遺産の隠し場 Lord Chizlligg's Missing Fortune ロバート・バー Robert Barr 村崎敏郎訳 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)ご利益《りやく》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)こういう善美を[#「こういう善美を」は底本では「こういういう善美を」] -------------------------------------------------------  故チズルリグ卿の名が頭に浮かぶと、とたんにわたしはかならずトマス・エジソン氏の名を思い出す。わたしは故チズルリグ卿には会つたことがないし、エジソン氏にも生涯に二度会つただけであるが、そのくせ二人はわたしの記憶の中で結びついていて、前者が包み隠していた行動の秘密を解決するに当つて大いにわたしに力をつけてくれたのは、後者が或る時もらした一言であつた。  手元にメモがないので、エジソン氏との二回の会見があつた年はよくわからない。わたしは、パリ駐在のイタリア大使から、大使館に会いにきてくれという手紙を受け取つた。聞くところによると、その翌日大使館からの代表団が或る一流ホテルに出かけて、偉大なアメリカの発明家を正式に訪問した上、イタリア国王が授けた栄誉にともなういくつかの勲章を公式に贈呈する予定だということであつた。高い身分のイタリアの貴族が多勢招待されていたし、こういう高官連はそれぞれの地位にふさわしい立派な服装を身につけるばかりではなく、たいていはほとんど見当のつかないほど高価な宝石を身につけるならわしであつたから、わたしの出席が希望されたのは、おそらくわたしがいれば、そういう貴重品を手に入れようとして一骨折りそうな器用な腕の旦那方の計画を見張つていられると思われたせいであろう。そしてわたしは、たぶんいくらか自己満足にすぎぬかもしれないが、当日思いがけない事故は何一つ起こらなかつたと、言いそえておこう。  エジソン氏は、もちろん、ずつと前に代表団が訪問する時間の通告を受け取つていた。しかしわれわれ一行が発明家に割り当てられている大きな客間に入つたとき、この有名な男は儀式のことなんかすつかり忘れていることがわたしには一目ではつきりした。エジソンは裸のテーブルのそばに立つていたが、テーブルクロスは引きずり落して片隅に投げこんであり、テーブルには真黒な油だらけの機械――歯車や滑車やボルトなど――がいくつか置いてあつた。これはどうやらテーブルの反対側に立つているフランス人の職工の物らしく、男の汚れた手にも部分品の一つがのつていた。エジソン自身の手も、明らかにその道具を調べながら職工と話していたらしく、あまりきれいではなかつた。職工は小規模の鉄工場の親方がよく着るような長いダブダブの仕事着を着ていた。わたしの判断では、どこか裏町に自分の小さな仕事場を持つていて、たぶん腕のいい助手を一人か二人と弟子を二、三人使いながら、半ぱな機械仕事をしている男らしかつた。エジソンはいかめしい行列がならんで入つてきた戸口のほうをキッと見て、思いがけない邪魔が入つたのに困つたような顔をすると同時に、いつたいこのはなやかな行列はどういうわけかと、やや当惑したようであつた。イタリア人は式をやるとなるとスペイン人同様になかなか儀式ばるので、ビロードのクッションに安置した宝石入りの美々しい箱をささげた男がゆつくり前に進み出ると、マゴマゴしているアメリカ人の前にピタリと立ち止つた。すると大使が、よく響く声で、合衆国とイタリア両国間の友交についていんぎんな挨拶をし、両国の激励が常に人類に利益を与えんことを希望すると述べてから、この名誉ある受勲者を例に引いて、これまでに世界が生み出した、平和の技術であらゆる国々に祝福を授ける人の中で最も注目すべきお手本だと言つた。雄弁な大使は、王家の命令によつてここに出席するのは自分の義務でもあり喜びでもある……等々というようなことを言つて、話を結んだ。  エジソン氏は見るからにおちつかないようすだつたが、それでもできるだけ言葉少なにこの場にふさわしい返事をした。尤もらしい式がこうして終ると、貴族たちは、大使を先きに立てて、ゆつくりひきさがつたし、わたし自身は行列のしんがりについた。内心ではわたしは、こうして思いがけなくあんな壮麗な場面にぶつかつたフランス人の職人に、深く同情した。彼は狂気のようにあたりを見まわしたが、このはなやかな高官連を押しのけでもしないかぎり逃げ道がふさがれているのを見てとつた。そこで懸命にちぢこまつていようとして、おしまいには麻痺したように力なげに立つていた。共和制度を敷きながらも、すべてフランス人の頭の奥には、こういう善美を[#「こういう善美を」は底本では「こういういう善美を」]つくした衣装で登場するお役人の堂々たる行列を恐れうやまう心持が、深くひそんでいるのである。しかしフランス人は、このあわてふためいた技術者の場合のように不つり合いにそういうことの真中に投げこまれるのはまつぴらで、遠方から仲間と一緒になつて見ているのが好きなのだ。わたしは出て行きながら、一日数フランのかせぎでまんぞくしているつましい職人とそれに向かい合つている百万長者の発明家のほうを、チラリとふりかえつて見た。エジソンの顔は、さつきの挨拶中ははつきりナポレオンの胸像を思いださせるように冷たい無感動なようすをしていたのに、つましいお客のほうにふり向いた今は、すつかり熱中して顔を輝かしていた。彼はうれしそうに大声で職人に言つた。 「一分間の実地教授は二時間の説明の値うちがあります。わたしは明日十時頃あなたの仕事場へ行つて、これをどんなふうに動かすかお目にかけましよう」  わたしはフランス人が出てくるまで玄関のホールでグズグズしていた。それからその男に自己紹介をして、翌日十時に仕事場を訪ねて行きたいから特に許してもらいたいと頼んだ。この頼みは、あのフランスの労働者階級にはいつもよく見られるいんぎんな態度で、きいてもらえた。そこで翌日わたしはうれしいことにエジソン氏に会えた。三人で話をしているうちにわたしは氏の白熱電球の発明についてほめそやした……するとこれがいつまでもわたしの記憶に残つている返事であつた―― 「あれは発明ではなく、発見でした。わたしどもには何が必要なのかわかつていました……真空の中の電流に、まず、一千時間も耐えられるような炭化物の薄片です。もしこういう薄片が存在しないとすれば、その時は白熱燈は不可能だとわかつていました。わたしの助手たちはこの薄片を見つけにかかりました。わたしどもは手のつけられる物は何でもただもう炭化して、真空の中でそれに電流を通してみました。最後にうまい物にぶつかりましたが、これはわたしどもが長いあいだ仕事を続けていれば、その物が存在しているかぎり、当然そうなるはずでした。忍耐と勤勉はどんな障害でも征服しますよ」  この信念はわたしの専門の職業で大きな助けになつてくれた。わたしは、探偵というものは普通の人の目に見えない手掛りをたどつて劇的な解決をするのだという考えがひどく世間にひろまつていることを、知つている。