月曜物語 CONTES DU LUNDI アルフォンス・ドーデー Alphonse Daudet 桜田佐訳 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)海辺《うみべ》の収穫《とりいれ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)内|弟子《でし》と [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#4字下げ]目次[#「目次」は中見出し] ------------------------------------------------------- [#4字下げ]目次[#「目次」は中見出し] [#1字下げ]第一部 幻想と物語[#「第一部 幻想と物語」は小見出し] 最後の授業 玉突き コルマールの裁判官の幻想 少年の裏ぎり 母親 ベルリン攻囲 わるいアルジェリア兵 ブジヴァルの置時計 タラスコンの防御 ベリゼールのプロシア人 パリの百姓 前しょう線にて 暴動風景 渡し舟 旗手 ショーヴァンの死 アルザス! アルザス! 隊商宿 八月十五日の叙勲者 私の軍帽 コミューヌのアルジェリアそ撃兵 第八中隊の演奏会 ペール・ラシェーズの戦い 小まんじゅう(プチ・パテ) 船上独語 フランスの魔女 [#1字下げ]第二部 空想と追憶[#「第二部 空想と追憶」は小見出し] 書記 ジラルダンが約束した三十万フランで! アルテュール 三つの警告 初演の夕 チーズ入りスープ 最後の本 売家 クリスマスの物語――マレー街の降誕祭の祝宴 法王様がなくなった 味覚風景 海辺《うみべ》の収穫《とりいれ》 赤しゃこ[#「しゃこ」に傍点]のおののき[#「おののき」に傍点] 鏡 盲目《めくら》の皇帝 [#ここから1字下げ] 注 解説 [#ここで字下げ終わり] [#改丁] [#ページの左右中央] [#3字下げ]月曜物語[#「月曜物語」は大見出し] [#改ページ] [#ページの左右中央] [#3字下げ]エルネスト ドーデーにささぐ[#「エルネスト ドーデーにささぐ」は太字] [#改ページ] [#ページの左右中央] [#3字下げ]第一部 幻想と物語[#「第一部 幻想と物語」は大見出し] [#改丁] [#4字下げ]最後の授業[#「最後の授業」は中見出し] [#6字下げ]アルザスの一少年の物語[#「アルザスの一少年の物語」は小見出し]  その朝は学校へ行くのがたいへんおそくなったし、それにアメル先生が分詞法の質問をすると言われたのに、私は丸っきり覚えていなかったので、しかられるのが恐ろしかった。一時は、学校を休んで、どこでもいいから駆けまわろうかしら、とも考えた。  空はよく晴れて暖かった!  森の端でつぐみ[#「つぐみ」に傍点]が鳴いている。リペールの原っぱでは、木《こ》びき工場の後でプロシア兵が調練しているのが聞こえる。どれも分詞法の規則よりは心を引きつける。けれどやっと誘惑に打ち勝って、大急ぎで学校へ走って行った。  役場の前を通った時、金網を張った小さな掲示板の傍《そば》に、大勢の人が立ちどまっていた。二年前から、敗戦とか徴発とか司令部の命令とかいうようないやな知らせはみんなここからやってきたのだ。私は歩きながら考えた。 『今度は何が起こったんだろう?』  そして、小走りに広場を横ぎろうとすると、そこで、内|弟子《でし》と一しょに掲示を読んでいたかじ[#「かじ」に傍点]屋のワシュテルが、大声で私に言った。 『おい、坊主、そんなに急ぐなよ、どうせ学校には遅れっこないんだから!』  かじ[#「かじ」に傍点]屋のやつ、私をからかっているんだと思ったのて、私は息をはずませてアメル先生の小さな庭の中へ入って行った。  ふだんは、授業の始まりは大騒ぎで、机を開《あ》けたり閉《し》めたり、日課をよく覚えようと耳をふさいでみんな一しょに大声で繰り返したり、先生が大きな定規で机をたたいて、 『も少し静かに!』と叫ぶのが、往来まで聞こえていたものだった。  私は気づかれずに席に着くために、この騒ぎを当《あて》にしていた。しかし、あいにくその日は、何もかもひっそり[#「ひっそり」に傍点]として、まるで日曜の朝のようだった。友だちはめいめいの席に並んでいて、アメル先生が、恐ろしい鉄の定規を抱《かか》えて行ったり来たりしているのが開いた窓越しに見える。戸を開《あ》けて、この静まり返ったまっただなかへ入らなければならない。どんなに恥ずかしく、どんなに恐ろしく思ったことか!  ところが、大違い。アメル先生は怒らずに私を見て、ごく優しく、こう言った。 『早く席へ着いて、フランツ。君がいないでも始めるところだった』  私は腰掛けをまたいで、すぐに私の席に着いた。ようやくその時になって、少し恐ろしさがおさまると、私は先生が、督学官の来る日か賞品授与式の日でなければ着ない、立派な、緑色のフロックコートを着て、細かくひだの付いた幅広のネクタイをつけ、刺しゅうをした黒い絹の縁なし帽をかぶっているのに気がついた。それに、教室全体に、何か異様なおごそかさがあった。いちばん驚かされたのは、教室の奥のふだんは空《あ》いている席に、村の人たちが、私たちのように黙って腰をおろしていることだった。三角帽を持ったオゼールじいさん、元の村長、元の郵便配達夫、なお、その他、大勢の人たち。そして、この人たちはみんな悲しそうだった。オゼールじいさんは、縁のいたんだ古い初等読本を持って来ていて、ひざの上にひろげ、大きなめがねを、開いたページの上に置いていた。  私がこんなことにびっくりしている間に、アメル先生は教壇に上り、私を迎えたと同じ優しい重味のある声で、私たちに話した。 『みなさん、私が授業をするのはこれが最後《おしまい》です。アルザスとロレーヌの学校では、ドイツ語しか教えてはいけないという命令が、ベルリンから来ました…… 新しい先生が明日《あす》見えます。今日はフランス語の最後のおけいこです。どうかよく注意してください』  この言葉は私の気を転倒《てんとう》させた。ああ、ひどい人たちだ。役場に掲示してあったのはこれだったのだ。  フランス語の最後の授業!……  それだのに私はやっと書けるくらい! ではもう習うことはできないのだろうか! このままでいなければならないのか! むだに過ごした時間、鳥の巣を捜しまわったり、ザール川で氷|滑《すべ》りをするために学校をずるけたことを、今となってはどんなにうらめしく思っただろう! さっきまであんなに邪魔で荷厄介に思われた本、文法書や聖書などが、今では別れることのつらい、昔なじみのように思われた。アメル先生にしても同様だった。じきに行ってしまう、もう会うこともあるまい、と考えると、罰を受けたことも、定規で打たれたことも、忘れてしまった。  きのどくな人!  彼はこの最後の授業のために晴着を着たのだ。そして、私はなぜこの村の老人たちが教室のすみに来てすわっていたかが今分かった。どうやらこの学校にあまりたびたび来なかったことを悔んでいるらしい。また、それは先生に対して、四十年間よく尽くしてくれたことを感謝し、去り行く祖国に対して敬意を表するためでもあった……  こうして私が感慨にふけっている時、私の名まえが呼ばれた。私の暗しょうの番だった。このむずかしい分詞法の規則を大きな声ではっきり[#「はっきり」に傍点]と、一つも間違えずに、すっかり言うことができるなら、どんなことでもしただろう。しかし最初からまごついてしまって、立ったまま、悲しい気持で、頭もあげられず、腰掛けの間で身体《からだ》をゆすぶっていた。アメル先生の言葉が聞こえた。 『フランツ、私は君をしかりません。充分罰せられたはずです……そんなふうにね。私たちは毎日考えます。なーに、暇は充分ある。明日《あす》勉強しようって。そしてそのあげくどうなったかお分かりでしょう…… ああ! いつも勉強を翌日に延ばすのがアルザスの大きな不幸でした。今あのドイツ人たちにこう言われても仕方がありません。どうしたんだ、君たちはフランス人だと言いはっていた。それなのに自分の言葉を話すことも書くこともできないのか!…… この点で、フランツ、君がいちばん悪いというわけではない。私たちはみんな大いに非難されなければならないのです』 『君たちの両親は、君たちが教育を受けることをあまり望まなかった。わずかの金でもよけい得るように、畑や紡績工場に働きに出すほうを望んだ。私自身にしたところで、何か非難されることはないだろうか? 勉強をするかわりに、君たちに、たびたび花園に水をやらせはしなかったか? 私があゆ[#「あゆ」に傍点]を釣りに行きたかった時、君たちに休みを与えることをちゅうちょしたろうか?……』  それから、アメル先生は、フランス語について、つぎからつぎへと話を始めた。フランス語は世界じゅうでいちばん美しい、いちばんはっきりした、いちばん力強い言葉であることや、ある民族がどれいとなっても、その国語を保っているかぎりは、そのろう獄のかぎ[#「かぎ」に傍点]を握っているようなものだから、私たちのあいだでフランス語をよく守って、決して忘れてはならないことを話した。それから先生は文法の本を取り上げて、今日のけいこのところを読んだ。あまりよく分かるのでびっくりした。先生が言ったことは私には非常にやさしく思われた。私がこれほどよく聞いたことは一度だってなかったし、先生がこれほど辛抱強く説明したこともなかったと思う。行ってしまう前に、きのどくな先生は、知っているだけのことをすっかり教えて、一どきに私たちの頭の中に入れようとしている、とも思われた。  日課が終ると、習字に移った。この日のために、アメル先生は新しいお手本を用意しておかれた。それには、みごとな丸い書体で、「フランス、アルザス、フランス、アルザス」と書いてあった。小さな旗が、机のくぎにかかって、教室じゅうにひるがえっているようだった。みんなどんなに一生懸命だったろう! それになんという静けさ! ただ紙の上をペンのきしるのが聞こえるばかりだ。途中で一度こがね虫が入ってきたが、だれも気を取られない。小さな子どもまでが、一心に棒を引いていた。まるでそれもフランス語であるかのように、まじめに、心をこめて…… 学校の屋根の上では、はと[#「はと」に傍点]が静かに鳴いていた。私はその声を聞いて、 『今にはと[#「はと」に傍点]までドイツ語で鳴かなければならないのじゃないかしら?』と思った。  ときどきページから目をあげると、アメル先生が教壇にじっとすわって、周囲のものを見つめている。まるで小さな校舎を全部目の中に納めようとしているようだ…… 無理もない! 四十年来この同じ場所に、庭を前にして、少しも変らない彼の教室にいたのだった。ただ、腰掛けと机が、使われているあいだに、こすられ、みがかれただけだ。庭のくるみの木が大きくなり、彼の手植えのウブロンが、今は窓の葉飾りになって、屋根まで伸びている。かわいそうに、こういうすべての物と別れるということは、彼にとってはどんなに悲しいことであったろう。そして、荷造りをしている妹が二階を行来《ゆきき》する足音を聞くのは、どんなに苦しかったろう! 明日《あす》は出かけなくてはならないのだ、永遠にこの土地を去らなければならないのだ。  それでも彼は勇を鼓して、最後まで授業を続けた。習字の次ぎは歴史の勉強だった。それから、小さな生徒たちがみんな一しょにバブビボビュを歌った。うしろの、教室の奥では、オゼール老人がめがねを掛け、初等読本を両手で持って、彼らと一しょに文字を拾い読みしていた。彼も一生懸命なのが分かった。彼の声は感激に震えていた。それを聞くとあまりこっけいで痛ましくて、私たちはみんな、笑いたくなり、泣きたくもなった。ほんとうに、この最後の授業のことは忘れられない……  とつぜん教会の時計が十二時を打ち、続いてアンジェリュスの鐘が鳴った。と同時に、調練から帰るプロシア兵のラッパが私たちのいる窓の下で鳴り響いた…… アメル先生は青い顔をして教壇に立ちあがった。これほど先生が大きく見えたことはなかった。 『みなさん、』と彼は言った。『みなさん、私は……私は……』  しかし何かが彼の息を詰まらせた。彼は言葉を終ることができなかった。  そこで彼は黒板の方へ向きなおると、白墨を一つ手にとって、ありったけの力でしっかりと、できるだけ大きな字で書いた。 『フランスばんざい!』  そうして、頭を壁に押し当てたまま、そこを動かなかった。そして、手で合図《あいず》をした。 『もうおしまいだ…… お帰り』 [#改ページ] [#4字下げ]玉突き[#「玉突き」は中見出し]  二日続いての戦闘で、昨夜は背《はい》のうを背負《しょ》ったまま豪雨の中で過ごしたので、兵士たちは疲れきっていた。しかもこの耐えられない三時間というもの、彼らは大道の水たまりや原っぱのどぶ泥《どろ》の中に、鉄砲をおろして、凍えるままにされているのだ。  疲労に苦しめられ、幾日か不眠の夜を送り、びしょぬれの軍服を着た彼らは、身をあたためるため、体《からだ》をささえるために、くっつき合っている。隣の者の背《はい》のうに寄りかかって立ったまま眠っている者がある。眠りほうけて、しまりのなくなったその顔には、疲労と難渋とがいっそう強く現われている。雨に泥土《でいど》、火もなければ、食べる物もない。空は低く黒ずんで、敵は周囲いたるところにいるらしい。陰惨な感じだ……  いったい何をしているのか? 何が起こっているのか?  筒口を森の方へ向けた大砲は何かを待ち受けているらしい。待機中の機関銃は、天の一角をにらんでいる。攻撃の準備はすっかり整っている。なぜ進撃しないのか? 何を待っているのだ?……  命令を待っているのだが、司令部から送ってこないのだ。  しかしその司令部は遠くはない。赤屋根が雨に洗われて山腹の木立の中に輝いている、あの美しいルイ十三世ふうの離宮なのだ。これこそまごうかたなき王侯の居城で、フランスの元帥旗を掲げるにふさわしいところだ。大きなみぞ[#「みぞ」に傍点]と石がき[#「がき」に傍点]で、道から隔てられていて、その後は芝生《しばふ》がまっすぐに石段まで続いている。一様に生《は》えそろった芝は緑も美しく、花の咲いた植木ばちで縁《ふち》どられている。あちら側《がわ》の家の裏手の方には、あかしで[#「あかしで」に傍点]が明るいすきまを作り、鏡のような泉水に白鳥が泳いでいる。大きな鳥小屋の丸屋根の下では、茂みに鋭い叫びを投げながら、くじゃく[#「くじゃく」に傍点]やきんけい[#「きんけい」に傍点]鳥が羽ばたきをしたり、羽を扇形にひろげたりしている。家の人たちはいないのだが、別に打ち捨てられているとも思われない。戦時のすばらしい慰安所となっているのだ。司令官の旗は、芝生《しばふ》のいちばん小さな花まで見守っている。木立《こだち》が整然と並び、ひっそりした並木道が奥深く続いていて、すべてに秩序が保たれている。戦場の近くにこうした豊かな静けさを見ては、心を打たれずにはいられない。  あそこでは道を不愉快などぶ泥《どろ》にし、深いわだちの跡を作る雨も、ここではかわら[#「かわら」に傍点]の赤味をくっきりとさせ、芝生《しばふ》の緑を増し、みかんの葉のつやを出し、白鳥の白い羽毛を輝かす、優美に貴族的なにわか[#「にわか」に傍点]雨に他ならない。すべてが光輝き、もの静かである。本当に、もし屋根の上にひるがえる旗がなく、さく[#「さく」に傍点]の前で番をしている二人の兵士がいなかったら、だれだって決して、司令部にいるとは思わないだろう。馬はうまや[#「うまや」に傍点]に休んでいる。あちらこちらで出会うのは従卒、料理場の近くをうろつく略服の伝令、あるいは広場の砂の中を静かにくまで[#「くまで」に傍点]を動かす赤ズボンの園丁ぐらい。  石段に面して窓の付いている食堂には、半分かたづけた食卓があり、しわ[#「しわ」に傍点]になったテーブル掛けの上に、せん[#「せん」に傍点]の抜かれたびん[#「びん」に傍点]や曇った白っぽいから[#「から」に傍点]のコップが置かれているのが見える。どれを見ても食事の終った後《あと》らしく、会食者はもういない。隣の部屋では大きな声、笑い声、転《ころ》がる玉の音、触れ合うコップの音がする。将軍はゲームをやっている最中だ。そのために、軍隊は命令を待っているのだ。将軍が玉突きを始めると、天がくずれ落ちようが、一勝負終るまではこの世の何物も邪魔することはできないのだ。  玉突き!  これがこの偉大なる武人の欠点である。彼は戦場におけるがごとく真剣である。盛装を凝《こ》らして、胸には勲章を飾りたて、目は輝きほお[#「ほお」に傍点]は燃え、食事と競技とグロッグ酒とにすっかり興奮しているのだ。幕僚《ばくりょう》たちが彼を囲んで、いそいそと敬意を表して、将軍の一突きごとに感心しきったといったようす。将軍が一点を取れば、一同これを記《しる》そうと急ぎ、将軍が渇を訴えれば、一同グロッグ酒の用意をしようとする。肩章と軍帽の前飾りはゆらぎ、勲章や飾りひもが鳴る。庭園や広場に面した、かし[#「かし」に傍点]の板壁を巡《めぐ》らしたこの天井《てんじょう》の高い客間で、刺しゅうをいっぱいにした新しい軍服の廷臣たちの、晴れやかな微笑や細《こま》やかな敬礼を見ると、コンピエーニュ[#原注]の秋が思いだされ、かなたの道に沿って、凍え、雨の中で陰気な塊《かたま》りを作っている汚《よご》れた外とうを着た人たちのことがしばらくは忘れられる。  将軍の相手は参謀部の小柄な大尉で、ぴっちりバンドを締めた服に、髪を縮らし、はで[#「はで」に傍点]な手袋をはめ、玉突きにかけては一番の腕達者で、世界じゅうの将軍を負かすこともできるが、しかし自分の頭《かしら》に対しては、尊敬の念から、一歩へり下ってなるべく勝たないように、またたやすく負けもしないように努めていた。いわゆる、将来のある士官、と呼ばれるやつだ……  若いの、気をつけて、うまくやろうぜ。将軍は十五で君は十だ、最後までゲームをこんなふうに続けるんだ。そしたら君は、なかなか来ない命令を待ちながら、飾りひもの金の色を曇らせ、立派な軍服を汚して、地平線も沈むような激しい雨の下で、他の士官たちと一しょに戸外にいるよりも、もっと進級がうまくできるんだ。  ほんとうにおもしろい勝負だった。玉が走る。軽く触れ合い、色が入り交じる。縁《ふち》に当るとよく返るし、布の上はするするすべる…… とつぜん大砲の砲火が空中にひらめく。鈍い音が窓ガラスを震わす。みんなは身震いをし、不安そうに顔を見合わす。ただ将軍には何も見えないし、何も聞こえない。玉の上に身をかがめ、反玉《ひき》がうまく利《き》くようにと、工夫を凝《こ》らしている最中だ。この反玉が彼の得意とするところだ!……  しかし、また新《あら》たにひらめきが起こり、つづいて別のひらめきが起こる。大砲がつぎつぎにと続けざまに鳴る。幕僚《ばくりょう》が窓際《まどぎわ》に走り寄る。プロシア人は攻撃するのだろうか? 『いいとも、攻撃するがいい!』と将軍がチョークを塗りながら言う……『大尉、君の番だ』  参謀は感嘆して身震いをした。戦いの時に、玉の前でこれほど冷静なこの将軍に比べたら、大砲の上で眠ったテュレーヌ[#原注]も、足下にもおよばない…… こうしている間に騒ぎは大きくなった。大砲のとどろきに機関銃のカタカタという音や、分隊の銃火の音がまざる。赤くて、縁の黒い煙が芝生《しばふ》の端に上る。庭の奥はすっかり燃えている。びっくりしたくじゃく[#「くじゃく」に傍点]やきんけい[#「きんけい」に傍点]鳥が鳥小屋の中で叫ぶ。アラビア馬が火薬のにおい[#「におい」に傍点]をかいで、馬小屋の奥で後足で立ちあがる。司令部は色めき立った。電報、また電報、急使が馬を駆って到着する。将軍に会おうとするのだ。  将軍は人を寄せつけない。前にも言うとおり、勝負が終るまでは、何が起ころうとびくともするものじゃない。 『大尉、君の番だ』  しかし大尉は上《うわ》の空《そら》だった。これも若さのしからしめるところだ。彼は思慮がなくなり、策を忘れ、つづいて二突《ふたつ》き当てて、ほとんど勝ちかけた。今度は将軍が怒った。驚きと怒りとがその雄々しい顔に現われた。ちょうどこの時、一生懸命走って来た馬が広場におどりこんだ。泥《どろ》まみれの幕僚《ばくりょう》が歩しょうの止めるのも聞かず、一飛びに囲みを越えて来た。『将軍! 将軍!……』彼がどんなふうに迎えられたか、それはまったく見ものだった…… 怒りのために膨《ふく》れ、雄鶏《おんどり》のように赤くなって、将軍は玉を突くキューを手にして、窓のところに顔を出した。  ――なんだ、どうしたんだ?…… そのざま[#「ざま」に傍点]はなんだ?…… このあたりには歩しょうはいないのか?  ――しかし将軍……  ――よし…… もうじきだ…… おれの命令を待て、いまいましいやつめ!  そして、窓はパタンと閉《し》められた。  彼の命令を待たなくてはならぬ!  きのどくな兵士たちはそのとおりにした。風が雨を吹きつけ、散弾が顔いっぱいに当る。ある大隊が武器を手にしたまま、なぜじっとしているのか訳が分からず、ぼんやりしている間に、他の大隊がみんなすっかり敗れた。どうする事もできない。命令を待っているのだ…… しかし、死ぬためには命令を待つ必要はないから、兵士たちは何百人と、やぶ[#「やぶ」に傍点]の後や、みぞ[#「みぞ」に傍点]の中や、もの静かなこの大きな館《やかた》の前で倒れていった。倒れてもなお散弾が彼らを引き裂き、そして、開いた傷口から、音もなくフランスの勇ましい血が流れた…… かなたの玉突きの部屋では、やはり戦いは激しかった。将軍はふたたび優勢になった。しかし小柄の大尉はしし[#「しし」に傍点]のように防戦した……  十七! 十八! 十九!……  かろうじて点をしるす暇があった。戦いの音は近づいてきた。将軍はもう一突《ひとつ》きやるだけだ。すでに弾丸は庭に落ちた。噴水の上で一つ破裂した。水鏡が破れる。白鳥が恐れおののいて、血に染まった羽をまわしながら泳ぐ。これが最後の一突《ひとつ》きだ……  今はすべて静まり返っている。ただあかしで[#「あかしで」に傍点]の上に注ぐ雨の音と、丘の下に雑然と響く物音。そして、ぴちゃぴちゃした道を、家畜の群れが歩くように、急いで行くもの…… 軍隊は敗走中である。将軍は勝負に勝った。 [#改ページ] [#4字下げ]コルマールの裁判官の幻想[#「コルマールの裁判官の幻想」は中見出し]  ヴィルヘルム皇帝と誓いを立てる前までは、コルマール[#原注]の裁判所の小柄な判事ドランジェーほど幸福な人はいなかった。法帽を斜めにかぶり、大きなおなか[#「おなか」に傍点]、花のように赤く開いたくちびる[#「くちびる」に傍点]、絹メリンスのリボンの上に三重あご[#「あご」に傍点]をゆったり乗せて、彼が公判廷に現われた時、彼ほど幸福な者はなかった。腰をおろす時には『ああ! いい気持でちょっと一眠りしましょうかな』と独言《ひとりごと》をいっているようだった。彼がぶくぶく[#「ぶくぶく」に傍点]膨《ふく》れた足を伸ばして、大きなひじかけいす[#「ひじかけいす」に傍点]の新しくて柔らかい皮の円座の上にどっかとすわっているのは、そばから見ても愉快そうだった。三十年間終身裁判官としてすわっていても、なおこの円座には、変らぬ良い気分と朗らかな顔色をもって臨むのだった。  かわいそうなドランジェー!  彼の身を滅ぼしたのはこの円座だった。円座からおしり[#「おしり」に傍点]を持ち上げるよりは、プロシア人になるほうを願ったほど、円座の掛け心地は良く、彼の席はこのまがい皮の小布団の上に、具合よく作られてあった。ヴィルヘルム皇帝は彼に言った。『ドランジェーさん、そのままで!』で、ドランジェーはすわったままだった。そして、今日彼は実にコルマールの裁判所の評議官となって、ベルリンの陛下の名において雄々しく裁判を行うのだった。  彼の周囲の物は何も変ってはいない。相変らずの古臭い単調な裁判所で、昔ながらの問答の部屋には、あか[#「あか」に傍点]光《びか》りのする腰掛け、何の装飾もない壁、そして、がやがや[#「がやがや」に傍点]言う弁護士たち、同じように薄明《うすあか》りが、セル地の窓掛けのかかった高窓から入り込み、例の大きなキリストの像が、ほこりにまみれて首をたれ、両腕を開いている。プロシア領となっても、コルマールの裁判所は格が落ちなかった。相変らず裁判所の奥には皇帝の像があった…… しかしそれにもかかわらず、ドランジェーは、自分の国にいないという寂しさを感じた。ひじかけいす[#「ひじかけいす」に傍点]にどっかとすわって、やけ[#「やけ」に傍点]に身を伸ばしてもだめ、もう昔のような気持のいい仮寝《うたたね》は見出せない。ちょっとしたはずみ[#「はずみ」に傍点]に公判廷で眠りこむことがあっても、恐ろしい夢ばかり見るのだった……  オネック[#原注]とかバロンダルザス[#原注]のような高い山に居る夢を見る…… いったいそこで何をしているのだろう、たった一人、法服を着て、いじけた樹木や小さな虫の踊り狂うのしか見えないひどく高いところで、大きなひじかけいす[#「ひじかけいす」に傍点]に腰をおろしている…… ドランジェーにも、なぜそこにいるか分からない。悪夢にうなされ、冷や汗を流し、恐れおののいて待っている。「|暗黒の森《フォレノアール》」のもみ[#「もみ」に傍点]の木のかなた、ライン河の向こうから赤い大きな太陽が昇《のぼ》る。昇るにつれて、下のほうの、タンやムンスターの渓谷、アルザスの端から端まで、ざわざわという物音、人の足音、走る車の音。そして、それがだんだん大きくなり、近づいて来る。ドランジェーは、胸を絞めつけられる! やがて、コルマールの裁判官は、このヴォージュの峡道を集合所と定めた全アルザスの人たちのもの悲しくはてしない行列が、どうどうと移住するために、山腹をはう曲りくねった長い道を、彼のほうへとやって来るのを見るのだった。  先頭には、四頭の牛をつないだ大きな車が登って来る。収穫時《かりいれどき》にわら束を満載しているのに出会うあの格子《こうし》をめぐらした大八車だ。それが、今は家具だの、衣類だの、仕事道具だのを積んで行く。大きな寝台、高い戸だな、さらさ[#「さらさ」に傍点]の装飾品、パン箱、紡ぎ車、子どもの小いす、代々伝わったひじかけいす[#「ひじかけいす」に傍点]など、古い思い出の品が、すみっこから引っ張り出されて積み重ねられ、往来を吹く風に家庭の尊いほこりをまき散らす。家全体がこの車に乗って出かけるのだ。それで、車は苦しそうにきしりながら進んで行く。そして牛はそれをやっとのことで引っ張って行く。まるで地面が車の輪にくっついてでもいるようだ。また乾《かわ》いた土くれの幾分かが、くわ[#「くわ」に傍点]だのすき[#「すき」に傍点]だのつるはし[#「つるはし」に傍点]だの、くまで[#「くまで」に傍点]だのにくっついていて、乗せた物をいっそう重くし、その出発をまるで木が根《ね》こぎにされる時のような騒ぎにした。その後では、人々が黙って押し合っている。あらゆる階級のあらゆる年輩の人たち。よろよろ[#「よろよろ」に傍点]しながら、つえに寄りかかっている三角帽をかぶった背の高い老人から、綿麻のズボンをはいて、ズボンつりをした縮れ毛の金髪の子どもまで、また、立派な孫|息子《むすこ》たちが肩に担《かつ》いでいる中風のおばあさんから、母親が胸にしっかと抱いているちのみご[#「ちのみご」に傍点]に至るまで、すべて、丈夫な者も弱い者も、来年壮丁となる者も、恐ろしい戦争の経験のある者も、松葉づえに身を引きずる片足の胸甲騎兵も、スパンドー要さい[#「さい」に傍点]の穴倉のかび[#「かび」に傍点]を、まだぼろぼろの軍服の中に入れている青い顔のやせ衰えた砲兵も、みんな誇らかに往来を練って行く。その道のかたわらに、コルマールの裁判官がすわっているのだ。彼の前を通る時、どの顔も、憤怒と憎悪《ぞうお》のものすごい表情で振り返る……  ああ! きのどくなドランジェー! 彼は穴あらば隠れたい、翼あらば飛んでも逃げたいのだが、しかしそれはできない。彼のひじかけいす[#「ひじかけいす」に傍点]は山の中にはまり込み、皮の円座はひじかけいす[#「ひじかけいす」に傍点]に、そして彼はその皮の円座にはまり込んでいるのだ。そこで彼は、自分がさらし台のようなところにいるのだということが分かる。しかもそのさらし台は、彼の恥辱ができるだけ遠くから分かるように高く高く置かれている…… そして行列は続く。この村の者、あの村の者。スイスとの国境に近い者はおびただしい家畜の群れを連れ、ザールの者は、ごつごつした鉄の道具を、粗金《あらがね》を積む車に載せて押して行く。次ぎに、いろいろの町の人たちが来る。製糸工場の人たち、皮造り、機織《はたお》り、立機織《たてばたお》り、中産階級の人たち、キリスト教司祭、ユダヤ教の牧師、裁判官、黒いガウン、赤いガウン…… これこそコルマールの裁判所の人たちで、年を取った所長を先頭に立てている。居ても立ってもいられない恥ずかしさに、ドランジェーは顔を隠そうとするが、しかしその手はしびれている。目をつぶ[#「つぶ」に傍点]ろうとするが、まぶた[#「まぶた」に傍点]が固く動かない。見ずにはいられぬ。人からも見られる。彼は自分の同僚が通りがかりに彼に投げかけるけいべつ[#「けいべつ」に傍点]の視線を避けることはできない……  さらし台上の裁判官、これは確かに恐ろしいことだ! しかしもっと恐ろしいのは彼の家族の者がみんなこの群衆の中にいて、しかも、その中の一人も彼を知っているという様子をしないことだ。妻も子どもたちも頭を垂《た》れて、彼の前を通り過ぎる。彼らもまた恥ずかしいのだろう! あれほど彼が愛していた小さなミシェルまでが、彼のほうを見向きもしないで、永久に行ってしまう。ただ、彼の老いた所長だけが、ちょっとの間立ち止まって、低い声で言った。 『ドランジェー、私たちと一しょにおいでなさい。そこにいてはいけない。さ……』  しかしドランジェーは立ちあがることができない。彼はじたばた[#「じたばた」に傍点]して声をあげる。行列は数時間続いた。日が暮れて行列が遠ざかった時、教会の鐘楼と工場の並んだこの美しい谷々は静まり返る。アルザスが全部行ってしまったのだ。もう残っているのはコルマールの裁判官ただ一人、山の上でさらし台にくぎ[#「くぎ」に傍点]付けにされ、終身免官されないで……  ……とつぜん場面は変る、水松《いちい》、黒い十字架、墓石の列、喪服を着た人たち。コルマールの墓地の盛大な埋葬式の日である。町の鐘という鐘が鳴っている。ドランジェー評議官が死んだところだ。名誉がなし得なかったことを死が引き受けたのだ。死は皮の円座から、この終身法官を取りはずしたのだ。そして、いつまでも動かずにいたいとがんばった人を、長々と寝かせたのだ……  自分が死んで、自分のために泣くということを考える。これほど恐ろしい気持があろうか。悲しい思いで、ドランジェーは自分の葬式に列した。そして、死よりももっと彼を失望落胆させたのは、彼のまわりに押し合っているたくさんの人たちの中に、一人の友だち、一人の親類の者もいなかったことだ。コルマールの人はだれもいない。ただプロシア人ばかり! 護衛もプロシアの兵士だし、葬儀を行うのもプロシアの法官だし、墓の前でする演説もプロシアの演説で、彼の上に投げられて、非常に冷たく感じたのもプロシアの土だった。情けない!  にわかに群衆はうやうや[#「うやうや」に傍点]しく道をあけた。立派な白胸甲騎兵が近づいてきた。外とうの下に何か大きな貝殻菊の花輪のような物を隠している。周囲の人が私語《ささや》く。 『ビスマルクだ…… ビスマルクだ……』するとコルマールの裁判官は悲しげに考える。 『伯しゃく、ご厚意誠にかたじけない。しかし、もし私の可愛いミシェルがここにいてくれたら……』  どっという笑いが彼の思いをさえぎった。気ちがいじみた、破廉恥な、荒々しい止度《とめど》のない笑いだった。  裁判官は驚いて、『どうしたんだろう?』とあやしむ。立ち上がってながめる…… 円座だった。ビスマルクが、けいけん[#「けいけん」に傍点]な態度で墓の上に置いたのは円座だった。紛《まが》い皮のまわりにこんな碑銘が記《しる》されてあった。 [#ここから5字下げ] 名誉ある終身裁判官 ドランジェー判事に贈る  その追憶と哀悼のために [#ここで字下げ終わり]  墓場の端から端までみんな笑っていた。みんな腹の皮をよじらせた。そして、このプロシア人の荒々しい陽気さは墓穴の奥まで響いた。そこでは死人が恥ずかしさのために泣いていた。永久のあざけり[#「あざけり」に傍点]に踏みつけられて…… [#改ページ] [#4字下げ]少年の裏ぎり[#「少年の裏ぎり」は中見出し]  彼の名はステーヌ、小さいステーヌと呼ばれた。  パリ生れの少年で、病身で青白い顔をしている。十か十五くらいだろうか。こういう子どもの年は、はっきり分からない。母親は亡《な》くなった。昔海軍の兵士だった父親は、タンプル街の小公園の番人をしていた。赤ん坊、女中、たたみいす[#「たたみいす」に傍点]持参の老婦人、貧しい母親たち、歩道に縁取られたこの花園に車をよけに来るパリの足弱連中は、みんなステーヌおやじを知っていて、彼を愛していた。のら[#「のら」に傍点]犬と浮浪人とにこわがられている、あの恐ろしそうな口ひげの下に、母の愛を思わせるような優しい微笑が潜んでいることと、この微笑を見るためには、おやじさんに、 『息子《むすこ》さんはいかがですか?……』と尋ねさえすればよい、ということをみんな知っていた。  それほどステーヌおやじは息子《むすこ》を可愛がっていた。夕方、学校が終って、子どもが彼を迎えに来て、二人で公園の小道を歩き、おなじみの人たちにあいさつをするために、一つ一つの腰掛けの前で立ち止まって、彼らの親切に答える時、彼はどんなに幸福だったろう。  だが、あいにくと包囲が始まってからは、すっかり変ってしまった。ステーヌおやじの公園は閉鎖されて、石油置場になった。かわいそうに、彼は絶えず見張りをしなければならないので、荒れ果てた、ごった返しの乱雑さの中で、たった一人、たばこも吸わずに暮らすのだった。そして、晩、それも遅《おそ》くに家に帰ってやっと子どもに会えるのだった。だから、彼がプロシア人の話をする時、彼の口ひげは、どんなに怒りに震えたろう…… ステーヌ少年は、しかし、この新しい生活をあまり不満にも思わなかった。  包囲! わんぱく小僧にはほんとうに楽しいことだ! 学校もない! 相互授業《ミユチユエル》もない! いつもお休みで、往来はお祭りの時みたい……  子どもは夕方まで表を駆けまわっていた。彼は保塁へ向かう町の大隊の中でも、特に良い楽隊のあるのを選んでついて行く。こういうことにかけては、ステーヌ少年はなかなかよく知っていた。だれに向かってもはっきりと、九十六大隊の軍楽隊はたいしたものではないが、五十五大隊はすばらしいのを持っている、と言っていた。ある時は、青年遊動隊が練兵をするのを見物した。また、よく配給があった……  彼はかごを抱《かか》えて、ガスの点《とも》らない暗い冬の朝、肉屋やパン屋の格子《こうし》の前で長い列を作っている人たちに交じっていた。そこでは、水たまりに足を突込んだまま、お互に近づきになり、政治を論じ、ステーヌ氏の息子《むすこ》として、みんなが彼に意見を求めるのだった。しかし、何よりもおもしろかったのは、コルク遊び、ブルターニュの青年遊動隊が包囲中に流行させた、あの有名なガローシュ[#原注]遊戯だった。ステーヌ少年が保塁にも、パン屋にもいなかったら、きっと、シャトー・ドーの広場で、ガローシュの勝負を見物している姿が見出された。もちろん、彼はやらない。お金がたくさんかかるから。彼はただ勝負をやる人たちをうらやましそうにながめるだけで満足していた。  五フランの銀貨しかかけない、青いズボンの背の高い少年が、特に彼を感心させた。この少年が走ると、ズボンの底で銀貨が鳴るのが聞こえる……  ある日、ステーヌ少年の足もとまで転《ころ》がった銀貨を拾いながら、のっぽ[#「のっぽ」に傍点]は低い声で彼に言った。 『うらやましいだろう、え?…… 知りたけりゃ、どこにあるか教えてやるよ』  勝負が終ると、彼は少年を広場の片すみに連れて行って、一しょにプロシア人に新聞を売りにいかないかとすすめた。一度行くと三十フランになるのだった。はじめはステーヌは怒って断った。そして、そのために、三日間は勝負を見にも行かなかった。恐ろしい三日間だった。食べられなかった。眠られなかった。夜、彼の寝台の下の方にコルクが山と積まれ、五フランの銀貨がピカピカ光って、床の上に列を作るのを夢に見た。たまらないほどの誘惑だった。四日目に、彼はまたシャトー・ドーへ行った。そして、のっぽ[#「のっぽ」に傍点]に会って、誘われるままになってしまった……  彼らはある雪の朝、布の袋を肩に載せ、うわっぱり[#「うわっぱり」に傍点]の下に新聞を隠して出かけた。フランドルの門に着いた時、ようやく夜が明けた。のっぽ[#「のっぽ」に傍点]はステーヌの手をとって、歩しょう――赤鼻の親切そうな、人のいい駐留兵だ――に近づくと、あわれな声で言った。 『お情け深いだんな様、どうか通らせてください…… 母は病気で、父は死にました。弟と一しょに、畑へじゃがいも[#「じゃがいも」に傍点]が取れるか見に行くのです』  彼は涙を流した。ステーヌは恥ずかしくてたまらず、頭を下げていた。歩しょうはしばらく彼らをながめていたが、人通りのない真白な道に目をやって、 『早くお通り』と言いながら彼らから遠ざかった。やがて、彼らはオベルヴィリエの道を歩いていた。のっぽ[#「のっぽ」に傍点]は笑っている!  ぼんやりと、夢でも見ているように、ステーヌ少年は兵営になった工場や、ぬれたぼろ[#「ぼろ」に傍点]着を並べた寂しいバリケード、煙も吐《は》かない、ひびの入った、霧を破って空にそびえている高い煙突をながめていた。ところどころに、歩しょうが立っていたり、士官が、外とうのずきん[#「ずきん」に傍点]をかぶって双眼鏡でかなたをながめていたり、また、消えかかった火の前に、雪溶《ゆきど》けでぬれた小さいテントがあった。のっぽ[#「のっぽ」に傍点]は道を知っていたので、番所をさけるために畑を横ぎった。しかし、ある義勇兵の前しょう中隊のいるところへやって来た時、そこをよけて通るわけにはいかなかった。義勇兵たちは、小さな雨合羽《あまがっぱ》を着て、ソワソンの鉄道線路に沿った、水のたまった堀の中にしゃがんでいた。今度はのっぽ[#「のっぽ」に傍点]が例の話を繰り返してもだめで、彼らは二人を通そうとはしなかった。のっぽ[#「のっぽ」に傍点]が嘆いている時、番人の小屋から、白髪の、しわだらけの、ステーヌおやじによく似た老軍そうが顔を出して、子どもたちに言った。 『さあさあ! 小僧たち、もう泣くんじゃない! じゃがいも[#「じゃがいも」に傍点]のところへ行かしてやるよ。だが、その前に、中に入って少し暖まって行け…… この子はまるで凍《こご》えているわい』  が、さて、ステーヌ少年が震えていたのは寒いからではない。恐ろしかったからだ。恥ずかしかったからだ…… 番所の中で、彼らは数人の兵卒に会った。兵士たちは、貧弱な火、ほんとうに心細い火を囲んでうずくまり、その炎で、銃剣の先につけた凍ったビスケットをあぶっていた。彼らは詰めあって、子どもたちに場所をあけてくれた。そして、酒精飲料《グット》や少量のコーヒーをくれた。彼らがそれを飲んでいる間に、一人の将校が戸口に来て、軍そうを呼び、ひそひそと話をすると、大急ぎで立ち去った。 『小僧たち!』と、軍そうはうれしそうに戻ってきて言った……『今夜は戦争があるぜ…… プロシア軍の暗号を手に入れたんだ…… 今度こそ、やつらから取り返すぞ、あのいまいましいブルジェを!』  一同|万歳《ブラヴォ》万歳《ブラヴォ》と叫び、どっと笑った。踊ったり、歌ったり、銃剣をみがいたりしだした。この騒ぎを幸いと、子どもたちは姿を消した。  ざんごう[#「ざんごう」に傍点]を越えると、あとは野原ばかりで、先のほうに、銃眼の開いた長い白壁があった。一足ごとに、じゃがいも[#「じゃがいも」に傍点]を拾うふうをするために立ち止まりながら、この壁のほうへと彼らは進んで行った。 『帰ろう…… あそこへ行くのは止《よ》そうよ』と、ステーヌ少年は繰り返し言った。  相手は肩をそびやかして、絶えず先へ行った。とつぜん彼らは銃を構《かま》える音を耳にした。 『寝ろ!』と、のっぽ[#「のっぽ」に傍点]が、地面にうつ伏しながら言った。  寝ると、口笛を吹いた。雪の上で、別の口笛が返事をした。彼らははいながら進んで行った…… 壁の前に、地面とすれすれに、汚《よご》れたベレー帽をかぶった黄色っぽい口ひげの男が現われた。のっぽ[#「のっぽ」に傍点]はざんごう[#「ざんごう」に傍点]の中の、プロシア人の傍《そば》に飛びおりた。 『私の弟です』と、連れを指差しながら言った。  ステーヌがあまり小さいので、プロシア人は彼を見ると笑いだして、切れ目まで届かせるために、抱いてやらなければならなかった。  壁の向こう側には、大きな盛り土の山や、倒した木や、雪の中に作った黒い穴があった。そして、どの穴にも同じように、汚《よご》れたベレー帽をかぶった、黄色っぽい口ひげの男が、子どもたちが通るのを見て笑っていた。  片すみに、木の幹で丸天井《まるてんじょう》を組んだ園丁の家があった。階下は兵士がいっぱいで、カルタをやったり、どんどん火をたいて、スープを作ったりしていた。キャベツやあぶら肉のにおいがした。義勇兵の野営とはなんという違いだろう! 二階には士官たちがいた。ピアノを弾いたり、シャンパンを抜いたりしているのが聞こえる。パリっ子たちが入ると、喜びの万歳《ウラー》で迎えられた。子どもたちは新聞を差し出した。それから、お酒を飲まされて、話をさせされた。どの士官もいばった、意地《いじ》の悪い様子をしていたが、しかし、のっぽ[#「のっぽ」に傍点]はパリの場末の者らしい激しさと、よた者のような言葉つきとで彼らをおもしろがらせた。士官たちは笑って、彼の言葉を何度もまね[#「まね」に傍点]をした。そして、彼らにもたらされたパリの汚《きた》ない言葉を大喜びで繰り返した。  ステーヌ少年も話がしたいと思った。ばか[#「ばか」に傍点]でないことを示したかった。しかし、なんだかしにくかった。彼の向かいに一人のプロシア人が離れて立っていた。他《ほか》の者より年長で、まじめで、読書をしていた。というより、彼から目を離さなかったのだから読むふりをしていたわけだ。そしてその眼差《まなざし》の中には、優しさと非難とがあった。ちょうど、故郷にステーヌと同じくらいの年の子どもがあって、 『私の息子《むすこ》がこんな仕事をするのを見るくらいなら、死んだほうがいい……』とでも考えているようだった。  この時からステーヌは心臓の上に手が置かれて、脈を打つのを妨げられているように感じた。  この不安を逃《のが》れるために、彼はぶどう酒を飲み始めた。まもなく、彼の周囲のすべての物が回り始めた。みんなの笑い声の中で、相棒が国民軍やその練兵ぶりをあざけり、マレーにおける武装集合や、保塁での夜の非常点呼のまね[#「まね」に傍点]をするのを、彼はぼんやりと聞いていた。やがてのっぽ[#「のっぽ」に傍点]は声を低めた。士官たちは身をよせあって、前よりもまじめな顔になった。さもしいやつは、義勇兵の攻撃を前もって知らせているのだった……  これにはステーヌ少年も酔いがさめて、怒って立ちあがった。 『いけないよ、にいさん…… 僕はいやだ』  しかし、連れの子どもは笑うばかりで、話を続けた。彼が話し終らない前に、士官たちはみんな立ちあがった。彼らの一人が、子どもたちに戸口を示して、 『出ろ、出ろ!』と言った。  そして、彼らは、ドイツ語で、非常に早口に話し始めた。のっぽ[#「のっぽ」に傍点]は、銀貨を鳴らしながら、大統領のように得意になって外へ出た。ステーヌは頭を下げて、後からついて行った。彼をひどく悩ますような視線を送っていたプロシア人の傍《そば》を通ると、悲しげな声で『よくないです。それは…… よいことでない』と言っているのが聞こえた。  涙があふれ出た。  一たび野原へ出ると、子どもたちは駆けだして、大急ぎで戻った。彼らの袋は、プロシア人のくれたじゃがいも[#「じゃがいも」に傍点]でいっぱいだった。そのために、彼らは容易に義勇兵のざんごう[#「ざんごう」に傍点]まで来ることができた。そこでは人々は夜の攻撃の準備をしていた。軍隊は静かに到着して、壁の後に集まっている。老軍そうはいかにもうれしそうに、一心に部下を配置していた。子どもたちが通りかかると、その姿を認めて、優しい微笑を送った……  ああ! この微笑はどんなにステーヌ少年の心を痛ませたろう! 一瞬間、彼はこう叫びたかった。 『あそこへ行くんじゃありません…… 私たちはあなたがたを裏ぎったのです』と。  しかし、のっぽ[#「のっぽ」に傍点]が彼に、『もし、おまえがしゃべると、おれたちは銃殺されるんだ』と言っていたので、恐ろしくてできなかった……  ラ・クールヌーヴで、彼らは金を分けるために、打ち捨てられた家の中に入った。ほんとうのことを言うが、分配は正直に行われた。うわっぱり[#「うわっぱり」に傍点]の下で、美しい銀貨が鳴るのを聞き、やがてあそこでガローシュの勝負をやることを考えると、ステーヌ少年は自分の犯した罪をさほど恐ろしいとは思わなかった。  しかし、このあわれな少年が城門をくぐって、のっぽ[#「のっぽ」に傍点]と別れて一人になった時、ポケットは非常に重くなりだした。そして、彼の心臓を締めつけていた手は、今までよりもいっそう強く締めつけた。パリは、もはや前と同じパリには見えなかった。通行の人たちは、彼がどこから来たか知っているかのように、厳しく彼をながめた。裏ぎりという言葉を、車輪の音の中とか、運河に沿って練習をしている鼓手の太鼓の音の中に聞いた。ようやく彼は家に着いた。そして、父親がまだ帰っていないのを見て、ホッとして、いそいで寝室に上がり、非常に重たかったお金をまくら[#「まくら」に傍点]の下に隠した。  その晩帰ってきた時ほどステーヌおやじが優しく、うれしそうだったことはなかった。田舎《いなか》から情報が入ったところだった。国内の情勢がよくなってきたのだ。食事しながら、昔の兵士は壁に掛かった銃をながめていた。そして、にこにこしながら子どもに言った。 『なあ、おまえ、おまえが大きかったらプロシア人をやっつけに行くんだがなあ!』  八時ごろ、大砲の音が聞こえた。 『オベルヴィリエだ…… ブルジェで戦っているな』と、保塁のことはみんな知っているおやじが言った。ステーヌ少年は真青《まっさお》になった。そして、ひどく疲れているから、と言いわけをして、寝床に行った。しかし、眠られなかった。絶えず大砲の音が聞こえた。彼は、義勇兵がプロシア軍を不意打ちするために夜に乗じて到着したが、自ら伏兵に陥ったところを想像した。彼は、微笑を送ってくれた軍そうを思い浮かべた。その軍そうが、あそこの雪の中に身を横たえているのを想像した。そして、どんなに大勢の兵士が彼と一しょに!…… すべての血の代償が、ここの、このまくら[#「まくら」に傍点]の下に隠されているのだ。そして、ステーヌ氏の息子《むすこ》、兵士の子どもである彼が…… 涙で息が苦しくなった。傍《そば》の部屋では、父親の歩く音、窓を開《あ》ける音が聞こえた。下の、広場では、集合ラッパが鳴って、青年遊動隊の一大隊が、出発のために、番号をつけていた。いよいよ決戦だ。かわいそうに彼はすすり泣きを押さえることができなかった。 『いったいどうしたのだ?』と、ステーヌおやじが入ってきて尋ねた。  子どもはもう我慢ができなかった。寝床から飛び下《お》りて、父親の足元に身を投げだした。彼が体《からだ》を動かしたはずみに、銀貨が床の上に転《ころ》がった。 『これは何だ? 盗んだのか?』と、老人は身を震わせてきいた。  さっそく、息もつかずにステーヌ少年は、プロシア軍のところへ行ったことや、そこでやったことを話した。話すにつれて、心臓が自由になるのを感じた。白状したので心が軽くなったのだ…… ステーヌおやじは恐ろしい顔つきで聞いていた。そして話が終ると、両手で顔を隠して泣きだした。 『おとうさん、おとうさん……』子どもは何か言いたかった。  老人は答えないで、彼を押しやり、金を拾い集めた。 『これでみんなか?』と尋ねた。  ステーヌ少年は、それでみんなだとうなずいた。老人は鉄砲と、弾薬入れとを壁からはずし、銀貨をポケットに入れた。 『よし、おれはこれを返してくる』  そして、一言もつけ加えず、振り向きさえしないで、階段を下《お》り、夜陰に乗じて出発して行く青年遊動隊に加わった。それ以来彼の姿を再び見ることはできなかった。 [#改ページ] [#4字下げ]母親[#「母親」は中見出し] [#6字下げ]包囲の思い出[#「包囲の思い出」は小見出し]  今朝《けさ》私はヴァレリアン山[#原注]へ、セーヌ県所属の遊動兵中尉である画家のB君に、会いに行った。折悪《おりあ》しく先生は歩しょうに立っていて、場所を離れることができない。そこで保塁の抗門の前を、パリの話や戦争の話、遠く離れた友人たちのことを語りながら、当直水夫のように、ただ、あちらこちら行ったり来たりするばかりだった…… 遊動兵の軍服の下に相変らず昔どおりのへぼ[#「へぼ」に傍点]画家《えかき》の姿を留めている中尉は、とつぜん話を切って前方を見つめ、そして私の腕をとらえて、 『ああ! ドーミエ[#原注]の絵のように美しい』と低い声で言った。そして、急に猟犬の目のように輝いた、小さな灰色の目の端で、私にヴァレリアン山の丘の上に現われた二人の老人の姿を示した。  まったくすばらしいドーミエの画題だった。男のほうはくり[#「くり」に傍点]色の長いフロックコートを着ている。緑がかったびろうど[#「びろうど」に傍点]のえり[#「えり」に傍点]が、木に付いた古ごけ[#「ごけ」に傍点]のように見える。やせて、小柄で、赤ら顔で、狭い額、丸い目、鼻はふくろう[#「ふくろう」に傍点]のくちばし[#「くちばし」に傍点]のように曲って、まるでしわだらけの鳥のような、もったいぶった、愚かしい顔つきをしている。なおその上、びんの細長い首がはみだしている、花模様のきれ地の手提《てさ》げ、そして、もう一方の腕には、かんづめを抱《かか》えている。パリ人が五ヵ月の包囲を思わずには見ることのできない例のブリキかんだ…… 女のほうはといえば、はじめのうちは非常に大きなずきん[#「ずきん」に傍点]と、彼女の不幸を現わすかのように、上から下まで彼女をしっかり締めつけている古いショールしか見えなかった。そしてときどきずきん[#「ずきん」に傍点]の色のあせた縁取りの間からはみだすとがった鼻の先と、灰色で貧弱な髪の毛が見えるばかりだった。  丘の上に来ると、男は息をつくために立ちどまり、額を拭《ぬぐ》った。しかし、十一月の霧に包まれて、丘は暑くはなかった。だが彼らは急いで来たのだ……  女の方は止まらなかった。抗門の方へまっすぐに進みながら、私たちに話がしたいというふうにためらいながらちょっと私たちをながめた。しかし、たぶん将校の金筋《きんすじ》に気おくれがしたのだろう。番兵の方に話しかけた。そして、私は彼女がおずおずと、第三大隊の第六中隊にいる、パリの遊動隊員である息子《むすこ》に会いたい、と願っているのを聞いた。 『ここにいらっしゃい、呼んできます』と番兵が言った。  すっかり喜んで、ホッと息をつくと、彼女は夫の方へ向いた。そして、二人とも少し離れた斜面の方へ行ってすわった。  そこで、彼らは長いあいだ待った。このヴァレリアン山は非常に大きくて、広場《クール》や斜堤《グラシ》や保塁《バスチヨン》や大小の営舎が入り組んでいる! 地面と空との中間にぶらさがって、ラピュタ島[#原注]のように雲のまんなかに渦のように漂っている、この混み入った町へ、第六中隊の遊動隊員を捜しに行ってみたまえ。こんな時間には、保塁は、鼓手やラッパ卒、走りまわる兵士、ガランガランと鳴る水筒の音でいっぱいなのは言うまでもなく、歩しょうの交代、雑役、食糧品の分配、義勇兵に銃の台尻で小突かれながら来る血まみれのスパイ、将軍に嘆願に来るナンテールの百姓たち、馬を駆けらせる急使、寒さに震えている人、汗を流している動物、らば[#「らば」に傍点]のわき腹で揺られながら病気の子羊のようにかすかにうめく負傷者を乗せて前衛から帰って来るかご[#「かご」に傍点]、笛の音につれて、えんさ! えんさ! と新しい大砲を引き上げる水夫、赤いズボンをはいて手にむち[#「むち」に傍点]を持ち、銃を背中にしょった羊飼いに追われて来る保塁の家畜、これらのものが広場を往《い》ったり来たり行き会ったりして、東方の隊商宿の低い門を入るように、抗門を潜《くぐ》る。 『あの人たちは私の息子《むすこ》を忘れなければいいが!』と、この間にあわれな母親の目が物を言う。そして、五分|経《た》つごとに彼女は立ちあがって、そっと入口の方に近づき、壁の方に体《からだ》をよけながら、前庭へおずおずした眼《まなこ》を投げる。しかし、子どもを笑い者にしたくないので、何も聞こうとはしない。彼女よりいっそうおく[#「おく」に傍点]病な夫は、自分の場所から動かない。そして、彼女が心悲しく、落胆した様子で帰ってすわるたびに、彼は妻を我慢ができないのかと言ってしかり、物知りぶろうとする愚かな人の態度で、勤務の大切なことを一生懸命説明しているのが見えた。  私はこのような、目よりも心で見るちょっとした無言の内輪の場面だの、歩いている傍《そば》で演ぜられる、一つの身ぶりが全生活を教えるような、街頭の無言劇に、いつもたいへん興味を覚えた。しかし、ここで私を特にとらえたのは、この二人の人物の、ぎごちなさと、人の良さとであった。そして、私は天使セラファン[#原注]を演ずる二人の役者の魂のように、表情的で澄みきった彼らの無言劇と、愛すべき家庭劇の変転を通じて、真の感激を覚えるのだった……  私は、こんなことを心に描いた。ある朝母親が考える。 『困っちまうね、あのトロシュさんは規則をやかましく言って…… もう三月も子どもに会わないんだから…… 行って抱いてやりたいものだ』  おく[#「おく」に傍点]病で、生活に疲れている父親は、許可を得るために取らなければならない手続きを案じて不安になり、まず彼女を説得しようとした。 『だっておまえ、考えないのかい、あのヴァレリアン山というのは遠いんだよ…… 車にも乗らずに、どうして行くつもりだね、それにとりでだから女なんか入ることはできないんだよ』 『私は入りますよ』と母親は言った。彼女の望みはなんでも適《かな》えてやっているので、夫は奔走を始めた。要さい[#「さい」に傍点]地域へ行ったり、役所へ行ったり、参謀本部へ行ったり、役員のところへ行ったりした。恐ろしさに冷汗《ひやあせ》を流したり、寒さに震えたり、あちらこちらで物にぶつかり、戸口を間違えたり、事務所の前で二時間も列を作って待ったりしたあげく、それがお門違《かどちが》いだったりする。ようやくある晩、ポケットに司令官の許可証を入れて帰って来た…… 翌日は早く、寒いうちにランプを点《とも》して起きた。父親は、体《からだ》を温《あたた》めるために堅いパンを割ったが、母親はひもじくはなかった。あちらで息子《むすこ》と食事をするほうが良いのだ。そして、かわいそうな遊動兵に少しでもごちそうを食べさせようと、大急ぎで手提《てさ》げの中へ、包囲された町の食糧品を何でもかんでも詰め込んだ。チョコレート、ジャム、封印をしたぶどう酒、かんづめ、ひどい飢きん[#「きん」に傍点]に備えるために大切にのけて置いた、あの八フランもするかんづめまで。こうして二人は出かけた。彼らが城壁へ来た時は、入口が開いたばかりの時だった。許可証を見せなくてはならない。母親は心配した…… それには及ばないのに! 規定どおりにして来たのだから。 『通してやれ!』と勤務中の副官が言った。  この時になってようやく彼女は息をついた。 