所謂文化住宅式の外觀だけは持たないものが出來るだらう。私のさま/″\の注文や、私の提供したプランに基いて、洋館の方は大林組が建てゝくれて居る。たゞ無理をして建てるものだけ贅澤が云へないから、その點で私なり建築家なりの滿足のものゝ出來ない事はいふ迄もない。  家は家長本位の自分のみの家ではない、家族の誰もが心から滿足し、めいめいくつろげるやうに、そして各自の個性が尊重され、プライベーシーが保たれるやうにと、このモツトーだけはどうやら實現されるだらうと思つて居る。併し何をいふにも私共の安普請では、建築で何一ツ自慢になるものの出來上らない事は分りきつて居るが、只今度の家で私の自慢出來るのは眺望の點である。今の芦屋の住宅から十五町ばかり離れて居る芦屋山手つゞきの西寄り森といふ所であるが、そこは東は夙川西は御影を基點として海岸に向ひ、弧線を描いて突出てゝ居る[#「突出てゝ居る」はママ]六甲山彙の一番海に迫つたところで、阪神間のどこよりも海を近く見る地點に當る。宅地は道路からも二間高く(海面より約百尺)道路の下は阪急線で、ずつと落込んで居るから、假にどんな家が建つにしても、眺望を妨げられる心配がない。下座敷から座つて居て海が一目である。その上に屋後に取込んだ松山が標高百尺ほどで、その頂上の展望と來たら、東は大阪築港から西は神戸港まで何の遮ぎるものもなく見える。紀伊の山々、淡路島手に取るやうである。これだけの眺望を持つて、大きな自動車の通ずる道路に添ふて居る停留場からも遠くないところは阪神間ですべて他にあるまいと、これだけは誰にも自慢が出來る。正面は東南に向いて居て、西北はその松山なので冬はこの上もなく暖たかく、夏は涼風が絶えない。まづ理想的の惠まれた自然と云つてよい。實はこんないゝところが手近にあるとは知らなかつたので、或事情でこの地所が見つかると、矢も楯もたまらなくなり、現在の地所を賣ればどうにかなるのだからと、苦しい中から算盤をつけて手に入れた次第なのだ。 底本:「文藝春秋 十月號」文藝春秋社    1926(大正15)年10月1日発行 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。