たしかにそういうことも度々あるが、一般的には、エジソン氏が推奨する忍耐と勤勉のほうがずつと安全な手引きである。すばらしい手掛りだと思つて付いて行くと、わたしが五百個のダイヤモンドの秘密を解こうとした不運な事件のように、とんでもない目に会うことが実に多いのである。  さつき言つたとおり、わたしは故チズルリグ卿を思うと同時にかならずエジソン氏を思い出さずにはいられないが、それでいてこの二人はまるきり似ていなかつた。わたしの考えではチズルリグ卿は世の中で一番無用の人間だつたと思うが、エジソン氏はそれと正反対だ。  或る日、下男が「チズルリグ卿」とこつた印刷のしてある名刺をわたしの所へ持つてきた。 「卿をご案内しなさい」とわたしは言つた。すると姿を現わしたのはおそらく二十四、五の青年で、立派な服装をして、ひどくチャーミングな物腰であつた。ところが、この青年はいままでわたしが聞いたこともないような質問で会見の口火を切つたが、そんなことを弁護士その他のこういう職業の者に言い出したら、大いに憤慨した返事をきかされたことだろう。実際、たしかにそれは法律関係の職業の規則か、もしくは不文律に違反することだから、チズルリグ卿がわたしに申し出たようなことを引き受けたのがもしも人に知れたら、その法律家の恥辱と身の破滅になつてしまうだろう。 「ムシュー・ヴァルモン」とチズルリグ卿は話しはじめた。 「あなたは思わくで事件を引き受けてくださいますか?」 「思わくで? どうもおつしやることがわかりかねるようです」  卿は少女のように顔を赤らめて、やや口ごもりながら説明しようとした。 「わたしの申し上げるのは、つまり不確定な報酬で事件を引き受けてくださるかどうか? ということです。つまり、ムシューが――ええと――いや、有りのまま申し上げると、成功しなければ、無報酬というわけです」  わたしはややきびしく答えた。「そういう申し出はいままで聞いたことがありませんし、万一そういう機会を与えていただいてもお断りしなければなるまいと即座に申し上げることになりましよう。事件がまかされた以上、ぼくはその解決に時間と労力を費します。もちろん成功するようにやつてみますが、それは自分の思うようには行きませんし、その間ぼくは生きていかなきやならないんですから少くとも暇をつぶした時間についてはいやでも請求せざるを得ません。医者は、患者が死んでも、計算書をよこすと思いますがね」  青年は不安そうに笑つて、ほとんど話を続けられないほどまごついたようだつたが、やつと口をひらいた。 「あなたが例にお引きになつたことは、おそらくそうおつしやるあなたがご想像なさる以上に、まともに急所を突いています。わたしは、六ヵ月前に死んだ亡き伯父のチズルリグ卿を見てくれた医者に最後の一ペニーまで払いつくしたところです。さつきの申し出が、あなたの腕に文句をつけたり、あるいはむしろそれを疑つているように思われるかもしれないことは、よく承知しています。しかし、ムシュー、もしそんなお考え違いをなさつたのでしたら、たいへん残念です。わたしは何にも打明けないで知らん顔をして、現在のわたしの身の上にふりかかつているふしぎな事情を解き明かす仕事を引き受けていただくようにお願いすることもできたでしようし、そうすればあなたのおびただしいお約束が許せるかぎりきつと仕事を引き受けてくださつたろうと思います。それで、もしあなたが失敗されたら、わたしは実際破産ですからどうせお礼をさしあげるわけにはいかなかつたでしよう。ですから、最初から正直に申し上げて、実際の立場をお知らせしておきたいと思つただけのことでした。もしあなたが成功してくだされば、わたしは金持になります……もし成功しなかつたら、現在どおりの一文なしです。もうおわかりになつたでしようか、なぜわたしがあなたのご立腹も無理がないような質問で話をはじめたかというわけが?」 「すつかりわかりました。閣下、そしてあなたの率直なお言葉が何よりの信用です」  わたしは青年の見栄をはらない態度と、でたらめの口実を作つて仕事をさせようとする気持が全然ないことに、ひどく心をひかれた。わたしがそう言い終ると、貧民の貴族は立ち上つて、頭を下げた。 「ムシュー、わたしはあなたがていねいに迎えてくださつただけでも大へんあなたに負債を感じますが、むだなお願いであなたの時間をつぶしたことをお詫び申し上げるだけのことしかできません。では、おいとましましよう、ムシュー」 「ちよつとどうぞ、閣下」とわたしは、また席へもどるように手まねして、答えた。「ぼくはあなたのおつしやる条件で依頼をお受けする用意があるわけではありませんが、それにしても、お役に立つようなヒントの一つ二つは申し上げられるかもしれません。チズルリグ卿の死亡公告はおぼえていると思います。多少風変りな方でしたな?」 「風変り?」と青年は言うと、ちょつと声を立てて笑いながら、また腰をかけた――「マア、よほどね!」 「あの方は何か二万エーカーほどの土地をお持ちになつていたとぼんやり記憶してますが?」 「実際は二万七千です」と客は答えた。 「あなたは爵位と同時にその地所の相続人になられたのですか?」 「ええ、そうです。地所は相続に附随していました。伯父はいやでもそれをわたしから切り放すわけにはいかなかつたのですが、どうもそのことが悩みの種だつたに違いないような気がします」 「だが閣下、いわばこの英国の豊かな国土に領地をお持ちになつている方が、まさか一文なしのはずはありませんでしよう?」  また青年は声を挙げて笑った。 「ところが、だめなんです」と彼は答えて、ポケットに片手を突つこむと、二、三枚の茶色の銅貨と銀貨を明るい処へ出してみせた。「わたしは今夜の食べ物を買うだけの金は持つてますが、セシル・ホテルで食事するほどの金はありません。マア、こういうわけです。わたしはかなりな旧家の出ですが、一家の中に放蕩な暮しをしたものが幾人もあつて、土地を根こそぎ抵当に入れました。その金を借りたときは今日より地価がずつと高かつたので、いくら一生懸命やつてみても自分の地所からはもう一ペニーも上がりません。農業の不振や、そんなようなことがいろいろあつたので、なんて申し上げたらいいか、いわば土地を持つていたためにかえつて持つていなかつたのより千倍もひどい暮しになつてしまいました。その上、亡くなつた伯父が生きてるうちに、議会が伯父のために一、二回仲介して、最初は高価な材木を切り出すことを許し、二度目にはクリスティの店([#割り注]ロンドンの有名な美術商[#割り注終わり])でチズルリグ・チェイスの画を売り立てることを許しましたが、その売立ての数字は人によだれを出させるほどでした」 「それでその金はどうなつたのですか?」と、わたしがきくと、またしてもこの温和な紳士は声を挙げて笑つた。 「それこそヴァルモンさんなら発見できやしまいかと思つてわざわざお伺いしたことです」 「閣下、あなたのおつしやることは興味があります」とわたしは心から言つたが、どうやらもうこの青年が気に入つたので、けつきよく事件を引き受けることになりはしまいかという不安を感じた。ていさいをかまわない所がわたしの心を動かしたし、わがフランス人には共通しているあの同情心が、わたしの意思とはまつたくおかまいなしに、いわばすつかり彼を包んでいた。 