二つの質問 鈴木三郎助 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#地付き] /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)いろ/\ -------------------------------------------------------  私は、一昨年(一九五三年)の海外旅行中に外國人から質問されて、その返答に固つたことが二つある。  その一つは、『銀座などの盛り場にウィークデーの、しかも眞ッ晝間に制服制帽然の學生を多數見受けるが、ありや一體どうしたことですか、學生ばかりでなく働き盛りの若い人達も悠々喫茶店などで時間を潰しているようだが……』ということ。もう一つは『お前の國では食糧難に惱み抜いているというが、汽車のなかなどで、木の箱(折)に入つたゴ飯を惜し氣もなく捨てゝいるものがあるじやないか』というのだ。  ドイツ人は、素々よく働く國民だが、敗戰後の經濟復興をめざして、國民は一齊に起ちあがつている。特に若い人達は精一杯に働いて來ている。學生にしてもむろん學業に勵んでおり、授業時間に盛り場などをうろつくというようなものは一人もない。  食生活にしても、馬鈴薯を主食として最も合理的な方法を取つているドイツ人の眼には、汽車辨のゴ飯を生分近くも殘した儘捨てている日本人の行動は意外に映つたに違いない。  むろん、そのドイツ人は、戰前の日本しか見ていないかも知れぬ。戰爭末期から終戰直後にかけての食糧難に喘いで來た國民の多數は最早やそんな馬鹿な眞似はしないだろう。デパートの食堂などでもそうだ。喰い散らして、大牛のゴ飯を殘して行くというものは少いだろう。毎朝百貨店の裏口に、近郊の養豚業者の、殘飯集めの小型トラックが横着けになつていたのも、それは昔のことだ。がしかし、それだからといつて、いまの日本人は、ゴ飯を無駄にするようなものは一人もいない、と斷言し得るものがあろうか。      ◇  それは、かれこれ三十年も前のことだが、私は、澁澤榮一翁を名古屋の講演會に引つ張り出した人から、こんな話を聽いたことがある。――その列車には食堂車がついていなかつたので、途中の驛で二重折の驛辨を買つた。翁は、その辨當を膝の上におき、蓋についている飯粒を一つ一つ箸で取つて口に運び、それから、ゴ飯の詰めてある折を取り上げ、まず箸で三分の一ぐらいのところに筋をつけ、多い方だけを喰べ、健啖家の翁のことだけに、お菜の方の折は何一つ殘さず喰べたが、三分の一ぐらい殘つているゴ飯の折の方は丁寧に紙に包んで鞄のなかにしまい込んだ。「妙なことをするな」と思うたら、その晩、窮は宿屋の食膳に向つたとき、汽車辨の殘りのゴ飯を喰べた上で、はじめて宿の女中の差出した茶碗を取り上げたということだ。  翁と同行した、その男は如何にも感心したように、その話をしてくれた上で、「澁澤サンだから、そんな眞似も出來るが、俺達がやつたんじや、なかーてーなあ」ともつけ加えていた。  がしかし、自分はその時、ふとまだ幼なかつた時分、よく祖母から、「ゴ飯を無駄にするとな、眼が潰れますよ」とコボした飯粒を拾わされたことを想い出した。農家の苦勞を知つている田舍の人は、一粒の米も無駄にはしない。埼玉在の豪農の家に生まれたものの、澁澤翁は、農家育ちだけに、お百姓の粒々辛苦を知り盡しておられたに違いない。      ◇  いまの日本に取つては食糧問題は、何んといつても重大案件である。主食増産もむろん絶對問題には違いないが、世界には黒パンに甘んじている人もあれば、馬鈴薯を主食としている國もあり、雜穀粉を常食している華北および滿洲の民衆もある。米食にのみ頼つている日本人もどうかと思う。況してや小麥粉を米に摸擬している人造米は考えべきものである。『パン食には副食物が必要で、却つて高くつく』と頭から粉食を否定しているものもあるが、華北の苦力の生活はどうか、豚の骨のスープで脂肪を攝つている。脂肪の補給は必ずしも高價な西洋料理からとは限らない。菜種からでも何からでも油は攝れるし、粉食の料理はパンうどんに限られたものではない。華北の人々は饅頭、じあじあ麺、燒餅、餃子(ジャーヅ)その他、いろ/\な方法でおいしく喰べており、イタリーのマカロニに至つては全く世界の珍味の一つである。婦人達の工夫如何によつて粉食の問題にも新しい扉が展かれなければならぬ筈である。  同じ敗戰の憂目に逢いながら、今日のドイツは立派に復興している。私に二つの質問を提出したドイツ人の言葉のなかには、私達として反省しなければならぬ、大きな「示唆」が含まれていることを感じなければならぬだろう。 [#地付き](味の素會長) 底本:「文藝春秋 昭和三十年二月号」文藝春秋新社    1955(昭和30)年2月1日発行 入力:sogo 校正: ※拗音・促音の大書きと小書きの混在は、底本通りです。 YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。