フィガロの結婚 LE MARIAGE DE FIGARO ――狂おしき一日―― ボオマルシェエ Beaumarchais 辰野隆訳 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)館《やかた》の門番 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)三里|隔《へだ》たれる [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)※[#ローマ数字1、1-13-21] ------------------------------------------------------- [#4字下げ]登場人物[#「登場人物」は中見出し] [#ここから1字下げ] アルマヴィヴァ伯爵  アンダルチアの大法官 伯爵夫人  その妻 フィガロ  伯爵の部屋付きの下僕にしてかつ館《やかた》の門番 シュザンヌ  伯爵夫人の第一侍女にしてかつフィガロの許嫁《いいなずけ》 マルスリイヌ  調度係の老女 アントニオ  館《やかた》の庭師、シュザンヌの伯父、ファンシェットの父 ファンシェット  アントニオの娘 シェリュバン  伯爵の第一小姓 バルトロ  セヴィラの医師 バジル  伯爵の洋琴《クラヴサン》の教師 ドン・ギュスマン・ブリドワゾン  伯爵部下の判事 ドゥウブル・マン  ブリドワゾンの執達吏兼書記 法廷の廷丁  一名 グリップ・ソレイユ  牧童 羊飼いの娘  一名 ペドリイユ  伯爵の馬丁兼調馬師 [#4字下げ]その他無言の人物 [#ここから1字下げ] 一群の召使い 一群の百姓女 一群の百姓 この劇はセヴィラより三里|隔《へだ》たれるアグアス・フレスカスの館《やかた》において終始す。 [#ここで字下げ終わり] [#改ページ] [#3字下げ]第一幕[#「第一幕」は大見出し] [#ここから地から2字上げ] [#ここから1字下げ] 舞台は半ば家具を陳《なら》べた部屋の体《てい》、中央には大なる安楽椅子。フィガロは手にトアアズ(一メートル九四九の棒)を持って床《ゆか》の広さを計っている。シュザンヌは姿鏡《すがたみ》の前で、花嫁帽子と呼ばるる小さな花束を頭《つむり》に插《さ》している。 [#ここで字下げ終わり] [#ここで字上げ終わり] [#5字下げ]第一場[#「第一場」は中見出し] [#4字下げ]フイガロ シュザンヌ [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] フィガロ 二十六|歩《ぽ》に十九|歩《ほ》と。 シュザンヌ ちょいとフィガロ、これが私《わたし》の花かんざしだよ。こういう風にすると引っ立つだろう? フィガロ (シュザンヌの両手をとって)無類だ、可愛いい奴め。全くなあ! その清浄無垢な綺麗な花束が可愛いい女の頭に插《さ》されりゃあ、それも祝言《しゅうげん》の朝だ、相手の男のとろけそうな目から見れば佳《い》いともなんとも……! シュザンヌ (退いて)なんの寸法をとってるんだい、この人は? フィガロ 俺はね、シュザンヌ、伯爵様から拝領の結構な寝台《ねだい》が、この部屋に旨《うま》く映《うつ》るかどうか、眺めてるんだ。 シュザンヌ このお部屋にかい? フィガロ この部屋を俺たちに下さるのだ。 シュザンヌ ところが、私《あたし》や厭《いや》だね。 フィガロ なぜだい? シュザンヌ 厭《いや》なんだよ。 フィガロ 何かわけが? シュザンヌ お部屋が気に入《い》らないんだよ。 フィガロ わけを言うものだ。 シュザンヌ それが言いたくなかったら? フィガロ それがさ! お互いに気を許《ゆる》した仲じゃねえか! シュザンヌ 御尤《ごもっと》もだという事を分明《はっきり》させると御尤もでなくなるんだよ。私の言う事を肯《き》くのかい、肯かないのかい? フィガロ お邸《やしき》中で一番便利な、それも両《ふた》つのお部屋の真中にある部屋が癪《しゃく》の種なんだな。夜になって奥方が御気分でも悪ければ、そちらで呼鈴《よびりん》をお鳴らしになる。そらきた、一二《ひいふう》と二跨《ふたまた》ぎで、お前は奥方のお部屋に伺候《しこう》する。殿様が何か御用がおありになれば、御自分のをお鳴らしになる。がちゃりと扉《と》をあけて、ぴょんぴょんぴょんと三度飛んで俺も御前《ごぜん》に罷《まか》り出る[#「罷《まか》り出る」は底本では「罷《まかり》り出る」]。 シュザンヌ 結構だがね! それにしても、殿様が、朝、曰《いわ》くつきの長い御用事で呼鈴をお鳴らしになる。そら来た、二跨ぎで、もう私の部屋の戸口だよ。がちゃりと扉《と》があくと、ぴょん、ぴょん、ぴょんと三度お飛びになって…… フィガロ その言葉にわけがあるのか? シュザンヌ まあ落ちついてお聴《き》きよ。 フィガロ どうしたんだ、いったい? 驚いたな! シュザンヌ ねえ、こういう話なんだよ。アルマヴィヴァ伯爵様はね、この近辺の別嬪《べっぴん》さんにお狎戯《からか》いになるのにもお飽《あ》きになって、お邸《やしき》にお帰りになりたいんだが、それが奥方のところではなく、目をおつけになったのがお前の許嫁《いいなずけ》なんだよ、わかったかい、そのお眼でご覧になると、このお部屋がお誂《あつら》え向きなのさ。ところで、あの忠義だてをするバジル、殿様の御道楽ならなんでもお先棒《さきぼう》を担《かつ》ぐバジル、私の唱歌《うた》の先生様のバジル奴《め》が毎日毎日、唱歌《うた》の稽古にかこつけて、そのことを繰り返えすのさ。 フィガロ バジルが! 畜生|奴《め》、生木《なまき》で背骨を叩《たた》きのめして、あの野郎の背筋を旨《うま》い具合いに直せたらなあ…… シュザンヌ お前も、人が善《い》いね、下《くだ》しおかれるこのお部屋はお前の手柄のためだと思っていたのかい? フィガロ そう思ってもいいだけの仕事はしたからな。 シュザンヌ 利巧《りこう》な男も馬鹿なものだね! フィガロ 世間じゃそんな事を言うなあ。 シュザンヌ 口じゃあ言っても本気にゃなれまい。 フィガロ 痛《い》てえところだ。 シュザンヌ 殿様はこの下《くだ》され物で、内々私に水入らずで十五分ばかり御用をおさせになるおつもりなのだよ。例の古めかしい初夜の貢《みつぎ》っていうものさ、わかったかい……知ってのとおり、いけ好《す》かない仁《ひと》だからね! フィガロ 知ってるとも、もし伯爵様が、御婚礼をなすった時に、あの穢《けがら》わしい貢《みつぎ》をお廃しにならなかったら、俺はこの御領内でお前と縁組みをしようとは思わなかったろうよ。 シュザンヌ ところがね、それをお廃しになったものの、今じゃあ後悔していらっしゃるのさ。で、それを今日になってから、お前の許嫁《いいなずけ》で内々取返しをなさろうという寸法だよ。 フィガロ (頭を擦《こす》りながら)吃驚仰天《びっくりぎょうてん》して頭がへなへなにならあ、それに、知恵|沢山《だくさん》なこの額《ひたい》までも…… シュザンヌ そんなに頭を擦《こす》るもんじゃないよ! フィガロ 命《いのち》に拘《かか》わるか? シュザンヌ (笑いながら)もしちょっと腫物《おでき》でも吹き出ると、かつぎ屋さん達がね…… フィガロ 笑ってるな、お茶っぴい奴《め》! 吁々《ああ》、なんとかして、あの女たらしの大将をとっちめて、まんまと罠《わな》にかけて、奴のお金《たから》を捲《ま》き揚《あ》げられねえものかなあ! シュザンヌ 策略《やりくり》とお金《かね》の才覚なら、お前の畑のものじゃないか。 フィガロ それを控えているのは何も気がひけるからじゃないんだ。 シュザンヌ 怕《こわ》いからかい? フィガロ 危い仕事に手を染《そ》めるのはなんでもないが、そいつを巧《うま》く運《はこ》んで、危《あやう》きを逃《のが》れるのが一《ひと》仕事だ。考えても見ろ、夜夜中《よるよなか》、人の家《うち》へ潜りこんで、女房を寝取った咎《とが》で一百《いっそく》ばかり擲《なぐ》られるなら造作《ぞうさ》もない話だ。世間の奴らは誰も彼も演《や》ってる事だ、だがね……(奥で呼鈴が鳴る) シュザンヌ そら、奥方のお目覚めだ。私の祝言の朝、真っ先きに私がお話しするようにと固いお命令《いいつけ》なんだよ。 フィガロ それにも何かわけがあるのか? シュザンヌ あの羊飼いが言うには、そうすると、つれなくされた女房が仕合せになるのだとさ、それじゃ、さよなら、可愛いい私のフィ、フィ、フィガロのがらがらさん、精々《せいぜい》祝言の事でも考えておいで。 フィガロ 良《い》い知恵が出るように、ちょっと接吻をしてくれねえか。 シュザンヌ 今日の私の恋人にかい? 明日《あした》の亭主がなんて言うだろうねえ?(フィガロは彼女に接吻する) シュザンヌ どうしようていうのさ! フィガロ 俺の恋いしさがお前にゃ納得《わか》らねえからよ。 シュザンヌ (振り放《はな》して)いったい、いつになったら止《よ》すんだい、煩《うるさ》い人だね、朝から晩まで、恋だ恋だと喋《しゃ》べり散らして? フィガロ (意味ありげに)晩から朝までその証拠が掴《つか》めればね。(二度目の呼鈴が鳴る) シュザンヌ (遠方から指を合わせて口にあてながら)これがお返しの接吻さ、先生、これからさきはごめんだよ。 フィガロ (彼女の後《あと》を追って)人を! 俺はそんなつれない接吻はしなかったぞ。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第二場[#「第二場」は中見出し] [#4字下げ]フイガロ(独《ひと》り) [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] フィガロ 可愛いい奴だなあ! いつもいつも、莞爾《にこにこ》して、若々しくって、陽気で、気が利いていて、色気があって、旨味《うまみ》もあるし! おまけに利発ときてやがる! (揉《も》み手をしながら勢いよく歩きまわって)いや! 伯爵様! 親愛なる伯爵閣下! 貴殿は拙者にあの女をお恵み下さる……とは真赤な偽り! それだからこそ、なぜ貴方様が私を門番に御任命になって、大使館にまでもお連れ下され、通信係にお取立て下さるかと、われとわが胸に訊《たず》ねて見たのです。わかりましたよ伯爵様、栄転が一時《いちどき》に三組ですな、貴方は大使閣下、手前は疲労儲《くたびれもう》けの小役人、して、シュゾンの儀は出来星の奥方、お手軽な大使夫人、それから先は、旨《うま》くやってやがる! 手前《てまえ》がこちらで駆けずり廻っている間に、そちらでは、手前の可愛いい女《やつ》にとんでもないまねをおさせになる! お家柄の御名誉のためにこちとらを泥だらけにして、へとへとにしておいて、貴方は敢《あえ》て某《それがし》の有難からぬ光栄を募らすおつもり! 嬉しいお互い様ですな! がしかし、殿様、それじゃあ御勝手が過ぎますぜ。ロンドンで、同時に、御主君の御用と召使いの用向きとをお勤めになって! 外国の宮廷で国王と私とを一時《いちどき》に代表なさる、そりゃ、あんまり慾が深すぎますよ、あんまり。――やい、今度は貴様だぞ、バジル、へちゃむくれの、兄弟分、お前《めえ》さんには、跛者《ちんば》の面前で跛《びっこ》をひかせてえものだ、なろうことなら……いや、奴らが相手なら、一人一人やっつけるには万事|内緒《ないしょ》内緒、今日一日の御用心だ、ねえフィガロ先生! まず、間違いなく祝言をすませるためには、例の余興の時間を進ませること、お前に首ったけのマルスリイヌを遠ざけること、お金《たから》と進物とを捲《ま》き揚《あ》げること、伯爵閣下の横恋慕を巧《うま》く外《そ》らすこと、あのバジル先生をぞんぶん非道《ひど》い目に会わすことだ、さてそれから…… [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第三場[#「第三場」は中見出し] [#4字下げ]マルスリイヌ バルトロ フィガロ [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] フィガロ (独語《ひとりごと》を中止して)おっと、危《あぶ》ねえ! 肥大《でぶ》の医者|奴《め》がやって来やがった。余興もこいつがくりゃ申しぶんがねえや。あいや! 先生、お懐かしゅうございます! 私とシュゾンとの祝言で、このお邸《やしき》におみ足《あし》が向きましたな? バルトロ (軽蔑したように)いや! これは珍らしい、断じてさにあらず。 フィガロ もし祝言ゆえなら洵《まこと》に御親切で! バルトロ 御尤《ごもっと》もだが、そうなら人が好《よ》すぎよう。 フィガロ そういう私が、昔、貴方の御結婚の邪魔をいたしましたからね。 バルトロ 何かほかの話をしたらどうだ? フィガロ 誰が貴方の雌驢馬《めろば》の心配なんかするものですか! バルトロ (怒って)べらべらと口の減《へ》らぬ奴めが、よけいなお世話じゃ! フィガロ 御立腹ですかね、先生? お医者様って手合いは滅法《めっぽう》残忍ですな! 