「わたしの伯父は」とチズルリグ卿は続けた……「わたしどもの一家ではやや例外でした。伯父はごくごく大昔に逆もどりしたタイプ――一家の記録に残つていないようなタイプだつたに違いありません。先祖たちが浪費家だつたと同じくらいけちでした。二十年ほど前爵位と領地を受けると、従者の下男をすつかり解雇してしまい、その結果実際当家の家来たちが不当な解雇――すなわち予告期間を与えただけで一文も補償を出さない解雇――だといつて伯父を訴えたために、被告として数回法廷へ引き出されました。わたしは伯父がこういう訴訟にすつかり負けたことをむしろ喜んでいます……そして伯父は、貧乏だからと嘆願して、補償金にしたり、自分の生活費のたしにしたりするために、相伝財産の一部を売る許可を得ました。この相伝財産が競売で思いがけなく上値に売れたので、伯父は、いわば、どうしたらやつて行けるかという経験を得たわけです。いつも地代が抵当に入つているとか、暮しの金が一文もないとかいうことを証明しては、何回か法廷の許可を得て木材を切つたり画を売つたりしたので、とうとう領地は裸になるし、古い屋敷は空つぽの物置になつてしまいました。まるで労働者みたいな暮しをして、時には大工の仕事をやつたり、時には鍛冶屋の真似をしていました……実際英国でも一番みごとな部屋だとされていた図書室を鍛冶屋の仕事場にしました……この図書室には数千の貴重な図書があつて、伯父はそれを売ろうとして許可を求めましたが、さすがにこういう特別な権利は一度も許されませんでした。わたしが財産を受けついでから気がついたのは、伯父が実に執念深く法律をくぐつて、この立派なコレクションをひそかに一冊ずつロンドンの商人の手で散逸してしまつていたことです。もちろんこれがもし伯父の生前に発見されていたらたいへんやつかいなことになつたでしょう……しかしなにしろ貴重な本がなくなつていて、取り返しようがありません。大部分はたしかに、アメリカやヨーロッパの博物館やコレクションへ行つたにきまつています」 「たぶん、その行方をさがせとおつしやるのですね?」とわたしは口をはさんだ。 「いや、いや、それは願つても及ばないことです。老人は材木を売つて数万ポンド作りましたし、画を処分して数千ポンド作りました。屋敷は古い立派な家具類が裸にされていますが、これはひじように高価な物ですし、それから今申し上げたように、あの書物も値打どおりに処分したのなら王公のような収入をもたらしたに違いありません……それに伯父は抜け目がないほうですからたしかに本の値打は知つていたはずです。法廷が最後に、これ以上はもはや(伯父が名付けたような)救済を許さない、と拒絶したのは七年ほど前ですが、それ以来伯父はまつたく明らかに法律を犯して、書物や家具を個人的に売り払つて処分していました。その当時わたしは丁年未満でしたが、わたしの後見人が伯父の法廷への願い出に反対して、それまでに伯父の手に握られた金の計算を要求しました。裁判官は後見人の反対を支持して、領地をそれ以上勝手に処分することを拒絶しましたが、わたしの後見人が要求した計算書は認めませんでした……というのは他の売却行為はまつたく伯父の自由で、伯父の地位にふさわしい暮しをさせるために法律によつて認可されたものだからでした。もし伯父が、わたしの後見人が主張したとおりに、きまえのいい暮しをしないで貧しい暮しをしていたとしても、それは伯父の勝手だという裁判官の言い渡しだつたので、問題はそれきりになりました。 「伯父は最後の願い出に対してこういう反対をしたためにわたしをひどく嫌うようになりましたが、もちろんわたしはその問題にはまつたく関係しなかつたのです。伯父は大部分図書室で、隠者のような暮しをして、老人夫婦に世話をさせていました……この三人が、楽に百人も入れるような大邸宅の唯一の住人でした。伯父は、だれの所へも訪ねて行きませんでしたし、何者にもチズルリグ・チェイスに近づくことを許しませんでした。伯父は自分が死んだ後までも、不幸にして今まで伯父と交渉のあつた者をどこまでも困らせておいてやろうという目的からでしようか、遺書といえそうなものを残しましたが、それはむしろわたし宛ての手紙といつたほうがいいかもしれません。ここにその写しがあります。 [#ここから1字下げ] 『親愛なトムよ――おまえは図書室の二枚の紙の間におまえの財産を見つけるだろう。 [#ここから3字下げ] 愛する伯父 [#ここから5字下げ] チズルリグの伯爵、レジナルド・モーラン』」 [#ここで字下げ終わり] 「そいつは合法的な遺書かどうかが疑わしいようですね」とわたしは言つた。 「その必要はありません」と青年はほほえみながら、答えた。「わたしが最近親で、伯父の持つていた物いつさいに対する相続人です。尤も、むろん伯父がその気になつたら、どこかほかへ金をやつてしまつたかもしれません。なぜ伯父がどこかの団体に財産を遺贈しなかつたのか、それはわかりません。伯父は自分の召使い以外に個人的には一人も知り合いがなかつたし、その召使いも酷使して餓え死にさせるほどでしたが、自分でもその召使いに言つていたとおり、伯父は自分の体まで酷死して餓え死にさせるくらいでしたから、召使いたちも不平の言いようがありませんでした。伯父は、おれは召使いを家族同様にあつかつているのだ、と言いました。どうも伯父は金を隠しておいて、わたしにまちがつた探索をさせるほうが(それはたしかにそうしたのだと確信します)公然とどこかの個人や慈善団体に残すより、もつとわたしを苦しめ悩ますことになるだろうと、考えていたようです」 「いうまでもなく、図書室は、おさがしになつたのでしようね?」 「さがした? マア、世界はじまつて以来あれほどさがしたことはありますまい」 「おそらくあなたはその仕事を無能な人にまかせたのじやありませんか?」 「ムシュー・ヴァルモン、あなたはわたしが金がなくなるまで他の者を雇つて、それからあなたの所へ来て思わくの申し込みをしてると、ほのめかしていらつしやいますね。はつきり言わせてもらいますが、そんなことはありません。無能であることは認めますが、わたしが自分でやつたのです。今までの六ヵ月間わたしはまつたく伯父のしていたとおりの暮しをしてきました。あの図書室を床から天井までさがしまわりました。古新聞紙や計算書やその他いろんな物が散らかつて、恐ろしい状態になつていました。それから、もちろん、図書室にはまだコレクションといえるほどのおびただしい本が残つていました」 「伯父様は信心深い方でしたか?」 「そうはいえませんでしようね。わたしは勝手な推量はしません。実は、わたしは伯父とは親しくしていなかつたので、死ぬまで会いもしませんでした。信心深くなかつたと想像するのは、そうでなかつたらあんなやり方はしなかつたろうと思うからです。それでも、伯父がどんなことでもやりかねない、ひねくれた頭の持ち主だつたことは知つてます」 「ぼくは一度こんな事件があつたのを知つています……多額の金を期待していた相続人が家庭用の聖書を遺言で送られたので、それを火の中に投げこんでしまいましたが、後になつて、その中にイングランド銀行の紙幣で数千ポンドの金がはいつていたことがわかつて呆然としていました……遺贈者の目的は遺産受取人にありがたい書物を読ませるためであり、もしそうしなかつたら、それをなおざりにした罰に苦しい思いをさせようというのでした」 「バイブルはさがしましたよ」と若い伯爵は笑いながら、言つた。