『あの士官の方、ずいぶんていねいでしたね』  そして、彼女はしゃこ[#「しゃこ」に傍点]のようにす早く、小走りに急いだ。夫の方はようやく並んでいくことができた。 『なんておまえ早く行くんだい!』  しかし彼女は耳にもかけない。遠くの地平線の霧の中で、ヴァレリアン山が手招きしている。 『早くいらっしゃい…… あの人はここにいますよ』  さて着いて見ると、新たな不安が起こった。  もし会えなかったら! ここへ来てくれなかったら!……  とつぜん、私は彼女が身を震わせて、老いた夫の腕をたたき、にわかに体《からだ》を緊張させるのを見た…… 遠くの抗門の丸屋根の下に、息子《むすこ》の足音を聞いたのだった。  彼だ!  息子《むすこ》が現われた時、保塁の正面は赤々と照り輝いた。  なるほど、背の高い立派な若者が、堂々とした態度で背《はい》のう[#「のう」に傍点]をしょい、手に銃を持っている…… 晴れやかな顔をして近寄り、雄々しい快活な声で、 『おかあさん、今日は』  すぐと背《はい》のう[#「のう」に傍点]も、そのまわりに付けた毛布も、鉄砲も、みんな、母親の大きなずきん[#「ずきん」に傍点]の中に隠れた。次は父親のせっぷん[#「せっぷん」に傍点]の番だったが、これは長くはなかった。大ずきん[#「ずきん」に傍点]の方は、何でも自分のものにしようとした。飽《あ》くことを知らないのだ…… 『体《からだ》の具合はどうだい?…… たくさん着ているだろうね?…… 下着は充分かい?』  そして、ずきん[#「ずきん」に傍点]の飾りひもの下で、私は彼女がじっと息子《むすこ》を見つめているのを感じた。雨のようにせっぷん[#「せっぷん」に傍点]し、涙を流し、ニコッと笑って、頭の上から足の先まで彼女はこの愛情のあふれた、優しい眼差《まなざし》で彼を包んでいた。三か月のあいだ滞った母性愛を、たった一度で返しているのだ。父親だって非常に感動していた。しかし彼はそんな様子は見せたくなかった。私たちがながめていることを知っていたのだ。それで私のほうへ向いて、 『許してやってください…… 女のことですから』とでも言っているように目をしばたたいた。  ええ、ええ、許しますとも!  この楽しい喜びの上に、とつぜんラッパの音が鳴り渡った。  ――呼んでます…… お別れしなくてはなりません。と子どもが言う。  ――なんだって! 私たちと食事しないの?  ――ええ! できませんよ…… 私はあの保塁の上で、二十四時間の歩しょうなんです。  ――まあ! ときのどくな母親は叫んだ。そして、もうそれ以上何も言えなかった。  彼ら三人は、しばらく、さもがっかりしたように顔を見合わせた。やがて父親は口を切った。 『じゃあ、せめてかんづめを持って行ってくれ』と彼は、ごちそうがむだになったために、哀れっぽい、こっけいな表情をして、引き裂くような声で言った。しかし、お別れの混雑と興奮の中に、もうこのいまいましいかんづめは見えなかった。そして、それを捜しながら、振り動かすいらいらした震える手は、見るもあわれだった。大きな苦痛に、内々のごくさ細なことを一しょにして、恥ずかしげもなく『かんづめ! かんづめはどこへ行った!』と尋ねる、涙にむせぶ声を聞くのはあわれだった…… 箱が見つかると、最後の長い長い抱擁があって、子どもは走って保塁へ帰った。  考えてください、彼らはこの食事のために遠い遠いところから来たのです。そして、盛んなお祝いをしようと、母親は一晩じゅう眠らなかったのです。こんなふうにごちそうもできず、ちょっと見えたと思った楽園の片すみが、たちまちバタッと閉《し》まるということぐらい悲しいことが世にあるでしょうか。  彼らはなお同じ場所にじっとして、目を子どもが見えなくなった抗門の上にくぎ[#「くぎ」に傍点]付けにしたまま、しばらく待っていた。ようやく夫が体《からだ》をゆすぶり、半回転をし、二、三度元気良くせき[#「せき」に傍点]をして、それから、今度こそ、しっかりした声で、 『さ! おまえ、出かけよう!』大きな力強い声だった。そして、私たちにていねいにあいさつをして、妻の腕を取った…… 私は道の曲り角まで、彼らの後姿をながめた。父親は怒っていた。彼は希望を失ったように手提《てさ》げを振った…… 母親は、もっと落ち着いていた。彼女は頭を垂《た》れて両腕を体《からだ》に付け、夫の傍《わき》を歩いていた。しかしときどきその狭い肩の上で、肩掛けがけいれん[#「けいれん」に傍点]的に震えるのが見えるように思われた。 [#改ページ] [#4字下げ]ベルリン攻囲[#「ベルリン攻囲」は中見出し]  私たちは医者のVさんと一しょにシャンゼリゼーの大通りを登りながら、砲弾に穴をあけられた壁や、散弾に破壊された歩道に、パリが包囲された当時の思い出を尋ねていた。エトワル[#原注]の広場に出る少し手前まで来ると、医者は立ち止まって、がい[#「がい」に傍点]旋《せん》門の周囲に集まっている華麗な大きい角《かど》の家の一つを指差して語り出した。  あのバルコンの上に閉《し》まった四つの窓が見えるでしょう? 八月の初め――例の騒ぎや災難に悩まされた去年の八月のことです――私は急性卒中症の患者があって、あそこへ呼ばれました。第一帝政時代の胸甲騎兵で、名誉と愛国心とに凝《こ》りかたまったジューヴ老大佐の住居でした。大佐は戦争の始まりから、シャンゼリゼーに来て、バルコン付きのアパートに住まっていたのです…… なぜだかお分かりですか? フランス軍のがい[#「がい」に傍点]旋《せん》式を見るためなのです…… かわいそうに! 彼が食卓から立ちあがろうとした時にヴィッセンブルグ[#原注]の敗報が届きました。この敗戦記事の終りにナポレオンの名まえを読むと、彼は雷にでも打たれたようにばったり倒れました。  私が行った時、昔の胸甲騎兵は、頭を棒で一つなぐられでもしたように、血走った生気のない顔をして、部屋の毛《もう》せん[#「せん」に傍点]の上に、長々と横たわっていました。立ったらさぞ背が高いでしょう、寝ていてもずいぶん大きく見えました。美しい目鼻だち、きれいな歯、縮れたふさふさ[#「ふさふさ」に傍点]としたみごとな白髪、そのため八十歳なのに、六十ぐらいにも見えました…… 傍《かたわら》には孫娘がひざまずいて、涙にくれていました。娘は祖父に似ていました。二人を並べてみると、同じ型で鋳造した二個の美しいギリシアのメダルだとも言えましたろう。ただ、一方は、古くて、土色で、輪かくがすこしぼんやりしていましたし、片方は、はっきりと輝いて、新しい刻印の光沢と滑《なめ》らかさを持っていました。  この娘の悲嘆が私の胸を打ちました。お祖父《じい》さんもお父《とう》さんも軍人で、お父《とう》さんのほうはマク・マオン[#原注]の幕僚《ばくりょう》でした。それで、自分の前に横たわっている背の高い老人の姿が、それに劣らず恐ろしい、別の姿を思い起こさすのでした。私はできるだけ娘を安心させました。しかし、本当のところは、あまり望みがありませんでした。老人のはなかなかひどい半身不随で、それに八十歳では回復はほとんど望めません。はたして三日間は病人は相変らずの不動と昏睡を続けました…… そうこうするうちに、ライヒスホーフェンの勝報がパリに達しました。今思っても変なものでした。夕方まで、私たちはみんな、大勝利を信じていました。プロシア軍の死者二万、皇子は捕虜…… いったいどういう奇跡、どういう磁力の流れによって、この国をあげての喜びのこだまは、耳も聞こえず、口もきけない、体《からだ》がしびれて、生死の境をさまよっている、きのどくな老人を呼びさましたのでしょう。とにかく、その晩、彼の寝床に近づくと、今までの彼とは別人のようでした。視力もほとんど完全になり、口も前より軽そうです。努めて私に微笑《ほほえ》みかけ、どもりながら二度言いました。  ――勝……利……!  ――そうです、大佐殿、大勝利です!……  そして、このマク・マオンの大成功について詳しく話していくにつれて、彼の顔はほころび、輝いてきました……  私が部屋の外へ出ると、娘が戸の前に真青《まっさお》な顔で突っ立って、私を待ち受けているのです。彼女はすすり泣きをしていました。 『お祖父《じい》さんは助かったんだよ!』と彼女の手を取って言いました。  きのどくな娘は、ようやく勇気を出して答えました。ライヒスホーフェンの戦いの真相が発表されたところでした。マク・マオンの敗走、一軍全滅…… 私たちはびっくり仰天して、顔を見合せました。彼女は父のことを考えて悲嘆にくれています。私は老人のことを思いやって身震いをしました。どうしたって、この新しい打撃には耐えられないでしょう…… しかし、それではどうしたらいいのでしょう?…… 彼の喜び、彼をよみがえらせた幻想をそのままにしておきましょうか?…… そうすれば彼を欺かねばなりません…… 『いいわ、うそ[#「うそ」に傍点]をつきましょう!』と、彼女は手早く涙をぬぐって、雄々しく私に言いました。そして、はればれした顔でお祖父《じい》さんの部屋へ入って行きました。  こうして彼女が引き受けたのは、なかなか骨の折れる仕事でした。最初のうちは、どうやらうまく切り抜けました。老人は意識がはっきりしないので、子どものようにだまされるままになっていました。しかし体《からだ》の回復するにつれて、彼の頭はだんだんはっきりしてきました。軍事行動を絶えず知らせなければなりませんでしたし、公報の編集も必要でした。美しい娘が日夜ドイツの地図の上に身をかがめて、小さな旗じるしを刺しては、すべての勝ち軍を工夫する努力は誠にいじらしいものでした。バゼーヌはベルリンへ進軍、フロワサールはバヴァリヤへ、マク・マオンはバルチック方面へ。それについては彼女はいちいち私の意見を求めました。私もできるだけ助けてやりました。しかし、この想像の侵略に特別力になってくれたのはお祖父《じい》さんでした。第一帝政の下に彼は何度もドイツを征服したことがあるのです。彼は軍隊のあらゆる行動を前もって知っていました。『今度はこちらへ進むだろう…… こうやるに違いない……』そして、彼の予想はいつも実現しました。ですから彼は非常に得意になっていました。不幸なことには、いくら町を占領しても、戦いに勝っても、なんにもなりませんでした。とても彼が満足するほど早くは進まなかったのです。この老人は飽くことを知らないのですから!…… 毎日、行くごとに、私は新しい勝ち軍を聞かされました。  ――先生、フランス軍はマイヤーヌをとりましたよ。と、娘が痛ましい微笑を浮かべて私の前へ来て言いました。戸の向こうで、うれしそうな声が私に叫んでいるのが聞こえます。  ――さあ! うまくいくぞ…… 一週間たったら、ベルリン入城だ!  この時、プロシア軍は既にパリへ一週間というところにいたのです…… まず、彼を田舎《いなか》へ移したほうがよくはないか、と考えました。しかし、一度外へ出たら、フランスの状態が彼に何もかも教えてしまうでしょう。彼は大きな打撃を受けたため、まだひどく弱っており、しびれているので、本当のことを知らせるわけにはいきませんでした。それでパリに踏みとどまることに決めました。  攻囲の始まった日、私は彼らの部屋に上っていきました。今でも思いだしますが、パリの城門が閉ざされたことや、城壁下の戦い、パリ市外が国境となったことなどに、パリ市民の一人としてたいへん[#「たいへん」に傍点]心を悩まし、非常に興奮していました。見ると老人は、大喜びで、得意そうに床《とこ》の上にすわっていて、  ――さあ、いよいよ攻囲が始まりましたね! と言うので、私はびっくりして彼を見つめました。  ――なんですって、大佐殿、ご存じなのですか?……  すると孫娘が私の方を振りむいて、  ――ええ! 知っていますわ、先生…… すてきな知らせですもの…… ベルリン攻囲が始まりました。  彼女は縫物をしながら、非常に落ち着いたもの静かな様子をちょっとみせて、私に言いました…… どうして老人が疑いましょう? 保塁の大砲は聞くことができないし、みじめに混乱したあわれなパリを見ることはできません。彼が寝床からながめることができたのは、がい[#「がい」に傍点]旋《せん》門の一部や、また、部屋の中の、彼の周囲にある、彼の夢を保つのにおあつらえ向きの第一帝政時代の骨《こっ》とう[#「とう」に傍点]品《ひん》だけでした。元帥たちの肖像や、戦争の版画、子ども服を着たローマ王、それからぶんどり[#「ぶんどり」に傍点]品の銅器で飾られた大きながんじょう[#「がんじょう」に傍点]なテーブル。テーブルの上には、メダルだとか、銅像だとか、丸いガラスぶたの中に入ったセント・ヘレナ島の岩石などという帝政時代の遺物、そでのふくらんだ黄色いローブの舞踏会の服装の、目の澄んだ縮れ髪の同じ婦人を描いた、いくつもの密画が載《の》っています。――そして、テーブルもローマ王も元帥も、一八〇六年の流行であった立ちえり[#「立ちえり」に傍点]に帯《おび》を高く締め、首のまわりの窮屈な、黄色い服の婦人も、みんな…… 人のいい大佐殿! 私たちの話した何ごとにも増して、こういう勝利と征服のふん囲気[#「ふん囲気」に傍点]のために、彼はベルリン攻囲を無邪気に信じたのです。  この日以来、私たちの軍事行動は至って簡単になりました。ベルリンを占領することはただもう辛抱仕事でした。ときどき、老人があまり退屈な時には息子《むすこ》からの手紙を読んで聞かせました。もちろん架空の手紙でした。もうパリには何も入りませんでしたし、それにマク・マオンの幕僚《ばくりょう》はセダンからドイツの要さい[#「さい」に傍点]に送られていました。なんの便《たよ》りもない父親は、捕虜となってあらゆるものを奪われ病気になっているかもしれないと思いながら、しかも、征服した国を先へ先へと進んで行く出征中の兵士が書くような、少し短くはあるが陽気な手紙の中で父に語らせなければならないこのあわれな娘の悲嘆を想像してください。時には彼女の力がとだえるのでした。そして何週間も手紙が来なくなるのです。老人は心配して眠りません。すると、たちまち、ドイツから手紙が来て、彼女は涙を押さえて、まくら元で陽気に読んできかせました。大佐は敬けんな態度で耳を傾け、分かったというふうに微笑し、賞賛したり、非難したり、少しあいまい[#「あいまい」に傍点]な部分は私たちに説明をしました。しかしとりわけ立派だったのは息子《むすこ》に送った返事です。『フランス人であることをけっして忘れるな…… 哀れな人たちに寛大であれ。あまりひどい侵略をしてはならない……』そして、所有権を尊敬すること、婦人に対して礼儀を守ること、についての限りない注意やすてきなお説教など、これこそ正《まさ》しく征服者用の立派な軍規でした。なお、政治に対する一般的な考察と、敗者に課すべき講和条件が付け加えられてありました。講和の条件として彼が決して過大な要求をしなかったことを言わなくてはなりません。すなわち、 『戦費の賠償《ばいしょう》のみ、他に何も望むな…… 土地を取ってなんの得るところがあろう?…… ドイツをもってフランスは作れない……』  彼はしっかりした声でこれを書きとらせました。彼の言葉の中には深い純真さ、たいそう美しい愛国的な信念が感ぜられ、聞く者をして感動させずにはおきませんでした。  こうしている間にも、攻囲は絶えず進行していました。残念ながら、ベルリンの攻囲ではありませんでした!…… 激しい寒さと砲撃と伝染病と飢《き》きん[#「きん」に傍点]の時でした。しかし、われわれの心づかい、骨折り、彼の周囲にますます増していく疲れることを知らない愛情のお陰で、老人の安静は一刻《いっとき》も乱されませんでした。最後まで私は彼のために白パンと新しい肉とを手に入れることができました。ほんとうに、彼の分だけしかなかったのです。無邪気なエゴイストのお祖父《じい》さんの食事ほど心を動かされるものが他にありましょうか。――お祖父《じい》さんはナプキンを胸に垂《た》らして、床の上で元気よく、にこにこしています。傍《そば》では、窮乏のために少し青ざめた孫娘が、お祖父《じい》さんの手をとって、飲物を勧めたり、禁ぜられたごちそうを食べるのを助けてやったりしています。すると、食事に元気づき、居心地のいい暖かい部屋の中で、戸外に吹きすさぶ木枯らしを聞き、窓に降りかかる雪をながめながら、老胸甲騎兵は北欧の戦場を追想し、凍ったビスケットと馬の肉しか食べるもののなかった、あの陰惨なロシヤからの退却を、繰り返し繰り返し私たちに話して聞かせました。 『お分かりかい? おまえ、私たちは馬の肉を食べていたのだよ!』  よく分かっていたに違いありません。二か月この方、彼女は他のものを口にしなかったのですから…… ですが、日に日に、回復が近づくにつれて、病人のまわりでの私たちの務めは次第にむずかしくなってきました。これまで私たちにたいへん都合のよかった感覚と手足のしびれ[#「しびれ」に傍点]が消え始めたのです。すでに二、三回マイヨー口の恐ろしい砲撃が彼を飛びあがらせ、猟犬のように耳をそばだてさせました。バゼーヌがベルリンで最後の勝利を得たので、これを記念して、アンヴァリード[#原注]で祝砲が放たれているのだと、作りごとを言わなければなりませんでした。ある日――多分ビュザンヴァルで戦争があった木曜日だと思っていますが、――彼の寝台を窓のそばに押しやったところが、グランド・アルメ通りに集まっていた国民軍がすっかり見えてしまいました。 『あの軍隊、いったいありゃなんだ?』と、老人は尋ねました。そして、私たちは彼が口の中でつぶやくのを聞きました。 『何という態《ざま》だ! だらしのない!』  別にそれ以外のことは起こりませんでした。しかし私たちはこれからは充分気をつけなければならないことがよく分かりました。だが、まだ注意が不足でした。  ある晩私が行くと、娘は心配でたまらなそうに私のそばへ来て、言いました。 『明日《あす》入城なのです』  お祖父《じい》さんの部屋は開《あ》いていたのでしょうか? 実際、後になって考えてみると、その晩老人がただならぬ顔付きをしていたことが思い出されます。たぶん私たちの話が聞こえたのです。ただ、私たちはプロシア軍のことを話したのでしたが、老人はフランス軍のことを思っていたのです。長い間待ち焦がれていたがい[#「がい」に傍点]旋《せん》入城式のことを考えていたのです。――花と楽隊の中を、大通りを下っていくマク・マオン将軍、傍《かたわら》を歩く彼の息子《むすこ》、そして、リュツェン[#原注]の戦役当時の盛装で、バルコンの上から穴のあいた軍旗、火薬に黒ずんだわし[#「わし」に傍点]印《しるし》に敬礼をする老将の彼……  きのどくなジューヴさん! あまり大きな感動を与えるのを避けるために、私たちが、フランス軍のがい[#「がい」に傍点]旋《せん》分列式を彼に見させまいとしている、と考えたのに違いありません。ですから、彼はだれにも話さないようにしました。しかし、翌日、マイヨー口からチュイルリーへの道を、プロシア軍が不安げに進んでいたその時、あそこの窓が静かに開《ひら》かれて、大佐はかぶとをいただき、長刀をつり、かつてのミヨー連隊の胸甲騎兵としての名誉ある古装束《ふるしょうぞく》に身を固めて、バルコンの上に現われました。どういう意志の力が、どういう生命の躍動が、彼を起きあがらせ、着飾らせたのか、今でも私は不思議に思っています。とにかく、彼があそこの手すりの向こうに立っていたことは確かなのです。大通りはただ広々と声一つ聞こえず、家々のよろい戸[#「よろい戸」に傍点]は閉ざされて、大きな検疫所のように不気味なパリ、至るところに旗がひるがえっているが、しかも白地に赤く十字を染めた見なれぬ旗で、フランスの兵士たちを迎えに出るもののだれもない有様に、老人は驚いたのでした。  瞬間、彼はわれとわが目を疑いました……  が、間違いではなかったのです! 向こうのがい[#「がい」に傍点]旋《せん》門のうしろに、雑然としたざわめきが起こって、黒い一列が朝日を受けながら進んで来ました…… そして、次第にかぶとの穂先が輝き、イエナの鼓《つづみ》が鳴りだし、がい[#「がい」に傍点]旋《せん》門の下で、小隊の重い足音と、剣のガチャガチャいう音に調子の合わさった、シューベルトのがい[#「がい」に傍点]旋《せん》行進曲がはっきりと聞こえました!……  すると広場の不気味な沈黙を破って、恐ろしい叫び声が聞こえました。『武器を取れ!…… 武器を!…… プロシア軍だ』その時プロシア軍の前衛の四名のそう[#「そう」に傍点]騎兵《きへい》は、あのバルコンの上で、一人の背の高い老人が腕を振りまわしながらよろめいて、ばったり倒れるのを見たのです。今度こそ、ジューヴ大佐はほんとうに死んでしまいました。 [#改ページ] [#4字下げ]わるいアルジェリア兵[#「わるいアルジェリア兵」は中見出し]  サン・マリ・オ・ミーヌに住む背の高いかじ[#「かじ」に傍点]屋のロリーは、その晩きげんが悪かった。  ふだんはかま[#「かま」に傍点]の火が消され、太陽が沈むと、戸口の前の腰掛けにすわって、一日じゅう熱い所で激しく働いたために感ずる、心地よい疲労を味わうのだった。そして、徒弟たちをかえす前に、工場が引けて帰って行く人たちをながめながら、彼らと一しょに新鮮なビールの満を引くのが常だった。しかしその晩、主人公は食事につく時まで、かま[#「かま」に傍点]の前を動かなかった。おまけに食事に行くのさえ渋々だった。ロリーのおかみさんは、夫を見ながら考えた。 『どうしたんだろう?…… 私に言いたくない悪い知らせでも、軍隊から受け取ったのかしら?…… 上の子が、病気かもしれない……』  しかし彼女は、何も尋ねようとはしなかった。ただ、三人の子どもを黙らそうと骨折っていた。実《みの》った麦の穂のような色の金髪の子どもたちは、クリームを掛けたおいしい黒かぶ[#「かぶ」に傍点]のサラダをムシャムシャほおばりながら、食卓を囲んで笑い興じていた。  とうとう、かじ[#「かじ」に傍点]屋は怒ってさら[#「さら」に傍点]を押しやった。 『ああ! 畜生! 悪党め!……』 『ロリー、だれに腹を立てているの? え?』  彼はどなった。 『フランスの軍服を着て、バヴァリヤ兵と腕を組んで、今朝《けさ》から町をぶらぶら[#「ぶらぶら」に傍点]している五、六人のやつらがしゃくにさわってたまらないんだ…… どんな言いわけをするかしらないが…… あいつらもまたプロシア人になるほうを選んだんだ…… 毎日魂の腐ったアルザス人が帰るのを見るなんて!…… やつらは頭がどうかしたのだろうか?』  母親は彼らを弁護しようとした。 『仕方がありませんよ、あんた。あの子たちばかりが悪いんじゃない…… あの子たちが送られて行くアフリカのアルジェリアというのは、ずいぶん遠いんだから!…… あちらで故郷が恋しくなるんですよ。帰りたい、兵士なんかになっていたくないという誘惑が、きっと強いんでしょう』  ロリーはげんこ[#「げんこ」に傍点]で食卓をドンとたたいて、 『おまえ、黙らないか!…… おまえたち母親には、何も分からないんだ。いつも子どもたちと暮らしていて、子どもたちのことばかり考えているから、なんでも赤ん坊あつかいにする癖があるんだ…… だが、おれは言っておくが、あいつたちは情けないやつだ。変節漢だ。この上もない卑きょう者だ。もし家《うち》のクリスチァンが、あんな恥さらしをやったら、おれもジョルジュ・ロリーといって、フランス猟騎兵隊に七年間務めた男だ。バッサリ殺《や》ってしまうから』  かじ[#「かじ」に傍点]屋は恐ろしい形相で、半ば身を起こし、息子《むすこ》の肖像、アフリカで描《か》かれたアルジェリア兵姿の肖像の下の、壁に掛かった猟騎兵隊の長い刀を指差した。しかし、強い光線に当って、はっきりした色が白く消されている、真黒に日に焼けた、アルザス人の善良な顔を見ると、急に胸が静まって笑いだした。 『おれもどうかしている…… 考えるにもことをかいて、クリスチァンがプロシア人になりたいなんて。戦争中、あんなに敵をばらしたやつがさ……』  こう考えてきげんを直した男は、愉快に食事を終った。そして、すぐと、ヴィル・ド・ストラスブルグ軒へ、ジョッキを二つ引っかけに出かけて行った。  こうして後はロリーばあさん一人になった。三人の金髪の子どもたちを寝かせた後で――眠る前の鳥の巣のように隣の部屋でしゃべるのが聞こえていたが――彼女は仕事にとりかかり、庭のわきの戸口の前で、繕い物を始めた。ときどき彼女は嘆息《ためいき》を吐《つ》いて、心の中でこう考えた。 『そうだ、そりゃ私も悪いことは認める。あの人たちは卑きょう者だ、変節漢だ…… しかし、そんなことはどうでもいい! 母親たちは、彼らをもう一度手もとに置いたら、どんなに幸福だろう』  彼女は、自分の息子《むすこ》が軍隊に入る前に、ちょうど今の時刻に、目の前で小さな花園の手入れをしていた、あのころのことを思った。彼がうわっぱり[#「うわっぱり」に傍点]を着て、長い髪で、じょろ[#「じょろ」に傍点]に水を入れに来た井戸をながめた。その美しい髪の毛も、アルジェリア軍隊に入る時に切られてしまった……  とつぜん彼女は身震いした。奥の、畑に面した小さな戸が開いたのだ。犬はほえなかったが、中に入った者は、どろぼうのように壁に沿って歩き、みつばち[#「みつばち」に傍点]の巣の置いてある間をすべって行く…… 『おかあさん、こんちは!』  クリスチァンが軍服をだらしなく着て、恥ずかしそうに、おずおずと、ろくろく口もきけず、彼女の前に立っている。このふがいない男は、他の仲間たちと一しょにこの土地に帰って来たのだった。そして、一時間前から家のまわりをうろついて、家の中へ入るために父親の出かけるのを待っていた。母親はしかってやりたいと思ったが、その勇気がなかった。長いこと会わなかったし、抱いてもやりたかったのだもの! やがて、彼はいろいろもっともらしい理由を述べはじめた。故郷が恋しくなった、鉄工場がなつかしい、両親からいつも離れているのがいやだ、その上、軍規がいっそうやかましくなり、また同僚は彼にアルザスなまりがあるために、彼を『プロシア人』と呼ぶ、などと。彼の言うことはみんな、彼女は信じた。彼を信じるには顔さえ見れば良かったのだ。ひっきりなしに話し合いながら、彼らは土間へとおりて行った。目をさました子どもたちは素足《すあし》で、シャツのまま大兄《おおにい》さんにせっぷん[#「せっぷん」に傍点]しに駆け寄った。何か彼に食べさせたかった。しかし腹は減ってはいなかった。ただ、のど[#「のど」に傍点]が乾《かわ》いた、ひどく乾《かわ》いていた。そこで、朝から酒場で飲んだビールやぶどう酒のはしご酒の酔いざましに、がぶがぶ[#「がぶがぶ」に傍点]水を飲んだ。  あ、だれか庭を歩いている、かじ[#「かじ」に傍点]屋が帰って来たのだ。 『クリスチァン、おとうさんだ、早く隠れて。私がその間に話すから、理由《わけ》を言うから……』  彼女は彼を陶器製の大きなストーブの後へ押しやった。そして震える手で縫物を始めた。あいにくアルジェリア兵の帽子が机の上に置きざりになっていた。しかも、それはロリーが部屋に入って最初に見た物だった。母親の青ざめた顔、うろたえ方…… 彼にはすべてが分かった。 『クリスチァンがいるな!……』と、恐ろしい声で言って、気ちがいのような態度で刀をはずすと、アルジェリア兵が青い顔をして酔いもさめはてて、倒れぬように壁に寄り掛かってうずくまっているだん[#「だん」に傍点]炉のほうへ躍《おど》りかかった。  母親は二人の間に飛び込んで、 『ロリー、ロリー、殺しちゃいけない…… おとうさんが、仕事場でおまえの手を欲しがっているから、帰ってくるように、と私が手紙を書いたのです……』  彼女はその腕にしがみついて、体《からだ》を引きずり、すすり泣いた。真暗な部屋のの中で子どもたちは、だれの声か分からないほど変った、怒りと涙に満ちた声を聞いて泣き叫んだ…… かじ[#「かじ」に傍点]屋は思い止まって女房をながめ、 『そうか! おまえが帰らせたのか…… そんなら良し、寝かせてやれ、どうしたらいいか明日《あした》考えよう』  翌日、一晩じゅううなされて、理由《わけ》もなく恐ろしかった重い睡眠《ねむり》から目がさめたクリスチァンは、子どもの部屋で寝ているのに気がついた。花の咲いたウブロンのはっている、鉛で縁取った小さな窓を通して、太陽はキラキラと高い所に輝いていた。下のほうでは鉄《かな》づち[#「づち」に傍点]が鉄床《かなとこ》の上で音を立てている…… 母親はまくら元にいた。彼女は一晩じゅう彼の側《そば》を離れなかった。それほど夫の怒りは彼女を恐れさせた。老人も眠らなかった。朝まで家の中を歩きまわり、泣いたり、嘆息《ためいき》を吐《つ》いたり、引き出しを開《あ》けたり閉《し》めたりしていた。そして今、彼は息子《むすこ》の部屋へ、旅に出るような服装《いでたち》で、ひざ[#「ひざ」に傍点]までゲートルを巻き、つば広の帽子をかぶり、先に鉄のはまったがんじょうな山登りのステッキを持って、重々しく入って来た。つかつか[#「つかつか」に傍点]と寝台《ねだい》のところへ来て、 『さ、起きて!…… 起きるんだ』  息子《むすこ》はちょっと恥ずかしそうに、アルジェリア兵の着物を取ろうとした。 『いや、それじゃない……』と、父親がおごそかに言った。  すると母親はおそるおそる『でも、あなた、他《ほか》のは持っていませんよ』 『おれの着物をやれ…… おれにはもう必要がない』  子どもが着替えている間、ロリーはていねいに軍服と上着と赤い大きなズボンを畳み、荷物ができ上がると、首のまわりに、軍隊旅券の付いたブリキの水筒を掛けた…… 『さ、おりよう』と、続いて彼が言った。そして、三人は互に話もせずに仕事場におりた…… ふいご[#「ふいご」に傍点]が鳴っている。みんな働いている。あちらにいる時にあんなに想《おも》った、この大きく戸の開かれた小屋を見て、アルジェリア兵は子ども時代のことを思い出し、熱い道や、黒い粉炭の中で火花の光るかじ[#「かじ」に傍点]場で、どんなに長い間遊んだかを思った。彼は急に懐しさを感じ、父に許してもらいたいと思った。しかし目を上げると、相変らずおごそかな父の目にぶつかるのだった。  ようやくかじ[#「かじ」に傍点]屋は決心して語り出した。 『おい、この鉄板、この道具類…… みんなおまえの物だ…… これもみんなそうだ!』と、戸口のくすぶったわく[#「わく」に傍点]の中に見える、遠く奥の方に広がった、陽《ひ》をいっぱいに浴び、みつばち[#「みつばち」に傍点]の飛び交う小さな花園を示して、付け加えた…… 『みつばち[#「みつばち」に傍点]も、ぶどうも、家もみんなおまえの物だ…… おまえはおまえの名誉をこういう物にささげたのだから、おまえがそれらを自分の物にするのは当り前の話だ…… おまえはここの主人だ…… おれは出かける…… おまえはフランスに五年の義務がある。おれがそれを、おまえのために払ってやる』 『ロリー、ロリー、どこへ行くの?』と、あわれな女は叫んだ。 『おとうさん!……』と息子《むすこ》はすがった…… しかしかじ[#「かじ」に傍点]屋はもう出かけていた。大またに、振り返りもしないで……  シディ・ベル・アベの第三アルジェリア部隊に数日前から五十五歳になる義勇兵がいる。 [#改ページ] [#4字下げ]ブジヴァルの置時計[#「ブジヴァルの置時計」は中見出し] [#6字下げ]ブジヴァル[#原注]からミュンヘンへ[#「ブジヴァルからミュンヘンへ」は小見出し]  第二帝政時代の置時計です。アルジェリアふうの色めのう[#「めのう」に傍点]作り、カンパナ[#原注]好みの意匠で飾られた置時計の一つです。ばら[#「ばら」に傍点]色のリボンの先と筋違《すじか》いにかかった金色のかぎ[#「かぎ」に傍点]と一しょに、イタリア通り[#「イタリア通り」に傍点][#原注]で求められたのでした。パリの商品の中で、これほど可愛らしい、モダーンな物はありますまい。ほんとうに、イタリアオペラにでも出て来そうな時計で、きれいなはっきり[#「はっきり」に傍点]した音色で鳴りますが、しかし、少しもまじめなところがなく、気紛れで、わがままで、めちゃくちゃに時を打ち、半のところは鳴らすのを忘れ、殿方には取引所の時を、ご婦人方にはあいびき[#「あいびき」に傍点]の時刻を知らせることは決してできませんでした。戦争が起こった時は、ブジヴァルに別荘住まいをしていました。明るい絹の衝立《ついたて》の上にひらひら[#「ひらひら」に傍点]する、すかしレースや寒冷しゃといったような、一夏しか保《も》たない家具を備えた、きれいな切抜細工《きりぬきざいく》のはえとりかご[#「はえとりかご」に傍点]みたいな、ごくもろい夏の宮殿に入るために、特に作られているようでした。バヴァリヤ人がやって来ると、いちばん最初にぶんどられてしまいました。そして、まったく、このライン河のかなたに住む人々は、たいへんじょうずな荷造り人だということを申しあげなければなりません。というのは、この、やっときじばと[#「きじばと」に傍点]の卵ぐらいの大きさの、おもちゃ[#「おもちゃ」に傍点]のような時計が、クルップ砲や、散弾を積んだ貨車と一しょに、ブジヴァルからミュンヘンへ旅行して、ひび一つ入らずに到着し、翌日からは、オデオン広場の骨《こっ》とう[#「とう」に傍点]品《ひん》商、アウグスツス・カーンの店先に、新しく、粋《いき》に、そして相変らず黒くまつ[#「まつ」に傍点]毛のように曲った二本のきゃしゃ[#「きゃしゃ」に傍点]な針と新しいリボンの先に筋違《すじか》いに下がった小さなかぎ[#「かぎ」に傍点]をつけて、現われたからです。 [#6字下げ]高名なるオットー・ド・シュヴァンターレル博士[#「高名なるオットー・ド・シュヴァンターレル博士」は小見出し]  ミュンヘンでは大騒ぎでした。ここではまだだれもブジヴァルの時計は見たことがありませんでしたので、だれもがジーボルト博士[#原注]の博物館にある日本の貝殻のように、珍しげにながめにやって来るのでした。アウグスツス・カーン商店の前には、朝から晩まで大きなパイプが三列に並んで煙を立て、ミュンヘンの善良な人たちは目を丸くして尋ねあい、この小さな不思議な機械は何に使うのかとあっけ[#「あっけ」に傍点]にとられて『まーあ』と叫ぶのでした。絵入新聞はその複写を掲載しました。ショーウィンドーというショーウインドーには写真が並びました。そして、この時計のために、高名なるオットー・ド・シュヴァンターレル博士は、彼の名高い「置時計に関する奇論」を書きました。これは六百ページにわたる哲学的かいぎゃく的研究で、その中では民衆の生活における時計の影響が論述せられ、この小さなブジヴァルの時計のように調子の狂った時計を標準として時の用い方を定めるような、頭のだいぶ変な国民は、信用の置けないら[#「ら」に傍点]針盤を持って海上に出る船のように、あらゆる大災害を予期すべきである、ということが論理的に証明されました。(少し文章が長いのですが、私は原文どおりに訳しました。)  ドイツ人は決して軽々しくことに処しません。高名なる博士もその奇論を書く前に、充分これを研究し、こん虫学者のように細かく分析するために、品物を見たいと思いました。そこで彼は時計を買いました。こうして、時計はアウグスツス・カーンの店先から、ピナコテーク美術館の主事、科学美術院の一員、ルトヴィヒ街二十四番地に私宅を持つ、高名なるオットー・ド・シュヴァンターレル博士のサロンに移ったのでした。 [#6字下げ]シュヴァンターレル家のサロン[#「シュヴァンターレル家のサロン」は小見出し]  講演会場のようにアカデミックで荘厳な、シュヴァンターレル家のサロンに入ってまず目を驚かすのは、くすんだ大理石でできていて、ブロンズのポリュムニア[#原注]の像がついた、たいへん機械の入り組んだ置時計でした。中心になる文字板はさらに小さな文字板で囲まれ、そこでは時刻、分、四季、春分秋分から、台座の中央の明るい青い雲の中における月の移り変りまで、知ることができました。この力強い機械の音は家じゅうに満ちわたっていました。階段の下からでも、重い振子が人生を同じ大きさの小片にたち切って計っているように、ものものしくはっきり動いているのが聞こえました。そして、この響き渡るカッチンカッチンに支配されながら、時の値打ちを知っているくも[#「くも」に傍点]のような仕事に対する熱心さをもって、秒針の上を針が震えながら走りまわっていました。  そして、学校の大時計のように無気味にゆっくりと時を打ちます。時を打つたびに、シュヴァンターレル家ではあることが起こるのでした。シュヴァンターレル氏が書類を抱《かか》えて、ピナコテーク美術館へ行きます。シュヴァンターレル令夫人が、ウブロンの葉を巻きつけた棒みたいに、飾り立てた、背の高い三人のお嬢さんと説教から帰ってきます。あるいはまた、六弦琴やダンスや体操やクラヴサンのおけいこが始まったり、刺しゅうの道具や合奏用の譜《ふ》面台が客間に運ばれたりします。みんな非常によく規則立てられ、かた苦しく整然として、このシュヴァンターレル家の人たちが最初の鐘の音で動き出し、両開きの戸から入ったり出たりするという話を聞くと、ストラスブルグの大時計の中の十二使徒の行列が思いだされて、最後の音と同時に、シュヴァンターレル家の人々がこの時計の中に入って姿を隠してしまうのではないかと思われるのでした。 [#6字下げ]高潔なるミュンヘンの家庭に及ぼすブジヴァルの時計の不思議な影響[#「高潔なるミュンヘンの家庭に及ぼすブジヴァルの時計の不思議な影響」は小見出し]  ブジヴァルの時計が置かれたのはこの記念物の傍《そば》でした。そして、これからこの愛きょうたっぷりの小さな面《つら》のききめをごらんになりましょう。まずこんなことがありました。ある晩、シュヴァンターレル家の婦人たちが大広間で縫物をしている最中、高名なる博士は科学院の同僚たちに、奇論の最初の数ページを読んでいました。博士はときどき話をきっては、小さな時計を手にとって、いわば詳細な実物教授をするのでした…… とつぜん、どういうのろわしい好奇心に駆られたのか知りませんが、エヴァ・ド・シュヴァンターレル嬢は顔を赤らめながら、父親に申しました。 『おとうさま、それ鳴らしてごらんにならない?』  博士はかぎ[#「かぎ」に傍点]をはずして、二回ばかりまわしました。するとただちに、はっきりと、元気な、水晶のように澄んだ音が聞こえて、愉快なおののき[#「おののき」に傍点]がもったいぶった一同を目ざめさせました。みんなの目が輝きました。 『まあ、きれいだこと! ほんとうにきれいね!』と、急に調子づいて、今までこんなことはなかったんですが、髪を踊らせてシュヴァンターレル家のお嬢さんたちが申しました。  そこで、シュヴァンターレル氏はさも得意そうに、 『見てください、この気の狂ったフランス時計を! 八時を鳴らして、三時を差しておる!』  この言葉はみんなを笑わせました。そして、もうだいぶ遅《おそ》かったのですが、この男の人たちは熱心に、フランス国民の軽々しさに対する哲学論と、はてしない考察とを論じ合いました。だれも立ち去ろうとは思いません。普通あらゆる社交界を散らしてしまうあの恐ろしい十時の鐘が、ポリュムニアの像の文字板で鳴っても、だれにも聞こえませんでした。大時計には訳が分かりません。今までシュヴァンターレル家にこれほどの陽気さを見たこともなければ、こんなに遅《おそ》くまで客間に人を見かけたこともありませんでした。あきれたことには、シュヴァンターレルの令嬢たちが部屋に帰った時、夜ふかしをしたのと笑ったために、胃ぶくろがからっぽになって、夜食《スーペ》がしたいと思ったのでした。そして、センチメンタルなミンナ嬢は伸びをしながら、こう言いました。 『ああ! えび[#「えび」に傍点]の脚《あし》が食べたいな』 [#6字下げ]にぎやかに、子どもたち、にぎやかにやるんじゃ![#「にぎやかに、子どもたち、にぎやかにやるんじゃ!」は小見出し]  一度ねじ[#「ねじ」に傍点]を巻かれると、ブジヴァルの時計は再び不規則な、放心の習慣を取りました。人々は最初のうちはその気紛れを笑っていました。しかし次第次第に、むやみやたらと鳴り響くこのきれいな音色を聞かされて、シュヴァンターレル家の厳粛な人たちは時間を尊重することを忘れ、快いむとんちゃくさで日々を送るようになりました。もう遊ぶことしか考えません。あらゆる時間が、ごちゃごちゃになってしまった今は、人生がばか[#「ばか」に傍点]に短く見えました! 何もかも崩《くず》されてしまいました。お説教もなければ研究もありません! 音が必要です、興奮が欲しいのです、メンデルスゾーンもシューマンもあまりに単調に思われました。「大公しゃく夫人」だとか、「プチ・ファウスト」だとかがこれにかわり、お嬢さんたちがたたいたり跳《は》ねたり、高名な博士までが逆上して、絶えずこう申しました。『にぎやかに、子どもたち、にぎやかにやるんじゃ!……』大時計はもはや問題じゃありません。安眠の妨げになるという口実のもとに、令嬢たちは振子を止めてしまいました。そして、家じゅうがこの狂った鳴り方をする時計の言うなりになりました。  有名な「時計に関する奇論」が現われたのはこの時でした。この機会に、シュヴァンターレル家の人たちは大夜会を催しました。燈火と音とを節約した昔のアカデミックな夜会ではありません。すばらしい仮装舞踏会で、シュヴァンターレル夫人と令嬢たちは、腕をあらわに出し、短いスカートをはき、目のさめるようなリボンのついた小さな平たい帽子をかぶったブジヴァルのボートこぎになって、現われました。町じゅうの者がそのうわさをしました。しかしまだはじめでした。喜劇、活人画、夜会、ばくち[#「ばくち」に傍点]、そんなものを、堕落したミュンヘンは、学士院会員の客間で冬じゅう、つぎつぎに見たのでした。『にぎやかに、子どもたち、にぎやかにやるんじゃ!……』とますます興奮したきのどくなお人よしが繰り返しました。そして、そこの人たちは実際にたいへん陽気になっていました。ボートこぎに成功して興味をおぼえたシュヴァンターレル令夫人は、奇妙な服装をしてイザール河で日々を送りました。あの令嬢たちだけは家に残っていましたが、町に捕虜となっている軽騎兵将校たちとフランス語のおけいこを始めました。そして、ブジヴァルにまだいると信じている小さな時計は、三時を差す時いつも八時を鳴らすなど、向こう見ずに時を打ちました…… そして、ある朝、この狂おしい陽気の渦は、シュヴァンターレルの家族をアメリカに運びました。そして、いちばん立派なピナコテーク美術館のチチアン[#原注]の絵は、この有名な管理者に従って逃亡しました。 [#6字下げ]結論[#「結論」は小見出し]  シュヴァンターレル家の人たちが出かけたあとで、ミュンヘンには醜体《スキャンダル》が流行しました。つぎつぎに、修道女がバリトンの歌い手を連れ去るとか、学士院の院長が踊り子と結婚する、枢密顧問官が泥酔し、貴族の婦人たちの営む学校は、夜の騒ぎのために閉鎖される……  ああ、この悪戯《いたずら》! 小さな時計は魔法使いで、バヴァリヤ全体を迷わそうと努めたらしい。この時計の通る所はすべて、この軽々しく美しい音色のなりひびくところはおしなべて、気が狂い、頭の調子が狂う。旅路をかさねてある日のこと、時計は王宮につきました。その時以来、この熱心なワグネル崇拝家のルイ王は、どんな楽譜をそのピアノの上に開いたことでしょう?……  ――メートル・シャントゥール[#原注]ですか?  ――どういたしまして!……「|白腹のあざらし《ル・フオク・ア・ヴァントル・ブラン》」です!  この時計を使うと、こんなことになるのです。 [#改ページ] [#4字下げ]タラスコンの防御[#「タラスコンの防御」は中見出し]  ありがたい! とうとうタラスコン[#原注]の消息が分かった。五か月前から私は生きた心地はなかったのだ。その心配さったら!…… この善良な町の興奮と住民の好戦的な気持を知っている私は、こう考えていた。『だれがタラスコンのしたことを知っているかしら? タラスコンは束になって野蛮人にぶつかったのだろうか? ストラスブルグのように爆弾にやられたかしら、パリのように飢《う》え死《じに》か、シャトーダンのようにやき殺されたのか? それとも激しい愛国心の発露からラーンの町とその剛勇なとりで[#「とりで」に傍点]のように自ら爆破したのだろうか?……』諸君、おあいにくさまだ。タラスコンは焼けなかった、爆破もしなかった。タラスコンはいつも同じ場所で、ぶどう[#「ぶどう」に傍点]と、道にあふれる暖かな太陽と、穴倉にいっぱいのおいしいミュスカぶどう酒の中におさまっていた。そして、この愛すべき地方を浸《ひた》すローヌ河が、昔どおりに、幸福な町の影を宿し、緑のよろい戸[#「よろい戸」に傍点]と、きれいにかたづけられた庭と、堤防に沿って練兵をしている新しい軍服の義勇兵の姿を海へと運んで行く。  しかし、タラスコンが戦争中何もしなかったと思うのはやめてほしい。それどころか、すばらしく立派にふるまったのだ。そして私がこれからお話ししようとする英雄的な抵抗は、地方的抵抗の模範として、南方《ミディ》の防御のすばらしい範例として、歴史上に地位を占めるであろう。 [#6字下げ]男声合唱会[#「男声合唱会」は小見出し]  で、スダンがやられるまでは、勇ましいタラスコンの人たちは静まりかえっていたのだ。このアルピーユ山[#原注]を望む勇敢な子どもたちに言わせれば、あそこで滅んだのは祖国ではない。それは皇帝の兵士であり、帝国であった。しかし一度九月四日に共和国となり、蛮人アチラのごときプロシア人がパリに陣した時、その時に、そうだ! タラスコンは奮起した。なるほどこれが国家的戦争というものであった。言うまでもなく男声合唱隊の示威運動によって始まった。諸君は南方《ミディ》にはどんなに激しい音楽があるかご存知だろう。特にタラスコンでは熱狂そのものだ。町を通ると窓から歌が聞こえ、どのバルコンからも頭の上に恋歌が落ちてくる。  どんな店に入っても、いつも売台のところでギターが哀調を奏《かな》で、薬屋の男たちまでが「うぐいす[#「うぐいす」に傍点]」だの――「イスパニヤの琴」だの――トラララ――ララララと口ずさみながら用を足してくれる。この家々の音楽会の他にタラスコンの人たちにはなお町の楽隊があるし、中学の楽隊があるし、その上、数えきれないほどの男声合唱団がある。  国家的な運動にまず動いたのが、サン・クリストフの合唱隊で、「フランスを救え」というすばらしい三部合唱だった。 『そうだそうだ、フランスを救おう!』と、窓のところでハンカチを振りながら、善良なタラスコン人が叫んだ。軍旗を先に立てて勇ましく歩調を取りながら、四列縦隊をつくって広場を横ぎる歌のうまい人たちに、男は拍手を送り、女はせっぷん[#「せっぷん」に傍点]を送る。  意気はあがった。この日以来町の様子が変った。さらばギターよ、船歌よ。どこへ行っても、イスパニヤの立琴はマルセイエーズに取って代り、町の人たちは一週に二回、中学の楽隊が奏する「首途《かどで》の歌」を聞きに並木広場《レスプラナード》へ押しかけた。席料は恐ろしく高価《たか》かった!……  しかし、タラスコンの人たちはこれだけでやめはしなかった。 [#6字下げ]騎馬行列[#「騎馬行列」は小見出し]  男声合唱隊の示威運動がすむと、今度は負傷者のために歴史的な騎馬行列が催された。からりと晴れた日曜日、このタラスコンの勇敢な青年たちが薄色の柔らかい、足にぴったり合った長ぐつをはいて、戸口から戸口へと義えん金を求め、バルコンの下を大きなまさかり[#「まさかり」に傍点]付きのやり[#「やり」に傍点]や捕ちょう網を持って歩きまわる姿は優雅を極《きわ》めたものだった。しかしいちばんみごとなのは愛国的な馬上試合だった。「パヴィの合戦におけるフランソワ一世」というのを、このクラブの人たちは、三日間続いて、広場で行った。これを見なかった人は何も美しいものを見なかったと同じことだ。マルセイユの劇場が衣装を貸してくれた。金、絹、びろうど、縫いとりをした旗、たて[#「たて」に傍点]、かぶと[#「かぶと」に傍点]、馬飾り、リボン、ちょう結び、ばら結び、やり[#「やり」に傍点]の穂先、よろい[#「よろい」に傍点]などが、ひばり[#「ひばり」に傍点]を招き寄せる鏡のように広場を輝かし、キラキラさせた。その上をミストラル[#原注]の強い一吹きが、この光をゆすった。とにかくすばらしいものだった。不幸にして、激しい戦の後で、フランソワ一世――クラブの理事のボンパール氏――がドイツ兵の一団に囲まれた時、不運なボンパール氏は、その剣を渡すのに、肩を変なふうに動かした。『すべてを失ったが、名誉だけは保たれた』と言うかわりに、むしろ、『君、来るなら来いと言ってくれ!』と言うようだった。しかしタラスコンの人たちは、そんなに近くで見ていたのではないから、愛国的な涙がだれの目にも光っていた。 [#6字下げ]血路[#「血路」は小見出し]  このページェント、歌、太陽、ローヌの烈風、それだけでもう充分彼らは夢中になった。政府の掲示はみんなの興奮を極度に高めた。広場では人々は顔さえ合わせれは、脅かすような態度で歯を食いしばり、弾丸でもかむようにポンポンした物の言い方をする。会話には火薬のにおいがした。空中には硝石があった。特にカフェー・ド・ラ・コメディーでは、朝、食事をしながら、血気にはやるタラスコン人がこう言っている。『ああほんとうに! パリのやつらはトロシュ将軍のばか[#「ばか」に傍点]野郎なんかを崇《あが》めて、いったい何をしてるんだ? いつになっても攻撃はしないのか…… なんというやつらだ! これがタラスコンだったらなあ!…… 畜生!…… とっくの昔に血路を開いてらあ!』そしてパリがからす[#「からす」に傍点]麦のパンで、首を絞められるような思いをしている間に、この人たちは法王印のうまいぶどう酒を飲みながら、滋養分の多い赤しゃこ[#「しゃこ」に傍点]を食べていた。そして、よく食べ、よく飲んで、つやつやした顔の彼らは、テーブルをたたきながら、つんぼ[#「つんぼ」に傍点]のように大きな声で叫ぶのだ。『断固と開け、君《きみ》が血路を……』実際彼らはもっともなことを言ってるんだ! [#6字下げ]警備団の防御[#「警備団の防御」は小見出し]  そのうちに野蛮人の侵入は日一日と南方に進んで来た。ディジョンが降伏した、リヨンが脅かされた、すでにローヌの谷の香《かお》りの高い草は、ドイツ騎兵の雌馬を、希望にいななかせていた。『防御団を組織しよう!』とタラスコンの人たちは話し合った。そして、みんな仕事にかかった。たちまち、町は装甲され、障害物ができ、穴倉ができた。どの家も要さい[#「さい」に傍点]となった。武具商のコストカルドのところでは、家の前に少くとも二メートルのざんごう[#「ざんごう」に傍点]ができ、つり[#「つり」に傍点]橋があって、なかなか気がきいている。本部では、防御工作はなかなか念入りで、人々は好奇心をもって見に行くのだった。団長のボンパール氏は階段の上に立って、銃を手に持ち、婦人たちに説明をした。『こっちからやって来たら、パン! パン!……もし反対にあっちから登って来たら、パン! パン!』その上、町のすみずみ至るところで、人々は通行人を止めて、神秘的な態度でこう言うのだった。『カフェー・ド・ラ・コメディーは占領不可能だ』あるいはまた、『広場に地雷火を埋めたところだ!……』とも言った。野蛮人たちをちゅうちょさせることがたくさんあった。 [#6字下げ]義勇兵[#「義勇兵」は小見出し]  同時に、義勇兵が熱狂的に組織された。「死の兄弟」「ナルボンネの山犬団」「ローヌの小銃隊」その他あらゆる名まえで、あらゆる色彩のが、まるで麦畑の矢車菊のようにうじゃうじゃ[#「うじゃうじゃ」に傍点]でき、羽飾りを付けたり、鶏の羽毛を付けたり、途方もなく大きな帽子をかぶり、幅の広い腹巻を巻いている…… できるだけ恐ろしく見せようとして、どの義勇兵もあごひげ[#「あごひげ」に傍点]や口ひげ[#「ひげ」に傍点]をひどく伸ばしたので、散歩のときなどだれだか分からないくらいだった。遠くのほうから、サーベルやピストルやトルコ刀をガチャガチャいわせながら、目を光らせたカイゼルひげ[#「ひげ」に傍点]のアブリューズ[#原注]の山賊がやって来る。そして近づいてみると、それは役場の収税吏のペグラードだった。またある時は、階段のところで、とがった帽子をかぶり、のこぎり[#「のこぎり」に傍点]の歯のような刀を提《さ》げ、両方の肩に一ちょうずつ鉄砲を載《の》せた本物のロビンソン・クルーソーに出会う。よく見るとそれは町へ食事に帰って来た、武器商のコストカルドだった。あきれたことには、恐ろしい態度をし合っているうちに、タラスコンの人たちはお互に恐れ合って、やがてだれも外出しようとしなくなった。 [#6字下げ]野うさぎ[#「うさぎ」に傍点]と家うさぎ[#「うさぎ」に傍点][#「野うさぎ[#「うさぎ」に傍点]と家うさぎ[#「うさぎ」に傍点]」は小見出し]  国民軍の組織に関するボルドーの勅令によって、この耐えがたい状態も終りを告げた。三頭政治の力強い息吹きによって、パラパラっと鶏の羽は飛んでしまい、タラスコンの義勇団は、どれもこれも――山犬も小銃団も他のものも――昔の被服しょう長官、勇敢なブラヴィダ将軍の命令の下に、正直な国民兵の一大隊となってしまった。ところでまた新しいゴタゴタが起こった。ボルドーの勅令は人も知るごとく、国民軍を二つの部類に分けた。進軍する国民軍と駐留する国民軍とである。収税人ペグラードが「野うさぎ[#「うさぎ」に傍点]と家うさぎ[#「うさぎ」に傍点]」というおかしな呼び方をした。編成のはじめはもちろん野うさぎ[#「うさぎ」に傍点]国民軍が花形役だった。毎朝勇敢なるブラヴィダ将軍は彼らを広場へ連れて行って、射撃の練習、散兵の訓練をした。伏せ! 起《た》て! その他。この小演習はいつもたくさんの人を呼び集めた。タラスコンの婦人たちはだれも欠かさなかったし、ボーケールの婦人たちまで、しばしばうさぎ[#「うさぎ」に傍点]軍を賞賛するために橋を渡って来た。この間、きのどくな家うさぎ[#「うさぎ」に傍点]国民軍はつつましやかに町の番をし、博物館の前に歩しょうに立って、こけ[#「こけ」に傍点]を付けたはく[#「はく」に傍点]製の大とかげ[#「とかげ」に傍点]だとか、ルネ王時代の二羽の子たか[#「たか」に傍点]ばかりをながめていた。ボーケールの婦人たちがこんなつまらないことのために橋を渡らないことはお分かりでしょう…… しかし三ヵ月間の射撃の練習後、野うさぎ[#「うさぎ」に傍点]軍がちっとも広場から動かないのに気がつくと、だんだん熱がさめて来た。  勇敢なブラヴィダ将軍がそのうさぎ[#「うさぎ」に傍点]たちに、いくら『伏せ! 起《た》て!』と言ってももうだれも見ない。やがてこの小演習は町の笑い話となった。しかしこの不幸なうさぎ[#「うさぎ」に傍点]たちが出征できないのは彼らが悪いのではない。そこで彼らはたいへん怒った。ある日などは練兵をするのを断った。 『見世物じゃありませんよ!』と、愛国的な熱心さで彼らは叫んだ。『私たちは進軍する方です。さあ進軍させてください!』 『進軍させますとも。でなけりゃ、私の名折れです!』とブラヴィダ将軍は言った。そして怒りに顔を膨《ふく》らせながら、彼は役場に説明を求めに行った。  役場では、まだ命令が出ないし、これは県庁に関係したことだ、と答えた。 『よし、県庁へ行け!』と、ブラヴィダ将軍は言った。そして彼は知事に会うためにマルセイユ行の急行列車で出かけた。マルセイユにはいつも五、六人の終身知事がいて、どれが本物かだれも言うことができなかったから、これはなかなか容易ならぬことだった。不思議に運よく、ブラヴィダ将軍はただちに捜しあてることができた。この勇ましい将軍が、もとの被服しょう長官であるという権威をもって、その部下を代表して口を切ったのは、実に県庁の会議の真最中であった。  最初の言葉を知事はさえぎって、 『失礼ですが、将軍…… 閣下の兵士たちが、閣下には出征を願って、私には止まっていたいと要求するのはいったいどういうわけでしょう?