花売娘 吉江喬松 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)欧州《おうしゅう》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|致《ち》して [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)*[#「*」は行右小書き] -------------------------------------------------------  欧州《おうしゅう》の大戦争《だいせんそう》*[#「*」は行右小書き]がまだなかなか止《や》みそうにもないころに私は、フランスのパリーに勉強《べんきょう》のために参《まい》りました。航海中《こうかいちゅう》も危険《きけん》なこととて船は地中海《ちちゅうかい》も通《とお》れず、南アフリカの南端《なんたん》希望峰《ケイプタウン》をはるばると迂回《うかい》して参りました。(*大正三年から大正七年までの第一次世界大戦。)  世界の都《みやこ》とよばれるパリーにも、国難《こくなん》を救《すく》う人々の心が一|致《ち》していそしんでいるだけに、どこにも浮《うわ》っ調子《ちょうし》はなく、張《は》りつめているような心持が感ぜられました。  街《まち》を歩いている人達《ひとたち》の足どりも確《しっか》りとして忙《いそが》しそうだし、美しい婦人《ふじん》たちの服装《ふくそう》も質素《しっそ》で、どこにも華美《かび》な姿《すがた》は見られませんでした。  本当《ほんとう》にフランスの人達は、自分等の敵《てき》を撃《う》つためというよりは「我等の[#「よりは「我等の」はママ]愛《あい》する祖国を護《まも》るために一致し、緊張《きんちょう》し、努力しているのでした。  私はパリーのある街《まち》の宿に、長い旅の服を脱《ぬ》ぎかえて、さびしい異国人《いこくじん》として、フランスの文化のゆたかな深さにひたりながら勉強しつつも、その国の純粋《じゅんすい》な落着《おちつき》のある人たちを、心からなつかしまずには居《い》られませんでした。  快活《かいかつ》なフランスの少女たちは、よく私の室《へや》の窓下《まどした》や公園《こうえん》のマロニエの葉《は》の下に、短いスカアトをひるがえして、雲雀《ひばり》のように遊んでいました。  フランスの少女たちに、あるいは奥《おく》さん方《がた》に、貴女方《あなたがた》のうちで一番たのしい時はと訊《たず》ねますと、初夏《しょか》の若葉《わかば》も匂《にお》う五月のころの木曜日《もくようび》に行《おこな》われるプルミエル・コンミニオンだと答《こた》えます。プルミエル・コンミニオンとは、フランスの旧教《きゅうきょう》で行う宗教上《しゅうきょうじょう》の儀式《ぎしき》なのです。フランスの少女たちが十二|歳《さい》になると、信仰《しんこう》の試験《しけん》を教会でお坊《ぼう》さんにされるのです。その時はその少女は申《もう》すに及《およ》ばず、その一|家中《かじゅう》のたのしい時で、少女は美しい純白《じゅんぱく》の着物《きもの》に、白の紗《しゃ》の切《き》れを頭《あたま》に被《かぶ》って、パリーの街《まち》を一|家族《かぞく》の人たちとしずしずと歩きます。そして家に帰るとその少女を知《し》って居るみんなの人に祝《いわ》われて、その幸福《こうふく》な将来《しょうらい》を祝福《しゅくふく》されるのです。  こんなに純《じゅん》な、美しい物語を見るようなプルミエル・コンミニオンを楽《たの》しむ少女たちにも、ドイツとの戦《たたか》いのためには、いくつかのかなしい運命《うんめい》の衣《ころも》をまとわされることがあるのでした。  ドイツの軍人がベルジック*[#「*」は行右小書き]を通って、フランスの国境《こっきょう》を侵《おか》し、なおも花のパリーを襲《おそ》わんとする気配《けはい》のあったころにはそこにもここにも父をなくし、兄をなくしたみなし児《ご》の少女が居《お》りました。(*ベルギー)  今これから私がお話するのは、そんなような悲《かな》しい運命にあわされた少女たちのことで、そして私が遠く今日本に帰って、まだ忘《わす》れることの出来ない少女のお話です。 [#2字下げ]主《ぬし》のいない鳥籠《とりかご》[#「主のいない鳥籠」は中見出し]  私はひとり室《へや》にとじ籠《こも》って勉強して居《お》っても、夕方《ゆうがた》などには、よく杖《つえ》をひきながら散歩《さんぽ》に出た。パリーの街々《まちまち》を歩き、そしていつかセエヌ河の岸辺《きしべ》に沿《そ》うて歩《あゆ》んで、その辺《あた》りの地下の電車で家に帰ることがあったのです。  私はこうして散歩《さんぽ》に出て帰りに地下電車に行こうとする度《たび》に、いつもその入口《いりぐち》に立って花を売っている少女に会《あ》った。十二三|位《ぐらい》になるその少女はさっぱりとした服装《ふくそう》をして、黄ろいミュゲの花を抱《だ》いて売っているのでした。  私は散歩の帰にはきっとその少女を見る。そしてその少女はいつもはれやかな顔つきで、ミュゲの花を売っている。私はいつかひかれるともなくその少女に心がひかれて居《お》ったのでした。  私は心ひかれるままに、幾度《いくたび》となくその少女からその花を買いとっては、私のさびしい室《へや》に持ち帰ったのでした。  ミュゲの花は黄い小《こ》てまりに似《に》た花で、五月のころにこの花をつけると、幸福になれると言《い》うならわしがフランスにはあって、誰《だ》れでもそのミュゲの花を買いとって、胸《むね》にさしてあるく習慣《しゅうかん》があるのでした。  