「ですがご利益《りやく》は物質ではなくて、むしろ教訓でした」 「ヒョッとしたら伯父様は財産を銀行に預金して、その額だけの小切手を書いて本の頁のあいだにはさんでおいたのではありませんか?」 「どんなことでも有り得ますよ、ムシュー。ですがそんなことはとても有りそうもないと思います。わたしはどの本も一頁一貢さがしましたが、どうやらほとんどの本はこの二十年来ひらかれたこともないような気がします」 「ためたお金はどのくらいになる計算ですか?」 「十万ポンド以上は手をつけてないに違いありません。ですが銀行に預けたかどうかということになると、伯父は銀行なんかちつとも信用できないと明言していましたし、わたしの承知しているかぎりでは今までに小切手一枚書いたことがないと、申し上げておきたいんです。勘定は全部例の執事の爺さんが金貨で払いましたが、爺さんはまず受け取つた請求書を伯父の所へ持つていつて、それから一度部屋を出てベルが鳴るまで待つてから、キッカリそれだけの金額を受け取つていました……これは伯父が自分の貯えの保管場所を知らせないようにするためでした。わたしはもしその金が発見されるとすれば金貨だろうと信じていますし、もしこれを遺言状だといつてもよければ、この遺言状はわたしどもにまちがつた捜索をさせるために書いたものです」 「あなたは図書室をすつかり片付けておしまいになりましたか?」 「いや、いや、そつくり伯父の残したままにしてあります。わたしは、もし助けを呼ぶとすれば、来てもらう方に手をつけないままの所をお見せするほうがいいと思いました」 「大へんけつこうでした、閣下。書類はすつかりおしらべになつたのですね?」 「ええ……その点では部屋中すつかりよくしらべてみましたが、伯父の死んだ日にあつた物はそのままにしておきました。鉄床《かなどこ》までそのままです」 「鉄床?」 「ええ、さつき申し上げたとおり、伯父は図書室を寝室にすると同時に、鍛冶屋の仕事場にしました。ひじように大きな部屋で、一方の端に大きな炉があつて、それがすばらしい鍛冶炉になつていました。伯父と執事は自分たちの手で東側の炉の中にレンガとネンドで鍛冶炉を作つて、そこに中古の鍛冶屋のふいごをすえつけました」 「鍛冶屋の炉でどんな仕事をしたのですか?」 「ああ、あすこで必要なものはなんでも。伯父は大へん腕のいい鉄工だつたらしいんです。庭や家で使う道具は古物が買えるかぎり決して新しいのを買いませんでしたし、それからすでに使つている物は鍛冶場で修繕できるうちは古物も買いませんでした。伯父はコッブ種の老馬を飼つていて、それに乗つて庭を乗りまわすことにしていましたが、この馬の蹄鉄はいつも自分で作つていたと執事が話していますから、鍛冶屋道具の使い方はよく知つていたに違いありません。伯父は大きな応接間を大工の仕事場にして、そこでベンチを作りました。伯父が伯爵になつたために大へん役に立つ職人が一人へつたような気がするくらいです」 「あなたは伯父様が亡くなられてからずつとチェイスに住んでいられたのですね?」 「あれでも住んでいたといえるとすれば、そうです。老執事夫婦が、伯父を世話していたと同じように、わたしの世話をしてくれていますが、毎日毎日わたしが上着も着ないでほこりまみれになつているのを見て、先代の再版だといつてるでしようね」 「執事は金の行方がわからないことを知つていますか?」 「いいえ……そのことはわたしのほかはだれも知りません。この遺書はわたし宛ての封筒に入れて、鍛冶炉の上に置いてありました」 「あなたの説明はきわめて明瞭ですね、チズルリグ卿。だが正直なところそれだけではたいして光明が見られません。チズルリグ・チェイスのあたりは気持のいい田園ですか?」 「とても……とりわけ今頃の季節ですとね。秋と冬は少しすきま風のはいる家です。それを修繕するには数千ポンドかかります」 「すきま風は夏はかまいません。ぼくはずいぶん長く英国にいますから、国のフランス人のように風がはいるのをいやがるようなことはありません。お屋敷には空いているベッドがありますか、それとも軽便寝台でもかついで行きましようか、それともハンモックにしましようか?」 「なるほど」と伯爵はまた顔を赤くして、口どもつた。「わたしが望みのなさそうな事件をあなたに取り上げさせるためにこんな事情をくどくどと申し上げたと思つちやいけませんよ。もちろん、わたしは深い興味を持つていますから、伯父の風変りな話を数え立てはじめるといくらか夢中になるかたむきがあります。もしあなたのお許しがあれば、一、二カ月してまたおうかがいします。実をいうと、わたしは執事の爺さんから少し金を借りて、法律顧問に会うためにロンドンへ来て、さしあたり餓え死にしないように何か売り払う許可を得られるかもしれないと思つているのです。屋敷が裸になつているとお話したのはもちろん相対的な意味です。まだかなりたくさんの骨董品があつて、たしかにそうとうな金になります。わたしは伯父の金貨を見つけようという信念でがんばつてきました。このごろになつてわたしはこんな考えにとりつかれています……老人は図書室が唯一の貴重な遺産だと考えていたので、そのために手紙を書き残した……というのはわたしがこわがつてあの部屋の物を何一つ売りかねるようなことがありはすまいかと思つたからではないでしようか。爺さんはあの書棚からタンマリ金を作つたに違いありません。目録によると、カクストンが英国で印刷した最初の本が一冊と、貴重なシェクスピアの古版本が数冊あつたし、それから蒐集家ならちよつとした一財産をつぎこむくらいの本が他にもいろいろあつたことが明らかです。それがみんななくなつています。わたしの考えでは、こういう事情だということを明らかにすれば、当局もわたしが何か売り払う権利を拒絶できまいと思いますから、その許可がありしだいすぐにお訪ねいたしましよう」 「とんでもない、チズルリグ卿。もしそのおつもりなら、願書を提出なさい。それまではぼくのほうがお宅の老執事よりいくらか有力な銀行家だと思つていただくようにお願いいたします。もしもぼくに招待させていただけるなら、今夜セシルでうまい晩餐を一緒にしようじやありませんか。明日二人でチズルリグ・チェイスに行かれます。どのくらいかかりますか?」 「三時間ほど」と青年はアン女王風の新しい別荘([#割り注]十八世紀初めの建築様式、多く赤レンガを使ってある[#割り注終わり])のように真赤になつて、答えた。「まつたく、ムシュー・ヴァルモン、あなたのご親切にはなんとも申し上げようもありませんが、やはりあなたの寛大な申し出をお受けいたします」 「ではそうきまりました。執事の爺さんは何という名前ですか?」 「ヒギンズです」 「その男が宝の隠し場を知らないことはたしかでしようね?」 「ええ、たしかですとも。