憐《あわ》れな四つ足にも情け容赦がなく……まったくの話が……どうやら人間でも扱うようですぜ! さよなら、マルスリイヌ、お前さんは相《あい》も変《かわ》らず俺《わし》の讒訴《ざんそ》がしたいのだろう? 惚《ほ》れるが恐《こわ》さに睨《にら》めっこが? おっと、この話は先生に委《まか》せよう。 バルトロ なんだ、それは? フィガロ 話の続きはその女《ひと》がするでしょうよ。(フィガロ退場) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第四場[#「第四場」は中見出し] [#4字下げ]マルスリイヌ バルトロ [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] バルトロ (フィガロの去りゆくのを見送りながら)あいかわらず変ちきりんな奴だなあ! 今から言っておくが生きながら皮をひん剥《む》いてやらぬかぎり、彼奴《きゃつ》の面憎《つらにく》さは死ぬまで直るまいて…… マルスリイヌ (バルトロを自分の方に向けなおして)結局貴方だって、変り栄《ば》えのしない竹庵先生ですよ! いつもいつも、かたくるしくって、四角四面で、病人も貴方のお手当てを待ちながら死んでしまいますよ、ちょうど、昔、誰かさんが貴方の御用心を出し抜いてお嫁に行ってしまったようにね。 バルトロ あいかわらずの皮肉屋で、喧嘩腰《けんかごし》だな! ところで、どなたが俺《わし》をぜひともお邸《やしき》にお呼び寄せになったのかな? 伯爵様に何事か起ったかな? マルスリイヌ そうでもございません。 バルトロ では、真心のない伯爵夫人ラ・ロジイヌが何か御不快かな? さても迷惑な。 マルスリイヌ どうも奥方様は御気分がすぐれませんよ。 バルトロ そりゃまたどうして? マルスリイヌ 殿様がつれなく遊ばしますので。 バルトロ (悦《よろこ》んで)なるほど――この妻にしてこの夫あり、伯爵が俺《わし》の仇《かたき》を討《う》って下さるわい! マルスリイヌ 伯爵様という方をなんと申しあげてよいやら。御嫉妬深くって、お身持ちが悪くって。 バルトロ 倦怠に依って放縦、嫉妬は虚栄に基く、申すまでもない事だ。 マルスリイヌ 早い話が、今日も今日とて、殿様は例のシュザンヌをあのフィガロにお妻《めあわ》せになって、御贔屓《ごひいき》のほどをたっぷりお見せになり…… バルトロ その祝言を、閣下が無理に押しつけられたのだろう? マルスリイヌ そうとも極《き》めかねます。が、その祝言につけ込んで、殿様は花嫁と秘《ひそ》やかにお戯れになろうと…… バルトロ フィガロの花嫁とかね? フィガロとならそのくらいの取引きはあって然《しか》るべしだな。 マルスリイヌ バジルは、さような事はないと申していますよ。 バルトロ あの無頼漢《ならずもの》まで当館《こちら》に住み込んだか? まるで化物《ばけもの》屋敷じゃな、ところで奴はここで何をしているかね? マルスリイヌ 彼《あ》の男にできます悪い事ならなんでも。それにしても、一番|善《よ》からぬことは彼《あれ》が久しく私に忌《いま》わしい想いをかけていることで。 バルトロ もし俺があの男につけまわされたのなら、幾度《いくど》でも逃げて見せるが。 マルスリイヌ どういう手段《てだて》で? バルトロ あの男と結婚するのさ。 マルスリイヌ 面白くもない、意地の悪い冗談《じょうだん》をおっしゃる人ね、そのくらいなら、貴方こそなぜ私と結婚して厄払《やくばら》いをなさらないんです? なさる義務がおありでしょう? 昔の約束を覚えておいでですか? あの可愛いいエンマニュエルの思い出はどうなったことやら? 私たち両人を夫婦《めおと》にするはずだった、あの恋の忘れ形見《がたみ》のエンマニュエル。 バルトロ (帽を脱《ぬ》いで)そんな埒《らち》もない話を聴《き》かすためにわざわざ俺《わし》をセヴィラから呼んだのかね? それにまた、結婚病がえらい勢いで再発したな…… マルスリイヌ それでは、この話はお預けにしましょう。が、もし私と正式に結婚するのがお厭《いや》なら、せめて私が他の男と一緒になるように御助力下さいな。 バルトロ ああ! いいとも、お話に乗りましょう。だが、天からも女どもからも見放《みはな》されたその男とはそも何者だね?…… マルスリイヌ されば、その相手と申すのが、先生、ほかならぬ、あの美男で、気さくで、人好《ひとず》きのするフィガロでなくて誰でしょう? バルトロ あの猪口才《ちょこざい》か? マルスリイヌ かつて怒ったこともなく、いつも上機嫌で、現在を悦び、未来を煩《わずら》いとせざること過去を悔《くや》まざるがごとく、いなせ[#「いなせ」に傍点]で、気前《きまえ》がよく、その気前のいいことと申したら…… バルトロ 盗人のごとく。 マルスリイヌ お大名のようで。まず一口に申せば、本当に凄《すご》い男で! バルトロ ところで、シュザンヌは? マルスリイヌ ねえ先生、私がフィガロとの約束を利用するのをお助け下さるなら、フィガロをあんな摺《す》れからし女に渡すものですか。 バルトロ 祝言の当日でもかね? マルスリイヌ 日限が進めば進むほど事件は毀《こわ》しやすうござんすよ、それに、私が思いきって女のちょっとした秘密を漏《も》らせばね!…… バルトロ 人《ひと》の体《からだ》を扱う医者にわからぬ女の秘密があるかね? マルスリイヌ そりゃあ、もう御承知の通り、貴方に対しては私はなんにも秘密はござんせんがね。女と申すものは熱は高いが、気が弱く、心を惹《ひ》かれながらも楽みまでは道が遠く、どんな跳ね返り女でも心の中では≪なれるものなら美人にもなれ、風向き次第では、貞女にもなれ、ただ体面を涜《けが》すまいぞよ、体面だけは≫という声が聞えるように思います。そこで、せめて体面だけは保たなければなりませんし、どんな女でもそれが大切だということは気がついておりますから、まず手始めに、殿様があの女を御贔屓《ごひいき》にあそばすという噂を撒《ま》き散らして、シュザンヌを怕《こわ》がらせて見ましょう。 バルトロ そうしたら、どうなるのだ? マルスリイヌ そうすれば、シュザンヌは恥かしさに責《さいな》まれて、いつまでも伯爵様を撥《は》ねつけましょうし、伯爵様はその仕返しに、私をお助けになってフィガロとシュザンヌとの結婚に御反対あそばします、そうなれば私とフィガロとの縁組が固められましょう。 バルトロ これは道理じゃ。いやはや! 俺《わし》の老女と、その昔、俺《わし》の可愛いい女を奪って人に渡した悪党とを夫婦にする、こりゃ面白い芸当《げいとう》じゃ。 マルスリイヌ (矢継ぎ早やに)私ののぞみを誑《たぶら》かして悦んでいるあのフィガロと一緒になれるとは。 バルトロ (矢継ぎ早やに)いつぞや俺の臍繰《へそく》り百エキュを盗みおったあの野郎となあ。 マルスリイヌ ああ! なんて嬉しいことだろう!…… バルトロ あの悪人を懲《こ》らしめるのはなあ!…… マルスリイヌ 夫婦になるのがですよ、先生、夫婦になるのが。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第五場[#「第五場」は中見出し] [#4字下げ]マルスリイヌ バルトロ シュザンヌ [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] シュザンヌ (幅広のリボンのついた女の頭巾を手に持ち、女のロオブを腕にかけて)夫婦になる、夫婦になる? いったい、誰と? 私のフィガロと? マルスリイヌ それがなぜいけないの? あなたがあの人と晴れて夫婦になるのですもの。 バルトロ (笑いながら)いかにも冠を曲げた女の言い草らしいわい! なあ別嬪《べっぴん》さん、お前のような女をわがものにする男は果報者だと今、話していたところだ。 マルスリイヌ 伯爵様は別としてね、大きな声では言えませんけど。 シュザンヌ (お辞儀をして)恐れ入ります、マダアム、貴女のお言葉にはいつもなんだか毒がございますね。 マルスリイヌ (お辞儀をして)恐れ入ります、マダアム、どこに毒が? 御家来にお授けになるお娯《たのし》みを粋な伯爵様が少しぐらいお相伴《しょうばん》あそばすのは当然でしょう? シュザンヌ お授けになる? マルスリイヌ はい、さようで、マダアム。 シュザンヌ ありがたい事には貴女のお嫉妬は貴女のお腕がフィガロに利きめがないと同様に知れわたっておりますからね。 マルスリイヌ その腕も貴女のようなお手並みで固めれば、いっそう強くもなりましょうにねえ。 シュザンヌ でも、そうした手並みは、マダアム、わけしり女のお手のものでございますわねえ。 マルスリイヌ ですから、うら若い女では、そうは参りませんわねえ! 耄《おいぼ》れ判事のように無邪気な女ではねえ! バルトロ (マルスリイヌを引っ張りながら)では、さよなら、フィガロの花嫁|御《ご》。 マルスリイヌ (お辞儀をして)殿様の内縁の奥方様、では、さよなら。 シュザンヌ (お辞儀をして)そういう当方《こちら》では、貴女をお偉《えら》ああい方《かた》と思っておりますよ、マダアム。 マルスリイヌ (お辞儀をして)そうおっしゃる貴女も、もう少し私にやさしくして頂けませんでしょうか、マダアム? シュザンヌ (お辞儀をして)その事なら御心配には及びませんでございます。マダアム。 マルスリイヌ (お辞儀をして)ほんとにお美しい方でいらっしゃること! マダアム。 シュザンヌ さようでございますとも! 貴女様のお頭痛の種になる程《ほど》ねえ。マダアム。 マルスリイヌ (お辞儀をして)特にお身持ちがおよろしいこと! シュザンヌ (お辞儀をして)老女|風情《ふぜい》は身持ちを良くいたしませんではね。 マルスリイヌ (侮辱されて)老女風情! 老女風情ですって! バルトロ (マルスリイヌを制して)これ、マルスリイヌ! マルスリイヌ さあ参りましょう、先生、もう我慢がなりませんからね、では失礼、マダアム。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第六場[#「第六場」は中見出し] [#4字下げ]シュザンヌ(独り) [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] シュザンヌ あんたなんかに用はありませんようううだ! なんだい、物識り顔をして! あんたの小細工なんか怕《こわ》くもなければ、恥をかかされたって平気の平左ですよううだ。なんて性悪な婆さんだろう! ちっとばかり学問をして、奥様のお若い時分に窘《いじ》めたもんだから、今でもお邸《やしき》の采配を振るつもりなんだよ、(持ったロオブを椅子の上に投げ出して)いったい、私は何を取りに来たんだっけ。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第七場[#「第七場」は中見出し] [#4字下げ]シュザンヌ シェリュバン [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] シェリュバン (駆け寄って来て)ああ、シュゾン、私《あたし》はもう二時間も前から、お前が独りの時を狙《ねら》ってたんだ。情けないや! お前はお嫁にゆくし、私《あたし》は旅に出るし。 シュザンヌ 私がお嫁にゆくのがなぜ殿様の一番小姓がお邸《やしき》から離れることになるの? シェリュバン (情けなさそうに)シュザンヌ、殿様からお暇《ひま》を頂いたんだよ。 シュザンヌ (シェリュバンのまねをして)シェリュバン、何か馬鹿なまねをしたんだね! シェリュバン 昨日《きのう》の夕方、お前の従妹《いとこ》のファンシェットのところで殿様に見つかってしまったんだ、今夜の余興にと、あの娘《こ》におぼこ娘の役を稽古させていたところをね。殿様は私をご覧になるとたいそうな御立腹で、≪この小僧め、出て行けっ!≫っておっしゃるんだ、私は女の前であんな乱暴な言葉を使う気にはなれないや、≪出て行けっ、明日《あす》からは邸《やしき》に泊《とま》る事は相成らんぞ≫ってね。もし奥様が、あの美しいお代母《なづけのおや》様が、殿様をなだめにお出《い》で下さらなかったら、それっきりだったんだよ、シュゾン、お前に会うたのしみも失《な》くなるところさ。 シュザンヌ 私に会う! 私に? 私にお鉢が廻って来たね! それじゃあ、お前さんが内々想いを焦《こ》がしているのは、もう、奥様じゃないんだね? シェリュバン ねえ! シュゾン、奥様はなんて気高くって、お美しいんだろう、それにしてもなんて御威厳がおありになるんだろう! シュザンヌ つまり、私には威厳がないから、手が出せる…… シェリュバン 意地悪女《いじわる》っ、私が手が出せないことを知ってるくせに。