東の風 The East Wind クロフツ フリーマン・ウィルス Crofts, Freeman Wills 村崎敏郎訳 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)検察部《シーアイデイ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)〔名探偵登場※[#ローマ数字 2、1-13-22]〕 -------------------------------------------------------  検察部《シーアイデイ》のジョゼフ・フレンチ警部は一時大いに多様の事件をあつかつていた。或るものは劇的な背景が、或るものは暴露された犯罪の怖るべき性質が、それから或るものは警部が結末にたどりつくまでのすばらしい論理的な分析が、目立つていた。ところがあの有名な午前十時三十分のコーンウォール・リビエーラ特別急行にはじまつた事件は、全然こういう種類のものではなかつた。この事件でフレンチが見せたのは、抽象的な推理で不思議な問題の解決に意気揚々と到着する姿ではなく、実際的な事務家――英国の警察力の大きな組織を迅速に熟練した腕で使うオルガナイザーの姿であつた。  それは五月の末近くだつた。フレンチは数週間のあいだ南ロンドンの複雑な偽造事件で働きつづけていた。ロンドンにあきあきして都会から逃げだしたかつた。だから、プリンスタウンで食らいこんでいる或る常習犯に面会する必要が起つたときは、大喜びだつた。ダートムア([#割り注]英国南西部の高地=ここのプリンスタウンに有名な刑務所がある[#割り注終わり])の空気を吸うのは、きたならしい、よごれたラムベスの町々([#割り注]ロンドンのテムズ河南部の地区[#割り注終わり])からの楽しい転地になるからだ。  パディングトンまで車を走らせて汽車に乗りこんだときは、愉快な前途を期待していた。刑務所まで行かないうちにやつておかなければならない仕事がたくさんあつたので、急行列車が一定の速度におちつくがいなや、フレンチは書類を取り出して仕事をはじめた。数時間のあいだ読んだりノートを取つたりしていたが、やがてホッとしたように一息つきながら書類をまとめてカバンの中へ戻すと、あたりの景色に注意を向けた。  列車はちようどエクセターを通過して、エクスマウスの対岸の河沿いを走つていた。前夜は雨だつたが、今は空が澄みきつて日が輝いていた。何もかも雨に洗われて、フレッシュで、春のようだつた。海は、列車がそばまで来てみると、静かで目がさめるように青く、ドーリシュやテインマスの赤色の崖や高台とはめざましい対照《コントラスト》だつた。  列車はテイン河の河口をまわつて、ニュートン・アボットを走り抜けた。ここからプリマスまでの景色はあまりおもしろくないと思つたので、フレンチはカバンに突つこんでおいた小説を出した。二三分読んでいると、汽笛が聞え、ブレーキが車輪にきしりはじめた。  列車はロンドンからプリマスまで無停車で走るのだから、この辺で停車する予定はないはずだつた。線路工事か、他の列車がつかえるかしたのだろうと、フレンチは思つた。ウイットネスの近くで南部線のあの仕事をして以来、どうやら彼は鉄道のエクスパートだと自任していた。  速力がゆるんで、間もなく列車は小さな駅に停まつた――グリーン・ブリジという名前が目についた。かすかに不愉快な気はしたが、もう一度本を読みだそうとした……その時かすかなドンという音が聞えた……また一つ……また一つ……  遠くの濃霧信号だろうと思つたが、それは危険を知らせる非常信号だということを知つていたので、フレンチは窓を開けて、外を見た。彼はプラットホームの側にいたので、ホームの先のほうの光景が目にはいると、まばたきする間もなくアッと飛び上つた。  ホールドアップが進行中だつた。列車の四輌はど先のドアが開いていて、それに向かい合つて一人の男が立つていた……グレイの服を着た、ガッシリした大男で、顔に白い覆面をし、振り上げた手にピストルを持つていた。それを乗客に突きつけていたが、乗客の姿は一人も見えず、車掌だけが下車して、車掌車の向かい側に、両腕を上に挙げて、立つていた。  フレンチがプラットホームに降りたとき、二人の男が、ドアの開いていた区劃車室《コンパートメント》から、出てきた。一人は中背で、鹿毛色の服と帽子を身につけ、これも覆面をして、ピストルを振りまわしていた。もう一人は、同じくらいの背の高さで、武器も覆面もなく、離れているフレンチの所からでさえ夢中になつて急いでいるように見えた。武器を持つた男二人と、夢中になつている男との三人連れがすばやく駅の外へ走り出すと、すぐに、急速に速力を早めている自動車の音が往来から聞えてきた。  フレンチは出口に突進したが、車は彼がそこまで行かないうちに姿を消していた。それから彼は連中が降りてきたコンパートメントに駆け戻つたが、もうそこは興奮した乗客に取りかこまれていた。フレンチは道を押し分けて前に出た。  コンパートメントの中に、刑務所の看守の制服を着た二人の男が倒れていた。