ある時私は何気《なにげ》なく、 「お父さんはどうして居《い》るの、」 ときくと、 「お父さんは戦争に行ってるの、」 と、親《した》しそうにはっきりと応《こた》えてくれました。 「お母さんは?」 「お母さんはこのセエヌ河で毎日|洗濯《せんたく》をしています、」と少女は話した。その話がきっかけで、私と少女はいつ会《あ》っても大変|親《した》しい挨拶《あいさつ》をかわすようになり、いろいろなことを語《かた》り合うようになってきたのでした。けれどもまだ私はその少女の家がどこにあるかと言《い》うことは知りませんでした。  ある夕方私は夕飯《ゆうはん》を食《た》べに出て行くと、その少女が思いがけなく、私の家の附近《ふきん》の街《まち》に遊んでいるのに出会《であ》ったのです。 「ジァンヌさん、あなたのお家《うち》はこの附近?」 と訊《たず》ねると、可愛《かあい》らしくうなずいて見せた。少女の名前はジァンヌと言《い》うのでした。 「あそこよ、」 と言《い》って指《ゆび》さす方を見ると、それは私の窓の下の空地《あきち》の突当《つきあた》りに建《た》ってある六|階建《かいだて》の家の一番上の室《へや》なのでした。 「あそこの室がジァンヌさんのお家《うち》?」  私は吃驚《びっくり》して、その六|階《かい》の上の屋根裏《やねうら》になっている室を見上《みあ》げた。その少女がみすぼらしい室《へや》に居《い》ると言うことを驚《おどろ》いたのではなくして、私にはほかに今迄《いままで》思いがけなかった奇遇《きぐう》のような驚きがあったのでした。  私は毎朝《まいあさ》はやく床《とこ》のなかで、どこで鳴《な》いているともなく囀《さえずい》る鶯《うぐいす》の声を耳《みみ》にするのが常《つね》でした。その声は涼《すず》しいほど朗《ほがら》かで、晴れ渡った朝の空気を破って、私の夢をさまし、あるときは遠い故国《ここく》のことさえも忍《しの》ばせるのでした。  そして私はいつかその鶯《うぐいす》が、向《むこ》うの家の六階目の室《へや》の窓《まど》につるされた籠《かご》のなかで、啼《な》いているのだと言《い》うことも知っていました。  私は少女がその室《へや》にすんで居《い》るのだと言うことをきくと、久《ひさ》しく会《あ》わなかった人《ひと》にでも会《あ》ったような悦《よろこ》ばしさを感じました。 「するとあなたの室《へや》には鶯《うぐいす》がいますね。」  私が急《いそ》いでこう訊《たず》ねると、 「ええいます、本当《ほんとう》にいい声でしょう、」 と少女は言《い》うのです。 「私はあの鶯《うぐいす》の声を、毎朝|床《とこ》のなかできいていましたよ。本当《ほんとう》にいい声です。」  すると少女はほめられたうれしさに、その晴《は》れやかな眼《め》を一|層《そう》かがやかせて、 「あの鶯《うぐいす》は私のお父さまがスイスの山の中でとってきたのです、」 と言《い》って、鶯《うぐいす》のこと、お父さんのこと、お母さんのことを話してきかせました。私はその少女の無邪気《むじゃき》な心がすっかり気《き》に入ってしまったのです。  その少女も私の居《い》る家がその少女の室《へや》に近いことを知って悦《よろこ》んでくれました。  翌日私が起《お》きて窓の戸を開《あ》けると、昨日《きのう》のジァンヌはその六|階《かい》の窓からうぐいすの入《はい》った籠《かご》を振《ふ》って私に見せるのでした。 「ボン、ジュウル、」と私も朝の挨拶《あいさつ》を送ったりしました。  私の仕事《しごと》はたくさんたまっていた。それを一生懸命《いっしょうけんめい》ですまして、またセイヌ河へ行って見ると、私は前と同《おな》じように地下電車の入口《いりぐち》で私のなつかしいジァンヌを見るのでした。  私はまたミュゲの花を買って、その代価《だいか》以上にお金をあげようと言《い》うと、ジァンヌは、 「お花の代《だい》よりほかに、わたしお金をいただきません、」 と言って、どうしてもそれ以上|受《う》けようとはしません。私はなおさらそのけなげな心にひかれました。そしてまずしい少女であり乍《なが》ら、ジァンヌのその姿が気高《けだか》い立派《りっぱ》なものにさえ思われました。  その年《とし》の夏、私はパリーをはなれて田舎《いなか》に夏をさけていた。夏もさり秋のころおいに再《ふたた》びパリーの元の家に帰って、窓からジァンヌさんの室《へや》をながめると、相変《あいかわ》らずそこには鶯《うぐいす》の籠《かご》がぶらさがっていました。  けれど私はセイヌ河のほとりの地下電車の入口では、どうしたことか花を売っていたジァンヌの姿を見《み》うけませんでした。私は何《な》んとなく物足《ものた》りなかった。  宿《やど》の女中に訊《き》くと、ジァンヌの父がとうとう戦死《せんし》したので、ジァンヌの母は子供をつれて、ブルタァニュの方に行ってしまったのだということでした。  それから私はいつも、父を失《うしな》って、母と共《とも》に故郷《こきょう》をはなれ去《さ》った可憐《かれん》な少女の姿を、主《ぬし》のいない籠《かご》をその窓《まど》に見る度に思うのでした。 底本:「信州・こども文学館 第5巻 語り残したおくり物 あしたへの橋」郷土出版社    2002(平成14)年7月15日初版発行 底本の親本:「角笛のひびき」実業之日本社    1951(昭和26)年 ※底本は、表題に「花売娘《はなうりむすめ》」とルビがふってあります。 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。