…… まあこれを読んでください』  そしてくちびる[#「くちびる」に傍点]に微笑を浮かべながら、彼は二人の野うさぎ[#「うさぎ」に傍点]――最も熱心に従軍を希望していた二人――が、医師と司祭と公証人との弁明書を添えて県庁あてに送ってきたばかりの、一通の悲壮なる嘆願書を指し示した。その書面で彼らは虚弱なるがゆえに家うさぎ[#「うさぎ」に傍点]のほうにかわりたいと願っていた。 『こんなのが三百通以上もありますよ』と知事は相変らず微笑しながらつけ加えた。『将軍、なぜ私たちが貴下の部下を進軍させることを急がないか、お分かりになったでしょう。残っていたいと言うのを、不幸にして出征させすぎました。もう出してはなりません…… きっと神様が共和国をお助けくださるでしょう。うさぎ[#「うさぎ」に傍点]たちによろしく!』 [#6字下げ]送別の宴[#「送別の宴」は小見出し]  タラスコンに帰って来て、将軍がどんなに当惑したかは言うまでもない。しかしここに別の話がある。彼の不在中、タラスコンの人たちは、まもなく出征しようといううさぎ[#「うさぎ」に傍点]軍のために、予約申込みによってお別れの宴会《ポンチ》を催そうと考えついたんだ! ブラヴィダ将軍がそんな必要はない、だれも出征しないのだから、といくら言ってもだめ、宴会《ポンチ》は予約され、注文された。もう今は飲むばかり、そして飲みも飲んだり…… ある日曜の晩、この感激に満ちた別離の宴は、役場のサロンで行われて、夜の白むまで、祝杯、万歳、演説、愛国歌が役場の窓ガラスを震わせた。もちろんみんな、この送別の宴会《ポンチ》とはどういうものか知っていた。金を払った家うさぎ[#「うさぎ」に傍点]の国民軍は、友だちが出かけないという確信を抱いていた。また酒をただで飲む野うさぎ[#「うさぎ」に傍点]軍にもこの確信があった。そしてこの勇敢な人たちに、彼らの先頭に立って進む準備ができているということを感動した声で誓った老助役は、他のだれよりもよく、決してだれも進軍はしないということをしっていた。だがそんなことはどうでもいい! この送別の宴の終りにみんなで涙を流し、みんなで抱きあったくらい、南仏の人たちは変っているのだ。しかもいちばんひどいのは、だれもが、将軍までが、まじめだったことだ!……  タラスコンでも、フランス南部のご多分にもれず、私はこのしん[#「しん」に傍点]気楼的な現象をしばしば目撃したのである。 [#改ページ] [#4字下げ]ベリゼールのプロシア人[#「ベリゼールのプロシア人」は中見出し]  これは私が今週モンマルトルの酒場で聞いた話です。これを充分お話しするには、ベリゼール親方の場末言葉だとか、あの指物師《さしものし》の着る大きなうわっぱり[#「うわっぱり」に傍点]だとか、マルセイユ人にもパリの発音をさせることのできる、モンマルトルの上等の白ぶどう酒二、三杯が必要でしょう。そしたら私は、ベリゼールが仲間と食卓を囲んでこのいたましい[#「いたましい」に傍点]、しかも本当の話をするのを聞きながら私の感じたおののき[#「おののき」に傍点]を、きっとあなたの脈管の中に感じさせるにちがいありません。 「……きゅっ戦(ベリゼールは休戦のことを言っているのです)の翌日だったよ。かかあ[#「かかあ」に傍点]がヴィルヌーヴ・ラ・ガレーヌの方を一まわりさせようってんでおれたちのところへ子どもをよこしやがった。そこの河《かわ》っ縁《ぷち》に小屋があって、攻囲が始まって以来知らせがなかったからさ。おれは子どもを連れて行くのはいやだった。プロシア人に会うだろうと思っていたし、まだ面と向かってみたことはないので、何か起こりはしないだろうかと心配したんだ。しかし母親《おふくろ》は自分の考えを押し通した。『行ってちょうだい! 行ってちょうだい! そうすりゃ子どもがいい空気を吸うでしょう』って。  五ヵ月も包囲されてかび臭い生活をした後だから、かわいそうな子どもにはそれが必要だというわけだ! そこでおれたちは二人で畑を通って出かけた。子どもは、まだ木があったり、鳥の飛んでいるのをながめ、耕した土地を思うさま歩きまわって喜んでいたかもしれない! おれはそんな愉快な気持で出かけたんじゃなかった。往来はとがったかぶと[#「かぶと」に傍点]だらけだ。運河から島へかけてこいつにばかり出会うんだ。おまけに横柄なやつらでな! なぐりつけたいのをぐっと辛抱してたんだが…… ヴィルヌーヴに入るとだいじな庭はめちゃめちゃだし、家は開《あ》けられて踏み込まれ、おまけに悪党めらが他人《ひと》のところへ陣取って窓越しに呼び合ったりよろい戸[#「よろい戸」に傍点]や格子《こうし》に毛糸の編物を干したりしてやがる。これを見たときはまったく憤慨したよ。いいあんばいに子どもがおれのわきを歩いて行くんで、手がむずむずするたびに子どもを見ながら考えた。『気を落ち着けろよ、ベリゼール!…… 小僧に不幸が起こらないように用心しようぜ』ただそれだけで、つまらないことをしないですんだ。そこでおれはなぜ母親がおれに子どもを連れて行かしたのか分かった。  小屋はこの村はずれにあって土手の上の右手のいちばん最後の家だった。他の家と同じように上から下までからっぽだった。家具もなければ窓ガラス一つない。ただわら束と、ストーブの中でパチパチ燃える大きなひじかけいす[#「ひじかけいす」に傍点]の脚《あし》が一本残っているばかり。至るところにプロシア人のにおいはするが、どこにも見えない。しかし地下室で何か動いている様子だった。そこには日曜日にいたずらをする小さな仕事台があった。おれは子どもに待つように言って、見に下《お》りた。  戸が開くやいなや背の高いヴィルヘルムの兵隊の野郎が、ブツブツ言いながら木くず[#「くず」に傍点]の上に立ちあがるとおれの方にやって来て、すごい目つきで、おれにはなんのことか分からないのろいの言葉を述べた。こん畜生はとても目ざめが悪かったに違いない、というのはおれが何か言おうとすると、いきなり剣を抜いたんだ……  これを見てはおれの血も沸きたってしまった。一時間も前からたまっていたかんしゃく[#「かんしゃく」に傍点]が一時におれの顔へ上って来た…… おれは仕事台のとめ[#「とめ」に傍点]金《がね》を握るとやつ[#「やつ」に傍点]をなぐりつけてやった…… おまえさんがたご承知のとおり、このベリゼールのこぶしは平生《ただ》でも強いんだ。だがこの日、おれは腕の先に雷様のような力を持っていた…… 最初の一|撃《う》ちで、プロシア人はヘタヘタと倒れてのびちまった。おれはやつ[#「やつ」に傍点]の目がくらんだのだと思った。ところが、そうじゃなかった…… 死んじまったんだ。これ以上どうしようもないほどきれいにくたばっちまいやがった。薬品で洗い清められたようにな!  生れて今まで、ひばり[#「ひばり」に傍点]一羽だって殺したことのないおれは、とにかく目の前にこの大きな体《からだ》を見ると変な気がした…… まったく美しい金髪で、とねりこ[#「とねりこ」に傍点]の木切れのように縮れた小さな生毛《うぶげ》が生えていた。この男をながめているとおれの足は震えた。そのあいだに子どもは上で退屈していた。そしておれは子どもが力限りに、『おとっつあん! おとっつあん!』と呼ぶのを聞いた。  プロシア人が道を行く。その剣と大きな足が、地下室の明り取りの窓から見える。とつぜんこんなことを考えた……『もしあいつたちが中に入ったら子どもは殺《や》られる……、彼らはだれもかも虐殺するだろう』おれは決心した。もう震えなかった。大急ぎでおれはプロシア人を仕事台の下に押し込んだ。おれはその上に板だの、木くず[#「くず」に傍点]だの、のこぎりくず[#「のこぎりくず」に傍点]だの、なんでも見つけ次第、のっけた。そして子どもを捜しに上った。  ――こい……  ――どうしたの? おとっつあん、なんて青い顔してるの!……  ――歩け、歩け。  おれはコザック兵がおれを倒したり、変な目でにらみつけたりしても、文句は言わなかっただろう。絶えず後からだれかが追っかけて来て、呼びかけているような気がした。一度は馬が一匹全速力で追っかけて来るのを聞いたようだった。おれはぞっとして倒れそうになった。しかし橋を越してからはようやく落ち着いた。サン・ドニはたいへんな人出だった。こんな人混《ひとご》みの中では捕えられる危険はなかった。そこでようやくおれはみじめな小屋のことを考えた。プロシア人は友だちの死体を発見したら、仕返しのためにあそこに火をつけるかもしれない。その上、猟番をやってる隣のジャコはこの土地でたった一人のフランス人だから、自分のうちの近くで兵士が殺されたために彼の身の上に面倒が起こるかもしれない。ほんとうにこんなふうに逃げ出すことは決して男らしいことではない。  おれは少くともこいつ[#「こいつ」に傍点]を隠すためにうまくやらなくてはならない…… パリに近づくにつれて、ますますこの考えがおれを悩ました。どうしてもだめだ。穴倉にプロシア人を入れたのが気がかりだった。そしてとりで[#「とりで」に傍点]まで来た時、もうがまんができなかった。  ――先へおいで、とおれは子どもに言った。まだサン・ドニで会わなくちゃならない顧客《おとくい》があるから。  そしておれは子どもにせっぷん[#「せっぷん」に傍点]して引返した。少し胸がどきどきした。しかしそんなことはどうでもいい、おれは子どもがいなくなったのですっかり気楽になった。  ヴィルヌーヴに帰った時は、夜になりかかっていた。お考えのとおり目を大きく開いて、一歩一歩とやっと進んで行った。しかし村はかなり静かな様子だった。小屋は相変らず向こうの霧の中のいつもの場所にあった。土手に沿って、長い真黒ないけがき[#「いけがき」に傍点]がある。プロシア人が点呼をしているのだった。お陰で家がからっぽだ。かき[#「かき」に傍点]に沿って歩いて行って、おれはジャコ親方が庭で投網を広げているところを見た。確かにまだだれも知らない…… うちに入った。下におりて捜す。プロシア人はまだくず[#「くず」に傍点]の下にいた。そればかりか二匹の大きなねずみ[#「ねずみ」に傍点]がかぶと[#「かぶと」に傍点]をかじっている最中だった。あごひもの動くのにギョっとした。一瞬おれは死人が生き返ったのかと思った…… しかしそうじゃあなかった! 頭は重く冷たかった。私は片すみにしゃがんで時を待った。他の連中が寝た時にセーヌ河に投げ込もうという考えだった……  死人の傍《そば》だったためかどうか分からないが、その晩はプロシア人の引揚げがおれには非常に悲しく思われた。ラッパが大きく三つずつ鳴った。タッ! タッ! タッ! まるでがま[#「がま」に傍点]の音楽だ。フランスの兵隊はこんな節じゃ眠る気になれるもんか……  五分間ばかり、おれは剣が引きずられたり、戸がたたかれたりするのを聞いた。それから兵士たちが庭に入って来た。そして、 『ホフマン! ホフマン!』と名を呼びはじめた。  かわいそうに、ホフマンは木くず[#「くず」に傍点]の下でじっとおとなしくしている…… しかし心配になって来たのはおれのほうだ!…… おれは絶えず彼らが地下室に入って来るのを予期していた。おれは死人の剣をとった。そしてそこで身動きもせずに、心の中でこう自分に言った。『おい、もしおまえが助かったら…… おまえはベルヴィルのジャン・バチスト聖人に例のろうそく[#「ろうそく」に傍点]を一本ささげなくてはいけないぞ!……』  しかし、うちの借家人たちはかなり長くホフマンを呼んだ後で、帰ることに決めてしまった。彼らの大きな長ぐつの音が階段に聞こえた。そして一瞬の後には小屋じゅうは大きな田舎《いなか》の時計のようにいびき[#「いびき」に傍点]をかいた。おれは表へ出るためにただこの瞬間のみを待ち焦がれていたのだ。  土手は人影もなかった。どの家も燈《あか》りが消えていた。万事好都合。おれは元気に下《お》りて行った。仕事台の下からホフマンを引き出して、それを立たせ、荷扱人がかぎ[#「かぎ」に傍点]で担《かつ》ぐように背中へ持ちあげた…… 悪党め、とても重い!…… その上、恐ろしくはあるし、胃ぶくろはからっぽだ…… おれはとてもやり通す力はないだろうと思った。それに土手の真中で、だれかがおれの後から歩いて来るような気がした。振り返ったがだれもいない…… 月が上ったのだった…… おれはひとりごとを言った『気をつけろ。もう少し…… 歩しょうにやられるぞ』  まったくいいあんばいにセーヌ河の水が少かった。もし河岸に投げたら、たらいの中にでもほうり込んだようにいつまでも動かずにいただろう…… おれは河に下りて、進んで行った…… どこまで行っても水がない…… おれにはもうどうすることもできなかった。関節がしびれて…… ようやくかなり進んだと思った時におれはやっこさんを離した…… やりそこなった。死体は泥《どろ》に埋まった。もう動かすことはできない。おれは押しやった、押しやった…… 行けったら!…… 幸いに東風が吹いた。セーヌ河は膨《ふく》らんだ。おれは死がいがごく静かに動き出すのを感じた。ごきげんよう! おれは一すくいの水を飲んで、急いで岸に上った。  おれがヴィルヌーヴの橋を越えた時、何か黒いものがセーヌ河の真中に見えた。遠くからは、小舟のようだった。それはアルジャントゥイユのほうから水の流れに乗って下ってきた、おれの殺したプロシア人だった」 [#改ページ] [#4字下げ]パリの百姓[#「パリの百姓」は中見出し] [#6字下げ]包囲中のこと[#「包囲中のこと」は小見出し]  シャンプロゼイではこの人たちは非常に幸福だった。ちょうど私の窓の下が裏庭で、一年のうち六ヵ月は彼らの生活がかすかながらも私の生活といりまじった。陽《ひ》の出るだいぶ前に主人がうまや[#「うまや」に傍点]に入り、車に馬をつなぎコルベイユへ向けて出かける物音が聞こえる。野菜を売りに行くのだ。続いて、主婦が起きて、子どもたちに着物をきせ、鶏を呼び、雌牛の乳をしぼり、そして、午前中木の階段を大小の木ぐつがガタガタ上り下りするのだ…… 午後になるとまったく静まり返った。父親は畑に出るし、子どもたちは学校へ行くし、母親は黙々と庭に衣類を干したり、幼児の監督をしながら戸口で縫物をしたりする…… ときどきだれかが往来を通りかかると、針を動かしながら話をする……  一度八月――相変らず八月の話だが――の終りころ、主婦が隣の人にこう言っているのを聞いた。 『ねえ、ちょっと、プロシア人ったら!…… フランスに入ったなんてことあるでしょうか?』 『ジャンの奥さん、やつらシャロンにいるんですよ!』と私は窓から叫んだ。すると彼女は大笑いをした…… このセーヌ・エ・オワーズの片ほとりでは、百姓たちは侵入を信じなかったのだ。  しかし毎日、荷物を積んだ車が通るのが見られた。裕福な人たちの家は閉《し》められて、この日の長い美しい八月に、庭は閉ざされた格子《こうし》がき[#「がき」に傍点]のかなたに、花を咲き終えて、寂しく陰うつだった…… 少しずつ、隣の人たちは不安になってきた。この土地から出かけて行く人があるごとに彼らは寂しくなった。捨てられて行くのを感じた…… そしてある朝、村じゅうに響き渡る太鼓の音! 役場の命令である。プロシア人に何も残さないように、パリへ雌牛やまぐさを売りに行かなくてはならないのだ…… 主人はパリへ向かった。悲しい旅だった。大通りの石畳の上を引越しの重たそうな車が行列をつくって行く。車のあいだをおどおどしている豚の群れや羊の群れ、足かせをはめられた雄牛は荷車の上でうなっている。道の端《はし》の方はみぞ[#「みぞ」に傍点]に沿って、きのどくな人たちが、色のあせた長いす、帝政時代のテーブル、ペルシアさらさで飾った鏡など、時代のついた家具をいっぱい載《の》せた小さな手車《てぐるま》を押して行く。このようなほこりまみれの物を動かし、こうした伝来の品を場所がえして山と積んで大通りを引きずって行くのを見ると、どれほど大きな不仕合せが家の中に入ったか感じられる。  パリの入口でまた辛《つら》いおもいをした。二時間待たなければならなかった…… このあいだに、あわれな男は雌牛に寄りそったまま、大砲の砲眼や水をたたえた堀、目に見えて高く築かれた要さい[#「さい」に傍点]、道の傍《そば》に切り倒されて枯れた背の高いイタリアポプラをおどおど[#「おどおど」に傍点]とながめていた…… 夕方彼はびっくりして帰ってきた。そして妻に見たことの一部始終を話した。妻は恐ろしくなった。そして翌日にも出かけようと思った。しかし、次ぎの日からその次ぎの日へ、と出発はいつも遅れていった…… 収穫をしなくてはならないとか、まだ耕したい土地があるとか…… ぶどう酒を造る暇《ひま》くらいあるかもしれないなどと…… それに、心の奥には、恐らくプロシア人はここを通らないだろうという、漠然とした希望があったのだ。  ある晩、ものすごい大砲の響きで目がさめた。コルベイユの橋が破壊されたのだった。村では人々が戸をたたきまわる。 『ドイツ兵だ! ドイツ兵だ! 逃げろ逃げろ』  大急ぎで起き上がって、車に馬をつなぎ、目の覚めきらぬ子どもに服を着せ、数名の近所の人たちと横道から逃げ出した。彼らが坂道を上り終った時に、鐘が三時を報じた。彼らはこれが最後と後を振り返った。水飲み場、教会の前の広場、いつも通る道、セーヌ河へ下《お》りていく道、ぶどう畑のあいだを縫っている道、みんな、彼らにはもうよそのもののように思われた。そして、白い朝霧の中に、打ち捨てられた寒村が、恐ろしい予感に震えているように、その家々をしっかりと抱きしめていた。  彼らは今、パリにいる。寂しい通りの五階の二つの部屋に…… 主人のほうはあまり不仕合せでもない。仕事が見つかったのだ。それに、国民軍の一員で、とりで[#「とりで」に傍点]に出かけ、練兵をし、からにして来た納屋や、種のまいてない畑のことを忘れようとできるだけ気を紛らした。女房のほうはもっと粗野なので、悲しくて、もの憂《う》くて、どうなるのか分からなかった。彼女は上の二人の女の子を学校に入れた。暗い、庭のない校舎で、娘たちは、みつばち[#「みつばち」に傍点]の巣のように騒がしくて陽気な、美しい田舎《いなか》の学校と、学校へ行くのに毎朝森を通って二キロも歩いたことを思い出して、胸が詰まるようだった。母親は彼女たちの悲しそうなのを見て思い悩んだが、特に気づかったのは末の子のことだった。  あちらにいる時は、母親の後から庭へでも家の中へでもどこへでもついて行った。そして、母親と同じだけ踏段を飛び、小さな赤い手をせんたくバケツに突込み、母親が少し息をつこうと編物をすれば、戸口のところにすわるのだった。ここでは、五階ものぼらなくてはならないし、何度もつまずく暗い階段、狭いだん[#「だん」に傍点]炉に火がちょろちょろ燃え、窓は高く、空には灰色の煙が漂い、屋根のスレートはぬれている……  彼の遊ぶことのできる庭があることはあった。しかし、門番はいやがった。門番というのも町にだけあるものだ! あちらのあの村ではだれでも自分の家の主人だ。みんな小さな居所《いどころ》を持っていて自分自身で番をする。昼じゅう家は明けっ放しで、夕方になると、大きな木のさし錠をはめ、家ぜんたいが何の心配もなく、あの田舎《いなか》の真暗な夜の中に沈んで、心地よい眠りを味わうのだ。ときどき犬が月に向かってほえる。しかし、だれも気にはしない…… パリでは、貧乏人の家は門番が持主みたいだ。子どもは一人で下《お》りようとはしない。それほど彼は、わずかなわら[#「わら」に傍点]と切りくず[#「切りくず」に傍点]を庭の敷き石道で引きずりまわしたということを口実にやぎ[#「やぎ」に傍点]を売りとばした、この意地悪《いじわる》女を恐れた。  退屈がる子どもを紛らそうとしてあわれな母親はもうどんな慰みを考え出していいか分からなかった。食事がすむと彼女は一しょに畑へでも行く時のように彼に着物を着せた。そして、手をひいて往来に出、並木道に沿って散歩した。捕《つか》まったり、ぶつかったり、迷い込んだりして子どもはほとんどまわりが見られなかった。彼に興味のあるのは馬だけだった。彼の知っているのも、そして彼を笑わせるのも馬だけだった。母親も、何の楽しみもなかった。彼女は自分の財産を思い、家を思いながらとぼとぼと歩いた。彼女は正直そうな態度、小ざっぱりした服装《みなり》で、つや[#「つや」に傍点]のある髪、子どものほうは丸顔で、大きな木ぐつをはいて、二人一しょに歩いているのを見ると、彼らは国を離れ、追放の身で、心からいきいきした空気と村の寂しい道を懐しがっているということが分かった。 [#改ページ] [#4字下げ]前しょう戦にて[#「前しょう戦にて」は中見出し] [#6字下げ]包囲の思い出[#「包囲の思い出」は小見出し]  諸氏がここに読まれる手記は、日々前しょう戦を駆けまわりながら書かれた物である。パリの包囲が解かれてまもないころ切り破った手帳の一ページである。みんな、何の連絡もなく、折にふれてひざ[#ひざ」に傍点]の上で書きなぐられた、弾丸の破片のように細かなものである。しかし、私はそれを少しも変えず、読み返しもしないで、そのまま提供する。作りごとで、おもしろく見せようとして、すっかり台なしにしてしまうことを、あまりに恐れるから。 [#6字下げ]十二月のある朝、ラ・クルヌーヴにおいて[#「十二月のある朝、ラ・クルヌーヴにおいて」は小見出し]  寒さで真白になり、バリバリ音のする、荒れた、石灰土の原。凍った泥道《どろみち》を、歩兵大隊が、砲兵と一しょに練兵をしている。のろのろと、悲しそうな分列式だ。もうじき戦争に行くのだ。銃を負皮《おいかわ》で背負い、両手をマッフにでも突込むように斜めに肩に掛けた外とうに突込んで、寒さに震えながら、よろよろと頭を垂《た》れて歩いている。  ときどき『止まれ!』の号令。馬は驚いていななく。弾薬車が踊り上がる。砲兵はくら[#「くら」に傍点]の上に体《からだ》を持ち上げて、心配そうに大きな白壁のようなブルジェの町のかなたをながめる。 『やつらが見えるか?』と兵士たちが足踏みをしながら尋ねる……  やがて、前進だ!…… しばらく停滞した人の波がまた前のようにゆっくりと、相変らず黙々として進んで行く。  地平線のかなた、オベルヴィリエの保塁の突出部、鈍い銀色の朝日が輝く寒空に、司令官とその幕僚《ばくりょう》たちのしゃれた[#「しゃれた」に傍点]小団が、日本産の真珠母《しんじゅぼ》の上に乗っかったように浮き出ている。もっと近いところには黒い小がらす[#「小がらす」に傍点]の一群が道のほとりに翼を休めている。これは、看護卒となっている親愛な修道者たちだ。立ったまま、マントの下で腕を組んで、この肉弾となる人たちが練兵をしているのを、つつましやかに、信心ぶかく、また、寂しそうに、ながめている。  同じ日。――村は、人影もなく、打ち捨てられ、家の戸は開《あ》けっぱなし、屋根には穴があき、ひさしのない窓は、死人の目のように人を見つめる。ときどき、何の音でも響くこの廃きょの一つで、何か動いている。足音が聞こえる。戸がきしる。前を通ると歩兵が一人くぼんだ疑いぶかい目で入口に出て来る。――家の中を引っかきまわすあきすねらい[#「あきすねらい」に傍点]か、身を隠そうとする逃亡兵だ……  お昼ごろ百姓家の一つに入る。つめででもこそげとったように、からっぽでまるはだかだ。戸もなければ、窓もない、大きな台所になっている下の部屋は、裏庭に向かって開いていた。庭の奥にいけがき[#「いけがき」に傍点]があり、後は見渡すかぎり広野原だ。片すみに石のらせん階段がある。私は段の上に腰かけて、長いあいだじっとしていた。この太陽、この万物の静寂は、いかにも気持が良い! 前の夏の生き残りの大きなはえ[#「はえ」に傍点]が、光に元気づいて天井のはり[#「はり」に傍点]のところでうなっていた。火を燃やした跡の見えるだん[#「だん」に傍点]炉の前には、赤く血のこびりついた石があった。まだ暖かい灰の片すみにある、血に染まったこの腰掛け石は、悲しい夜《よる》を物語っていた。 [#6字下げ]マルヌ河[#原注]に沿って[#「マルヌ河に沿って」は小見出し]  十二月三日モントルイの城門を出る。空は低く、北風は寒く、深い霧だ。  モントルイにはだれもいない。戸《と》も窓も閉まっている。さく[#「さく」に傍点]の後でがん[#がん」に傍点]の群れがしきりに鳴くのが聞こえる。ここでは百姓は出かけない、隠れている。もう少し遠くでは、酒場が開かれていた。暖かだ。だん[#「だん」に傍点]炉が音を立てている。三人の地方の遊動兵がその傍《そば》で食事をしている。かわいそうに、はれた目、赤くほてった顔をして、黙って机の上にひじをつき、食べながら眠っている……  モントルイを出て、露営の煙で青々としたヴァンサンヌの森を横ぎる。デュクロ将軍の軍隊がそこにいた。暖を取るために兵士たちは木を伐《き》っている。根を上にされて、美しい金髪を往来に引きずられる箱柳や、白かば[#「かば」に傍点]や、とねりこ[#「とねりこ」に傍点]の若木を見るのはあわれだった。  ノジャンにもまだ兵士たちがいた。大きなマントを着た砲兵、ほお[#「ほお」に傍点]の膨《ふく》れた、そして、りんごのようにどこもかも丸いノルマンディーの遊動隊。外とうを着た、すばしこい、小柄のアルジェリア兵。体《からだ》が二つに折れたように背中の曲った、青いハンカチを帽子の下の耳の周囲に巻いた歩兵。みんなうようよ[#「うようよ」に傍点]と往来をぶらつき、店を開いている二軒の香料店の前で押し合っている。まるでアルジェリアの小さな町みたいだ。  ようやく田舎《いなか》へ来た。マルヌのほうへ下る寂しい長い道、真珠色のすばらしい地平線、霧の中に震えている葉のない木、奥のほうに鉄道の高い陸橋が、欠けた歯のように橋弧を切られて、見る者の気を滅入《めい》らせる。ペルーを横ぎる時、荒れ果てた庭、荒廃した陰うつな建物のある、道路に沿った小さな別荘の中で、格子戸《こうしど》の後に、虐殺から逃れた三本の大きな白菊が咲き乱れているのを見た。私は格子戸《こうしど》を押して中に入った。しかし、あまりきれいなので、どうしても摘みとることができなかった。  畑を通ってマルヌ河に下《お》りる。水のほとりについた時、陽《ひ》が雲を追い払って、河いっぱいに当っていた。愛すべき風景。正面は前日あれほど激戦のあったプチ・ブリの町が、穏やかにぶどう畑の真中、丘の上に白い小さな家を並べている。川のこちら側は、あし[#「あし」に傍点]の中に、丸木舟がある。岸には向こう岸の丘をながめながら話をしている一群の人がいる。これは、プチ・ブリに、サクソニヤ人が帰ったかどうか見るために送られた斥候だ。私は彼らと一しょに渡った。小舟が進むあいだ、とも[#「とも」に傍点]のほうにすわった斥候の一人がごく低い声で私に話した。 『もしあなたが銃をお望みなら、プチ・ブリの役場にいっぱいありますよ。やつらは歩兵の大佐を一人残しました。金髪で、背が高く、女のように白い膚《はだ》でごく新しい黄色の長ぐつをはいています』  特に彼の心を打ったのは死者の長ぐつだった。彼はいつもその話にかえってくる。 『ああ、本当に美しい長ぐつ!』このことを私に話しながら、彼の目は輝く。  プチ・ブリに入る時に、くつ[#「くつ」に傍点]をはいた水夫が、四、五ちょうの銃を両手で抱《かか》えて小道から不意に飛びだして、私たちのほうへ走って来た。 『よく見てごらんなさい、プロシア人でさあ』  小さな壁の後にうずくまってながめる。私たちの上、ぶどう畑のずっと上に、まず騎兵が一人、メロドラマに出て来る人物のような横顔で、かぶと[#「くら」に傍点]をいただき、騎銃を手にして、くら[#「くら」に傍点]にまたがり、前に身をかがめている。他の騎兵隊がその次ぎにきて、それから歩兵隊がはいながら、ぶどう畑に広がる。  彼らの中の一人――私たちにいちばん近いところにいたのが、木の後に位置を取り、そこから動かない。とび色の長い外とうを着たやつで、色ハンカチを頭のまわりにしっかり巻いている。私たちのいる場所からは、射撃に好適の距離《へだたり》だ、しかしそんなことをして何になる…… 斥候に任せておけばよい。さあ早く船に乗るんだ。船頭はブツブツ言いはじめる。私たちは、再びマルヌ河をつつがなく渡る。岸に着くやいなや、対岸から私を呼ぶ、息苦しい声。 『おーい! 船こーい!……』  それは先刻の長ぐつの愛好者と三、四人の同僚が、役場まで押しかけてみて、それから、急いで帰ってきたのだった。不幸にして、彼らを引取りに行く者はもういない、船頭は見えなくなった。 『私はこぐことができない』と川の傍《そば》の穴に私と一しょにうずくまっていた斥候隊の軍そうが、ひどく哀れっぽく言った。このあいだに、あちら側の者は我慢がしきれなくなって、 『さあ、来てくださいよ! 来てくださいよ!』  行かなくてはならない。ひどい骨折り仕事だ。マルヌ河は重くて渡りにくい。私は力の限りこいだ。そして、サクソニヤ人が向こうの木の後からじっと私を見つめているのを絶えず背中に感じた。  岸に着くと斥候の一人が舟に水が入るくらい急いで飛び込んで来た。沈む危険なしにみんなを連れ去ることは不可能だ。一番勇敢な者が岸に残って待つ。義勇兵の伍長で、帽子の前に小さな鳥を差して、青い着物を着たおとなしい青年だ。引返して乗せたいのはやまやまだった。しかし、両岸から鉄砲を打ちはじめた。彼はしばらく何も言わずに待っていた。それから、シャンピニーのほうへ城壁に沿って歩いて行った。あとはどうなったか知らない。  同じ日。――事物においても、人間においても、劇的ということと、奇怪ということとが混ざると、奇妙に力の強い、恐怖、あるいは感動を引き起す。こっけいな顔に現われた大きな苦しみは、どんな場合よりも深く諸君の心を動かしはしないでしょうか? ドーミエの描く、死の恐怖にとらわれた市井人とか、運ばれて来た息子《むすこ》の惨殺死体に涙を流す市井人を考えてください。特に胸を刺すような物が何かそこにはないでしょうか?…… ところが、マルヌのほとりのすべての金持ちの別荘、軟らかなばら[#「ばら」に傍点]色、青りんご色、カナリヤ色など、色の付いたおもしろい山荘、亜鉛をかぶせた中世紀ふうの塔、れんが[#れんが」に傍点]紛いの亭、銀色の金属の玉が揺れているロココふうの庭、それらのものを今私は戦争の煙の中に見るのだ。弾丸で穴のあいた屋根やこわれた風景、銃眼のある壁、至るところのわら[#「わら」に傍点]だの血だの、そうしたものに私は戦いの恐ろしい顔を見出す……  私が体《からだ》を乾《かわ》かすために入った家はこういう型《タイプ》の家の一つだった。私は二階の赤と金色の小さな客間に上がった。敷物は、すっかり敷かれてはいなかった。まだ床の上には紙の巻いたのや、金色の棒の端っこがあった。その上、家具らしい物は何もない。ただびん[#「びん」に傍点]のかけらがあるばかり。そしてすみにわらぶとんがあって、うわっぱり[#「うわっぱり」に傍点]を着た男が眠っている。これらの物の上に火薬とぶどう酒とろうそく[#「ろうそく」に傍点]と、かびの生《は》えたわら[#「わら」に傍点]のにおいがかすかに漂っている…… 私はばら[#「ばら」に傍点]色のヌガーのような色に塗られた間《ま》の抜けただん[#「だん」に傍点]炉の前で、丸テーブルの足を燃して体《からだ》を温《あたた》める。ときどきこのだん[#「だん」に傍点]炉をながめていると、田舎《いなか》の人の良い物持ちの家で日曜の午後を過ごしているような気がする。私の後で、客間で、すごろく[#「すごろく」に傍点]をやっているんじゃないか?…… 違う! これは義勇兵が鉄砲に弾丸《たま》を込めたり、打ったりしているのだ。傍《わき》では爆鳴がとどろく、まるで戦争将棋のようだ…… 鉄砲の音のするたびに、正面の岸から応じてくる。その音は、水の上をとびはねながら伝って、いつまでも丘の間で鳴っている。  客間の銃眼から、マルヌ河が輝き、岸は太陽の光に満ち、そしてプロシア人が大きな猟犬《レヴリエ》のようにぶどうの添木《そえぎ》を通って、逃げるのが見える。 [#6字下げ]モンルージュ[#原注]保塁の思い出[#「モンルージュ保塁の思い出」は小見出し]  保塁のいちばん上、バスチヨンの上、土《ど》のう[#「のう」に傍点]の砲門の中に、長い海軍の大砲が誇らかに、その砲架に、シャチヨンに対抗するためにまっすぐに立っている。こうして口を空中に向け、両側の出っぱりを耳のようにして、突き出ているのを見ると、大きな猟犬が月にほえ、死に向かって叫んでいるとも言えた…… 少し下の広場で、水夫たちが気晴らしに、船のすみにこしらえるように、英国ふうの庭の模型を作っていた。腰掛けも青葉のたなも芝も庭石も、それにばしょう[#「ばしょう」に傍点]まで植わっていた。実際大きくはないし、ヒヤシンスより高くもなかった、しかしそんなことはどうだっていい! とにかくばしょう[#「ばしょう」に傍点]があった。その緑の羽飾りは土の袋や高く積んだ弾丸の中で目にさわやかだった。  ああ、モンルージュ保塁の小庭! この名誉あるバスチヨンで倒れた、カルヴェスやデプレやセセや勇しい水夫たちの名まえを刻んだ記念の石が置かれてある、さく[#「さく」に傍点]に囲まれたあの庭を私は見たいものだ。 [#6字下げ]ラ・フイユーズにおいて[#「ラ・フイユーズにおいて」は小見出し]  一月二十日の朝  暖かい、雲のある、気持の良い天気。広い耕地が、遠く海のように波打っている。左手には、砂の多い高い山々が、ヴァレリアン山へ続いている。右手は、ジベの風車、翼のこわれた石の小さな風車が高楼に大砲を乗せている。十五分ほど、風車へ通じる長い堀を通った。その堀の上には川の小霧のようなものが漂っていた。これは野営の煙だ。しゃがんだ兵士たちはコーヒーを入れ、煙が目にしみてせき[#「せき」に傍点]の出る生木《なまき》を吹いていた。ざんごう[#「ざんごう」に傍点]の端から端まで長いうつろなせき[#「せき」に傍点]が走る……  ラ・フイユーズ。小さな林で囲まれた小屋。ちょうど、最後の歩兵隊が退却しながら戦っているのを見るのに間に合った。これはパリの第三遊動隊だった。整然と、全員そろって連隊長を先頭に練って行く。私が昨夜から見ている理由《わけ》の分からない壊乱の後で、これは少し私の心を元気づけてくれた。彼らの後から、二人の馬に乗った人が私の傍《そば》を通った。将軍とその幕僚《ばくりょう》だった。馬は並歩《なみあし》で行く、二人は話し合っている。声がよく響く。幕僚の言葉が聞こえる、若い声で少しおもねるように『そうです将軍…… いや、将軍…… もちろんです、将軍』  将軍は優しい悲痛な調子で、 『何? 殺された? ああ、きのどくな子どもだ…… かわいそうな子どもだ!』  それから沈黙が続き、そして、湿った地面を馬の踏み鳴らす音……  私はしばらく、この憂うつな広々とした景色をながめて一人じっとしていた。それはシェリフか、ミチジャの原野の景色に似ていた。灰色のうわっぱり[#「うわっぱり」に傍点]を着た担架卒の行列が、くぼんだ道を赤い十字架の付いた白旗を持って上って行く。十字軍の時のパレスチナにいるような気がする。 [#改ページ] [#4字下げ]暴動風景[#「暴動風景」は中見出し] [#6字下げ]マレー街[#原注]にて[#「マレー街にて」は小見出し]  薬やカンページュ塗料のにおいの漂っている長い曲りくねった道の、しめっぽいひなびた[#「ひなびた」に傍点]木《こ》かげや、近代工業の発達によって炭酸水や青銅や化学製品の工場と姿を変えた、アンリ二世やルイ十三世時代の古い邸宅のあいだ、また、箱でいっぱいのじめじめした小庭や、重い運送車の通る大きな鋪石を張り詰めた広庭の中、あの丸く突き出たバルコンや高いよろい戸[#「よろい戸」に傍点]、教会の消燈器のように煤《すす》けた、虫の食った破風の下で、暴動は、ことにはじめのうちは、何か単純な、原始的な、非常に風変りな趣を呈していた。往来のすみずみに形ばかりのバリケードができてはいたが、だれも守る者はない。大砲もなければ、機関銃もない。でたらめに、無鉄砲に積み重ねた舗石は、ただ慰みに道を横断して、大きな水たまりをつくり、大勢のわんぱく小僧が歩きまわったり、紙の舟を浮かべたりするばかりだ…… 店はみんな開いていて、主人公が店先に出て、往来を隔てて笑ったり政論をかわしたりしている。暴動を起こしているのはこの人たちではないが、彼らはまるで、この平和な町の鋪石を動かすことによって、からかい気味で騒ぎ好きな古いパリの市民の魂を呼びさましでもしたかのように、喜んでこの一き[#「き」に傍点]を見ている。  昔フロンド[#原注]の風と呼ばれたものが、マレー街に流れているのだ。大きな館《やかた》の破風の上には、石でできた怪人のこっけいな渋面が、『おれは暴動を知っているよ』と言っているようだ。道の鋪石をはがすのを見て腹を抱《かか》えて笑い、店の前に防さい[#「さい」に傍点]ができるのを得意がっているように見える、薬種商人や金ぱく師や香料商人等という善良な人々に、私は頭の中で、我知らず、花飾りのあるフロックコートや短いズボン、縁のそったつば広のフェルト帽を着せていた。  ときどき、長い陰気な路地の端に、陽《ひ》をうけて金色に光る町の古い市役所の片側と一しょに、グレーヴ広場に輝く銃剣を見たのだった。騎兵は、灰色の長いマントを着、帽子の羽をひるがえして、この光の片すみを駆け足で通る。群衆は走り、叫ぶ。帽子が振られる。これはモンパンシエ夫人[#原注]か、クレメール将軍[#原注]ではないか?…… 時代が私の頭の中でもつれ合ってしまった。遠く、陽《ひ》の光を受けて、疾駆するガリバルジイの急使然たる赤シャツが、レッツ僧正[#原注]の長衣《ころも》のような印象を私に与える。暴動の人たちの中で話されている、いちばん悪賢い人は、それがティエール[#原注]であったかマザラン[#原注]であったかもう分からない…… 私は三百年の昔に生活しているような気がした。 [#6字下げ]モンマルトルで[#「モンマルトルで」は小見出し]  このあいだの朝、ルピック通りを上って行く途中、ひじ[#「ひじ」に傍点]まで腕章をつけ、腰に剣を下げた国民軍の一士官が、くつ[#「くつ」に傍点]屋の店で軍服を汚さぬように皮の前掛けをかけて、一足の長ぐつの底皮をかえているのを見た。暴動を起こしたモンマルトルの全景が、この屋台店の窓わくの中に収められていた。  すみからすみまで武装した大きな町を想像してください。水飲み場の縁に置かれた機関銃、銃剣の林立した教会前の広場、学校の前の牛乳箱の傍《そば》の散弾入れの箱、家という家は営舎となり、窓という窓には制服のゲートルが干してあり、軍帽は集合ラッパを待ちかまえているといわんばかりに伏している。銃の床尾が古道具屋のささやかな店の奥で鳴り、丘の上から下まで、水筒や剣や飯ごうががらんがらんとなっている。だが、それでも、武器を高くあげ、帽子のひも[#「ひも」に傍点]をあご[#「あご」に傍点]にかけて、イタリア街を練り歩き、『がんばろうぜ。反動を用心しよう!』というような様子でズシリズシリとのして行くあのすざましいモンマルトルの姿はない。ここでは、暴徒たちは自分のうち[#「うち」に傍点]にいて、大砲やバリケードがあるにもかかわらず、その反抗の上に何か自由な平和な親しいものが飛びかけっているように感ぜられる。  ただ一つ見づらいものは、あの赤いズボンのうごめき、さまざまな武器携帯の逃亡兵である。アルジェリア兵、歩兵、遊動隊が市役所の広場にごった返し、腰掛けの上に寝たり、歩道に沿って、酔ったまま、泥《どろ》まみれで、ぼろ[#「ぼろ」に傍点]を着て、一週間もかみそり[#「かみそり」に傍点]をあてないひげ[#「ひげ」に傍点]面《づら》で転《ころ》がっている…… 私が通った時、このきのどくな男の一人が、木に登って、笑いとあざけりの中で、群集に向かってどもりながら長談議をしている。広場のすみで、一大隊が保塁へ登るためにざわめいている。 『進め!』と、士官が剣を振って叫ぶ。太鼓は進軍の曲を奏し、善良な義勇兵は、熱に燃えて、長い寂しい道を突進して行く。道の端に、雄鶏が数羽驚いて鳴いているのが見える。  ……ずっと高いところの、緑の庭と黄色い坂道とのすきまには、陣地となったガレットの風車、国民軍の姿、並んだ天幕、煙を出している小さな露営部隊が見え、みんな、望遠鏡の奥に映るように、暗い雨空と射撃場の土手で光る黄土とのあいだに、はっきりときれいに浮き出ている。 [#6字下げ]フォブール・サン・アントワーヌで[#「フォブール・サン・アントワーヌで」は小見出し]  一月のある夜、パリ包囲中のことだ、私は義勇兵大隊に交じって、ナンテールの広場にいた。敵は我が前しょう中隊を攻撃したので、われわれは彼らを救援に行くため、急いで武装した。くらがりの風雪の中で番号をつけているあいだに、手ぢょうちんを差し出した斥候が道の片すみから飛び出した。  ――止まれ! だれだ?  ――一八四八年の遊動隊員です。と、声を震わせて答える。  短いマントを着、軍帽を横っちょにかぶり、若々しい態度をした、背の低い人たちだった。ちょっと離れたら幼年学校の生徒に見えたろう。しかし、軍そうが顔を見せるために近づいた時、ちょうちんは、年をとって色つやの失せた、しわ[#「しわ」に傍点]だらけの、目をしばたたく、白いあごひげ[#「あごひげ」に傍点]の小柄な老人を照らし出した。この幼年兵は百歳だ。他の仲間もそれより若くはなかった。その上、パリ弁ですさまじい態度だ! 年をとったわんぱく者。  前日前衛に着いた、この遊動隊は、かわいそうに、はじめて斥候をつとめて迷ってしまったのだ。すぐに道を教えてやった。  ――急いでいらっしゃい、プロシア兵が攻撃してますよ。  ――ほ、ほう!…… プロシア兵が攻撃してるって。こう言うと、すっかり興奮したきのどくな老人たちはまわれ右をして、小銃の音に手ぢょうちんを揺るがせながらやみ[#「やみ」に傍点]の中に消えた……  この地中の精の小人たちが私に与えた奇怪な印象を充分お知らせすることはむずかしいだろう。彼らは非常に年をとり、疲れ、心が乱れていた! よほど遠方から来た様子だった! 私は一八四八年以来野原をうろつきまわり、二十三年このかた道を捜している幽霊のような斥候隊を想像した。  フォブール・サン・アントワーヌの暴動隊は私にこの幽霊を思い出させた。私はそこに永久に道に迷い、年をとった、しかも性格の直されない四八年の古兵たちと白髪の暴徒を見た。また、それと一しょに、昔の市街戦、三階四階の高さの古風なバリケード、その頂にひるがえる赤旗、大砲の閉鎖機《キュラス》の上の芝居じみた姿勢、そで[#「そで」に傍点]をまくりあげ、厳《いか》めしい顔つきで、 『通れ、市民たち!』と言って、ただちに銃剣を突きつける様《さま》を想像した…… そして、この広いバベルの町の騒がしさ、あわただしさ、ときたら! トローヌからバスティーユに至るまで、ただもう急報が飛び、武器が集められ、捜索、拘引、戸外の集会、大円柱[#原注]さしての行列、合言葉を忘れた一杯きげんの斥候、ひとりでに弾丸の飛び出す銃、バフロワ街の委員に連れていかれる醜業婦、集合ラッパ、非常太鼓、警鐘。ああ、警鐘! 熱狂した人たちは、夢中で鐘を鳴らすのだ! 日が暮れると、鐘楼は気が狂って、さい配《マロット》に付いた鈴のようにジャンジャン鐘が鳴る。酔っぱらいのような警鐘がある。息をはずませ、気紛れに、不規則に、しゃっくり[#「しゃっくり」に傍点]や失神で途切れてしまう。信念にあふれる警鐘は、ものすごく力いっぱい綱が切れるまで鳴る。それから元気のない、熱のない警鐘。眠りかけた音が重そうに、消燈の合図のように響いてくる……  この騒ぎの最中、この鐘も頭も狂気のように鳴っている中で、私の心を打ったことが一つある。それはラップ街と、そこから四方に走る小道の静けさである。オーヴェルニュ生れの人たちの一種の居留地で、カンタル県の子どもたちが、暴動などは千里も遠いところにあるかのように、まったく気にも止めずに、古い鉄くず[#「くず」に傍点]の上で静かに商売をしている。通りがかりに私はこの善良なレモナンク[#原注]の人たちが、暗い店の中で非常に忙しそうにしているのを見た。女たちは戸口の石の上で、編物をしながら訳の分からぬ言葉をしゃべり、縮れ毛の子どもたちはやすりくず[#「やすりくず」に傍点]だらけになって小道の真中を転《ころ》がりまわっている。 [#改ページ] [#4字下げ]渡し舟[#「渡し舟」は中見出し]  戦争前にはそこに立派なつり[#「つり」に傍点]橋《ばし》があって、白い石の柱が二本高く立ち、チャンを塗った綱がセーヌの水平線上に張られ、その軽やかなながめは、気球や船をきわめて美しく見せている。中央の大きな弧の下を小舟を率いた蒸汽船が一月に二回、煙の渦を吐きながら、別に煙突を下げる必要もなく通って行く。両岸には、布をたたくきぬた[#「きぬた」に傍点]だとか、せんたく女の腰掛けなどが置いてあり、小さな釣舟は輪でつながれている。冷たい水に揺らぐ大きな緑のカーテンのように、牧場のあいだに延ばされたポプラの小道が橋に通じている。愛すべき風景……  今年はすっかり変ってしまった。ポプラは相変らず立ち並んでいるが、どこへも連れて行ってくれる先がない。もう橋はないのだ。二つの柱は飛んで、残った石をあたり一面に散乱させている。震動のために半分くずれた橋番の白い小さな家はごく新しい廃きょ、バリケード、破壊物といったような感じがした。綱、鉄線がもの寂しく水につかっている。砂をかぶって朽ちた橋板は、水に浮かんで、舟乗りに知らすための赤い旗を立てた難破船のようだ。そしてセーヌ河が運んだ刈草やかびの生《は》えた板などいろいろのものが大小の渦をいっぱいに巻き起こしてせき[#「せき」に傍点]となってそこに留まっている。景色の中にひびが入っている。何かしらすきがあるような不幸を感じさせるものがある。いっそうあたりを寂しくさせるのは橋へ通じる小道の並木が疎《まば》らになったことだ。あんなに茂っていた美しいポプラは頂まで虫に食われ――樹木までが侵入を受けたのだ――芽の出ていない薄くなった、短くきれた枝を伸ばしている。何の役にも立たない荒れ果てた大通りには大きな白いちょうちょう[#「ちょうちょう」に傍点]がもの憂《う》そうに飛んでいる……  橋がまた架けられるまで、近くに渡し舟が設けられた。例の大きないかだ[#「いかだ」に傍点]の一つで、家畜をつないだ車や、すき[#「すき」に傍点]をつけた耕作の馬や、流れる水を見て穏かな目を丸くする雌牛を乗せる。家畜と車が真中に乗り、端の方には旅人、百姓、村の小学校へ行く子ども、別荘住まいのパリ人が乗っている。帆やリボンが馬の手綱の傍《そば》でひるがえる。難船した人を乗せたいかだ[#「いかだ」に傍点]とも言えよう。船は静かに進む。横断に時間がかかるのでセーヌ河は以前よりも川幅が広く見え、くずれ落ちた橋の廃きょの向側《むこう》、お互にほとんど関係がなさそうな二つの河岸のあいだに、地平線が一種の悲しい厳《いか》めしさで大きく広がっている。  その朝、私は河を越すつもりでたいへん早くやって来た。まだ河岸にはだれもいない。渡し守の小屋といってもぬれた砂の中にある古い動けない車だが、霧にぬれたまま戸が閉《し》まっている。中から子どもがせき[#「せき」に傍点]をするのが聞こえる。  ――おーい! ウージューヌ!  ――今行く、今行く! と答えて、渡し守は身を引きずってやってきた。きれいな船頭《せんどう》で、まだかなり若いが、最近の戦争で砲兵として従軍し、足には弾丸、顔には刀傷を受け、リウマチスのために体《からだ》が利《き》かなくなって帰ってきた。人の良さそうなこの男は私を見て微笑《ほほえ》んだ。――だんな、今朝は私たちだけで、静かですね。  実際、私はたった一人舟に乗った。しかし彼がそのいかり綱をはなす前に客が来た。まずコルベイユの市場へ行く目の輝いた肥《ふと》った百姓女で、両腕に二つの大きなかご[#「かご」に傍点]を抱《かか》えている。このかご[#「かご」に傍点]が彼女のひなびた体《からだ》を平衡に保ち、彼女をしっかりまっすぐに歩かせているのだ。続いてその後から、くぼんだ道を別の人たちが来るのが霧を通しておぼろに見える。何か言っているのが聞こえる。優しい涙に満ちた女の声だ。  ――ねえ! シャシニョさん、お願いです。私たちを苦しめないでください…… あの人が今働いていることお分かりでしょう…… お金ができるまで待ってやってください…… あの人のお願いしているのはこれだけなんです。  ――もう充分待ってやった…… 待ち過ぎたくらいだ。と歯の抜けた惨酷な老百姓の声が答える。今度は執達吏のやる番だ。おれの知ったことじゃない…… おーい! ウージューヌ! 『あのごろつきのシャシニョですよ、』と低い声で渡し守が言う……『よし! よし!』  この時、私は一人の背の高い老人が河原に来るのを見た。粗末ならしゃ[#「らしゃ」に傍点]のフロックコートを妙なふうに着て、ごく新しい高いシルクハットをかぶっている。この百姓は日に焼けしわ[#「しわ」に傍点]だらけで、節くれだった手はつるはし[#「つるはし」に傍点]を使うためゆがんでいるが、紳士のなりをしているので、いっそう黒く日焼けして見える。がん固そうな額《ひたい》、アメリカインディアンの悪漢らしいかぎ形の大きな鼻、すぼめた口、ずるそうなしわ[#「しわ」に傍点]がシャシニョという名まえにふさわしいものすごい顔付きを与えている。 『さ、ウージューヌ、早く出かけようじゃないか』と船に飛び乗りながら言った。その声は怒りに震えていた。渡し守がともづな[#「ともづな」に傍点]を解いているあいだに百姓女は彼に近づいた。『シャシニョじいさん、だれに腹を立てているんだ?  ――おや! ラ・ブランシュさんか?…… その話はしないでくれ…… 私は怒っているんだ…… あのマジリエのやつら! そして、泣きながらくぼんだ道を引返して行く弱々しい小さな影に向かって彼はこぶしを振り上げた。  ――あの人たちは何をしたんだね?  ――あいつたちは四期《よんき》も家賃をためている。それに酒の貸しがある。そして私は一銭も受け取っていない!…… だから私はこの足で執達吏のところへ行こうと思う。あいつたちを往来に放り出してやるんだ。  ――けれど、あのマジリエさんはいい人だわ。あんたに払わないのはあの人がわるいからじゃないでしょう…… 今度の戦争ではお金をなくした人がずいぶんいますからね』  年をとった百姓の怒りが破裂した。 『チキ生《しょう》だ!…… プロシア人を利用して財産がつくれたのに。あいつのほうで望まなかったのだ…… プロシア人が来た日に、あいつは酒場を閉《し》めて看板をはずしたんだ…… 他のカフェーの主人たちは戦争中はぼろいもうけをしたが、あいつは一スーのものだって売らなかった…… もっとわるいんだ。やつはごう慢にもあくまでたてをついてろう[#「ろう」に傍点]獄《や》にまで行きやがった…… ばか[#「ばか」に傍点]だよ実際…… 戦争のなんのとぬかしやがって! あれは軍人だったのか!…… ただお客さんにぶどう酒やブランデーを出しさえすればよかったのじゃないか。そしたら今はおれに払うことができるはずなんだ…… 悪党め、さ! 愛国者ぶったのを懲らしてやる!』  こうして怒りに真赤になって、彼は大きなフロックコートを着てはいるが短い作業服を着慣れている田舎《いなか》の人らしい愚鈍な態度で騒ぎたてた。  彼が語るにつれて、先刻《さっき》までマジリエの一家に対する同情にあふれていた百姓女の輝いた目は、軽べつと言ってもいいような冷ややかさになった。彼女もまた百姓の女だ、そしてこの人たちは金が手に入ることを拒む人たちを決して尊敬しない。まず彼女は言った。『おかみさんがかわいそうだわ』そしてすぐ後で、『それは本当よ…… 幸運《チャンス》に背中を向けるもんじゃないわ……』彼女の結論は、『おじいさん、あなたのほうがもっともだわ。借金があったら払わなくちゃあね』シャシニョは絶えずかみしめた歯のあいだでこう繰り返していた。 『チキ生《しょう》…… チキ生《しょう》……』  船縁《ふなべり》にさお[#「さお」に傍点]を操りながら彼らの言葉を聞いていた渡し守は、口を挿《はさ》まなくてはならないと思った。 『そんなふうに怒るもんじゃないよ、シャシニョじいさん…… 執達吏のところへ行ってなんになる?…… あの貧乏な人たちのものを売らせようというのは、ひどすぎますよ。まあ少しお待ちなさい、やり方がありますから』  老人はかみつかれでもしたように振りむいて、『よけいなこと言うな、ばか[#「ばか」に傍点]! おまえも愛国者の一人だ…… 同情することじゃないさ! 子どもを五人も抱《かか》えて、一スーの金もない、そして強《し》いられもしないのに好《す》き好《この》んで大砲を撃ちに行く…… ちょっとあなたにお尋ねしますがね、(この情けない男は私に話しかけたに違いない!)私たちにはこの戦争が何の役に立ちましたかね? たとえばあの男はそのために顔がめちゃめちゃになり、今までもっていたいい地位がなくなり…… 今は浮浪人《ボヘミアン》のように、病気になった子どもたちやせんたく[#「せんたく」に傍点]で疲れきった妻と、四方から風のあたる茅屋《あばらや》に住んでいる…… こいつもチキ生《しょう》じゃないかね?』  渡し守は怒りの表情をチラッと見せた。そしてその青白い顔の中に、私は深く白く刀傷《かたなきず》が入っているのを見た。しかし彼は自分を押さえつける力があった。その怒りをさお[#「さお」に傍点]のほうへやって、ねじれるほど砂の中にさお[#「さお」に傍点]を突込んだ。もう一言《ひとこと》言ったら彼はこの地位もなくした[#「なくした」は底本では「なくなした」]ろう。なぜなら、シャシニョはこの土地の顔ききだから。  彼は村会議員なのだ。 [#改ページ] [#4字下げ]旗手[#「旗手」は中見出し] [#6字下げ]一[#「一」は小見出し]  連隊は鉄道線路の斜面で戦闘中で、正面の森の中に密集しているプロシア全軍の標的となっていた。八十メートルの距離で撃ち合っている。士官が、『伏せ!……』と叫ぶが、だれも命令をきかない。勇敢な連隊は立ったまま、軍旗の周囲に集まっている。穂の垂《た》れた麦畑や牧場の見える、夕日に照らされたこの広々とした天地に、もうもうとした煙に包まれ、困惑したこの一団の人々は、野原のまっただなかで恐ろしいあらしの最初の旋風に襲われた家畜の群れのような様子をしていた。  この斜面に鉄の雨が降っているからだ! 聞こえるのはただ銃火の爆鳴、ざんごう[#「ざんごう」に傍点]を転《ころ》がる飯ごうの鈍い音、そしてぴんと張った楽器の弦がもの悲しく鳴り響くように、戦場の端から端まで長々ととどろき渡る弾丸の音。ときどき頭の上に立てられた旗が、散弾の風に揺らいで、煙の中に沈んでしまう。すると重々しい落ち着いた声が、銃声と息ぎれの音と負傷者のわめきを押さえつけるように発せられる。『旗を、若者、旗をあげて!』ただちに一人の士官が、赤い霧の中に浮かぶおぼろな影のように走って行き、勇ましい軍旗は再びいきいきと戦場を見おろす。  二十二回軍旗は倒れた!…… 二十二回死者の手を逃《のが》れて、まだなま暖かいさお[#「さお」に傍点]は別の手に握られ、立てられた。そして太陽が西に沈むとき、連隊の残りの兵士――ようやく数えるほどしかない人たちは静かに退却した。この日の二十三回目の旗手オルニュ軍そうの手に握られた旗は一条のつづれに過ぎなかった。 [#6字下げ]二[#「二」は小見出し]  このオルニュという軍そうは、山形腕章を三つ付けた老兵で、無学で、自分の名まえがやっと書けるくらい、下士のそで章を得るために二十年もかかった。捨て子のうけるあらゆる不幸と、愚鈍な営兵の姿が、狭くてごつごつした額《ひたい》や背《はい》のう[#「のう」に傍点]のために曲った背中、無意識にとる列中の兵士のような態度に現われている。その上、彼は少しどもりだ。しかし旗手には雄弁の必要はない。激戦のその夜、連隊長は彼に言った、『おまえが旗を持っているんだな。