一人は、ひたいを射ち抜かれて、明らかに死んでいた……もう一人は隅にくず折れて、どうやら意識を失つていたが、目に見える傷はなかつた。 「わたしはロンドン警視庁の者です」とフレンチは叫んだ。「わたしがここの責任を持ちます」彼はまわりを取りかこんでいる乗客の中から二人を指さした。「あなた方は早く車内を探して、医者を連れてきてください。他の人たちはこのコンパートメントを閉めて、隅に倒れているこの男の手当てをしてもらう人のほかは、だれも入れないでください。電話はどこにありますか、車掌さん?」  フレンチは、看守の制服を見たとたんに、何事が起つたのか知つた。自分の仕事ではなかつたが、偶然彼は、一人の囚人がこの汽車でダートムアに護送されることを承知していた。それはジェレミイ・サンズという男で、フレンチがそれに関心を持つたのは、自分の手で捕えた男の一人だつたからである。  サンズが捕えられた犯罪は、オーズビイ・キーツ夫人の宝石を、エプサムから一マイルほどの所にある、ダトン領の夫人の別荘から盗んだことであつた。偽造した推薦状でこの男は従僕の仕事にありついていた。こうして彼は機会をつかんだ。サンズはギャング団の一人だというに過ぎないらしく、捕えられる前に盗んだ物をうまく相棒に渡してしまつたのではないかという疑いがあつたが、この二つの推定はどちらも証明できなかつた。ともかく彼が盗んだ一万七千ポンド余の宝石類のうち、たつた一ペニーの物も取り戻せなかつた。  フレンチがお手本を見せて元気づけたので、乗客たちは電気が通じたように活動しはじめた。すぐに一人の医者が発見された。医者が看守をみているあいだに、フレンチと車掌と数人の乗客は駅の建物のほうに走つた。駅は仮駅程度のものだつたが、一般用の待合室とちつぽけな出札所があつた。その中で出札所のほうは錠がおりていた。フレンチはドアをガタガタ鳴らした。「だれかいるのか?」と彼はどなつた。  答えのかわりに気味の悪いうめき声が中から聞えた。フレンチと車掌はドアに体をぶつけたが、丈夫なドアだつたので二人の力ではだめだつた。 「あの腰掛けを」とフレンチが指さした。  プラットホームに重い木製の腰掛けがあつた。自発的に数名の手が出て、すばやくそれを持ち上げると、破城用槌みたいにハズミをつけながら先端をくだけよとばかりにドアに叩きつけた。折れた木の裂ける音がして、金具がこわれると、ドアはサッと開いた。  小さな事務室の中には、たつた一つの椅子があるだけで、この椅子の上に鉄道の制服を着た男が掛けていた。布でしつかりサルグツワをはめられ、ロープで椅子に縛りつけられていた。解いてやるにはわずか数秒しかかからなかつた。抑えていた憤慨の余り脳溢血でも起しそうなようすのほかは、この男は恐ろしい目に会つたのに少しも弱つていなかつた。 「大きな男が顔に覆面をして入つてきたんです」と彼はプンプンしながらベラベラしやべつた。「そして身動きするまもないうちに、ピストルの先が向けられているのに気がつきました。それから二人目の男が入つてきて、アッという間もなく縛りあげられました。」 「この駅にはほかにだれかいるのか?」とフレンチがするどく尋ねた。 「ええ、信号手がいます。奴らは信号手も縛りあげたに違いありません。でなきや汽車を停めるわけには行きません」  信号所はプラットホームの端のうしろ側にあつたので、小人数の一隊は急いで駆けつけた。駅員が想像したとおりであつた。信号手は腰掛けの上に縛りつけられ、サルグツワをはめられていたが、けがはしていなかつた。  この男の話では、信号所に腰掛けていると、二人の男がプラットホームの向こうの端をまるで距離でもはかつているようなかつこうで歩いているのが目についた。その男たちは姿を消したが、やがて二、三分たつと、だしぬけに信号所の階段を駆け上つてきて、ピストルを突きつけた。どうにもしようがなかつたので、すぐにサルグツワをはめられ、縛られてしまつた。信号手はもう急行列車の通知を受け取つて信号を引いてあつたが、男たちはすぐに信号を危険信号に変えてしまつた。彼らは急行列車の出た知らせがくるまで待つていて、信号がうまくいつてるかどうかをたしかめ、それから閉塞装置と電話線を切つてしまつた。列車が姿を見せて速力をゆるめると、彼らは出発信号を危険の合図にしたまま側線の信号を引いた。これは正確な鉄道の信号法だつたから、彼らが自分たちの行動の意味を知つていることは明らかだつた。その結果列車はプラットホームに停まることになつた。彼らは側線信号を引くと、急いでプラットホームに戻り、列車が入つてきたときは線路に背中を向けて時間表を見ているようなかつこうをしていた。彼らは明らかに囚人のいる所を知つていた……というのは囚人の車室の所に待つていて、ちつともためらわずにそのドアを開けたからである。  フレンチはできるだけ手短かにあらましを聞いてから、連中の人相をきいた。しかし、たいしたことは聞けなかつた。事の起つたすばやさと、連中がつけていた覆面のために、鉄道員の頭に残つていたのは、襲撃者のおぼろげなようすだけであつた。  