緋衣の法師 吉江喬松 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)一人《ひとり》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|尺《しゃく》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)とかげ[#「とかげ」に傍点] -------------------------------------------------------  ある一人《ひとり》のイギリス人《じん》が一人《ひとり》の黒人《くろんぼ》の供《とも》をつれてインドの森《もり》の中《なか》を旅行《りょこう》していました。  インドは皆《みな》さんが知《し》っておられるように、暑《あつ》い暑《あつ》い国《くに》です。大《おお》きな樹《き》や、真紅《まっか》な花《はな》や、太《ふと》い蔓草《つるくさ》が思《おも》うままにはいまわり、茂《しげ》りあっています。金色《こんじき》をした一|尺《しゃく》もあるとかげ[#「とかげ」に傍点]、大《おお》きな鼠《ねずみ》のような形《かたち》をしたりす[#「りす」に傍点]などが枝《えだ》の上《うえ》に、また樹《き》の根《ね》もとに飛《と》び廻《まわ》っています。  熱帯地《ねったいち》の夏《なつ》は、むし暑《あつ》くはなく、澄《す》み切《き》っいて、心持《こころもち》はよいのですが、温度《おんど》は非常《ひじょう》に高《たか》いから、日光《にっこう》に直射《ちょくしゃ》されると、すぐ倒《たお》れます。それ故《ゆえ》、白《しろ》いヘルメット型《かた》の帽子《ぼうし》を深《ふか》くかぶって、後方《うしろ》へは白《しろ》い布《ぬの》を垂《た》らして後頭部《こうとうぶ》をことに防《ふせ》ぐようにしています。  このイギリス人《じん》は、黒人《くろんぼ》の供《とも》と一|緒《しょ》に森林《しんりん》の中《なか》を歩《ある》いて、ある海岸《かいがん》近《ちか》い村《むら》へ到着《とうちゃく》しました。そして、その村《むら》の小《ちい》さな宿屋《やどや》へ泊《とま》ることにしたのです。食事《しょくじ》がすんで、窓《まど》へ寄《よ》って、戸外《とがい》の景色《けしき》を眺《なが》めていますと、海《うみ》の方《ほう》からの冷《つめた》たい[#「冷《つめた》たい」はママ]風《かぜ》が、椰子《やし》の樹《き》の高《たか》い枝《えだ》にぱさぱさ鳴《な》っている広葉《ひろば》をゆるがせて吹《ふ》いて来《き》ます。その葉《は》の間《あいだ》から紫色《むらさきいろ》の濃《こ》い熱帯《ねったい》の夜《よる》の空《そら》が仰《あお》ぎ見《み》られ、その空《そら》には黄金色《こがねいろ》の星《ほし》がちかちか輝《かがや》いています。  イギリス人《じん》は、それを眺《なが》めながら、夕方《ゆうがた》の海《うみ》からの風《かぜ》を何《なに》よりも気持《きもち》よく受《う》けながら、一|日《にち》じゅうの暑《あつ》い暑《あつ》い、それこそ総《すべ》てのものが黙《だま》って燃《も》えているような森《もり》の中《なか》の暑《あつ》さを思《おも》い出《だ》して、夕方《ゆうがた》の涼《すずし》さが一|層《そう》悦《よろこ》ばしく思《おも》われるのでした。黒人《くろんぼ》もやはりだまって、次《つぎ》の窓《まど》から戸外《そと》を眺《なが》めやっていました。  