星野君の二塁打 吉田甲子太郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#6字下げ]1[#「1」は中見出し] ------------------------------------------------------- [#6字下げ]1[#「1」は中見出し]  あたりそくないの小さなフライが、フラフラと遊撃手のあたまの上をこえて、もうれつな勢いで突つこんでくる左翼手の一メートルばかり前にポトリと落ちた。思いがけないテキサル・リーガーである。  R中學の應援團はわき立つた。  一回に一点、二回に一点を獲得して、二点のリードで敵T中学を無得点におさえてきたから、九回の表で、R中學は一擧にその二点を取りもどされて同点に追いこまれていた。こうなると、R中學の選手たちは、追われるものの心ぼそさを感じないわけにはいかなかつた。延長戰に持ちこまれそうだ――みんなが、そういう不安をいだきはじめていた。  そこへ、九回の裏ラスト・インニングのトップ打者二番の山本君が、テキサスとはいえ、とにかく安打で一壘へ出たのだ。應援團が色めき立つたのもむりはなかつた。  よし、ここで一点、それで勝敗はきまるのだ。R中學の選手たちの顏は一度に明かるくなつた。もう十分か十五分のうちに、ながくあこがれていた甲子園出場の夢を實現することができるかも知れないのだ。  三番打者、投手の星野が、さきの方、四分の三ほどを黒くぬつた愛用のバットをさげてボックスへはいろうとした。だが、そのとき傳令がきて、かれはベンチへよばれた。  一壘ではランナーの山本が足をそろえて、ピョン・ピョンとはねている。足ならしをして、盜壘のじゆんびをしているのだ。  星野は、それをちよつと見て、ベンチへいつた。キャプテンの大川と監督の今井先生とが、かれを待つていた。 「星野、山本をバントで二壘へ送つてくれ。杉本に打たせて、どうしても確実に一点かせがなきやならないから。」  今井先生は正面から星野の目を見て、ハッキリ、そういつた。  先生がそういうのもむりはなかつた。きようの星野はピッチングの方はかなり上出來だつたが、打者としてはふるわなかつた。四球が一つ、三振が二つという不景氣な成績だ――だが、星野はがんらいよわい打者ではなかつた。あたればそうとうなおお物をかつ飛ばす方だつた。だから、かれはこの四回目のアット・ボックスで、名譽挽回(ばんかい)をしてやろうと、ひそかに張りきつていたのだ。こんどは、きつとあたる。なんとなく、そういう予感もしていた。それだけに、かれは、今井先生の言葉にたいして、「はい。」というすなおな返事がしにくかつた。 「打たしてください。こんどは打てそうな氣がしているんです。」 「氣がしているくらいのことをたよりにして作戰を立てるわけにはいかないよ。ノー・ダンなんだから、ここは正攻法でいくべきだよ――わかつたな。さァ、みんなが待つてる。」  ぐずぐずしているわけにはいかなかつた。 「はァ。」  あいまいな返事をして、星野が引きかえすうしろから、キャプテン大川のひくい聲が追つかけてきた。 「たのんだぞ、星野。」  星野は明かるい、すなおな少年だつた。人の意見と對立して爭うようなことはこのまなかつた。しかし、きようのバントの命令だけは、どうしても、服しにくかつた。安打が出そうな氣がしてならないのだ。それも、二壘打か三壘打になりそうな氣が、しきりにするのだ。バントのギセイ球で、アウトを一つとるのは、もつたいない氣がする。  だが、野球の試合で、監督の命令にそむくことはできない。自分の意見をよく話して、今井先生に賛成していただくひまがないのが殘念なだけだ。  星野は、今井先生の作戰どおり、バントで山本を二壘へ送るつもりで、ボックスにはいつた。 [#6字下げ]2[#「2」は中見出し]  ランナーの山本は二壘手だつた。そして、足の早い選手とはいえなかつた。だから、できるだけ壘からリードして、走壘に有利な態勢を取ろうとした。  T中學の投手は、なかなか投げない。