フレンチは列車に駆け戻ると、片手を上げて群集を静止しながら、もしだれか連中を見分けるような特徴に気がつかなかつたか、と尋ねた。一瞬間、何の答えもなかつたが、やがて悲劇のあつた所の隣りのコンパートメントの婦人が進み出た。  彼女は窓の所にいたので、プラットホームで見張つていた大男をゆつくり観察するひまがあつた。もちろん顔は見えなかつたが、着ていた服のようすを説明することができた。ごくありふれた服装だが、たつた一つだけ特徴があつた。その男のかなり上品な黒靴の爪先に小さな泥が三つついていて、ごく小さい等辺三角形になつていた。  これがフレンチの手に入つた唯一の手掛りであつたが、それはまんぞくできる性質のものであつた。もし大男がウッカリしていてその跡をこすり落さないでいたら、それだけで十分身の破滅になるものであつた。  フレンチはもう一度駅員のほうに振り向いて、一番近くの電話はどこにあるかと、大急ぎで尋ねた。信号所の電線が切られていたので、駅員は、この通りの三百ヤード先に住んでいるグッドボディというお百姓さんに頼むのがいいと勧めた。この汽車で次の駅まで行くよりそのほうが早いでしようということであつた。  二分たつと、フレンチは農家のドアを叩いていたし、それから二分たつと、エクセターの署長に話しかけていた。彼は恐ろしく口早に尋問をすませたので、犯罪が起つてからまだ十分とたつていなかつた。逃走者はせいぜい七八マイルしか行つていないはずだから、迅速な行動を取れば、彼らが行方をくらまさないうちにこの地域一体に非常線が張れそうだつた。しかしフレンチは、連中を逮捕しないで跡をつけるだけにしてくれと、頼んだ。  三人組の人相についてはかなりあざやかに説明できた。あの囚人のジェレミイ・サンズについては完全な知識を提供することができた。この男の人相については、フレンチ自身たびたびしらべたことがあつたので、くわしく覚えていた。他の二人のほうは背の高さや体つきがわかつていたし、それから三つの泥のハネという貴重な要点があつた。  報道はエクセター、プリマス、オークハンプトンや、その他の中心地へ、ロンドン警視庁と同じく、通知された。死んだ看守たちの死体について打ち合せをしてから、フレンチは一番近くの村へ電話をかけて車を頼み、それに乗つてニュートン・アボットに着いた。そこで運よく、ちようどエクセター行の列車がつかまつた。四十分後にはその市の警察本部に着いた。ハムブルック署長は昔からの友人だつたので、心からフレンチを迎えた。 「きみが言つたとおりにしておいたよ、警部」と署長は話を進めた。「こつちの手の有るかぎり、道という道はみんなふさいで、ここからクレディトン、オークハンプトン、タビストック、それからプリマスまで取り囲んである。エクスマウスの渡し場とこの地域の港口はみんな見張らせてある。包囲網は直線距離で二十マイルから二十五マイルあるから、連中がそこまで行くには三、四十分かかるだろう。運がよければものになるよ。だが、フレンチ君、奴らを逮捕しないほうがいいというのは、確信があるのかい? もし今逃がしたら、二度と手に入れるのは容易じやなかろう」 「わかつてますよ、署長。だが冒険してみるだけのことはあると思うんです。何の為に奴らはこの脱走を計画したと思いますか?」  ハムブルックは右の目を閉じた。「盗品か?」と彼はほのめかした。  フレンチはうなずいた。「そうですよ。奴らが相棒を助ける為だけなら、人殺しはしなかつたでしよう。あのサンズという男が品物を隠していて、他の連中は知らないんです。そこで奴らはあの男に吐き出させるつもりですよ」 「それできみは奴にそれを見つけさせたいんだな?」 「奴でなかつたら見つけられやしません」 「そりや思いつきだ」と署長は疑わしげに承認した。「だが、おれにはわからん。もしおれの事件だつたら、手の中の鳥を握つておきたいがね」  フレンチの答えは、署長の電話のベルが耳ざわりな音を立てたので、中断された。ハムブルックは受話器を取り上げて、副受話器をフレンチに渡した。 「カニンガム巡査です……エクセターのロンドンへ向かう自動車道路からです。大男と囚人サンズを突きとめたと思います。奴らはデイムラーのリムジン型AZQ9999のナムバーの車でロンドンへ向かつています。もしこつちのまちがいでなけりや、二人は服を変えてます。大男は黒つぽい上着と帽子を身につけていますが、外へ出たとき左の爪先に泥のハネが三つあるのを見ました。運転してた男は顔が黒つぽくて、運転手の制服を着ていますが、サンズの人相にそつくりです。大男はハムステッドのグラブフィールド通り、ハットンガーデンとセント・オーステルのB七六七番地のダイヤモンド商オリバー・ホークだと名乗りました。奴らはすぐに車を止めて、ごくていねいでした。プリマスの『バーリングトリーン・ホテル』を出て帰宅するところだと、言いました。わたしどもは奴らを行かせといて、エマスン巡査がオートバイで跡を追つています。タイヤはダンロップの新品です」  フレンチはひどく喜んだ。「奴らがていねいだつたり質問に答えたりしてるのは、つまりアリバイが築いてあつて、安全だと思つているからです」彼は両手をこすり合せた。