ふしぎな楽人 グリム兄弟 Bruder Grimm 矢崎源九郎訳 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)楽人《がくじん》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|曲《きょく》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)がらんどう[#「がらんどう」に傍点]に -------------------------------------------------------  むかし、あるところに、ふしぎな楽人《がくじん》がおりました。この楽人が、たったひとりで森のなかをとおっていたときのことです。楽人は、あれやこれやといろんなことを考えていましたが、そのうちに、とうとう考えることがなんにもなくなってしまいました。楽人は、 「この森のなかは、あきあきするなあ。どれ、いいなかまでもよびだしてやれ。」  こうひとりごとをいって、背中《せなか》から胡弓《こきゅう》をとって、一|曲《きょく》ひきました。楽《がく》の音《ね》は、森の木ぎのあいだにひびきわたりました。  と、まもなく、むこうのやぶのなかから、一ぴきのオオカミがかけだしてきました。 「や、や、オオカミがきたな。あんなやつには用はない。」 と、楽人がいいました。  ところが、オオカミはそばへやってきて、楽人に話しかけました。 「やあ、楽人さん、すてきな音《ね》がでますね。おれもならいたいなあ。」 「すぐにおぼえられるさ。」 と、楽人《がくじん》はこたえました。 「そのかわり、なんでも、わたしのいうとおりにしなけりゃいけないよ。」 「うん、楽人さん。」 と、オオカミがいいました。 「きっと、あんたのいうことをきくよ。学校の生徒《せいと》が先生のいうことをきくようにね。」  楽人はオオカミに、いっしょにくるようにいいました。ふたりでしばらく歩いていきますと、一本の古いカシの木のところへきました。その木はなかががらんどう[#「がらんどう」に傍点]になっていて、まんなかのところがさけています。 「おい、見てごらん。胡弓《こきゅう》をひくのをならいたかったら、前足をこのわれめへいれなさい。」 と、楽人がいいました。  オオカミはいわれたとおりにしました。ところが、楽人《がくじん》はすばやく石をひろうと、いきなりオオカミの両方の前足を、ひと打《う》ちで、くさびのように、しっかりとうちこんでしまいました。ですから、オオカミは、とりこ[#「とりこ」に傍点](戦争《せんそう》で生《い》けどりにされた敵《てき》)みたいになって、そこにころがっていなければなりませんでした。 「わたしがもどってくるまで、そこで待《ま》っておいで。」  楽人《がくじん》はこういいすてて、さっさといってしまいました。  しばらくすると、楽人はまた、 「この森のなかは、どうもあきあきする。ほかのなかまをよんでやれ。」 と、ひとりごとをいいました。  そして、胡弓《こきゅう》を手にとって、また森のなかへなりひびかせました。  するとまもなく、こんどは、一ぴきのキツネが木のあいだからそっとでてきました。 「おや、キツネがくるな。あんなやつには用はない。」 と、楽人《がくじん》がいいました。  キツネは楽人のところへやってきて、いいました。 「おやまあ楽人さん。なんてきれいな音がでるんでしょう。わたしもならいたいものですねえ。」 「すぐおぼえられるさ。」 と、楽人はいいました。 「そのかわり、なんでもわたしのいいつけどおりにしなけりゃいけないよ。」 「ええ、楽人さん、あんたのいうことをききますよ。学校の生徒《せいと》が先生のいいつけをきくようにね。」 と、キツネはこたえました。 「わたしについておいで。」 と、楽人はいいました。  ふたりがしばらく歩いていきますと、ほそい道にでました。道の両がわには、たけの高い灌木《かんぼく》がはえています。そこで楽人《がくじん》は立ちどまって、かたいっぽうのがわから小さいハシバミの木を地面《じめん》までぐっとまげて、そのさきを足でふみつけました。そうしておいて、もういっぽうのがわからも、なにか小さい木を一本まげて、 「さあ、キツネくん、なにかならいたかったら、左足をこっちへおだし。」 と、いいました。  キツネはいわれたとおりにしました。すると楽人は、キツネの前足を左がわの木の幹《みき》にしばりつけました。 「キツネくん、こんどは、右足をおだし。」 と、楽人はいいました。  楽人《がくじん》はこれを右がわの木の幹《みき》にしばりつけました。そして、ひもの結《むす》びめがしっかりしているかどうかをしらべてから、ポンとはなしました。