伯父はだれにしろ人を信頼して打ちあけるようなたちではありませんでした……ことにヒギンズのようなおしやべり爺さんにはね」 「では、ぼくを行き暮れた外国人だと言つてヒギンズに紹介してもらいたいんです。そうすればあの男はぽくを軽蔑して子供みたいにあつかうでしようからね」 「ああ、ちよつと」伯爵は反対した。「あなたは英国に長くいらしたからわれわれ英国人が外国を正しく評価しないという考えはお捨てになつたと思つてましたがねえ。実際、われわれは、相手が金持であろうと貧乏であろうと心から外国人に歓迎の手をひろげる、世界で唯一の国民ですよ」 「まつたく、閣下、もしあなたがぼくを正しく評価してくださらなかつたらぼくは深く失望するでしようねえ……ですがヒギンズがぼくを軽蔑の目で見たつて、別に思い違いはしませんよ。あの男はぼくのことを神様の不親切さから英国を祖国にできなかつたアホウみたいに考えるでしよう。さて、ヒギンズにはぼくがあの男と同じ身分だというように思いこませなければなりません……つまり、あなたの召使いです。ヒギンズとぼくは、この春の宵がまだ寒いようでしたら、一緒に火をかこんでうわさ話をするようになるでしよう。そうなれば二、三週間と立たないうちにあなたが夢にも思わないほど、いろんな伯父さんの話を聞き出しますよ。ヒギンズがどんなにご主人を尊敬してるとしても、ご主人よりは召使い仲間のほうに自由に話すでしようし、それからぼくが外国人ですから、こつちがのみこめるようにベラベラしやべつているうちに、同国人には打ち明けまいと思うことまでくわしく聞いてしまいますよ」  若い伯爵は自分の家のようすをあまり謙遜して話したので、わたしにはその一角に伯爵が住んでいる屋敷の荘麗さがまるで思いがけなかつた。それは中世のロマンチックな物語の中に出てくるような屋敷である……その時代のフランスのお城のような尖塔や小塔こそないが、赤らんだ色の、美しいしつかりした石造の領主の大邸宅で、建物の暖かい色合いが建築の厳粛さを柔げているようだつた。屋敷は外と内の中庭のまわりに立てられていて、持ち主は百人くらいは住めそうだと話していたが、どうやら千人は住めそうであつた。石の縦仕切りのついた窓がたくさんあつて、中でも図書室の奥の窓は大寺院を飾つてもよさそうだつた。この豪華な邸宅は木の茂つた庭園の中央を占めていて、門の所の番小屋からわれわれは、今までに見たこともないほど立派な古いオークの並木道を、少くとも一マイル半ほど馬車を走らせた。これだけの屋敷の持ち主がさしあたり町へ出る金にも不自由してるとは信じられないほどであつた!  ヒギンズ爺さんは、ややガタガタの車に、故伯爵がいつも蹄鉄を作つてやつていたというあの年寄り馬をつけて、駅へ迎えに来ていた。われわれは上品な玄関のホールにはいつたが、ここは、すつかり家具がなくなつているために、たぶんなおさら大きく見えたのだろうが……なにしろ両側に立つている二組の完全にそろつた古めかしい甲冑が家具の一部として考えれば考えられるだけであつた。わたしはドアが閉まると、大きな声を出して笑つた。声は頭の上の薄暗い木組みの屋根にコダマして、幽霊の笑い興じる声のようであつた。 「何を笑つているんですか?」と伯爵がきいた。 「あの中世のカブトにあなたがモダンなシルクハットを掛けてあるのを見て、笑つているんです」 「ああ、そうですか! じやあ、もう一つのほうにあなたの帽子を掛けてください。わたしはこの甲冑を着ていた先祖をバカにしているわけじやありませんが、ほかにさしつかえのない必要な帽子掛けがないものですから、シルクハットを昔のカブトにかけますし、それから(傘を持つているときは)それをヨロイの足のここのうしろへ突つこみます。わたしの物になつてから、大へんずるそうな商人がロンドンから訪ねてきて、この二組の甲冑を売つてくれと言つて説きふせようとしました。わたしは、これから先き一生のあいだロンドン仕立ての新しい服を着続けるくらいの金は出すつもりだなと、見当をつけましたが、その男がわたしの予言者みたいな伯父と商取引きをしたことがあるかどうかを見つけ出してやろうとして骨を折つていると、そいつはびつくりして飛んで帰りました。わたしの想像では、もしわたしがおちつきはらつてあの男をここの一番不愉快な土牢におびきこんでやつたら、家の宝物がどこへ行つたかわかつたかもしれないと思うんですがねえ。この階段を上つてください、ムシュー・ヴァルモン、あなたのお部屋へご案内します」  われわれはここへ来るとき汽車の中で昼飯を食べたので、自分の部屋で顔を洗うと、すぐに図書室をしらべにかかつた。ここは、まつたく、大へん上品な一郭だということが一目でわかつたが、今まで住んでいたあのけしからん爺さんにひどい使い方をされていた。大きな炉が二つあつて、一つは北側の壁の真中に、そしてもう一つは東の端にあつた。その東のほうのに粗末なレンガの鍛冶炉が築いてあつて、すぐそばに使いこんですすだらけになつている、真黒な大きいフイゴが掛けてあつた。木塊の上に鉄床が置いてあつて、そのまわりに大小いくつかのハンマーがさびついたまま置いてあつた。西の端には、前に言つたとおり、大寺院を飾つてもいいような古いステンドグラスが張りつめてあるさんらんたる窓があつた。本のコレクションは大したものであつたが、この部屋が広いので外側の壁を本箱でうずめるだけでよかつたし、それさえ高い窓で区切られていた。反対側の壁には何もなくて、例外的にあちこちに画があつたが、この画はなおさら部屋を恥しめるようなものであつた。というのが、それは安い版画――たいていはロンドンの週間誌クリスマス号に見られる色つきの石版画を貧弱ながく[#「がく」に傍点]に入れて、頭の上のらんぼうに打ちつけた釘からぶらさげてあつた。床には一面に紙がちらかつていて、或る所では膝までの深さがあつた。そして鍛冶炉から一番遠い一隅に、老年の守銭奴が息をひきとつたベッドがまだ置いてあつた。 「馬小屋みたいじやありませんか?」と伯爵は、わたしが調査を終ると、批評した。「たしかにあのおやじさんは、ただもうわたしの調べに手間をかけさせるために、こんな紙くずだらけにしたんですよ。ヒギンズに聞きましたが、死ぬ一月前までは室内に当然こんなゴミはちつともなかつたそうです。もちろん、そうでなければならないので、さもなかつたら鍛冶炉の火花で部屋に火がつきますからね。爺さんはこの家の至る所から見当るだけの紙をヒギンズに集めさせました……古い計算書とか、新聞とか、いろんなもの――ごらんのとおり小包を送つてきた茶色の包み紙に至るまで――集めさせて、その紙くずを床にばらまけと命じました……これは、老人が文句を言つていたように、ヒギンズの靴が板張りの上であまりうるさい音を立て過ぎるからだというわけでしたし、ヒギンズのほうは、実際問いただしてみるだけの頭がないので、その説明をまつたく尤もなことだと思つて受けいれてしまいました」  ヒギンズはよくしやべる爺さんだつたので、故伯爵のことを話してくれとうながすまでもなかつた……実際、彼の話を他の方向にそらすことが不可能なくらいであつた。風変りな貴族と二十年間親しくしてきたので、一般に英国の下男が主人に接するときのあの盲従的な気分がひどく薄れていた。貴族というものは何があつても自分の手で働くことのない人だというのが、英人の下級の者の考え方である。