「ダイヤモンド商だつて! いや、実にうまい答えだ!」  ハムブルックが同意すると、フレンチは続けた。「わたしは何でもあなたの好きな物を賭けますが、ホークは自分で言つたとおり帰宅するつもりですよ。もしそれなら帰つてきた所で捕えられますし、サンズもそうです。先へ電話をかけといてくれませんか、署長。もし奴がロンドンへ行くつもりなら、追跡を打ち切りましよう」  ハムブルックが電話をかけているあいだに、フレンチは時間表をしらべていた。「五時十二分に急行がある」と彼は言つた。「奴らがロンドンへ向かうとすれば、わたしもこれに乗ります。正直いうと、わたしはハムステッドで奴らが着くところを見ていたいんです。ちよつとプリマスの連中にそのホテルをしらべさせてくれませんか、署長?」 『バーリングトン』からは、ホーク氏とその運転手は今まで二晩そこに泊まつていて、今日正午頃ロンドンへ出発した、という報告が来た。二人は昼飯を持つて行つたが、道中の車内で食べるつもりだと言つていた。 「もうアリバイが出てきてます」とフレンチが宣言した。「なぜ奴らはプリマスとエクセターのあいだでこんなに長くかかつたんでしようか? 昼飯の用意に止まつていたからです。なぜどこのホテルへも姿を見せなかつたのでしようか? 昼飯を車の中ですませたからです。けつこう。サアお願いですから、警視庁を頼みます」  ロンドンの本部へフレンチは今までの事を報告して、ホーク氏なる人物が言つたとおりの所番地に住んでいて、旅行してるかどうか……それから、もしそうだとすれば、その紳士はどんな風采か……ということを尋ねた。まもなく返事があつて、車に乗つていた男は本名を名乗つたのだということが明らかになつた。  フレンチは立ち上つた。「どうも急ぐようですが、あの列車に乗ります」と彼は言つた。「いや、署長、またお目にかかれて何よりでした。もしあなたの部下の連中がもう一人の悪党に出合つたら、そいつも跡をつけてもらいたいんです。このギャング団にはまだ他の仲間がいそうですから、多勢に見当をつけとくほうがよさそうです」  フレンチは上り急行の中で事件を思い返しているうちに、たしかに別の共犯者がいたに違いないと気がついた。グリーンブリジにいた二人は、どのコンパートメントに囚人が乗つているかを知つていた。さて二人が自分たちの頭の中でこの情報を考え出すなどということは不可能であつた。だから情報は伝達されたものに違いないが、それを知るには、たつた一つの方法しかなかつた。当の男と護送がパディングトンで乗車するところを、だれかが見張つていたのだ。フレンチは、今朝十時三十分の直後にパディングトンからかけた長距離電話か電報がさぐり出せないものかしらと思つた。  最初の停車地トーントンで、フレンチは警視庁とエクセターの署長に暗号で電報を打つて、前者にはそういう通信が送られたかどうかを見つけ出してくれと頼み、後者にはホークがどこかへ電話をかけて、そんな通信を受け取らなかつたかどうかを尋ねた。それから、さしあたり事件に対する義務を片づけたような気分になつたので、食堂車へ行つてひどく遅れた食事をした。  九時にフレンチはパディングトンのプラットホームに降り、十五分後には警視庁にいた。そこで彼は同僚のタナー警部が待つていてくれたのを知つた。 「おれがきみのこの事件を扱つているんだ」とタナーは言つた。「きみの友人連中はうまくこつちへ来てるぜ。チャード、シャフツベリ、ソールズベリ、アンドーバー、ベイジングストークを通過するのを見とどけた。ベイジングストークで晩飯を取つて、半時間前に立つた。十時から十一時のあいだにハムステッドへ着くはずだ。一緒に出かけて、奴らが着くところを見よう」 「ホークの商売について何か聞きこみがあつたかい?」 「小さな個人仕事だ。たいして仕事をしてそうもない。それにしてもホークは、住んでいる家のようすを見ると、裕福な暮しをしているに違いない。おれは事務所へ行つて、奴に会いたいと言つてやつた。事務員はちつとも躊躇しなかつた。ホークさんは商用でプリマスに出張しているが、今日帰京するから、明日ならよかろうというのだ」 「その点はまちがいないと思つていたよ」 「どうなんだね、いま奴を逮捕したら、フレンチ?」タナーは熱心に続けた。「もし奴がサンズと一緒にいる所を見つけたら、しめたものさ……どうにも弁護のしようがあるまい。一度二人を別に離してしまつたら、この事件はイマイマしいくらい証明がむずかしくなるぜ」 「それで盗品はどうするんだ?」とフレンチは言い返した。「いや、冒険してみよう。それにもう一つきみが見逃がしてる点がある。いいか、このギャング団にはきつと四人いるぜ。だからそいつをみんな捕えたいんだ。もし今夜ホークとサンズを逮捕すれば、他の二人を逃がすかもしれない。いや、奴らを見張ろうじやないか……そつくりものにできるかもしれん。時に、パディングトンからの通信について、何かあつたかね?」 「ウン、そいつは多少ものにした」タナーはポケットから一片の紙を出した。