でもお前は仕合せだなあ! いつもいつも奥様にお目にかかって、お話をして、朝はお著物《めし》をお著《き》せして、夜は留め針を辿《たど》って、お著物《めし》をお脱《ぬ》がせしてさ! ああ! シュゾン、私は命を投げ出しても……ところで、その手に持ってるのはなんだい? シュザンヌ (嘲弄して)お気の毒だがね! これこそ、夜になると、あのお綺麗《きれい》なお代母様のお髪《ぐし》を包む果報な頭巾と冥加《みょうが》なリボンさ…… シェリュバン お夜伽のリボンだって! 私におくれよ、いい娘《こ》だからさ! シュザンヌ (リボンを引っ込めて)ええ! とんでもない!――いい娘《こ》だなんて! なんて慣れ慣れしい児《こ》だろう! これが埒《らち》もない小僧さんでなかったら。(シェリュバンはリボンを奪い取る)あっ! リボンが! シェリュバン (安楽椅子の周囲を廻りながら)どうも見当りませぬ、毀《いた》んでもおりましたし、失《な》くなってしまいました、と申しあげるんだよ。口から出まかせに言えばいいや。 シュザンヌ (椅子を廻ってシェリュバンを追いかけながら)これっ! 今から言っておくがね、もう三年か四年もたつと、お前はとんでもない無頼漢《ならずもの》になるよ! リボンを返さないかい?(彼女は取り戻そうとする) シェリュバン (衣嚢《かくし》から|恋の歌《ロマンス》を引出して)おくれよ、ねえ、シュゾン、これをおくれね、お前には私の|恋の歌《ロマンス》を上げるからね、あのお美しい奥様を想い出すといつもいつも涙の種だろうが、お前を想い出す時だけはやっぱり歓《よろこ》びの光となって私の心を慰めてくれるだろうよ。 シュザンヌ (恋の歌を引ったくって)お前の心を慰める、なまいきな小僧め! まるであのファンシェットにでもものを言う気になってらあ。誰かさんがファンシェットのところでお前をお見つけになる、が、お前は奥様を慕っている、おまけに私を捉《つか》まえておのろけを言う! シェリュバン (昂奮して)それはそうだよ、全く! 私は自分で自分がわからなくなったんだ。このごろは胸がわくわくして、女を見ただけでも心臓がどきどきするんだよ。恋だとか楽みなんて言葉を聞くといても立ってもいられなくなって、胸苦しくなっちまうんだ。終《しまい》には、誰かに≪恋しゅうて恋しゅうて≫と言ってみたくってみたくって堪《たま》らないもんだから、たった独りで言ってみたり、お庭を駆けまわりながら、奥様にも、お前にも、林にも、雲にも、風にも言ってみるんだけれど、風はそんな取りとめもない言葉なんか吹き飛ばしてしまうんだもの! ところで、昨日マルスリイヌに会ったよ。 シュザンヌ (笑いながら)はっ! はっ! はっ! はっ! シェリュバン なぜ、マルスリイヌではいけないんだい? あれだって女だぜ、娘だぜ! 老嬢一匹だ! つまり女だ! 女だとか、娘だとか、ほんとに佳《い》い言葉だなあ! なんて面白味があるんだろう! シュザンヌ まるで気狂いだよ! シェリュバン ファンシェットは優《やさ》しいや、私の言うことだけは聴《き》いてくれる、が、お前は優しくないよ、お前は! シュザンヌ お気の毒さま、だからさ、人の言うことを、お聴きなさいよっ!(彼女はリボンを奪い返そうとする) シェリュバン (椅子を廻って逃げながら)おっと、どっこい! これを奪《と》るなら、いいか、俺の命《いのち》と一緒だぞ、でも、もし、お前がその恋の歌ではもの足りないなら、景物に、うんと接吻をしてあげるよ。(こんどはシェリュバンが彼女を追いかける) シュザンヌ (椅子を廻り逃げながら)そばに来たら、打《ぶ》って打って、打ちのめしてやるから、奥様に言いつけるよ、お前のお詫《わ》びどころか、殿様に申しあげるつもりだよ、いい気味でございます、殿様、どうぞあのいたずら小僧にお暇《いとま》を願います。不埒《ふらち》な御家来を親元にお帰し願います。あいつめは奥方様に想いを懸けるような風をして、手の裏を返すように、いつも私に接吻しようといたしますって。 シェリュバン (伯爵が入って来るのを見て、怯《おび》えて、安楽椅子のうしろに急ぎ隠れる)南無三《なむさん》! シュザンヌ なによう、その怕《こわ》がりかたは! [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第八場[#「第八場」は中見出し] [#4字下げ]シュザンヌ 伯爵 シェリュバン(隠れている) [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] シュザンヌ (伯爵を見つけて)あらっ!……(彼女は椅子に近ずいてシェリュバンを庇《かば》う) 伯爵 (進み寄って)何か感動しているな、シュゾン! 独言《ひとりごと》を言っていたじゃないか、お前の可愛いい胸がどうやらときめいているようだね……とにかく、無理もないさ、今日のような際にはな。 シュザンヌ (困って)殿様、なんの御用でございます? 私と御一緒のところを誰かに見られましたら…… 伯爵 それは俺《わし》だって、不意打ちをくらえば困るよ。しかし、俺《わし》がお前に目をかけていることは知っての通りだ。バジルがお前に俺《わし》の想いを伝えてくれたはずだ。俺《わし》がここに会いに来たわけを手短《てみじか》に話すから、まあお聴《き》き。 シュザンヌ 伺《うかが》いたくございません。 伯爵 (彼女の手を握って)ほんの一言《ひとこと》だ。知っているだろうが、国王陛下が俺《わし》をロンドンの大使に御任命になったのだ。俺《わし》はフィガロを連れて行く、彼《あれ》には良い地位を与えるが、それで、女房は夫についてゆくのが務めだからな…… シュザンヌ あのう! 私から申しあげましても! 伯爵 (また彼女に近寄って)さあさあ、言ってごらん、可愛いい奴め、今日こそはぜひとも、俺《わし》からお前への貢《みつぎ》を取り立ててくれてもよいぞ。 シュザンヌ (懼《おそ》れて)そのような事、厭《いや》でございます、殿様、厭でございますわ、どうぞ、お帰りあそばして。 伯爵 まあ、言いたい事を言ってみたら。 シュザンヌ (怒って)何を申しあげようといたしましたのやら忘れてしまいました。 伯爵 女房の務めの話さ。 シュザンヌ では申上げますが、殿様があのお医者様のところから今の奥様をお連れ出しになって御結婚あそばしました時も時、特に奥様のために例の忌《いま》わしい初夜の貢とやらをお廃しになりまして…… 伯爵 (陽気に)娘たちの苦労の種だった貢ものでな! いや! シュゾン、結構な貢ものさ! 今日、日の暮に、その相談で庭まで来てくれぬか、来てくれれば、その些細《ささい》な好意には充分に褒美《ほうび》をとらせるが…… バジル (部屋の外で話す)閣下はお居間にはお見えにならぬが。 伯爵 (立ち上がって)あの声はなんだ? シュザンヌ なんて間《ま》が悪いんだろう! 伯爵 誰も入《はい》って来ないように、お前が出ておいで。 シュザンヌ (困って)殿様をこちらにお置き申して? バジル (外で大声で)閣下は今まで奥様のところにおいでになったのだが、そこからもお出かけになった。どりゃ、お探《さが》しして。 伯爵 ところで、この部屋には隠れ場所が一つもないな! ああ! この椅子の後ろが……あまり感服しないが、とにかく、彼奴《きゃつ》を早く追い払えよ。(シュザンヌは伯爵を通すまいとする、伯爵は彼女を軽く押す、彼女は後退して、伯爵と小姓との間に身を置く。しかし伯爵が身を屈《かが》めて自らの場所を取る間にシェリュバンは椅子を廻って、怯《おび》えながら椅子に這《は》い上がってから、その中に潜《もぐ》り込んでしまう。シュザンヌは持って来たロオブを取って、小姓を掩《おお》い隠し、自ら椅子の前に立ちはだかる) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第九場[#「第九場」は中見出し] [#4字下げ]伯爵 隠れているシェリュバン シュザンヌ バジル [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] バジル もしや殿様をお見かけしなかったかね、シュザンヌさん。 シュザンヌ (そっけなく)まあ! 私がお見かけするはずがないじゃありませんか。知りませんよ。 バジル (近寄って)もう少し考えてくれれば、俺《わし》が訊《たず》ねたことにも不思議はないはずだがね、フィガロが殿様を探しているのだよ。 シュザンヌ では、フィガロは貴方の次に一番|為《ため》にならない人を探しているんですか? 伯爵 (傍白で)此奴《こやつ》の勤めぶりを見てやろう。 バジル 女房の為《ため》善《よ》かれと願うことは夫の為《ため》悪《あ》しかれと望むことかね? シュザンヌ ええ、そうですよ、貴方の腹黒いたくらみではね、汚《けがら》わしい事ならなんでもお先棒を担《かつ》ぐ人ねえ! バジル お前さんが他人《ひと》に施せないことを俺がしてくれと頼んだかね? 嬉しい祝言のお蔭で昨日まで禁《と》められていた事も明日からは許されるのではないか。 シュザンヌ なんて破廉恥《はれんち》な! バジル およそ糞真面目《くそまじめ》な事柄の中で、結婚ぐらい巫山戯《ふざけ》たまねはないので、俺は日頃考えていたが…… シュザンヌ (苛立《いらだ》って)忌《いや》らしい事をね! いったい誰のお許しでここに入って来たんです? バジル それ、それ! それが意地悪というものだ! まあ怒《おこ》り給うな! どうせ、お前さんの思うようにしかならないのだからね。旁々《かたがた》俺《わし》はフィガロ殿《どん》を殿様の目の上の瘤《こぶ》と睨《にら》んでいるわけではないから、そのつもりでな。ただ、あの小姓だけは別だが…… シュザンヌ (遠慮がちに)ドン・シェリュバンのこと? バジル (彼女の口まねをして)恋の奴《やっこ》のケルビノさ、彼奴《あやつ》め、のべつ幕なしにお前さんをつけ廻して、今朝もまた、俺がお前さんと別れてから、奴《やっこ》さんこの部屋に入ろうとしてうろついていたぜ。それが嘘だというのかね? シュザンヌ そんなぺてんには乗りませんよ! さっさと帰ってちょうだい、性《たち》の悪い人ね! バジル 性悪《しょうわる》だからこそ、睨《にら》みが利くのだ。あの小姓が人知れず持っていた恋の歌はお前にもくれたろう? シュザンヌ ええ! そうですよ、私にね! バジル 奥方に宛《あ》てて書いたものでなければね! そう言えば、小姓め、食卓でお給仕をする時に、変な目つきで奥方を眺めるという噂だが……ちょっ! あまり巫山戯《ふざけ》まいぞ! 殿様はそうした事にかけては、酷《むご》い事をなさる方《かた》だからな。 シュザンヌ (苛立《いらだ》って)おまけに、貴方のような悪漢《わるもの》がそういう噂を撒《ま》き散らして殿様の御勘気を蒙ったあの子を追い出そうとするのですからね。 バジル 俺《わし》の作り話かね? 衆《みな》が噂をしているから、言ったまでさ。 伯爵 (立ち上がって)衆《みな》がなんと噂をしている? シュザンヌ ああ、びっくりした! バジル やっ! これは、これは! 伯爵 大至急だ、バジル、あの小姓めに暇《ひま》を取らせろ。 バジル いやはや! とんだお邪魔を! シュザンヌ (困って)ほんとに! どうしたらいいだろう! 伯爵 (バジルに)此女《これ》の様子が変だぞ、椅子に坐らせよう。 シュザンヌ (強く押し返して)坐りたくはございません。(バジルに)人の部屋にこんなに勝手に入って来るなんて、失礼じゃありませんか! 伯爵 お前に男が二人も付き添っているのだから、ねえ、もう少しも危険はないよ。 バジル 小姓の事で騒ぎ過ぎまして面目次第もございませんが、とにかく、閣下が椅子の蔭でお聴《き》きになりましたとおりで。少々やりすぎましたのも、この女《ひと》の心持ちを探るためで、実はその…… 伯爵 金子五十ピストオルと馬一頭を仕立てて、小姓めを親元に送り返すように。 バジル 閣下、僅か、これほどの悪戯《いたずら》ででございますか? 伯爵 俺《わし》は昨日もあの不義《いたずら》小僧が庭師の娘と一緒にいるところを見つけたのだ。 バジル あのファンシェットと? 伯爵 それも娘の部屋でなあ。 シュザンヌ (むっとして)そのお部屋に殿様も、きっと、御用がおありになったのでございましょうよ! 伯爵 (陽気に)その睨《にら》みはいささか気に入《い》った。 バジル その睨みこそ前兆《さいさき》がよろしゅうございますなあ。 伯爵 (陽気に)いや、別に用事もなかったのだが、お前の伯父、あの酔っぱらいの庭師を探しに行ったのだ、ちょっと言いつけておく事があってね。戸を叩《たた》いたが、なかなか開《あ》けに来ない。お前の従妹《いとこ》はばつが悪そうな顔をしていた。おかしいぞ、と思ったので、あの娘《こ》に話しかけ、話しながら、様子をうかがっていた。戸口の扉の後ろに、幕のような、衣桁《いこう》のような、何やら衣裳を掛けたものがあった。俺《わし》はさりげなく装って、そろり、そろりとその幕を持ち上げて、(科《しぐさ》に合せて、伯爵は安楽椅子からロオブを持ち上げる)、見ると……(小姓を見つけて)おやあ!…… バジル やっ! これは、これは! 伯爵 今日の狂言も昨夕《ゆうべ》のに劣らぬわい。 