チズルリグ卿が大工仕事をしてベンチを作つたり、応接間でセメントをまぜたり、真夜中まで鉄床を鳴りひびかせたりしたという事実は、ヒギンズにとつてはちつともほめる気になれないことだつた。その上老貴族は勘定をしらべるときはケチなくらいやかましくて、ビタ一文まではつきりさせたので、この卑しい従者はそれを思い出してこの上もなく軽蔑していた。わたしは、駅からチズルリグ・チェイスまでの道が終らないうちに、いまさら自分が外国人で下男仲間だと言つてヒギンズに紹介してもらつても、あまり役に立つまいと気がついた。わたしには爺さんのしやべることがよく呑みこめなかつた。彼のなまりがわたしにはチョクトウ語([#割り注]アメリカインディアンの一部族[#割り注終わり])と同じくらいにわからなかつたので、このおしやべりの蓄音機に話をさせるときは、若い伯爵が通弁の役をせざるを得なかつた。  チズルリグの新伯爵は、子供のような熱心さで、自分はこの方の生徒で助手だと説明して、なんでも言われたとおりにするのだと言つた。伯爵は、図書室をくまなくさがしたがむだだつたので、わたしにも話したように、老人があんな手紙を書き残して自分をからかつただけだと思いこんでいた。金はどこかほかに隠してある……たぶん庭園のどこかの木の下にうずめてあると、信じていた。もちろん、それは有り得ることだし、頭の悪い人間が宝隠しをするときのふつうのやり方を代表していたが、それでもわたしは、そんなことは有りそうもないと、思つた。ヒギンズといろいろ話してみると、故伯爵が極度に疑い深い人だつたことがはつきりした……銀行を疑い、イングランド銀行の紙幣まで疑い、地上のあらゆる人を疑い、ヒギンズその人も例外でなかつた。だから、わたしが伯爵の甥に話したとおり、この守銭奴が財産を自分の目に見えない、すぐ手のとどこかないような所へ置くはずはなかつた。  最初から、鍛冶炉や鉄床を寝室に置いてある奇妙な点が変だなあという気がしていたので、わたしは青年に言つた―― 「ぼくは自分の名声に賭けても、あの炉か、鉄床か、或いは両方に秘密が入つてると思います。ホラ、ヒギンズがハンマーの音を聞いたくらいですから、ご老人は時々真夜中まで仕事をしていたんです。もし鍛冶炉に硬い石炭を使えば火は一晩中もつでしようし、それにヒギンズの話では、年中ドロボウをこわがつて毎晩暗くならないうちからこの城をまるで要塞みたいに固めていたそうですから、宝物は一番ドロボウがねらえそうもない場所に置いたにきまつています。さて、石炭の火が一晩中くすぶつていたのですから、もし金貨を炉の残り火の下に隠しておけば、そいつをねらうのはこの上なくむずかしいでしよう。盗賊が闇の中でさがしまわつたら、二重の意味で手を焼くでしよう。それから、閣下は枕の下に少くとも四挺以上の弾込めした拳銃を置いてありましたから、後は、もしドロボウが部屋へはいつてきたら、勝手にさがさせておいて、もしそいつが鍛冶炉に手をつけようとしたら、その時はまちがいなく夜でも昼でも合理的に正確な射程にはいつているのですから、ベッドに起き上つて次ぎ次ぎと拳銃をぶつぱなすだけでよかつたのです。弾丸は二十八あつて、その倍の秒数のうちにそれだけ発射できるのですから、そら、賊はこの一斉射撃に向かつてはほとんど逃れるチャンスがなかつたでしよう。ぼくはあの炉をむき出して見ることを提案します」  チズルリグ卿はわたしの推理にひどく心をひかれたので、或る朝早くわれわれは大きなフイゴを切り落して、裂いてみたが、中はからつぽだつた。それから鍛冶炉のレンガをカナテコで一枚一枚はがした……老人がセメントのあつかい以上にもつとうまくそれを築いてあつたからだ。実際、レンガと炉の中心のあいだのゴミをきれいに片付けてしまうと、御影石のように固いセメントのかたまりにぶつかつた。ヒギンズの手と一組のローラーやコテの力を借りて、どうにかこのかたまりをやつと庭園に持ち出し、鍛冶場につきものの大ハンマーでそれを打ちこわそうとしたが、まるでだめだつた。いくら骨を折つてもいうことをきかないので、なおさらこの中に金貨があるのだという考えがますます強くなつてきた。これは国庫が所有権を要求するような地下の財宝ではないから、特に秘密にする必要はなかつた。そこでわれわれは近くの鉱山からドリルやダイナマイト[#「ダイナマイト」は底本では「ダイナマイ」]を持つた男を連れてきて、ともかく、そのかたまりを大スピードでみじんに粉砕してもらつた。ああ! 西部の鉱夫の言葉でいえば、「見込みのある採掘地」のこの破片の中には何の跡もなかつた。ダイナマイトの専門家が現場にいるあいだに、われわれはセメントのかたまりと同じく鍛冶炉も粉砕してもらつた。そこでこの労働者は、きつと新しい伯爵も先代と同じように正気じやないと思つたのか、道具をかついで鉱山へ帰つて行つた。  伯爵は金貨は庭園に隠してあるという前の意見に戻つたが、わたしは宝は図書室にあるという自分の確信をなおさら固く支持した。 「もし宝が外に埋めてあるとすれば、だれか穴を掘つた者があるに違いないということは明らかです」とわたしは伯爵に言つた。「伯父様のように小心で無口な方は自分以外の者にそんなことをさせる気になれません。ヒギンズはこのあいだの晩、つるはしや鍬はみんな毎晩自分が物置にしまつてしつかり錠をかけておくのだと、断言していました。この屋敷そのものがばかに用心深く通行止めになつていますから、たとえ伯父様が外へ出たいと思つても容易ではなかつたでしよう。それからお話にうかがつたところでは伯父様のような方は自分の貯えてあるものが無事かどうかを絶えず目でたしかめてみたがるものですが、金貨が庭園に埋められているとしたら実際上それが不可能になります。そこでぼくが提案したいのは、もう暴力やダイナマイトをあきらめて、頭を使つて図書室をさがしにかかろうということです」 「けつこう」と若い伯爵は答えた。「ですが、すでにわたしは図書室を徹底的にさがしたのですから、あなたが『頭を使つて』とおつしやるのは、ムシュー・ヴァルモン、いつもの礼儀正しいあなたとしてはふさわしくない言い方ですね。でもわたしはあなたに賛成します。命令するのはあなたで、それに従うのはわたしです」 「お許しください、閣下!」とわたしは言つた。「ぼくが『頭を使つて』という言葉を用いたのは『ダイナマイト』という言葉と対照するためでした。あなたが前におさがしになつたことを言つたのではありません。ぼくは単に、化学的な反応を使うのをやめて、もつとずつと大きな精神活動の力を使おうと提案するだけです。あなたがおしらべになつた新聞紙の端に何か書きつけてあつたのがお目にとまりましたか?」 「いや、気がつきませんでした」 「新聞紙の白いふちに何か通信文があるかもしれないということは可能でしようか?」 「もちろん可能です」 「ではあなたは全部の新聞紙の端に眼を通す仕事を始めてください……一枚一枚しらべがすんだら、他の部屋に積み上げてくださいませんか? 何一つ破り捨てないでください。だが図書室はすつかりきれいに片付ける必要がありますね。