夢中になつてフレンチはそれを読んだ――『出エジプト記六章四節の引用文必要』――「こいつはパディングトンの電報局から十時四十分に発送された」とタナーは話し続けた。「宛名は『プリマス局留め、アンダースン』だ。十一時四十五分にホークに似た男が取りにきた。これで何か見当がつくかね?」  フレンチはうれしそうにうなずいた。「つきそうだね!」と彼は熱中して宣言した。「もちろん、わかつてるじやないか? 機関車から六輌目の車で、四つ目のコンパートメントだ。それであの連中がグリーンブリジのプラットホームで距離をはかつていたのさ。もしプリマスの郵便局の人がホークだと証言できれば、うまいんだがなあ」 「たぶん大丈夫だと思うな」タナーは心配そうに時計をチラリと見た。「きみの友人連中は今頃はブラックウォーターを通過してるはずだ。ベイジングストークからはたつた十五マイルしかないのに、奴らが出てから四十分近くになるぜ」彼は電話を取り上げて、ブラックウォーターを呼んだ。「合図なしだ」と彼は間もなく言つた。「こいつは気にくわないね、フレンチ。奴らは横道にそれたのかな?」  フレンチはもう大きな縮尺の道路地図をしらべていた。 「レディングかファーナムが北と南で目につく所だ」と彼は答えた。「だが中間にいくらでも道がある。あの地域一帯を呼んでみてくれ、タナー」  タナーができるだけすばやくそうしているうち、二人は腰をすえて待つた。何分か過ぎて行くにつれ、フレンチは人に悟られては困るほど心配になつてきた。やりすぎたのかな? もしそうだとすれば、そしてあの二人を逃がしたとすれば、フレンチにとつてはかなり重大な事になる。それにしても、奴らは逃げられないはずだ――と、ひとり心に思つた。  またしても電話のベルが鳴つた。「やつとブラックウォーターだ」とタナーがホッとして言つた。それから彼の表情が変つた。「えッ、きみが? うまいぞ、巡査部長! すばらしい! その報告を待つてるよ」彼は電話を切つた。 「ブラックウォーターの報告では、連中が現れなかつたので、オートバイでさがしにやると、ベイジングストークの近くのわき道で車を停めているのを見つけたそうだ。その男が奴らを見張つているから、これからのでき事をずつと知らせてくれる」 「いつたい何の為だろう?」とフレンチが質問した。  タナーは首を振つた。もう一度二人は腰をすえて待つた。そして待ちに待つた――いつまでともわからずに、まるきり煙に巻かれたような気持で……。一時間のあいだに二度、その巡査はどこか気安い家の電話を借りて、連中がいまだに停車中の車内にいると知らせてきたが、十二時半に来た三度目の知らせで、その停車が終つたことが明らかになつた。 「こちらは、ファーナムからです」と巡査は報告した。「十二時頃、奴らは出発して走り出すと、ギルドフォードのほうへ行きました。わたしはギルドフォードの連中に見張りを頼んでおいてから、そちらに電話をかけているところです」 「ギルドフォード!」とフレンチは不安そうに叫んだ。「チキショウ、何の為にあんなとこへ行くんだ?」彼はチラリとタナーを見た。タナーの顔にも同じような不安がきざまれていた。  またしてもベルが鳴つた。「奴らが姿を見せたよ」とタナーが報告した。「四分前にギルドフォードを通過して、レザーヘッドの方角に向かつた。ギルドフォードの警察がもうレザーヘッドへ電話してある」  ふいにフレンチはハッとした。レザーヘッドはエプサムの近くだつた。あのあいだはわずか三四マイルだ。興奮を押えながら、フレンチは、奴らの目的地の見当がつかないものかと、思つた。  一瞬のうちに彼の腹は決まつた。自分のこの思いつきに万事を賭ける気になつた。彼は口早にタナーに話した。  タナーは口ぎたなくののしつた。「きみはすぐ行けるよ」と彼は同じように口早に答えた。「車がハムステッドへ行くつもりで待たせてある。おれは何かあるかもしれんから、ここにいる」  一瞬後フレンチは廊下を中庭へ駆け出していた。そこには、カーター巡査部長や若干の私服と一緒に、二台の警察自動車がいた。 「サア来い、みんな」とフレンチはどなつた。「早く乗れ。できるだけ早くエプサムへ突つぱしれ」十秒後、車はテムズの河岸通りへすべり出て、南へ曲るとウエストミンスター橋を渡つた。  フレンチは何度も自動車で競争したことがあつたが、まずこの場合ほど走らせたことはなかつた。通りの人出が引き潮時だつたので、車はそれを十分に利用した。何物にも道をゆずらないで、電車の正面をサッと横切つたり、他の自動車の連中にあわててブレーキを踏ませた上すぐそばの警官に苦情をいわせたりした。二度も間一髪のあぶない所で惨事を逃れたし、何度も何度もほうり出される所をみごとな熟練のおかげで助かつた。こうして車の背後に憤慨していきり立つ運転手の列を残しながら、一同は町々を通り抜けて突進した。  やがて車は市街を後にして、一そうスピードを増した。道の行手がヘッドライトの明りに揺れて見え、車のタイヤがアスファルトの上にうなりを立てた。速度計の針がグングン上つて、とうとう下り坂の直線路ではちょつとの間だが六十五マイルに達した。