自動車と肉体 島津保次郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)コツ[#「コツ」に傍点] -------------------------------------------------------  去年の暮、半年がゝりで自動車の試験を受けて免許をもらつた時はさすがに嬉しかつた。それから毎日運転してゐる。このお蔭で種々違つた社会の面にもふれる事が出来た。  人間は全く何んでも経験するものだ。先づあの試験である。私は実科は五回目、学科は二回目でパスした。あとで人に聞いて見ると成績のいゝ方なのださうだ。少し得意になつた。私の様な年寄、と云つても自分ではまだ青年のつもりだが多少頭髪がうすいので、決して禿げと混同されてはこまる、薄いのだ、人はオヤジオヤジと云ふ‥‥そのやうな初老者は受験者には珍らしい。皆二十代の若い人達ばかりだ。しかも皆が皆あまり上等でない風態をして受験にやつて来る、自分もなんだか張りつめた気持になる。他の連中は殆んどすべて食ふために自動車運転免証を取りに来るのだから、第一眼の色が違ふ。しかもさうした人達が落第して、遊び半分の私が合格するなんて皮肉な話だ。悲劇だ。考へ様によつては、いゝ年をしてこんなことをやる私の方が喜劇かも知れぬ。いづれにしても骨が折れた。中学校の入学試験より六ヶ敷かつた。実科よりも法規の試験が大変だつた。私程の年になると記憶力は目だつて減退する。それに数百の問題を暗記するなんて並大抵のわざでない。で、公然と自動車が乗りまはせる様になると全く翼の生えたやうな気がした。  仕事の合間も時々気ばらしにドライヴをやる。その点大船はありがたい。片瀬までドライヴウエイがあるし茅ヶ崎の海岸の道路は絶好だ。赤松の防風林と渚の間のアスフアルトは十五間位の幅がある。しかも天気のいゝ日は正面に富士山がそびえてゐる。全くフアンク映画を地で行くあれだ。江ノ島まで二十分‥‥音にきくこの島の美しさはまた格別である。  自動車運転のコツ[#「コツ」に傍点]はエンヂンを自分のもの[#「自分のもの」に傍点]とすることだ。肉体の一部とすることだ。技術で運転するやうではまだ素人である。本能で運転しなければならぬ。道を歩いてゐて二本の足の重心に心をくばる人はない。自動車の運転においてもハンドルやギアなど、またロウやセコンドやトップの使ひわけなどに意識をもつやうではまだ駄目である。道を歩くときの足に対する如く、ひとりでに手足が動かなくてはならぬ。と大きな事を云つても、勿論まだ私はそこまで行つてはならない。唯今更ながら技術の肉体化と云ふことを痛切に感じたまでゞある。ピアニストもタイピストも運転手も、キヤラメル女工もその点では同じことだ。  熟練した運転手は運転台に坐つてエンヂンの微妙な音によつて自動車自体の健康状態を感じる。タイヤに入つてゐる空気の分量までわかる。こゝまで達するのはひとへに訓練である。映画の仕事もこんな風に行くといゝと思ふ。勿論ある程度までは映画テクニツクの肉体化と云ふことは考へられる。ところが絵や音楽なんかと違ふから不便だ。もつとも芸術創作と云ふものはすべて技術の肉体化の上に築かれるものだ。若し熟練のみによって価値をきめるなら、タイピストもピアニストと同じく芸術家でなくてはならぬ。唯違ふのはその上に出来上る。いやそれを下からもち上げる思想が尊いのだと思ふ。自分の熟練に自負してはならない。私が大分運転に馴れて来たのである。人はこれから要心しろ、と云つて呉れる。よく泳ぐ者よく溺ると云ふ訳なのだ。  自動車の運転でも本職の方でも私はこれを警戒しなければならないと思ふ。映画の仕事でも、私は一通りの熟練工である。馴れた運転である。自負でなくさう考へてもいゝだらう。だが事故を起しやすいのはこれからなのだ。  さう自らを戒めてゐる。 [#地付き]『話』十一年四月号 底本:「《復録》日本大雑誌 昭和戦前編」流動出版    1979(昭和54)年12月10日改装初版 入力:sogo 校正: ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。