よし、しっかり守るんだぞ』そして風雨と砲火にすっかり傷《いた》んだ、みすぼらしい軍服の上に、酒保の女がただちに少尉の金筋を縫いつけた。  これが彼の謙譲な一生の中の唯一の誇りであった。これによってただちに老兵士の体《からだ》はまっすぐに伸びた。背中を曲げて地面をながめることに慣れたこの哀れな男は、この時以来得意な顔になり、あのつづれの旗がひるがえり、死と反逆と敗北とに打ち勝ってまっすぐに高らかに保たれるのを見るために、目があげられた。  戦いの日、旗ざおを皮の袋にしっかり入れて両手で押さえている時のオルニュほど幸福な人は決して見られなかった。彼は口をきかない。体《からだ》も動かさない。牧師のようにまじめで、何か神聖なものを持っているとも言えたろう。弾丸の飛びかかるこの美しい金色のつづれを握りしめた指と、『さ、おれからこれを奪ってみろ!……』と言っているように、プロシア人を真面《まとも》に見つめている怒りに満ちた目の中に、彼の生命と彼の力は全部入っていた。  だれも奪おうとはしなかった。死さえも。ボルニーだのグラヴロットだのという、いちばん死傷者を多く出した戦いの後《あと》で、裂け、穴があき、傷《いた》んで透きとおった軍旗は至るところに行った。しかし旗手はいつも老オルニュであった。 [#6字下げ]三[#「三」は小見出し]  やがて九月が来た。メッツの軍隊、メッツの包囲、泥《どろ》の中で長く停滞しているうちに大砲はさび、世界第一流の軍隊は、無為と、食糧と情報との欠乏のために士気が衰え、組んだ銃の足もとで熱さと退屈とに死んでいった。指揮官も兵士も信仰を失った。ただオルニュだけがまだ信仰を抱《いだ》いていた。ぼろぼろの三色旗はすべてのものの代りとなり、旗がそこにあると感ずるかぎり、何も失ってはいないように思われた。不幸なことにはもう戦わないようになったので、連隊長は旗をメッツの近郊の自分のうちに置いていた。それはオルニュ老人にとっては、子どもを乳母《うば》の手もとに委《ゆだ》ねている母親に似た気持だった。彼は絶えず旗のことを考えた。そして、あまり強い退屈に襲われた時には、まっしぐらにメッツへ走った。そして旗がいつも同じ場所に静かに壁にもたせかけてあるのを見るだけで、勇気と忍耐とに満ちて帰ってきた。あのプロシアのざんごう[#「ざんごう」に傍点]の上に大きくひるがえる三色旗を手にして前進する戦いの夢を、ぬれた天幕へと持ち帰るのだった。  バゼーヌ元帥の一令はこの幻想を壊《こわ》してしまった。ある朝オルニュが目をさますと、陣中がざわめいていて、張りきって興奮した兵士たちがあちらこちらに塊《かたま》って怒号し、みんな等しく町の方へ向けてこぶし[#「こぶし」に傍点]を上げ、一人の罪人を示して怒っているようであった。『あいつを襲撃しろ!…… 銃殺しろ!……』などと叫んでいる。将校たちは勝手に言わせている…… 彼らは兵士たちに恥ずかしいように、頭を下げて、わきの方を歩いている。実際屈辱だった。たった今、充分に武装した壮健な十五万の兵士たちに、戦わずに彼らを敵に渡すという将軍の命令が読み上げられたところだった。 『で、旗は?』とオルニュが青白い顔で尋ねた…… 旗は銃その他部隊に残っていた他の物と一しょに引き渡されていた。何もかも…… 『ち……ち……畜生!……』と哀れな老人はどもりながら言った。『おれのは決してあいつらにはやらないぞ……』そして彼は町の方へ走り出した。 [#6字下げ]四[#「四」は小見出し]  町もまた大騒ぎだった。国民兵、市民、遊動隊員がわめき、ざわめきたっていた。代表者が元帥のところへ行くために、震えながら通って行った。オルニュは何も目に入らないし、何も聞こうとしない。メッツ市外の道を上りながら一人つぶやいていた。 『おれから旗を奪い取る! いったいぜんたいそんなことができるだろうか? そんな権利があるかしら? プロシア人には、金ぴかの馬車だとかメキシコからもってきた立派な平ざら[#「ざら」に傍点]のような、プロシア人にふさわしい品物をやればいい! しかし、あれはおれのだ…… おれの名誉だ。触《さわ》らせないぞ』  こういう文句の終りが、彼が走っていたため、どもるために、きれぎれにされた。しかし実際、この老兵はある考えを抱《いだ》いていた! 非常にはっきりとした、しっかり決まった考えだった。すなわち、旗をとって連隊の中に運び去り、その後に続きたい者と一しょに、プロシア軍の中に躍《おど》り込むことだ、壊滅させることだ。  彼が向こうに着くと、中へも入れてくれなかった。連隊長も怒《おこ》っていてだれにも会おうとしなかったのだ…… しかしオルニュはそんなことでは承知できなかった。  彼はののしり、叫び、番兵を押しのけた。『私の旗…… 私は旗が欲しいのです……』とうとう一つの窓が開いた。  ――オルニュ、おまえか?  ――はい、連隊長殿、私は……  ――軍旗はみんな兵器庫にある…… あそこへ行きゃいい、受取りをくれるだろう……  ――受取り?…… どうするんです?……  ――元帥の命令だ……  ――しかし連隊長……  ――静かにしろ!…… そして、窓は再び閉《し》まった。  オルニュ老兵は酔いどれのようによろめいた。 『受取り…… 受取り……』彼は機械的に繰り返した…… ようやく彼は歩き出した。ただ一つのことしか分からないで。それは軍旗が兵器庫にあって、それをどうしても取り返しに行かねばならないということだった。 [#6字下げ]五[#「五」は小見出し]  兵器庫の入口は、広場に並んで待機中のプロシアの運送車を通すために、大きく開かれていた。オルニュは入るなり身震いがした。他の旗手たちもみんなそこにいた。五六十人の士官が黙って悲痛な様子をしていた。雨の中に並んだ陰気な馬車や、後に帽子もかぶらずにかたまっている人たちを見ると、葬式があるのかと思われる。  片すみにバゼーヌ軍の軍旗が、泥《どろ》だらけの敷石の上にごちゃごちゃに積まれていた。きれぎれに破れた派手な絹地、ボロボロの金の房《ふさ》、彫刻のある傷《いた》んだ柄をもったこの光栄ある軍旗が、みんな地上に放り出され、雨と泥《どろ》に汚《よご》れている。これ以上痛ましい光景があろうか。取扱いの役人が一つ一つ取り上げる。そして連隊の名が呼ばれるごとに、旗手が受取りをもらいに進み出る。二人のプロシア士官が硬《こわ》ばった無表情な顔で、軍旗の積まれるのを見ている。  聖なる光栄のつづれよ、君はかくのごとく裂け目をさらし、翼を傷《いた》めた鳥のようにもの寂しく、敷石をかすめながら去ってしまうのか! 君は、美しいものが汚されたという恥辱を抱《いだ》いて、それぞれ少しずつフランスから何物かを持ち去ってしまうのか! 長い進軍の間に受けた陽《ひ》が色あせた旗地のひだのあいだに残っている。弾丸に貫かれた跡に、君は、ねらわれた旗の下で偶然倒れた見知らぬ死者の思い出を秘めているだろう…… 『オルニュ、君だよ…… 呼んでいるよ…… 受取りを取ってこい……』  なるほど受取りのことだった!  旗は彼の前に置かれてある。たしかに彼の旗だ、いちばん美しくていちばん傷がついている…… 再び旗を見ると、彼はなおあの坂の上にいるような気がした。弾丸が音をたて、飯ごうが砕け、連隊長が『おい、旗だ!……』というのが聞こえた。そして二十二人の僚友が地に倒れ、今度は彼が二十三番目に、持つ者がなくてよろめいていた哀れな旗を掲げ、ひるがえすために走り寄った。ああ! あの日、彼は自分の死ぬまで、この旗を守りつづけようと誓ったのだった。それが今……  このことを思うと、胸の血がみんな頭に上った。酔心地《よいごこち》に、我を忘れて、彼はプロシアの将校に躍《おど》りかかり、彼から最愛の旗を奪い取り、しっかり両手で握った。そして彼はなおそれを高く高くまっすぐにあげて、『旗を……』と叫ぼうとした。しかし彼の声はのど[#「のど」に傍点]の奥で止まった。彼はさお[#「さお」に傍点]が震えて手から滑《すべ》り落ちるのを感じた。降伏した町の上に重苦しくのしかかっているこの疲れきった空気、死の気《け》の中に、旗はもう動くことができなかった。誇りのあるものは何も生きてはいけなかった…… そして老オルニュは卒中で倒れた。 [#改ページ] [#4字下げ]ショーヴァン[#原注]の死[#「ショーヴァンの死」は中見出し]  私がはじめて彼に会ったのは、八月のある日曜日、車の中、当時スペイン・プロシア事件と呼ばれた事件のごくはじめのころだった。それまで一度も会ったことはなかったが、彼だということはすぐに分かった。背が高く、やせて、ごましお頭で、顔は赤く輝き、たか[#「たか」に傍点]のくちばしのような鼻、目は丸く、いつも怒ったようで、行き会う勲章のある人にだけ親しげであった。額《ひたい》は低く狭く、がん固で、同じ考えが絶えず同じ場所で働いて、ついに非常に深い一本のしわ[#「しわ」に傍点]が掘りつけられるという例の額《ひたい》の一つだった。どことなく素朴で軍国主義的な態度で、何よりもまず『フルランス国』とか『フルランスの旗』というふうに、巻舌でrを発音するものすごさ。私は思った。『これがショーヴァンだな!』  実際それはショーヴァンだった。いかにもショーヴァンらしく、片手で新聞を振りながら、大声でプロシアをののしり、人の言葉に耳を借さず、めくらめっぽう猛《たけ》り狂う酔漢《よいどれ》のごとく、つえ[#「つえ」に傍点]を高く上げて、ベルリンに入れと絶叫するショーヴァンだった。もう猶予する時でない。和ぼくなんかできない。戦争だ! どうしても戦争が必要だ! 『で、ショーヴァン、もしその準備ができていなかったら?……』 『フランス人はいつも用意ができている!……』とショーヴァンは反身《そりみ》になって答える。そして、ピンとはね上った口ひげ[#「ひげ」に傍点]の下から、窓ガラスを震わせるように、例のrが飛び出す……  人をいらいらさせる愚かな人物だ! 長いあいだ彼の名まえに付きまとって、彼を有名な奇人に仕上げたあざけりや歌を、私はなるほどと合点した。  最初彼に会ってから、私は彼から逃《のが》れようと心に誓った。しかし、不思議な運命が、彼をほとんど絶えず私の通る道に置いた。まず、上院でグラモン氏が、議員たちに、宣戦が布告されたと厳《おごそ》かに知らせた日のことだった。老人たちのわななくかっさい[#「かっさい」に傍点]の中で、『フランス万歳!』と言うすさまじい叫び声が、演壇から発せられた。そして、私はかなたの幕の前で、ショーヴァンが大きな腕を振りまわしているのを見たのだった。しばらくしてから、オペラで彼に会った。ジラルダン[#原注]氏のさじき[#「さじき」に傍点]席で立ちあがって、「独領ライン」を歌うことを求め、それをまだ知らない歌手に、『じゃあ、独領ラインを取るより覚えるほうが時間がかかるだろうよ!……』と叫んでいた。  やがて、まるで悪魔にでも取りつかれたようになった。至るところ、四つ角《かど》、大通りで、いつも腰掛けやテーブルに乗っかり、太鼓の音、ひるがえる旗、「マルセイエーズ」の歌の中で、出征する兵士たちにたばこを分かち、野戦病院の一行に手をたたき、興奮した顔で群衆を指揮する、あの気ちがいじみたショーヴァンの姿が見られた。パリに六百万人のショーヴァンが居るのかと思えたほど、騒々しく、ほえ立て、わめき散らす。本当に、このたえられない幻想から逃《のが》れるためには、自分の家にこもって戸と窓を閉《し》めなければならなかった……  しかし、ヴィッセンブルクの敗戦、フォルバッハの敗戦に続いて、後から後から不幸が起こって、あの寂しい八月を長い長い休みない悪夢、熱ばんだ重苦しい夏の悪夢としてしまっては、もうじっとしてはいられなかった! 一晩じゅうガス燈の下にぼんやりと逆上した顔を動かしながら、戦報や公告へと走る激しい不安にかられた人たちの群れに身を投じないでいられたろうか? そういう晩にもまた私はショーヴァンに会った。彼は大通りへ出かけて、こちらの一団、あちらの一団と、黙っている群衆の中で、希望に満ちながら、吉報をながながと述べて、どんな事があっても成功を確信し、何十回も続けざまに『ビスマルクの白胸甲騎兵は最後の一人までやっつけられた……』と繰り返した。  不思議なことには、もうショーヴァンは、私にはそんなにおかしくは見えなかった。私は彼の言うことを一言も信じなかった。しかし、そんなことはどうでも良いので、彼の言葉を聞くのが快かった。事実に対して盲目的なことや激しい高慢さや無智と一しょに、このすさまじい人間の中に、ある激しい、しっかりした力が感ぜられた。まるで、人々の魂を暖める体《からだ》の中の炎のような。  包囲された長い月日、犬しか食べないようなパンや、馬の肉で飢《う》えをしのいだ恐ろしい冬に、私たちはこの熱が必要だった。パリジアンはだれだってこう言える、『ショーヴァンがいなかったらパリは一週間と保《も》たなかったろう』と。開戦のはじめからトロシュ将軍[#原注]は、『彼らプロシア人は入りたい時に入って来るだろう』と、言っていた。 『彼らは入らないだろう』とショーヴァンは言っていた。ショーヴァンは信念を抱《いだ》いていたのだ。トロシュにはそれがなかった。ショーヴァンは何でも信じた。彼は、公表もバゼーヌ将軍も反撃も信頼した。毎夜彼は、エタンプの方面にシャンジイ将軍の大砲を聞き、アンガンの向こうにフェデルブ将軍の率いるそ[#「そ」に傍点]撃歩兵の銃声を聞いた。そして、いちばん不思議なのは、私たちもそれを聞いたことだ。それほど愚直な英雄の魂は、われわれのあいだに広まっていた。  善良なショーヴァン!  黄色く低い、雪を含んだ空に、伝書ばと[#「ばと」に傍点]の小さな白い翼を最初に認めるのは、いつも彼だった。ガンベッタ[#原注]が私たちに誇大もう想的雄弁の一つを送った時、よく響く声で、それを役所の入口で披露したのはショーヴァンだった。十二月の寒い夜、市民の長い列が、肉屋の前で震えながら待っていると、ショーヴァンも勇ましく列に並ぶ。彼のお蔭で、飢《う》えた人たちは、なお笑い、歌い、雪の中でロンドを踊る力を見出すのだった…… 『ル、ロン、ラ、通せ、プロシア人をロレーヌへ』とショーヴァンが歌い出す。すると周囲《まわり》の者が木ぐつをガタガタ鳴らして調子を取り、毛糸のずきんの下で哀れな青ざめた顔がちょっとのあいだ健康な色になる。ああ! だが、これもみんなむだなことだった。ある晩、ドルオ街の前を通ると、心配そうな一団が、役所のまわりに黙って押し合っていた。そしてこの、車も通らず光も点《とも》らぬ広いパリに、ショーヴァンの声が厳《おごそ》かに広がってくるのが聞こえた。『おれたちはモントルトゥーの高台を占領するぞ』一週間の後、パリは落ちた。  この時以来、ショーヴァンはもう私の前には、ただ長いあいだを置いてだけしか現われなかった。二、三度私は彼が大通りで、体《からだ》を振り動かして、復しゅうについて語っているのを見た――やっぱりrを響かせている。しかしだれも彼の言うことに耳を傾けない。道楽者のパリはまた歓楽にふけりたいと切望し、労働者のパリは怒りをたたえている。かわいそうなショーヴァンがいくら腕を振りまわしても、人々は集まる代りに、彼が近づくと散ってしまった。  ある人たちは『うるさいやつ』と言った。  他の者は『スパイ!』と言った…… そして、暴動の日が来た。赤旗、コミューヌ、蛮人の掌中に落ちたパリ。ショーヴァンは疑いを受け、自分の家《うち》から出られなかった。しかし、円柱襲撃《デプロナージュ》[#原注]の日、彼はヴァンドームの広場の片すみにいたに違いない。群衆の中に紛れているらしかった。彼の姿も見ないで、無頼の徒が彼をののしった。 『おーい、ショーヴァン!……』と彼らは叫んだ。そして、柱が倒れた時、参謀本部の窓のところでシャンパンを飲んでいたプロシアの士官たちは『あっはっはっは、ショーヴァン君』とあざ笑いながら、コップを上げた。  五月二十三日まで、ショーヴァンは生死不明だった。穴倉の奥にうずくまって、不幸な男は、フランスの弾丸がパリの屋根の上をうなるのを聞いてがっかりした。とうとうある日、砲戦と砲戦とのあいだに、彼は足を外へ運んで見た。往来はだれもいなくて広々と見えた。一方には、バリケードが大砲や赤旗を並べて、おどかすように立っていた。別の端には、二人の小さなヴァンセーヌの猟兵が壁に沿って、背中を曲《ま》げ、銃を突き出して進んで来た。ヴェルサイユの兵隊がパリに入って来たところだった……  ショーヴァンの胸は高鳴った。『フランス万歳!』彼は兵士の前に躍《おど》り出て叫んだ。彼の声は腹背に起こった銃火の中に消えた。情けない誤解から、不幸な男は両方の人から恨みを受けたのだった。彼らは互にねらいを定めて彼を殺した。敷石のはがれた道の真中を彼が転《ころ》がるのが見られた。そして、彼は二日間、腕を広げ、力のない顔でそこに倒れていた。  こうして、内戦の犠牲となってショーヴァンは死んだ。これが最後の祖国を熱愛するフランス人だった。 [#改ページ] [#4字下げ]アルザス! アルザス![#「アルザス! アルザス!」は中見出し]  数年前私はアルザスへ旅をした。今では楽しい思い出の一つとなっている。それはあの、レールや電線できれぎれにされた土地の幻影しか頭に残らぬ無味乾燥な鉄道旅行ではない。袋を背負いしっかりしたつえ[#「つえ」に傍点]を持ってあまりおしゃべりでない友と二人の徒歩の旅だ…… なんという楽しい旅! こうして見たことのなんといつまでも記憶に残ることよ!  ことにアルザスに壁ができた[#原注]今では、あのすばらしい田園を、あちらこちら駆けまわって得た思いがけない風致と一しょに、このフランスが失った土地の昔の様々な印象が生き返ってくる。太陽をいっぱいに浴びた平和な村に、大きな緑のカーテンのように森が立ちふさがり、山の曲り角《かど》では鐘楼や流れにまたがった工場、木《こ》びき場、水車、見なれぬ派手《はで》な服装《いでたち》がとつぜん草原のすがすがしい緑の中から飛び出す……  私たちは毎朝夜明けに起きるのだった。 『だんな!…… だんな!…… 四時ですよ!』と宿の男が叫ぶ。大急ぎで床から飛びおりて袋の口を閉《し》め、手探りでガタガタする危《あぶな》っかしい小さな木の階段を降りる。出かける前に下の宿の大きな台所で桜酒《キルシュ》を一杯やる。そこには早くから火が燃やされて、ぶどうづる[#「ぶどうづる」に傍点]のパチパチいうのが霧やぬれた窓ガラスを思わせる。やがて出発!  初めのあいだはなかなかつらい。この時刻には前夜の疲れがすっかり出てくる。目にも空気にもまだ眠そうなところがある。しかし、次第々々に太陽の光を受けて、冷たい露は散り、霧は消えてしまう…… どんどん歩く…… 暑さがあまり重苦しくなった時には私たちは泉のほとり、小川の傍《そば》で足を止め昼飯を食べる。そして、水の流れを聞きながら草の中で眠る。弾丸のように音を立ててわきをかすめ飛ぶ、大きな山ばち[#「ばち」に傍点]で目がさめる…… 暑さが陰《かげ》るとまた出かける。やがて陽《ひ》は傾き、次第々々に道は短くなる。泊まりの地を求め宿を探す。あるいは旅館の寝床に、あるいは開いた納屋に、あるいは野天のうす高く積んだわら[#「わら」に傍点]の下に、ぐったりと横になる。大空の下では、小鳥のさえずり、木の葉の下の虫のうごめき、軽い跳躍、静かな飛躍、激しい疲労の時には夢の始まりかと思える夜の音を耳にしながら、へとへとになって眠る……  間を置いて道のほとりに出会うこの美しいアルザスの村々は、なんという名まえだったろう? もう今はどの名まえも思いだせないが、しかし、どの村もみんなよく似ていた。ことに上《オー》ラインでは、いろいろの時に数多くの村を通ったのだが、たった一つしか見なかったように思われるのだ。広い通り、鉛で縁取った、ウブロンとばら[#「ばら」に傍点]で飾られた小さな焼絵のガラス窓、老人たちが寄り掛かって大きなパイプをふかし、女たちが往来にいる子どもを呼ぶために体《からだ》をもたせかける格子《こうし》がき[#「がき」に傍点]の戸…… 朝通るとみんな眠っている。わずかに、牛舎のわら[#「わら」に傍点]が動き、戸の下で犬が息をはずませているのが聞こえる。八キロばかり行くと、村は目をさます。戸の開く音、つるべ[#「つるべ」に傍点]がぶつかり、水かさの豊かな小川は音を立てている。雌牛は長い尾ではえ[#「はえ」に傍点]を追いながら、もの憂《う》そうに水飲み場へ行く。もっと遠くでは、相変らず同じような村だが、静まり返った夏の午後に、山荘の頂まではい上っている枝に沿ってのぼるみつばち[#「みつばち」に傍点]のうなり声と、学校から聞こえる単調な朗読の声ばかり。ときどき、村のずっと端、村の片ほとりというより、むしろ田舎《いなか》の片すみに、ごく新しいキラキラ光る保険の看板を掛けた三階建の白い家があったり、公証人の紋章や医者の呼鈴が目に付く。ピアノがワルツをひいているのが通りがかりに聞こえる。古めかしい曲が緑のよろい戸[#「よろい戸」に傍点]からもれて夕日を浴びた道へ流れ出る。もっとおそく黄昏時《たそがれどき》には、家畜が小屋に戻り、人々は製糸工場から帰る。たくさんの音と動き。みんな戸口に出ている。金髪《ブロンド》の子どもの群れは往来にいる。どこからどう来るのか分からないが、赤い赤い入日で窓ガラスが燃える……  今でも楽しく思い出されるのは、日曜の朝、礼拝時のアルザスの村だ。往来は人影もなく、家の中はからっぽで、戸口で日向《ひなた》ぼっこをしている老人がいるばかり。教会はいっぱいの人で、昼日中《ひるひなか》に点《とも》されたろうそく[#「ろうそく」に傍点]のきれいなばら[#「ばら」に傍点]色の弱々しい色調で彩《いろど》られた焼絵のガラス。通りがかりに思い出したように聞こえてくる単調な歌、そして、帽子もかぶらず、手に香ろをささげてパン屋へ火を取りに、素早く広場を横ぎる真赤な法衣を着た合唱隊の子ども……  またある時は、私たちは何日も村へ入らずに過ごした。私たちは伐採林《タイイ》や木の茂った道、ライン河を縁取る小さな貧しい森を捜した。森の中ではラインの美しい緑の水が、こん虫のブンブンいう沼のすみに隠れてしまう。ところどころ、枝の細かな網を通して、この大河が、島で伐《き》った草類をいっぱい積んで、まるで流れに運ばれる点々とした小島のように見える丸木舟やいかだをのせた姿を私たちに現わす。次ぎには、ローヌからラインへの運河。両岸はずっとポプラが植わって、狭い両岸にすっかり封じ込まれたような仲むつまじい水へ、緑の先を映《うつ》している。あちらこちら、土手の上にせき守《もり》の小屋があり、せきの水門の上を、子どもがはだしで駆っている。そしてあわ[#「あわ」に傍点]のほとばしり出る中を、大きないかだ[#「いかだ」に傍点]が、静かに運河いっぱいに広がって進んで行く。  その後で、私たちはかなり曲りくねった道をぶらぶらと歩いてから、さわやかな陰を作るくるみ[#「くるみ」に傍点]の植わったまっすぐに白い大きな道を、再び取るのだった。その道は、右手にヴォージュの連山を、左手にシュヴァルツヴァルトを見て、バールのほうへ登って行く。  ああ! 七月の太陽の重苦しく輝く日に、バールへの道のほとりで、くぼ地の乾《かわ》いた草の中でながながと寝そべって、こちらの畑からあちらの畑へと互に呼び合うしゃこ[#「しゃこ」に傍点]の声を聞き、頭の上をいやになるほど長くのびている街道、憂うつに続いて見える大きな道を見ながら取る快い休息。車引きの叫び声、鈴の音、車の心棒の音、石を割る人のつるはしの音、走っているがちょう[#「がちょう」に傍点]の大群を驚かす憲兵の忙しそうな駆け足、大荷物を背負って、へとへとに疲れた行商人、そして、赤の飾りひものついた青いうわっぱり[#「うわっぱり」に傍点]を着た配達人が不意に大通りを捨てて、村落、農家、人里離れた生活といった気分をたたえた、両側に野生植物のかきをめぐらす小道へ入り込む……  そして、この徒歩旅行の思いがけない美しさ、短いと思うと案外長い道、野原のまっただなかへ出てしまう車の輪や馬のひづめが作った迷路、開こうとしないつんぼのような戸口、満員の宿屋、それから夕立、野原や羊の毛や羊飼いの外とうにまで湯気を立てさせる暑い空気の中で、たちまち蒸発するあの夏の日の心地よい夕立。  こんなふうに、バロンダルザスから下る途中で、森を通りながら不意に襲われた、恐ろしいあらしを思い出す。山上の宿屋を離れた時、雲は私たちより下にあった。もみの頂が雲を貫いていた。しかし、下《お》りるに従って、私たちはいやおうなしに風の中、雨の中、あられの中へ入った。やがて、私たちは稲妻の網にひっかかり、とらえられた。私たちのすぐ近くで、もみの木が雷に撃たれて倒れた。そして、段の付いた小道を駆けおりるあいだに、私たちはザアザア流れ落ちる水の幕を通して、岩陰に雨を避けている少女の一団を見た。恐怖にとらわれて互に体《からだ》を寄せ合い、両手でさらさの前掛けと、摘みたての黒いミルチーユが入った柳の小かごを持っていた。果物《くだもの》は光り輝き、岩の奥から私たちを見る黒い小さな目も、ぬれたミルチーユに似ていた。斜面に伸びた大きなもみの木、この雷鳴、このぼろ[#「ぼろ」に傍点]をまとった愛すべき森の小さな放浪者、シュミット師[#原注]の話にでもありそうだ……  しかし、ルージュグットへ来たとき、またなんという心地よい火だったろう! 着物を乾《かわ》かすのになんという気持の良いだん[#「だん」に傍点]炉の火、その間に、オムレツ、お菓子のようにパリパリした金色のアルザス独特のオムレツが、炎の中で踊っている。  私が胸を打たれるようなことを見たのは、このあらしの翌日だった。  ダヌマリ街道の、かき根の角《かど》で、みごとな麦畑が雨とあられに打たれて傷つけられ、穂先を切られ、なぎ倒されて、折れた茎を四方へ向けて地上に交さしていた。重く実った穂は泥《どろ》の中で実をこき落され、空飛ぶ小鳥の群れはこの全滅の収穫を襲い、濡れたわら[#「わら」に傍点]のくぼみの間を飛びまわって、麦粒を周囲に飛ばしている。太陽の光り輝く澄んだ大空の下で行われるこうした略奪の惨めさよ…… 荒廃した畑の前に立った、やせた大きな、背中の曲った、古いアルザスふうの衣服をつけた百姓が、この有様を黙々と見守っている。面《おもて》には深刻な苦痛が表われていたが、また同時に何か忍従と平静、あるおぼろげな希望が見られた。それはあたかも、横たわった穂の下にある彼の土地はいつも変らず生き生きと肥えて忠実であり、土地がそこにあるかぎり失望落胆はすべきでないと彼は考えているようであった。 [#改ページ] [#4字下げ]隊商宿[#「隊商宿」は中見出し]  私がアルジェリアの隊商宿にはじめて足をふみ入れた時に感じた幻滅を思いだすと微笑《ほほえ》まずにはいられない。あの隊商宿《カラヴァンセライ》という美しい言葉、千一夜《アラビアンナイト》に描かれたあの夢幻的な東方諸国が目もくらむばかりに織り混ぜてあるこの言葉は、私の想像の中に、アーチが幾つも横にあけられた長廊下や、つやぐすりをぬった陶器の敷石の上に、涼しげに繊細な噴水が憂うつ[#「うつ」に傍点]なしずく[#「しずく」に傍点]をたらしている、しゅろ[#「しゅろ」に傍点]の植わったモールふうの中庭を作りあげた。そのまわりでは、旅行者が上ぐつをはいてむしろ[#「むしろ」に傍点]の上に横たわり、露台のかげできせる[#「きせる」に傍点]をふかしている。そして、この静けさの中を、隊商の上にそそぐ暑い太陽の中を、じゃこうや、やけた皮や、ばら[#「ばら」に傍点]の香水や、金色のたばこの重くるしい香《かお》りが立ちのぼっている……  言葉というものは、いつも実際の物より詩的なものである。私の想像していた隊商宿の代りに私が見たのは、パリ付近の古い宿屋のような、ひいらぎ[#「ひいらぎ」に傍点]の枝を看板につけ、玄関のわきには石の腰掛けがあり、中庭や、納屋や、穀物小屋や、うまや[#「うまや」に傍点]のたくさんにある、荷車引きの立寄所、駅馬車の宿、といった街道筋の宿屋だった。  アラビアンナイトの夢とはだいぶ距《へだた》りがある。しかし、この最初の幻滅がすぎると、私はすぐに、波のように青くかさなりあった一群の小丘が地平線に連なっている大きな野原の中央、アルジェーの町から四百キロもはなれた、この寂しいフランクふうの宿屋の魅力、絶景を感じた。一方は、田園詩ふうの東洋で、とうもろこし[#「とうもろこし」に傍点]の畑、きょうちくとう[#「きょうちくとう」に傍点]で縁取られた川、古い墓所の白い丸天井《まるてんじょう》があり、他方は、この旧約聖書ふうの風景の中に、欧州生活の騒音と、活気とをもたらす大道である。マダム・ションツの隊商宿におもしろい風変りな様子を与えるのは、この東洋と西洋との交錯、近代アルジェリアの一風景である。トレムセン行の馬車が、外とうやだちょう[#「だちょう」に傍点]の卵を山と背負《しょ》ったらくだ[#「らくだ」に傍点]がうずくまっている中を、この広い中庭へ入っていく光景が今なお目に見えるようだ。納屋の下では黒人がクスクスを作り、移住者は、本国から送ってきた新式のすき[#「すき」に傍点]の包みをほどいている。マルト島の人たちは麦のます[#「ます」に傍点]の上でカルタをもてあそんでいる。旅行者は車を下《お》り、馬が取り換えられる。中庭は大混雑だ。赤いマントをきたフランス騎兵が宿の女たちに乗馬芸を見せている。二人の憲兵が料理場の前に立ちどまって、あぶみ[#「あぶみ」に傍点]に足をかけたまま一杯飲んでいる。すみの方では、青いくつしたをはき、帽子をかぶったアルジェリアのユダヤ人が、市場の開くのを待つあいだ、毛織物の入った包みの上で眠っている。というわけは一週に二度アラビアの大市が、隊商宿の壁の外で開かれるのだ。  そういう日には、朝、窓を開《あ》けると、目の前に小さな天幕が雑然と並び、カビリー人の赤い帽子が、畑のひなげし[#「ひなげし」に傍点]のように輝いていて、まるで騒がしい、色のついた大波のようだ。夕方まで、叫ぶ声、争う声、日向《ひなた》にむらがる人々の群れ。日が暮れると天幕が畳まれ、人も馬もみんな姿を消し、光とともに去ってしまう。まるで、太陽が光線と一しょに運び去る渦巻くほこり[#「ほこり」に傍点]のようだ。丘には人影がなくなり、野原は再び静かになって、東洋のたそがれが、シャボン玉のようにたちまち消えるにじ[#「にじ」に傍点]色に彩《いろど》られて、空中をすぎ去る…… 十分間ほど、空間はすべてばら[#「ばら」に傍点]色となる。思いだすが、隊商宿の入口に古井戸があって、その欠けた縁がばら[#「ばら」に傍点]色の大理石に見えるほど、西日にすっかり包まれる。つるべ[#「つるべ」に傍点]は炎を運んでくるようで、綱は火のしずく[#「しずく」に傍点]をたらしている……  次第にこの美しい紅玉色は消えていって、憂うつな薄紫色に変わる。そして、その紫色が次第に暗くなりながら広がっていく。ぼんやりとかすかな音が広い平原の端まで伝わる。そして、とつぜん、暗黒の中、沈黙の中に、アフリカの夜の野性の音楽が起こる。こうのとり[#「こうのとり」に傍点]の狂おしい鳴き声、やまいぬ[#「やまいぬ」に傍点]やはいえな[#「はいえな」に傍点]の叫び声、そして、遠くあちらこちらに聞こえる微《かす》かな、厳《おごそ》かにさえ感ぜられるほえ声が、うまや[#「うまや」に傍点]の馬や、中庭の納屋の下のらくだ[#「らくだ」に傍点]を身震いさせる……  ああ! この暗黒の波から震える体《からだ》を引き出して、隊商宿の食堂に下《お》り、そこに笑いと、熱と、光と、あのフランスふうの立派な新しい布ときれいなガラス器を見るのはどんなに愉快だったろう! そこにはわれわれを歓迎するために、古きミュルーズ[#原注]の名花ションツ夫人と、美しいションツ嬢がいた。嬢の少し日焼けした花のようなほお[#「ほお」に傍点]や、黒いヴェールのついたアルザスの帽子は、ギュブヴィレールやルージュグットの野ばら[#「ばら」に傍点]にも似て、ちょう[#「ちょう」に傍点]でもとまりそうだ…… 娘の目のためか、母親が食後に注いでくれるシャンパン酒のようなあわ立つ金色のアルザスの酒のためか分からないが、とにかく、隊商宿の食事は南方の部隊には大評判だった…… 空色の軍服を着た士官たちが、飾りひもや胸章でいっぱいの騎兵の上着をつけた士官と並んで、そこへ詰めかける。夜おそくまで、燈火が大きな宿屋のガラスの窓を照らす。  食事が終ると、食卓はかたづけられ、二十年も前から、そこに眠っていると思われる、古ピアノが開かれ、フランスの歌が歌われだす。あるいはまたラウテルバッハ[#原注]か何かで、若いヴェルテルが袋を腰につけたまま、ションツ嬢にワルツを一曲踊らせる。軍人式のこの少々騒がしい陽気さに包まれて、飾りひもや、大きな剣や、小さな杯の触れあう音の中に流れているもの憂《う》い音楽、ワルツの旋回に乗ってひそかにときめく二つの胸、楽の終りとともに消える永遠の誓い、およそこのくらい美しいものは想像もできまい。  ときどき、夕方、隊商宿の大きな入口が左右に開かれて、馬が中庭で足踏みをする。自分の傍女《そばめ》たちに退屈した近くの土人の首領が、西欧の生活に触れ、キリスト教徒のピアノを聞き、フランスの酒を飲みに来る。ただ一滴の酒ものろいあれ、とマホメットはコーランの中で言った。しかし、このおきてと妥協の方法はあるのだ。一杯注いでもらうごとに、彼は飲む前に指先に一滴つけて、もったいぶって、それを振り落し、そして、一度こののろいの一滴が払いのけられると、彼は何の後悔もなく、残りを飲んでしまう。そして、音楽と光に酔ったこのアラビア人は外とうにくるまって地上に横たわり、だまって白い歯を見せて笑い、そしてひとみを輝かして、ワルツの円舞に目を注ぐ。  ……ああ! 今ションツ嬢のワルツの相手はどこにいるのだ? 空色の軍服、はち[#「はち」に傍点]のようような姿の美しい軽騎兵はどこにいる? ヴィッセンブルグのホップ畑の中か、グラヴロットのいわおおぎ[#「いわおおぎ」に傍点]の中か?…… だれももうマダム・ションツの隊商宿にアルザスの酒を飲みにくるものはない。二人の女は、アラビア人に手向かって、焼かれる隊商宿を守りながら、銃を手にして死んでしまった。あれほど栄えた昔の宿からは、壁だけが――建物の大きな骨組が――すっかり焼けただれて残っている。やまいぬ[#「やまいぬ」に傍点]が中庭をうろついている。あちらこちらに、うまや[#「うまや」に傍点]の端だとか炎を免かれた納屋が、生命の幻のように立っている。そして、風が、二年前から哀れな我がフランスの上を、ライン河のほとりからラグアまで、またザール河からサハラまで吹いている不吉な風が、嘆息《ためいき》を載《の》せてこの廃きょの中を通り、悲しげに戸をを鳴らしている。 [#改ページ] [#4字下げ]八月十五日の叙勲者[#「八月十五日の叙勲者」は中見出し]  ある晩、アルジェリアで、猟の一日も終ったころ、オルレアンスヴィルから十数キロのシェリフの原で激しいあらしに出会った。村も隊商宿も影さえ見えない。見渡すかぎり背の低いしゅろ[#「しゅろ」に傍点]と、乳香樹の茂みと、広い耕地があるばかり。その上、夕立で水量を増したシェリフ川はびっくりするほど大きな音をたてはじめ、私は一晩、水沼の中で過ごす危険にさらされた。幸いに同行のミリアナの役場の民間通訳者が、すぐ近くに、土地のくぼみに隠れた一種族があることを思いだし、その首領を知っていたので、私たちは一夜の情《なさけ》を求めに行く決心をした。  平野にあるアラビアの村は、すっかりしゃぼてん[#「しゃぼてん」に傍点]の中に埋まり、乾燥した土地にある小屋は地面とまったくすれすれに建てられているので、私たちはそれと気がつかぬ前にもう村落の中に入っていた。ひっそりしているのは時間が遅《おそ》いからか、それとも雨のためだろうか?…… しかしこの土地は私には非常に寂しく、そして息の根の止まるような不安に襲われているように思われた。畑では至るところ収穫《とりいれ》が放りっぱなしになっていた。他のところではどこでも刈ってしまった小麦だの大麦だのが、ここでは横に倒されたままその場で腐りかけている。さびたくわ[#「くわ」に傍点]やすき[#「すき」に傍点]が雨の中に捨て忘れてある。種族全体に同じように打ち捨てられたような寂しさと無関心が見える。ただわずかに、私たちが近づいたので犬がほえるくらいだ。ときどき小屋の奥で子どもの泣き声が聞こえ、茂みの中にいたずら小僧の坊主頭だとか老人の穴のあいた帽子が通るのが見える。あちらこちらで小さなろば[#「ろば」に傍点]が茂みの陰で寒さに震えている。しかし馬一匹、人一人いない…… まるで大戦の時のようで、数ヶ月前から騎兵は全部出かけている。  白壁造りで窓のない長い農家に似た将軍の家も、他のものと同じように元気がない。うまや[#「うまや」に傍点]を見たが戸が開いていて、馬室もまぐさおけ[#「まぐさおけ」に傍点]もからっぽで、馬を迎えるうまや[#「うまや」に傍点]番もいない。 『モールのカフェーを見に行こう』と連れが言った。  モールのカフェーというのはアラビアの城主の応接間のようなものである。邸内に通りがかりの客のために用意された一室があって、そこでていねいで愛想のよい善良なマホメット教徒たちは法の命ずる家内の和合を守りながらも、歓待の美徳を行う手段を見出している。シ・スリマン将軍のモール・カフェーはうまや[#「うまや」に傍点]のように戸が開いていて、静かだった。石灰塗りの高い壁、ぶんどりの武器、だちょう[#「だちょう」に傍点]の羽根、室の周囲に置かれた幅広く背の低い長いす[#「いす」に傍点]などが、風のために戸口から吹き込む大雨でしずく[#「しずく」に傍点]をたらしている…… しかしカフェーには人がいた。まずカフェーの主人、ぼろ[#「ぼろ」に傍点]をまとったカビール人で、ひっくりかえった七輪の近くに、ひざ[#ひざ」に傍点]のあいだに頭を垂《た》れてうずくまっている。それから将軍の息子《むすこ》、熱に浮かされたような青白い顔の美少年で、黒い外とうにくるまって長いす[#「いす」に傍点]の上に休んでいる。二頭の大きな猟犬《レヴリエ》が足下にいる。  私たちが部屋に入っても何も動かない。ただわずかに、猟犬《レヴリエ》の一頭が頭をゆすぶり、息子《むすこ》が私たちのほうへ熱ばんだ疲れはてた美しい黒い目を向けてくれたばかり。 『でシ・スリマンは?』と通訳者が尋ねた。  カフェーの主人は頭の上に手をやってぼんやりと遠い遠い地平線のかなたを示した…… 私たちはシ・スリマンが何か大旅行をするために出かけていることが分かった。しかし雨のために私たちは再び歩きだすことができなかったので、通訳は将軍の息子《むすこ》に話しかけ、アラビア語で、私たちは彼の父親の友人であることや、私たちを翌日まで泊めてもらいたいことを話した。子どもは熱がひどくて苦しいにもかかわらずすぐと立ちあがって、主人に命令を下した。そして私たちに、『あなたがたはお客様でございます』とでもいうようにていねいに長いす[#「いす」に傍点]を示しながら、アラビアふうに頭を下げ、指先でキッスを投げてあいさつをした。そして誇らかに外とうで身を包んで、将軍らしく、また家の主人らしい重々しさで表へ出ていった。  彼の出たあとで、カフェーの主人は七輪に火をおこして、その上に二つの小さな湯沸しをのせた。彼が私たちにコーヒーを用意してくれているあいだに、私たちは彼から主人の旅行と、この部族がふしぎにも顧みられないことについて、詳しい話を聞くことができた。カビール人は口早に話した。年をとった女のような身ぶりをして、耳ざわりのよいのど[#「のど」に傍点]から出る言葉で、あるいは早く、あるいは長い沈黙に話をきった。彼が黙っていると、雨が内庭のモザイックの上に落ち、湯沸しがたぎり、何千頭と原っぱに散っているやまいぬ[#「やまいぬ」に傍点]の叫び声が聞こえた。  きのどくなシ・スリマンに起こったことというのはこうである。今から四月ばかり前、八月の十五日に、彼は非常に前から待たされていたあの有名なレジヨン・ドヌール勲章[#原注]をもらったのだった。地方の将軍でまだそれを持っていないのは彼ただ一人であった。他の仲間はみんなシュヴァリエかオフィシエであった。中でも二、三人は上着の囲りに大きなコマンドゥールの飾りひもを付けていて、私がたびたび大将軍ブアレムがやるのを見たように、ごく無邪気にそれではな[#「はな」に傍点]をかんでいた。それまでシ・スリマンの叙勲を妨げていたのは、ブイヨット[#原注]の勝負の結果アラビアの事務所の彼の首領とけんか[#「けんか」に傍点]をしたことだ。アルジェリアにおける軍人の団結心はたいしたもので、もう十年も前から申告名簿に将軍の名がのっていながら採用されなかったくらいである。こうした次第で八月十五日の朝、オルレアンスヴィルからの騎兵が彼に勲章着用の許可証と一しょに小さな金色の箱を持って来た時、そして彼の四人の女たちの中でいちばん彼が愛しているバイアから、らくだ[#「らくだ」に傍点]の毛の上着の上にフランスの勲章を付けてもらったその時の、善良なシ・スリマンの喜びはいかばかりだったろう。彼の部族に取っては、いつ尽きるとも見えぬ招宴と騎芸の機会であった。一晩じゅう太鼓とあし[#「あし」に傍点]笛が鳴り響いた。踊りがあり、お祝いの火が燃え、どれほど羊が殺されたことだろう。そしてお祭りを申し分のないものにするため、有名なジャンデル[#原注]の即興詩人がシ・スリマンのためにすばらしい歌謡を作った。それはこんなふうに始まっている。「風よ、吉報をもたらすために馬を用意せよ……」  翌日夜明けに、シ・スリマンはその部族の全軍を召集して、騎兵たちと一しょに総督に謝意を表するためにアルジェーに出かけて行った。町の城門のところで兵士たちは習慣に従って立ちどまった。将軍は一人で総督の館《やかた》に行き、マラコフ公しゃくに会い、彼がフランスになした貢献を東洋ふうの華麗な言葉で強く物語った。二千年も前から若人はみんなしゅろ[#「しゅろ」に傍点]の木に比べられ、女たちはかもしか[#「かもしか」に傍点]にたとえられるという比諭的なものである。そしてお勤めがすむと町の高所に姿を現わし、その途中回教の寺院に礼拝をし、また貧乏人に金をまき散らし、床屋に入り刺しゅう屋に行き、女たちには香水や花や枝葉模様の絹地、息子《むすこ》には金のひもで飾りたてた青い胸甲《むねあて》と騎兵用の赤い長ぐつを、値切りもせずに買い求め、その喜びを大尽振りで見せていた。市場では、スミルナ産の毛《もう》せん[#「せん」に傍点]の上にすわり、彼に喜びを述べるモールの商人の戸口でコーヒーを飲んでいる姿が見られた。彼の周囲《まわり》では群衆が珍しげにひしめいていた。こんな声が聞こえた。『あれがシ・スリマンだ…… 皇帝様が勲章を送られたのだ』そして風呂から帰って来たモールの娘たちは、菓子をほおばりながら白粉《おしろい》を塗った顔をまわして、誇らかにつけられた新しいみごとな銀の勲章へ、しきりと感嘆の眼差《まなざし》を送っていた。ああ! 人には一生のうち、ときどきは幸福な瞬間があるものだ……  晩になって、シ・スリマンが兵士たちのところへ帰ろうとして、すでにあぶみに足をかけたところへ役所からの使いが息を切らして駆けつけた。 『ここにいたのか、シ・スリマン、方々捜しましたよ…… 早く来てくれ、総督が君にお話があるそうだ!』  シ・スリマンは何の不安もなく彼に従った。しかし、宮殿のモールふうの大広場を横ぎる時、アラビア役場の頭《かしら》に出会うと、この男は彼にいやな笑いかたをした。敵からのこの微笑は彼を恐れさせた。そして震えながら総督の客間に入った。元帥はいす[#「いす」に傍点]に馬乗りになって彼を迎え、 『シ・スリマン、』といつもの荒々しさで、周囲《まわり》の者を恐れさす有名な鼻声で言った。『シ・スリマン、いいかね、私は残念に思うが…… 間違いがあったのだ…… 勲章は君にやろうとしたのではない。ズグズグ[#「ズグズグ」に傍点]のしゅう長だ…… 君の勲章は返さなくてはならない』  将軍の黒ずんだ顔は鉄工場の火の傍《そば》へ持って行ったように赤くなった。けいれん的な発作《ほっさ》がその大きな体《からだ》を揺すった。目がキラキラと輝いた…… しかし電光のようなものに過ぎなかった。ほとんど同時に目を伏せて、総督の前に身をかがめた。 『あなたは主人です。閣下』と言って、胸から勲章を引きむしって、卓の上に置いた。彼の手は震えていた。長いまつ[#「まつ」に傍点]毛の端に涙がたまっていた。老ペリシエはこの様子を見て感動し、 『さ、さ、まあ君、来年は大丈夫だよ』  そして彼はおとなしい子どものように将軍のほうへ手を差し出した。  将軍はその手を見ないふりをして、黙っておじぎをして出て行った。彼は元帥の約束がどんなものか知っていた。そして役場の陰謀によって、いつまでも不名誉な目に会うことが分かっていた。  彼の不面目《ふめんぼく》のうわさははやくも町じゅうに広がっていた。ババズン通りのユダヤ人たちは彼の通るのを冷笑しつつながめた。モールの商人たちは反対にきのどくそうに彼から遠ざかった。このあわれみの情が冷笑よりもいっそう彼の心を傷《いた》めた。彼は壁に沿って、できるだけ暗い小道を求めながら歩いて行った。勲章をむしり取ったあとのところが、口を開《あ》いた傷口のように激しく痛んだ。彼は絶えずこう考えた。 『部下の騎兵たちは何と言うだろう? 女たちはどう言うだろう?』  そう思うと彼は怒りの衝動に駆られた。いつも火事と戦争で真赤に燃えているあのモロッコの国境地方で聖戦を交じえようかと考えてみた。あるいはまた、部下の兵士たちの先頭に立ってアルジェーの市中を駆けまわって、ユダヤ人を略奪し、キリスト教徒を虐殺し、そしてこの大混乱の中で倒れようかとも思った。そうしたら彼の恥は隠せるだろう。どれも彼には部族へ帰るよりもむしろ可能なことに思われた…… とつぜん、この復しゅうの計画中に、皇帝という考えが光のように頭の中にひらめいた。  皇帝!…… シ・スリマンにとって、他のすべてのアラビア人と同様に、正義と力の観念はこのただ一つの言葉に尽されていた。それは転落のマホメット教徒の真の首領であった。もう一人のスタンブールの頭《かしら》は、遠くからは観念的な存在、もはや霊的な力しか持っていない目に見えぬ一種の法王のように思われた。そして今の時代においてはその勢力のほどは知れたものなのである。  しかし皇帝は大きな大砲、兵士、鉄の軍艦を持っている!…… 皇帝のことを思うとすぐにシ・スリマンは救われたと思った。必ず皇帝は勲章を返してくれるだろう。一週間の旅行でかたづく。そう思い込んでいたので、兵士たちをアルジェーの城門で待たせることにした。翌日船は、メッカへお参りする時のように一心な、心安らかな彼をパリへと運び去った。  きのどくなシ・スリマン! 出かけてから四ヵ月にもなるが、彼が女たちに送った手紙にもまだ帰りのことは書いてなかった。四ヵ月前から、きのどくな将軍は毎日毎日官省を走りまわってパリの霧の中に迷っていた。彼は至るところでひやかされ、フランス政府のあきれるばかりのごたごた[#「ごたごた」に傍点]に引掛かり、役所から役所へと送り返され、玄関の木箱の上で着物を汚《よご》しながら、決して許されることのない会見を待ちわびているのだった。そして夕方は、威厳を保とうとするためにおかしく見える長い悲しそうな顔をして、安宿の帳場でかぎ[#「かぎ」に傍点]を待っている姿が見られた。彼は歩き疲れ、奔走に疲れて自分の部屋に上がって行ったが、しかしいつも誇りを失わず希望を捨てず、名誉を追うかけ[#「かけ」に傍点]に負けた者のように躍起になっていた……  このあいだに、部下の騎兵たちはババズン門にうずくまって、東洋的な運命観で彼を待っていた。杭につながれた馬は海の方を向いていなないていた。部族においてはすべてのことが中断されていた。収穫はだれも働く者がないのでたちまち腐ってしまった。女も子どももパリの方に頭を向けて日を数えていた。そして、この赤いリボンの端には既にどれほどの望みと不安と破滅とが連なっていたことか、思いやるさえ哀れであった…… いつになったらみんなかたがつくだろうか? 『神様だけがご存知ですよ』とカフェーの主人は嘆息《ためいき》をつきながら言った。そして紫色の悲しげな原へ向かって、少し開いた戸から、彼の裸の腕は私たちに、ぬれた夜空に上る白い半月を差すのだった…… [#改ページ] [#4字下げ]私の軍帽[#「私の軍帽」は中見出し]  戸だなの奥に忘れられ、ほこり[#「ほこり」に傍点]で色があせ、縁がぼろぼろになり、文字の金具がさびついて、色もなければ、ほとんど形もないやつを今朝《けさ》見つけだした。それを見ると笑わずにはいられなかった…… 『おやおや! こりゃ私の軍帽だ……』  そして、すぐに、私はあの日のことを思い出した。明るい太陽と熱情に燃える晩秋の一日だった。町の大隊に加わって市民兵としての義務を果そうと、新しい帽子をかぶり大いばりで、銃を窓ガラスにぶっつけながら往来へ出て行った。本当に! 私に向かって、おまえはパリを救いに行くんではないとか、おまえ一人でフランスを救いだすのではないとか、言う者があったら、そいつはきっと、おなかの真中に、私の銃剣をぐさっ[#「ぐさっ」に傍点]と見舞われるような目にあったろう……  この国民兵は非常な信用があった! 公園で、広場で、大通りで、四つつじ[#「つじ」に傍点]で、兵士たちは並んで番号をつけた。軍服の間にうわっぱり[#「うわっぱり」に傍点]が並び、軍帽の間に普通の帽子が交じっていた。なにしろ急ごしらえだったのだから。私たち本物の兵士でないものは、毎朝、霧の立ちこめた、冷たい風の流れる低いアーケードや、大きな戸口の前の広場に集まった。風変りなじゅず[#「じゅず」に傍点]玉のようにいろいろの名まえが順々に呼ばれていく。点呼がすむと練兵が始まる。ひじを体《からだ》にぴったり当てて口を堅く結んで各部隊は駆け足で進む。左、右! 左、右! そしてみんなが、大きい者も、小さい者も、もったいぶった者も、病弱な者も、アンビギュ劇場の役者をまねて軍服を着けた者も、聖歌合唱隊の子どものような様子の、幅の広い青い帯皮を締めて窮屈そうな童心の者も、私たちはみんな歩いた、熱心に、信念をもって、ささやかな広場をぐるぐるまわった。  あの大砲の強い低音《バス》がなかったら、何もかも、さぞ妙だったろう。この不断の伴奏は、気軽さとのどかさとをわれわれの練兵に与え、力なく引っぱる号令を強め、不体裁、不器用を和らげ、そして、この包囲されたパリという大メロドラマの中で、場面に感動を与えるために劇場で用いる舞台音楽の役割を勤めていたのだ。  いちばんすばらしかったのは保塁に上った時だった…… 霧の深い朝、七月円柱[#原注]の前を誇らかに通って軍隊式の礼をする自分の姿が見えるようだ。ささげ、銃《つつ》!…… 群衆のひしめきあったシャロンヌの長い通り、歩調のとりにくいつるつるな道路、そして、保塁に近づくと、突撃の曲を奏《かな》でる太鼓。ドドン!…… ドドン!…… 今でもそこにいるようだ…… パリのはずれ、広げた天幕と、露営の煙に活気づき、大砲のために穴があいた緑の斜面、そして、軍帽の端と銃剣の先だけを、積み重ねた土のう[#「のう」に傍点]の上に見せて、高いところを右往左往する豆のような兵士の姿など、どんなに心をひかれたことか。  ああ! 初めてやった私の夜番。やみ[#「やみ」に傍点]の中、雨の中を夢中に駆けまわったものだ。斥候は転《ころ》んだり、ぬれた斜面伝いに押しのけ合ったり、恐ろしく高いモントルイユの城門に、私を載《の》せたまま置き去りにした。あの晩はなんという嫌な天気だったろう! 町と野原に広がった大きな沈黙の中に、保塁の周《まわ》りを吹きすさんで、番兵の背中を曲《ま》げ、合言葉を運び去り、下の巡回の道筋にある古い街燈の板ガラスを鳴らす風の音しか聞こえなかった。しゃく[#「しゃく」に傍点]にさわる街燈だ! 私はいつも、プロシア兵の剣を引きずる音だと思った。そこで、私は立ちどまって、武器を上げて、だれだ! と口の中で言った…… にわかに雨が冷たくなった。パリの空は白んできた。塔や、丸屋根が浮かび出るのが見える。遠くをつじ[#「つじ」に傍点]馬車が通る。鐘が鳴る。巨大な町が目をさまして、朝の最初の身震いで周囲に少しばかり活気を振りまく。斜面の向こう側で雄鶏が鳴いた…… 脚下では、まだ暗い巡回道路を、足音が通りすぎる。鉄片《かなもの》の音がする。私が『止まれ! だれだ?』と、恐ろしい声を投げつけると、小さな、おどおどした震える声が霧の中を私の方へ上ってきた。 『コーヒー売りよ!』  仕方がない! その時は包囲の始めで、私たち何も知らぬ善良な国民軍は、プロシア兵が保塁の銃火を潜《くぐ》って城壁の下まで押し寄せ、はしごを掛けて、いつかは、どよめきと、暗がり[#「がり」に傍点]に動くたいまつ[#「たいまつ」に傍点]との中を、よじ登って来るだろうと想像していた…… こういう想像から、どんなにたびたび警報が発せられたかは言うまでもないこと…… ほとんど毎晩、『武器を取れ! 武器を取れ!』だった。急に目をさまし、組んだ銃を倒して、押し合いへし合う。驚いた士官たちは、自分たちを落ち着かせようと、私たちに『落ち着け! 落ち着け!』と叫ぶのだった。そして、夜が明けて、ふと見ると何ごとだ、畜生のあさましさで馬が一匹逃げだし、城壁を飛びはね、斜面の草を食べている。自分一人でプロシアの白胸甲騎兵隊となって、武装した保塁全部の目標となったなどとは夢にも思わずに……  こういうことをみんな、私の軍帽が思いださせてくれた。心を動かされたたくさんのこと、できごと、風景、ナンテール、ラ・クールヌーヴ、ル・ムーラン・サケ、それから勇猛な九十六連隊が最初にして最後の戦いをしたマルヌ河の美しい片ほとりなど。プロシア軍の砲台は我が軍の向かいで、小さな林の後の道のほとりに位し、枝の間から煙の見える静かな村落のようであった。士官たちがわれわれを置き忘れて行った鉄道線路の上は、体《からだ》を隠す何物もなく、弾丸は雨と降りそそいで、はげしい音を立て、不気味な火花を散らした…… ああ! 私の哀れな軍帽、おまえはあの日、あまり勇ましくはなかった。そして、何度も敬礼したが、まったく適当以上に低かったぞ。  まあどうでもいい! みんな、幾分風変りではあるが、少しばかり勇ましく飾られた楽しい思い出だ。それだけで他のことを思いださしてくれなかったらありがたいのだが…… 残念ながら他の思い出がある。パリでの夜警の夜、ストーブがかんかん燃え、ろう[#「ろう」に傍点]引きの腰掛けの並んだからっぽの貸店の中の歩しょう、広場に面した役場の戸口での退屈な立番、広場は泥《どろ》の中に町の姿を映すあの冬のぬかるみ[#「ぬかるみ」に傍点]にぬれている。巡警、水たまりの中の斥候、酔っぱらって、うろついているのを拾われる兵士、街《まち》の女、どろぼう[#「どろぼう」に傍点]、それから、パイプと石油と古い海草のにおいを着物につけて、ほこり[#「ほこり」に傍点]を浴び、疲れきった顔で帰ってくるあのもの憂《う》い朝の気分、それからまた退屈な長い一日一日、仲間同志の口論おしゃべりの絶えない士官の選挙、別れの乾杯、小杯の持ちまわり、カフェーのテーブルの上でマッチの軸で説明される策戦、投票、政治とそれに必ずつきものの暇《ひま》つぶし、どう始末していいか分からないあの手持ちぶさた、何か働きたい、体《からだ》を動かしたいと願う空虚なふんいき[#「ふんいき」に傍点]に包まれる時間の空費、スパイを捜すこと、ばかに疑ってみたり、むやみと信じてみたり、大勢一しょに外出したり、抜け道を通ったり、自由のきかない人たちのありとあらゆる気ちがいじみたこと、夢中になること…… 汚《きたな》い軍帽君、これが君を見て僕が思いだしたことだ。君もまた、この狂気のさたをみんな味わったのだ。そして、ビュザンヴァルの戦いの翌日、君を戸だなの上に投げなかったなら、また他の大勢の人たちのように、いつまでも君をかぶっていようとしたり、君を縫い飾りや金筋で飾り、ちりぢりになった大隊の残兵として踏みとどまっていようとしたら、君は僕をどんなバリケードへ引っぱって行ってしまったかしれたものでない…… ああ! 