ぼくは計算書に興味を持つていますから、それをしらべます」  それは腹の立つくらいあきあきする仕事であつたが、五、六日立つとわたしの助手は、一枚一枚ふちをしらべたが何にもなかつた、と報告してきた……その間にわたしは書付けやメモを一つ一つ集めて日付順に整理した。わたしはあのつむじ曲りの爺さんが宝物の発見についての指図を計算書の裏か本の見返しに書いてあるのではないかという考えを捨てきれなかつた。だが図書室にまだ数千の本が残つているのを見たとき、こんな辛抱のいるこまかい捜索がこれから先きに待つているのかと思うとゾッとした。しかしわたしは、もしその物が存在しているとすれば、徹底的にさがせば見つかるにきまつているというエジソンの言葉を思い出した。計算書の山からわたしはいくつかを選り出した……残りは伯爵の新聞の山とならべて他の部屋に片付けた。 「さて」とわたしは協力者に言つた。「もしおさしつかえなかつたら、ヒギンズを呼びたいと思います……この計算書について説明してもらいたいんです」 「たぶんわたしがお手伝いできそうです」と伯爵は言つて、わたしが計算書をひろげていたテーブルの向こう側の椅子を引きよせた。「わたしは六ヵ月前からここに住んでいたので、ヒギンズと同じくらいいろんなことを知つています。あの男は一度しやべり出したら最後なかなかやめさせにくい男ですからね。あなたがもつと明らかにしたいとおつしやる最初の計算書はどれですか?」 「十三年前のことですが、伯父様はシェフィールドで中古の金庫を買つていらつしやる。ここに計算書があります。その金庫を見つける必要があると思います」 「失礼ですが、ムシュー・ヴァルモン」と青年は飛び上つて笑い出しながら、声を出した。「金庫みたいに重い品物は簡単に人の記憶から抜け出したりしないはずですが、わたしはうつかりしていました。金庫はからつぽです――それで二度と考えてみませんでした」  そう言いながら、伯爵は壁の前に立つている本箱の所へ行つて、それをまるでドアのように本ごとクルリと引きまわすと、鉄の金庫の正面が現われた。金庫の戸を開けてみせたが、中はからつぽで、こういう入れ物としてはごくふつうの内部の作りが見えた。 「わたしは本をすつかり片付けたとき、これに気がつきました」と伯爵は言つた。「以前は図書室から外の部屋に行く隠し戸があつたようですが、それはずつと前になくなりました………壁はごく厚くなつています。きつと伯父がそのドアをはずさせて、空間に金庫を置かせ、それから跡をレンガでふさいだのです」 「まつたくそうですね……」とわたしは、失望を隠そうと努めながら、言つた。「このがんじような金庫は中古を買つたので注文で作らせたものではありませんから、秘密のすきまなんかはないでしようねえ?」 「ふつうのありふれた金庫のようです」と協力者は報告した。「ですが、もしあなたの仰せでしたら、こわしてみましよう」 「すぐじやなくていいんです」とわたしは答えた。「ぼくはもう家屋取りこわし業者になつたような気がするくらいダイナマイトにはたんのうしましたからね」 「賛成です。プログラムの二番目は何ですか?」 「伯父様の中古品を買う癖が、この計算書をしらべてわかつた範囲内で、三つの場合だけ破られていました。四年ほど前ストランド街の有名な本屋デニイ商会から新しい本を買つています。デニイ商会は新本だけをあつかつています。図書室に比較的新しい本がありますか?」 「ありません」 「たしかですか?」 「ええ、たしかですとも。わたしは家の中の印刷物はすつかりさがしました。伯父が買つた本の名は何ですか?」 「それが判読できないんです。頭文字はM[#「M」は縦中横]らしいが、あとはただのくねくねした線です。しかし定価が十二シリング六ペンスだということはわかりますし、小包送料が六ペンスですから、目方は四ポンド以下だということがはつきりしています。これを本の値段と合せてみると、どうもぼくには厚い紙に印刷したさし画入りの化学の本だつたような気がします」 「そんな物は全然知りません」と伯爵は言つた。 「三つ目の計算書は壁紙です……高価な壁紙が二十七巻きと、安い紙が二十七巻きで、後のはちようど前の半値です。この壁紙はチズルリグの村の駅前通りの商人が売つたものらしいんです」 「この壁紙がそうですよ」と青年は手を振つて、叫んだ。「伯父は家中に壁紙を張るつもりだつたと、ヒギンズが話していました。ですが図書室がすむと、あきてしまいました……なにしろ仕上げるまでに一年近くかかつたんですが、それは必要なときだけ一度に一杯ずつのりを婦人部屋でといて、とぎれとぎれにやつていたからです。この紙の下にはごくじみですが、大へんあざやかな色の、実にみごとなオークの鏡板があるのですから、そんなまねをするのはみつともないことでした」  わたしは立ち上つて紙の下をしらべた。それは濃い褐色で、計算書の高価な紙の品書きに一致していた。 「安い紙はどうなりましたか?」とわたしはきいた。 「存じません」 「どうやら秘密の手掛りをつかんだような気がしますね。きつと紙のうしろに動く鏡板か隠し戸がありますよ」 「そりやまつたく有りそうなことです」と伯爵は答えた。「わたしはこの紙をはがすつもりでしたが、職人を雇う金がありませんでした……それにわたしは伯父ほど働き者じやありませんしね。残りの計算書は何ですか?」 「最後のも紙に関係したものですが、ロンドン東中央区のバリッジ・ロウの或る会社から来たものです。これは千枚買つているようですが、おそろしく高価なものだつたようです。との計算書も読みにくいが、千枚買つたのだと思います……尤もむろん千帖かもしれませんが、それなら請求している値段がいくらか合理的ですし、ことによると一千連かもしれませんが、それだとばかに安くなります」 「わたしはそれについては何も知りません。ヒギンズにきいてみましよう」  ヒギンズもこの最後の註文の紙については、何にも知らなかつた。壁紙の秘密はヒギンズがすぐに明らかにしてくれた。どうやら老伯爵は重い高価な壁紙がつやつやしている羽目板にはくつつかないことを実験によつて発見したので、安いほうの壁紙を最初にはりつけたらしかつた。ヒギンズの話では、伯爵は黄色がかつた白い紙を羽目板一面に張りつめて、それが乾いてから、その上に高価な紙を張りつけたのであつた。 「だが」とわたしは反対した……「この二つの紙は買入れも配達も同時でした。ですから、重い紙がくつつかないのを実験してから気がついたというはずはありません」 「わたしはそれにはたいして意味がないと思います」と伯爵が意見を述べた。「重い紙を最初に買つてから、不適当だということがわかつたので、それから後でザラザラした安い紙を買つたのかもしれません。計算書は単に後の日付で勘定を一緒にして送つてきたことを現わしているだけです。実際、チズルリグの村はホンの二、三マイル離れているだけですから、伯父が午前中に重い紙を買入れてためしてみてから、午後になつてもつとふつうの品物を買いにやつたということはごく有り得ることだつたでしよう。しかしいずれにしても、註文してから何カ月か立つまで計算書を出さなかつたので、二つの買物をこうして一緒にまとめたんです」  わたしは、それが合理的らしいと、白状しないわけにはいかなかつた。  さて、デニイの店に註文した本についてだ。