その中《うち》に臥《ね》る時間《じかん》が来《き》て、二人《ふたり》の人《ひと》は一室《ひとま》の中《なか》に、ベッドを少《すこ》し隔《へだ》てて、黒人《くろんぼ》は戸口《とぐち》に近《ちか》く、イギリス人《じん》は窓《まど》の側《そば》へ臥《ね》ることになりました。いつもこの地方《ちほう》を旅行《りょこう》する者《もの》は、身《み》を防《ふせ》ぐために、臥《ね》る時《とき》も、枕《まくら》もとに、護身用《ごしんよう》の短剣《たんけん》を置《お》いて臥《ね》る習慣《しゅうかん》になっています。眠《ねむ》っている間《あいだ》に、何者《なにもの》に襲《おそ》われないとも判《わか》らないからです。  その中《うち》に夜《よる》は次第《しだい》に更《ふ》けて来《き》ました。熱帯地《ねったいち》の夜《よる》は、思《おも》ったより静《しず》かで、涼《すず》しくなるものです。海《うみ》からの風《かぜ》がまたたえず吹《ふ》いて来《き》ては、丈《た》け高《たか》い椰子《やし》の樹《き》から、この小《ちい》さな宿屋《やどや》を包《つつ》むようにして、吹《ふ》き過《す》ぎて行《ゆ》くのでした。  すると、何時間《なんじかん》か経過《けいか》しました。真夜中《まよなか》すぎでもありましたろう。ふと、イギリス人《じん》が夢《ゆめ》のような心持《こころもち》をしている中《なか》で、何者《なにもの》かがみしみし、ぎしぎしと、自分《じぶん》の部屋《へや》へ階段《かいだん》を登《のぼ》って来《く》る足音《あしおと》が耳《みみ》にはいったではありませんか。はっと思《おも》うと、その人《ひと》ははっきり眼《め》が醒《さ》めたような気《き》がしました。  みしみしいう音《おと》は、やはりつづいて、たしかに何者《なにもの》かが梯子《はしご》段《だん》を登《のぼ》ってくるのです。もうその人《ひと》は、じっとしてはいられない。急《いそ》いで、半身《はんしん》を起《おこ》して、枕《まくら》もとの短剣《たんけん》に手《て》をやりました。そしてきっと戸口《とぐち》へ目《め》をやりながら身《み》がまえをしたのです。  みしみしという音《おと》は、やはりつづいて聞《き》こえていました。そしてそれがたしかに戸口《とぐち》まで来《き》たかと思《おも》うと、どうでしょう。戸《と》がすうっと独《ひと》りでに開《ひら》いたかと思《おも》うと、何《なに》が戸口《とぐち》へ立《た》ち現《あら》われたとお思《おも》いになります。それは夜盗《やとう》でもありません、森《もり》の中《なか》にいる野蛮人《やばんじん》でもありません、また時々《ときどき》、深夜《しんや》に、人《ひと》の寝呼吸《ねいき》をうかがって忍《しの》び込《こ》む猛獣《もうじゅう》、とくに虎《とら》でもないのです。  そのイギリス人《じん》の目《め》の前《まえ》へ現《あら》われたのは、全身《ぜんしん》真赤《まっか》な衣《ころも》をつけた、一|丈《じょう》あまりもある大入道《おおにゅうどう》ではありませんか。あまりの意外《いがい》さに、その人《ひと》は声《こえ》も立《た》てずに、身《み》が縮《ちぢ》むようになっています。と、その戸口《とぐち》に近《ちか》く臥《ね》ていた黒人《くろんぼ》が、うむうという、気味《きみ》の悪《わる》い唸《うな》り声《ごえ》を立《た》てたかと思《おも》うと、不意《ふい》に身《み》を起《おこ》して、手早《てばや》に枕《まくら》もとの短剣《たんけん》を握《にぎ》って、戸口《とぐち》の方《ほう》へ振《ふ》り返《かえ》った、かと思《おも》うと、わっという恐《おそ》ろしい大《おお》きな声を立《た》てて、ベッドの上《うえ》へうつ伏《ふ》しになってしまいました。  