本当に反抗と不規律の帽子、怠惰と泥酔とクラブとうわごと[#「うわごと」に傍点]の軍帽、内乱の軍帽、君を突込んでおいた、うちのくず[#「くず」に傍点]物の片すみでももったいない。  くず[#「くず」に傍点]屋のかご[#「かご」に傍点]に入ってしまえ…… [#改ページ] [#4字下げ]コミューヌ[#原注]のアルジェリアそ撃兵[#「コミューヌのアルジェリアそ撃兵」は中見出し]  土民のそ撃部隊の少年鼓手だった。カドゥールといって、ジャンデルの部族の出身で、ヴィノワの軍隊に続いて、パリに入ってきた少数のアルジェリアそ撃兵の一人だった。ヴィッセンブルクの戦いからシァンピニーの戦いまで、どの戦争にも加わって鉄の四竹《クリケット》とデルブーカ(アラビア太鼓)を携えて、あらしの時の鳥のように戦場を駆けめぐった。あまり元気に動きまわるので鉄砲玉も、どこで彼をやっつけたらいいか分からなかった。しかし、冬になると、散弾の砲火に赤くやけたこの青銅色のアフリカ少年は、前しょうの夜や雪中に不動の姿勢を取りつづけることにたえられなかった。そして一月のある朝、マルヌ河のほとりで、両足を凍らせ、寒さに縮込まっているところを救いあげられた。少年は長いあいだ野戦病院に入っていた。私が初めて彼に会ったのもそこである。  病犬のように寂しそうな、忍耐強いアルジェリアそ撃兵は、自分のまわりを優しい大きな目でながめた。話しかけられると、にっこり笑って歯を見せた。彼にできることはこれだけだった。フランス語は分からなかったし、かろうじてサビール語を口にしても、このプロヴァンス語とイタリア語とアラビア語でできたアルジェリアの方言は、地中海沿岸で集めてまわった貝類のように種々雑多な色彩の言葉を作っているのだった。  カドゥールは気晴らしには太鼓《デルブーカ》しか持っていなかった。ときどき、あまり退屈していると彼の寝床にその太鼓《デルブーカ》が運ばれて、他の病人にさわるから強くたたきすぎてはいけないが、少しくらいならやってもいいとお許しが出る。黄色い陽《ひ》の光と、往来から浮き上がる寂しい冬景色の中で、どんよりと表情のないあわれな黒い顔がたちまち生気を帯びて動きだし、移り行くリズムのあとを追う。ある時は突撃の曲を奏する。すると白い歯が、すごい笑いの中にチラチラ光る。あるいはまた回教徒の朝礼の曲を奏《かな》でて、目は涙にぬれ、鼻の穴は膨《ふく》らむ。そして、野戦病院の味気ないにおいの中で、薬びんやほう帯に囲まれて、みかん[#「みかん」に傍点]の実ったブリダの林や、湯上がりに白粉《おしろい》をつけ、うまつづら[#「うまつづら」に傍点]のにおいをくゆらせたモール娘の姿を思いだす。  こうして二ヵ月が過ぎた。パリではこの二ヵ月のあいだにいろいろの事件が起った。しかしカドゥールはそんなことは夢にも考えなかった。窓の下を疲れた、武器を失った兵士たちの通るのが聞こえ、後には、朝から晩まで大砲がガラガラ引っぱられ、続いて警鐘が鳴り、砲声がとどろいた。それがなんのことやら彼には少しも分からなかった。ただ、絶えず戦争が続いていて、彼も足が直ったのだから戦うことができるだろうとそればかり考えていた。こうして、彼は太鼓を背負って、彼の中隊を捜しに出かけた。捜すほどもなく、通りがかりのコミューヌの人たちが、彼を広場《プラス》へ連れて行った。長いあいだ問いただしても『随分結構《ズーブンヨカ》』とか『ちともよかない』と言うのしか聞きとれないので、その日の将軍は彼に、十フランの金と、馬車馬とを与え、参謀部付きにした。  コミューヌの参謀部にはいろいろの人が少しずついた。赤い馬丁用外とう、ポーランドマント、ハンガリー上着、水兵服、また、金、びろうど、板金、けばけばしい飾り。そして黄色い縫い取りのある青い上着と巻帽子《ターバン》と太鼓《デルブーカ》とを持ったアルジェリアそ撃兵は、この仮装団体に花を添えた。こんな立派な中隊に入ったことを喜び、太陽と砲撃と往来の騒ぎと、種々の武器と服装とに酔い、これはプロシアとの戦争の続きで、訳は分からないがいっそう猛烈に、いっそう気ままになったのだと思いこんで、事情を知らないこの逃亡兵はパリの乱痴気騒ぎへ無邪気に加わった。そして時の人気者となった。彼の通る至るところでコミューヌの兵士たちは歓呼の声をもって迎え、彼を歓待した。コミューヌは彼を持っていることが非常に得意で、彼を示し、見せびらかし、記章のようにくっつけていた。一日二十回も本部は彼を陸軍省へ、陸軍省では彼を市役所へ派遣した。なぜなら、コミューヌの水兵はにせ[#「にせ」に傍点]の水兵で、砲兵はにせ[#「にせ」に傍点]の砲兵だということが評判になってしまったからだ!…… そして少くともこの少年だけは本物のアルジェリアそ撃兵だったのである。若い猿のような元気な面《つら》つきと、軽業《かるわざ》じみた曲乗りを演じて大きな馬上に踊る、小さな体《からだ》の荒っぽい動作をながめるだけでそれとうなずけた。  しかしカドゥールの幸福には何かが欠けていた。彼は戦争がしたかった。火薬に物を言わせたかった。あいにくなことにコミューヌの下では、帝政時代と同様、参謀部はあまり戦争には行かなかった。馬を乗りまわして騎芸を演ずる外は、かわいそうなアルジェリアそ撃兵はヴァンドームの広場や陸軍省の庭の、いつも口のあいている酒だる[#「だる」に傍点]や、底の抜けたぶた[#「ぶた」に傍点]の脂肉《あぶらみ》の大だる[#「だる」に傍点]、まだパリの包囲の飢《き》が[#「が」に傍点]を感じさせる野天に出されたごちそうでいっぱいの乱雑な陣営の中で、時を過ごすのであった。この大酒宴に加わるにはあまりに善良すぎたマホメット教徒のカドゥールは、つつましく静かにその場から離れて、片すみで体《からだ》を清め、一握りのひきわり麦でクスクスを作った。そして太鼓を一曲奏《かな》でたあとで、|毛外とう《ブユルヌス》にくるまり、戸口の踏段の上で野営の火に照らされながら眠った。  五月のある朝、アルジェリアそ撃兵は恐ろしい銃火の音に目をさました。省内は大騒ぎで、みんな走って逃げだしていく。機械的に彼も他の者と同じように、馬に飛び乗り参謀部の人たちに従った。往来ではラッパが狂気のように鳴り、壊乱した大隊の兵士たちでいっぱいだった。敷石ははがされ、バリケードが作られていた。明らかに何か異常なことが起こっていた…… 川岸に近づくにしたがって、銃声はますますはっきりと、騒ぎはいっそう大きくなった。コンコルドの橋の上でカドゥールは参謀部の人たちを見失った。少し先で馬を取られた。相手は市役所に何が起こったのか急いで見に行こうという、八本筋の軍帽をかぶった男だった。怒って、アルジェリア兵は戦いのあるほうへ走りだした。どんどん走りながらシャスポ銃に弾丸をこめ、口の中で言った。『よかない。プリシャ人……』なぜなら彼は、プロシア人が侵入したと思っていたのだ。すでに弾丸はオベリスクの周囲やテュイルリー宮の森の中でうなっていた。リヴォリ街のバリケードの所で、フルーランス[#原注]の復しゅう者たちが彼を呼んだ。『おい! アルジェリア兵! そ撃兵!……』彼らはもう十二人ぐらいしかいなかったが、カドゥール一人で、一軍隊にも相当した。  バリケードの上に立って、軍旗のように四辺をにらみつけながら、彼は、散弾の雨の中を、躍《おど》り上がったり、叫んだりしながら戦った。一時、地面から立ちのぼる煙幕が砲撃と砲撃との間に少し薄らいで、シャンゼリゼーに群がった赤ズボンの兵士たちの姿を彼に見せた。続いてすべてがまたぼんやりとなった。彼は間違ったんだと思って、いっそうポンポン撃ちまくった。  とつぜんバリケードが静かになった。いちばんあとに残った砲手が、最後の射撃を試みて、逃げだしたのだった。だがアルジェリアそ撃兵は動かなかった。身構えをして、今にも躍《おど》り出そうと、彼は銃剣をしっかり構えて、とがったかぶと[#「かぶと」に傍点]の現われるのを待った…… 歩兵隊が到着した!…… 突撃の足音のざわざわした中で、士官たちが叫んだ。 『降参しろ!……』  アルジェリアそ撃兵はちょっとぼんやりしたが、やがて、銃を高くあげて、飛んで行った。 『よか、よか、フラース人!……』  彼はぼんやりと野蛮人らしい考えで、これはパリ人が久しい前から待望の、フェデルブかシャンジーの率いる救援軍であると思った。だからどんなに彼は喜んだことか、どんなに彼らに白い歯をむき出して笑ってみせたろう!…… たちまちバリケードは占領された。彼は取りまかれて突き飛ばされた。 『銃を見せろ』  銃はまだあつ[#「あつ」に傍点]かった。 『手を見せろ』  手は火薬で黒く汚《よご》れていた。アルジェリアそ撃兵はいつもニコニコしながら得意そうにその手を見せた。すると壁のところに押しやられて、ズドン!……  何のことだか訳が分からずに彼は死んでしまった。 [#改ページ] [#4字下げ]第八中隊の演奏会[#「第八中隊の演奏会」は中見出し]  マレー区と、サン・アントワヌ町の大隊はみんなその晩ドメニル街のバラックに陣取っていた。三日前からデュクロの軍隊はシァンピニーの丘で戦っていた。私たちは予備軍らしい。  パリ郊外の営所ほど寂しいものがあろうか。酒屋の燈火によってわずかに照らされている憂うつな町で、工場の煙突と閉鎖された停車場と、人気のない仕事場に囲まれているのだ。また、この木造の細長いバラックほど、冷ややかに見すぼらしいものがあろうか。十二月のごつごつと乾《かわ》ききった固い地面に並んでいて、窓はぴったり閉《し》まらないし、戸はいつも開《あ》いていて、すすだらけの石油ランプが大風の時の手提燈《カンテラ》のように、霧の中にうすぼんやりと点《とも》っている。本も読めないし、眠ることもできない、すわるわけにもいかない。体《からだ》を暖めるためには隣のやつとくつ[#「くつ」に傍点]の裏をたたきあったり、バラックのまわりを駆けるような、子どもらしい遊びを考えださなくてはならなかった。こんなふうにぐずぐず何もしないで戦場の近くにいるということは、なんだか恥ずかしい、気分のいらいらすることだった。特にその晩はこの感が強かった。砲撃は止《や》んだけれど、上では恐ろしい合戦が計画されているらしく、ぐるぐるまわる保塁の探照燈の光が、ときどきパリのこの方面に達すると、静かに歩道に集まっている軍隊や、黒い塊《かたま》りとなって道をのぼって来る軍隊が見えた。トローヌの広場の高い円柱のために小さくなって地面をはっているようだ。  私はそこで、すっかり冷えきって、この大通りの夜の中に吸い込まれていた。だれかの声がする。 『第八中隊へ行ってみよう…… 音楽会があるそうだよ』  私は出かけて行った。中隊はどれもバラックを持っていたが、第八中隊のは他の中隊のよりずっと明るくて、人がいっぱいだった。銃剣の先に突き立てたろうそく[#「ろうそく」に傍点]が、黒い煙で陰のついた大きな炎を並べて、品のない、いかにも職工らしい顔の上にいっぱいにあたっていた。彼らは立ったままの足りない眠りに元気を失って青い顔になり、酔いと寒さと疲労にぼんやりしている。片すみでは酒保の女が、からのびん[#「びん」に傍点]や曇ったコップを載《の》せた小さなテーブルの前の腰掛けに体《からだ》をまるくして、口を開いたまま眠っていた。  舞台では歌が歌われている。  素人《しろうと》役者が順々に広間の奥の急ごしらえの舞台に上がって、身ぶりをしたり、台詞《せりふ》を言ったり、メロドラマの記憶をたどって、布をまとって大見得をきった。騒ぎまわる子どもたちと、ぶらさがった鳥かごと、やかましい屋台店とでいっぱいの職工町の路地の奥に響く、あのよく通る、べらべらしゃべる声を私はそこに再び見出した。この声を道具の音と一しょに、かなづち[#「かなづち」に傍点]やかんな[#「かんな」に傍点]の伴奏付きで聞くのは楽しいものだ。しかし、ここでは、この舞台では、なんだかこっけいで、痛ましかった。  まず最初に哲学者の職工、長いあごひげ[#「あごひげ」に傍点]の機械工が、プロレタリアの苦しみを歌った。『哀れなる下層の民よ…… オ…… オ……』とのど[#「のど」に傍点]を鳴らして歌ったが、その聖なる国際歌《インターナショナル》には怒りがみなぎっていた。次ぎには半分眠りかけたような男が、有名な「|庶民の歌《シャンソン・ド・ラ・カナイユ》」を歌った。しかし、子守歌かと思われたほど退屈な間のびのした、悲しい調子だった……『庶民か…… おお!…… 我もその一人……』そして、彼が単調な歌を歌っているあいだに、すみっこを捜して、ぶつぶつ言いながら明りのほうへ背中を向けかえる、ねむくてたまらぬ人のいびきが聞こえた。  とつぜん、白昼のような光が舞台を横ぎって、ろうそく[#「ろうそく」に傍点]の赤い炎を薄くした。同時にかすかな音がバラックを揺るがせ、すぐ続いて、もっとかすかな音が、もっと遠方の、シァンピニーの丘の上のほうで、ポンポンポンポンと、急調に切れて聞こえた。戦争が始まったのだ。  しかし、素人《しろうと》俳優諸氏は戦争なんかばか[#「ばか」に傍点]にしきっていた!  この舞台、この四本のろうそく[#「ろうそく」に傍点]は、ここにいる人々に役者気質を呼びさましていた。彼らが手ぐすねひいて最後の対句を待ち、いきなり他人《ひと》の恋歌を横取りするところは見ものだった。だれも寒さを感じなかった。舞台にいる者、舞台から下《お》りる者、また、自分たちの番を待っている者も、みんな、恋歌をのど[#「のど」に傍点]元までもってきて、赤い顔で、汗だくで、目を輝かしていた。虚栄心が彼らを暖かくしていたのだ。  そこには幾人もの街《まち》の名士たちがいた。詩人の室内装飾屋は「人みな自分のためにのみ」という折り返しのついた「エゴイスト」という自作の小うたを歌いたいといった。彼は発音に欠点があったので、『エゴイフト』『人《ふと》みな自分《ひふん》のためにのみ』と歌った。前衛に行くより自分の家の火の傍《そば》にいたいという、腹の膨《ふく》れた有産者に対する皮肉だった。私はこのぐう[#「ぐう」に傍点]話作者の人のいい顔と、横っかぶりの軍帽、あご[#「あご」に傍点]まで下《お》ろした帽子のひも、歌の一語一語に力をこめて、その折り返しを意地悪《いじわる》そうに言い放つ様子をいつまでも忘れないだろう。 『人《ふと》みな自分《ひふん》のためにのみ…… ふとみなひふんのためにのみ』  この間、大砲もまた、その力強い低音《バス》を機関銃のカチカチという音に交じえて歌っていた。それは、雪の中で寒さに死にかかっている負傷者の歌、往来のすみ、凍った血の池の中での臨終、めくらめっぽう飛んでくる弾丸、夜陰に乗じて四方八方から襲い来る黒い死の歌であった……  しかも第八中隊の音楽会は相変らず盛んだった!  今度は、俗謡で、まぶたのひっくり返った、赤鼻のこっけいな老人が、人々が床を踏み鳴らし、もう一度もう一度、うまいぞうまいぞ、という熱狂の中に、舞台の上で活躍していた。男たちのあいだで言うみだらな言葉に笑いが沸いてみんなの顔をうきうきさせた。この騒ぎに、酒保の女も目がさめて、群衆にもまれみんなから見つめられながら、彼女も一しょに笑いころげた。老人はしゃがれ声で、『神様が酔っぱらってさ……』と歌いだした。  私は我慢ができなくなったので表へ出た。私の歩しょうの番がもうじき来るのだが、どうも仕方がない! 広い所と空気が欲しかった。長いあいだ、どんどんと、セーヌ河のほとりまで歩いて行った。水は黒くて、土手には人影もない。パリはガスがつかないので暗く、砲火に囲まれて眠っていた。大砲の光が周囲にチラチラ瞬《またた》き、火事の赤い炎が所々の丘の上に輝いていた。私はすぐ近くで、冷たい空気の中に、はっきりした、低い忙しそうな声を聞いた。息をはずませ、励ましあっている…… 『そーれ! 引っぱれ!……』  そして声がとつぜん止まった。まるで、人力のすべてを使い果す大仕事に熱中する場合のように。岸に近づいて、私はようやく、真暗《まっくら》な水から上るおぼろ[#「おぼろ」に傍点]な光の中に、ベルシの橋のところで停《とま》って、流れをさかのぼろうと努めている砲艦を認めた。動く水に揺らぐちょうちん、水夫たちに引っぱられてきしむ綱の音は、川と夜の悪意に対して、進軍、退却、あらゆる戦いの変化を示していた…… 勇ましい小砲艦、どんなにこの遅々たる動きが彼をいらいらさせたろう!…… 怒って、砲艦は外輪で水をたたき、その場に、水を沸きたたせた…… ようやく非常な努力が船を前進させた。偉いぞ、水夫たち!…… そして、船が動き出し、まっすぐに霧の中を、彼を招いている戦いの方へと進み出した時に、『フランス万歳!』という大きな叫び声が、橋にこだましながら響いた。  ああ! 第八中隊の音楽会とはまるで別世界だ! [#改ページ] [#4字下げ]ペール・ラシェーズ[#原注]の戦い[#「ペール・ラシェーズの戦い」は中見出し]  番人は笑いだした。 「ここで戦争?…… 戦争なんて決してありませんでしたよ。新聞の作りごとですよ…… ごく簡単に経緯《いきさつ》をお話ししましょう。二十二日の晩、二十二日ですから日曜日ですが、私たちは七サンチ砲と新式の機関銃とを備えた約三十名の砲兵隊が到着するのを見ました。彼らは墓地のいちばん高いところに陣取りました。で、ちょうど私はこの場所を見張っていたので、私が彼らを迎えました。持ってきた機関銃は私の番小屋の近くの、この道の端に、大砲はもう少し低い台地に置かれました。彼らは到着すると、いくつかの礼拝堂を私に開《あ》けさせました。私はやつらがなんでも壊《こわ》して、そこにあるものはありったけ略奪するのだと思いました。しかし、首領はそれを止《と》めて、みんなの中央に立って、簡単な演説をしました。『なんでも手を触れるやつがあったら、そいつの横っ面《つら》を張りとばすぞ!…… 一同別れ!……』銀髪の老人で、クリミヤ戦役とイタリア戦役の勲章をつけた気むずかしそうな人でした。この言葉どおり守って、墓から何も盗《と》らなかった、部下の正しさを買ってやらねばなりません。それ一つでも二千フラン近い値打ちのああるモルニー公しゃくの十字架さえ盗《と》りませんでした。  しかし、このコミューヌの砲兵たちはいやな人たちの集まりでした。三フラン五十の手当《てあて》で飲むことばかり考えている急ごしらえの砲手で…… やつらが来たために墓場がどんなに陽気になったことやら! よってたかってモルニーやファヴローヌの墓所で寝たのです。皇帝の御|乳人《めのと》が葬られているというあの立派なファブローヌの墓で! やつらはシャンポーの墓地の泉水でぶどう酒を冷やしましたよ。それから女を呼んだのです。そして、一晩飲み明かしました。乱痴気騒ぎでさあ。ああ! きっと、死人たちもやつらのばか騒ぎを聞いたでしょうよ。  とにかく、この悪漢たちは、不器用なくせにパリにずいぶん悪いことをしましたよ。やつらは絶好の場所を占めていたんです。ときどき、命令が来ました。『ルーヴル宮を撃《う》て…… パレ・ロワイヤルを撃《う》て』  そこで、老人は大砲のねらいを定め、焼《しょう》い弾《だん》が、町の上をまっしぐらに飛んで行きました。丘の下でどんなことが起こっているかは、私たちだれにもはっきりは分かりませんでした。銃声が次第に近づいてきました。しかし、コミューヌのやつらは別に気にもかけませんでした。ショーモンやモンマルトルや、ペール・ラシェーズでの交戦から考えて、ヴェルサイユ軍が進んで来ることができようなどとは思われませんでした。この幻想を破ったのは、水兵がモンマルトルの丘に来て、私たちに送った最初の弾丸でした。  ほとんど予期しませんでした!  私自身も、彼らの中にまざって、モルニーの墓によりかかって、きせる[#「きせる」に傍点]をふかしていたところでした。弾丸の飛んでくる音を聞いて、地上にひれ伏す暇もないくらいでした。最初のうちは、砲手たちは、これは射《い》損《そこな》いか、酔ぱらった仲間の仕業《しわざ》だと思っていました…… ところが大間違い! 五分ほどたつと、モンマルトルがまた光って、別の弾丸が最初のと同じように勢い込んでまた飛んできました。そこで、やつらは大砲と機関銃をそこに置いたまま、一目散に逃げだしました。墓場は彼らに充分なほど広くはありませんでした。やつらは叫びました。 『裏ぎりだ!…… 裏ぎりだ!』  老人だけは、ただ一人弾丸の下に踏み留まって、砲台の真中で悪魔のようにあばれまわり、砲手たちが彼を置き去りにしたのを見て泣き狂いました。  しかし、夕方ごろ、支払いの時刻になると、幾人か彼のところに帰ってきました。ねえ! だんな、私の番小屋を見てください。その晩、金をもらいに来たやつの名まえがまだ残っていますよ。老人は彼らの名を呼んで、順々にそれを書いて行ったのです。 『シデーヌ、出頭《プレザン》、シュデイラ、出頭《プレザン》、ビヨ、ヴォロン……』  ごらんのとおり、やつらはもうほんの四、五人でした。しかし、女連れでした…… 本当に! 私はこの支払いの夜を忘れることはできないでしょう。下では、パリが焼けています。市役所《オテル・ド・ヴィル》も兵器庫《アルスナル》も、食糧品貯蔵庫も。ペール・ラシェーズでは、それが真昼間のように見えました。コミュナールのやつらはまた砲撃にかかろうとしました。しかし、人数も少いし、それにモンマルトルが彼らを恐れさせました。そこで、彼らは墓所に入って、女たちと一しょに、飲んだり、歌ったりしはじめました。  老人は、ファブローヌの墓の入口にある二つの大きな石の像のあいだにすわって、恐ろしい形相で、パリが焼けるのを見ていました。これが最後の夜になるかもしれないと考えているようでした。  この時から後は、どんなことが起こったか、はっきり知りません。私はうちへ帰りました。あの木の枝のあいだに隠れているあそこに見える小屋です。私は非常に疲れていました。あらしの夜のようにランプを点《とも》したまま、着物も替えないで床につきました…… とつぜん、だれかが戸を激しくたたきました。妻が震えながら開《あ》けに行きました。私たちはまたコミュナールかと思いました…… 水兵たちでした。艦長と尉官と、医者でした。彼らは私に言いました。 『起きろ…… コーヒーを入れてくれ』  私は起きて、コーヒーを入れました。墓場でつぶやき[#「つぶやき」に傍点]が聞こえました。すべての死者が最後の審判のために起きあがるようなざわざわした音が聞こえました。士官は大急ぎで、立ったままコーヒーを飲むと、部下と一しょに、私を表へ連れ出しました。  いっぱいの兵士、水兵です。一同は私を先頭に立てて、墓から墓へと、墓場の捜索を始めました。ときどき、兵士たちは、木の葉が動くのを見ると、道の奥や、像の上、鉄さくの中へ弾丸を打ち込みました。あちら、こちらで、礼拝堂のすみっこに隠れていた哀れなやつらが見つかりました。やつらの運命は長くはありませんでした…… これが例の砲手たちの上に起こったことです。私はやつらをみんな見つけました。男も、女も、私の小屋の前で一塊《ひとかたま》りになって、そして勲章をつけた老人が、その上に横たわっていました。夜明けの冷たい光の中でやつらを見るのは、あまり気持のよいものではありませんでした…… ああ身震いがする…… しかし、私をいちばん感動させたのは、その時ラ・ロケットの監獄から連れ出されて来た国民軍の長い長い一隊でした。彼らはその監獄で一夜を明かしたのです。大通りを、静々と、葬列のように登ってきました。言葉一つ、声一つ、聞こえませんでした。きのどくな人たちは、それほど疲れてがっかりしていたのです! 歩きながら眠っている者もありました。そして、もうすぐ殺されるんだと思っても目がさめないのです。墓地の奥へ連れて行かれると、銃殺が始まりました。百四十七人いました。どんなに長くかかったかお分かりでしょう…… これがペール・ラシェーズの戦いといわれているものです……」  ここで、彼は伍長の姿を見つけて、急に私から離れた。私は一人残って、パリの焼ける明りで彼の番小屋の上に書かれた、最後の支払いの時の名まえをながめた。私は弾丸に貫かれ、血と炎に赤く染まったあの五月の夜、祭りの町のように照らされた広く寂しい墓地、広場の真中に打ち捨てられた大砲、そのまわりの戸の開いた墓所、墓の中の酒盛りを心に浮かべた。そして、その近くの丸屋根や、柱や、石像が雑然と並んで、ゆらめく炎にいきいきと照らし出されている中で、これをながめている額《ひたい》の広い、目の大きなバルザックの像を思い浮かべるのだった。 [#改ページ] [#4字下げ]小まんじゅう(プチ・パテ)[#「小まんじゅう(プチ・パテ)」は中見出し] [#6字下げ]一[#「一」は小見出し]  その朝、それは日曜日だったが、テュレンヌ通りのお菓子屋のシュローさんは小僧をよんで言った。 『さ、これがボニカールさんへの小まんじゅうだ…… お届けして、すぐ帰ってこいよ…… ヴェルサイユ兵がパリに入ったらしいからな』  政治のことは何も分からない小僧は、できたての暖かいまんじゅうをなべ[#「なべ」に傍点]に入れ、そのなべ[#「なべ」に傍点]を白いふきんに包んで、それを帽子の上にまっすぐに載《の》せて、駆け足で、ボニカールさんの住んでいるサン・ルイ島に出かけた。果実店をリラの花束と、さくらんぼ[#「さくらんぼ」に傍点]の房《ふさ》でいっぱいにする、暖かい五月の太陽の輝くすばらしい朝だった。遠くで銃声が聞こえても、往来で集合のラッパが鳴っても、この古いマレー街全体は穏やかな姿を保っていた。日曜らしさがあたりに漂っている。庭の奥では子どもが輪舞《ロンド》を踊り、大きな娘たちは門の前で羽根をついている。そして、人影のない往来の真中を暖かいお菓子のよい香《かお》りを漂わせながら走って行く小僧の白い横顔は、この戦争の朝に、何か純朴な、はればれしたものをもたらした。町のにぎわいはみんなリヴォリ通りに移されているらしく、大砲がひきずられ、バリケードが作られていた。どこを歩いても群衆にぶつかるし、国民兵が忙しそうにしている。しかし、菓子屋の小僧は興奮はしない。こういう子どもは人込みの中を歩くことや、町の騒音には至って慣れている! なにしろ彼らがいちばん走りまわらなければならないのはお祭り騒ぎの日、お正月や、カルナヴァル祭の日曜日の雑踏の中だったから。だから、革命騒ぎなんかにはびくともしなかった。  小さな白い帽子が、じょうずに調子をとって、ある時は早く、ある時は、走りたいのは山々だが無理に押さえているんだと言わんばかりにゆっくりと、衝突をさけながら軍帽や銃剣のあいだを巧みに縫って行くのを見るのは実際いい気持だった。いったい彼にとっては、戦争なんか何の関係がある! いちばんだいじなことは、ボニカールさんのところへちょうどお昼に着いて、控え室のたな[#「たな」に傍点]にのっかって彼を待ちうけている御祝儀《ごしゅうぎ》を大急ぎで持って来ることだった。  とつぜん群衆のあいだに恐ろしい押し合いが起こった。共和国の少年たちが、歌を歌いながら、駆け足で練り歩いている。十二歳から十五歳くらいのわんぱく小僧で、銃や、赤い腹帯や、大きな長ぐつを不器用に身につけて、兵士の仮装を得意がっている様子《さま》は、カルナヴァルの火曜日(マルティグラ)に、紙の帽子をかぶり、ばら[#「ばら」に傍点]色の日がさの切端《きれはし》を変なふうにくっつけて、大通りの泥《どろ》の中を駆けまわる時と同じことだった。今度は、この押し合いへし合いの中で、平衡を保つために、菓子屋の小僧は、非常な苦心をした。しかし彼はなべ[#「なべ」に傍点]を載《の》せたまま何度も氷滑《すべ》りをしたことがあるし、歩道の真中で幾度も石けりをしたことがあるので、小さなまんじゅうははらはら[#「はらはら」に傍点]しただけですんだ。ただ運悪く、この騒ぎ、歌声、赤い帯皮、感嘆の念と好奇心が、小僧に、こんないい相手と一しょに少し歩きたいという気持を起こさせた。そして、気がづかずに市役所やサン・ルイ島への橋を越えて、熱狂した行進のほこり[#「ほこり」に傍点]と風との中を、どことも知らず連れて行かれた。 [#6字下げ]二[#「二」は小見出し]  少くとも二十五年この方、ボニカール家では日曜日に小まんじゅうを食べるのが習慣になっていた。正午きっかりに、家族じゅうのものが、――子どももおとなも――客間に集まると、元気な陽気な鐘の音が聞こえて、みんなに、 『あー!…… お菓子屋だ』と言わせるのだった。  そして、ガタガタ動かすいす[#「いす」に傍点]の音、晴着《はれぎ》のきぬずれ、ととのった食卓の前でうれしがる子どもたちの歓声の中に、幸福なブルジョアの一家は、銀の器の上に形よく重ねられた小まんじゅうを囲んで腰を掛けるのだった。  ところがこの日は鐘は鳴らなかった。憤慨して、ボニカール氏は柱時計をながめた。はく[#「はく」に傍点]製のさぎ[#「さぎ」に傍点]を載《の》せた古い掛時計で、その生活を早めも、遅らせもしたことはなかった。子どもたちは、小僧がふだん曲る道の角《かど》を見張りながら、窓ガラスに向かってあくび[#「あくび」に傍点]をしていた。話にも力がなかった。正午が十二の時をつづけざまに打って腹に響いたひもじさが、食堂を非常に大きく、悲しく見せた。あや織りのテーブル掛けの上に古い銀器が輝き、その周《まわ》りに、堅くて白い小さな三角形にナプキンが畳んであったけれど。  もう何度も年とった女中が入って来て主人の耳元で…… 蒸し焼きができました…… 豆が煮えすぎます…… とささやいたけれど、ボニカール氏は、小まんじゅうなしには食卓につかない、と意地《いじ》を張り通していた。そして、シュローに対して憤激して、こんなひどい遅延はどうした理由《わけ》か自分で見に行こうと決心した。彼がつえ[#「つえ」に傍点]を振りまわしながらぷりぷりして表へ出たので、近所の人たちが彼に注意した。 『ボニカールさん、お気をつけなさいよ…… ヴェルサイユ兵がパリに入ったそうですよ』  彼は何も耳に入れようとしなかった。ヌイイから水面をかすめてやってきた銃声も、町の窓ガラスをことごとく震わせた市役所の警報の大砲さえも、聴《き》こうとしなかった。 『ああ! あのシュローめ…… シュローのやつめ!……』  そして、興奮して歩きながら、独言《ひとりごと》をいい、既にあの店の中で、つえ[#「つえ」に傍点]で土間の敷き石をたたき、窓のガラスや、クリーム菓子を入れたさら[#「さら」に傍点]を震わせる自分の姿を見た。ルイ・フィリップ橋のバリケードが彼の怒りを真二つに割ってしまった。そこには恐ろしい顔のコミューヌ党員がいて、敷き石のはがされた地面で、日向《ひなた》ぼっこをしていた。 『町の人、どこへ行くんだね?』  町の人は説明をした。しかし、小まんじゅうの話はあやしまれた。その上、ボニカール氏は立派なフロックコートを着て、金縁《きんぶち》めがねを掛け、まったく保守党の老人らしい様子をしていた。 『こいつはスパイだ、リゴーのところへ連れて行かなくちゃ』とコミューヌ党員が言った。  そこでバリケードを去るのに異存のない四人の有志が、ひどく怒ったきのどくな男を先にたてて銃尾で押しやった。  彼らがどんなふうに考慮を巡らしたのか分からないが、半時間後に、彼らはそっくり歩兵隊に捕《つか》まって、ヴェルサイユへ向かおうとする捕虜の長い列に加えられてしまった。ボニカール氏はますます不服を唱え、つえ[#「つえ」に傍点]を振りあげて、繰り返し繰り返し事情を語った。運悪く、この小まんじゅうの話は、こういう大騒動の最中にはあんまりばかばかしく、信じられないことのように思われて、士官たちはただ笑うばかりだった。 『よし、よし、おじいさん…… ヴェルサイユへ行って、お話しなさい』  そして、縦隊の一行は猟騎兵にはさまれて鉄砲の煙でまだ真白なシャンゼリゼー通りを練って行った。 [#6字下げ]三[#「三」は小見出し]  捕虜は五人ずつ、ぴったり並んで、かたまって歩いた。列の者が散らばるのを恐れて、彼らに腕を組ませた。そして、長い列は、道路のほこり[#「ほこり」に傍点]の中を、あらしの時のような音を立てて歩いた。  かわいそうに、ボニカール氏は夢を見ているのだと思った。汗にまみれ、息を切らし、恐怖と疲労とに悩み、石油とアルコールのにおいのする魔法使いみたいな二人の婆さんの間にはさまって、列のしんがり[#「しんがり」に傍点]に体《からだ》をひきずっていた。そして、この、のろい[#「のろい」に傍点]の言葉みたいに絶えず繰り返される『菓子屋、小まんじゅう』という言葉を聞いて、周囲《まわり》の人は彼は気が狂ったのかと思った。  きのどくに彼はもう理性を失っていたのだ。登り坂でも、下り坂でも、一行の列のあいだが少しでもあくと、向こうの、空虚をふさぐほこり[#「ほこり」に傍点]の中に、シュローの家の小僧の白い上着とずきん[#「ずきん」に傍点]が見えるように思われるのだった。しかもそれが道々十回もあった。この小さな白い姿は彼の目の前を軽べつ[#「べつ」に傍点]するかのように通り、やがて、この軍服と仕事着とぼろ[#「ぼろ」に傍点]着との人波にのまれて消えてしまった。  ようやく、日の暮れがた、ヴェルサイユに到着した。そして、群衆はこのめがねを掛け、着物のだらしなくなった、ほこり[#「ほこり」に傍点]だらけの、目のものすごい老紳士を見た時、みんなは異議なく、彼を悪党の頭《かしら》であると認めた。彼らは言った。 『フェリクス・ピアだ…… 違うよ! ドレクリューズだ』  護衛の猟騎兵たちは、彼を安全にオランジュリーの庭まで連れて行くのに非常な苦心をした。そこへ行ってようやくきのどくな人たちは解散することができ、地面に体《からだ》を横たえ、息をついた。眠る者もあれば、ののしる者もあり、ある者はせき[#「せき」に傍点]をし、ある者は泣いていた。ボニカール氏は眠らなかった。泣きもしなかった。階段のふちに腰を下《お》ろして、両手で頭を抱《かか》え、ほとんど飢《う》えと恥ずかしさと疲労で死んだようになって、頭の中で、この不幸な一日をふり返ってみた。家《うち》を飛び出たこと、心配している家族、夕方までおいておかれ、今もなおきっと彼を待っているに相違ないあの食器類、それから屈辱と悪口、銃尾でなくられたこと、みんな不正確な菓子屋のためだ。 『ボニカール様、はい、あなたの小まんじゅう……』ととつぜん彼の傍《そば》で声がした。そして、老人が頭をあげると、シュローのところの小僧がいるので、彼はびっくりした。小僧は共和国の子どもたちと一しょに捕《つか》まえられて来たのだった。彼は白い前掛けの下に隠していたなべ[#「なべ」に傍点]を取りだし、ボニカール氏に差し出した。こうして、暴動が起こり捕虜とはなったけれど、この日曜日も今までの日曜日と同じように、ボニカール氏は小まんじゅうを食べた。 [#改ページ] [#4字下げ]船上独語[#「船上独語」は中見出し]  二時間前から、火はすっかり消えて、船窓は全部|閉《し》められていた。私たちの寝室にあてられている、天井の低い大砲の下の部屋は真暗で息苦しく、息が詰まりそうだ。同僚たちが、つり[#「つり」に傍点]床の中で寝返りを打ったり、夢の中で喚《わめ》いたり、眠りながら嘆息《ためいき》を吐《つ》くのが聞こえる。何も仕事がなくて、頭ばかりが働いて疲労するこのごろは、熱と興奮に浮かされてよく眠れない。いや、そういう睡眠《ねむり》にしろ、私は寝つくのに長いことかかった。私は眠れなかった。考えすぎるのだ。  上の甲板では雨が降っている。風が吹きすさぶ。ときどき当直が代る時、船の先端の霧の中で鐘が鳴る。それを聞くたびに、パリのことや、工場の六時の合図《あいず》が思いだされる。――私たちの家のまわりには工場がたくさんにあるのだ! 私はささやかな我が家を思い浮かべた。学校から帰ってくる子どもたち、仕事場の奥で窓を前に仕事をかたづけようとして最後の一針まで傾く陽《ひ》の光を留めておこうと焦《あせ》る母親。  ああ! 惨《みじ》めな生活、いったいこれからみんなどうなるんだろう?  許されているのだから、家族を一しょに連れてきたほうがよかったかしら。だが仕方がない! 遠すぎる。私は子どもたちのために長旅と、ここの気候とを恐れた。それに連れてくるとすれば糸屋の店を売らなければならなかったろう。これはわずかな財産ではあるが非常な苦労をして十年間に少しずつ大きくしてきたのだ。それに子どもたちも学校をやめなければならなかったろうし、母親は大勢のならず者[#「ならず者」に傍点]と暮らさねばなるまい!…… ああ! だめだ、だめだ。一人で苦しんだほうがいい!…… だが、それでも、甲板に上がって、家にでもいるようにすわりこんでいる家族の者、ぼろ[#「ぼろ」に傍点]切《ぎ》れを縫う母親たちや、スカート姿の娘たちを見ると、いつも泣きたくなってしまう。  風が激しくなり、波が高くなった。船は一方に傾いたまま走る。マストがうなり、帆がバタバタ音を立てる。非常に早く走っているに違いない。結構だ、早く着くだろう…… 裁判のときにはあれほど恐ろしかったあのパン島も今はうらやましい。そこは目的地であり、休息所だ。それに私は非常に疲れている! 二十ヵ月以来見てきたあらゆるものが、目の前で、ぐるぐるまわってめまい[#「めまい」に傍点]を起こさせることがたびたびだ。プロシア軍の包囲、保塁、練兵、それからクラブ、ボタン穴に貝殻菊を差して参列する埋葬式、円柱《コローヌ》[#原注]の下の演説、市役所におけるコミューヌのお祭り、クリュズレの観兵式、突撃、合戦、クラマール駅、それから憲兵を射《う》つために身を隠す小さな壁、サトリーの丘[#原注]、囚人船、監督役人、船から船への乗り換え、監獄が変るごとにますます囚人臭くなる護送の旅、そして最後に軍法会議室、正装して室の奥に馬蹄形に並んだ士官たち、囚人馬車、乗船、出発、これらすべてのことが海に出た最初の数日の縦揺れや、騒音の中に入りまじっている。  おお苦しい!  疲労とほこり[#「ほこり」に傍点]と何だか訳の分からないものの面《マスク》が顔の上にぴったりかぶさっているようだ。まるで十年も前から顔を洗わないように思われる。  おお! そうだ、どこかに上陸して、腰を落ち着けてしまうのがいいらしい。話に聞くとあちらへ行けば少しの土地と道具と、小さな一軒建ての家がもらえるそうだ…… 小さな一軒建ての家! 家内と私はそいつを一つサンマンデのほうに持ちたいと空想したっけ。屋根が低くて、野菜と花とがいっぱい入った開かれた引き出しのように小さな庭が前に広がっている家。そこへ日曜ごとに出かけて朝から晩まで一週間分の大気と太陽をとりこむのだ。そして子どもたちが大きくなり、商売をするようになると、私たちは静かにそこへ隠居する。哀れなやつだよ、本当に、もう今隠退してるじゃないか、そして、別荘を持とうというのだ!  あー! すべての原因は政治にあるのだ、と思うと情けない。しかし、私はこんなばかばかしい政治なんかあてにしなかった。私はいつもこいつを恐れていたのだ。第一私は金持ちじゃないし、仕入れ物の代金を払わなければならなかったので、新聞を読む暇《ひま》も、集会へみごとな弁舌を聞きに行く暇もあまりなかった。だが、あいにく忌々《いまいま》しい包囲が始まって、国民軍ときたらばか話と飲むほかに能がないんだが、やむを得ない! 他のやつとクラブへ行った。そしてやつらの大言壮語にすっかり酔ってしまった。  労働者の権利! 民衆の幸福!  コミューヌが起こると私はやっと貧乏人の黄金時代が来たと思った。私は隊長に任ぜられるし、参謀の人たちもみんな新しい服を着たので、飾りひもや、服のろっこつ[#「ろっこつに傍点]、たれ金具が店《うち》にたくさんの仕事を与えてくれた。後になってすべてがどんな具合に運んでいるか見た時、私はきっぱり身を引きたいと思ったが、卑きょう者と思われるのが恐ろしかった。  いったい上では何が起こったのかしら? メガフォンがどなっている。大きな長ぐつがぬれた甲板を走っている…… それにしてもあの水夫たちはなんという苦しい生活をしていることか。ちょうど今水夫長の呼笛《よびこ》がぐっすり眠っているところを襲ったのだ。彼らは眠ったまま汗をびっしょりかいて上って行く。暗やみ[#「やみ」に傍点]と寒さの中を走らなくてはならない。床板は滑《すべ》るし、綱具は凍って、それを握る手が焼けるように痛い。彼らがあの高い帆げた[#「げた」に傍点]の端にぶら下がって、空と水とのあいだで揺られながら、すっかり堅くなった大きな帆をまいていると、一陣の風が彼らを引きむしり、運び去って、かもめ[#「かもめ」に傍点]がパッと飛び散るように大海原に散らしてしまう。あー! これもパリの労働者の生活とは違った意味で辛《つら》い生活だ。そして別の意味で、報いられない生活だ。しかしこの人たちは不平も言わず、反抗もしない。落ち着いた様子で、観念したような澄んだ目を持ち、上官に対しては非常な尊敬を払っている! 彼らが私たちのクラブへたびたび来なかった訳がはっきり分かる。  確かにあらしだ。船が恐ろしく揺れる。何もかも踊りだし、音をたてる。大波が雷のような音をたてて甲板に落ちかかる。そして五分間というもの細い水筋《みすじ》が四方へ流れる。私の周囲《まわり》でも人人が騒ぎ出した。船に酔う者、恐《こわ》がる者。こうして危険の中でもじっとしていなくてはならないことは、囚《とら》われの身のいちばん辛《つら》いことだ…… それに、私たちがここで家畜のように囲われて、周囲の気味の悪い騒ぎの中で無我夢中で揺られているのに、金の肩章、赤い胸当てをつけたコミューヌのお歴々、あのほら[#「ほら」に傍点]吹き、私たちをそそのかしたあの卑きょう者たちはみんな、ロンドンやジュネーヴのようなフランスに近いところの、カフェーだとか劇場で至ってのんき[#「のんき」に傍点]に暮らしているとはなんということだ。このことを考えるとたまらなくしゃく[#「しゃく」に傍点]にさわる!  大砲の下の部屋に寝ている人たちはみんな目をさました。ハンモックからハンモックへと話しかけている。みんなパリジアンなのでお互に冗談を言ったり、冷やかしたりしはじめる。私はかまわずにおいてもらいたかったので、眠っているふりをした。決して一人ではいられないということ、大勢一しょに暮らすということは、なんという恐ろしい苦しみだろう! スパイと思われないためには他人の怒りに自分も激しく怒り、彼らと同じようなことを語り、ありもしない憎しみを持つふりをしなくてはならないのだ。そしていつも冗談ばかり…… ああなんという荒い海か! 風が大きな真暗な穴をあけて、そこへ船が沈んで渦を巻いているようだ…… ああ本当に妻や子を連れて来なくてよかった。こうした折に家では妻や子はあの小さな部屋の中で充分に雨風をしのいでいることだろう、と思うとうれしくなる…… この暗い部屋の奥から、ランプの光を受けた子どもの寝顔や、その上に身をかがめて仕事をするもの思わしげな母親の顔が見えるような気がする。 [#改ページ] [#4字下げ]フランスの魔女[#「フランスの魔女」は中見出し] [#6字下げ]幻想的な話[#「幻想的な話」は小見出し]  ――被告人、立て。と裁判官が言った。  石油放火犯人たちのきたない腰掛けにざわめきが起こると、異様な形をしたものが震えながら前に出て、横棒によりかかった。それはまるでぼろ[#「ぼろ」に傍点]と穴のあいた布と、細い切れと糸くず[#「くず」に傍点]と、色のあせた造花と、古びた羽飾りとを寄せ集めたようなものであって、その下に、日に焼けた、大小のしわ[#「しわ」に傍点]のある生気のない顔がのぞいていた。そしてそのしわ[#「しわ」に傍点]の間に、古壁のすきまを出たり入ったりするとかげ[#「とかげ」に傍点]のように、ずるそうな小さな黒い目が二つパチクリしていた。  ――なんという名まえか? と尋ねると、  ――メリュジーヌ。  ――なんだって?  彼女は非常に重々しく繰り返す。  ――メリュジーヌ。  裁判長は竜騎兵大佐の太い口ひげ[#「ひげ」に傍点]の下に微笑を浮かべた。しかし、まゆ[#「まゆ」に傍点]一つ動かさずに続ける。  ――年は?  ――もう覚えておりません。  ――職業は?  ――魔女です!……  この答に傍聴人も弁護人も、検事までがみんなどっと笑いだした。しかし、それは彼女を少しも当惑させなかった。そして部屋に立ちのぼり夢の声のように駆ける澄んだ震える小声で老婆はまた言う。  ――ああ! フランスの魔女たちはどこにいるのでしょう? すっかり死んでしまったのです、みなさん。私が最後の魔女で、もう私がいるだけです…… まったく残念でなりません。フランスは魔女のいた時のほうがもっとずっと美しかったのですから。私たちはこの国の詩であり、信仰であり純真であり青春であったのです。私たちの出入りする場所はどこでも、たとえばいばら[#「いばら」に傍点]の茂った公園の奥、泉の石、古城の小塔、池の霧、沼の多い広い土地などは、みんな私たちがいるために、不思議なそして非常に大きな何かを受けていたのでした。伝説の幻想的な光のもとに人々は、私たちが月の光の中にスカートを引きずったり、牧場の草の先を走ったり、あちら、こちら、至るところをすらすら通るのを見かけました。百姓たちは私たちが好きで尊敬していました。  無邪気な人たちの想像の中で、真珠で飾られた私たちの額《ひたい》や、魔法の棒や、紡錘《つむざお》が、尊敬に少しばかり恐怖を交じえていました。こういう訳で私たちの泉はいつも澄んでいました。すき[#「すき」に傍点]は私たちの守っている道へ来ると止まりました。世界でいちばん年寄りのこの私たちが年を経たものを尊敬するようにさせたので、フランスのすみからすみまで、森は大きくなりほうだい、石は自然と崩《くず》れるままになっておりました。  しかし時代は進んで行きます。鉄道が敷かれました。トンネルが掘られ、池が埋められ、たくさんの木が切られて、やがて私たちはどこにいたらよいのやら分からなくなりました。百姓たちは次第に私たちを信じなくなりました。夕方私たちがロバン[#原注]の家の雨戸をたたくと、ロバンは『風だよ』と言ってまた寝てしまうのでした。女たちは私たちの池へせんたくをしに来ました。その時から、何もかも私たちにとってはお終《しま》いでした。私たちはただ人々の信仰によってのみ生きていたのですから、信仰を失ってはすべてを失ったも同然でした。棒の魔力は消えてしまい、私たちはかつては女王さまのように力があったのに、今は人々に忘れられて、しわ[#「しわ」に傍点]の寄った意地《いじ》の悪い老婆になってしまいました。その上、私たちはパンを得なければなりませんでしたが、手には何の職も持っていないのです。しばらくの間は、森の中で枯れ木の束を引きずったり、道のほとりで落穂を集める私たちの姿が見られました。しかし森の番人は私たちに冷酷でした。百姓たちは私たちを見ると石を投げつけました。そこで、土地ではパンを得られなくなったあわれな人たちと同じように、私たちは大きな町へ仕事を求めに行きました。  製糸工場へ入った者もあります。ある者は冬、橋のたもとでりんご[#「りんご」に傍点]を売ったり、教会の入口で数珠《じゅず》を売りました。みかんを積んだ車を押して行ったり、一スーの花束を通行人に差し出したりしましたが、だれも買ってはくれません。また子どもたちは私たちがあご[#「あご」に傍点]をひょこひょこ動かすのをからかい、巡査は私たちを追い散らし、つじ[#「つじ」に傍点]馬車は私たちを突き倒しました。そして、病気に見まわれ、欠乏に苦しみ、養老院で死んで顔に白い布が掛けられました…… こうして、フランスは魔女たちをみんな見殺しにしてしまったのです。それでその報いを受けました。  ええ、ええ、お笑いなさいとも、みなさん。でもその前にちょっとお聞きなさい。私たちは魔女のいなくなった国というのはどんなものか分かったのです。私たちはあの満ちたりてあざ笑う百姓たちが、プロシア人のためにパン箱を開き、彼らに道を示すのを見ました。そのとおりです。ロバンはもう魔法を信じなかったのですが、祖国はなおさら信じなかったのです…… ああ! もし私たちがいたら、フランスに入ったあのすべてのドイツ人の中で、だれ一人生きては帰れなかったでしょう。私たちの魔物や鬼火が彼らを沼地へと導いたでしょう。私たちの名まえのついているすべての清らかな泉に私たちは魔法の飲物をまぜて、彼らを気ちがいにしてしまったでしょう。そして、月明りの下での私たちの集まりでは、魔法の一言《ひとこと》で道や川をごたごたにさせたり、彼らがいつもうずくまりに行く森の下を木いちごやいばら[#「いばら」に傍点]でもつれさせ、モルトケ将軍のあのねこ[#「ねこ」に傍点]のように小さな目がそれを認めることができないようにしたでしょう。私たちと一しょに、百姓たちも戦ったでしょう。私たちの池の大きな花で、傷のための香油《くすり》を作り、くも[#「くも」に傍点]の糸をほう[#「ほう」に傍点]帯《たい》の糸に用いたでしょう。そして、戦場で、ひん[#「ひん」に傍点]死の兵士たちは、故郷の魔女が、森のすみとか道の曲《まが》り角《かど》だとか何か彼らに生れた土地を思いださせるために、半ば閉じられた目の上に身をかがめるのを見たでしょう。こうして、国を挙《あ》げての戦い、聖なる戦いはなされるのです。だが情けないことに、もはや信仰のない国や魔女のいない国ではこういう戦いはできません。  ここで、細い小さな声がしばらくとぎれた。裁判長は口をきった。  ――今のことは、おまえが兵士たちにつかまった時に持っていた石油で何をしようとしたか、ということを少しも説明していないね。  ――私はパリを焼いたのでした、だんな様。と老婆は静かに答えた。私はパリを焼きました。パリがきらいだからです。パリがなんでも笑うからです。パリが私たちを殺したからです。私たちの霊妙な美しい泉を分析し、そして、その中に鉄と硫黄《いおう》がどれだけ入っているかを正確に言うために学者を送ったのはパリです。パリは、私たちのことを舞台にかけてあざけりました。私たちの魔法はトリックとなり、私たちの奇蹟は冗談となり、そして、私たちの着るばら[#「ばら」に傍点]色の着物をつけ、翼のついた車に乗って仕掛け花火の月明りの中を通る醜《みにく》い顔をふんだんに見せられたので、もう笑わずには私たちのことが考えられなくなったのです…… 私たちの名まえを知っていて、私たちを愛し、少しばかり怖《こわ》がっている子どもたちがありました。しかし、私たちの話が載《の》っている金《きん》で縁どられた絵入りの美しい本の代りに、パリは今彼らに、子どもにも分かる学問を教え、退屈が灰色のほこり[#「ほこり」に傍点]のように立ちのぼり、私たちの魔法の宮殿と魔法の鏡を小さな目の中から消してしまう大きな本を渡しました…… ええ! そうです、私はあなた方のパリが燃えるのを見て満足していました…… 放火した女たちのかん[#「かん」に傍点]に石油をいっぱい入れたのは私です。私は彼女たちを手ごろな場所へ連れて行きました。『さあ、おまえたち、みんな焼くんだよ、焼いておしまい、焼いておしまい!……』  ――いやまったくもって、この老婆は気ちがいだ、連れてってしまえ。と裁判長は言った。 [#改丁] [#ページの左右中央] [#3字下げ]第二部 空想と追憶[#「第二部 空想と追憶」は大見出し] [#改丁] [#4字下げ]書記[#「書記」は中見出し] 『おお寒《さむ》……なんて深い霧だ!……』と往来に出たとたん、先生はこう言った。急いで上着のえり[#「えり」に傍点]を立てて、口をえりまき[#「えりまき」に傍点]で包み、うつむきがちに、両手を後のポケットに入れて、口笛を吹きながら事務所へと出かける。  本当にひどい霧だ。往来はまだたいしたことはない。大きな町の中心では、霧は雪と同じように長持ちがしない。屋根が霧を引き裂き、壁が吸ってしまうのだ。戸が開《あ》けられるにつれて家の中に入り込み、階段をつるつるにし、てすり[#「てすり」に傍点]をじめじめさせる。車の動き、通行人の往来、あの忙しそうな貧乏臭い朝の通行人の往来が、霧を細かに砕いて、運んで行き、散らしてしまう。霧は、窮屈な薄地の事務服や、商店の女売子の防水マント、ビラビラする顔被《かおぎぬ》、ろう[#「ろう」に傍点]引《び》き[#「き」に傍点]の布をかぶせた大きな厚紙にまといつく。しかし、まだ人気《ひとけ》のない堤防や、橋の上、川岸、川の面は、重い不透明な霧がよどんで、その向側《むこう》、ノートルダム寺院の後を、太陽がすり[#「すり」に傍点]ガラスの中の燈明のような微光を帯びて上る。  風が吹いても、霧が立ちこめても、男は堤防の上を、いつも堤防の上を、事務所へと歩いて行く。別の道もとれるのだが、彼には川が不思議な魅力を持っているらしい。さく[#「さく」に傍点]に沿って歩き、漫歩者のひじ[#「ひじ」に傍点]ですり減った石のてすり[#「てすり」に傍点]をこするのは彼の楽しみなのだ。こんな時間には、そして、こんな天気の時は散歩の人も少ない。しかし、ところどころで衣類を背負って欄干にもたれて休んでいる女や、ひじ[#「ひじ」に傍点]をついて退屈そうに水面に身をかがめている惨《みじ》めな男がいる。そのたびごとに彼は振り返って、珍しそうに彼らをながめ、その後で水を見る。あたかも彼の心に秘めたある考えが、頭の中でこの人たちを川に結びつけているかのように。  今朝《けさ》は川ははればれしていない。波のあいだを立ちのぼる霧が、川を重たくしているようだ。両岸の黒ずんだ屋根や、川面に姿を映し、水の中で交じわり、煙を吐いているあの高さの違う傾いだ煙突が、セーヌの河底からその煙を霧にしてパリへ送っている、ある何か陰惨な工場を思わせる。この男はこれを寂しいとも思っていないらしい。湿り気が至るところから彼を襲って、着物はずぶぬれになっている。しかし、彼はそれでも口笛を吹いて、口の端に幸福そうな微笑を浮かべて歩いて行く。もう長いことセーヌ河の霧には慣れているのだ! それに、あそこへ着くと、暖かい裏毛のスリッパがあるし、ストーブはあかあかと燃えて彼を待っているし、毎朝、朝食をつくる小さな焼けた板金もある。雇われる身の幸福、囚《とら》われの身の喜びというものはここにあるのだ。こういう楽しみは、あらゆる生活が片すみに押し込められているような、理想の小さな哀れな人たちだけが知っているのだ。 『りんご[#「りんご」に傍点]を買うのを忘れてはならない』と、ときどき独言《ひとりごと》を言った。そして、口笛を吹いて、急いで行く。諸君はこんなに愉快そうに仕事をしに行く人を見たことはないだろう。  堤防がずっと続いて、それから橋がある。ようやく今ノートルダム寺院の裏手に来た。この島の先端は、霧が今までのどこよりも深い。三方から同時に押し寄せて、高い塔を半分ばかり浸《ひた》し、何か隠そうとでもするように、橋の角《かど》にかたまっている。男は立ちどまる。ここだ。ぼんやりと陰気臭い人影が認められる。歩道にうずくまった客待ち顔の人たち、そして養育院や、広場の鉄さく[#「さく」に傍点]のところのように、ビスケットや、オレンジや、りんご[#「りんご」に傍点]を並べた売子のかご[#「かご」に傍点]が並んでいる。ああ! 霧の下で、りんご[#「りんご」に傍点]が新鮮に赤く輝いている…… 足あぶりに両足を載せて震えている女売子に笑いかけて、ポケットにりんご[#「りんご」に傍点]をつめる。それから霧の中で戸を押して、馬をつないだ車の止まっている小さな中庭を横ぎる。 『おれたちの仕事があるかね?』と、通りがかりに尋ねる。びしょぬれの車の主が答える。 『ありますよ、だんな。ちょっと楽しいのが』  そこで彼は急いで事務所に入る。  ここだ、暖かくて、居心地の良いのは。だん[#「だん」に傍点]炉が片すみで燃えさかっている。裏毛のスリッパがいつもの場所にあるし、小さなひじかけいす[#「ひじかけいす」に傍点]が窓のそばで陽《ひ》をよく浴びて彼を待ちうけている。窓ガラスに窓掛けのようにくっついた霧のため、光が一面に和やかになっている。緑の背皮の大きな帳簿が、きちんとたな[#「たな」に傍点]の上に並んでいる。まるで公証人の事務所だ。  彼はホッと息をつく。ようやく落ち着いた。  