バジル 昨夜のよりも上出来で。 伯爵 (シュザンヌに)大芝居だな、シュザンヌ、花嫁になるやならずで、少し手まわしが良すぎはせぬか? 俺の小姓を引っぱり込むために独りでいたかったのだな?(小姓に)それから、その方は、代母《なづけのはは》の名誉を涜《けが》して、その第一の腰元でもあり、その方の同輩フィガロの妻でもある女にまで言い寄るとは! しかも俺がかねて、重んじてもおり、愛《いつく》しんでもおるフィガロのような人物がこんな欺罔《たばかり》の犠牲《いけにえ》になることは我慢がならん。おい、バジル、此奴《こやつ》はお前と一緒に来たのか? シュザンヌ (むっとして)ごまかした者もごまかされた者もございません。殿様がお話し遊ばしていらっした間、この子はここにおりました。 伯爵 (怒って)嘘をつくのもいいかげんにしろ! この小僧を目の敵《かたき》にする奴でも、それほどまで此奴《こやつ》を不敵な悪人とは思うまい。 シュザンヌ この子は貴方様にお詫びをいたすよう奥様にお願いしてくれと私に頼んでいたのでございます。貴方様のお出《い》でで、あの子はとほうに暮れて、この椅子の蔭に隠れたのでございます。 伯爵 (激怒して)その手に乗るものか! 俺《わし》は入って来て、そこに腰をかけたではないか。 シェリュバン ああ! 殿様、その時は椅子の後ろで慄《ふる》えておりました。 伯爵 またごまかすな! 俺《わし》も椅子の後ろに隠れたではないか。 シェリュバン ではございますが、その時には椅子の中に潜りこんでおりました。 伯爵 (いよいよ傷つけられて)では小さな……蛇だと思った小僧は実は青大将だったのだな! 此奴《こやつ》め、俺《わし》らの話を聴《き》いていたな! シェリュバン どういたしまして、御前様《ごぜんさま》、お話をうかがうまいと懸命に努めておりました。 伯爵 恥知らずめ! (シュザンヌに)フィガロとの結婚は相成らんぞ。 バジル まずまず御勘弁を、誰かが参ります。 伯爵 (シェリュバンを椅子から引きおろして、直立させて)此奴《こやつ》は、衆《みな》への見せしめのために、ここに立たせておけ! [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十場[#「第十場」は中見出し] [#ここから4字下げ] シェリュバン シュザンヌ フィガロ 伯爵夫人 伯爵 ファンシェット バジル その他多くの家来 白き服を纏《まと》える百姓女 百姓 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] フィガロ (白い羽、白いリボンを飾った女用の縁《ふち》無し帽子を手に持った彼は伯爵夫人に語る)奥様、貴方様だけが私どもに例の恩典をお与え下さるでございましょう。 夫人 ご覧あそばせ、貴方《あなた》、この人たちは私にはもはや無い力が未《ま》だあると思っているのでございます、でも、この人たちの願いの筋も無理ではございませんから…… 伯爵 (当惑して)その願いがひどく無理ならかえってよかろうに。 フィガロ (低声《こごえ》でシュザンヌに)加勢を頼むぜ、俺は一所懸命だ。 シュザンヌ (低声でフィガロに)骨折り損だろうよ。 フィガロ (低声で)とにかく、やって見てくれ。 伯爵 (フィガロに)何か用か? フィガロ 御前様、御家来一同は御前様が奥方様への御愛情ゆえに例の忌《いま》わしき貢《みつぎ》をお廃しなされました事に、深く感動いたしまして…… 伯爵 いや、あの貢は既に廃してしまったのだ。それで、どうしようというのだね? フィガロ されば、かかる名君のお徳は充分発揚されねばならぬ時でございます。そのお徳が今日こそ私にはひとしおの冥利《みょうり》と申すのも、実はこの祝言に際しまして、私こそ、そのお徳を言祝《ことほ》ぐ最初の者となりとうございますからで。 伯爵 (いよいよ当惑して)冗談《じょうだん》を申すな、フィガロ、恥ずべき貢の廃止は君子の道に対する勤めを果したにすぎぬのだ。いやしくもイスパニヤの武士《もののふ》は数々の心づくしによって佳人を手折《たお》ることは許されても、その最初の、最美の勤めを奴隷の支払うべきものとして強《し》いるのは、そもそも、蛮族《ヴァンダアル》の暴虐で、カスティリアの貴族の是認せらるべき権利ではない。 フィガロ (シュザンヌの手を取って)さればこそ、御前様の御賢徳によって女子の誇りを全うし得ましたこのうら若き女《もの》は、御前様のお手ずから、清浄《きよ》きお思召《ぼしめ》しの徴《しるし》として、白き羽とリボンにて飾られたる乙女帽子を授けらるるよう、かつはまた、この事を今後もすべての婚姻の儀式として御採用あそばすようお願い申上げ、のみならず、合唱の四行詩がこれを記念として幾久《いくひさ》しく…… 伯爵 (当惑して)恋人にして詩人、かつ伶人《れいじん》を兼ねるのがあらゆる乱行御免の三位一体だという事を俺《わし》が知っていなければなあ…… フィガロ 兄弟分、俺《おれ》と一緒にお願い申してくれよ。 一同一緒に 殿様お願い申上げます。 シュザンヌ (伯爵に)これほど御前様にふさわしい祝辞をなぜお逃げになるのでございます? 伯爵 (傍白で)ふとい女《あま》め! フィガロ 殿様この女をご覧下さいまし、貴方様の偉大なる御犠牲を表わすにこの美しい許嫁《いいなずけ》ほどふさわしき者はございますまい。 シュザンヌ 私の顔のことなんか言うのはおよしよ、御前様のお徳を褒《ほ》めたてるんだよ。 伯爵 (傍白で)何から何までからくり[#「からくり」に傍点]だな。 夫人 私も衆《みな》の者と同じ心でございます。この度の祝言も元は嬉しい御愛情ゆえでございますから、今後も末永くこの式を懐かしく思うことでございましょう。 伯爵 俺《わし》の心も昔と変らないさ。それでは、その情愛のために万事聞き届けよう。 一同一緒に 万歳! 伯爵 (傍白で)いっぱい食わされたか。(正白で)めでたい式がいささか、華やかになるように、せめて午後に延ばすことにいたしたいな、(傍白で)急いでマルスリイヌを呼びにやろう。 フィガロ (シェリュバンに)おいどうした悪戯《いたずら》小僧、万歳を申しあげないのか? シュザンヌ この子はしょげてるんだよ、殿様がお暇をお出しになったの。 夫人 まあ! どうぞこの子もお赦《ゆる》し下さいますように。 伯爵 此奴《こやつ》には赦される資格がない。 夫人 可哀そうに――歳《とし》もゆかないのに! 伯爵 それほど幼なくはないて。 シェリュバン 私までも寛大にお赦しを受けます事と、奥方様との御結婚によって初夜の貢《みつぎ》をお廃しになりました事とは別でございましょう。 夫人 殿様は衆《みな》の者を苦める事は何によらずお廃しになるのよ。 シュザンヌ 御前様は大赦をお聴《き》きとどけになりましても、初夜のなんとかの方は内々お取り戻しになりたいのでございますわねえ。 伯爵 (当惑して)まずそんなところさ。 夫人 なぜそのようなものをお取り戻しに? シェリュバン (伯爵に)御前様、私は、まさに、軽はずみな事をいたしました。それにしても、口だけは充分に慎んでおりました。 伯爵 (当惑して)それなら、それでよし、よし! フィガロ 小僧め、何か聞き込んだな? 伯爵 (急いで)もうよし、わかった。誰も彼《か》も赦免を求めるわい。よろしい、赦《ゆる》す。しかもそれ以上に、俺《わし》はこの少年に我が軍の一中隊を与えよう。 一同 (一緒に)万歳! 伯爵 しかし、条件として、カタロニアの軍隊に加わるように即刻出発せい。 フィガロ そりゃ、あんまりな、殿様、明日では。 伯爵 (強く主張して)俺《わし》の意志じゃ。 シェリュバン お受けいたします。 伯爵 では御代母《なづけのおや》にお挨拶を申上げて、今後もよろしくとお願いするがよいぞ。 [#ここから4字下げ] (シェリュバンは地上にひざまずいて伯爵夫人に対するが、言葉が口から出ない) [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 夫人 (胸がつまって)今日一日さえも留《とど》めてはおけないとおっしゃるのだから、お発《た》ちなさいね。初めてのお役につくのだよ、立派にお勤めを果すのよ。御恩ある方のお名を恥かしめないようにね。幼い時分から優しくされたこの邸《うち》を忘れないように。命令《いいつけ》を守って、正しく強くね、私たちもお前の出世を祈っていますよ。(シェリュバンは立ち上がって自分の地位につく) 伯爵 お前、ひどく感動しているね。 夫人 それを秘《かく》しはいたしません。危《あぶな》い職につかせられる子供の行くさきざきはどうなりますことやら? この子は私の両親とはつながる縁もございますし、その上、この子は私の名づけ子でございますもの。 伯爵 (傍白で)ゆえあるかなバジルの言《ことば》か。(正白で)若人《わこうど》よ、シュザンヌに接吻をするがよい……これが別れだ。 フィガロ そりゃまた、どうしてでございます。御前様? 此奴《こいつ》は毎冬の休暇《やすみ》には帰って参りますよ、だから俺だけに接吻してくれ、兵隊さん!(フィガロはシェリュバンに接吻する)これでお別れだ、小僧さん。これからは今までの暮し方とは勝手がちがうぜ。お気の毒だな! もう、日がな一日お局《つぼね》のあたりをうろつきまわることはできねえぞ、軽焼きもクリーム入りのお点心《やつ》にもおさらばだし、掌打《ひっぱたき》とも目隠しともお別れだ。押しも押されもしねえ兵隊さんだ、やりきれねえなあ――陽《ひ》に焼けて、惨《みじ》めな服を着てさ、でっかい、重い鉄砲を担《かつ》いで、右向け、左向け、前へ進んで功名手柄だ、途中で躓《つまず》くなよ、急所を一発、ずどんと食らやあ仕方がねえが…… シュザンヌ ああ厭《いや》だ、縁起でもない! 夫人 なんて厭《いや》な辻占《つじうら》だろう! 伯爵 マルスリイヌはどこにいるのかな? 衆《みな》と一緒におらぬのはおかしいではないか! ファンシェット 御前様、あの女《ひと》は畑の小径《こみち》を通って街の方へ参りました。 伯爵 して、帰って来るのは?…… バジル それは神様の恩召《おぼしめ》し次第で。 フィガロ もしやその恩召しに適《かな》わなかったら…… ファンシェット バルトロ先生があの女《ひと》に腕を借しておいででございました。 伯爵 (勢いこんで)あの医者も来ておるのか? バジル 医者はあの女がはやばや囚《とりこ》にしてしまいまして…… 伯爵 (傍白で)あの医者もとんでもない時に来たものだ。 ファンシェット あの女《ひと》はたいへん上気《のぼせ》たような顔をして、歩きながら大きな声で話をしているかと思うと、やがて立ちどまって、こんな風に両腕を拡げて……、するとお医者様はあの女《ひと》を宥《なだ》めて、こんな手つきをして。あの女《ひと》はたいへん怒っているような様子でございました! 私の従兄《いとこ》のフィガロの名を申しておりましたわ。 伯爵 (ファンシェットの頤《あご》をつまんで)従兄は従兄だが……未来のな。 ファンシェット (シェリュバンを指しながら)御前様、昨晩の事で、私たちもお赦し下さいますか? 伯爵 (皆まで言わせずに)さあ、お帰り、お帰り、ファンシェット。 フィガロ 小娘までしゃらくせえ色恋沙汰でいい気になっていやがる。小娘《あいつ》まで俺の祝いの邪魔をするかも知れねえぞ。 伯爵 (傍白で)邪魔をするだろうよ、それは請《う》け合う。(正白で)さあ、さあ、奥さんの家《うち》へ入ろう。おい、バジル、俺《わし》の部屋に寄ってくれ。 シュザンヌ (フィガロに)お前さん、私の所に来てくれるだろうね? フィガロ (低声《こごえ》でシュザンヌに)どうだ、うまく大将をやっつけたろう? シュザンヌ (低声で)好《い》い男《ひと》だよ、お前さんは! (彼等一同退場) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十一場[#「第十一場」は中見出し] [#ここから4字下げ] シェリュバン フィガロ バジル (一同|退《さ》りゆく間に、フィガロはシェリュバンとバジルを押しとどめて、二人を舞台に連れ戻す) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] フィガロ 困るなあ、二人とも去《い》っちまっちゃあ! 俺の祝言の式が許されりゃあ、後《あと》は今夜の余興だから、せいぜい助け合わなくっちゃいけねえぜ、劇評家の眼が滅法《めっぽう》光ってる時に限ってへまな芸当《げいとう》を演《や》らかす俳優《やくしゃ》のまねはしまいぞ。俺たちは明日は取り返しがつくというわけには行かないんだよ、俺たちは。陽《ひ》のあるうちにめいめいの役を覚えこむ事だ。 バジル (意地悪く)俺の役はお前が思っているよりむつかしいのだぜ。 フィガロ (バジルに見えぬように擲《なぐ》るふりを見せて)お前さんには自分のためになる上首尾ってことがまるっきりわかっていないね。 シェリュバン ねえ、お前は私が旅に出ることを忘れてるよ。 