二本の木はいきおいよくはねかえって、キツネくんを高いところへはねあげてしまいました。キツネくんは宙《ちゅう》ぶらりんになって、ばたばたやっていました。 「わたしがかえってくるまで、そこで待《ま》っといでよ。」 と、楽人はいいすてて、いってしまいました。  そのうちに、楽人はまたまた、 「どうも、この森のなかはあきあきする。」 と、ひとりごとをいって、胡弓《こきゅう》を手にしました。楽《がく》の音《ね》は、森じゅうにひびきわたりました。  すると、一ぴきの小ウサギがとびだしてきました。 「おや、小ウサギがくるぞ、あんなのはごめんだ。」 と、楽人《がくじん》はいいました。 「まあ、楽人さん、なんて美しい音色《ねいろ》なんでしょう。あたしもならいたいですわ。」 と、小ウサギがいいました。 「すぐにおぼえられるさ。そのかわり、わたしのいいつけることは、なんでもしなけりゃいけないよ。」 と、楽人がいいました。 「はい、楽人さん、あなたのいうとおりにしますわ。学校の生徒《せいと》が先生のいいつけをききますように。」 と、小ウサギはこたえました。  ふたりでしばらくいっしょに歩いていきますと、森のなかの明るい場所《ばしょ》へでました。そこには、ハコヤナギが一本立っているきりです。楽人は小ウサギの首《くび》のまわりに長いほそひもをむすびつけて、そのかたっぽうのはしをこの木にしばりつけました。 「しっかりやりなさい、ウサちゃん、この木のまわりを二十ぺんとんでまわるんだよ。」 と、楽人が大きな声でいいました。  小ウサギはいわれたとおりにしました。二十ぺんかけずりまわりますと、ほそひもが二十まわりも幹《みき》にまきついて、小ウサギは身動《みうご》きひとつできなくなってしまいました。いくらひっぱってみても、そんなことをすれば、かえって、ほそひもがやわらかい首《くび》すじにくいこむばかりです。 「わたしがもどってくるまで、そこで待《ま》っていなさいよ。」 と、楽人《がくじん》はいいすてて、いってしまいました。  そのあいだに、オオカミはからだをうごかしたり、ひっぱったり、石にかみついたり、さんざんほねおったあげく、やっとのことで、前足をわれめからはずして、ひきぬきました。オオカミはいかりくるって、楽人のあとを追《お》いかけました。あいつめを、ずたずたにひきさいてくれようと思ったのです。  オオカミが走っていくのを見ますと、キツネはおいおい泣《な》きだして、力いっぱいの声をふりしぼって、さけびました。 「オオカミのあにきい、たすけてくれよう。楽人《がくじん》のやつにだまされたんだあ。」  オオカミはその若木《わかぎ》をひっぱりおろして、それからひもをかみ切って、キツネを自由《じゆう》にしてやりました。キツネは、オオカミといっしょにいきました。キツネも、楽人にしかえしをしてやろうというのです。ふたりはしばられている小ウサギを見つけて、これもたすけてやりました。それから、みんなでいっしょになってかたきをさがしにいきました。  楽人はとちゅうで、またまた胡弓《こきゅう》をかきならしました。こんどは、うまくいきました。その音はあるまずしい木こりの耳にはいったのです。すると、木こりは、たちまちじっとしていられなくなりました。すぐさましごとをやめて、おのをわきの下にかかえて、音楽をききにやってきました。 「ようやく、ほんとのなかまがきたな。」 と、楽人《がくじん》はいいました。 「おれのさがしていたのは人間なんで、けだものじゃないんだからな。」  そこで、楽人はひきはじめました。すると、その音《ね》があまりにも美しく、あまりにも愛《あい》らしくひびきわたりましたので、まずしい木こりは、まるで魔法《まほう》にでもかけられたように、そこにぼんやりつっ立ったまま、うれしさのあまり気がとおくなってしまいました。  そうしているところへ、オオカミと、キツネと、小ウサギがやってきました。木こりは、そのけものたちがなにかわるだくみをしているのに気がつきました。そこで、ぴかぴかひかるじぶんのおのをとりあげて、楽人《がくじん》のまえに立ちはだかりました。そのようすは、まるで、 「この人にむかってくるものは用心しろ。おれが相手《あいて》になるぞ。」 とでもいうようでした。  それを見ますと、けものたちはこわくなって、森のなかへにげかえってしまいました。  楽人はこの男にお礼《れい》のしるしとして、もう一|曲《きょく》ひいてきかせてから、さきへいきました。 底本:「グリム童話集(1)」偕成社文庫、偕成社    1980(昭和55)年6月1刷    2009(平成21)年6月49刷 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。