仕事を始める前に大きな戸だなをあけて、そこから黒い絹地のそで[#「そで」に傍点]を取り出して注意深く手を通し、また、赤い小さなせともののさら[#「さら」に傍点]や、カフェーからちょろまかして来た砂糖を数個取り出し、満足そうに周囲を見まわしながら、りんご[#「りんご」に傍点]の皮をむき始める。実際のところ、これほど陽気な、これほど明るい、これほど整とんした事務所を見出すことはできない。ところが、さても不思議なのは、四方から聞こえて、船室にでもいるかのように自分のまわりを取り囲む水の音だ。下ではセーヌ河が橋弧に大きな音をたててぶつかり、いつも板だのくい[#「くい」に傍点]だの漂流物でごった返すこの島の端で、あわ[#「あわ」に傍点]だつ波を左右に分けている。家の中でも、事務所の周囲《まわり》は至るところ、幾杯も水差しの水をあけるような流れの音や、大きなせんたくの音だ。私には、なぜこの水が、音を聞いただけで諸君をぞっとさせるのか分からない。水が堅い地面に当って音を立て、水をいっそう冷たく思わせる広い敷石《しきいし》や、大理石のテーブルの上ではね返ったりするのが感ぜられる。  この妙な家では何をそんなに洗わなければならないのか? 落ちないしみ[#「しみ」に傍点]とはどんなのだろう。  ときどき、この流れが止まると、向こうの、奥のほうで、ちょうど雪溶《ゆきど》けか大雨のあとのように、一滴々々としずく[#「しずく」に傍点]が落ちる。屋根の上や壁の上にたまった霧がだん[#「だん」に傍点]炉の熱で解けて、たえずしずく[#「しずく」に傍点]をたらすようだ。  男は別に注意もしない。彼は赤い板の上でほんのりとカラメルのにおいを漂わせて歌を歌いはじめるりんご[#「りんご」に傍点]に夢中だ。そして、このかわいい歌が、水の音、不気味な水の音の聞こえるのを妨げる。 『いつでもいい時に、書記君!……』と奥の部屋でしゃがれた声が言う。彼はりんご[#「りんご」に傍点]をちらっとながめて、残り惜しそうに立って行く。どこへ行くのか? ちょっとのあいだ細目に開《あ》いた戸から、あし[#「あし」に傍点]や沼のにおいのする味気ない冷たい空気が入って来る。綱の上で乾《かわ》かされるぼろ[#「ぼろ」に傍点]切れが目に浮かぶ。色のあせた仕事着だとか、短い作業服、そで[#「そで」に傍点]に綱を通してだらりとぶらさがったさらさ[#「さらさ」に傍点]の着物、その他、水の滴《したた》るものばかり。  さあ終った。彼は帰ってくる。机の上に、水でびしょぬれのこまかな物を置いて、震えながらだん[#「だん」に傍点]炉のそばへ来て、寒さに赤くなった手を暖める。 『ほんとうに大ばかだよ、こんな天気の時にやらかすなんて……』と身震いしながら独言《ひとりごと》を言う。 『若い女たちはみんなどうしたというんだ?』  そして、充分|体《からだ》も暖まり、砂糖も板のまわりに真珠玉を作りはじめたので、彼は事務机のすみで朝食を始めた。食べながら、帳簿を一つ開いて、興味深そうにページを繰る。この大きな書物は非常に大切に扱われている! まっすぐの線、青インキの標題、金粉がほんのり光り、ページごとに吸取紙がはさまり、周到に、秩序立っていて……  仕事はうまく行っているらしい。この男は年末の黒字の収支決算を前にして、勘定係りの満足さを味わっているように見える。本のページを繰って喜んでいるあいだに、側《わき》の部屋の戸が開《あ》いて、群衆の足音が敷石道に聞こえる。教会にいるように低い声で話すのが聞こえる。 『ああ! なんて若々しい…… 惜しいことだ!……』  押し合いながらささやいている……  彼女が若いということが彼には何になるだろう? 静かに、りんご[#「りんご」に傍点]をむき終って、今もってきた品物を自分の前に引き寄せる。砂のいっぱい詰まった指ぬき、中身が一スー入っている財布、さびた小ばさみ、とても使えそうもないほどさびたはさみ、――ああ! もう決して使うこともあるまい。――ページとページがのり[#「のり」に傍点]づけになっている職工手帳、ぼろぼろの手紙、字が消えて、ようやく数語だけ読める。『赤ん坊が…… 金が無…… 乳を飲ますあいだは……』  書記は肩をすぼめた、こう言いたげに。 『こいつは知っている……』  そして、彼はペンをとって、大きな帳面に落ちたパンくず[#「くず」に傍点]を注意深く吹き飛ばし、手のすわりをよくするためにひじ[#「ひじ」に傍点]を一振りして、ぬれた手帳からようやく読み取れた名まえを、すばらしく美しい丸形の書体で記入した。  フェリシ・ラモー、金属みがき女工、十七歳。 [#ここから2字下げ] 訳者付記 これはセーヌ河のほとりにあって、身元の判明しない行路死者でき[#「でき」に傍点]死者の死体を洗って並べ、これを公衆に見せる場所(morgue と呼ばる)に勤めている男の話である。 [#ここで字下げ終わり] [#改ページ] [#4字下げ]ジラルダンが約束した三十万フランで!……[#「ジラルダンが約束した三十万フランで!……」は中見出し]  足どり軽く、気も晴れやかに家を出て、二時間ぐらいパリを歩きまわったあとで、非常に気持ちが悪く、理由のない悲しみや訳の分からない調子の悪さにがっかりして家へ帰るというようなことが、今まであなたにもあったでしょう? 『いったいどうしたんだろう?……』と独言《ひとりごと》をいって、理由を捜しても心当りはない。歩道は乾《かわ》いて陽《ひ》は暖かく、あなたの外出は何から何までよかったのに。それだのにあなたは、何か強い心配な気分にも似た苦しい不安を感じるのです。  それというのは、だれからも見られず自由だとみんなの思う広いパリでも、一足歩くと、通りざまにとばっちり[#「とばっちり」に傍点]を受けてしみ[#「しみ」に傍点]をつけられるという不測の災難に会うからだ。人が周知の、身に覚えのある不幸、そのいくらかはわれわれのものでもあり、それにとつぜん出会えば悔恨にも似た苦しさを覚えるというような友の悩みだけを述べているのではない、さりとてまた他人は耳を傾けず、人知れず君が悲しむといった、まあどうでもいいような悩みのことでもない。私の言うのはまったくそれと異なって、あわただしい走り歩きや往来の混雑の中で、通りすがりにほんのちょっと姿を見せる苦悩のことなのだ。  車の往来に寸断されてところどころ聞こえる会話、耳目をふさいでただ一人高声にもの言う忘我の人々、なえた肩、気ちがいじみた態度《しぐさ》、熱ばんだ目、泣きはらした青白い顔、近頃喪に会って涙もよくふいてない黒衣の姿がそれである。続いてはひそかな、ものの数にも入らぬことども! 人目をさけるよれよれな着物のえり[#「えり」に傍点]、玄関で声もなくからまわりするオルゴール、せむしの首につけられてぶかっこうな肩のあいだに痛々しくも端然と結ばれたリボン…… こういう人に知られぬ不幸な姿がみんな急いで通る。あなたは歩いているうちに彼らを忘れてしまうが、彼らの悲しみは確かにあなたをかすめて行った。あなたの着物には彼らが引きずっていた哀愁がしみこんでいる。そして一日の終りにはあなたの中にある多感なもの、悩めるものがことごとくうごめくのを覚える。なぜならあなたはそれとも知らず町の一角、戸の敷き居で、あの目に見えぬ糸を掛けてきたのだ。そのひも[#「ひも」に傍点]はあらゆる不幸な人々を結びつけて、同じようにゆすぶり動かすものである。  私がこんなことを考えたというのもこのあいだの朝――パリがその悲しさを見せるのは特に朝なのだ――私の前を一人の見すぼらしい人が非常に薄い外とう[#「とう」に傍点]に窮屈そうにくるまって歩いて行くのを見たからだ。その外とう[#「とう」に傍点]のために歩幅がいっそう広く見え、あらゆる身ぶりもひどく大げさ[#「げさ」に傍点]な感じがした。体《からだ》を二つに折り曲《ま》げて、風を受けた木のように悩みながら、この男は非常に早く歩いて行った。ときどき彼の手が後のポケットの一つに入った。そしてその中でパンを砕いて、往来で食べるのを恥じるようにそっとかじっていた。  石屋が歩道にすわって、新しい丸パンにかぶりついているのを見ると、食欲をそそられる。若い雇人たちが耳にペンをはさみ口を膨《ふく》らまして、この大気の中の食事を楽しみながらパン屋から事務所へと駆け戻って来るのを見てもうらやましくなる。しかしここでは真剣な飢《き》が[#「が」に傍点]を恥じているのが感ぜられる。そしてこのきのどくな男がポケットの奥で砕いたパンを一かけらずつ、やっとの思いでおずおずと口に運ぶありさまはそぞろに哀れを催すのだった。  私はしばらく彼の跡をつけた。するととほう[#「とほう」に傍点]に暮れた人がよくやるようにいきなり彼は方向と考えとをひるがえしてまわれ右をした。そして私とバッタリ顔があった。 『おや! 君がここに……』偶然、私は彼を少し知っていた。パリの町に多数発生する企業家の一人で、発明の大家、実現に至らない新聞の創始者であった。彼のためにしばらくのあいだにぎやかな広告や評判の記事が出ていたが、彼は二ヵ月以来|行方《ゆくえ》も知れぬほど深く身を潜めてしまった。彼の失敗について数日間大騒ぎをしたあと、波が静まり、な[#「な」に傍点]いでしまうと、もう彼のことは問題ではなくなった。私を見ると彼は当惑して、あらゆる質問をはばむため、またきっと、彼の汚《きた》ならしい服装《みなり》とわずかなパンから私の視線をはずすために、わざとらしく元気に非常な早口で私に話しはじめた…… 彼の仕事はうまく行っている、非常にうまく行っている…… ほんの一時の停止状態だった。今はすばらしい仕事をしている…… 絵入りの大工業新聞…… 巨額の資本金、すばらしい広告の契約高…… そして、話して行くうちに彼の顔は活気づいた。彼は胸を張った。次第に彼は親分らしくなり、あたかもすでに編集局にでもいるように、私に記事を求めさえした。 『それにね、』と得意そうにつけ加えた。『確実な仕事さ…… 僕はジラルダンが約束した三十万フランで始めるんだ!』  ジラルダン!  こういう空想家の口からいつももれる言葉なのだ。私の前でこんな名まえを口にされると、新しい敷地、工事中の大建築、すりたて[#「すりたて」に傍点]の新聞、さては株主や支配人の名簿まで私の目《ま》のあたりに浮かんでくるのだ。もう何度私はばかばかしい計画について、『これはジラルダンに話さなくては!……』と言うのを聞いたことだろう。  そして彼もまた、かわいそうに、これをジラルダンに話そう、という考えが起こったのだ。一晩じゅう、彼は計画を準備し、数字を並べたにちがいない。そして表へ出た。歩いているうち、体《からだ》を動かしているうちに、仕事は非常にすばらしいものになって、私たちが出会った時には、ジラルダンが彼に三十万フランを断ることは不可能なように彼には思えた。三十万フラン約束したといってもきのどくな男がうそ[#「うそ」に傍点]をついたという訳ではない。ただ夢を続けたに過ぎないのだ。  彼が私に話をしているあいだに、私たちは人とぶつかり、壁のほうに押されていた。取引所から銀行へ行く、あの非常にざわざわした往来の歩道の上だった。往来はあわただしく無我夢中になって仕事に打ち込んでいる人たちでいっぱいだ。手形を回収するためあくせく[#「あくせく」に傍点]と駆けずりまわる店員もいる。通りすがりにちらと数字を耳にはさむ下卑た顔のけちな相場師もいる。そして、こういういろいろなすばらしい計画を、この群衆の中で、この一六勝負の忙しさと熱といったふうのものが感ぜられる株式街で聞くと、大海のただ[#「ただ」に傍点]中で難船の話をされるような身震いがした。この男が私に言っていることを現実に見ているのだ。彼の危機を他の人の顔の上に、彼の輝く希望を、他の人のもの狂おしい目の中に見ているのだ。彼はさっきとつぜん私のところへやってきたようにまたぷいと私から離れた。そしてこういう人たちがまじめな調子で『仕事』と呼んでいる、あの気ちがいじみた夢とうそ[#「うそ」に傍点]の渦の中にめちゃくちゃに飛び込んで行った。  五分もすると、私はこの男のことは忘れてしまっていた。しかし夕方、家へ帰って往来のほこり[#「ほこり」に傍点]と一しょに一日じゅうの憂《う》さ辛《つら》さをみんな振り落した時に、私はこの苦しみを受けた青白い顔、一スーのプチパン、そしてあの『ジラルダンが約束した三十万フランで……』という豪勢な言葉をうらづける身ぶりを思い出した。 [#改ページ] [#4字下げ]アルテュール[#「アルテュール」は中見出し]  数年前、私はシャンゼリゼーの十二軒横丁にある小さな一軒家に住んでいた。馬車に乗った人しか通らないような寒々とした静かなこの貴族的な大通りの中に身を潜めた、人目にたたぬ場末の一角を想像していただきたい。どういう地主の気まぐれか、どんなけちん坊や老人の気ちがいじみた考えからか知らないが、こうしてこの美しい町の中央に、空地《あきち》、かび[#「かび」に傍点]臭い小庭、低い家が放りぱなしになっている。そして、これらの家は乱雑に建っていて、階段が表にあり、木造の露台には一面にせんたくものが干してあり、うさぎ[#「うさぎ」に傍点]のかご[#「かご」に傍点]が置かれ、やせたねこ[#「ねこ」に傍点]や、人慣れたからす[#「からす」に傍点]がいる。そこには職工の家族だとか、細々と年金や金利で暮らしている人たちだとか、芸術家だとかが住んでいて――こうした人たちは、樹木のあるところにはつきものだ。――なお代々の貧困がすっかり染《し》み込んだような汚《きた》ない様子をした二、三の家具付き安アパートがある。しかもその周囲はすべて壮麗と騒音のシャンゼリゼーだ。絶えずとどろく車の音、馬具の触れ合う音、馬の跳躍、重々しい音を立てて閉《し》まる大門、玄関を揺るがす四輪馬車、息苦しそうなピアノ、マビーユ[#原注]のヴァイオリン、一面に立ち並んだもの静かな大邸宅。その邸《やしき》は角々《すみずみ》に丸味を持たせてあり、窓ガラスは淡色の絹の幕でぼかされ、支《ささ》えのない高い鏡には枝付きしょく台の金泥《きんでい》と盆栽だな[#「だな」に傍点]の珍しい草花が延び上がるようにして姿を映している……  端のほうにある街燈でわずかに照らされているこの十二軒横丁の暗い路地は、あたりの美しい舞台の楽屋であった。ぜいたくの中にあるくず[#「くず」に傍点]がみんなそこに隠れているのだ。仕着せの飾りひも、道化役者の肉じゅばん、イギリスの馬丁にサーカスの曲馬師というような、その日暮らしの人たち、ふたご[#「ふたご」に傍点]の子馬と広告板を引きまわす曲馬団の二人の子どもの御者《ぎょしゃ》、やぎ[#「やぎ」に傍点]の引く車、人形芝居、せんべい[#「せんべい」に傍点]売りの女、それから夕方、折りたたみいす[#「いす」に傍点]と手風琴とおわん[#「おわん」に傍点]を持って帰ってくる盲人の群れ。私がこの横丁に住んでいた時、この盲人の一人が結婚した。おかげで一晩じゅう、クラリネットやオーボワや、オルガンや、手風琴の幻想的な音楽が聞かれた。それぞれ独特の単調な音楽を奏するパリの橋の上のつじ楽士たちの行列を目《ま》のあたりに見たのだった…… しかし、平生はこの横丁はかなり静かだった。街《まち》の浮浪人たちは日が暮れなければ帰って来ない、しかもへとへとに疲れて戻ってくる。土曜日、アルテュールが給料を手にした時だけ、騒がしいのだ。  このアルテュールというのは私の隣に住んでいた。低く長い四つ目がき[#「がき」に傍点]がわずかに私の住居と彼が妻と住んでいるアパートとを隔てていた。だから、いやでも応でも彼の生活と私の生活がまざってしまう。そして、土曜日ごとに、この労働者の家庭に起こるパリらしい恐ろしい活劇がことごとく耳に入るのだった。始まり方はいつも同じで、おかみさんが夕食の仕度をする。子どもたちがまわりをうろつく。彼女は子どもたちに優しく話しかけたり、忙がしそうに立ち働く。七時、八時、帰ってこない…… 時間が経《た》つに従って、彼女の声は変る。涙声となり、いらいらしてくる。子どもたちは腹がすき、眠くなり、ぐずつきだす。亭主はやっぱり帰ってこない。彼を待たずに食事を始める。それから、子どもたちを寝かし、鳥小屋も眠ってしまうと、木造の露台に出てくる。私は彼女が涙にむせびなきながらつぶやくのを聞いた。 『ああ! 畜生! 畜生!』  帰ってきた隣近所の人たちが、そこに彼女を見つける。みんな彼女に同情する。 『さ、おやすみなさいよ、アルテュールのおかみさん、帰らないこと分かってるじゃないの、今日は給料日だもの』  そして、助言やおしゃべりだ。 『私があんただったら、こうするわ…… なぜそれを親方に言わないのさ?』  こうしてみんなが同情すると、彼女はますます涙を流す。しかし、彼女はあくまで希望を捨てず、待ち続けて、とうとう気力を失ってしまう。そして、どこの入口も閉《し》まり、往来が静かになり、自分一人だけだと思うと、たった一つのことを思いつめて、そこに寄りかかり、一生の大半を往来で過ごす人たちのような無《む》とん着《ちゃく》さで、自分の悲しみを声高に、自分自身に向かって語るのだった。家賃は滞る、商人たちにはいじめられる、パン屋には断られる…… 今日もまたお金を持たずに帰ってきたら、どうしたらいいのだ? とうとうしまいに、まだ帰らぬ足音を待って時間を数えるのに疲れてしまう。彼女は部屋の中に入る。しかし、かなり経《た》って、すっかり終ってしまったと思うころ、私の近くの廊下でせき[#「せき」に傍点]が聞こえた。かわいそうに彼女は心配になってまた引き返し、まだそこで目をさら[#「さら」に傍点]のようにして暗い路地を見つめているが、見えるのは自分の苦労ばかりだ。  一時か二時ごろ、時にはもっと遅《おそ》く、道の端で歌い声が聞こえる。アルテュールが帰ってきたのだ。多くの場合彼は一人ではなく、仲間を一人入口まで引っぱって来る。『来いったら…… おい、おいでよ……』そこまで来ても、まだぶらぶらしている。うちで彼を待ちうけていることを知っているので入る決心がつかないのだ!…… 階段を上がる時、深い眠りにおちた家の静けさが、彼の重い足音を反響して、後悔の念のように彼を苦しめた。部屋の入口ごとに立ちどまって一人大声に『今晩は、ヴェベールのおかみさん…… 今晩は、マチウのおかみさん』そして、返事をしないと、憎まれ口の連発で、とうとう、入口という入口、窓という窓が開《あ》いて、彼のひどい言葉に応ずるのだ。これこそ彼の望むところで、彼は酔うと暴《あば》れたくなったり、けんか[#「けんか」に傍点]がしたくなったりする。そして、こんなふうに勢い込んで、ぷんぷんして家《うち》に帰れば、彼は帰宅の怖《こわ》さが薄らぐのだった。  この帰りがすさまじかった…… 『開《あ》けろ、おれだ……』  敷石の上をおかみさんが素足で歩き、マッチを擦《す》るのが、聞こえる。そして、亭主は内へ入るといきなり、いつでも同じ話をどもりながらやりだす。『友だち、誘惑…… おまえのよく知ってるやつ…… 鉄道で働いているやつ』女房はそんなことには耳もかさない。 『でお金は?』 『もうないよ、』とアルテュールの声。 『うそ[#「うそ」に傍点]つき!……』  実際彼はうそ[#「うそ」に傍点]をついていた。酒に引きずられながらも、月曜に渇をいやすことをまえもって考えて、いつもわずかな金を残しておく。彼女が彼から取りあげようとするのはこの給料の残りだった。アルテュールはもがいて、『みんな飲んじまったといってるじゃないか!』と叫ぶ。何も答えないで、彼女は怒って神経をとがらせて彼にかじりつき、体《からだ》をゆすぶり、捜しまわり、ポケットを裏返す。しばらくすると、お金が床の上にころがり、女房が勝ち誇った笑い声をあげて、その上に躍《おど》りかかるのが聞こえる。 『ほーら! ごらん』  それから、ののしる声、かすかななぐる音…… 酔っぱらいが仕返しをしている。一度なぐりだすと、もう止度《とめど》がない。あの場末のひどい酒の中にある性《たち》の悪い破壊的なものがみんな彼の頭に上って、そこから逃《のが》れ出ようとしているのだ。おかみさんは喚《わめ》く。小さな部屋のわずかにまだ残っていた家具が粉みじんになって飛ぶ。びっくりして目のさめた子どもが怖《こわ》がって泣きだす。路地の窓がいくつか開いて、人々が、 『アルテュールだ! アルテュールだ!……』と言う。  時にはまた、隣の家に住んでいる年を取ったくず[#「くず」に傍点]拾いのしゅうと[#「しゅうと」に傍点]が娘の応援に来る。しかし、アルテュールは仕事中を邪魔されないようにかぎ[#「かぎ」に傍点]をかけている。そこで、かぎ[#「かぎ」に傍点]穴の向こうとこちらで、しゅうと[#「しゅうと」に傍点]と婿とのあいだに恐ろしいやりとりが始まる。そして、私たちはたいへんなことを耳にする! 『じゃ、二年間監獄にいてもまだ足りないんだね? 悪党め!』と老人が叫ぶと、酔っぱらいは居《い》たけ高《だか》になって、答える。 『そうさ、二年間監獄にいたよ…… それがどうしたというのだ…… 少くともおれは世間へ借りを返したよ…… 貴様も貴様の分を返したらいいだろう!……』  彼にとってはごく簡単だったのだ。「おれは盗みをした、貴様はおれを監獄にぶち込んだ。おれたちのあいだにはもう貸借はない……」しかし、それでも老人があまりこのことを繰り返して言うと、我慢のできなくなったアルテュールは戸を開《あ》けて、しゅうと[#「しゅうと」に傍点]やしゅうとめ[#「しゅうとめ」に傍点]や近所の人たちにのしかかってきて、まるでポリシネル[#原注]のように、相手かまわずぶん[#「ぶん」に傍点]なぐるのだ。  けれども、悪い男ではなかった。ときどき日曜日、この暴虐の日の翌日、ようやくおとなしくなった酔っぱらいは、酒を飲みに行く金が一スーもないので、うちで一日を過ごす。部屋からいす[#「いす」に傍点]が持ちだされる。ヴェベールのおかみさん、マチウのおかみさん、アパート総出でバルコンに陣取って、おしゃべりが始まる。アルテュールは親切そうに気転をきかす。夜学に通う模範職工の一人だと言えそうだ。口をきく時は甘ったるいねこなで[#「ねこなで」に傍点]声を出す。そして、労働者の権利とか、資本家横暴というような問題について、あちらこちらで集めてきたきれぎれ[#「きれぎれ」に傍点]の思想を述べ立てる。前夜のげんこ[#「げんこ」に傍点]で骨抜きになったかわいそうなおかみさんが、感心して彼をながめている。感心しているのは彼女ばかりではない。 『ほんとうに、アルテュールさんが、そのつもりなら!』と、ヴェベールのおかみさんが嘆息《ためいき》をつきながらつぶやく。それから、このおかみさんたちが彼に歌を歌わせる。彼はベランジェー[#原注]の「つばめ[#「つばめ」に傍点]」を歌う…… ああ! 空涙《そらなみだ》を流して、のど[#「のど」に傍点]から出す声、労働者の愚かしい感傷! 紙にチャンを塗った、かび[#「かび」に傍点]の生《は》えたヴェランダの下で、広げられたぼろ[#「ぼろ」に傍点]が綱と綱とのあいだに青空の一角をのぞかせている。そして、この放《ほう》とう[#「とう」に傍点]者《もの》は、彼なりに理想に飢えて、ぬれた目をかなたへ高く向けている。  いくらこんなことがあっても、次ぎの土曜日になればやはりアルテュールは給料を使い果し、女房をなぐる。そして、このそまつな家には、親父《おやじ》くらいの年になれば給料を飲み女房をなぐろうという、小アルテュールの数は尽きない…… そして、この連中が社会を支配しようとしているのだ!…… ああ! ほんとうに病毒だ! 路地の隣人が言ったように。 [#改ページ] [#4字下げ]三つの警告[#「三つの警告」は中見出し]  私がベリゼールといって、今片手にかんな[#「かんな」に傍点]を握っているのが本当なように、ティエール[#原注]のおやじ[#「おやじ」に傍点]が、私たちに訓戒を与えてそれが後に何かの役に立つと考えるなら、確かに彼はパリの民衆に対して認識不足である。ねえ、君、やつらが私たちを一塊《ひとかたま》りに銃殺したって、国内から追放して、外国へやったって、サトリーの丘に集めてカイエーヌ[#原注]へ送ったって、いわし[#「いわし」に傍点]のたる[#「たる」に傍点]みたいに船にギューギュー詰め込んだって何にもならない、パリっ子は暴動がお好き。どんなことしたって、この趣味が抜けるもんか! 何しろ生れつきだ。仕方がない。おもしろいのは政治じゃないんで政治から起こる騒ぎなのだ。工場が閉《し》められて、人々が集まり、みんなぶらぶらして、そして、ちょっと口には出せないがまだおもしろいことがあるんだ。  私のように、オリヨン街の指物師《さしものし》の仕事場で生れて、八歳から十五歳まで年期奉公に出されて、かんなくず[#「かんなくず」に傍点]をいっぱい積んだ車を引いて郊外を駆けまわった経験がなくちゃ、この味はしっかり分からない。ああ! 本当に! この時代には革命というものを充分味わったと言える。背丈《せたけ》が長ぐつ[#「ぐつ」に傍点]ぐらいの子どものころ、パリに何か騒ぎがあればきっそその中に私の姿が見られたものだ。たいていの場合みんなより早く知っていた。職工たちが互に腕を組んで歩道いっぱいに並んで郊外を歩いて行くのや、戸口で女たちが身ぶり手ぶりで話し、そしてこれらの人たちが市の出口のほうへとやってくるのを見ると、かんなくず[#「かんなくず」に傍点]を運びながら、私は独言《ひとりごと》をいう。『しめたぞ! 何か起こるな……』  実際、必ず何か起こった。夕方、家に帰ると、店はいっぱいの人だった。父の友人が仕事台のまわりで政治の話をしていて、近所の人が彼に新聞を持ってきていた。なぜなら、この時代には今日のような一枚一スーの新聞はなかったのだ。新聞の欲しい者は、同じ建物で数人一しょに金を出しあって、一階から二階へというふうにまわしていた…… どんな事があってもいつも働いている父親のベリゼールは新しい事柄を耳にすると怒ってかんな[#「かんな」に傍点]をほうりだすのだった。そして、今でも思いだすが、そのころ食卓につく時に、母は私たちに、きまってこう言った。 『おまえたち静かにおしよ…… 政治のことでおとうさんはごきげんが悪いからね』  もちろん、このいやな事件のことは私にはたいして分からなかった。それでも、たびたび聞いているうちに頭の中に入ってしまった言葉があった。たとえば、 『ギゾー[#原注]の野郎、ガン[#原注]へ行きやがった!』  私ばこのギゾーというのが何者か分からなかったし、ガンへ行くというのはどういうことを意味するのか知らなかった。しかし、そんなことはどうでもいい! 私はみんなと一しょに繰り返した。 『ギゾーの野郎!…… ギゾーの野郎!……』  そして私がこのきのどくなギゾーを野郎野郎といい気になって呼んでいるうちに、だんだん彼と巡査とを頭の中で混同するようになっていった。その巡査はいつもオリヨン街の一角に立ち、かんなくず[#「かんなくず」に傍点]の車のことでしじゅう私をいじめるのだ…… だれもこのあたりではこの赤ら顔ののっぽの巡査を愛さなかった! 犬も、子どももみんな、彼をきらった。ただ、ぶどう酒商人だけは例外で、ときどき彼のきげんを取るために店の戸のすきまからいっぱいのぶどう酒をそっと出しておいた。のっぽの赤は何気《なにげ》ないふうで近づいて、上役がいないかどうかと右左をながめて、それから通りがかりにキューッ…… 私はこんなにすばやくコップが風を切るのを見たことがなかった。おもしろいのは彼がひじ[#「ひじ」に傍点]を上げる時をねらって後へ行き、 『気をつけろ、巡公!…… 署長が来たぞ』と叫ぶのだった。  パリの民衆にかかってはこのとおりだ。みんなにひどい目に会うのは巡査なのだ。かわいそうに、みんな彼をきらって、いつも犬のように思っている。大臣がばか[#「ばか」に傍点]なまねをすると、そのあとしまつ[#「あとしまつ」に傍点]をするのは巡査なのだ。そして一度本物の革命でも起きると、大臣連はヴェルサイユへ逃げて、巡査が運河に投げ込まれる……  ところで前の話にかえって、何かパリに起こると私は第一にそれを知る一人だった。そういう日には、町の子どもたちは集合所を決め、みんな一しょに郊外へ出かけた。こう叫ぶ者もいた。 『モンマルトル通りだ…… いや!…… サン・ドニ口だ』  他の、この方面に外出していた人たちは、通れなかったので怒って帰ってきた。女たちはパン屋へ駆けつける。大門を閉《し》める。こんなことはみんな私たちを興奮させた。私たちは歌を歌い、通りがかりに、大風の日のように屋台店やかご[#「かご」に傍点]をかたづけている露天商人にぶつかった。時には運河の所に来ると水門の橋がすでに閉《し》まっている。つじ[#「つじ」に傍点]馬車や貨物車がそこに止まっている。御者《ぎょしゃ》がどなり、人々は不安に駆られている。私たちは郊外とタンプル通りを結んでいる階段のたくさんある幅の広い陸橋を上る。そして、大通りに達する。  おもしろいのはここだ。マルディグラと暴動の日の大通りを一しょにしたようだ。車はほとんど通らない。勝手気ままにこの大通りを駆けまわることができる。私たちが通るのを見ると、この町の商人たちはそれがどんなことを意味するのかを知って、急いで店を閉《し》める。よろい戸[#「よろい戸」に傍点]がガタガタいうのが聞こえる。しかし、それでも一度店の戸を閉《し》めると、この人たちは戸口の歩道に出る。なぜならパリ人は好奇心が何よりも強いのだから。  ようやく、私たちは真黒いかたまりを認める。群衆、雑踏。そこだ!…… ただ、よく見るには、第一線に立つことだ。が、さてそうすりゃ例のとおりなぐられる…… しかし、押したり、ぶつかったり、足のあいだをくぐったりして、私たちはとうとう目的を遂げる…… 一度みんなの前に出ると、フーと深い息を吐《つ》いて、得意になる。実際こうして見物するだけのことはあるのだ。  ええ、まったく、ボカージュ氏やメラング氏のごとき名優でも、私があの往来の端のからっぽな所へお役人が肩章を付けて進んでくるのを見て感ずるような心臓のときめきは与えてくれない…… みんなが叫ぶ。 『お役人だ! お役人だ!』  私は何も言わなかった。恐ろしさとうれしさと何だか分からない気持ちで歯を食いしばっていた。心のなかで考えた。 『お役人があそこにいる…… もうじき丸太棒が飛ぶから用心しろ……』  私に深い印象を与えるのは丸太棒をいただくことよりもこのお役人の野郎で、黒い礼服に肩章を付けて、軍帽や三角帽の中で一人だけシルクハットをかぶって訪問でもするような様子だ。実際すばらしい印象を受けた! 太鼓が鳴ったあとで、お役人は何かぶつぶつ言い始めた。非常に静かなのだけれど遠くにいるので、彼の声は空中に消えて、ただ『ムニャムニャ』と聞こえるばかり。  しかし私たちは彼と同じくらいよく群衆に対する法則を心得ていた。私たちはなぐられる前に三つの警告を与えられる権利があることを知っていた。だから、最初にはだれも動かない。両手をポケットに入れて、非常に静かに、そこにじっとしている…… ところが第二の太鼓が鳴ると、みんな青い顔になってどこから逃げようかと左右をながめはじめる…… 三つ目の太鼓が鳴ると、タタタタッ! と、しゃこ[#「しゃこ」に傍点]が飛び立つように散らばる。そして、叫び声、泣き声、飛び交《か》ううわっぱり[#「うわっぱり」に傍点]、帽子、軍帽、後の方では、棒が舞いだす。いやまったくの話! どんな芝居だって、これほど感動を与えることはできない。他人《ひと》にこれを話すには一週間はかかる。そして、 『私は三つ目の警告の太鼓を聞いた!……』ということのできる人たちのなんと威張っていることよ。  もっともこの楽しみでは、ときどき体《からだ》の皮が破れてしまうような危《あぶな》い目に会う。ご想像願いたいのだが、ある日のこと、サン・ユスタシュ教会の端で、お役人がどう勘定をしたのか知らないが、第二の太鼓が鳴るやいなや、町の巡警たちが棒を振りあげてやってくるという有様、もちろん私はみすみすなぐられなんぞするものか、しかしいくら小さな足を伸ばして駆けってもだめ、この背の高いやつらの一人が私をどんどん追いかけて、追いつめて、すぐ後に棒が風を切るのを二、三度感じたかと思うと、とうとう頭にゴツンとくらった。ああなんというひどい打撃だったろう。こんなに目から火の出たことはない…… 顔を傷付けられたまま家へ連れて行かれた。そして、それで私が懲《こ》りたとお思いですか…… いいえ、どうして、どうして、きのどくなおかあさんのベリゼールが湿布をかえるごとに、私はいつもこう叫ぶのだった。 『僕が悪いんじゃない…… あの役人のやつが僕たちを欺《だま》したのだ…… 二つしか警告をしなかったのだもの!』 [#改ページ] [#4字下げ]初演の夕[#「初演の夕」は中見出し] [#6字下げ]作者の印象[#「作者の印象」は小見出し]  八時開演。もう五分で、幕が開《あ》く。機械係り、監督、道具方、みんな受持ちの場所に着いている。第一景の役者たちが位置を占めて、それぞれのポーズをとっている。私はもう一度だけ幕の穴からのぞいた。客席は満員だ。千五百人の人が半円の観覧席に並んで、光の中で、笑ったり、動いたりしている。中には、おぼろげながら見知っている人もいた。しかし、容ぼうはまったく違って見える。気どった顔、横柄な、一人よがりの様子、ピストルのように私をねらって差し向ける双眼鏡。なるほどすみのほうに、不安と期待に青白い、親しい人たちの顔も見えるが、しかし冷淡な、敵意を含んだ顔のなんと多いことだろう! それに、この人たちが外から持ってきた多くの不安、放心、屈たく、不信…… 何しろこれらを残らず一掃し、この倦怠と敵意のふんいき[#「ふんいき」に傍点]を突き進んで大勢の人たちに共通の考えを持たせねばならず、このきびしい目のどれにも興味の炎を点じなければ私の芝居は長続きがしないというのだから…… 私は待てるものなら待ってみたい。幕を上げさせたくない。しかしだめだ! もう遅《おそ》い。もう合図《あいず》の三打がなって、オーケストラが序奏を始めた…… それから深い沈黙、そして、舞台裏に聞こえる声が、幽《かす》かになり、遠ざかり、広い客席に消えてしまった。私の芝居が始まるのだ。ああ、情けない、なんということをしたのだろう……  恐ろしい瞬間。これからどうなることやら。私は大道具の柱にぴったり体《からだ》をくっつけて、耳をそばだて、胸をときめかして、身動きもせずにいた。自分のほうにこそ勇気が要《い》るのに役者へ勇気をつけたり、自分でもわけの分からないことをしゃべったり、内容《なかみ》のないもの思いを血走る目に表わして微笑《ほほえ》んだり…… ああ、ほんとうに! 見物席へ逃げ込んで、正面から運命の成り行きを見るほうがましだ。  そこで芝居とまったく関係のない冷静な観客になって、こっそり後の桟敷《さじき》の奥から見ようとした。二ヵ月のあいだ私の作品の周《まわ》りに漂う舞台のほこり[#「ほこり」に傍点]を見たことも、また私自身あらゆる動作やあらゆる声、戸の開き方からガスの燃え方に至るまで、舞台装置の細々としたことをとりきめたことも忘れたような気持になってみた。不思議な印象を受ける。耳を傾けようとするが、できない。何もかも私を邪魔する。私の心をかき乱す。箱席《ロージュ》の戸を開《あ》ける荒々しいかぎ[#「かぎ」に傍点]の音、腰掛けをガタガタさせる音、励ましあい、答えあうせきばらい[#「せきばらい」に傍点]、扇の音、衣《きぬ》ずれの音、数知れぬ小さな音が、私には非常に大きく思われる。それから、敵対するような身ぶり態度、あまり満足でもなさそうなうしろ姿、退屈そうに伸ばすひじ[#「ひじ」に傍点]など、みんな舞台ぜんたいを隠してしまうような気がする。  私の前では鼻めがねをかけた若者がもったいぶってノートを取っていたが、 『幼稚だな』と言った。  横の席ではひそひそ話が聞こえる。  ――ご承知でしょう、明日《あす》ですよ。  ――明日《あす》?  ――そう、明日《あす》、きっとね。  この人たちには明日《あす》が非常に大切らしい。そして私は今日のことだけ考えているんだ!……  この混乱を通して、私の言葉は一つも印象を与えないし、思うところに当らない。役者の声は、上へ上へと昇《のぼ》って客席を満たす代りに脚光燈の線で止まり、さくら[#「さくら」に傍点]の元気のない拍手を聞きながら、|台詞係り《スフルール》の入っている穴の中に重そうに落ちてしまう…… あそこにいる人は何を怒っているのだろう? とてもやりきれない。出よう。  さア、外へ出た。雨が降っている。真暗だ。しかし、そんなことはたいして気にならない。箱席《ロージュ》や普通席《ガルリ》が光を受けた見物の顔を並べて、私の前でまだ渦を巻いている。そしてその真中に、舞台が、動かぬ一点のごとく輝いているが、それも私の遠ざかるにつれて、暗くなる。歩いてもだめ、体《からだ》をゆすぶってもだめ、いつもこののろわしい舞台が目先にちらつく。そして、私が暗しょうしている芝居が演じ続けられ、私の頭の奥で悲しそうに広げられていく。これは私につきまとう悪夢である。私に行きあう人も、ぬかるみも、往来の音も、みんなその片割れのように見える。大通りのすみで呼子《よびこ》がなる。私は真青《まっさお》になって立ちどまる。ばか[#「ばか」に傍点]な! 乗合馬車の駐車場じゃないか…… 私は歩き続ける。雨はますます激しくなる。あそこでも私の芝居の上に雨が降っているらしい。そして、何もかもはがれ、水に溶け、私の芝居の主役たちは、恥じてしわくちゃ[#「しわくちゃ」に傍点]になって、私のあとから、ガスと水に輝やく歩道の泥《どろ》の中を歩いてくる。  この憂うつな考えをむしり取ろうと思って、カフェーに入った。そして読書をしてみたが、文字が入り乱れて、踊ったり延びたり回ったりする。言葉の意味も分からない。みんな奇妙で、意味がないように思われる。数年前、大あらし[#「あらし」に傍点]の日に海上で試みた読書を思いだす。水だらけの屋根の下にうずくまって英文法書を見つけたので、波が躍《おど》りかかり、帆柱がもぎ取られていく中で、危険を忘れるよう、甲板の上にくずれ落ちてさあっと広がる緑の大波を見ないよう、私は全力を集中して、英語の th の研究に没頭した。しかし、高い声で読んでも、単語を繰り返しても、叫んでもだめ、海の叫びと帆げた[#「げた」に傍点]の上の北風の鋭いうなりでいっぱいの頭の中には、何も入らなかった。  私が今持っている新聞も私には英語の文法と同じように訳が分からない。しかし、私の前に広げられたこの大きな新聞をじっと見つめていると、短く詰まった行のあいだに、明日《あす》の記事が書き連ねてあるのが目についた。そして、私の貧弱な名まえが、いばら[#「いばら」に傍点]のやぶ[#「やぶ」に傍点]と苦いインキの波の中にもがいていた…… とつぜんガスが暗くなり、カフェーが閉《し》まった。  もう?  いったい何時?  ……大通りはいっぱいの人だ。劇場《しばい》が閉《は》ねた。きっと、私の芝居を見た人たちともすれ違っただろう。尋ねたいし知りたいとも思うけれど、同時に私は声高な批評や、往来の真中で脚本の話を聞かぬよう、急いで通り過ぎた。ああ! 家路につく人たち、そして芝居を作らなかった人たちはなんと幸いなのだろう…… いつのまにか劇場の前に来た。すっかり閉《し》まっている。燈《あか》りが消えている。きっと、今晩はなんにも知らずじまいになるだろう。しかし、ぬれた広告や、戸口にまだパチパチしている豆ランプのついた三角形の燈火台を見ると、非常な寂しさを感じた。今しがた、音と光をたたえて大通りのすみいっぱいに広がっていたこの大きな建物は、ひっそりと黒く、寂しげに、火事のあとのようにしずく[#「しずく」に傍点]をたらしている…… さあ! もう終った。六ヵ月の制作、夢、疲労、希望、みんな一夜のガスの炎に焼かれ、消え失《う》せ、飛び散ってしまった。 [#改ページ] [#4字下げ]チーズ入りスープ[#「チーズ入りスープ」は中見出し]  六階の小さな部屋で、雨が、突きあげ窓の上にまっすぐに降りそそぎ――今のように夜になると――屋根もろとも暗やみ[#「やみ」に傍点]と風雨の中に吸い込まれてしまうように見える、そうしたあの屋根裏部屋の一つなのだが、室内は立派で居心地が良く、中へ入るとなんともいえない幸福な感じがして、風の音ととい[#「とい」に傍点]を滝のように流れる雨水にいっそうこの感じを深くする。まるで大木の頂にある暖かい巣の中にいるようだ。今のところ、巣はからである。部屋の主が留守なのだ。だが、まもなく帰ってくるらしい。家じゅうが彼を待ちかまえているようだ。よくおこって灰のかかった火の上で、小さななべ[#「なべ」に傍点]が満足そうにぐつぐつ言いながら静かに煮えている。なべ[#「なべ」に傍点]にとっては、夜ふかしが少し長すぎるらしい。だから、さんざん火にあぶられて茶色に焦げた横腹から察すると、こういうことには慣れきっているようだが、ときどき待ちきれなくなって、湯気にあおられてふた[#「ふた」に傍点]を持ち上げる。すると、うまそうな熱い湯気が立ちのぼって、部屋いっぱいに広がる。  ああ! チーズ入りスープのうまそうな香《かお》り……  ときどき、また、灰でおおった火が少しあらわれる。まきのあいだの灰が崩《くず》れて、小さな炎が部屋の下方を照らしながら床《ゆか》の上を走る。きちんと整とんされているかどうか確めるために臨検でもしているようだ。ああ、ほんとうに! 何から何まできれいに整とんされて、ご主人はいつお帰りでもいいようになっている。アルジェリア布の帳《とばり》が窓の前に引かれ、寝床の周《まわ》りに気持よく張りめぐらしてある。向こうには大きなひじかけいす[#「ひじかけいす」に傍点]が、だん[#「だん」に傍点]炉の傍《そば》に置いてある。片すみの食卓はすっかり用意が整っている。いつでも燈《あか》りの点《つ》けられるようになっているランプと、一人前の食器。そして食器の傍《そば》には、孤独な食事の友だちとなる本が置いてある…… なべ[#「なべ」に傍点]は火に焦げ、さら[#「さら」に傍点]の花模様も水に洗われて薄ぼんやりしているように、本もまた縁が傷《いた》んでいる。いずれも使い慣れて少し疲れかげんだが、しみじみとした味がある。この家の主人は毎晩非常に遅《おそ》く帰るとみえる。そして、このささやかな夜食がぐつぐつ煮えて彼の帰宅まで部屋をにおわせあたためているところへ帰ってくるのが好きらしい。  ああ! チーズ入りスープのうまそうな香《かお》り。  この男の住居のきれいなのを見ると、私は使用人《サラリーマン》を想像する。勤務時間の正確さと、背に張り紙をした帳簿の秩序正しさを生活のすべてに取り入れている、あの綿密な人物の一人を考える。こんなにおそく帰るからには、郵便局か電信局で夜業をしているに違いない。格子《こうし》窓の向こうにいるのがここからでも見えるようだ。もめんのそで[#「そで」に傍点]をはめて、びろうどの帽子をかぶり、手紙を選り分け、消印を押し、電報の青い紙切れを引き出し、眠ったり遊んだりしているパリの人たちのために、明日《あす》の仕事をすっかり用意している。ところが違っていた。そうではないのだ。部屋の中を探索すると、だん[#「だん」に傍点]炉の微《かす》かな光が、壁にかかった大きな写真を照らしだす。すると、暗やみ[#「やみ」に傍点]の中から、金のわく[#「わく」に傍点]にはまって厳かに幕を張りめぐらされたオーギュスト皇帝[#原注]、マホメット[#原注]、ローマの騎士で、アルメニア総督のフェリクス[#原注]の姿が現われた。王冠、かぶと[#「かぶと」に傍点]、教王の冠、巻帽子、そして、これらの違ったかぶり物の下に、いつも同じ厳かにまっすぐな顔、この家の主人の顔が浮かびでている。幸福な殿様だ。彼のために香《かお》りのよいスープがぐつぐつ熱い灰の上で静かに煮えている……  ああ! チーズ入りスープのうまそうな香《かお》り……  確かに違う! これは郵便局の局員ではない。それは皇帝であり、世界の王であり、毎夜芝居の演ぜられる日にはオデオン座の丸天井《まるてんじょう》を揺るがせて『者共、彼を捕えよ!』と言いさえすれば衛兵どもが即座にその命に従うあの神より遣《つか》わされた人の一人である。今、彼は川向こうの宮殿にいる。脚に長ぐつをはき、肩に外とうを羽織《はお》って、回廊を歩き、大声に叫び、まゆ[#「まゆ」に傍点]をしかめ、悲劇的な台詞《せりふ》を言いながらもいかにも退屈そうだ。実際、空席を前にして芝居をやるのは寂しいものだ! それにオデオン座の客席は、悲劇の演ぜられる晩はことに大きくて寒いのだ!…… 赤い服を着て凍りかかった皇帝は、とつぜん体《からだ》じゅうをあついものが流れるのを感ずる。目は輝き、鼻のあなが開く…… 家《うち》へ帰ったことを考える。部屋はまだ暖かく、食器の用意は整って、ランプも点《とも》すばかりになっており、舞台上の乱れがちな態度を私生活によって埋め合せをつけようという、役者らしい豊かな心遣いから、ささやかな家《うち》の中がみんなよく整とんされている…… なべ[#「なべ」に傍点]のふた[#「ふた」に傍点]をとって、花模様のさら[#「さら」に傍点]にいっぱいに……  ああ! チーズ入りスープのうまそうな香《かお》り!……  こう考えた瞬間から、まるで別人のようになった。外とうのまっすぐな折り目、大理石の階段、回廊の堅さも、もう少しも苦にならなかった。彼は元気づいて、動作を速め、筋の運びを急ぐ。察してみたまえ! 家のだん[#「だん」に傍点]炉が消えかかっているかもしれない…… 夜が更《ふ》けるに従って、彼の描く幻影は近づいてきて、彼に力を与える。奇跡だ! 凍っていたオデオン座が溶けてきた。眠っていた平土間の定連の老人たちは我に返って、マランクールの演技は本当にすばらしい、ことに最後の場面では、と思う。実際、大団円の、むほん人が殺され、王女が結婚をするという大詰めに来て、皇帝の顔は無上の幸福、不思議な穏やかさを示すのだ。非常な感動と台詞《せりふ》とのために胃のふ[#「ふ」に傍点]がくぼんで、自分の家《うち》で小さな食卓にすわっているように思え、さも心を動かされたというような優しい微笑をもってシンナ[#原注]からマクシム[#原注]へと目をうつす。チーズ入りのスープがよく煮えてとろとろになり、暖かいままで食卓に供せられて、きれいな白い糸がさじ[#「さじ」に傍点]の先に長く引くのがもう見えてでもいるように…… [#改ページ] [#4字下げ]最後の本[#「最後の本」は中見出し] 『あいつ死んだよ!……』と、だれかが階段の途中で私に言った。  すでに数日前から私はこの悲しい報知の来ることを感じていた。近いうちにこの門口で凶報に会うだろうと思っていた。でもそれは思いがけないことのように私を打ちのめしたのだった。私は悲しい心を抱《いだ》いて、くちびる[#「くちびる」に傍点]を震わせながら、この文筆に携わる人のささやかな住居へ足を入れた。ここでは書斎がいちばんよい場所を占めて、自分勝手の勉強が家じゅうの平安と光明とをすっかり奪っていた。  彼はそこのごく低い鉄製の寝台に横たえられ、そして書類の載《の》っている机、ページの中ほどで切れている彼の大きな字、インキつぼ[#「つぼ」に傍点]の中につき差したままのペンが、死がいかに急激に彼を襲ったかを物語っていた。寝台の後には、原稿やほご[#「ほご」に傍点]のはみだした高いかし[#「かし」に傍点]の戸だなが頭の上からのしかかるように半分口を開いていた。あたり一面本だ。たなの上にもいす[#「いす」に傍点]の上にも机の上にも、床のすみにも積んであるし、寝台のすそ[#「すそ」に傍点]のほうまで、どこもかしこも本ばかりだ。彼がここで机に向かって書いている時は、この混雑、ほこり[#「ほこり」に傍点]の立たぬこの乱雑さは、彼の目を楽しませたに違いない。そこには生命と、仕事の張り合いが感ぜられる。しかし、この死の部屋では、それはもの寂しかった。積んだまま崩《くず》れたこれらの主人を失った哀れな本は、みんな、競売に付せられたり川岸や露店に散らばって風や散策者にめくられる手当り次第に集めたあのたくさんの本の中に、今にも紛れ込んでしまいそうな様子であった。  私は今寝床で彼にせっぷん[#「せっぷん」に傍点]した。そして、石のように冷《つめた》く重い額《ひたい》の感触にぞっとして、立ったまま彼をながめていた。とつぜん戸が開いた。荷物を持って息をはずませた本屋の番頭が元気よく入ってきて、印刷したての本の包みを机の上に押しやった。 『バシュランからのお届けです』と叫んだ。そして、寝台を見て、後へさがり、帽子を取って、つつましく引きさがった。  一月《ひとつき》も遅れて、病人から非常に待たれて、死神に受け取られた、バシュラン書店からの届け物の中には、何かすごい皮肉なものがあった…… かわいそうな友人! 彼の最後の本、いちばん期待していた本だ。すでに熱で震えていた手が、どんなに細かい注意をこめてその校正をしたことだろう! 最初の一冊を手に入れるのにどんなに急いだろう! 最後の数日、すでに口がきけなくなった時も目は入口の戸ばかりを見つめていた。だから、もし印刷工、校正係り、製本工などただ一人の仕事のために働くこれらの人たちが不安と期待に満ちたこの目を見ることができたなら、間に合うようにと、すなわちもう一日早く、そして、死にかかっている彼に、新しい本の香《かお》りと鮮明な印刷文字の中にすでに自分の頭から逃げだして曇り始めた思想を生《なま》のままで見出す喜びを与えるために、手は忙がしく働き、文字はすばやくページに組まれ、ページは本に閉じられたろう。  元気にあふれている時でさえ、実際、作家にとっては興奮せずにはいられないような幸福があるものだ。自分の作品の最初の一巻を開く。その労作は今や浮き彫りのように落ち着いて、もはや、頭脳の猛烈な沸騰の中で幾分取り乱したいつもの姿ではない。なんという快い感じだろう! ごく若い時なら諸君は目もくらむ思いがする。太陽の光を頭いっぱいに入れているかのように、文字が青と黄色に伸びて輝く。後になると、この創作家の喜びに、悲しみが少し交《ま》じる。言いたいことをみんな言えなかったという心残りだ。自分の頭の中に持っている仕事はいつでも自分の作り上げたものよりは美しく見える。たくさんのことが、この頭から手への旅路で失《な》くなるのだ! 深い夢の中で見ると、本の思想は漂うぼかし[#「ぼかし」に傍点]のように海中に浮かぶ地中海の美しいくらげ[#「くらげ」に傍点]に似ている。砂の上に置かれると、ほんのわずかの水、色のあせた水滴に過ぎない。すぐ風に乾《かわ》かされてしまう。  ああ! この喜びもこの幻滅も、かわいそうにこの男は、最後の本からは何も得られなかったのだ。力なくぐったりとまくら[#「まくら」に傍点]の上に眠っているこの顔と、またその傍《そば》の真新しい本とを見るのは痛ましかった。この本は、やがて書店の陳列窓に姿を現わし、往来の騒音と、日中の活動とに加わろうとしている。そして、通りがかりの人たちは本の表題を機械的に読んで、著者の名と一しょに記憶の中に、目の奥に運び去るだろう。明るい色の表紙の上の微笑《ほほえ》ましい、きらびやかなその名まえは、役場の帳簿の上にも悲しく認められているのだ。埋葬されて忘れられてしまおうというこの硬《こわ》ばった死体と、いきいきと目に見え、恐らくは不滅な霊魂のように彼から抜けだしたこの本との間には、霊魂と肉体との問題がそっくり存在しているように思われた……  ……『一冊くださるとお約束になったのですが……』と私の傍《そば》で哀れっぽい声がごく低く聞こえた。振りむくと、金縁《きんぶち》めがねの下に、私のよく知っている、そして物を書く諸君はみんなご承知の、いきいきと捜しまわるような小さな目を見出した。諸君の本の広告が出るとすぐ、いかにも彼らしくおどおどと[#「おどおどと」に傍点]しつこく、二度小さく門口のベルを鳴らしにくるあの本道楽の男だ。背中をかがめてにこにこと入ってきて、周囲を跳《は》ね歩いて諸君を『先生』と呼び、新刊の本を持ち去らずには出ていかない。新刊のでなくてはいけない! 他のはみんな持っている。新しいのだけがないのだ。で、ことわる方法は? 何しろいい時をねらって来る。さっき話したあの喜びの最中、送ろう、ささげようで夢中になっている時に諸君を襲うことを知っている。ああ! 答えぬ戸も、冷ややかな応接も、風も雨も、道の遠さも何もはねつけることのできない、このしまつにおえぬ小男。朝、ポンプ街にパッシイの長老[#原注]の門をたたいている彼の姿を見るかと思うと、夕には、サルドゥー[#原注]の新作戯曲を携えてマルリーから帰ってくる。こうして、いつも走り歩いて、物ごいをして、働かずに一生を過ごし、金を出さずに書斎を満たしていくのだ。  まったく、こうして死の床にまで彼を導くくらいだから、この男の書籍欲はよほど激しかったに違いない。 『ええ! あなたの分をお取んなさい』と私はいらいらして言ってやった。彼はその本を、取るというよりは飲みこんでしまった。そして、一度本をポケットに深く収めると、さも感にたえない、という様子でめがねをふきながら、口もきかずに首をかしげたままじっとしている…… 何を待っているのだ? 何が彼を引きとめているのだ? きっと、少し恥ずかしいのだろう、本をもらいにだけ来たようですぐに出かけるのがばつ[#「ばつ」に傍点]が悪いのだろうか?  ところが違っていた!  机の上の、半分引きちぎれた包み紙の中に、数冊の特製本を認めたのだ。天地があいて花模様のカットの入った、ページの切ってない厚縁の本だ。――そこで、考え込んだ様子をしながら、目も心もみんなここにあったのだ…… 横目でにらんでいたのだ、ひどいやつ!  しかし、これが観察狂というものだ! 私自身も感動の気持を忘れていた。そして、死者のまくら[#「まくら」に傍点]元で演ぜられるこの痛ましい小喜劇を、涙を通して見つづけていた。静かに、目に見えないような動きかたで、書物マニアは机に近づいた。彼の手はまるで偶然のように本の上に置かれた。彼はそれをひっくり返し、開《あ》けて、紙をなでた。次第に彼の目は輝き、血がほお[#「ほお」に傍点]に上がった。本の魔力が彼に働いたのだ…… とうとうがまんできなくなって、その一冊を取り上げた。 『サント・ブーヴ氏[#原注]に持って行くのです』と小声で私に言って、熱望と、困惑と、取り戻される心配から、そして、サント・ブーヴ氏に渡すと思い込ますためであろう、彼は、非常に重々しく、なんとも言えない悲痛な調子で付け加えた。『アカデミ・フランセーズの!……』そして、姿を消した。 [#改ページ] [#4字下げ]売家[#「売家」は中見出し]  ときどき庭の砂と往来の土ほこり[#「ほこり」に傍点]を交《ま》じえるという建てつけの悪い木造の戸、その戸の上に、長い前から掲示板が掛かっている。じっと動かずに夏の陽《ひ》に照りつけられたり、秋風になぶられて揺らいだり、「売家」と書いてあるのだが、また廃屋《あばらや》とも言えそうな感じがする。それほどあたりが静かなのだ。  しかしそこにはだれか住んでいる。細々とした青白い煙が壁から少し出ばっているれんが[#「れんが」に傍点]の煙突から上って、あの貧乏人がたく火の煙のように、隠れた、つつましく悲しい生活を知らせるのだった。そして、がたつく戸板のすきまから、放棄とか、空虚とか、売却や出発の前に必ず起こってその先触れをするもののかわりに、小道がまっすぐについて、青葉のたな[#「たな」に傍点]は丸く造られ、泉水の傍《そば》にはじょろ[#「じょろ」に傍点]があり、植木屋の道具が小屋に立て掛けてあるのが見える。ただ普通の百姓家で、傾斜した地面に小さな階段によってまっすぐに立ち、北のほうを二階に、南側を階下としている。階下のほうは、温室かと思えた。段の上にガラスの大ぶたが積み重ねられ、ひっくり返ったからっぽの植木ばち[#「ばち」に傍点]もあれば、白い焼けた砂の上に並べられたジェラニウムや、ウマツヅラのはち[#「はち」に傍点]もある。その上、二、三本のプラタナスの大木を除いては、庭は一面太陽の光を受けている。果樹は鉄の針金で扇形に作られ、あるいはかきね[#「かきね」に傍点]をこしらえて、いっぱいに陽《ひ》を浴びて広がり、果物《くだもの》がよく実るというだけの理由で少し葉が落されている。