フィガロ ところが、お前はお邸《やしき》にいてえんだろう! シェリュバン ほんとに! ここにいられりゃなあ! フィガロ そこを巧《うま》くごまかすのよ。旅立ちの事をぐずぐず言うな、旅のマントを肩にかけて、大袈裟《おおっぴら》に荷袋を纏《まと》めて、これ見よがしに馬を鉄柵につないでおけ。それから、小作畑まで一走り駆けさしてから、徒歩《てく》で裏の方から帰って来るんだ。殿様はお前が発《た》ったと思い込んでおしまいになる、お前はただ、人目につかないようにしろ、余興の後《あと》で、殿様を宥《なだ》めるのは俺が引き受けた。 シェリュバン だってファンシェットは未《ま》だ役を覚えていないんだよ。 バジル いったい、何をあの娘《こ》に教えていたんだ、一週間このかた、あの娘にばかりへばりついていたくせに? フィガロ お前さんは今日は何も仕事がないのだから、お頼みだ、あの娘に稽古をつけてやってくれよ。 バジル 気をつけろよ、お若いの、気をつけろよ! お爺《やじ》さんはぶつくさ言ってるし、娘は擲《なぐ》られるし、その娘はお前と一緒に稽古もしないし、シェリュバン! シェリュバン! あの娘《こ》につらい目を見せることになるぞよ、甕《かめ》と水でもたびたび会えば! フィガロ なんだ! 古めかしい諺《ことわざ》を持ち出す阿呆もねえもんだ! 物|識《し》り顔もすさまじい、お国柄《くにがら》の諺のわけがわかっているのか? なんぼ甕《かめ》でもたびたび汲めば、しまいにゃ…… バジル 甕のお腹《なか》がふくれ出す。 フィガロ (退場しながら)まんざら阿呆でもねえぞ、此奴《こいつ》は、まんざら阿呆でも! [#改ページ] [#3字下げ]第二幕[#「第二幕」は大見出し] [#ここから地から2字上げ] [#ここから1字下げ] 舞台は堂々たる寝室、アルコオヴ式の大なる寝台、その前に台が置いてある。開閉する戸口が舞台の右手の第三の通路に設けてある。化粧部屋の戸口は舞台の左手、第一の通路に設けてある。舞台奥にも戸口、女部屋に通じている。舞台右手に窓一つ。 [#ここで字下げ終わり] [#ここで字上げ終わり] [#5字下げ]第一場[#「第一場」は中見出し] [#ここから4字下げ] シュザンヌ 伯爵夫人(二人とも右手の戸口より入って来る) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 夫人 (安楽椅子にぐったりと腰をおろして)戸を閉《し》めてよ、シュザンヌ、それから、何もかも精《くわ》しく話しておくれ。 シュザンヌ 奥様に隠しだてなんぞいたすものでございますか。 夫人 どうしたの! 旦那様がお前を手なずけようとあそばしたの? シュザンヌ どういたしまして! 殿様が下婢《めしつかい》相手にそんな御面倒をおかけになるものですか、売りもの扱いでございますよ。 夫人 それで、あの小姓もその場にいたの? シュザンヌ その場と申しても大きな椅子の蔭にね。あの児《こ》は私に頼みに参りまして、殿様からのお赦《ゆる》しを奥様にお願いしてくれと申しましたのでございます。 夫人 でもなぜ直接《じか》に私に言ってこないんでしょう? 私だって拒《ことわ》りもしないだろうにねえ、シュゾン? シュザンヌ 私もそう申したのでございますよ。でも、旅立ちのお名残り惜しさ、ことに奥様とのお別れが! ≪ねえ、シュゾン、奥様はなんて気高くってお美しいんだろう。それにしてもなんて御威厳がおありになるんだろう!≫なんて申しまして。 夫人 私がそんな風に見えて、シュゾン? いつでもあの児《こ》を庇《かば》っているのに。 シュザンヌ それから、私が持っておりました奥様の夜のおリボンが目に留まりますと、あの児《こ》はリボンに飛びつきまして…… 夫人 (微笑しながら)私のリボンに?…… まるで子供ね! シュザンヌ 私はリボンを取り返えそうと存じましたが、奥様、あの児《こ》は獅子《しし》のような勢いで、眼《め》を光らせまして……取り返えすなら命《いのち》ももろともだぞ、なんて、あの優しい、か細《ぼそ》い、可愛いい声を張りあげて申すのでございますよ。 夫人 (夢みごこちで)それからどうしたの、シュゾン? シュザンヌ そこで、奥様、あんな始末におえない子供がございましょうか? こちらにはお代母様、そちらには誰かさんがいればいい、なんて申しまして、そして奥様のお召物《めし》にさえ接吻できませんものでございますから、あの児《こ》はいつもいつも私に接吻しようと言うのでございますよ、この私に。 夫人 もうたくさん……そんなみだらな話、もうたくさんよ……それで結局、旦那様はお前にお打ち明けになったの?…… シュザンヌ もし私が殿様のおっしゃることを厭《いや》と申せば、殿様はマルスリイヌに御加勢あそばすそうでございます。 夫人 (立ち上がって、歩きながら、しきりに扇子を使う)もう私なんか可愛いがっては下さらないのね。 シュザンヌ では、あのひどいお嫉妬《やきもち》は? 夫人 夫というものは皆そうよ、シュゾン、ただただ夫の沽券《こけん》からなのよ、ああ! 私はあの方を想いすぎたのね! 私の愛情にお飽《あ》きになったのね、私の情けでお労《つか》れになったのね。お慕いしたことが唯《たった》ひとつの私の罪なの。こんな正直な打ち明け話で、お前の気を悪くするつもりではないのよ、お前はフィガロと一緒になるのだからね。フィガロだけが私たちの力になってくれるのだもの。来てくれるかしらん? シュザンヌ 猟《かり》のお出ましをお送りいたしましたら直《す》ぐにも参りましょう。 夫人 (扇子を使いながら)庭向きの窓を少し開《あ》けて、この部屋は熱いのね!…… シュザンヌ あんまり奥様が勢いよくお話しあそばしたり、お歩きになるからでございますわ。(彼女は窓を開けにゆく) 夫人 (長い間夢見心地で)いつもいつも私から逃げよう逃げようとなさらなければねえ……殿方って罪の深いものね! シュザンヌ (窓のところから叫ぶ)まあ! 殿様がお馬に召して、野菜畑を乗り切っておいでになりますよ。お後からペドリイユがお伴《とも》をして、それから猟犬が二匹、三匹、四匹。 夫人 私たちにはまだ充分時間があるわね。(彼女は椅子にかける)誰か戸を叩《たた》いてよ、シュゾン? シュザンヌ (歌を唄《うた》いながら戸口を開けにゆく)ああ! 我がフィガロ――ああ! 我がフィガロ! [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第二場[#「第二場」は中見出し] [#ここから4字下げ] フィガロ シュザンヌ 伯爵夫人(腰をかけている) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] シュザンヌ お前さん、さあお入《はい》り! 奥方様がお待ちかねだよ!…… フィガロ そういうお前はどうなんだ、シュザンヌ? 奥方様がお待ちかねとは受け取れねえ。ところで、どういう御用だい? 惨《みじ》めな御用だろう。伯爵様がこちとらの女房がお気に召して色女《いろおんな》になさろうという寸法だろう。ありそうな事だ。 シュザンヌ ありそうな事? フィガロ そこで俺を通信係に御任命になって、シュザンヌは大使|館《やかた》の相談役と来る。ただの悪戯《いたずら》じゃねえや。 シュザンヌ いいかげんにおしよ。 フィガロ ところが俺の許嫁《いいなずけ》のシュザンヌは辞令を受けつけねえものだから、殿様はマルスリイヌのもくろみ[#「もくろみ」に傍点]を御援助なさろうとする。これほどわかりきった事があろうか? 俺たちの計画《からくり》の邪魔をする相手に意趣晴らしをして、相手の計画をひっくり返すのは誰でもやってのけるし、俺達もこれからやるところだ。どうだい、それだけの話よ。 夫人 私たち皆の幸福《しあわせ》にかかわるような計略をそんなに軽々しく扱ってもいいの? フィガロ 誰がそんな事を申しました? シュザンヌ 私たちの心配事でお前にまで心配をかけるかもしれないからね…… フィガロ その事なら私がお引き受けいたしませば大丈夫でございましょう? そこで、伯爵様と御同様に細工はりゅうりゅうとやりますにはまず、伯爵様のお持ちものを脅《おびや》かしまして、こちらの所有《もの》をお望みになるお熱を冷《さま》さねばなりません。 夫人 それは道理だけれど、その手立ては? フィガロ お膳立てはできております。奥様のことで、あらぬ噂を立てさせまして…… 夫人 私のことで? 気でも狂ったのかい! フィガロ どっこい、狂っておいでなのは殿様で。 夫人 あれほど嫉妬深い方がもし!…… フィガロ なお結構で。ああいう御性質の方をまるめるにはお焦慮《じら》せ申すにかぎります、そこは御夫人様方の方がよく御承知で! ところで、相手をかんかんに怒らせておいて、ちょっとした計略を使えば、相手はこっちの望み次第、鼻づらを引き廻してグワダルクィヴィイルの河の中までも連れ出せましょう。私は差出し人のわからぬ手紙をバジルに渡させますが、その手紙で殿様はさる好《す》き者が今日仮装会の間隙《ひま》に奥様にお目にかかりに来るということを御承知になります。 夫人 それでお前は正しい女の身の上の事で、ありもしない事柄をふれ廻るのね! フィガロ 奥様、あらぬ噂を立てても構わぬ御夫人なぞはめったにございませんよ、うっかりするとまぐれ当りになりがちでございますからな。 夫人 とにかく、お礼を言わなければなるまいね! フィガロ それにしても、殿様が奥様の後《あと》をつけて、うろついたり、怒鳴《どな》ったりなされて、こらとらの女房と娯《たの》しむおつもりの時間を無駄にしてしまう、という風に殿様の一日のお仕事を切りこまざいてしまうのは、面白いじゃございませんか? 殿様は早《は》やもう目が昏《くら》んで、こっちの女を追いまわすのやら? あっちの女の番をなさるのやら? お気の狂った証拠には、それそれ、あのとおり、野原を馳《か》けまわって逃げ路を失った兎を追いまわしていらっしゃる。その間も、祝言の時刻はどんどん迫って参りますし、殿様も祝言に御反対はなさらず、ことに奥様の前では御反対はなさりますまい。 シュザンヌ そりゃ、なさらないよ、でも、マルスリイヌという才女先生は反対しかねないね、あの女は。 フィガロ いけねえ! そいつは全く気にかかるなあ! お前は誰かに頼んで殿様に申上げるんだ、夕刻、お庭に参りますって。 シュザンヌ それほど殿様を信用しているのかい? フィガロ 冗談《じょうだん》を! まあ聴《き》くがいい。何もしたがらない手合いは何をしてもはかどらないから何をしてもなんにもならない。これが俺のせりふだよ。 シュザンヌ いい男まえでございましょう! 夫人 頭脳《あたま》の働きもね、それでお前はシュザンヌがお庭に行くのを承知するつもりなの? フィガロ とんでもない。私はシュザンヌの衣物《きもの》を誰かにきせましょう。で、媾曳《あいびき》の現場を私たちから見|咎《とが》められれば、伯爵様も、俺は知らぬとは仰《おう》せられますまい? シュザンヌ 誰に私《あたし》の衣物《きもの》をきせるの? フィガロ シェリュバンさ。 夫人 でも、あの子は発《たっ》てしまったし。 フィガロ 私の都合で発たせませんでございました。一つ、私にお任せ下さいますまいか? シュザンヌ 計略をめぐらすにはこの人は頼りになる男でございますよ。 フィガロ それも、二つ三つ四つ、一時にな、こんぐらかって、面倒なやつでも。俺は宮仕えの人間に生れついているんだ。 シュザンヌ なかなかむつかしい職業《しょうばい》だってね! フィガロ 受取って、物にして、請《ねだ》る、この三つの言葉が極意だあ。 夫人 この男《ひと》があんまり安心しているので私までその気になってしまったよ。 フィガロ それが私の寸法なので。 シュザンヌ お前さん、今、なんて言ったけね? フィガロ つまり、殿様のお留守中にお前のところにシェリュバンを寄越《よこ》すから、娘風に髮を結《い》って衣物《きもの》をきせてやってくれ。俺は俺で彼奴《あいつ》をかくまって、知恵をつけてやらあ、それから先は伯爵閣下、踊りでも踊られまするよう。(フィガロ退場) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第三場[#「第三場」は中見出し] [#ここから4字下げ] シュザンヌ 伯爵夫人(腰をかけている) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 夫人 (化粧箱を手に持ちながら)まあ、シュゾン、このあたしの風体《なり》!……あの児《こ》がもう来るのに!…… シュザンヌ 奥様はあの児が助かるのはお厭《いや》ではございますまい? 夫人 あたしが? 見ていてごらん、叱ってやるから。 シュザンヌ それよりも、あの児に|恋の歌《ロマンス》を歌わせましたら。(彼女は伯爵夫人にロマンスを渡す) 夫人 それにしても、私の髪が乱れていること…… シュザンヌ では鬢《びん》のお毛《ぐし》を持って参りましょう、きっとお叱りぶりも引立ちますでございましょう。 