その声《こえ》を耳《みみ》にすると同時《どうじ》に、そのイギリス人《じん》も思《おも》わず、わっという声《こえ》を立《た》てて、ベッドから飛《と》びおりました。けれど、不思議《ふしぎ》なことに、はっと、顔《かお》を戸口《とぐち》の方《ほう》へ向《む》けて見《み》ると、今《いま》まで確《たし》かにそこに立《た》っていたはずの、その真赤《まっか》な大入道《おおにゅうどう》の姿《すがた》はもうそこには見《み》えないではありませんか。イギリス人《じん》は目《め》のせいではないかと、室内《しつない》をぐるっと見廻《みまわ》しましたがどこにも見《み》えません。  イギリス人《じん》はあまりの不思議《ふしぎ》さに、黒人《くろんぼ》のベッドの傍《そば》へ駆《か》け寄《よ》って、『お前《まえ》はどうした。何《なに》を見《み》たか』とい、言《い》い[#「見《み》たか』とい、言《い》い」はママ]ますと、その時《とき》までつっ伏《ぷ》していた黒人《くろんぼ》はおそるおそる顔《かお》を上《あ》げて、戸口《とぐち》の方《ほう》へ目《め》をやると、やはり驚《おどろ》いたような顔《かお》をしています。 『何《なに》を見《み》たのだ』とまたいいますと、黒人《くろんぼ》はようやく口《くち》を開《ひら》いて、『大《おお》きな、真赤《まっか》な僧《ぼう》さんだ』というのです。そして、自分《じぶん》の眼《め》を疑《うたが》いでもするように、きょときょと周囲《まわり》を見廻《みまわ》すのです。  イギリス人《じん》は、その黒人《くろんぼ》を起《おこ》して、一|緒《しょ》に戸口《とぐち》まで行《い》って見《み》ますと、戸口《とぐち》は宵《よい》に臥《ね》る前《まえ》に錠《じょう》をかけたままになっています。何者《なにもの》もそれを開《あ》けてはいって来《き》たはずはないと思《おも》われる。けれど、たしかに一人《ひとり》ではなく二人《ふたり》が同《おな》じ真赤《まっか》な僧《ぼう》さんを見《み》たのです。二人《ふたり》は戸口《とぐち》へ来《き》て、じっと戸《と》の外《そと》へ耳《みみ》をすましていますと、またたしかに、何者《なにもの》かが、みしみしという足音《あしおと》をさせて、階段《かいだん》をおりて行《ゆ》きます。どうも不思議《ふしぎ》だ、何者《なにもの》だろうと思《おも》っていると、階下《した》の室《へや》の方《ほう》で、しばらくしてから、わっという声《こえ》がしたかと思《おも》うと、人《ひと》が立《た》ち騒《さわ》ぐ気配《けはい》がします。  二人《ふたり》は急《いそ》いで戸《と》を開《あ》けて梯子《はしご》段《だん》を降《お》りて行《ゆ》きました。階下《した》では今《いま》起《お》きた主人《しゅじん》と主婦《しゅふ》が何《なに》か話《はなし》をしているので、戸《と》の外《そと》からイギリス人《じん》は声をかけました。 『今《いま》来《き》たものは何《なん》ですか、あの真紅《まっか》な僧《ぼう》さんは』といいますと、主人《しゅじん》は戸口《とぐち》から顔《かお》を出《だ》して、 『ああ、貴方《あなた》がたの部屋《へや》へも行《ゆ》きましたか、あの真赤《まっか》な僧《ぼう》さんは一|年《ねん》に二三|度《ど》ずつはきっとやって来《き》ますが、何《なん》だかわからないんです。どこからはいってくるのか、すうっと来《き》ては、すうと消《き》えて行《い》ってしまいます。別《べつ》に何《なに》もしませんが、時々《ときどき》あれには驚《おどろ》かされます』  イギリス人《じん》は何《なん》だか判《わか》らない不思議《ふしぎ》な思《おも》いがして、黒人《くろんぼ》と一|緒《しょ》に部屋《へや》へ帰《かえ》って、ベッドへ腰《こし》をおろしてじっと考《かんが》えていました。