ヒギンズは何かそれについておぼえているだろうか? 四年前の話だ。  ああ、なるほど、ヒギンズはおぼえていた。まつたく大へんよくおぼえていた。或る朝彼が伯爵のお茶を持つてはいつて行くと、老人はベッドに起き上つてその本を読んでいたが、あまり夢中になつていたのでヒギンズのノックに気がつかなかつた。ところがヒギンズのほうは、少し耳が遠かつたので、はいれという命令だと思つてしまつた。伯爵はその本をあわてて枕の下の拳銃のそばへ突つこんで、はいれと言わないうちに部屋へはいつたと言つて、実に冷酷にヒギンズをどなりつけた。ヒギンズはそれまで伯爵がこんなに怒つたのを見たことがなかつたので、それはみんなその本のせいだと思つた。鍛冶炉が築かれ、鉄床が買い入れられたのは、本が来てから後のことであつた。ヒキンズは二度とその本を見たことがなかつたが、伯爵が死ぬ六ヵ月前の或る朝、ヒギンズが鍛冶炉の燃えかすをかき出していると、本の表紙の一部らしい物が見つかつた。彼は主人があの本を燃やしたのだと思つた。  ヒギンズを追つ払つてから、わたしは伯爵に言つた。 「最初に打つ手はこの計算書をストランドの本屋デニイ商会に送つてやることです。あの本をなくしたからもう一部送つてくれと言つてやつてください。だれかこの読みにくい字を判読できる者があの店にいるでしよう。きつとその本は手掛りになると思います。サア、ぼくはバッジ・ロウのブローン商会へ手紙を書きましよう。これは明らかにフランスの会社です。実際、ぼくにも今すぐはつきりしませんが、どうもこの名前は製紙業と関係があるような気がします。ぼくは故伯爵があすこから買つたこの紙の使い道をきいてみます」  そこでこれを実行したので、こんどは、予期したとおり、返事がくるまでわれわれ二人は仕事がなくなつた。それでも翌朝、うれしいことに……そしていつもそのことがどうやらわたしの自慢の種だが……ロンドンからの返事がくる前にわたしは秘密を解いてしまつた。もちろん、例の本とあの紙会社の返事を双方突き合わせてみたら、謎を解く鍵を与えてくれたろうけれど……  朝食後、わたしはややあてもなく図書室の中をぶらついていた。もう床には茶色の包紙や糸くずなどが散らばつているだけだつた。わたしはその中を足で踏み散らしながら、林の中の細道で秋の枯葉をはらいのけているようにしているうちに、ふいに注意を引きつけられたのは、幾枚かの四角な紙がしわ一つよらずに、一度も物を包むのに使つてないことだつた。その紙は妙に見覚えのあるような気がした。わたしはその一枚を拾い上げてみた……するとブローン商会の名前の意味がすぐ頭に浮かんだ。あれはフランスの製紙業者で、なめらかな、大へん丈夫な紙を作つていて、その紙は、高価ではあるが、或る種の工業部門で使われる上等の子牛皮の代用としてはひじように安くつくのである。数年前パリで、この紙のおかげでわたしは、或る盗賊団が金貨を溶かさずに処理していた方法を知ることができた。この紙を子牛皮の代りに使つて、金箔を製造する荒つぽいやり方があるのだ。それは、子牛皮とほとんど同じように、絶えずハンマーで打たれても平気だつた。ここですぐにわたしの頭には、真夜中に鉄床を使う老人の仕事の秘密が、パッとひらめいた。あの老人はソヴリン金貨を金箔に変形していたのだ……商業用の金箔を作るには、まだこの他のクラッチだとか他の道具と同じく、やはり子牛皮が必要だが、そういう物は影も形も見あたらなかつたから、粗末な厚い金箔であつたに違いない。 「閣下」とわたしは協力者に呼びかけた……伯爵は部屋の向こう側にいた。「ぼくは一つの仮説をあなたの新鮮な常識の鉄床にかけてテストしてみたいのです」 「叩いてみてください」と伯爵は、いつもの好人物らしいひようきんな表情でこちらに近付きながら、答えた。 「ぼくは、あの金庫は十三年前に使つたものですから、われわれの調査から除外します。だが本や、壁紙や、フランス製のこの丈夫な紙を買入れたのは、すべて鉄床の購入や鍛冶炉の建造と同じ月に起つた一連のでき事の仲間です。ですから、みんなおたがいに関係があると思います。ここにバッジ・ロウから買入れた紙が何枚かあります。こういう紙をごらんになつたことがありますか? この見本を破いてごらんなさい」 「こりやなかなか丈夫だ」と閣下は、引き裂こうと努めたがむだだつたので、それを認めた。 「そうです。その紙はフランス製で、金を打ち伸ばすのに使います。伯父様はソヴリン金貨を金箔に打ち伸ばしたのです。デニイの店から来た本は金箔製造の本にきまつてます。今あの判読できなかつた走り書の言葉を思い出してみると、本の題名は『冶金学』(Metallurgy……頭文字はM[#「M」は縦中横]である)だと思います。その中には、まちがいなく金箔製造の一章がありますよ」 「おつしやるとおりだと思います」と伯爵は言つた。「ですがそれを発見しても一向にわれわれは前進してないような気がします。こんどは金貨ではなく金箔をさがすわけですね」 「この壁紙をしらべてみようじやありませんか」とわたしは言つた。  わたしは床の所の壁紙の隅にナイフをさしこんで、苦もなく大きな一部分を引き裂いた。ヒギンズが言つていたように、茶色の紙が一番上にあつて、ザラザラした薄色の紙が下にあつた。だがその紙ものりでつけたのではなく、習慣的にそこへぶらさがつていたかのように、苦もなくオークの羽目板からはがれ落ちた。 「その目方をはかつてごらんなさい」とわたしは、壁から裂き取つた一枚を伯爵に渡しながら、言つた。 「なんてことだ!」と伯爵はほとんど恐れおののくような声で言つた。  わたしは伯爵からそれを受けとると、表面を下にして、木のテーブルの上に置き、裏側に少し水をかけてから、水のしみ通つた白い紙をナイフでけずり取つた。とたんに黄金のいまわしい黄色い光がピカリと目にはいつた。チズルリグの伯爵は大声でまつたく心から笑つた。 「ホーラ、このとおりです」とわたしは叫んだ。「老人はまずこの白い紙で壁全体をおおいました。鍛冶炉でソヴリン金貨を熱し鉄床で打ち伸ばしてから、フランス製のこの紙のあいだにはさんで、荒つぽいが金箔に仕上げました。たぶん夜閉じこもるとすぐに、その金を壁にはりつけて、ヒギンズが朝になつてはいつてこないうちにその上をあの高価な壁紙でおおつたのでしよう」  しかし、後でわかつたことだが、老人は実はじゅうたんのビョウで厚い黄金の紙を壁に留めておいたのであつた。  閣下はわたしの発見によつて十二万三千ポンドをいくらか上まわる純益を得たし、わたしも、この青年伯爵が進んでわたしの銀行の勘定を市参事会員同様にすつかりふくれあがらせてくれたことを報告して、伯爵の寛大さに喜んで讃辞をささげておく。 [#地付き](村崎敏郎訳) 底本:「〔名探偵登場※[#ローマ数字 1、1-13-21]〕」HAYAKAWA POCKET MYSTERY BOOKS、早川書房    1956(昭和31)年2月28日初版発行    1993(平成5)年9月15日3版発行 ※底本は新字新仮名づかいです。なお平仮名の拗音、促音が並につくられているのは、底本通りです。 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。