夫人 (はっとわれに返って)お前、今、なんて言ったの? [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第四場[#「第四場」は中見出し] [#ここから4字下げ] シェリュバン(恥かしそうな顔) シュザンヌ 伯爵夫人(腰をかけている) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] シュザンヌ お入《はい》りなさい、士官さん、お目にかかれますよ。 シェリュバン (おずおず進み寄って)ああ! 奥様、その士官という名がうらめしゅうございます! その名ゆえにこの土地とも……奥様……おやさしい奥様ともお別れかと思いますと! シュザンヌ お綺麗《きれい》な奥様ともねえ! シェリュバン (ため息をついて)ああ! ほんとに。 シュザンヌ (まねをしながら)ああ! ほんとに。ねえちょいと、お若いの! その切れの長い目がくせものだよ。さあさあ、色男、奥様にロマンスを唄《うた》っておきかせするのよ。 夫人 (ロマンスの紙をひろげる)これ誰からのロマンスなの? シュザンヌ 覚えある身のはじ紅葉《もみじ》って、それともこの児は頬紅《ほおべに》をつけすぎたの? シェリュバン おなつかしく思っては…… どうしていけないの?…… シュザンヌ (シェリュバンの鼻先に拳《こぶし》を突きつけて)何もかも言ってしまうよ。ずうずうしい小僧さんだね。 夫人 もういいのよ、……この児《ひと》、唄うの? シェリュバン それでも奥様、からだが慄《ふる》えて!…… シュザンヌ 厭《いや》じゃ厭じゃが聞いてあきれるよ。それも奥様がお望みならねえ、御謙遜の作者さん! さあ、あたしが伴奏を弾《ひ》いてあげるよ。 夫人 では、あたしのギタをね。(坐せる伯爵夫人はロマンスを手に持って読む構え。シュザンヌは夫人の椅子の背後にあって、夫人の肩ごしに楽譜を見ながらプレリュウドを弾きはじめる。小姓は眼を伏せて夫人の前に立つ。この場合はヴァン・ロオの原画に拠《よ》る美しい、「エスパニヤぶりの団欒《まどい》」と呼ばるる古版画に酷似している) [#ここで字下げ終わり] [#ここから小見出し] [#3字下げ]ロマンス [#6字下げ](節は『マルブルウ公出征』の歌に従う) [#ここで小見出し終わり] [#ここから6字下げ、折り返して4字下げ] ※[#ローマ数字1、1-13-21] 泉のほとり (歎くよこころ) 善《よ》き女《ひと》しのび 涙ながる 涙ながる [#ここから6字下げ、折り返して4字下げ] ※[#ローマ数字2、1-13-22] 美《う》まし小舎人《ことねり》 (嘆くよこころ) 涙に濡るる 眼《まみ》ぬぐわめ 眼《まみ》ぬぐわめ [#ここから6字下げ、折り返して4字下げ] ※[#ローマ数字3、1-13-23] あわれ善き女《ひと》 (歎くよこころ) 忘るべしやは 名づけの母 [#ここから13字下げ] (この歌八節あるが舞台にては適当に取捨するから、 意訳して右の三節に限った) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 夫人 初《う》い初いしくって情もこもっているのね。 シュザンヌ (ギタを椅子の上に置きにゆきながら)それはもう、情のほうは、一人前の若い衆で……ああ、そうそう、ねえ士官さん、今日の夜会の余興があるから、試《ため》しに、あたしの衣物《きもの》がお前にうまく合うかどうか、ねえ? 夫人 合えばいいけれど。 シュザンヌ (シェリュバンと背くらべをしながら)わたしと背は同じくらい。さあマントをお脱《ぬ》ぎよ。(彼女は彼のマントを脱がせる) 夫人 もし誰か入って来たら? シュザンヌ 私《わたくし》たちが何かうしろぐらい事でもいたしているのでございましょうか? でも、扉をしめて参りましょうね。(戸口に駆《か》けよりながら)この子に帽子が欲しゅうございますね。 夫人 あたしの化粧台の上に帽子があるわ。(シュザンヌは戸口が舞台の一隅にある小室の中に入る) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第五場[#「第五場」は中見出し] [#ここから4字下げ] シェリュバン 伯爵夫人は腰をかけたまま [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 夫人 仮装会の時までは、殿様はお前がまだ館《うち》にいるとはお気づきになるまいよ。あとで私たちから殿様に、お前の辞令を出す手間がかかったのでつい出発もおくれた、とかなんとか申しあげて…… シェリュバン (辞令を夫人に見せて)情けないことに、辞令はここに持っております! バジルが私に手渡してくれました。 夫人 もう渡したの? 一刻もおくれないようにねえ。(夫人は辞令を読む)あんまり大急ぎだったので、印《いん》を捺《お》すのを忘れているのよ。(夫人は辞令をシェリュバンに返えす) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第六場[#「第六場」は中見出し] [#ここから4字下げ] シェリュバン 伯爵夫人 シュザンヌ [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] シュザンヌ (大型の頭巾を持って入って来ながら)印《いん》て、なんの印でございます? 夫人 この児《ひと》の辞令の。 シュザンヌ もう、辞令を? 夫人 あたしもそのことを言ってたの。それがあたしの帽子? シュザンヌ (夫人のそばに腰をかけて)一番綺麗なお帽子で。(彼女は口に留め針を含んで歌う) [#ここから4字下げ] こっちをお向きなさいってば 惚れ惚れするよなジャン・ド・リラ。 [#ここから2字下げ] (シェリュバンは跪《ひざまず》く。シュザンヌは彼に女帽子をかぶせる)奥様、この児、可愛いいじゃございませんか! [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 夫人 襟《えり》をもう少し女らしく作ってごらん。 シュザンヌ (うまく直しながら)まあ! ご覧あそばせよ、この小僧さんを、娘に作りますとなんて綺麗なんでございましょう! 妬《や》けるよ、あたしゃ!(彼女はシェリュバンの腮《あご》をつまんで)ねえ、そんなに綺麗にならないでおくれよ、ね? 夫人 どうかしているのね、この女《ひと》は! 袖《そで》をまくり上げないと、アマディス型は引き立たないよ……(彼女はシェリュバンの袖をまくり上げる)腕に巻いてあるのはなあに? あら、リボン! シュザンヌ それも奥様のリボン。奥様のお目にとまって、ちょうど良うございましたわ。さきほども奥様に言いつけるって申したのでございます。ほんとに! 殿様さえおいでになりませんでしたら、そのリボンは取り返えしましたのに。力くらべなら、この子に負けはいたしませんわ。 夫人 あら血がついて!(彼女はリボンをとる) シェリュバン (恥ずかしそうに)今朝、旅立とうと思いまして、馬の轡《くつわ》の鎖を直しましたら、馬がかぶりを振りましたので、轡の金具で腕を擦《す》りむきました。 夫人 疵《きず》にリボンなんか使うものじゃないのよ…… シュザンヌ それも、ちょろまかしたリボンでねえ。いったい何よ、馬のボセットだの、クウルベットだの、コルネットだの……そんな言葉、ちっともわかりゃしない。まあ! この児の腕の白いこと、まるで女のよう! あたしの腕より白いのね! 奥様ご覧あそばせよ! (彼女はシェリュバンと腕を比べて見る) 夫人 (たしなめるような口調で)それよりも、化粧部屋に行って絆創膏《ばんそうこう》を持っておいでよ。(シュザンヌは笑いながら、シェリュバンの額をつつくと、シェリュバンは両手を床につく。彼女は舞台の一隅の小室にはいる) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第七場[#「第七場」は中見出し] [#ここから4字下げ] シェリュバン(跪《ひざまず》いている) 伯爵夫人(腰かけたまま) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 夫人 (リボンを眺めながら、しばし黙っている。シェリュバンはむさぼるように夫人を見つめる)リボンの事だがね……一番|好《す》きな色のリボンだから……失《な》くなしたと思うと、口惜《くや》しかったの。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第八場[#「第八場」は中見出し] [#ここから4字下げ] シェリュバン(跪いている) 伯爵夫人(腰かけたまま) シュザンヌ [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] シュザンヌ (舞台に戻って来て)それから腕の繃帯《ほうたい》も持ってまいりましょうか?(彼女は伯爵夫人に絆創膏と鋏を渡す) 夫人 お前の衣物《きもの》を取りにゆくついでに、もう一つの頭巾のリボンを持って来てね。(シュザンヌは小姓のマントを持って奥の戸口から出てゆく) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第九場[#「第九場」は中見出し] [#ここから4字下げ] シェリュバン(跪いている) 伯爵夫人(腰かけたまま) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] シェリュバン (眼を伏せて)お取りあげになったリボンなら、直《す》ぐにも疵《きず》はなおりますのに。 夫人 リボンにどんな利き目があるの? (シェリュバンに絆創膏を見せて)この方がよく利いてよ。 シェリュバン (ためらいながら)一筋のリボンでもどなた様かのお頭《つむ》に巻かれ……玉の膚《はだえ》に触れましたものなら…… 夫人 (シェリュバンの言葉をさえぎって)……よその女《ひと》のでしょう! リボンが疵に利くようになったのかしらん? そんな効能は知らなかったわ。では試《ため》しにお前の腕に巻いたのを蔵《と》って置こうね。擦り疵でもしたら……女たちがよ……ためして見ようよ。 シェリュバン (身に沁《し》みて)奥様はリボンをお蔵《と》り置き下さいますが、この私は出発いたすのでございます! 夫人 永の別れでもあるまいし。 シェリュバン でも私は辛《つろ》うございます! 夫人 もう泣いてるのね、この児《ひと》は! あの意地悪なフィガロの辻占《つじうら》が気になるわ! シェリュバン (興奮して)ほんとに! フィガロの申した最期がくればよいのに! 今が今でも死んでお目にかけます! この口から申しあげたいことも…… 夫人 (シェリュバンの言葉をとめて、ハンケチで彼の涙を拭いてやりながら)そんなこと言うもんじゃないの、ね、そんなこと、子供ねえ! 何をとりとめのないことばかり言うの?(誰かが戸を叩く、夫人は立ち上がって)どなた、おいでになったのは? [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十場[#「第十場」は中見出し] [#ここから4字下げ] シェリュバン 伯爵夫人 伯爵(部屋の外から) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 伯爵 (外から)どうして鍵をかけたのだね? 夫人 (困って、立ち上がって)あら旦那様よ! どうしましょう!(同じく立ち上がったシェリュバンに)お前はマントも着ずに、襟《えり》も腕もはだけて! 私と二人きりで! この取り乱した風態《なり》、|恋の歌《ロマンス》まで受け取っては、旦那様のおやきもちがねえ!…… 伯爵 (外から)開《あ》けないのか? 夫人 でも、私……一人《ひとり》でございますわ。 伯爵 (外から)一人だって! では、誰と話していたんだ? 夫人 (言い逃《のが》れをしようとして)……貴方とではございませんか。 シェリュバン (傍白で)昨夕《きのう》の騒ぎも、今朝の騒ぎもあるし、私はその場でお手打ちだろう!(彼は化粧部屋の方へ駆けて行って、そこに入って、戸を締めてしまう) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十一場[#「第十一場」は中見出し] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 夫人 (シェリュバンの隠れた部屋の鍵を抜き取ってから、急いで伯爵の方の戸を開《あ》けにゆく)なんという手ちがいだろう! なんという! [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十二場[#「第十二場」は中見出し] [#ここから4字下げ] 伯爵 伯爵夫人 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 伯爵 (やや厳しい口調で)お前はいつも鍵はかけないじゃないか! 