黒人《くろんぼ》はすぐまたベッドの中《なか》へもぐり込んで、以前《いぜん》と同《おな》じようにぐっすり眠《ねむ》り込《こ》んでしまいました。けれど、イギリス人《じん》は眼《め》がさえてどうしても眠《ねむ》られないので、いつまでもベッドの上《うえ》で窓《まど》から外《そと》を眺《なが》めながら考《かんが》えていました。  すると、海《うみ》の方《ほう》から冷《すず》しい風《かぜ》がさあっと吹《ふ》き渡《わた》って来《き》て、椰子《やし》の樹《き》を揺《ゆ》るがし、その家《いえ》を包《つつ》んだかと思《おも》うと、家《いえ》がぎいぎい、みしんみしんという音《おと》を立《た》てるではありませんか、それが丁度《ちょうど》、さっき、夢《ゆめ》かうつつかの間《あいだ》で耳《みみ》にしたあの響《ひびき》です。そして、その風《かぜ》が吹《ふ》きすぎて行《い》ってしまうと、またもとの静《しず》かな何《なん》の物音《ものおと》もない状態《じょうたい》にかえります。またしばらくしてその風《かぜ》が来《き》たかと思《おも》うと、同《おな》じ物音《ものおと》がするではありませんか。しかもそれがいかにも規則《きそく》正《ただ》しく、少《すこ》しの間《ま》を置《お》いては繰《く》り返《かえ》えされるのです。  イギリス人《じん》ははっと気《き》がつきました。 『あああれだ。あの風《かぜ》に乗《の》って、今《いま》し方《がた》の真赤《まっか》な大《おお》きな僧《ぼう》さんがやって来《く》るのだ。そして、その風《かぜ》の包《つつ》んで行《ゆ》く一|軒《けん》一|軒《けん》の家《いえ》の内《うち》へ、すうっと姿《すがた》を見《み》せるかと思《おも》うと、また風《かぜ》と一緒《いっしょ》に、その姿《すがた》が消《き》えて行《い》ってしまうのだ。けれど、一|体《たい》、あの真赤《まっか》な大《おお》きな僧《ぼう》さんは何《な》んだろう』と、考《かんが》えました。  その大《おお》きな緋《ひ》の衣《ころも》をつけた僧《ぼう》さんとは何《なん》でしょうか。それは熱帯《ねったい》そのものです。太陽《たいよう》の熱《ねつ》と光《ひか》りとが真赤《まっか》な衣《ころも》となり、熱帯《ねったい》の恐《おそ》ろしい力《ちから》が不思議《ふしぎ》な僧《ぼう》さんの形《かたち》となって、人々《ひとびと》の眼《め》の前《まえ》へ現《あら》われて来《く》るのです。私達《わたしたち》の何人《だれ》でも、西洋人《せいようじん》でも東洋人《とうようじん》でも、白人《はくじん》でも黒人《こくじん》でも、子供《こども》の時分《じぶん》から僧《ぼう》さんというものは何《なん》だか、普通《ふつう》の人《ひと》とは異《ちが》っている人《ひと》のように思《おも》われ、不思議《ふしぎ》な力《ちから》を持《も》っているように教《おし》えられているものです。お祈《いの》りをすれば奇蹟《きせき》があらわれ、火《ひ》の中《なか》でも、波《なみ》の上《うえ》でも渡《わた》って行《ゆ》く力《ちから》を持《も》っている人《ひと》のように思《おも》われているのです。  それ故》《ゆえ》、何《なに》か不思議《ふしぎ》な、人間《にんげん》以上《いじょう》の力《ちから》というようなものを、人《ひと》が目《め》に見《み》えるように感《かん》ずるには、多《おお》くの場合《ばあい》、この僧《ぼう》さんというような形《かたち》となって現《あら》われるのです。