警笛はほとんど鳴り続けで、一度ならずカーブを曲るたびに、フレンチは道がすべらなかつたことを運命の星に感謝した。  エプサムへ来ると、車はすばやく警察署へ乗りつけた。巡査部長が歩道で待つていた。 「あの車が七分前に通りました」と彼は口早に言つた……「バーグ・ヒースのほうへ」  このニュースはフレンチの思いつきを実際上確実にした。ダトン荘はバーグ・ヒースの道へ出てから一マイルほどの所にあつた。 「よし」と彼はホッとした気持で、大声を出した。「後を追うんだ、運転手」  もう一度タイヤがなめらかな道の上でうなり声を出した。一マイルは数秒間のうちにすべるように過ぎ去つた。 「おちつけ」とやがてフレンチは言つた。「あの曲り角へ着く前に停めろ」  曲り角の向うには、ダトン荘の前後の自動車道から出てくる直線路があるのだ。車がピタリと停まると、フレンチは飛び降りて、人々を後に従えながら、懐中電燈を持つたまま駆けだした。一同は角を曲つて直線路にたどりついた。前方にはまるきり自動車の明りが見えなかつた。  これは、しかし、ほとんど思いがけないことだつたので、一同は音を立てないように道の端の芝生を踏んで、レースを続けた。やがて正面の入口に来た。  こつちの姿に気付かれないようにするため懐中電燈を急いで垂直にかざしながら、フレンチは自動車道を検査した。小石が敷きつめてあつたが、最近の雨で柔らかくなつていた。最近車がこの上を通つていないことはたしからしかつた。後から来ている連中にソッと声をかけて、フレンチは道を急いだ。  盗難の時に調査したので、フレンチはこの小さな領地を隅から隅まで知つていた。裏口からの自動車道がこの道の百ヤード先にあるので、それが彼の新しい目的物であつた。  裏口の地面を懐中電燈で照らしてみたとき、フレンチはまんぞくのうなり声を挙げた。そこの自動車道に入つているのは新しいタイヤの跡で、かなり新しいダンロップだつた。よかつたぞ、あのエクセターの巡査の観察力は!  一そう用心しながら、一同は急いで自動車道を登つた……スピードを出しながら無言で行動した。月はなかつたが、星明りで或る程度明るかつた。宵のうちは風が吹いていたが、それも静まつたので、今は何もかもひつそりしていた。ふいにフレンチは人声を聞いたような気がした。軽く手をふれて行列に知らせたので、みんなはとたんに固くなつた。  そうだ、すぐ前方で人が動きながら低い声で話していた。フレンチはコッソリ前方に這い出した。 「……エクセターで停められたよ」低い声で言つている男の声がフレンチの耳にはいつた……「だが奴らは何にも疑わなかつたから、おれたちはうまく通り抜けた。おまえはどんな風にやつた、テイラー?」 「ニュートン・アボットで車を預けて汽車で来た」と別の声が言い返した。「おれは六時五十五分にパディングトンに着いて、ベイジングストークからのおまえさんの電話を聞いたので、ゴールドを引つぱつてここへ来た。いつたいこれは何だね、ホーク?」 「盗品よ。サンズがここへ隠しといたんだ。おれは、みんなでここへ来るほうがいいと思つたんだ。だつて、もし――」  話していた男が横へ向いたに違いない。フレンチには後の文句が聞きとれなかつた。うずくまりながら生け垣の中に戻ると、こんどは目の前を影のように動いている四つの姿が見えた。明らかに彼らは、車を隠しておいて、野原から自動車道へ入つてきたのだ。彼らが屋敷のほうに向かつたので、フレンチと警官隊は後から這うようにして行つた。  フレンチは喜んでいたといつただけでは、とても彼の頭の中の印象は伝えられそうもない。最初から彼は、一味がサンズを助けたのは盗品を取り戻す希望があればこそだという気がしていた。今やフレンチの思いつきと行動の正しかつたことが十分明らかになつていた。もう少しの辛抱ともう少しの用心で、奴らも宝石もみんなこつちの物になる? 凱歌を挙げるという以上だぞ、こいつは! 敗北だと思つたものから圧倒的な勝利をつかむんだ!  二つの一団は、百ヤードかそこらの間隔をあけて、今や黙黙として自動車道を這い上つていた。まさか獲物は中庭へは近づくまいと、フレンチは考えた……あすこには犬がいるし、運転手が眠つている。そうだ、連中は横道へ曲つた。自動車道を出ると、建物の横手へ行く小さな木戸を通り抜け、花壇や泉水のある芝生の上を前進しはじめた。この広場ではフレンチの小隊は後へさがつて、見られないようにしなければならなかつたが、灌木の茂つた所へくると、すぐまた一同はかたまり合つた。  フレンチはだんだん驚きが強くなつてきた。相手はまるでこの屋敷そのものの襲撃を考えているように見えはじめた。連中はたしかに屋敷の壁ぎわに近づいていた。その時ふいにフレンチは、奴らの行こうとしている所を悟つた。すぐ目の前にロジア([#割り注]建物の一部で、片側だけ壁のない所[#割り注終わり])があつた。彼はそれをよく知つていた。それは、五十フィートに二十フィートほどのなかなか大きな面積で、屋根があり、二つの側面は家に接していたが、後の一つの側面は柱があるだけで開けつぱなしだつた。そこには、正面ホールへの廊下が通じていたし、大応接室のフランス窓も同じく通じていた……同時に短い石の階段でテラスへ下りられるようになつていた。