夫人 (困って)私……とり散らかして……ええ、シュザンヌ相手にとり散らかしておりまして、彼女《あれ》は今、ちょいと、自分の部屋に参りましたところ。 伯爵 (夫人をじろじろ見ながら)お前、顔も声も変っているじゃないか! 夫人 そんなこと、ちっとも不思議じゃございませんわ……そんなこと、ちっとも……ねえ、あなた……私たち貴方のことを話しておりましたの……彼女《あれ》は行ってしまいまして、今申しあげましたわね。 伯爵 わしの事を話していたのかね!……わしは心配になったので、帰って来たのだが、馬に乗ろうとすると、わしに手紙を渡した者がある、しかしそんな手紙を信用しもせんが、……それでも平気ではいられなかったのだ。 夫人 どうしてでございます?……どんなお手紙? 伯爵 断《ことわ》っておくが、わしか、お前か知らんが、なんだか……悪い奴らにとっつかれているぞ! 今日中に、邸内にはいない誰かが、お前と話をしたがっている、とわしに知らせた者がある。 夫人 そんな不躾《ぶしつけ》者があれば、ここまで来るなら来てもらいましょう。私は今日中は部屋から出ないつもりでございますからね。 伯爵 今夜の、シュザンヌの結婚にも? 夫人 何があろうとも出ません。どうも気分がすぐれませんから。 伯爵 幸い医者も来ておるし(シェリュバンは化粧部屋の中で椅子を倒す)なんだ、今の音は? 夫人 (いよいよ困って)音でございますって? 伯爵 誰かが家具をひっくりかえしたのだ。 夫人 なんにも聞こえませんでしたわ、私。 伯爵 では何かよほど心配事があるな! 夫人 心配事って! なんでございます? 伯爵 その部屋に誰かいるんだな。 夫人 まあ……誰がいるとお思いになって? 伯爵 そりゃこっちで訊《き》くことだ。わしは今来たばかりじゃないか! 夫人 それは……シュザンヌが片付けものをしているはずでございますわ。 伯爵 でもシュザンヌは自分の部屋に行ったとお前がいったじゃないか! 夫人 部屋に参りましたか……それとも、その部屋に入りましたのか、そんな事存じませんよ。 伯爵 相手がシュザンヌなら、なぜそんなに困ったような顔をしているのだ? 夫人 たかが腰元の事で私が困ることが? 伯爵 腰元の事かなんだか知らんが、困ってることは確かじゃないか。 夫人 ほんとにシュザンヌのほうが私よりもずっと貴方に御心配をかけておりますわねえ。 伯爵 (怒って)彼女《あいつ》の事が気にかかるからこそ、即刻《すぐ》にも会いたいのだ。 夫人 それはもう、度々お会いになりたいのでございましょうよ。でも、私の事でお疑《うたぐ》りになるわけはございませんわ。…… [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十三場[#「第十三場」は中見出し] [#ここから4字下げ] 伯爵 伯爵夫人 シュザンヌ(衣裳を持って、奥の戸を開ける) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 伯爵 その疑いを晴らすぐらいはなんでもない。(彼は化粧部屋の方を見ながら叫ぶ)出ろ、シュゾン、わしの命令だ!(シュザンヌは奥の寝台のある場所のそばで立ちどまる) 夫人 彼女《あれ》は裸形《はだか》も同然でございます、女どもが隠れている所をおいじめになるなんて! 彼女《あれ》につかわす御婚礼の衣物《きもの》が似合うかどうか試《ため》していたところへ、貴方のお声が聞こえたので逃げ出したのでございますよ。 伯爵 出てくるのがそれほど厭《いや》なら、せめて、話はできるだろう。(彼は化粧部屋の方をふりむいて)答えてみろ、シュザンヌ、部屋の中にいるのか?(シュザンヌは、奥にいたが、この時アルコオヴの中に飛びこんで隠れる) 夫人 (化粧部屋の方を向いて、きっぱりと)シュゾン、お答えしてはいけませんよ。(伯爵に)御無理もいいかげんにあそばせよ! 伯爵 (化粧部屋の方へさらに進んで)うむ、よし! 口がきけないなら、衣物《きもの》を着ていようが、いまいが、どうしても正体を見とどけるぞ。 夫人 (前に立ちはだかって)他のところなら、彼女《あれ》をひき留めることもできますまいが、せめて私のところだけでは…… 伯爵 わしは、わしで、今すぐ、怪しいシュザンヌの正体が知りたいのだ。お前に鍵をよこせと言っても、無駄なことはわかっているが、こんなちゃちな戸を破って中に入るぐらいは造作ない。おい、こら、誰かおらんか! 夫人 家来たちをお呼び寄せになって、つまらないお疑いから人騒がせをして、私どもまで邸《やしき》の者のもの笑いになさるのでございますか? 伯爵 よろしい。それなら、それでいいが、わしはこれから部屋に取りにゆく物がある……(彼は出てゆこうとして、また戻って)だがね、それほど厭《いや》なら、ここは万事このままにしておいて、じたばたせずに、黙《だま》って、わしと一緒に来てくれないかね?……これほどわけない事なら、まさか厭《いや》とも言えまい。 夫人 (困って)それはもう、貴方に逆らおうなんて、考えてもおりませんわ! 伯爵 あ、そうだ! 女たちの部屋へゆく戸口を忘れていた、そいつを閉めておかなければな、充分疑いが晴れるようにね。(彼は奥の戸を閉めに行って、鍵を抜きとる) 夫人 (傍白で)ああ! なんていう軽はずみだったろう! 伯爵 (夫人のところへ戻って来て)さてと、戸は閉めたから、ひとつ腕を組ませてもらいますかな。(彼は声を張りあげて)そこで、部屋の中のシュザンヌだが、暫く待っていてもらおう、わしが戻って来ると、少々迷惑をかけることになるかも…… 夫人 ほんとに、貴方は忌《いや》な事をあそばすのねえ……(伯爵は夫人を連れ出して、戸口の鍵をかける) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十四場[#「第十四場」は中見出し] [#ここから4字下げ] シュザンヌ シェリュバン [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] シュザンヌ (アルコオヴ〔寝台のある場所〕から出て化粧部屋の方へ駆け寄り、鍵孔から話しかける)開《あ》けとくれ、シェリュバン、早く開けてよ、私だよ、開けて、出ておいでよ。 シェリュバン (出て来る)ああ! シュゾン、怕《こわ》いの、怕《こわ》くないの! シュザンヌ さあ、逃げるんだよ。大急ぎだよ。 シェリュバン (怯《おび》えて)逃げるって、どこから? シュザンヌ そんなこた知らないよ、とにかくお逃げよ。 シェリュバン 逃げ道はないかなあ! シュザンヌ 先刻《さっき》の事件《こと》もあるし、こんどは捻《ひね》りつぶされるよ、私たちだって、もうおしまいだよ! 急いで、フィガロに話しておいでよ。 シェリュバン 庭向きの窓なら、そんなに高くもあるまい。(彼は窓の方へゆく) シュザンヌ (慄《ふる》えあがって)大変な高さだよ! だめだめ! ほんとに! 奥様がお可哀そうだよ! それに私の祝言だって、ああ! どうしようねえ! シェリュバン (戻って来て)窓の下は瓜畑だ、瓜|床《どこ》の一つか二つ、踏みつぶす気なら大丈夫だよ。 シュザンヌ (彼を押し留《とど》めて叫ぶ)死んだらどうするの! シェリュバン (夢中になって)輝く恋の淵瀬だ、ねえシュゾン! いいとも、奥様に御迷惑をかけるよりも飛び降りた方がいい。……だから、幸先《さいさき》のいいように、ちょいと接吻しておくれ。 (彼はシュザンヌに接吻して、窓から飛び降りようと駆け出す) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十五場[#「第十五場」は中見出し] [#ここから4字下げ] シュザンヌ (ひとり、恐怖の叫び) [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] ああっ!……(彼女は一時坐ってしまう。それから、恐る恐る窓から眺めて、戻って来る)もう遠くへ行っちまった。ほんとに! しようがない小僧さんだねえ! すばやくもあり、可愛いくもあり! あれで女ができなかったら……さあ、私があの児の代りを勤めよう、大急ぎ。(化粧部屋にはいりながら)さあさあ伯爵様、お気に召したら、戸でもなんでもお毀《こわ》し下さいまし、御返事をする男なんか、もういないないばあだ! [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十六場[#「第十六場」は中見出し] [#ここから4字下げ] 伯爵 伯爵夫人(部屋に戻って来て) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 伯爵 (手に持ったやっとこ[#「やっとこ」に傍点]を椅子の上にほうり出す)よし、万事|先刻《さっき》の通りになっている。お前に言っておくが、わしはこれからこの戸を毀《こわ》すのだがね、後《あと》の事を考えてくれよ、もう一度言うがどうだ開けてくれんかね? 夫人 まあ! いったい何がご立腹で、夫婦の間がこんなにまで変になるのでございましょう? 可愛いさあまってのお腹立ちなら、たとえ御無理でも、我慢いたしますわ、お心根に免じて、口惜《くや》しさも忘れますわ。酸《す》いも甘いも御承知の貴方がただ虚栄《みえ》からこんな事をあそばそうとは? 伯爵 愛情だろうが、虚栄《みえ》だろうが、とにかく、開《あ》けてもらおう、開けなきゃあ、わしは、直《す》ぐに…… 夫人 (伯爵の前に立ちはだかって)およしあそばせ、とお願いしているではございませんか! 妻の務めを果さぬような女とお思いになって? 伯爵 御推量に任せるが、わしは化粧部屋の中の者に会いたいのだ。 夫人 (怯《おび》えながら)では、どうぞお会い下さいまし。その代り、私の申すことも……落ちついてお聴き下さいましね。 伯爵 では、シュザンヌではないのか? 夫人 (臆しながら)とにかく、お心配あそばすような……誰でもございません……私どもは余興の稽古をしておりました……それもほんとに罪のない、今夜の催しの事で……私は誓って…… 伯爵 何を誓うのだ? 夫人 貴方のお怒りをかうつもりなどは誓って、私にしろ、相手の者にしろ。 伯爵 お前も相手も? そりゃ男か? 夫人 ほんの子供でございます。 伯爵 なんだって! 誰だそりゃ? 夫人 ちょっとでもその名を申しあげたら! 伯爵 手打ちじゃ。 夫人 とんでもない! 伯爵 いいから、話せ! 夫人 あの、幼い……シェリュバン…… 伯爵 シェリュバンか! 不届きな奴め! 怪しいとは思っていたが、それで手紙の意味も読めたぞ。 夫人 (両手を組み合せて)まあ! そんな事をお疑いにならないで…… 伯爵 (じだんだ踏んで、傍白で)どこへでも出しゃばるいまいましい小姓めが!(正白で)さあ、開けろ、もうすっかりわかった。今朝、彼奴《きゃつ》に暇を取らせた時のお前の感動の仕方、わしの命令一下、彼奴は出発しているはずではないか。シュザンヌの事で何もお前が偽言《うそ》をつくにも当らぬし、何かやましい事がなければ、念入りにあの小姓めを庇護《かくま》うにも及ばぬじゃないか。 夫人 あの児《こ》は貴方の前に出まして、御機嫌を損なうのを恐れたのでございます。 伯爵 (われにもあらず、化粧部屋の方を向いて、どなる)さあ、出てこい、見下げ果てた小僧め! 夫人 (伯爵のからだを抱くようにして遠ざけながら)ああ! 貴方、そんなにお怒りになっては、あの児が可哀そうでございます。どうか、あらぬお疑いだけはお止《よ》しになって! それにあの児の取り乱した姿をご覧になっても…… 伯爵 取り乱した! 夫人 申しわけございません! 女の風俗《なり》をさせようと存じて、私の帽子をかぶせて、胴衣だけで、マントも着ずに、襟もはだけ、腕も露《あら》わになって、これから衣裳をつけて見ようと…… 伯爵 その癖、お前は部屋に引き籠っていようとしたのだ! 不貞の妻だ! ふん! 永く……引き籠ってもらおう、だが、取り敢えず、無礼者めを追い払って、二度と姿を現わさぬようにしてやろう。 夫人 (跪《ひざまず》いて、両手を上げて)貴方、子供でございますから、お助け下さいまし、わたしゆえ……と思えば諦めかねます。 伯爵 その怯《おび》え方がなお彼奴《きゃつ》の罪を重くするぞ。 夫人 あの児に罪はございません、もう出発いたすところを、私が呼び寄せましたので。 伯爵 (怒って)立ちあがって、そこ退《ど》いてくれ……お前もあだし男を庇護《かば》って、わしにものを言うとはずぶとい女だな! 夫人 それでは退《ど》きましょう、立ち上がりもいたしましょう、化粧部屋の鍵までもお渡しいたしましょう、それにしても、万が一、私を愛して下さいますなら…… 伯爵 わしの愛情を、不届きな! 夫人 (立ち上がって、鍵を渡しながら)どうぞ、あの児《こ》をお呵責《いじめ》にならずに暇を出す、とお約束願います。