熱帯《ねったい》の恐《おそ》ろしい力《ちから》と、日光《にっこう》の強《つよ》さ、その華《はな》やかな光線《こうせん》とが、こういう工合《ぐあい》で一人《ひとり》の巨大《きょだい》な緋《ひ》の衣《ころも》の僧《ぼう》さんをつくり出《だ》して来《く》るのです。  夜《よる》静《しず》かになって、海《うみ》からの涼気《りょうき》が都合《つごう》よく、規則《きそく》正《ただ》しく、陸上《りくじょう》へ吹《ふ》いて来《く》る時《とき》、日中《にっちゅう》の暑《あつ》さで、材木《ざいもく》が膨張《ぼうちょう》している木製《もくせい》の家屋《かおく》は、涼《すず》しい海気《かいき》にあたって急《きゅう》に収縮《しゅうしゅく》して、その度《たび》ごとにぎいぎいみしみしという音《おと》を立《た》てるのです。それが丁度《ちょうど》、人《ひと》が階段《かいだん》をみしみし登《のぼ》って来《く》ると同《おな》じ音《おと》になるのです。だから、真赤《まっか》な僧《ぼう》さんがその風《かぜ》に乗《の》って、家々《いえいえ》の訪問《ほうもん》に出掛《でか》けて来《く》ることになるのです。  それでは、それが毎夜《まいよ》でもありそうなものですが、天候《てんこう》の工合《ぐあい》で海《うみ》からの涼気《りょうき》と、日中《にっちゅう》の暑《あつ》さの程合《ほどあい》が丁度《ちょうど》都合《つごう》よく行《ゆ》き、それに、夜《よる》が極《きわ》めて静《しず》かでなければなりません。イギリス人《じん》の一|行《こう》がその村《むら》へ泊《とま》った夜《よる》は、丁度《ちょうど》この緋衣《ひごろも》の僧《そう》が現《あら》われるに最《もっと》も都合《つごう》のよかった夜《よる》でした。そして、それは一|年《ねん》に二三|度《ど》ぐらいしかない。その宿屋《やどや》の主人《しゅじん》、インド人《じん》なぞも、一|年《ねん》に二三|度《ど》はこの緋《ひ》の衣《ころも》の僧《ぼう》さんから夜《よる》の訪問《ほうもん》を受《う》けながら、それが何人《なんびと》なのやら、何《なん》のために来《く》るのやらつまり判《わか》らずにいるのです。  イギリス人《じん》がそういう解釈《かいしゃく》を得《う》るまで、じっとベッドの上《うえ》に座《すわ》って、戸外《そと》の風《かぜ》と、家《いえ》の鳴《な》る音《おと》とに耳《みみ》を傾《かたむ》けていますうちに、曙《あけぼの》の鳥《とり》の声《こえ》が聞《きこ》えだし、棕梠《しゅろ》の花《はな》の香《か》が空中《くうちゅう》に匂《にお》いだし、また、明《あか》るいおそろしい熱帯《ねったい》の昼《ひる》が始《はじ》まりかかりました。即《すなわ》ち真紅《まっか》な巨大《きょだい》な僧《ぼう》さんの正体《しょうたい》が明《あか》らさまに眼《め》の前《まえ》へ現《あらわ》れて来《き》かかりました。イギリス人《じん》はその解決《かいけつ》で満足《まんぞく》して、出発前《しゅっぱつまえ》のしばらくの間《あいだ》をまた静《しず》かに眠《ねむ》りにはいりました。 底本:「信州・こども文学館 第5巻 語り残したおくり物 あしたへの橋」郷土出版社    2002(平成14)年7月15日初版発行 底本の親本:「角笛のひびき」実業之日本社    1951(昭和26)年 ※底本は、表題に「緋衣《ひごろも》の法師《ほうし》」とルビがふってあります。 ※「一|緒《しょ》」と「一緒《いっしょ》」の混在は、底本通りです。 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。