ホレおばあさん グリム兄弟 Bruder Grimm 矢崎源九郎訳 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)後家《ごけ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|軒《けん》の [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)まま[#「まま」に傍点]母 -------------------------------------------------------  ある後家《ごけ》さんに、ふたりのむすめがありました。そのうちのひとりははたらきもので、美しい子でしたが、もうひとりはみにくいうえに、たいへんななまけものでした。  けれども、後家《ごけ》さんはこのみにくいなまけもののほうの子をずっとかわいがっていました。だって、この子はじぶんのほんとうのむすめなんですからね。もうひとりの女の子のほうは、うちじゅうのしごとをなにからなにまでやって、年がら年じゅう、灰《はい》だらけになっていなければなりませんでした。  かわいそうな女の子は、まい日大通りへでて、泉《いずみ》のそばにこしをおろして、指から血《ち》がでてくるほど、たくさんの糸をつむがなければなりませんでした。  さて、あるときのことでした。糸巻《いとま》きが血だらけになりましたので、女の子は泉《いずみ》にかがみこんで、糸巻きをきれいにあらおうとしました。ところが、糸巻きは女の子の手からするっとすべって、泉のなかにおちてしまいました。  女の子は泣きながら、まま[#「まま」に傍点]母のところへかけていって、とんでもない失敗《しっぱい》をしたことを話しました。ところが、まま母は女の子をひどくしかりつけました。しかも、女の子をすこしもかわいそうだなどとは思わないで、こういいました。 「糸巻《いとま》きはおまえがおとしたんだから、じぶんでひろっといで。」  こういわれて、女の子はすごすごと泉《いずみ》のところへひきかえしました。けれども、どうしていいのかわかりません。とうとう、思いあまって、女の子は糸巻きをとるために、泉のなかへとびこみました。と、女の子は気をうしなってしまいました。  やがて、ふと気がついて、われにかえったときには、どうでしょう、女の子は美しい草原《くさはら》にいるではありませんか。お日さまはきらきらとかがやいて、あたりには何千という花がさきみだれているのです。  女の子がこの草原を歩いていきますと、やがてパン焼《や》きかまどのあるところへきました。かまどのなかには、パンがいっぱいはいっていました。ところが、そのパンが大きな声でよびかけました。 「ああ、ぼくをひっぱりだしてくださあい。ひっぱりだしてくださあい。でないと、ぼくは焼《や》け死《し》んでしまいます。もうとっくに焼けあがっているんですもの。」  それをきいて、女の子はそのそばへいって、パン焼きにつかう小さなシャベルで、パンをひとつのこらずじゅんじゅんにだしてやりました。  それからまた、女の子はずんずん歩いていきました。やがて、リンゴがすずなりになっている一本の木のところへきました。すると、そのリンゴが声をはりあげて、よびかけました。 「ああ、わたしをゆすってください。わたしをゆすってください。わたしたちリンゴは、もうみんなじゅくしきっているんです。」  そこで、女の子が木をゆすってやりますと、リンゴはまるで雨のように、ばらばらとふってきました。女の子は、こうして木にリンゴがひとつもなくなるまで、ゆすっておとしてから、それをひと山につみあげました。そうしておいて、女の子はまたさきへ歩いていきました。  さんざん歩いたすえ、女の子はようやく一|軒《けん》の小さな家のまえにきました。家のなかからは、ひとりのおばあさんがのぞいていました。ところが、そのおばあさんの歯《は》があんまり大きいものですから、女の子はすっかりこわくなって、にげだそうとしました。すると、おばあさんがうしろから大きな声でよびかけました。 「なにがこわいの、おまえ。わたしのとこにおいで。おまえが、うちのしごとをなんでもちゃんとしてくれるつもりなら、きっとおまえをしあわせにしてやるよ。おまえはね、わたし(1)[#「(1)」は行右小書き]の寝床《ねどこ》をきちんとして、それをよくふるって、羽根《はね》がとぶようによく気をつけてくれればいいんだよ。そうすれば、人間の世界《せかい》に雪がふるのさ。わたしはホレおばあさんなんだよ。」  おばあさんは、いかにもしんせつにいってくれます。そこで、女の子は思いきっておばあさんのいうことをきいて、このうちに奉公《ほうこう》することにしました。  女の子は、なんでもおばあさんの気にいるように、よく気をつけました。寝床《ねどこ》もいつも力いっぱいふるいましたから、羽根《はね》が雪のひらのように、あたりにとびちりました。おかげで、女の子はおばあさんからこごとひとついわれることもなく、まい日まい日、煮《に》たり焼《や》いたりしたごちそうを食べて、たのしくくらしていました。  こうして、女の子はしばらくのあいだホレおばあさんのところにいましたが、そのうちに、なんとなくかなしくなってきました。はじめのうちは、どういうわけなのかじぶんでもわかりませんでしたが、とうとう、生まれたうちがこいしくなってきたのだということに気がつきました。ここにいるほうが、うちなんかにいるよりも何千ばいしあわせかわからないのですが、それでもやっぱり、うちへかえりたくなったのです。それで、とうとう、女の子はおばあさんにじぶんの気持ちを話しました。 「あたしはうちへかえりたくってしかたがないんです。