バッテリ間のサインは、よういにきまらない。  そのあいだに、ランナーは少しずつ壘からはなれはじめた。ああ、少し出すぎた。バッター・ボックスにいる星野がそう思うのと同時に、敵の投手は一壘へケンセイ球を送つた。速い球だ。あぶない。  山本は砂けむりをあげて、すべりこんだ。  壘審は、たなごころを下にして、兩手をひろげている。セ−フ!  あぶなく助かつたのだ。  一壘のコーチャーが、おお聲でランナーに何かいつている。  山本の張りきつた動作を見ているうちに、星野の打ちたい氣もちが、また、むくむくとあたまをもたげてきた。「打てる。きつと打てる。確実にヒットが打てさえすれば、むりにバントをするには及ぶまい。」かれは姿勢を少しかえた。心もちマタを大きく開いて、ひだり足を、ちよつと、うしろへ引いた。  とたんに、敵の投手が第一球を投げこんできた。星野は、あやうくつられそうになつてぐつと、こらえた。外角を遠くはなれたボールだつた。  第二球! 高めの直球。星野のバットは、大きくスイングした。  あたつた。バットのましんにミートした球は、カーンと澄んだ音を立てて、二壘と遊撃のあいだをぬくライナー性のクリーン・ヒットとなつた。中堅手が轉々する球を追つて、やつと、とらえた。そのまに、ランナーは、二壘、三壘。  ヒット! ヒット! 二壘打だ。  R中學の應援團は總立ちになつた。ぼうしを投げあげる氣の早い生徒もある。  ボールは、やつと、投手のグローブに返つた。  星野は、二壘の上に直立して、兩手を腰にあてて、場内を見まわした。  だが、このとき、星野は、今井先生が、ベンチから、にがい顏をして、かれの方を見ていることには氣がつかなかつたのである。  それはともかく、星野の一撃はR中學の勝利を決定的にした。四番打者の杉本が右翼に大飛球をあげてそのギセイによつて、山本がゆうゆうとホーム・インしたからである。  R中學の甲子園出場は確定し、星野三郎はこの試合の英雄となつた。 [#6字下げ]3[#「3」は中見出し]  甲子園の全國中等優勝野球大會の日どりはさしせまつていた。だから、R中學のティームは、自分たちの地區からの出場權を確立した試合の翌日も、練習を休まないことになつていた。選手たちは規定の午後一時にあつまつて、やくような太陽の下で、肩ならしのキャッチ・ボールをはじめていた。  そこへ、監督の今井先生が姿をあらわした。選手たちは、先生のまわりにかけあつまつて、てんでにぼうしをぬいで、あいさつをした。  キャプテンの大川は、いつものとおり、先生がシート・ノックをはじめるものと思つてバットを取りにいこうとした。だが、先生はそれをとめた。 「大川君、ちよつと待ちたまえ。少し話がある。みんなも、ここへ、まるくすわつてくれないか。」  先生は少し歩いて、大きなしいの木のかげにあぐらをかいた。  選手たちも、先生にむかいあつて、それぞれの位置に同じように、あぐらをかいた。半円をえがいて、先生をかこんだ形になつた。 「諸君、きのうはありがとう。おかげで、ぼくらも待望の甲子園へゆけることになつた。おたがいに喜んでいいと思う。――ところで、きようは、昨日の諸君の善戰にたいして心からお礼をいうというあいさつをしたいところなんだが、ぼくには、どうも、そういいきれないんだ。」  補缺もいれて十五人の選手たちの目は熱心に先生の顏を見つめている。先生の重々しい口調(くちよう)の底に何かよういならないものがあることを、だれもがハッキリ感じたからである。  先生はポケットからタバコをだして、ゆつくりとライターで火をつけた。それから深くけむりをすいこんで靜かに言葉をつづける。 「ぼくが、監督に就任するときに、君たちに話した言葉は、みんなおぼえていてくれるだろうな。ぼくは、君たちがぼくを監督として迎えることに賛成なら就任してもいい。校長からたのまれたというだけのことではいやだ。そうだつたろう。大川君。」  大川は、先生の顏を見て強く、うなづいた。 「そのとき、諸君は喜んで、ぼくを迎えてくれるといつた。