この石段は南西に面する長いほうの壁のない側面の中央にあつた。短いほうの、壁のない側面は南東に面していた。この二つの側面には石の手すりがあつて、二三フィートごとにスイカズラを植えた大きな石の鉢をのせた台座があつた。  フレンチの心臓は一そう皷動を早めた。何であろうと終局が近づいていた。もしかしたら家宅侵入を目撃するのかな……という気がした。フランス窓はためしてみるのに手頃の場所だが、そこには盗賊よけの警報が取りつけてあるのがわかつていたから、そんな企ては成功すまいと思つた。いや……もしホーク商会[#「ホーク商会」に傍点]の連中が家人を呼び起したと思つて退却してきたら、おれと部下の連中が待ち受けている。  ゆつくりと無言のまま四人の男は石段を這うようにしてロジアへ上つた。彼らが中へ姿を消したとき、フレンチとその後に続く一同は石段の両側の壁へこつそり寄りかかつた。床は芝生の上四フィートほどの高さだつたので、見張つていれば石の手すりのあいだから中が見えた。フレンチの予想と反対に獲物はフランス窓へは近づかなかつた。そのかわり影のように動いて北東の隅へ行つたが、そこは短いほうの壁のない側面が母家の壁に続く所だつた。フレンチはコッソリ角を曲つて、短い側面の外側を這い進んで、やつと連中がかたまつている場所の反対側にたどりついた。連中は懐中電燈を床に向けていたので、かすかな光が八方に走つていた。 「大丈夫だ」このささやきはホークと呼ばれた男から出た。「おい、サンズ」  一つの人影が仲間から離れてフレンチのほうへ進んできたので、フレンチは床面より下へうずくまつた。「ここの、この鉢の中よ」とロンドンなまりでささやく声が聞えた。「こいつは家の外で一番手近に見つかつた所よ。それに東風([#割り注]英國の東の風は身を切るような寒風を指していう[#割り注終わり])があたるから、だれもこんな隅には坐りやしねえや」  ゆつくりとフレンチは頭を上げた。こんな気持は死んでも人に話したくないと思うようなゾッとするほどの興奮を感じながら、フレンチは、男が手を植木鉢のふちにのせてさぐつているのを、見まもつた。すると男はふいにうなり声を挙げて、ホークの手から懐中電燈をひつたくると、鉢の中を照らした。おしまいには、用心していたのをすつかり忘れてしまつて、気違いのように手さぐりをはじめた。他の連中がまわりに集まつてきた。 「どうだ」とホークが言つたが、その声には鋭い緊張が感じられた。「どこにあるんだ?」  サンズの口からは恐ろしい締め殺されそうな叫び声が出た。それから激怒と失望でムチャクチャになつたらしく気味のわるい罵声を挙げた。「ここにはねえんだ!」と彼は大声で叫んだ。「なくなつちまつた! だれかが取つて行きやがつた!」 「だまれ、このバカッ」とホークが歯のあいだから声を出した。彼はサンズの手から懐中電燈をひつたくつて鉢の中をのぞきこんだ。「この――うそつき!」と彼は言葉を続けたが、その声は、小声ながら、ナイフのように鋭かつた。「きさまが手をつけてない所のこの土は何カ月ものあいだ動かされてやしない。緑色の薄皮がはえてるぞ。見ろ、おまえたちも」  他の二人の男がそれを見て、低い声でののしつた。 「サアいいか、きさま」とホークは、怒つた蛇のように毒々しくやはり歯のあいだから声を出しながら、続けた。「十秒以内にあれがどこにあるか言うんだ……さもないとこのナイフがきさまの心臓に入るぞ。きさまはおれたちを分け前から出し抜いて、暗い所から出たらみんな独りじめにするつもりだつたな……そしておとぎ話でおれたちを引きのばせると思つてるんだな! おれはこんなことだろうと思つたから、こうして他の連中を連れてきたのさ」彼は片手を挙げたが、とがつた長いナイフを持つていた。「逃げられやしねえぞ、サンズ。おれたちはきさまの死にはみんなで責任を持つ。サア、どこにあるんだ? 十数えるまで待つてやる。みんな、こいつを抑えてろ」  フレンチは手を出すべきかどうかと迷つた。ホークが真剣なのはわかつていたので、ここに立つたまま人殺しが行われるのを見ているわけにはいかなかつた。その時彼は、ホークだつて真相を知りたがつてるのだからグズグズするだろうと、気がついた。それにフレンチ自身も、まつたく他の連中と同じように、ぜひサンズの言い分を聞きたかつたので、あやうい場面に胸躍らせながら、やはり待つていた。 「ひとーつ!」とホークは息をついでから、ゆつくり続けた……「ふたーつ! みいーつ! オイ、こいつの口を抑えとけ!」フレンチはこの小人数の集団がピッタリかたまるのを見た。ホークがナイフを挙げて、小男の胸に切先きを押しつけた。ふいに捕えられている男が猛烈にもがきはじめた。ホークはナイフを引つこめた。 「こけおどかしじやないぞ」と彼はあの鋼鉄のような声でささやいた。「もし分け前をよこさなけりや、このナイフがきさまの心臓に入るぞ。三つまで数えたな」もう一度彼は息をついだ。「よおーつ!」それからもう一度「いつーつ!」それからもう一度「むうーつ!」その時別の声がした。