地面《じめん》の下のここにいるほうがしあわせでしょうけども、もうどうにもがまんができないんです。どうしても、地面の上のうちの人たちのところへいかずにはいられません。」  すると、ホレおばあさんはいいました。 「おまえがうちへかえりたくなったとは、うれしいことだね。おまえはほんとうによくはたらいてくれたから、わたしがおまえを上までつれていってあげよう。」  こういって、おばあさんは女の子の手をとって、大きな門のまえへつれていきました。  門がひらかれて、女の子がちょうどそのま下に立ちますと、金《きん》の雨がはげしくふってきました。そして、その金《きん》がみんな女の子のからだにくっつきましたので、女の子はからだじゅう金だらけになりました。 「それはおまえにあげるよ。ほんとうによくはたらいてくれたからね。」 と、ホレおばあさんはいいました。  それから、おばあさんは、女の子の手から泉《いずみ》のなかへすべりおちた糸巻《いとま》きもかえしてくれました。そのとき、門がしまりました。と、いつのまにか、女の子は、地面《じめん》の上の人間の世界《せかい》に、それもおかあさんの家からあまり遠くないところにあがっていたのです。  女の子が家の庭《にわ》のなかへはいりますと、井戸《いど》の上にいたオンドリがなきさけびました。 [#ここから4字下げ] コケッコッコー 金《きん》のじょうさまのおかえりだあ [#ここで字下げ終わり]  女の子はうちのなかへはいって、おかあさんのところへいきました。ところが、こんどは、女の子がからだじゅうに金をつけているものですから、おかあさんも妹もさかんにちやほやしてくれました。  女の子はいままでのことをのこらず話しました。おかあさんは、この子がどうしてこんな大金《おおがね》持《も》ちになったかを、ききますと、もうひとりのみにくいなまけものの子にも、おなじしあわせをさずからせてやりたいと思いました。  こうして、もうひとりの女の子は、おかあさんのいいつけで、泉《いずみ》のそばにすわって、糸をつむぐことになりました。  女の子は糸巻《いとま》きを血《ち》だらけにするために、じぶんの指をつきさして、手をイバラの垣《かき》のなかにつっこみました。それから、糸巻きを泉《いずみ》のなかへほうりこんで、すぐそのあとからじぶんもとびこみました。  この女の子も、まえの子とおなじように、いつのまにか美しい草原《くさはら》にきていました。そして、おなじ小道を歩いていきました。女の子が、あのパン焼《や》きかまどのところまできますと、またまたパンがさけびました。 「ああ、ぼくをひっぱりだしてくださあい。ぼくをひっぱりだしてくださあい。でないと、ぼくは焼《や》け死《し》んでしまいます。もうとっくに焼けあがっているんですもの。」  ところが、それをきいた女の子は、 「あたし、じぶんのからだをよごすのはいやよ。」 と、いいすてて、さっさといってしまいました。  それからまもなく、あのリンゴの木のところへきました。すると、リンゴが大声でよびかけました。 「ああ、わたしをゆすってください。わたしをゆすってください。わたしたちリンゴは、もうみんなじゅくしきっているんです。」  ところが、女の子はこたえていいました。 「なにいってんのよ。そんなことをすれば、あたしの頭におっこちるかもしれないじゃないの。」  こういって、女の子はずんずん歩いていきました。やがて、ホレおばあさんの家のまえまできました。女の子は、おばあさんの歯《は》がとっても大きいことは、もうまえからきいていましたので、ちっともこわがりませんでした。そして、すぐにおばあさんのところに奉公《ほうこう》することにしました。  女の子は、はじめの日は、むりにせいをだして、おばあさんのいうとおり、いっしょうけんめいはたらきました。だって、こうすれば、おばあさんがお金《かね》をたくさんくれるだろうと思ったからです。  けれども、二日めになると、もうなまけだしました。そして三日めには、もっとなまけて、朝になっても、どうしてもおきようとはしませんでした。  ホレおばあさんの寝床《ねどこ》をきちんとなおすことは、この女の子の役《やく》めになっていたのですが、それもしませんでしたし、羽根《はね》がまいあがるほど、その寝床をふるいもしませんでした。  ですから、たちまち、ホレおばあさんのほうでまいってしまって、もうはたらいてくれるのはけっこうだ、と女の子にことわりました。  それをきいて、なまけものの女の子はすっかりよろこびました。きっと、いまにも金《きん》の雨がふってくるだろうと思ったのです。  ホレおばあさんは、この子もじぶんで門のところへつれていってやりました。ところが、女の子が門の下に立ちますと、こんどは金のかわりに、大がまにいっぱいはいったチャンを、ざあっとあびせかけられました。 「これが、おまえのしてくれたしごとのほうびだよ。」  ホレおばあさんはこういうと、門をしめてしまいました。  こうして、なまけものの女の子はうちへかえってきましたが、からだじゅう、チャンだらけになっていました。井戸《いど》の上にいたオンドリがそれを見て、なきさけびました。 [#ここから4字下げ] コケッコッコー きたないじょうさまのおかえりだあ [#ここで字下げ終わり]  このチャンは女の子のからだにこびりついてしまって、一生《いっしょう》のあいだどうしてもとれませんでした。 (1)ですから、この話のでどころのヘッセン地方《ちほう》では、雪がふるとき、ホレおばあさんが寝床《ねどこ》をなおしている、といいます。 底本:「グリム童話集(1)」偕成社文庫、偕成社    1980(昭和55)年6月1刷    2009(平成21)年6月49刷 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。