そこで、ぼくは野球部の規則は諸君と相談してきめる、しかし、一たんきめた以上は嚴重にまもつてもらうことにする。また、試合のときなどに、ティームの作戰としてきめたことは、これに服從してもらわなければならないという話もした。諸君は、これにも快く賛成してくれた。その後、ぼくは氣もちよく、諸君と練習をつづけてきて、どうやら、ぼくらの野球部も、少しずつ力がついてきたと思つてる。だが、きのう、ぼくはおもしろくない経驗をしたのだ。」  ここまできいた時、星野三郎は、あるいは自分のことかなという氣がしてきた。なるほど、ぼくは、きのうバントを命じられたのに勝手にヒッティングに出た。ティームの統制をやぶつたことにはなるかも知れない。しかし、その結果は、かえつて、わるくなかつたはずだが・・・・かれは、どうしたつて、自分がしかられるわけはないと、思いかえした。  そのとたんに、先生はすいかけのタバコをぽんと、すてた。そして、ななめ右まえにすわつている星野の顏を正面から見た。 「まわりくどいいい方はよそう。ぼくは、きのうの星野君の二壘打が氣にいらないのだ。バントで山本君を二壘へ送る。これがあのときティームできめた作戰だつた。星野くんは不服らしかつたが、とにかくそれを承知したのだ。いつたん承知しておきながら、勝手にヒッティングに出た。小さくいえば、ぼくとの約束をやぶり、大きくいえば、ティームの統制をみだしたことになる。」 「だけど、先生、二壘打をぶつぱなしてR中学をすくつたんですから――。」  山本が口を出した。 「いや、山本君のは結果論というやつだ。いくら結果がよかつたといつて、統制をやぶつたという事実にかわりはないのだ。――いいか、諸君、野球は、ただ勝てばいいのじやないぜ。特に學生野球は、からだをつくると同時に精神をきたえるためのものだ。團体競技として共同の精神を養成するためのものだ。自分勝手なわがままは許されない。ギセイの精神のわからない人間は、社會へ出たつて、社會を益することはできはしないぞ。それに実際問題としても、あのとき星野君の打つた球のおかげで、ダブル・プレイでも食つたとしたら、どうなつたと思う。ワンヒット・ワンランのチャンスもないのに、あの場あいヒッティングに出るなんて、危險きわまるプレイといわなければなるまい。」  今井先生の口調が熱してきて、そのほほが赤くなるにつれて、星野三郎の顏からは血の氣がひいていつた。  選手たちは、みんな、あたまを深くたれてしまつた。 「星野君はいい投手だ。おしいと思う。しかし、だからといつて、ぼくはティームの統制をみだしたものをそのままにしておくわけにはいかない。罪にたいしては制裁を加えなければならない。――」  そこまできくと、思わず一同は顏をあげて先生を見た。星野だけが、じつとうつむいたまま、石のように動かなかつた。 「ぼくは、星野君の甲子園出場を禁じたいと思う。當分、謹愼(きんしん)していてもらいたいのだ。そのために、ぼくらは甲子園の第一予戰で負けることになるかも知れない。しかし、それはやむを得ないこととあきらめてもらうより仕方がないのだ。」  星野はじつと涙をこらえていた。いちいち先生のいうとおりだ。かれは、これまで、自分がいい氣になつて、世の中に甘えていたことを、しみじみ感じた。 「星野君、異存(いぞん)はあるまいな。」  よびかけられるといつしよに、星野は涙で光つた目をあげて強く答えた。 「異存ありません。」  今井先生を中心とした若い中学生の半円は、そのまま、しばらくくずれずにいた。  はげしい太陽が、ひと氣のないグラウンドをまつしろに光らしている。[#地付き](おわり) 底本:「少年」光文社    1947(昭和22)年8月号 初出:「少年」光文社    1947(昭和22)年8月号 ※底本は旧字新かなづかいです。なお拗音・促音の大書きと小書きの混在は、底本通りです。 ※「中学」と「中學」、「實」と「実」の混在は、底本通りです。 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。