またいちご[#「いちご」に傍点]の苗や、つる[#「つる」に傍点]の長いえんどう[#「えんどう」に傍点]もある。そして、これらの中で、この秩序と静寂との中で、一人の老人が、わら[#「わら」に傍点]の帽子をかぶって、一日じゅう小道を歩きまわり、朝な夕な水をやり、枝を切ったり、周《まわ》りを刈りこんだりしている。この老人は土地では知り合い一人ない。ただ一筋の村の道を戸ごとに止まるパン屋の馬車を除いては、だれの訪問も受けないのだ。ときどき、みごとな果樹園を造る非常に豊かな中腹の土地を求めている通りがかりの人が、掲示板を見て、立ちどまり、鐘を鳴らす。はじめは何の答えもない。二度目に鳴らすと、木ぐつの音がゆっくりと庭の奥から近づいてきて、老人が戸を細めに開《あ》けて、さも怒っているように、 『何のご用です?』 『家をお売りになるのですか?』 『そうです、』とやっとのことで老人が答える。『そうです…… 売るのです。しかしあらかじめ申し上げておきますが、非常に高いのですよ……』そして、戸を閉《し》めようとして、手でかんぬきを握る。彼の目は訪《たず》ねる者を外へ出さずにはおかない。それほど怒りを示している。そして、竜が門を守るように、野菜畑や砂の小庭を守るためにそこを動かない。だから道を行く人たちは、この人はなんという変人だろう、あんなに手離したくない家を売りに出すなんて、なんという酔狂なことだろうと不審に思うのだった。  この不思議が私に説明された。ある日、問題の、ささやかな家の前を通った時、激しい声で言い争っているのが聞こえてきた。 『売らなくちゃなりませんよ、おとうさん、売らなくては…… あなた約束なさったでしょう……』すると、老人の震える声がして、 『そりゃおまえたち、私だって売りたいのはやまやまさ…… だから掲示も出したんじゃ』  私はこうして、パリに小さな店を持っている息子《むすこ》や嫁たちが、老人に気に入っているこの土地を手離させようとしているのだ、と知った。どういう訳で? それは知らないが、彼らは問題があまり長びき過ぎると思い始め、この日以来、毎日曜日に規則正しく訪れて、きのどくな老人をつつき、約束を守ることを強《し》いているのはたしかだった。一週間のあいだ耕され種をまかれる土地さえも休むという日曜の大きな沈黙の中で、この会話は往来からも非常にはっきりと聞こえた。店を持っている人たちは、投球戯をやりながら、互に話し合い、言い合っていた。そして、金という言葉が、角《かど》ばった声の中に、ちょうど投げつける球のように冷ややかに響いた。夕方になると、みんな引きあげた。老人は途中まで彼らを送ると、大急ぎで家へ帰って、これでまた一週間助かった、と、大喜びで大戸を閉《し》めるのだった。一週間のあいだ、家はまたひっそりとした。太陽に燃える小さな庭の中にはただ砂地を踏む重い足音と、その上を引きずるくまで[#「くまで」に傍点]の音が聞こえるばかりだった。  しかし、一週ごとに老人はいっそうせきたてられ、苦しめられた。店の人たちはあらゆる方法を講じた。彼の心を動かすために子どもたちが連れてこられた。『ね、おじいちゃん、家が売れたらおじいちゃんは私たちと一しょに暮らしましょうね。みんな一しょだったらどんなにいいでしょう!……』そしてどこのすみにもひそひそ話、小道ではひっきりなしに散歩、大きな声で売買の勘定がされるという有様。一度は一人の娘がこう叫ぶのが聞こえた。 『こんな安普請なんか百スーにもなりゃしない…… ぶちこわしちまえばいいのに』  老人は何も言わずに聞いていた。人々は老人が死んでしまったかのように彼のことを語り、すでにうち倒されたかのように家のことを話した。老人は背中を曲《ま》げ、目に涙を浮かべ、切り落す枝はないか、手あてを加える果物《くだもの》はないかと、いつものように捜しながら歩くのだった。そして彼の生命がこのわずかな土地にしっかりと根を張っていて、そこから離れる力はとうてい出そうもないということが感じられた。実際どんなことを言っても、彼は出かける時をいつも先へ延ばした。夏、さくらんぼ[#「さくらんぼ」に傍点]やグロセイユやカシ等が未熟で、その年の暑さの不足を感じさせながらも、どうやら実った時こうつぶやくのであった。 『もぎ取るまで待とう…… その後《あと》ですぐ売るから』  しかし、それらの果物《くだもの》を取り、さくらんぼ[#「さくらんぼ」に傍点]の時期が過ぎ、桃の番が来て、それからぶどう[#「ぶどう」に傍点]の時となり、ぶどう[#「ぶどう」に傍点]の次ぎには、あのたいがい雪の中で摘む茶色の美しいさんざし[#「さんざし」に傍点]の実の時節が来た。そして、冬になった。田舎《いなか》は黒ずんで、庭には何もない。もう通りかかりの人もなく、買い手も訪ずれない。日曜日にも、店の人たちさえ来ない。まる三月《みつき》の休息は種の用意をし、果樹の枝を落すのにあてられた。そのあいだ、何の役にもたたない掲示板が往来にぶらさがり、雨風にぐるぐる回るのだった。  老人が買い手を遠ざけるためにあらゆる方法を講じていると思いこみ、我慢のできなくなった子どもたちはとうとう大決心をした。嫁の一人が来て彼の傍《そば》に住まった。朝からお化粧をする、あの商売慣れた人たちの愛想のよさと上面《うわべ》だけの優しさ、わざとらしい親切さを持っている小がらな商人だ。道路も彼女の持ち物のようだった。彼女は大きく戸を開《あ》けて、声高に話し、 『お入りなさい…… ごらんなさい…… 売家ですよ!』とでも言うように、通行人にほほえみかけた。  かわいそうにもうこの老人には休息はなかった。ときどき彼女がそこにいることを忘れようとして、畑にすき[#「すき」に傍点]を入れ新たにそこへ種子をまいた。ちょうど、恐怖を紛らすために種々の計画を立てたがる死期の近づいた人のようであった。店の女主人は絶えず彼のあとをつけて彼を苦しめた。 『ばかばかしい! 何になるの?…… そんなに苦心して、よその人のためにですか?』  彼は答えなかった。そして、変に意地《いじ》になって仕事に熱中した。庭を打ち捨てておく、ということは、すでに幾らか庭を失うことであり、縁が薄くなり始めることであった。だから、小道には一本の雑草もなく、ばら[#「ばら」に傍点]の木には一本のむだの枝もなかった。  そうしているあいだも、買い主は現われなかった。ちょうど、戦争の時だった、女が戸を大きく開いておいても、往来へ優しい目を投げても、通るものは引越しばかり、入るものはほこり[#「ほこり」に傍点]ばかり。日に日に女は気むずかしくなった。パリに用事ができて返らなくてはならない。私は彼女が、おしゅうとさんを非難して苦しめ、芝居がかった詰問をしたり、戸をたたくのを聞いた。老人は何も言わずに背中を曲げ、えんどう[#「えんどう」に傍点]のつる[#「つる」に傍点]が延びていくのをみて心を慰めた。いつも同じ場所に、売家の掲示板。  ……今年、私が田舎《いなか》へ行くと、家はたしかにあったが、ああ! 掲示板はもうなかった。張り紙は引き破られ、かびが生《は》えてまだ壁にぶらさがっていた。もうおしまいだ。売られたのだ! 灰色の大門の代りに、丸みをおびた小屋根を乗せ、庭の見える小さな格子《こうし》窓をつけた、ペンキを塗りたての緑色の戸が開《あ》いていた。もう昔の果樹園ではない。花壇と芝と滝とが豊かにまざっている。そしてどれも、踏み段の前に揺れている金属の大きな球の中に反射している。この球に映って小道は鮮《あざや》かな花の列を作り、二つの大きな顔が広がっている。あから[#「あから」に傍点]顔の太った男は汗だくで、庭いす[#「いす」に傍点]に体《からだ》を沈めている。また、大がらな女房は、息を切らしてじょろ[#「じょろ」に傍点]を振りまわしながら叫ぶ。 『ほうせんか[#「ほうせんか」に傍点]に十四杯もかけましたよ!』  一階建て増して、かきね[#「かきね」に傍点]を作り変えた。そして、新たな装いを凝らしたこの片すみは、まだペンキのにおいがし、ピアノは有名なダンス曲や公衆の舞踏曲ポルカをにぎやかに奏している。  往来に聞こえてきて七月のひどいほこり[#「ほこり」に傍点]にまざって聞く者を暑がらせるこのダンス曲や、ごてごて並んだ大きな花、騒ぎまわる太った女、あふれ出る卑俗な陽気さ、こうしたものが私の心を締めつけた。私はここをさも幸福そうに静かに歩いていた哀れな老人のことを考えた。そして彼がパリで、わら[#「わら」に傍点]の帽子をかぶり、老いた植木屋らしいうしろ姿で、退屈そうに、おずおずと目に涙をたたえてどこかの店の奥をうろついているのを想像した。そのあいだに嫁は小さな家を売った金がザクザク入っている新しい勘定台で得意になっているのだ。 [#改ページ] [#4字下げ]クリスマスの物語――マレー街の降誕祭の祝宴[#「クリスマスの物語――マレー街の降誕祭の祝宴」は中見出し]  マレー街の炭酸水製造者マジェステ氏は、ロワイヤル広場の友人のところで、ささやかなクリスマスの祝宴をしてきたところだった。そして、鼻歌を歌いながら家路につく…… 聖ポール寺院で二時が鳴った。『なんて遅《おそ》いんだ!』とマジェステ先生は独言《ひとりごと》をいって、道を急いだ。しかし、敷石道は滑《す》べるし、往来は真暗だし、それに馬車もめったに通らなかった昔からあるこの古い町のことだ、曲り道、行きづまり、騎手が使うための戸口の前の棒くいなどがたくさんにある。どれもこれも、急いでいくのに邪魔になる。おまけにもう足が少し重くなり、祝い酒で目がふらふらときている…… やっとマジェステ氏は自分の家にたどり着いた。飾りのある大きな正門の前に立ちどまる。そこには塗り直した古い紋章のたて[#「たて」に傍点]が黄金の色も新たに、月光に輝いている。彼はこの紋章を商標にしていた。 [#ここから1字下げ] かつてはネーモン家の館《やかた》、 今は炭酸水製造者 二代目マジェステの邸宅、 [#ここで字下げ終わり]  製造所のサイフォンびんの上や、明細書、レッテルの頭全部に、ネーモン家の古い紋章がずらりと輝いている。  大門の次ぎが広場、風通しのいい明るい広場で、昼間、門を開いていると、道じゅう明るくなる。広場の奥には、非常に古い大きな建物があり、黒い外壁は細かい飾りがあって彫刻が施され、円型の鉄のバルコン、柱を並べた石のバルコン、小屋根をのせた非常に高いたくさんの窓、大屋根にある小屋根の数だけ最後の階まで昇《のぼ》っている柱頭《シャピト》、そして、屋根の上のスレートの真中に屋根裏の明り窓が見える。丸くて、粋で、鏡のように縁に花飾りが付いている。その上雨のために角《かど》が取れ青味がかった大きな石の踏み段や、壁にからみつき向こうの納屋の滑車の所で揺れている綱のように黒くよじれた見すぼらしいぶどう[#「ぶどう」に傍点]、なんという古びた、もの寂しい光景であろう…… これが昔のネーモンの館《やかた》なのだ。  真昼間は、館《やかた》の光景は同じではない。「帳場」「倉庫」「工場入口」という文字が至るところ、古壁の上に金色に輝き、壁をいきいきと若返らせている。線路を走る運搬車が大門を揺るがせる。小僧たちが商品を受け取るために、耳にペンを插《はさ》んで入口の階段に進む。広場は箱やかご[#「かご」に傍点]やわら[#「わら」に傍点]や包装用の布がいっぱい散らばっている。まったく工場にいるという感じがする…… ところが夜になってひっそりと静まってしまい、入り組んだ屋根の錯雑している中に冬の月がいりくんだ影を投げると、古いネーモンの館《やかた》が再び大名らしい姿となるのだった。バルコンはレースをまとい、奥庭は広がり、違った明るさで照らされる古い階段は、像のない壁のくぼみや、祭壇を思わせる欠けた踏み段のために寺院の片すみのようであった。  特にこの晩は、マジェステ氏は、自分の家を怪しいまでに大きく思った。人気のない広場を横ぎる時自分の足音が妙に頭に響いた。階段は非常に大きく見え、上るのはことに足が重かった。きっとお酒を飲んだせいだ…… 二階まで来ると、一休みして息をつき、窓に近寄った。由緒《ゆいしょ》ある家に住むとはこういうものか! マジェステ氏は詩人ではない、いや! どうしてどうして。しかし、月が青い光を一面に投げているこの貴族の美しい庭や、雪のずきん[#「ずきん」に傍点]をいただいてかじかんでいる屋根の下でまったく眠ったような様子のこの古い館《やかた》を見ると、まるで別の世界にいるような気がした。 『何を考えているんだ?…… それにしても、もしネーモン家の人たちが帰ってきたら……』  この時ゴーンと鐘が鳴った。大門が左右にサッと開いた。あまり早く急に開いたので街燈が消えてしまった。そして、数分間、向こうの戸口の暗やみ[#「やみ」に傍点]の中で、衣《きぬ》ずれ[#「ずれ」に傍点]とささやきのかすかな音が起こった。人々は口々に話し合い、押し合いながら入ってくる。従者だ。大勢の従者だ。月の光にキラキラ輝くガラス張りの馬車、大門から吹いてくる風で盛んに燃える二本の松明《たいまつ》のあいだに揺らぐかつぎいす[#「かつぎいす」に傍点]。たちまち広場はいっぱいの人だ。しかし、入口の階段の下では混雑が静まった。人々が車から下《お》りてあいさつを交《かわ》し、まるで案内知った人のように、話しながら入っていく。そこの階段の上で、衣《きぬ》ずれ[#「ずれ」に傍点]の音、剣の触れ合う音がする。白粉《おしろい》をふりかけた重々しげなつや[#「つや」に傍点]のない白い髪ばかり。ただ、小さな、はっきりした、少し震える声、響きのない微笑、軽い足どり。この人たちはみんな非常に年をとっている様子だ。光沢《つや》のない目、冴えない宝石、金銀をちりばめた、いろいろの色合いで落ち着いた古絹、それを松明《たいまつ》の火が柔らかい光で輝かしている。そして、剣をつけたり、腰のまわりを大きく膨《ふく》らして少しきどって美しいお辞儀をするたびごとに、積み上げて、束ねた髪から小さな白粉《おしろい》の雲が舞い上る…… やがて家じゅうに人が来た様子、松明《たいまつ》が窓から窓へと輝き、曲りくねった階段を上ったり下《お》りたりして、屋根裏の明り窓まで歓楽とにぎわいの火花が散る。ネーモン家の館《やかた》にすっかり燈《ひ》が点《とも》った。まるで、沈もうとする太陽が、赤々と窓ガラスを照らすように。 『ああ! たいへんだ! やつらは火をつけようとしている!……』とマジェステ氏は独言《ひとりごと》をいった。そして、驚きから我に返ると、ようやく足のしびれをなおし、急いで広場に下《お》りた。そこでは従者たちが、火を明るく、景気よく点《とも》し始めたところだった。マジェステ氏は近寄って、話しかけた。従者たちは彼には答えずに、ごく低い声でお互に話を続ける。夜の氷のようなやみ[#「やみ」に傍点]の中にくちびる[#「くちびる」に傍点]をもれる息もない。マジェステ氏は心中平らかでない。しかし彼を安心させる一つのこと、それは、高くそしてまっすぐに昇《のぼ》っていくこの燃えしきる火は不思議な火で、光はあるが何も焦がさない、熱のない炎なのである。マジェステ氏は踏み段を通って、倉庫に入った。  この階下の倉庫は昔は立派な接待の間であったに違いない。色のあせた金の小片がまだ角々《かどかど》に輝いている。神話の絵巻が天井に広げられ、鏡を囲み、遠い昔の思い出のように少し色のあせたおぼろな色調で、戸口の上に浮かんでいる。残念ながら、もう窓掛けもないし、家具もない。ただ、かご[#「かご」に傍点]と、すず[#「すず」に傍点]を頭につけたサイフォンのいっぱい詰まった大きな箱と、窓ガラスの後に真黒な姿で伸びているリラの古木の乾《かわ》ききった枝があるばかり。中に入ったマジェステ氏は、倉庫が光と人とに満ちあふれているのを見た。あいさつをしたが、だれも彼には目もくれない。相手の男の腕に抱かれた婦人たちは、しゅす[#「しゅす」に傍点]の外とうの中で儀式ばって愛きょうを作っている。歩いたり、話し合ったり、別れ別れになったり。本当に、この老公しゃくたちは、自分の家にいるような様子だ。絵の描かれた小壁の前で、小さな人影が震えながら立ちどまる。『これが私ですって、私がこんなところに!』そして、彼女は板壁の中に立っているやせたばら[#「ばら」に傍点]色の、頭に三日月を載《の》せた|月の女神《ディアーヌ》をながめてにっこり笑う。 『ネーモンさん、あなたの紋章を見にいらっしゃいよ!』包装布の上に描かれている、マジェステという名まえが下についたネーモン家の紋章を見てみんなが笑った。 『おほほ!…… マジェステですって…… フランスにはまだ陛下《マジェステ》がおいでなの?』  そしていつ果てるとも見えぬ陽気さ、笛の音のような微笑、指を立てて、くちびる[#「くちびる」に傍点]に愛きょうを作る…… とつぜんだれかが叫ぶ、 『シャンパンがある! シャンパンがある!』 『まさか!……』 『そうだよ!…… そうさ、シャンパンだとも…… さ、伯しゃく夫人、急いでクリスマスの賀宴を』  彼らがシャンパンと思ったのはマジェステ氏の炭酸水だった。少し気が抜けていると思った。しかし、なあに、かまうもんか! とにかく飲んでしまった。そして、かわいそうにこの小さな影たちは頭がそれほどしっかりしていないので、次第に炭酸水のあわ[#「あわ」に傍点]が彼らを元気づけ、興奮させ、彼らに踊りたい気持を起こさせた。メヌエットが組み合わされた。ネーモン氏が招いた四人のじょうずなヴァイオリンひきがラモー[#原注]の曲を始めた。全部が三連譜で、急調の中に軽い憂うつなところがある。美しい老婦人たちが静かにまわって荘重な楽の音に合わせてあいさつをするのは見ものだった。この音楽のために彼女たちのお化粧も衣装《いしょう》も若返り、また、金をちりばめた胴着《チョッキ》、金の飾りのある礼服、ダイアモンドの留め金のついたくつ[#「くつ」に傍点]も若やいだ。羽目板までがこの古曲を聞いて生き返ったように見える。二百年も前から壁に閉《と》じ込められている古い鏡もこの歌が分かると見え、すっかり傷《いた》んで角が黒くなってはいるがものやわらかに輝いて、踊る人たちのしみじみと昔をしたう淡い姿を映している。こういう典雅さの中で、マジェステ氏は当惑してしまった。彼はの箱の後にうずくまってながめている……  だんだん夜が明けてきた。倉庫のガラスをはめた戸口から、広場が白らんできて、それから窓の上、その次ぎに部屋の一方がすっかり明るくなるのが見えた。光が差し込むにつれて、人々の姿が消えて行き、見分けられなくなって行った。やがてマジェステ氏には、逃げ遅れて片すみにいる二人の背の低いヴァイオリンひきしか見えなくなった。それも、日の光に触れて消えてしまった。広場では、まだ、ごくおぼろげながら、かつぎいす[#「かつぎいす」に傍点]の形と、エメラルドをちりばめ白粉《おしろい》をふりかけた頭と、従者が敷石の上に投げた松明《たいまつ》の最後のひらめきが見える。それが開いた大門から入る運搬車の鉄の車輪に差す日の光と絡《から》みあう…… [#ここから1字下げ] 訳者付記「クリスマスの物語」の中にはこの話の他に「三つの読唱ミサ」というのが入った版があるが、これはすでに「風車小屋だより」の中に載《の》っているので、ここでは省略した。 [#ここで字下げ終わり] [#改ページ] [#4字下げ]法王様がなくなった[#「法王様がなくなった」は中見出し]  私は少年時代を地方の大きな町で過ごした。この町は、船のたくさん通る、ざわざわした川に貫かれているので、私は早くから旅行の味を知り、水上生活にあこがれを抱《いだ》いていた。ことに、サン・ヴァンサンという小橋の近くの川岸は、今でも思いだすごとに感慨が深い。帆架《ほげた》の先にくぎ[#「くぎ」に傍点]で打ちつけた、「貸船、コルネ」という看板や、水に浸《ひた》っているためにぬれてつるつる滑《す》べる黒ずんだ小さな階段が目の前に浮かぶ。はしごの下には、鮮《あざや》かな色を塗り立ての小さなボートが幾隻も幾隻もへさきを並べて静かに揺れている。とも[#「とも」に傍点]のほうに白字で書かれた「はちすずめ[#「はちすずめ」に傍点]」とか「つばめ[#「つばめ」に傍点]」という美しい名まえのためいっそう軽そうに見える。  それから、土手に立てかけて乾《かわ》かしてある、鉛白でギラギラする長いかい[#「かい」に傍点]のあいだを、ペンキのつぼ[#「つぼ」に傍点]と大きなはけ[#「はけ」に傍点]を持って歩きまわっているコルネおやじの姿が思いだされる。日に焼けた、ひびの切れた、涼風の渡る夕の川面のように小じわ[#「じわ」に傍点]のある顔…… ああ、このコルネおやじ、彼は私の少年時代のサタンであり、悩ましい情熱と、罪と後悔のもとであった。彼のボートがどんなに私に罪を犯させたろう! 学校を休んだり、本を売ったり。ボートで午後が過ごせるなら、何だって売り飛ばしただろう!  学校のノートはみんな船底に放りだし、上着を脱いで帽子をあみだにかぶり、水面を渡るそよ風[#「そよ風」に傍点]をサッサッと髪に受けながら、まゆ[#「まゆ」に傍点]をしかめてしっかりオールを引き、いかにも老練な水夫らしい態度をとるのだった。町を離れないうちは両岸から同じくらいの距離を取って川の中央を進んだ。老練な水夫と認められるのはここだったから。小船や、いかだ[#「いかだ」に傍点]や、材木の列や、川蒸汽船がすれすれ[#「すれすれ」に傍点]に進んで、細いあわ[#「あわ」に傍点]の一すじでわずかに隔てられて互に避け合って行く、あの大混雑の中に、私も仲間入りするのはなんという得意なことだろう! 流れに沿うために向きを変える重い船があって、そのために、たくさんの船が位置を変えるのだった。  とつぜん、蒸汽船の外輪が私の近くで水をたたき、重い影が私にのしかかる[#「のしかかる」に傍点]ように現われた。りんご[#「りんご」に傍点]船のへさきだ。 『やい、気をつけろ、小僧!』としゃがれ声が私をどなりつけた。オールで切る水に乗合馬車の影を宿す大小の橋によって町の生活が絶えず入り交《ま》じるこの川の世界の往来の中に巻き込まれて、私は汗を流し、じたばた[#「じたばた」に傍点]するのだった。それに、橋弧の先の危険な流れ、また、逆流や渦、あの有名な「死魔がふち」! 十二歳の子どもの腕でこの中を通って行こうというのは、なかなか容易な技《わざ》じゃない、しかもかじ[#「かじ」に傍点]棒を操る者はだれもいないのだ。  ときどき運よく引き船に会う。引かれていく長く並んだ船のしんがり[#「しんがり」に傍点]にさっそく私の船を結びつけて、かい[#「かい」に傍点]を天駆ける翼のように左右に広げたまま動かさず、川を切ってあわ[#「あわ」に傍点]の長いリボンを作り、両側の岸にある木や家々を後へ走らせる無音の速さに身を任せるのだった。私の前方、はるか遠くに、推進機の単調な響きが聞こえ、低い煙突から細い煙の立ち昇《のぼ》る引き船の上では犬が鳴いている。何もかも、長い旅路、ほんとうの船の生活という幻想を抱《いだ》かせてくれた。  あいにく、引き船に出会うことはめったになかった。たいていの場合はこがなくてはならない。それも陽《ひ》の照る中をこがなくてはならなかった。ああ! 川の上にじかに照りつける真昼間の陽《ひ》差し、今も体《からだ》を焼きつけるようだ。すべてのものが燃え、光り輝いていた。波の上に漂って、すべての動きに打ち震う、目のくらむようなよく響く大気の中で、水に浸《ひた》っては出るかい[#「かい」に傍点]と、タラタラしずく[#「しずく」に傍点]をたらして水の中から持ち上げる引き船人足の綱が、みがいた銀のようないきいきした光を放っている。私は目をつぶってこぐ。ときどき、激しい私の努力と、船の下を流れる水の勢いによって、非常に速く走っていると思う。しかし、顔を上げてながめると、いつでも同じ木、同じ壁が、目の前の岸に立っているのだ。  やがて、骨折りがいがあって、暑さに汗を流し、体《からだ》を赤く焼いて、町から出ることができた。水浴場や、せんたく船や、乗船所の船橋の騒音が少くなる。橋は、広々とした川岸に、間をおいて架かっている。町はずれにある庭園や、工場の煙突が、ところどころに影を映している。遠く水と空の合わさるところに、緑の島がチラチラしている。そこで、疲れはてた私は、ブンブン虫の羽音のするあし[#「あし」に傍点]の間に船を着けるのだ。そして、そこで、太陽と疲労と、黄色い大きな花を散らした水面から昇《のぼ》るあの重苦しい暑さにのぼせあがって、この老練な水夫は何時間も鼻血を出していた。いつでも私の船の旅は同じ結末を告げる。だが仕方がない! 私にはこれが気持がよかったのだ。  しかし、恐ろしいのは帰りだ。家へ帰る時だ。どんなに一生懸命にこぎ帰ってもだめ、いつもひどく遅《おそ》くなって、放課時間などはとっくに過ぎている。たそがれの印象、霧の中に点《つ》く最初のガスの燈《ひ》、帰営のラッパ、みんな不安と後悔の念を募らせる。安らかに帰路に就《つ》く往来の人たちがうらやましい。私は太陽と水とでいっぱいになった重い頭を抱《かか》えて駆けつけた。耳の奥で貝殻でもうなっているような気持だった、そしてこれから言おうという虚言《うそ》のためにもう顔が赤くなっていた。  というわけは、戸の向こうで私を待っている『どこから帰ったの?』というあの恐ろしい問いにしっかり応ずるために、いつも虚言《うそ》が一つ必要だった。私がいちばん怖《こわ》かったのは、この帰った時の質問だった。私はあの階段を終ったところで、すぐと答えなくてはならなかった。あまりびっくりしていろいろの質問が急に止《や》めになるような驚天動地の物語り、何かの作り話をいつも用意しておかなければならなかった。それがあれば私は中に入って息をつく暇《ひま》があった。そして、この目的を達するためにはどんなことでもちゅうちょしなかった。凶変だとか革命だとか、いろいろの恐ろしいこと、たとえば、町の一方が全部焼けているとか、鉄橋が川の中へ墜落したなどと創《つく》りだすのだった。しかし、今でもあんまりだと思われるのは、こういう話だ。  その晩は非常に遅《おそ》くなった。一時間あまり私を待っていた母は、階段の上に立ったまま見張っていて、 『どこから帰ったの?』と叫んだ。  子どもの頭の中にどれほどの企《たく》らみが入れておかれるものだろうか、私は何も見つけてなかったし、用意もできていなかった。あんまり急いで来たので…… とつぜん、とてつもない考えが起こった。私はおかあさんが非常に信心深く、ローマの婦人のように熱烈なカトリック教徒であることを知っていたので、深い感動に息をはずませて答えた。 『ああ、おかあさん…… たいへんなんです!……』 『え、どうしたの?…… また何か起こったの?……』 『法王様がなくなったのです』 『法王様がなくなった!……』とかわいそうに母はこう言って、真青《まっさお》になって壁に寄りかかった。私はあまりうまく行ったのと、虚言《うそ》の並《なみ》はずれた大きさに少し怖《こわ》くなって、急いで部屋に入った。しかし最後まで押し通す勇気を持っていた。悲しいもの静かな夕が今でも思いだされる。沈痛な顔をした父、力を落とした母…… みんなテーブルの周囲で低い声で話し合った。私は目を伏せていた。しかし、私のずるけたことはみんなの悲しみの中に隠れて、だれももう考えなかった。  みんなこのなつかしいピオ九世の徳行を争って述べ立てた。そして、だんだんに話は歴代の法王のことに移って行った。ローズ叔母《おば》はピオ七世のことを話した。駅馬車に入れられ、憲兵たちに守られて、南仏《ミディ》を通られるのを見たことをよく覚えていると言った。『コメディアンテ!…… トラジェディアンテ!……』[#原注]という皇帝との有名な場面が語られた。この恐ろしい光景がいつも同じ口調、同じ身ぶり、きまり文句で話されるのを何度私は聞いたことであろう。それは修道院の歴史のようにたあいのない、地方的に代々伝わって残っている、その家の伝説を語る時のあのきまり文句なのだった。  そんなことはどうでもいい。この話がこれほど興味深く思われたことはなかった。  私はわざと嘆息《ためいき》を吐《つ》いてみたり、質問をしたり、わざと興味のあるふうをしてこの話を聞いた。そして、絶えずこう考えた。 『明日《あす》の朝、法王様はなくなったのではないと知ったら、みんな大喜びで、だれも私をしかる勇気なんかないだろう』  こういうことを考えている中に、自然にまぶた[#「まぶた」に傍点]が合わさった。そして暑さにもの憂《う》げなソーヌ河のほとりや、四方八方に走りまわってガラス切りのようによどんだ水に筋をつける水ぐも[#「ぐも」に傍点]の長い足の幻と一しょに、青く塗った小さなボートの幻を描くのだった。 [#改ページ] [#4字下げ]味覚風景[#「味覚風景」は中見出し] [#6字下げ]ラ・ブイヤベス[#「ラ・ブイヤベス」は小見出し]  私たちはサルジニアの海岸に沿って、マドレーヌ島のほうへ向かって進んでいた。朝の散歩である。こぎ手[#「こぎ手」に傍点]はゆるやかに舟を進めて行く。船《ふな》べりに身を寄せて海をながめる。泉のように澄んで、底まで光線が透っている。くらげ[#「くらげ」に傍点]やひとで[#「ひとで」に傍点]が海《うみ》ごけ[#「ごけ」に傍点]の間にゆうゆうと横たわっている。大きなえび[#「えび」に傍点]が長いひげ[#「ひげ」に傍点]を細かな砂の上におろしてじっと眠っている。こういう光景が、五、六メートルぐらいの深さに水晶でできた人工水族館のようなところに見えるのだ。へさきに立った漁師が、先の割れた長いあし[#「あし」に傍点]を手にして『静かに…… 静かに……』と船頭たちに合図《あいず》をしている。とつぜん、あし[#「あし」に傍点]の先にみごとなえび[#「えび」に傍点]がかかる。まださめきらない眠りの中を襲われた驚きのあまり、足をピンと伸ばしたままである。私の傍《そば》では別の漁師が船跡に水とすれすれに糸を垂《た》れて美しい小魚を引き上げる。魚は種々の鮮《あざや》かな色に変りながら死んで行く。  プリズムを通して見る臨終である。  漁が終ると灰色の高い岩の間に舟を近づける。直ちに火が点《とも》される。輝く太陽の下で青白い炎があがる。大きなパンの切れが赤土の小ざら[#「ざら」に傍点]に盛られる。なべ[#「なべ」に傍点]を囲んでさら[#「さら」に傍点]を差し出し、鼻をピクつかせる…… 景色がよいからか、日向《ひなた》にいるためか、空と水を結ぶ水平線をながめているからだろうか? とにかく、こんなおいしいえび[#「えび」に傍点]のブイヤベスを食べたのははじめてだ。食後の砂上の昼寝のなんという心地よさ! 絶えず海の上で揺られているような眠り。無数の輝くうろこ[#「うろこ」に傍点]のような小さな波が閉《と》じた目になおチラチラする。 [#6字下げ]ライヨリ[#「ライヨリ」は小見出し]  シシリア島の沿岸にあるテオクリトス[#原注]の作品に出てくる漁夫の小屋にでもいるのかと思ったが、何のことだ、プロヴァンスのカマルグ[#原注]の島の漁業監視人のところにいたのだ。あし[#「あし」に傍点]で作った小屋で、壁には網がかかり、かい[#「かい」に傍点]や銃、わな[#「わな」に傍点]の道具など、水陸を兼ねた猟師の用具が置かれていた。広野の壮大な景色をわくづける戸の前では、番人の妻がピチピチするうなぎ[#「うなぎ」に傍点]の皮をむいている。魚は太陽の光を浴びてのたうちまわっている。向こうの、風の激しい白く輝く光の中では、ヒョロ長い木が幹をねじらせ、葉の裏を見せて、逃げだすような様子をしている。沼があちらこちらあし[#「あし」に傍点]の間に、壊《こわ》れた鏡の破片のように光っている。もっと遠くには、輝く太い線が地平線を閉《と》ざしている。ヴァカレスの湖である。  ぶどうづる[#「ぶどうづる」に傍点]がパチパチと音をたてて赤く燃えている小屋の中では、番人がつつましやかに乳ばち[#「ばち」に傍点]の中ににんにく[#「にんにく」に傍点]の皮をむき、一滴ずつオリーブの油を落している。いちばん広い場所が天井裏へ上るはしごで占められているこの狭い小屋で、小さな木のテーブルの前の高い台に腰を下《お》ろして、私たちはうなぎ[#「うなぎ」に傍点]のライヨリを食べた。風が吹きまくり、渡り鳥の忙しく飛ぶ広い地平線が、この小さな部屋の周《まわ》りに感じられる。あたりの広さは馬や牛の群れの鈴の音で測られる。それはあるいは高らかに鳴り響き、あるいは遠く消え、一吹きのミストラルにさらわれて、ただきれぎれの音が伝わるばかり。 [#6字下げ]ル・クスクス[#「ル・クスクス」は小見出し]  これはアルジェリアのシェリフ平原の、ある大官のところにおいてであった。われわれのために将軍の家の前に設けられた豪華な大天幕から、みごとな真紅の入日が次第に濃くなって、第二期の喪を思わせる黒紫色の夜が下《お》りてくるのを私たちはながめていた。さわやかな夕、わずか開いた天幕の中央に、しゅろ[#「しゅろ」に傍点]の木でできたアルジェリアふうのしょく台が枝の先に静かな火を点《とも》して、おそるおそる羽を震わせる夜の虫を引き寄せている。むしろ[#「むしろ」に傍点]の上に車座になって、私たちは静かに食事をした。棒の先につけて運ばれるバタがタラタラ垂《た》れる羊の丸焼き、はちみつ[#「はちみつ」に傍点]入りの菓子、ミュスカぶどうの味がついたジャム、そして、若鳥《わかどり》がクスクス汁の金色の麦の中に並んでいる大きな木ざら[#「ざら」に傍点]。  そのうちに夜になった。近くの丘の上に月が上る。星を一つ含んだ東方の小さな三日月だ。天幕の前の広場には火があかあかと燃え盛り、踊り子や楽士たちがまわりを囲んでいる。大きな黒人が、軽騎兵連隊の昔の軍服を裸体《じか》に着て、天幕の上いっぱいに影を走らせながら踊っていたのを思いだす…… この土人の踊り、急調子にあえぐようなアラビアの小太鼓、平野のすみずみから呼応するやまいぬ[#「やまいぬ」に傍点]の鋭い叫び、まるで野蛮な国の真中にいるように感ぜられる。そして天幕――土という不動のものの上にしっかと立てられた帆にも似たこの遊牧の民の仮《か》りの宿――の中で、白い毛の外とうにくるまっている将軍は、私には原始時代の中から抜けだしてきたかのように見えるのだった。そして、彼がクスクスをもったいぶって食べているあいだに、私はこのアラビアのお国料理は、聖書の中で語られているユダヤ人の不思議なマンナ[#原注]かもしれないと思った。 [#6字下げ]ラ・ポランタ[#「ラ・ポランタ」は小見出し]  コルシカの海岸、十一月のある夕方である。――私たちは大雨の中を、まったく荒涼たる土地に船をつけた。炭焼きのリュコワ一家が私たちのためにだん[#「だん」に傍点]炉の傍《そば》に場所を設けてくれた。すると雄やぎ[#「やぎ」に傍点]の皮にくるまった野蛮人のような土地の羊飼いが、その小屋へポランタを食べにくるよう私たちを招いた。私たちはまっすぐに立つことのできない小屋の中に体《からだ》を曲《ま》げて小さくなって入った。中央に、黒ずんだ四つの石に囲まれて生木《なまき》が少しばかり燃えていた。そこから立つ煙が小屋にあけられた穴の方へ昇《のぼ》って、それから雨と風に打たれて四方に広がる。小さなランプ――プロヴァンスふうの石油ランプ――が、この抑《おさ》えつけられるような空気の中におどおどした目をあけている。ときどき煙が薄れると妻や子どもの姿が見える。奥で豚がぶうぶう鳴いている。難船の残がいや、船の破片で造られた腰掛け、送り状の付いた木箱、へさきからもぎ取った、海水に洗われたペンキ塗りの木の人魚の顔が見受けられる。  ポランタはひどかった。充分につぶれていないくり[#「くり」に傍点]は、かび[#「かび」に傍点]の生《は》えたような味がした。長い間木の下で雨ざらしになっていたともいえよう。お国料理のブリュキオがその次ぎに出された。粗野な味が野生のやぎ[#「やぎ」に傍点]を思わせる…… 私たちは今貧しいイタリア人のありさまを目《ま》のあたりに見せられている。家もなければ、隠れ家さえない。気候は非常によく、生活は容易だ! 雨季のために粗末な小屋があるばかり。それに、屋根は監獄であり、太陽の光を浴びてこそ始めてよい生活ができると思いこんでいるのだから、煙や消えそうなランプなど、なんの大切なことがあろう。  [#改ページ] [#4字下げ]海辺《うみべ》の収穫《とりいれ》[#「海辺《うみべ》の収穫《とりいれ》」は中見出し]  ブルターニュ海岸が形造る屈曲、みさき[#「みさき」に傍点]、半島の中に、絶えず私たちから遠ざかろうとする海を求めて、朝から野原を駆けまわっていた。  ときどき紺碧の水の一片が、暗くて動きのある空の一角のように地平線のかなたに姿を現わす。しかし伏兵や|王党の百姓《シュアヌリ》を思わす曲りくねった道に出会うと、ちらと見た水の姿はたちまち隠れてしまう。こうして私たちは古いひなびたある寒村についた。道路はアルジェリアの街路のように暗く、狭く、馬《ば》ふん[#「ふん」に傍点]とがちょう[#「がちょう」に傍点]と牛と豚とに雑踏している。家は小屋《ヒュッテ》に似ていて、白色に包まれ石灰で十字架の記《しる》された低いアーチ型の戸があり、大風の吹く土地でしか見られない長い横木で固められた雨戸が付いている。それにしてもこの小さなブルターニュの町は深々とかくまわれ、ところ狭く、至って静かであった。私たちには陸地を八十キロも奥へ入ったところのように思われた。しかしとつぜん教会の広場へ出ると、目のくらむような光と、大きな空気の流れと、はてしない波の音に囲まれているのだ。海だった。大きく限りない大洋、そして、新鮮ないそ[#「いそ」に傍点]の香、満ち潮の躍《おど》るごとに、一波一波から流れ出る扇形の波。村は延びて、波止場の近くまで広がる。波止場は漁船のつながれている小さな港の端まで道を続ける。教会が波の近くに見張りでもするように鐘楼を立てている。そして、十字架は傾き雑草ははびこりボロボロの低い壁には石の腰掛けがもたせかけてある墓場が、この土地の一角の最後の限界である教会を囲んでいる。  岩の間に埋もれて海と田園との二方面の景色に富むこの寒村ほど情趣こまやかに俗界を離れた所は容易に見出されないだろう。どの漁夫も、どの農夫も、ここにいる人たちは、初対面には粗野であまり心を引かない。なかなかどうして、彼らが自分のところに止まるようにとわれわれを招くようなことはない。しかし、だんだん彼らは親しみやすくなり、われわれはこのかたくなな応待の中に質朴で善良な人たちを見出して驚くのだ。彼らの性格は彼らの住んでいる土地に似ている。ごつごつと、手ごたえがあって、道路が――太陽の光を受けてさえ――銅やすず[#「すず」に傍点]の火花で輝く黒い色をしている鉱物質の土地である。この石の多い土地をそのまま見せる海岸は、険しく、荒々しく、そそり立っている。地すべりの跡があり、断岸絶壁があり、波にうがたれ、波が入り込んで怒号するほらあな[#「ほらあな」に傍点]がある。海水が引くと、浅瀬に乗り上げた大きなまっこう[#「まっこう」に傍点]鯨のように、巨大な背中を波から出して白いあわ[#「あわ」に傍点]に光る、見渡すかぎりの暗礁である。  不思議な対照だが、海岸からわずか二、三歩入ると、麦やぶどう[#「ぶどう」に傍点]やうまごやし[#「うまごやし」に傍点]の畑が連なり、かきね[#「かきね」に傍点]ぐらいの高さの、いばら[#「いばら」に傍点]の青々と絡《から》まっている小さな壁によって、境され、区別されている。そびえ立つ断岸や、石の間にはめ込んだ綱で下《お》りていく深いふち[#「ふち」に傍点]や、あわ[#「あわ」に傍点]に包まれた暗礁にくらくら[#「くらくら」に傍点]と疲れた目は、平板な野原と、親しみのある心安い自然の中に休息を見出すのだ。小道の曲り角《かど》、屋根と屋根との間、壁の裂け目、路地の奥にいつも現われている海の青色の背景の前には、いかに貧弱な田園の小景もすばらしく立派に見える。広い空間に囲まれて、雄鶏《おんどり》の歌もいっそうはっきり聞こえる。しかし本当にみごとなのは、海岸における収穫物の堆積、青い波の上に積まれた金色のわら[#「わら」に傍点]、棒の拍子を合わせてたたく麦打ち場、またそびえ立つ岩の上に立ち、風下《かざしも》へ向かって祈願でも立てるように両手をあげて麦を吹き分ける女の群れ。一様にこまやかな雨のように落ちる麦粒、そして海から吹く風が麦殻《もみ》を運び去り舞い上がらせる。教会の広場で、波止場で、大きな漁網が広げられて海草のひっ掛かった網目を乾《かわ》かしている防波突堤でまで吹き分けている。  この間にまた別の収穫《とりいれ》が行われている。だがこれは岩の下の、あの湖水に覆《おお》われたり現われたりする水とも陸ともつかない場所におけるゴエモンの収穫である。岸に砕ける一波一波は、ゴエモンやヴァレクというような海草の波打つ線によってその跡を残す。風が吹くとこんぶ[#「こんぶ」に傍点]は浜辺を音を立てて走る。そして、海水が岩の上をひいていくその距離だけ、この長いぬれた髪の毛のような海草はぴったり張りついて広がっている。それを重い束にして、海岸に黒っぽい紫がかった堆積を作る。それは波のあらゆる色調を保って、死にかかった魚だとか色のあせた植物の奇妙な輝きを持っている。この海草の堆積が乾《かわ》くと、焼いて、ソーダを取る。  このふう変《がわ》りな収穫《とりいれ》は引き潮で海水が引いた時にそこに残したたくさんの小さな澄んだ水たまりで、素足で行われる。男も女も子どもも、みんな大きなくまで[#「くまで」に傍点]を携えて、つるつるすべる岩の間を進んでいく。彼らが通ると、かに[#「かに」に傍点]は驚いて逃げだし、身を潜《ひそ》め、平伏してはさみ[#「はさみ」に傍点]を延ばす。透き通るような色の小えび[#「えび」に傍点]が、濁った水の色の中に溶け込んでしまう。採り集められて積み上げられた海草は車に乗せられる。車のくびきの下に牛が付けられていて、頭を下げてでこぼこ[#「でこぼこ」に傍点]の道を苦しそうに進んで行く。どちらを振り向いてもこの車につながれた牛が見える。時には、険しい小道伝いでなければほとんど近づけないような場所に、垂《た》れ下がってしずく[#「しずく」に傍点]の落ちる海草を積んだ馬の手綱《たづな》を取って連れていく男の姿が現われる。また子どもたちが、彼らの拾ったこの海の収穫《とりいれ》を担架のように組んだ棒に載《の》せて運んで行く。いずれも陰うつな身にしみる光景だ。驚いたかもめ[#「かもめ」に傍点]が鳴きながら卵の周囲を飛ぶ。ここにも海の脅威がある。そしてこの光景を完全に荘厳なものにしてしまうのは、陸の収穫《とりいれ》の時と同じように、波の引いた跡に行われるこの収穫のあいだも、沈黙が支配していることだ。けち[#「けち」に傍点]で反抗的な自然を前にした人々の、努力に満ちた活動的な沈黙だ。牛を呼ぶ声と、ほらあな[#「ほらあな」に傍点]の中で木霊《こだま》する鋭い『ドドドー』という音、聞こえるのはただこれだけだ。トラピストの信徒たちのあいだを、あるいは永遠の沈黙のおきて[#「おきて」に傍点]を守る人たちが戸外に働いている修道院の一つを、横ぎるように思われる。御者《ぎょしゃ》は通りすぎるわれわれを振り返りさえしない。牛だけが動かぬ大きな目でじろりと見る。しかし、この人たちは寂しくはない。日曜が来ると、きまって彼らは陽気になり、ブルトンふうの古いロンドを踊るのだ。夜、八時ごろ、堤防に沿った教会と墓地の前に集まる。墓地という言葉は何だか恐ろしいが、しかし、その場所は、もし諸君が見られたら、決して諸君を恐れさせはしないだろう。つげ[#「つげ」に傍点]もなければ、いちい[#「いちい」に傍点]もないし、大理石もない。型どおりのものも厳《おごそか》なものもない。住民が血族関係を結んでいる小村のどこでも見られるように、何度も同じ名まえが繰り返されている十字架が立てられ、一面同じくらいの高さの草、そして、子どもたちが遊んでよじ登ったり、埋葬の日には外からひざまずいている会衆の見える低い壁。  この小さな壁の下へ老人たちが日向《ひなた》ぼっこに来る。そして、手入れもしない静かなかこい地と、永遠の旅人である海との間で、糸を紡いだり眠ったりする……  日曜の夜に若い人たちが踊りに来るのはこの前だ。まだわずかばかりの夕日が堤防に沿って波の上に浮かんでいる間に、若い男女の群れが近づいてくる。ロンドが組まれて、まずたった一声簡単なリズムの細長い声が起こり、続いて合唱が始まる。 [#ここから2字下げ] プラデタンの宮廷で…… [#ここで字下げ終わり]  みんな一しょに繰り返す。 [#ここから2字下げ] プラデタンの宮廷で…… [#ここで字下げ終わり]  ロンドが活気づいて、白い角ずきん[#「ずきん」に傍点]がまわり、ちょう[#「ちょう」に傍点]の羽のように左右に広がる。ほとんど絶え間もなく海の風が言葉の半分を運び去る。 [#ここから2字下げ] ……家来をなくして…… ……家の跡目をつぐだろう…… [#ここで字下げ終わり]  踊りながら作られ、言葉の意味よりもリズムのほうを気にする民謡によくある、母音の妙な省略が行われ、とぎれとぎれに聞こえるので、歌はいっそう素直に愛らしく思われる。青白い月より他の光はないので、ダンスは幻のように見える。目で見るものよりはむしろ夢に描くものにふさわしい何とも言えない色合いの中に、すべてが灰色か黒か白に見える。少しずつ、月が上るにつれて、墓地の十字架、すみにある大きなキリストはりつけ[#「はりつけ」に傍点]の十字架の影が延びて、ロンドの一隊と結びつき、混ざってしまう…… やがて十時が鳴る。人々は別れる。この時刻になると奇妙な光景を呈する村の小道を通って、おのおの家へ帰る。外の階段の角の壊《こわ》れた段も、屋根のすみずみも、やみ[#「やみ」に傍点]が濃く深くこめている開いた納屋も、傾き、ねじれる。大きないちじく[#「いちじく」に傍点]の枝がこすっている古壁に沿って歩く。そして、たたいた麦わら[#「わら」に傍点]を、歩きながらつぶしている間に、海の香が、収穫《とりいれ》と、眠っている牛小屋とのむせるようなにおいに混ざる。  私たちの住んでいる家は村から少しはずれた田舎《いなか》にある。帰る道すがら、かきね[#「かきね」に傍点]の先に、半島の至るところに輝く燈台の光を認める。点滅する燈台、回転する光、動かぬ火、そして、海は見えないから、この真暗な暗礁の見張りは、平和な野原に紛れ込んだように思われる。 [#改ページ] [#4字下げ]赤しゃこ[#「しゃこ」に傍点]のおののき[#「おののき」に傍点][#「赤しゃこ[#「しゃこ」に傍点]のおののき[#「おののき」に傍点]」は中見出し]  ご存知でしょうが、しゃこ[#「しゃこ」に傍点]は隊を作って出かけて、ほんのちょっとした警報にも一握りの穀粒をまくようにパッと飛び散ることができるよう、あぜのくぼみに一しょに巣を作ります。私たちの仲間は陽気で数も多く、大きな森の端にある野原に巣をこしらえました。原と森との両方から獲物《えもの》をとって両方に隠れ家を持とうというんです。ですから、飛び歩くことができるようになってからは、羽もぐんぐん伸びるし、うまいものもたくさん食べられて、生きることの喜びをしみじみ味わいました。しかし少し心配なことがありました。それは、私たちのおかあさんどうしがごく低い声で話しはじめたあの恐ろしい猟の解禁期のことです。仲間の古老《おじいさん》がこの話題についていつも繰り返していました。 『怖《こわ》がることはないさ、アカ公、――私はくちばしと足がななかまど[#「ななかまど」に傍点]の実の色をしていたのでアカ公と呼ばれていました。――怖《こわ》がることはないさ、アカ公。解禁の日にはわしがおまえを連れて行ってやるよ。きっとなんにも起こりやしないから』  胸のところにはもうひずめ型の赤い毛がありましたし、あちらこちらに幾らか白い羽が生《は》えてましたけれど、このおじいさんはたいへん抜け目がなくてすばしっこいんです。ごく若いころ、翼に鉄砲玉を受けて、少し体《からだ》の調子を悪くしたので、飛び立つ前によく気をつけて、ゆっくりと、うまく飛んで行くんです。おじいさんはたびたび私を森の入口へ連れて行ってくれました。そこにはくり[#「くり」に傍点]の木のあいだに奇妙な小舎《こや》が建っていました。からっぽの巣のように静かで、いつも閉《し》まっているんです。 『この家をよく見てごらん、坊や』とおじいさんが私に言うのでした。『あの屋根から煙が上り、入口やよろい戸[#「よろい戸」に傍点]が開いているのが見えたら、私たちにとってよくないことが起こるんだよ』  私は、おじいさんが何度も解禁期に会ったことを知っていますから、おじいさんを信じていました。  本当にある朝、夜明けに、だれかがあぜからごく低い声で私を呼んでいるのを聞きました。 『アカ公、アカ公』  おじいさんでした。目付きがふだんと違っています。 『早くおいで。私のとおりにやるんだよ』と私に言いました。  私は半分眠ったまま飛びもせず、ほとんど跳《は》ねもせず、はつかねずみ[#「はつかねずみ」に傍点]のように土の塊《かたま》りのあいだを通り抜けて彼の後からついて行きました。私たちは森のほうへ行きました。通りがかりに、例の小舎《こや》の煙突から煙が出て、窓には日が差し、大きく開いた戸の前に身仕度《みじたく》を整えた漁師たちが飛びはねる犬に囲まれているのを見かけました。私たちがその前を通った時、漁師の一人が叫びました。 『朝のうちは野原をやろう。森は午後としよう』  そこで私は、なぜ年とった友だちがはじめに大木の下へ連れてってくれたのかが分かりました。それでも私の心臓は鳴りました。ことにきのどくな友だちのことを考えた時には、いっそう激しく鳴りました。  森の端に達したころ、とつぜん犬が私たちのほうへ走りだしました…… 『はって、はって』おじいさんは身をかがめて私に言いました。同時に、私たちから十歩ぐらいのところを、不意を打たれた一羽のうずら[#「うずら」に傍点]が羽とくちばしを大きく開いて、恐怖の叫びをあげて飛び去りました。恐ろしく大きな音が聞こえて、私たちは妙なにおいの、太陽がやっと昇《のぼ》ったばかりなのに真白な、とても暖かい煙に囲まれました。走ることができなくなったほど恐《こわ》かったんです。幸いに、私たちはもう森に入っていました。おじいさんが小さなかし[#「かし」に傍点]の木の背後《うしろ》にうずくまったので、私もその傍《そば》に来てすわり、私たちはそこへ身を隠して、木の葉のあいだからながめていました。  原では恐ろしい射撃が行われていました。音がするたびに、私は気もそぞろに目を閉じました。思いきって目を開くと、野原は広くて何もなく、犬が、若草や刈り倒した麦の中を捜しながら気でも狂ったようにくるくる走りまわっておりました。その後では漁師たちが大声をあげて呼んでいました。鉄砲が太陽に輝いています。一瞬間、小さな煙の雲の中に木の葉のようなものが――周囲には一本の木もなかったのですけれど――飛び散るのが見えたように思いました。しかし、おじいさんはそれは羽だと言いました。そして、実際、私たちの前百歩ほどのところを、みごとな灰色のしゃこ[#「しゃこ」に傍点]が血に染まった頭をさかさまにして、あぜの中へと落ちて行きました。  太陽が高く上って暑くなったころ、射撃が急にやみました。漁師たちは小舎《こや》のほうへ帰ってきました。ぶどうづる[#「ぶどうづる」に傍点]が燃えてパチパチというのが聞こえます。彼らは銃を肩に掛けて話し合い、手柄を論じ合っていました。犬のほうはへとへとに疲れ、舌を垂《た》れて後からついてきました…… 『やつらは食事をするんだよ。おれたちもやろうじゃないか』と連れが言いました。  そこで、私たちは森のすぐ近くのそば[#「そば」に傍点]の畑、アマンドの香《かお》りのする、花を開いたり実をつけている白と黒との大きな畑に入りました。えび[#「えび」に傍点]茶色の羽の美しいきじ[#「きじ」に傍点]が、見つけられないように赤いとさか[#「とさか」に傍点]を低く下げて、やはりそこで餌をついばんでいました。本当に、彼らはふだんよりずっと謙そんでした。しきりに口を動かしながら、彼らは私たちにニュースを求め、仲間の一羽が撃たれてしまいはしなかったかと尋ねました。このあいだに、はじめは静かだった漁師たちの昼飯がしだいに騒々しくなりました。コップのぶつかり合う音や、びん[#「びん」に傍点]のせん[#「せん」に傍点]を抜くのが聞こえました。おじいさんは今が隠れ家に帰る時だと考えました。  この時は森はまるで眠っているようでした。しか[#「しか」に傍点]が水を飲みにいく小さな沼はだれも口を入れないので静まり返っていました。うさぎ[#「うさぎ」に傍点]のよく行くいぶきじゃこうそう[#「いぶきじゃこうそう」に傍点]の中にはその鼻面《はなづら》一つ見えません。まるで一枚の葉、一本の草が、脅《おど》かされた生命をかくまっているというような、不思議なおののき[#「おののき」に傍点]が感ぜられました。いったい森の野獣はたくさんの隠れ場所を持っています。穴、草の茂み、木の束《たば》、いばら[#「いばら」に傍点]、それからみぞ[#「みぞ」に傍点]、あの雨の降ったあと長いあいだ水のたまる森の小さなみぞ[#「みぞ」に傍点]です。白状しますが、私はこの隠れ場のどれかの奥のほうにいたかったのです。しかし、連れのおじいさんは、体《からだ》をそっくり外に出して、ひろびろと、遠くをながめ、自分の前に大気を感じたいと望みました。そのとおりにして本当によいことをしました。なぜって、漁師たちは森の下に来たんです。  ああ! 最初の森の銃火、四月のあられ[#「あられ」に傍点]のように木の葉に穴をあけて、皮に傷をつけるこの銃火は一生忘れられません。一匹のうさぎ[#「うさぎ」に傍点]がつめを延ばして草の茂みをかきむしり、道を横ぎって逃げだしました。りす[#「りす」に傍点]がまだ生《なま》青い実を落しながらくり[#「くり」に傍点]の木から駆けおりました。射撃のあおりは低い枝や枝葉のあいだに騒ぎを起こし、森に住むすべてのものの体《からだ》を揺すぶり、目をさまさせ、恐れさせました。野ねずみ[#「ねずみ」に傍点]が穴の奥へと走って行きます。さっき私たちがうずくまっていた木の穴から飛びだした一匹のかぶと[#「かぶと」に傍点]虫が、恐ろしさのあまりキョトンとした、大きな、ばかみたいな目をグルグルまわしました。その他青いとんぼ[#「とんぼ」に傍点]、穴ばち[#「ばち」に傍点]、ちょうちょう[#「ちょうちょう」に傍点]など、四方八方に驚いて飛ぶ哀れな小動物…… 赤い翼の小さなきりぎりす[#「きりぎりす」に傍点]まで私のくちばしのすぐ近くに来ましたが、私自身も非常に驚いていて、彼の恐れを利用しようなどということはできませんでした。  おじいさんは他のものと違っていつも非常に落ち着いていました。犬の鳴き声や銃火にとても気をつけていて、彼らが近づくと合図《あいず》をしました。そして、私たちは、犬の駆けつけられない、木の葉でじゅうぶんに隠された、も少し遠いところへ行きました。しかし一度はやられたと思いました。私たちが横ぎらなければならなかった小道は両端をそれぞれ一人の漁師に待ち伏せられていました。一方では、黒いほほひげ[#「ほほひげ」に傍点]の壮漢が、身動きをするごとに、鉄のものを何から何まで鳴らしていました。猟の刀だとか、弾薬箱だとか、火薬入れだとか、なおその上に、ひざ[#「ひざ」に傍点]まで留め金のある、彼をますます高く見せる長いゲートルをつけていました。また別の端には、背の低い老人が木に寄り掛かって、眠たくてたまらないというふうに目をしばだたきながら、パイプを静かにくゆらしていました。こいつ[#「こいつ」に傍点]は私を恐れさせませんでした。しかし、向こうにいる大きいやつが…… 『アカ公、おまえにはちっとも分からないね』とおじいさんが笑いながら私に言いました。そして、恐れずに、翼を大きく開いて、このほほひげ[#「ほほひげ」に傍点]の恐ろしい漁師の足もとをかすめるように飛んで行きました。  なぜそんなことをしたかと言いますと、かわいそうに、この男は猟の道具を身動きもできぬほどに着け、その姿を上から下まで夢中になってながめいっていましたから、彼がその鉄砲を肩にあてた時には、私たちはもう弾丸の届かないところに行っていました。