「もう一度ナイフでためしなさい、親分」と今まで口をきいていなかつた男が言つた。 「いやだ、いやだ、いやだ!」と押しつぶされたような悲鳴がした。「おれはおまえさんにほんとのことを話したんだ。誓つてそうだ。おれはここに隠したんだ」彼はあらんかぎりの悪態をついた。「もしおれを殺したら、これ以上話せねえじやねえか!」 「もう一度抑えつけろ」とホークは容赦なく言つて、またしてもナイフを挙げた。フレンチはもうこれにはがまんできないような気がした。彼はサンズを信用した。サンズの声には、死に物ぐるいの絶望的な恐怖と同じく、一貫した真実が感じられた。この男はたしかにあの鉢の中に隠したのだ(とフレンチは確信した)そして――だれか他の者がそれを手に入れてしらばくれているのだ。たぶん園丁か下男の一人だろう……フレンチは壁をまわつて石段のほうへジリジリ進みはじめた。  フレンチは部下の連中に襲撃の隊形を取らせておいたので、一同はいまにも階段を駆け上つて相手を取り抑えようとした……その時、頭上から恐ろしい悲鳴が聞え、続いてホークの荒々しい声がした。「これでメチャメチャだ、このバカども。なぜ、言いつけたとおり、こいつの口を抑えていなかつたんだ? サア逃げるんだ! こいつを引つぱつてこい!」  もう沈黙を守らなくてもよくなつたので、三人の男は四人目の男を引きずつて、ロジアを駆け出した。あまり逃げるのにあわてていたので、石段の所へくるまで、待ちかまえている警官隊が目に入らなかつた。そこで恐ろしい叫び声が挙がつた。「デカだ!」とホークがものすごい呪うような声を出した。「サンズをうつちやつて、手すりを越えて逃げろ!」彼は叫びながら、死に物ぐるいでポケットをさぐつた。フレンチは懐中電燈を照らしながら、部下を従えて、突進した。ホークがピストルを取り出したとき、フレンチは飛びついていた。  いまやロジアは夢魔のように人の体が渦を巻き、うめき声やののしる声がし、ドサリという音や――二度ばかり――銃声がした。懐中電燈がみんな叩き落されて消えてしまつたので、だれも自分が何をしてるのかわからなかつた。みんながたれでも手当りしだいの相手に組みついたが、だれをつかまえているのかわからなかつた。三人の警官は、気がついてみるとおたがい同志で格闘していたが、三分もたつてからやつとそれに気がついて、仲間の応援に行つた。その時フレンチの足に懐中電燈がさわつたので、ようやくそれをひろい上げた。明りがつくと終局はすぐに来た。三人の悪党に対して八人の警官がいた……というのはサンズはすつかり参つてしまつて、乱闘に加わろうとしなかつたからである。 「そいつらを車に連れて行け、カーター」とフレンチはあえぎながら言つた。  やがて、手錠をかけられた四人の男がひつぱられて行くと、その間にフレンチは後に残つて、屋敷の人たちの恐怖を静めていた。       *    *    *  翌朝フレンチは歩いて行つて、格闘の現場を見た。カーター巡査部長と一緒に彼はロジアの中央に立つて、あたりを見まわした。 「何かおもしろい物が見えやしないかね?」とやがてフレンチは言つたが、巡査部長が必要な反応を見せなかつたので、話を続けた。「サンズが盗品を隠したと言つていたあの隅には東風があたる。ホラ覚えているだろう……それであすこにはだれも腰掛けないからあの隅を選んだと言つていたじやないか。ところがぼくはいま気がついたが、あすこの植木のほうが、風のあたらない南側にあるものより、みごとで元気がいい。それで何か思い当ることがないかね? ああ、そうだぜ、ええ! では見てみようじやないか」  フレンチは、いかにも風でしなびたように見える、一番貧弱な植木の所へ歩いて行つた。その鉢の中を彼はペンナイフで掘りはじめた。「ああ」とフレンチはこの上なくまんぞくしたような口調で言つた。「何がここにあるかな? ぼくはこれがサンズのささやかな分け前だと思うね」  それは幸運な推理であつた。包みの中に宝石がそつくりあつたし、園丁頭をしらべると、つい前週に植木鉢のならべ方を変えて、貧弱な木を東風のあたらない所へ移したということが明らかになつた。  公判で殺人罪が立証されたのはホークとテイラーだけだつた……電報を打つただけでグリーンブリジでやつたことの全部に関係があるとは言えなかつたからである。最初の二人は死刑になり、後の連中はいつもの巣から隠退して長い月日を送ることになつた。フレンチの働きを感謝してオームズビイ・キーツ夫人は警察慈善団体に五百ポンドを寄贈した。そこで二重の理由でフレンチは自分の努力がむだではなかつたという気がした。 [#地付き](村崎敏郎訳) 底本:「〔名探偵登場※[#ローマ数字 2、1-13-22]〕」HAYAKAWA POCKET MYSTERY BOOKS、早川書房    1956(昭和31)年3月15日初版発行    1993(平成5)年9月15日3版発行 ※底本は新字新仮名づかいです。なお平仮名の拗音、促音が並につくられているのは、底本通りです。 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。