ああ! 漁師たちが森のすみに自分たちだけいると思っている時に、どんなにたくさんの小さな目が雑木林《ぞうきばやし》からじっと彼らをうかがっているか、どれだけ多くの小さなとがったくちばしが彼らのまずさかげんに笑いをかみ殺しているか、を漁師たちがもし知っていたら!……  私たちは先へ行きました、どんどん進みました。おじいさんに従って行くのに越したことはないので、私は彼の翼が風を切ると翼を動かし、彼が休むとすぐ翼をたたんで動かさないのでした。私たちの通ったあらゆる場所が今でも目の中に見えます。至るところに死が隠れているのが見えるような一列の大きなかし[#「かし」に傍点]の木の帳《とばり》のかげの、黄色い木の根元に穴のたくさんある、ヒースでできたばら[#「ばら」に傍点]色のうさぎ[#「うさぎ」に傍点]の住家《すみか》だとか、おかあさんのしゃこ[#「しゃこ」に傍点]が五月の太陽を浴びながらたびたびひな[#「ひな」に傍点]を歩かせた緑の小道、そこではまた、私たちの足まではい上がってくる赤いあり[#「あり」に傍点]をつつきながら飛び歩いたり、私たちと遊びたがらない、羽自慢で、目方といえばひな[#「ひな」に傍点]ほどの、小さなきじ[#「きじ」に傍点]に出会いました。  私が夢心地で小道を見た時、すらりとした背の高い雌じか[#「じか」に傍点]が大きな目を見開いて、今にも飛びそうにしてその道を横ぎりました。また、沼へは十五羽、三十羽と群れをなして、野原から一時にパッと飛んできて、沼の水を飲み、光沢のある羽の上の、玉のようなしずく[#「しずく」に傍点]を跳《は》ね散らかします…… この沼の真中に、非常に茂ったはん[#「はん」に傍点]の木の林がありました。私たちが避難したのはこの島でした。ここまで私たちを捜しにくるには、犬もよほど鋭い鼻を持っていなければならなかったでしょう。私たちがしばらくそこにいると、一匹の雄じか[#「じか」に傍点]が三本足で体《からだ》を引きずり、後のこけ[#「こけ」に傍点]の上に赤い筋を残しながら、やってきました。あまりに傷《いた》ましい姿なので、私は木の葉の下に顔を隠しました。しかし、怪我をしたものが息をはずませながら、熱に燃える体《からだ》で沼の水を飲む音が聞こえました。  日が暮れました。鉄砲の音が遠ざかり、ますます数少くなりました。やがて、すっかり消えてしまいました…… もうおしまいでした。そこで、私たちはごく静かに、仲間の安否を尋ねるために、野原のほうへ帰りました。森の小舎《こや》の前を通りながら、私はあるぞっとするものを見ました。  みぞ[#「みぞ」に傍点]の縁に、茶色の毛のうさぎ[#「うさぎ」に傍点]、白い尾の灰色の小うさぎ[#「うさぎ」に傍点]が、並んで横たわっていました。許しを願っているような、死によって結ばれた小さな足、泣いているように見えるどんよりした目、また、赤しゃこ[#「しゃこ」に傍点]、灰色の小しゃこ[#「しゃこ」に傍点]、おじいさんのように、赤い半円のあるしゃこ[#「しゃこ」に傍点]、そして、私のように、羽の下にまだ生毛《うぶげ》のある今年生れた若しゃこ[#「しゃこ」に傍点]。死んだ鳥よりいたいた[#「いたいた」に傍点]しいものがあるでしょうか? あのいきいきとした羽! それがたたまれて、冷たくなっているのを見るとぞっとします…… 大きなみごとな雄じか[#「じか」に傍点]は、静かに、眠っているように見えます。小さなばら[#「ばら」に傍点]色の舌が、まだ何かなめているように口から出ています。  そして、漁師たちがこの虐殺の上に身をかがめて、一つ一つ数えながら、血まみれの足、きれぎれの翼を、これらのすべての新しい傷になんの敬意も払わずに、獲物袋《えものぶくろ》のほうへ引っ張っています。引き揚げのためにみんな一しょに括《くく》られた犬が、構えの姿勢で、まだ口を結んで、再び森の中に飛んでいく用意をしているようでした。  ああ! 大きな太陽がかなたへ沈み、そして、みんな、疲れきって、土くれと、夜露でぬれた小道の上に、長い影を引きながら行ってしまう時、私はどんなに人と動物のこの一隊をのろったでしょう! 憎んだでしょう!…… おじいさんも私も、ふだんのようにこの沈み行く夕日にお別れのささやかな歌をささげる勇気がありませんでした。  私たちは途中で、流れ弾にあたってあり[#「あり」に傍点]に引かれるままになっている、かわいそうな小さい動物に会いました。また、鼻面《はなづら》をほこり[#「ほこり」に傍点]だらけにしている野ねずみ[#「ねずみ」に傍点]、飛んでいる時に不意にやられて、仰むけに寝|転《ころ》んで、澄んだ冷たい湿りのある、暮れやすい秋の夜のほうへ、堅くなった小さな足を延ばしているかささぎ[#「かささぎ」に傍点]やつばめ[#「つばめ」に傍点]。しかし、何よりも哀れなのは森の端、牧場の縁、そして向こうの川の柳林の中でかなたこなたに聞こえる、答えるもののない、不安な寂しい小鳥の呼び声でした。 [#改ページ] [#4字下げ]鏡[#「鏡」は中見出し]  北国の、ニエマン川のほとりに、殖民地生れの白人の少女がたどりついた。年のころは十五、はたんきょう[#「はたんきょう」に傍点]の花のように白とばら[#「ばら」に傍点]色の顔。彼女ははちすずめ[#「はちすずめ」に傍点]の国から来たので、彼女を運んだのは恋の風であった…… 島の人たちは彼女に言った。『出かけちゃいけない、大陸は寒い…… 冬になったら死んでしまうよ』しかし白人の少女は冬を信じなかった。そして、寒さというものは、凍り菓子を食べた時の感じとしてしか分からなかった。それに彼女は恋をしていたので、死は恐ろしくなかった…… そして、今、ニエマンの霧の中に、扇や、ハンモックや、蚊帳《かや》や、故郷の鳥をたくさん入れた金色の網かご[#「かご」に傍点]やらを携えて、上陸したのだった。  南の国が光に包んで送ってきた、この島咲きの花を見た時、年をとった北国おじさんの心はあわれみにおのの[#「おのの」に傍点]いた。そして、寒さが娘とはちすずめ[#「はちすずめ」に傍点]とをただ一口に食べてしまうに違いないと考えたので、急いで黄色い大きな太陽を点《とも》し、彼女たちを迎えるために夏の装《よそお》いを凝《こ》らした…… 殖民地生れの白人の少女は感違いをした。彼女はこの荒々しい、重苦しい北国の暑さを、長続きのする暑さだと思い、この黒っぽい永遠の緑を、春の緑と思い、そして、庭の奥の二本のもみ[#「もみ」に傍点]の木の間にハンモックを掛けて、一日じゅう扇を使い、体《からだ》をゆすぶっていた。 『でも、北国って、ずいぶん暑いじゃないの』と、彼女は笑いながら言った。しかし、何かしら、彼女を不安にさせるものがあった。なぜ、この不思議な国では、家にヴェランダが付いていないのだろう? どうして、壁が厚く、花|毛《もう》せん[#「せん」に傍点]が敷かれ、重い帳《とばり》があるのだろう? この大きな陶製のだん[#「だん」に傍点]炉、庭に積まれたまき[#「まき」に傍点]の山、青いきつね[#「きつね」に傍点]の皮、裏付きのマント、戸だなの中に蔵《しま》ってある毛皮類、こんなものはみんな何の役にたつ?…… かわいそうな娘、やがてそれが分かるだろう。  ある朝、目がさめた時、少女は激しい寒気を感じた。太陽が姿を隠し、夜のあいだに地面に近づいたかと思える暗い低い空から、まるで綿の木の下にいるように、白いびろうど[#「びろうど」に傍点]のようなものが、静かに、細かな房《ふさ》になって落ちていた…… 冬だ! 冬が来たのだ! 風は吹きすさび、だん[#「だん」に傍点]炉はうなっている。金色の網かご[#「かご」に傍点]の中で、はちすずめ[#「はちすずめ」に傍点]はもうさえずらない。青、ばら[#「ばら」に傍点]、紅玉、みどり色の小さな翼はもう動かない。彼らが互に体《からだ》を寄せ合って、小さなくちばし[#「くちばし」に傍点]で、ピンの頭のような眼をして、寒さにこごえ、体《からだ》を丸くしているのを見るのは哀れだった。あちらの公園の奥では氷柱《つらら》の下がったハンモックが身震いをしている。そして、もみ[#「もみ」に傍点]の木の枝は、ガラスの糸のようだ…… 娘は寒気がして、もう外へは出たくない。  彼女の連れてきた小鳥のように火の傍《そば》に身をすぼめて、炎をながめて時を過ごし、思い出をたどって太陽をこしらえている。光り輝いて燃えている大きなだん[#「だん」に傍点]炉の中に、彼女は故郷がすっかり見えた。とけて流れる黒砂糖や、金色のほこりの中に舞うようなとうもろこし[#「とうもろこし」に傍点]の粒と一しょに思いだされる、太陽をいっぱいに浴びた広い波止場、それから、午後の昼寝、薄色のカーテン、わら[#「わら」に傍点]のむしろ、さてはまた、星の輝く夕、ほたる[#「ほたる」に傍点]、そして、花のあいだや蚊帳《かや》の網目の中でブンブンうなる数知れぬ小さな羽。  こうして、彼女が炎の前で夢を見ているあいだに、冬の日は日増《ひまし》に短く、日増《ひまし》に暗くなって行った。毎朝、死んだはちすずめ[#「はちすずめ」に傍点]がかご[#「かご」に傍点]の中から拾われた。やがて、もう二羽きりになってしまった。片すみに向き合って緑の羽を逆立てた二つの塊《かたま》りになってしまった……  その朝、娘は起きることができなかった。ちょうどマホン[#原注]の帆船が北国の氷の中で自由が利《き》かなくなるように、寒さが彼女を締めつけて、しびれさせてしまった。暗い天気で、部屋はもの寂しかった。霜が窓ガラスの上に、鈍色《にぶいろ》の絹の厚い幕をこしらえた。町は死んだように見えた。そして、音のない往来では、蒸気の雪かきが寂しいうなりを立てている…… 寝床の中で、気を紛らすために、少女は扇の金粉を輝かしてみたり、大きなインド産の鳥の羽で縁飾りをつけた故郷の鏡の中に自分の姿を映して時を過ごした。  ますます短く、ますます暗く、冬の日は続いて行った。レースの帳《とばり》の中で、殖民地生れの少女はやつれはて、悲嘆にくれていた。ことに彼女を悲しませるのは、寝台から火が見られないことだった。彼女は再び自分の国を失《な》くしたように思えた…… ときどき彼女は尋ねた。『部屋に火があります?』『ああ、あるとも、おまえ。ストーブは真赤《まっか》に燃えている。まき[#「まき」に傍点]がパチパチ音をたて、松かさ[#「かさ」に傍点]が、はじけるのが聞こえるだろう?』『見せてちょうだい、見せて』しかし、彼女が身をかがめてもだめだった。炎は彼女からずっと離れていた。彼女は見ることができないので、がっかりした。ところがある夕べ、もの思いにふけり、青ざめた顔をして、頭をまくら[#「まくら」に傍点]の縁に載《の》せ、この美しい見えない炎のほうに絶えず目をやって、そこにいる時、恋人は彼女に近寄って、寝床の上にあった鏡を取りあげた。『かわいい人、火が見たいんだね…… では、ちょっと待って……』そして、だん[#「だん」に傍点]炉の前にひざまずいて、その鏡でふしぎな炎を映して、送ろうとした。『見える?』『いいえ! 何も見えないわ!』『今度は?』『いいえ、まだよ……』そして、とつぜん、顔いっぱいに彼女を包む光線を受けて、『ああ! 見えた!』と白人の娘はうれしくてたまらないように言った。そして、目の奥に二つの小さな炎を映して笑いながら死んだ。 [#改ページ] [#3字下げ]盲目《めくら》の皇帝[#「盲目《めくら》の皇帝」は大見出し] [#4字下げ]日本の悲劇を求めてバヴァリヤへの旅[#「日本の悲劇を求めてバヴァリヤへの旅」は中見出し] [#6字下げ]一、ジーボルト大佐[#「一、ジーボルト大佐」は小見出し]  一八六六年の春、日本の植物に関する数々の名著によって学界にその名を知られている、オランダ国勤務のバヴァリヤの大佐ジーボルト氏は、彼が三十年以上も居住したあの不思議なニポン‐ジュパン‐ジャポン(日|出《い》ずる帝国《くに》)の開拓のために、国際的な協会を創立するという遠大な計画を皇帝に建議すべくパリを訪れた。テュイルリー宮でえっ見[#「えっ見」に傍点]を許されるのを待つあいだ、日本における永い滞在にもかかわらず、依然としてバヴァリヤ人の風習を少しも失わないこの有名な旅行者は、彼と一しょに旅行し、彼がめい[#「めい」に傍点]と称している若いミュンヘンの娘とともに、ポワソニエール街の小さなビヤホールで毎夜毎夜を送っていた。私が彼に会ったのもそこだった。七十二歳というのにかくしゃくたるこの背の高い老人の顔かたち、白く長いひげ[#「ひげ」に傍点]、引きずるような長い外とう、あらゆる科学会の色とりどりのリボンで飾られたぼたん穴、気の弱さとずうずうしさとを同時に示す外国人らしい様子が、彼が入ってくるたびにいつも人々を振り返らせるのだった。大佐はもったいぶって腰を下《お》ろすと、ポケットから黒い丸っこい小かぶ[#「かぶ」に傍点]を取りだした。するとなにからなにまでドイツの女らしく、短いスカートに房《ふさ》の付いたショール、小さな旅行帽をかぶった連れの娘さんは、この小かぶ[#「かぶ」に傍点]をお国ふうに薄く切って塩をふりかけ、小ねずみ[#「ねずみ」に傍点]のような可愛いい声で彼女のいわゆる『叔父《おず》さん』に勧める。そして二人向かい合って、パリでミュンヘンのまね[#「まね」に傍点]をしたって何がおかしいと言わぬばかりに、平然として無邪気にかじりはじめる。実際ふう[#「ふう」に傍点]変《がわ》りな愛すべきご両人で、私たちはすぐに大の仲よしとなった。人の良い大佐は私が日本の話を喜んで聞くのを見て彼の覚え書きを校閲してくれと言いだした。私は彼を通じて愛するようになったこの美しい国の研究を更に深めるためと、同時にこのシンドバッド老[#原注]に対する友情のゆえに、さっそく喜んで引き受けてしまったが、この校閲の仕事は楽ではなかった。覚え書きは全部ジーボルト氏の用いるおかしなフランス語で書かれていた。『もし株主があろうなら』とか『資金が集ろうなら』とか。それに発音の転倒がいつも彼をして『アジアの大詩人』の代りに『アジアの大地震』と言わせ『日本《ジャポン》』の代りに『シャボン』と言わせるのだった…… おまけに五十行からある文章は一つの句点、読点もなく、息を吐《つ》くところもない。しかも著者の頭の中には整然と並べられていて、一言《ひとこと》でも抜かすことはとてもできそうにもないらしく、一行でも傍《そば》に除《の》けようものなら、彼はすぐさま少し先へそれを持っていくのだ…… とにかくこの先生は彼の『シャボン』とともにすこぶる愉快な人物なので私は仕事の苦労を忘れるのだった。そして拝えつの知らせがあった時には書類はほとんどでき上がっていた。  きのどくなジーボルト老! 彼が晴れの場合に限ってこうり[#「こうり」に傍点]から取り出す赤と金の大佐の盛装に、ありったけの勲章を胸に着けて、テュイルリー宮殿に出かける姿は今でも私の目に浮かぶ。長い体《からだ》を持ち上げるようにして、絶えず『フム! フム!』とつぶやいてはいたが、私の腕に伝わってくる彼の腕の震えや、ことに勉強とミュンヘンのビールで赤黒くなった物識《ものしり》らしい大きな鼻の異常な青白さによって、彼の興奮のほどが察せられた…… その晩彼に会った時、彼は得意だった。ナポレオン三世が、ほんの僅かのあいだ彼に会って、数分間彼の言葉を聞いた後『よしよし…… いずれ考慮するとしよう』という例のお得意の文句で彼を送り返したのであった。そこでこの正直な日本研究家は、もうグランドホテルの二階を借りようとか、新聞に書こう、趣意書を配ろうなどと言っていた。私は陛下の「考慮」はたぶん長くかかろうから、それまでのあいだミュンヘンへ帰っているほうがよいだろう、ということを彼に納得させるのにたいへん苦労した。それにちょうどそのころミュンヘンでは、議会が彼の大量の収集品《コレクション》を買い上げる予算を可決しようとしていたのだった。ようよう私の意見を聞き入れた彼は、例の手記について私が取った労に報いるため、「盲目《めくら》の皇帝」と題する十六世紀の日本の悲劇を送ってくれる約束で出発した。この貴重な傑作は全然欧州には知られていないもので、彼が特に友だちのマイエルベール[#原注]のために訳したものである。ところが当のマイエルベールは合唱曲の作曲さいちゅう死んでしまったのだった。ごらんのとおり、律儀なジーボルトが私にしようとした贈り物はすばらしいものなのである。  運悪く、彼が出かけて数日の後に、ドイツに戦争がはじまった。もはや私の悲劇についてもたよりがなかった。プロシア軍がヴェルテムベルクとバヴァリヤに侵入したのだから、愛国の熱情と侵入の大混乱に取り紛れて、大佐が私に約束した「盲目《めくら》の皇帝」を忘れてしまったのもまったく無理ではないことだった。だが私はいっそう忘れられなかった。そしてとうとう一つには日本の悲劇が知りたさと、それに戦争とか侵入のいかなるものかを目《ま》のあたり見たいという物好きな気持も手伝って――ああ、ほんとうに! 今なお恐ろしさは頭に残っているが――私はある朝ミュンヘンへ発《た》つことに決めたのだった。 [#6字下げ]二、南ドイツ[#「二、南ドイツ」は小見出し]  まあなんて鈍重な国民だろう! 戦争の真最中、焼きつけるような八月の陽《ひ》の下で、ラインのかなたなるドイツ全土はケールの橋からミュンヘンまで、常に変らぬ冷静な落ち着いた姿を保っているのだ。シュアーベンの公領を過ぎてのろのろと重たそうに私を運んで行くヴェルテムベルク公国の汽車の三十の窓からは、山だのくぼ地だの様々な景色が繰り広げられて、豊かな緑野の尽きるところには小川のすがすがしい流れが感ぜられる。車の動きにつれて曲《ま》がりくねって消えて行く斜面には、百姓女たちが赤いスカートにびろうど[#「びろうど」に傍点]の胴着を着けて、羊の群れの中にかたくるしい体《からだ》つきをして立っているのがながめられた。彼女たちの周《まわ》りの森は滴《したた》るばかりの緑色で、樹脂《やに》の香の高い北欧の森のにおいのするもみ[#「もみ」に傍点]の小箱から取りだしたおもちゃの牧場を見るようであった。ところどころに緑の服を着た十人あまりの歩兵が、頭《かしら》をまっすぐに、ひざ[#「ひざ」に傍点]を上げ、銃を弓のようにかついで、足なみそろえて牧場の中を歩いていた。ナサウかどこかの領主の軍隊だろう。ときどき私たちの汽車と同じようにのろのろと、大きな船を積んだ汽車が通った。おとぎばなし[#「おとぎばなし」に傍点]に出てくる戦車にでも乗ったように積み込まれたヴェルテムベルク公国の兵士たちは、プロシア軍を前にして退却しながら、三部合唱でベニスの船歌を歌っていた。汽車が停車場に着くごとに、構内の食堂では給仕頭《きゅうじがしら》の変らぬ微笑と、ジャムを添えた大きな肉片を前にして胸にナプキンを掛けたドイツ人の陽気な太った顔が見え、ギッシンゲンでは戦争が行われているというのに、シュツットガルトの国立公園は豪勢な馬車だの化粧《おめかし》をした女だの騎馬行列だのでいっぱいで、池のほとりではワルツが奏せられ、四班舞踏曲《カドリール》が奏《かな》でられているのだ。実際今それらの物を思いおこしてみると、そしてそれから四年後のこの同じ八月に見た、あの焼けつく太陽にかま[#「かま」に傍点]でも狂ったのかめくらめっぽう熱に浮かされたように走る機関車、戦場のまっただなかに取り残された客車、切断されたレール、受難の列車、東部鉄道線が短くなるにつれて日ごとに縮まって行くフランス、道路の傍《そば》に打ち捨てられた線路、荷物か何かのように忘れ去られた負傷者をぎっしり収容してこの寂しい田舎《いなか》にぽつんと取り残されている停車場の傷《いた》ましい混雑、などを考えると私はこう思うのだ。一八六六年のプロシア対南独諸国の戦争は結局茶番なのだ。だれが何と言おうとゲルマニヤのおおかみ[#「おおかみ」に傍点]は共食《ともぐ》いなんかしやしないのだと。  ミュンヘンを一目見さえすれば容易《たやす》くそれと合点が行く。私が到着した晩は星をちりばめた美しい日曜の晩だったので、町じゅうの人はみんな戸外に出ていた。漫歩《そぞろあるき》の足元から立ち上るほこり[#「ほこり」に傍点]のように光の下でとりとめのない、雑然たるにぎやかなざわめきが空中に漂っていた。冷やりとした丸天井《まるてんじょう》のビール倉の奥、色ぢょうちんの微《かす》かな光が揺れているビヤホールの庭、至るところに、コップにかぶさる重いふた[#「ふた」に傍点]の音と交《ま》じって、元気のいい調べを奏《かな》でる銅楽器の音やら、吐息を漏らすような木管楽器の音が聞こえていた……  私が彼のめい[#「めい」に傍点]と一しょに例の黒かぶ[#「かぶ」に傍点]を前にしてすわっているジーボルト大佐を見つけたのも、こうした快い楽の音に満ちた、さるビヤホールの中だった。  傍《かたわら》のテーブルでは外務大臣が国王の叔父《おじ》とビールの満を引いていた。あたり近所では家族連れの市民たちやめがねを掛けた将校連、それから赤や、青や、海のような緑色の小さな帽子をかぶった学生たちがみんな、しかつめらしく黙りかえって、グンゲル氏のオーケストラにつつましく耳を傾け、プロシアなどは眼中にないといった様子でパイプの煙の昇《のぼ》るのをながめていた。私の姿を見かけて大佐はちょっと困ったようだった。彼はフランス語で私に話しかけるのにわざと声を落しているらしかった。私たちの周囲に『|フランス人《フランツォーゼ》…… |フランス人《フランツォーゼ》……』というささやきが聞こえる。私はみんなの目の中に敵意を感じた。『表へ出よう!』とジーボルト氏は私に言った。一度戸外へ出ると昔のままの人の良い彼の笑顔を見出すのだった。義理堅い彼は約束を忘れたのではなかった。ただ政府に売却した日本の収集品《コレクション》の整理に没頭していて、そのために手紙をくれなかったのだった。私に約束した例の悲劇というのはヴェルツブルクのジーボルト夫人の手元にあった。そしてそこへ行くにはフランス大使館の特別の許可が必要だった。というのは、プロシア人がすでにヴェルツブルクに迫っていて、もはや容易なことでは入国できなかったからである。もしもトレヴィーズ氏の寝込みを襲うこともあえて辞さなかったら、その晩にも大使館へ行ったろうと思うくらい、私は例の「盲目《めくら》の皇帝」に思い焦がれていた。 [#6字下げ]三、馬車《ドロシュケ》にて[#「三、馬車《ドロシュケ》にて」は小見出し]  翌朝早く青房亭《グラップ・ブルウ》の主人は、ホテルが旅客に町の名所を案内するためにいつも庭に備えておくあの小さな貸し馬車の一つに私を乗せた。この馬車から、建物や通りが案内書のページの中から現われるように、諸君の前に展開するのである。しかし今度は町の見物ではなくて、私をフランス大使館に連れて行くだけが目的だった。『|フランス大使館《フランツェージッシェ・アンバサート》へ!……』と主人は二度繰り返した。御者《ぎょしゃ》は青い着物に大きな帽子をかぶった小男だったが、自分の箱馬車、ミュンヘンふうに言えばドロシュケ、に対して命ぜられた新しい行先にひどく驚いたらしかった。だが彼よりもいっそう驚いたのは私だった。彼は屋敷町に背中を向けて、工場だの職工の家だの小っぽけな庭だのが多い長い場末町へと道をとり、幾つも門を潜《くぐ》って私を市外へと連れ出してしまったのだから……  ――大丈夫かい、|フランス大使館《アンバサート・フランツェージッシェ》だぜ? 私はときどき不安になって尋ねてみた。  ――へい、へい、大丈夫で、と小男は答える。そして私たちの馬車は走り続けた。もっと尋ねてみたいのはやまやまだったが、あいにくなことに御者《ぎょしゃ》はフランス語ができないし、私のほうもその時分はドイツ語は二言《ふたこと》か三言《みこと》しか話せない。それもパンとか寝床とか肉とかに関するごく簡単な言葉だけで、大使館について尋ねるなどということは思いもよらなかった。おまけにそういう簡単な文句も節をつけてしかしゃべれなかった。という訳はこうである。  数年前、私は、これも私同様|気紛《きまぐ》れな友だちと一しょに、アルザスやスイスやバーデン公国を旅行したことがある。留め金を締めた袋を背負って十里にあまる道を歩きまわり、入口しか見たくない町は敬遠して、いつも行先も分からぬささやかな小道を選んで、まるで行商人のような旅をしたのだった。おかげでたびたび思いがけない野宿をしたり、四方の開いた納屋《なや》で夜を明したりしたものだ。が私たちの旅行をまったく不便なものにしたのは、私も友だちもドイツ語が一言《ひとこと》も分からないということだった。バーゼルを通った時に買い求めたポケット用辞書の助けを借りて、私たちはやっとのことで次ぎのようなごく簡単な他愛もない文句を組み立てることができた。|ビールが飲みたい《ヴィール・ヴォルレン・トリンケン・ビール》…… |チーズが食べたい《ヴィール・ヴォルレン・エッセン・ケーゼ》…… 諸君には至極簡単に見えるかもしれないが、困ったことにはこれだけの文句を覚えるのが私たちにはたいした苦労だった。役者が台詞《せりふ》をしゃべるようにすらすらと話すことはとてもできなかった。で私たちはその文句を歌にしてしまうことを考えついたのだ。そして私たちの作った小曲はその言葉にしっくり当てはまって、一語一語調子に乗って私たちの記憶の中に入り込んでしまったあげく、もうその言葉は別々に取り離しては出てこないくらいになった。夕方私たちが旅亭の大広間に入って背《はい》のう[#「のう」に傍点]の締め金をはずすや否や、あたりに響き渡る大声で歌いだした時の、バーデン公国の宿屋の亭主たちの顔といったら! [#ここから4字下げ] |ビールが飲みたい《ヴィール・ヴォルレン・トリンケン・ビール》(繰り返し) |飲みたい飲みたい《ヴィール・ヴォルレン・ヴィール・ヴォルレン》 |コラサ!《ヤ!》 |ビールが飲みたい《ヴィール・ヴォルレン・トリンケン・ビール》 [#ここで字下げ終わり]  その時以来私は非常にドイツ語がうまくなった。習う機会が幾度もあったのだ!…… 私の用語集は幾多の成句、文章で豊富になった。今はもう歌いはしない、話すだけだ…… ああ! 決して、もう歌いたくはない……  ところで、箱馬車《ドロシュケ》の話に戻ろう。  私たちの馬車は両側に白い家の建ち並んだ、街路樹のある通りをゆっくりと小走りに進んで行った。と、とつぜん御者《ぎょしゃ》は馬を止めた。 『おまちどうさま!……』と御者《ぎょしゃ》は、大使館にしてはあまりひっそり閑として寂しすぎると思われる、アカシヤの木陰《こかげ》に埋《うずも》もれた小さな家を私に指し示した。戸のわきの壁のすみに三つ縦に並んだ銅のぼたん[#「ぼたん」に傍点]が光っている。その一つをでたらめに引っ張って見ると戸が開いて、入ったところは粋《いき》な感じのよい玄関で至るところ花で飾られ毛《もう》せん[#「せん」に傍点]が敷いてあった。私の鳴らしたベルを聞いて駆けつけた六人ばかりの女中ふうのバヴァリヤ女が、ライン河のかなたの女たちに特有なあの翼のない鳥のようなみっともない様子で階段に立ち並んだ。 『|フランス大使館《アンバサート・フランツェージッシェ》ですか?』と尋ねると、彼女たちは私に二度繰り返させたあとで、欄干《てすり》を揺すっていきなりどっと笑いだした。かっとなった私は御者《ぎょしゃ》のところへ戻って、いろんな手ぶり身ぶりで、御者《ぎょしゃ》に彼が間違っていたこと、大使館はそこではないことを分からせようと努力した。『へい、それはどうも……』と、この小男は別にきのどくそうな顔もしないで答えた。そして私たちはミュンヘンへと帰った。  フランスの大使が当時、たびたび住居を変えていたものか、それとも私の御者《ぎょしゃ》が彼の馬車《ドロシュケ》の日常《いつも》の習慣《しきたり》を変えまいと、あくまで町やその近辺を私に見物させようという考えだったのか、とにかくその日一日はこの幻のような大使館を尋ねて、ミュンヘンの市中を縦横に駆けまわるうちに過ぎてしまった。なお二、三度尋ね歩いたあげく、私はもう車を降りないことにした。御者《ぎょしゃ》は行ったり来たり、またどこかの通りで立ちどまって道をきくふりをする。私はかまわず連れて行かせて、ただもう周囲をながめることに専心した…… 大きな並木道といい、整然と立ち並んだ宮殿といい、足音の響き渡る広過ぎる通りといい、あるいはまたバヴァリヤの名士たちのいかにも寂然とした白い彫像を陳列した野天の博物館といい、いったいこのミュンヘンという町は、なんと退屈な、冷ややかな感じのするところなのだろう!  驚くべきほど多くの柱廊《コロナード》やアーケード、壁画やオベリスク、ギリシアふうの殿堂や記念門、さてはまた小屋根に金文字で認《したた》められた連句など! それらはみんな重々しい気分を出そうと努めているかのようだが、地平線だけがのぞいているがい[#「がい」に傍点]旋《せん》門や青空に向かって開いた回廊を並木道のかなたにながめると、この表面《うわべ》だけの壮重さの中に、何かしら空虚な誇張したところが感ぜられるような気がする。こんなふうにして私は、ミュッセ[#原注]がファンタジオ[#原注]の不治の倦怠とマントゥー公[#原注]のばかげたしかつめらしいかつら[#「かつら」に傍点]とをさまよわせた、ドイツめいたイタリアのあの空想的な町々を思い浮かべるのだった。  この箱馬車の巡遊は五、六時間も続いた。一回りすると、御者《ぎょしゃ》は私にミュンヘンを見物させたことをさも誇り顔に、むち[#「むち」に傍点]を鳴らしながら意気ようようと私を青房亭《グラップ・ブルウ》の中庭へと連れ戻すのだった。ところで大使館はようやくホテルから二つ先の通りに見つかったのだが、そのことは少しも私の用事をはかどらせはしなかった。書記官はどうしてもヴェルツブルクへの旅券をくれようとはしない。当時私たちはバヴァリヤでは非常に悪く思われていたらしい。フランス人が前しょう線までもうろついて行くことはなかなか危険な話だった。そんな訳で私はジーボルト夫人が日本の悲劇を私に届けてくれる折があるまで、ミュンヘンで待たねばならなかった。 [#6字下げ]四、青い国[#「四、青い国」は小見出し]  奇妙なことに、私たちフランス人がこの戦いで彼らの味方をしなかったのをあれほど恨んでいたバヴァリヤ人は、プロシア人に対していささかの恨みも懐《いだ》いてはいなかった。敗北を恥じる気持も勝者を憎む心もあるものか。――『あれは世界第一流の軍隊だよ!……』と青房亭《グラップ・ブルウ》の主人はギッシンゲンの戦いの翌日、ある種の自尊心をもって私に語った。そして実際それがミュンヘンぜんたいの気持だった。コーヒー店ではベルリンの新聞が引っ張りだこだった。みんなクラデラダッチュ紙[#原注]上のひやかし[#「ひやかし」に傍点]、五万キロも目方のあるクルップ工場の有名な蒸気かなづち[#「かなづち」に傍点]ほど身にこたえる、あの猛烈なベルリンの漫画を見て、腹の皮がよじれるくらい笑った。プロシア軍が近いうちに入城することはもはやだれ一人疑う者もなかったので、めいめい彼らを歓迎する心がまえをしていた。ビヤホールはソーセージや肉だんごを仕入れたし、町の家々は将校たちの部屋を準備した……  ただ博物館だけはいくぶん不安の色を表わしていた。ある日|絵画陳列館《ピナコテーク》へ行って見ると、壁はすっかり裸になっていて、番人が絵を大きな箱の中にくぎづけにして、これから南部へ向けて送り出そうとしている最中だった。個人の所有物に対してはすこぶる周密な注意を払う勝利者も、政府の収集品《コレクション》についてはそれほど注意を払わないのではないかと思われるのだった。だから町じゅうの博物館の中で、依然として開放されていたのはジーボルト氏のものだけであった。オランダの士官であり、プロシアの大わし[#「わし」に傍点]勲章を着用している以上、自分がいたらだれもあえて彼の収集品《コレクション》に手を触れまいと大佐は考えていたのだった。そこで彼はプロシア軍の到着まで、王が彼に与えた、王宮の庭園に建てられた三つの細長い広間、パレ・ロワイヤル[#原注]に類したもので、壁画を描いた回廊の壁で囲まれていて、わが国のパレ・ロワイヤルよりももっと緑の濃い、陰気なものだが、その中を盛装してただ歩きまわっていた。  このうっとうしい、がらんとした宮殿の中に、札を付けて陳列された珍奇な品々は、はるばる故国《くに》を離れて渡ってきた物品のあの哀愁を帯びた集まりとして、立派に一つの博物館を造りあげていた。ジーボルト老自身までその一部となっているような感じがした。私は毎日彼に会いに行った。そして私たちは一しょに版画で飾られた日本の写本などをめくっては長い時間を過ごした。科学の本、歴史の書と様々ある中には、床《ゆか》の上で広げなくてはならないような大きなものもあれば、指のつめ[#「つめ」に傍点]くらいの大きさで、虫めがねを使ってようやく読めるような、金粉を塗った繊細な貴重なものもあった。ジーボルト氏は八十二巻から成る日本の百科辞典を見せて私を感心させたり、あるいはまた日本の最も有名な詩人百人の伝記と絵姿と叙情の断片とを収めている、日本の諸天子の勅撰によって公にされた、「百人一首」というすばらしい詩集の中の一首を私に訳してくれたりした。次ぎに私たちは彼の集めたいろいろの武器を並べてみた。幅の広いあごひも[#「あごひも」に傍点]の付いた金のかぶと[#「かぶと」に傍点]、よろい[#「よろい」に傍点]、くさりかたびら[#「くさりかたびら」に傍点]、テンプルの騎士[#原注]を思わせる、それで日本人がみごとに腹を切るという、両手で抱《かか》えるような大きな刀。  彼は金色の貝殻に記《しる》された恋愛訓を私に説明したり、江戸の家の模型を見せて内部まで私を案内するのだった。模型というのは漆塗りの器用な細工で、そこには何から何まで、窓に掛けた絹の帳《とばり》から、土地の可愛らしい草木で飾られた、小人国の庭みたいにちっぽけな庭の小石まで表わされていた。また私に多大の興味を与えたのは、日本人の礼拝に用いる物、すなわち着色した小さな神々の木像、けさ[#「けさ」に傍点]、祭器、それから信者たちがめいめいの家の片すみに備えている、ちょうど人形芝居の舞台そっくりな、持ち運びのできる御堂だった。赤い小さな偶像がその奥に安置されていて、結び玉のある一本の細い綱が正面に下がっている。日本人はお祈りを始める前に、まずおじぎをして、この綱で祭壇の下に光っている鈴をたたく。こうして神々の注意を引くのである。私はこの不思議な鈴を鳴らして子どものように喜んだ。そして波打つその音色のまにまに、さし昇《のぼ》る朝日が長い刀の刃から小さな書物の縁までことごとく黄金色に染めなしたかと思われる、東亜のいやはてへと夢を走らせるのだった……  漆器や硬玉の光沢だの、地図の輝く彩色にまばゆさを感じながら、私がそこを出た時、とりわけ、大佐が清純で上品な、独創的ですこぶる深い詩情にあふれた、日本の短歌の一つを私に読んでくれた日には、ミュンヘンの通りは私に不思議な印象を与えた。日本とバヴァリヤ、私がほとんど同時に知ったこの二つの新しい国、一方を他方を通じてながめていたこの二国は、私の頭の中で混ざり合い、ごちゃごちゃになって、何かしらぼんやりとした青の国、夢の国となってしまった…… 私が日本の茶わんの雲を表わす線や、水を描いた下絵の中に見たばかりの、旅路に浮かぶ夢のような青い線は、バヴァリヤの青い壁画の中にも見出される…… おまけに日本ふうのかぶと[#「かぶと」に傍点]をかぶって広場で調練をしている青服の兵士たち、わすれな草[#「わすれな草」に傍点]の青さを持った静かな大空、その上私を青房亭《グラップ・ブルウ》に連れ戻す御者《ぎょしゃ》の着物まで青いのだ!…… [#6字下げ]五、シュタルンベルク湖上に遊びて[#「五、シュタルンベルク湖上に遊びて」は小見出し]  私の記憶の底にきらきらと光っているあの輝く湖も、やはりこの青い国のものだった。シュタルンベルクという名を書いただけで、私はミュンヘンのすぐまじかに、岸に沿って進む小蒸汽船の煙によって親しさと活気とを添えられた、空をいっぱいに映《うつ》した平らなひろびろとした水の面《おもて》を眼前に思い浮かべるのである。湖の周《まわ》りはぐるっと大きな公園のこんもりとした木立《こだち》で囲まれて、それが白色の別荘で切り開かれたようにところどころとぎれている。少し高いところには町がぎっしりと屋根を並べ、斜面には多くの家が鳥の巣のように懸《かか》っている。さらに高くはるかチロルの山々がそびえ、山を浮き出した空の色も美しい。このいくぶん古典的《クラシック》ではあるが、いかにも麗しい画面の片すみで、長いゲートルに銀のぼたん[#「ぼたん」に傍点]の付いた赤いチョッキを着て、日曜の朝から晩まで私を乗せてこぎまわってくれた非常に年老いた船頭は、自分の船にフランス人を乗せていることがさも得意なようであった。  こういう幸福《しあわせ》が彼を訪れたのはこれがはじめてではなかった。彼は若いころこのシュタルンベルクで一人の将校を渡したことのあるのをよく覚えていた。それはもう六十年も昔のことであった。じいさんの丁重な話ぶりから推して、一八〇六年ベルリン占領当時のフランス人、ぴったりあったズボンに柔らかい長ぐつをはいて、大きな軍帽をいただき、勝者の横柄さに満ちた第一帝国時代の美しいオスワルドふうの男が、彼に与えた印象のほどが察せられた…… もしこのシュタルンベルクの船頭がいまだに生きていたら、フランス人に大してはたして同様な讃美の念を持っているかどうかすこぶる疑問である。  この美しい湖上で、また湖を取り囲む住民のための公開の庭で、ミュンヘンの市民たちは彼らの日曜を朗らかに過ごす。戦争が起こってもこの習慣は少しも変らなかった。通りがかりに見ると岸の飲食店はみんないっぱいだった。芝生《しばふ》の上には太っちょの婦人たちが、スカートを膨《ふく》らませて車座にすわっている。真青《まっさお》な湖の上に枝を交《ま》じえている木立《こだち》の中を、若い女と学生の群れが後光を負ったようにパイプの煙をなびかせて通りすぎて行く。少し離れたマクシミリヤン公園の空地《あきち》では、騒々しい華《はな》やかなお百姓の結婚披露が行われていて、脚立《きゃたつ》で支《ささ》えた長テーブルを前にしてお酒がはずむかと思えば、一方では緑色の服を着た密漁監視人が銃を握って射撃の構えをし、プロシア兵が使用して非常な成功を収めたあのすばらしい撃針銃《フユジ・ア・エギーユ》で威《おど》かしている。そんな光景でもなかったら、ここからわずか二十キロの所で戦争が行われているなどということは考えもつかない。ところが事実戦争が行われているのだ。その証拠にはその晩ミュンヘンに帰った私は、教会の片すみのように隠れた人目につかぬささやかな場所にあるマリアの円柱[#原注]の周《まわ》りにろうそく[#「ろうそく」に傍点]が点《とも》され、長いすすり泣きに祈りを震わせてひざまずいている女たちの姿を見たのであった…… [#6字下げ]六、バヴァリヤ[#「六、バヴァリヤ」は小見出し]  以前から世間はわれわれフランス人の敵意、愛国心から出た様々の愚かしい行為、虚栄心、からいばりなどについて語るが、私は欧州にバヴァリヤ人ほど高慢で、うぬぼれの強い、自己陶酔の国民があろうとは思わない。ドイツの歴史から抜きだした十ページそこそこのごくわずかなバヴァリヤの歴史が、絵画に、建築に、まるでほんの少しの本文《テキスト》にたくさんのさし絵の入った子どもに与えるお年玉の絵本のように、仰々しく不釣り合いにミュンヘンの町々にのさばっている。われわれのパリにはがい[#「がい」に傍点]旋《せん》門は一つしかないが、ここには十からあるのだ。勝利の女神《めがみ》の門、諸元帥の門、「バヴァリヤの兵士たちの剛勇のために」建てられた数知れぬオベリスクなど。  この国では偉大になるに限る。至るところで石や青銅に名まえを刻んでくれることは確かだし、少くとも一度は広場の真中か、白大理石の勝利の女神《めがみ》の像に交《ま》じって絵様帯《フリーズ》の上に、像を建ててもらえることは受け合いだ。この銅像熱、英雄崇拝、記念碑熱が高まったあげくに、善良な市民たちは街角《まちかど》に主《ぬし》のない台座をちゃんと据えつけて、未《いま》だ知られぬ明日の名士に怠りなく備えているのである。今ごろは広場という広場はことごとくいっぱいになっているに違いない。一八七〇年の戦役は彼らにあれほどおびただしい英雄と、あんなにたくさんの名誉あるエピソードを与えたのだから!  たとえば私は緑の公園の真中に古代ふうに肩もあらわに立っている、有名なフォン・デル・タン将軍の像を好んで頭に描いてみる。美しい台石を飾る浮き彫りは、片側は「バゼイユの町を焼き払うバヴァリヤの兵士たち」を描き、他の側は「ヴェルトの野戦病院でフランスの負傷兵を虐殺するバヴァリヤの兵士たち」を表わしている。これはまたなんというすばらしい記念碑だろう!  こんなふうに彼らの偉人たちを市中にばらばらにしておくことに満足できないで、バヴァリヤ人はミュンヘンの城門にある殿堂に彼らを集めて、これを「|誉の間《ルーメフハルレ》」と呼んだのであった。大理石の円柱の広い回廊の両翼がぐっと曲《ま》がって突き出して四角形の三辺を成しているその下に、選挙侯だの、王だの、将軍だの、法学者だの、その他いろいろの名士の胸像が台座の上に並んでいる…… (受付に目録《カタログ》あり)  もう少し先のほうには一個の巨大な像、三十メートルもある「バヴァリヤ」の像が、公園の緑の中に露出《むきだし》になっている寂しげな大きな階段の頂《いただき》に立っている。ライオンの皮を肩にかけ、片手には短剣を握りしめ、もう一方の手では名誉の冠(明けても暮れても名誉だ!)をつかんだこの大きな青銅の像は、ちょうど私が見た時には、それは物の影が法外に長く伸びるあの八月のある夕だったが、その大げさな身ぶりでひっそりした広場を満たしていた。周囲の円柱に沿って名士たちの横顔が落日に顔をしかめている。すべてが寂しく陰うつな光景だ! 自分の足音が敷き石の上に響き渡るのを聞きながら、私はミュンヘン到着以来私につきまとっていた、空虚な中の何か広大な感じをここにも見出すのだった。  鋳鉄の小さなはしごが「バヴァリヤ」の像の内部を回りながら上っている。私は好奇心から頂上まで登って、巨像の頭に当る丸天井《まるてんじょう》の小さな部屋の中にしばらくすわってみた。目になっている二つの窓から光が部屋に差し込むようにできていて、この両眼がアルプスの連山を望む青い地平線に向かって開いているのだが、部屋の中は非常に暑かった。陽《ひ》に焼けた青銅が重苦しい熱《あつ》さで私を包んでいた。私は大急ぎで下《お》りなければならなかった…… しかしそんなことはどうでもいい、ふくれあがったがらんどう[#「がらんどう」に傍点]の巨像バヴァリヤよ、おまえを知るにはこれだけでたくさんだ! 私はおまえの心臓のない胸や、筋肉もなしにふくれている、歌姫を思わせる太った腕、打ち出しの金属の剣まで見た。おまけにおまえのからっぽの頭の中に、ビール飲みの二日酔いと、脳髄のしびれとを感じたのだ…… それなのにわが国の外交官たちはおまえを当《あて》にしてあの一八七〇年のばかげた戦いに手出しをするなんて! ああもし、彼らもまたこのバヴァリヤの像の中に登ってみてくれていたならば! [#6字下げ]七、盲目《めくら》の皇帝!……[#「七、盲目《めくら》の皇帝!……」は小見出し]  私のミュンヘン滞在は十日にも及んだが、例の日本の悲劇に関してはいまだに何の音さたもなかった。私は失望しはじめた。するとある夕方ビヤホールの庭で私たちが食事をとっているところへ、大佐が顔を輝かしてやってきた。『例のが手に入ったぞ!』と彼は私に言った。『明日《あす》の朝博物館へ来たまえ…… 一しょに読もう、そりゃあ君すばらしいぜ』大佐はその晩ばかに元気だった。彼の目は話しながら輝いていた。彼は声高《こわだか》に悲劇の章句を朗読し、合唱部を歌ってみせた。彼のめい[#「めい」に傍点]は再三彼を制止せねばならなかった。『叔父《おず》さん…… 叔父《おず》さん……』私は彼のこの熱狂や興奮を、まったく純粋なある種の詩的感興の結果と思った。実際彼が読んでくれた断片は非常に立派なものに思われた。そして私は一刻も早く約束の傑作を手に入れたいと念ずるのであった。  翌日王宮の庭に行ってみて、私は例の収集品《コレクション》の陳列室が閉ざされているのにいたく驚いた。大佐が彼の博物館にいないなんてあまりにも珍しいことだったので、私はぼんやりした不安を懐《いだ》いて彼の家へ駆けつけた。彼の住んでいたところは庭があったり屋根の低い家の多い、静かなそして短い場末の町だったが、どうやら平生《へいせい》よりも騒がしく思われた。方々の門口に人が寄り集まってしゃべっている。ジーボルト家の門は堅く閉ざされて、よろい戸[#「よろい戸」に傍点]だけが開いていた。  人々が悲しげな様子で出入りしている。この家にとってはあまりに大きすぎる災が、町の中まであふれ出しているかのように感ぜられた…… 着いてみるとむせび泣きの声が聞こえる。それは廊下の奥の、書斎らしい乱雑な明るい広い部屋の中からだった。そこには白木の長いテーブル、書物、原稿、収集品《コレクション》を入れるガラス張りの陳列箱、金銀をちりばめた絹布で表装したアルバム等が置かれてあり、壁には日本の武器が立て掛けられ、木版画や大きな地図が張ってある。そして旅行や研究のこうした混雑の中で、大佐は長いひげ[#「ひげ」に傍点]をまっすぐに胸に垂《た》らして床の上に横たわり、哀れな『叔父《おず》さん』嬢は片すみにひざまずいて涙にくれている。ジーボルト氏は夜中急死したのだった。  私はその夜のうちにミュンヘンを発《た》った。かかる悲嘆を単なる文学上の気紛れのためにかき乱す勇気がなかったのである。こんな訳で私は最後まで、日本のすばらしい悲劇の題だけしか知らなかった。「盲目《めくら》の皇帝!」…… その後、われわれはドイツから持ち帰ったこの表題がちょうど当てはまるような、他の悲劇が演ぜられるのを見た。血と涙に満ちた傷《いた》ましい悲劇、しかもそれは日本の物ではなかったのである。 [#改ページ] [#4字下げ]注[#「注」は中見出し] [#ここから1字下げ、折り返して2字下げ] 頁 二〇 コンピエーニュ――パリの西北、オワーズ河にのぞむ都市、ナポレオン一世の時完成した美麗な王宮がある。 二一 テュレーヌ――勇猛果断なフランスの名将、一六一一―一六七五。 二四 コルマール――アルザスの都市。 二五 オネック――アルザスの東部を北より南に走るヴォージュ山脈中の峰の一つ。 二五 バロンダルザス――同右。 三一 ガローシュ――コルク遊びの一種。 四一 ヴァレリアン山――パリの西北にある小山、保塁。 四一 ドーミエ――フランスの画家、一八〇八―一八七九、油絵に版画に風刺画に傑作が多くある。 四二 ラピュタ島――英国の風刺作家スイフトの傑作「ガリヴァー旅行記」の中に描かれた空中に浮かんだ島。 四三 セラファン――天使の階級中の首位にあるもの、第一天使。 四九 エトワル広場――がい[#「がい」に傍点]旋《せん》門をかこむ大広場。 四九 ヴィッセンブルグ――アルザスの北部の町、一八七〇年八月四日フランス軍はこの付近でプロシア軍のために大敗。 五〇 マク・マオン――フランスの将軍、一八〇八―一八九三、普仏戦争の時、ライヒスホーフェンでプロシア軍に敗れる、一八七三―一八七九、フランス大統領。 五六 アンヴァリード――一六七〇年建設、廃兵院、一八四〇年よりナポレオンの墓所となる。 五七 リュツェン――ザール河にのぞんだ町、一八一三年ナポレオン一世はこの付近でプロシア、ロシア連合軍を破る。 六六 ブジヴァル――パリの西、セーヌ川にのぞむ町。 六六 カンパナ――博物館の名、またこれを設立した男しゃくの名。 六六 イタリア通り――パリの中心近くにあるパリ第一の繁華な商店街。 六七 ジーボルト博士――ドイツの医者、一七九六―一八六六、長年日本に滞在、各方面にわたって日本を研究し、欧州に紹介した。 六八 ポリュムニア――ギリシア神話に現われる女神の一人。 七二 チチアン――イタリアの画家、一四七七―一五七六。 七三 メートル・シャントゥール――ワグナーの作。 七四 タラスコン――南仏ローヌ河にのぞんだ町。 七五 アルピーユ――タラスコンの東方を東へ走る小山脈。 七六 ミストラル――ローヌ河の流域を猛烈に吹きまくる北風。 七九 アブリューズ――イタリア中部の山地。 九七 マルヌ河――フランス北東に源を発し西に流れてセーヌ河に合流する河。 一〇二 モンルージュ保塁――パリの南方、モンルージュ町の付近にある保塁。 一〇四 マレー街――パリで最も古い町の一つ。 一〇四 フロンド――十七世紀の中ごろ、アンナ・ドートリッシュとマザランの施政に反対して起こった暴動。 一〇五 モンパンシエ夫人――フロンドの暴動の時フロンド軍に味方して活躍した。 一〇五 クレメール将軍――普仏戦争当時のフランスの将軍、一八四〇―一八七六。 一〇五 レッツ僧正――フランスの政治家、一六一三―一六七六、フロンドの暴動の時活躍した。 一〇五 ティエール――フランスの政治家にして歴史家、一七九七―一八七七、普仏戦争当時大統領となる。 一〇五 マザラン――イタリアの生れ、フランスに帰化し三十年戦役、フロンドの暴動に敏腕を振るう。 一〇八 大円柱――ラ・バスティーユ広場にある大円柱、七月円柱ともいう。 一〇九 レモナンク――フランスの中部地方。 一二四 ショーヴァン――ナポレオンの失墜後、彼を崇拝しつづけた兵士のこと、また熱狂的愛国者に与えられる名まえ。 一二五 ジラルダン――フランス一流の新聞業者、一八〇六―一八八一。 一二六 トロシュ将軍――フランスの将軍、一八一五―一八九六、普仏戦争の時パリ防衛軍総司令官となる。 一二七 ガンベッタ――フランスの政治家、一八三八―一八八二。 一二八 円柱襲撃《デプロナージュ》――ここではヴァンドーム広場にある大円柱の襲撃をさす。 一三〇 壁――普仏戦争の結果アルザス地方が独領となったため、あたかも壁をめぐらしたようにアルザスで独仏の境ができてしまったことをいう。 一三四 シュミット師――ドイツの童話作家、修道士、一七六八―一八五四。 一三八 ミュルーズ――アルザス南部の都市。 一三九 ラウテルバッハ――ダンス曲の名。 一四三 レジヨン・ドヌール勲章――フランスの勲章、グラン・クロワ、グラン・オフィシエ、コマンドゥール、オフィシエ、シュヴァリエの段階がある。 一四四 ブイヨット――カルタ遊びの一種。 一四四 シャンデル――アルジェリアの州の名。 一五〇 七月円柱――ラ・バスティーユ広場にある一八三〇年の七月革命の記念に建てられた円柱。 一五四 コミューヌ――普仏戦争に続いてパリに起こった暴動。 一五七 フルーランス――コミューヌの首領の一人。 一六五 ペール・ラシューズ――パリの東北部にある墓地。 一七八 円柱《コローヌ》――ヴァンドーム広場にある、アウステルリッツの戦勝を記念して建てられた円柱のこと。 一七八 サトリーの丘――パリの郊外、ヴェルサイユの近くの丘、コミューヌの騒ぎの後、コミューヌ党員を収容する。 一八四 ロバン――フランスの百姓によくある名まえ。 二〇二 マビーユ――当時パリで最もはなやかであった舞踏場。 二〇七 ポリシネル――フランスの人形芝居に常に活躍する人物の名まえ。あばれ者で棒をたずさえ相手をなぐりつける。 二〇八 ベランジェー――フランス一流の俗謡作家、一七八〇―一八五七。 二〇九 ティエール――前ページのティエールの注参照。 二〇九 カイエーヌ――南米の大西洋岸にある町、フランスの殖民地。 二一〇 ギゾー――フランスの政治家にして歴史家、一七八七―一八七四。 二一〇 ガン――ベルギー西部の大都。 二二一 オーギュスト皇帝――コルネイユの傑作「シンナ」(一六四〇)の主要人物の一人であるローマ皇帝オーギュストのこと。 二二一 マホメット――ヴォルテールの悲劇「マホメット」(一七四一)の主人公。 二二二 フェリクス――コルネイユの傑作「ポリウクト」(一六四三)の主要人物の一人。 二二三 シンナ――コルネイユの「シンナ」の主要人物の一人。 二二三 マクシム――コルネイユの「シンナ」の主要人物の一人。 二二七 パッシイの長老――ヴィクトル・ユーゴー(一八〇二―一八八五)のこと、当時パリの西部パッシイに住んでいた。 二二七 サルドゥー――フランスの通俗戯曲作家、一八三一―一九〇八。 二二八 サント・ブーヴ――フランス有数の批評家、また詩人、小説も作る、一八〇四―一八六九。 二四一 ラモー――フランスの一流の音楽家、一六八三―一七六四。 二四七 コメディアンテ、トラジェディアンテ――法王ピオ七世がナポレオンをコメディアンテ(喜劇役者)でまたトラジェディアンテ(悲劇役者)であると呼んだ話による。 二五〇 テオクリトス――紀元前三世紀のギリシアの田園詩人。 二五〇 カマルグ――ローヌ河の河口の三角州一帯。 二五二 マンナ――砂ばくで神がイスラエルの民に下したもう不思議な食物。 二七一 マホン――地中海の西、スペイン領の島にある港。 二七四 シンドバッド――千一夜物語中の「シンドバッドの航海」の主人公。旅行好きで航海の途中種々の冒険をなし、危険にあう、ここではジーボルトをさす。 二七五 マイエルベール――ドイツの歌劇作曲家、一七九一―一八六四。 二八三 ミュッセ――フランス浪漫派詩人、また、劇、小説にもすぐれたものが多い、一八一〇―一八五七。 二八三 ファンタジオ――ミュッセの戯曲「ファンタジオ」(一八三三)の主人公。 二八三 マントゥー公――同、「ファンタジオ」に登場する人物、ファンタジオにかつら[#「かつら」に傍点]を釣り上げられる。 二八四 クラデラダッチェ――ドイツの漫画新聞。 二八四 パレ・ロワイヤル――十七世紀のはじめにパリの中心に建設され、しばしば王宮となった。 二八五 テンプルの騎士――中世における宗教を背景とした騎士団。 二八八 マリアの円柱――マリアの像を載《の》せた円柱。 [#ここで字下げ終わり] [#改ページ] [#4字下げ]解説[#「解説」は中見出し]  『月曜物語』(Contes du Lundi)はアルフォンス・ドーデー(Alphonse Daudet 1840-1897)が一八七三年に公にした短編集で、これらの作品は一八七一年から一八七三年までに、パリの新聞レヴェヌマン紙およびル・ソワール紙に掲載されたものである。  南フランスの古都ニームで生れ、若いときに兄を頼ってパリに来たドーデーは、詩集『恋する女たち』、短編集『風車小屋だより』、自伝小説『プチ・ショーズ』によってはなばなしく文壇に出た。そして、普仏戦争が始まると、国民兵を志願し、悲惨な戦争を体験し、つづいてパリ籠城に、内乱に、辛苦をなめた。  いちばんはじめにある短編「最後の授業」は、幼心に映じた敗戦国の悲哀と愛国の熱情を描いた名編として、早くからわが国の少年読物にも紹介された。『月曜物語』の第一部は、舞台を当時のパリとアルザス地方にとり、おだやかな美しい筆で、しかも時にはするどい諷刺をもって、こまやかな人情を描いている。また第二部では、詩人である作者が、さらに視野をひろめて、多くの幻想や追憶を語り、叙情的な筆はしばしばものの哀れを感じさせる。  まだ見ぬ日本へのあこがれをもらした「盲目の皇帝」に終る四十数編の短編は、それぞれがまた独自の味を生かして、ドーデーの多面的な文才を充分にうかがうことができる。  ドーデーはその後、三部作『タルタラン』や、『サフォー』『ジャック』『川船物語』などの小説と、戯曲『アルルの女』などの名作を書いて、五十七歳でパリにその生涯を終った。 [#ここから2字下げ] 昭和三十四年五月 [#ここで字下げ終わり] [#地から2字上げ]訳者 底本:「月曜物語」岩波文庫、岩波書店    1936(昭和11)年2月10日第1刷発行    1959(昭和34)年6月5日第22刷改版発行    1967(昭和42)年4月20日第30刷 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。