それから後でお気が晴れませんでしたら、どんなに私をお叱りになっても構いません…… 伯爵 (鍵を受け取って)何も聞きたくない。 夫人 (ハンケチを眼に当てて、肱掛《ひじかけ》椅子に身を投げかけて)ああ、どうしたらいいだろう! あの児の命も危ないのに! 伯爵 (戸を開けて、退く)やっ、シュザンヌだ! [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十七場[#「第十七場」は中見出し] [#ここから4字下げ] 伯爵 伯爵夫人 シュザンヌ [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] シュザンヌ (笑いながら出て来る)手打ちじゃ、手打ちじゃ! どうぞお手打ちに、このいやな小姓めを。 伯爵 (傍白で)いやはや! なんのまねだ!(呆気《あっけ》にとられている伯爵夫人を眺めながら)それに、お前までびっくり仰天の芸当か?……だが、その部屋には、シュザンヌ一人ではなかろう。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十八場[#「第十八場」は中見出し] [#ここから4字下げ] 伯爵夫人(腰かけたまま) シュザンヌ [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] シュザンヌ (夫人のそばに駆け寄って)しっかりあそばせよ、もう遠くへ逃げてしまいました、飛び降りまして…… 夫人 ああ! シュゾン! 私は生きた心地はなかったよ! [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十九場[#「第十九場」は中見出し] [#ここから4字下げ] 伯爵夫人(腰かけたまま) シュザンヌ 伯爵 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 伯爵 (恐縮の面持で化粧部屋から出て来る。暫し無言ののち)誰もいない、わしは相|済《す》まんことをしたな。いや、令夫人……お前もなかなか芝居が上手だな。 シュザンヌ (陽気に)殿様、私はいかが?(伯爵夫人は気分を取り直すために、ハンケチを口に当てて、何も言わぬ) 伯爵 (夫人に近寄って)どうしたのだ! 座興だったのかね? 夫人 (やや気分を取り直して)座興ではいけません? 伯爵 悪戯《わるふざけ》にも程がある! それもどういうつもりかちょっと伺いたいね?…… 夫人 そうおっしゃる貴方の御乱行が赦《ゆる》せますか? 伯爵 名誉にもかかわることを乱行と言えるかね! 夫人 (だんだん調子が確かになって)貴方はお勝手につれなさとお嫉妬《やきもち》の使い分けをなさいますが、私だけが、いつまでも、妻としてそんな気まぐれに従わなければいけませんの? 伯爵 いや! それは、つれない言葉だ。 シュザンヌ 奥様がお留《と》めになっても、大きなお声で衆《みんな》をお呼びになりましたわねえ。 伯爵 そのとおり、こりゃわしが謝《あやま》らずばなるまい……このとおり謝る、少々逆上していた!…… シュザンヌ 少々御逆上あそばしただけの事はございましたわねえ。 伯爵 (シュザンヌに)わしが呼んでもなぜ出てこなかったのだ、不届きな? シュザンヌ ピンを何本も使いまして、お初《はつ》の衣裳を試《ため》しておりましたのでございますもの、それに奥様が“出てきてはいけないよ”とおっしゃるのが当然じゃございませんか。 伯爵 わしの欠点《あら》ばかり洗い立てずに、少しは奥方を慰めてくれんか。 夫人 いえいえ、こんな辱《はずか》しめは取り返えす道はございません。私はユルシュリイヌの尼寺にはいります、もうそういう時なのでございますから。 伯爵 なんの未練もなく、そんな事ができるのかね? シュザンヌ 私にはわかっております、御出発のその日がお涙にくれる夜でございましょうよ。 夫人 ああ! シュゾン、その門出も何時《いつ》にしようねえ? 恥をかいて旦那様をお赦しするよりもお別れして泣いた方がいいねえ、こんなに呵責《いじめ》られて。 伯爵 これ、ロジイヌ!…… 夫人 もう私はロジイヌではございません、昔はあれほどお慕い下すったのにねえ! 私は憐れなアルマヴィヴァ伯爵夫人、もう愛しては頂けない、捨てられた、悲しい妻でございます。 シュザンヌ まあ奥様! 伯爵 (懇願して)赦してくれ! 夫人 私を赦すお心もちは、ちっとも持っていらっしゃらないくせに。 伯爵 それにしても、あの手紙で……わしは血迷ったよ! 夫人 ですから私はそんな手紙を書いてはいけないと申しましたのに。 伯爵 ではお前は、あの手紙の事を知っていたのかね? 夫人 それは、あの軽はずみなフィガロが…… 伯爵 あいつめが? 夫人 その手紙をバジルに渡して。 伯爵 ところがバジルはさる百姓から手に入れたと申したぞ。うむ、不埒《ふらち》な歌|唄《うた》いめ、あの内股《うちまた》・膏薬《こうやく》! 思い知らせてやるからそう思え。 夫人 貴方は御自分勝手にお詫《あやま》りになりますけれど、他人はお赦しになりませんのね、どうせそうでございましょう、殿方は! そこで、この手紙の事で貴方のお思い違いをお赦し申すぐらいなら、一層、誰も彼も御赦免という事に願いますわ。 伯爵 よろしい、承知した。しかし、わしに恥をかかせた始末はどうしてくれる? 夫人 恥をかかされたのはお互いじゃございませんか。 伯爵 だがね! わしだけに言ってもらいたい! ぜんたい、女というものは、どうしてそんなにすばやく、そんなにうまく、その場その場の顔つきや声色《こわいろ》ができるのだろう。お前は赤くなったり、泣いたり、顔まで変ってしまって……全く、今でも、そうだ。 夫人 (無理に笑って)赤くなりましたとも……貴方のお疑いを受けたのが口惜《くや》しくって。とにかく、殿方は、身に覚えのない恥の口惜しさと、御|尤《もっと》もなお咎《とが》めの恥かしさとの区別がおできになるほどお目が利いておりましょうか? 伯爵 (笑いながら)それにしても、あの小姓の取り乱した、胴着だけで裸《はだか》も同然な…… 夫人 (シュザンヌを指して)その小姓が前におりますわ。もう一人の小姓よりもこの小姓がいた方がお気に召したでございましょう。いつでも、この小姓にお会いになるのはお厭《いや》じゃございませんもの。 伯爵 (さらに勢いよく笑って)それに、あの拝むような頼み方、あの空《そら》|なみだ[#「なみだ」に傍点]が…… 夫人 笑わせようとなすっても、笑いたくはございませんよ。 伯爵 我々も政治はいささか心得ていると思っていたが、実は子供だな。お前のような夫人こそ、国王はロンドンの大使としてお遣《つか》わしになるべきだ! これほどうまく演《や》るには、女というものは表面《うわべ》を作るにはよほど肝胆《かんたん》を砕くにちがいないなあ! 夫人 それは殿方がそうおさせになるのですわ。 シュザンヌ 私ども女にほんの少しの自由でもお与え下されば、女でも立派な人間になれますでございましょうよ。 夫人 まあこの話はそれだけにいたしましょうね、あなた。私も言いすぎたかも、ね。でも、こんな重大な場合でも、私は大目に見ましたから、あなたも寛大になさらなければ、ねえ。 伯爵 それなら、お前も、もう一度赦すと言ってくれ。 夫人 私、赦すなんて言って、シュゾン? シュザンヌ 聞こえませんでございましたよ、奥様。 伯爵 さあさあ! 赦すと一言《ひとこと》。 夫人 その資格がおありになって? ひどい方。 伯爵 あるとも、後悔しているじゃないか。 シュザンヌ 奥様のお化粧部屋に誰か男がおりはせぬか、なんて、ねえ! 伯爵 ひどいお小言《こごと》を頂戴したじゃないか! シュザンヌ 奥様が腰元だといっていらっしゃるのに、お信じにならないなんて! 伯爵 ロジイヌ、ではどうしても赦してくれないのかね? 夫人 ほんとに! シュゾン、私は弱いのね! 悪いお手本ね! (伯爵に手を差しのべて)女が怒っても、誰も本気にいたしますまいよ。 シュザンヌ ほんとに、ねえ、奥様、殿方相手ではいつもこんな事になるのでございましょうか? (伯爵は熱意をこめて夫人の手に接吻する) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第二十場[#「第二十場」は中見出し] [#ここから4字下げ] シュザンヌ フィガロ 伯爵夫人 伯爵 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] フィガロ (息せききって駆けつけて)奥様が御気分がお悪いそうで。大急ぎで参りましたが……何事もございませんのが何よりで。 伯爵 (そっけなく)いやに用意周到だな。 フィガロ さ、それが私の務めで。そこで、何事もございませんのを幸い、ちょうど若い御家来どもが、男も女も、ヴァイオリンと袋笛《ふくろぶえ》を持ちまして、お許しのあり次第、私が許嫁《いいなずけ》を連れて参りますのを階下《した》で待ちながら、一緒に乗り込もうというわけで…… 伯爵 では邸《やしき》では誰がわしの家内を見守ってくれるのだ? フィガロ 奥様のお守りを! もう御病気ではございませんよ。 伯爵 病気ではないがね。しかし、もう邸《やしき》にはいない怪しい奴が、家内に相談があるはずだろう? フィガロ お邸におりませぬ男と申しますと? 伯爵 お前がバジルに渡した手紙の主《ぬし》だ。 フィガロ 誰がそんな事を申しました? 伯爵 不届き者め! わしがそれを知らずとも、お前の顔にすでに嘘つきと書いてあるのが証拠だ。 フィガロ そうときまれば、嘘をついたのは私ではなくて、顔でございますね。 シュザンヌ いいかげんにおしよフィガロ、もの言えば唇寒し負け軍《いくさ》だとさ。あたし達が皆言っちまったんだよ。 フィガロ 何を言ったんだ? バジルと一緒にされちゃ堪《たま》らねえ! シュザンヌ 殿様がお帰りになると、そのお化粧部屋には小姓がもぐり込んでいるってことを殿様がおわかりになるように先刻《さっき》お前が手紙を書いたってことさ、ところがそのお部屋には私が隠れていたんだよ。 伯爵 何か言う事があるのか? 夫人 もう何も匿《かく》すことはないのよ、フィガロ、悪戯《いたずら》はすんでしまったの。 フィガロ (意味を読もうと努めて)悪戯は……すみました、と? 伯爵 うん、すんだのだ。何か言いたいことがあるのか? フィガロ 私は、と! つまり、その……私の祝言のお話ぐらいあってもよさそうなものだと申しあげたいので、で、その事をお命じ下さいますれば…… 伯爵 では結局、手紙の一件はお前も認めるのだね? フィガロ 奥様の御意《ぎょい》で、シュザンヌの望みで、殿様までもそう思召《おぼしめ》すものなら、私も認めましょう、でございますが、もし私が殿様でしたら、こんな埒《らち》もない事は一言も本気にはいたしませんね。 伯爵 証拠があってもまだ嘘を申すのか? そうなると、俺も怒るぞ。 夫人 (笑いながら)まあね! どうせこんな男でございますよ! 一度だって、本当の事を言うとお思いになって? フィガロ (低声《こごえ》で、シュザンヌに)あの児に危《あぶな》いと知らせなけりゃなるまい、俺も男だ、やれるだけはやってやろう。 シュザンヌ (低声で)お前、あの児に会ったのかい? フィガロ (低声で)今でも慄《ふる》えあがってらあ。 シュザンヌ (低声で)ほんとに! 可哀そうだね! 夫人 さあ、あなた、この二人は一緒になりたくって堪《たま》らないのでございますから、待ちきれないのも無理はございませんわ! 帰って、式にいたしましょう。 伯爵 (傍白で)それにしてもマルスリイヌは、マルスリイヌ……(正白で)わしも、せめて衣物《きもの》でも着更《きか》えよう。 夫人 家来の式のために! 私までも着更えますの? [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第二十一場[#「第二十一場」は中見出し] [#ここから4字下げ] フィガロ シュザンヌ 伯爵夫人 伯爵 アントニオ [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] アントニオ (生酔いで、においあらせいとう[#「においあらせいとう」に傍点]の破損した鉢を持って)御前様! 御前様! 伯爵 何んだ、アントニオ? アントニオ 私の受持の畑の上の窓に、是非とも格子をお嵌《は》めになって下さいまし。窓からなんでもかんでも投げ出しますんで、今しがたも、人間を一匹ほうり出しましてね。 伯爵 あの窓からか? アントニオ ご覧下さいまし、草花がこんなになってしまいました。 シュザンヌ 危《あぶな》い、フィガロ、危いよ! フィガロ 殿様、此奴《こいつ》は朝っぱらからへべれけ[#「へべれけ」に傍点]でございますよ。 アントニオ お前《めえ》の知ったこっちゃねえや。二日酔いがちょっぴり残ってるんだ。このとおり、人間て奴はお先き真暗《まっくら》な……見当をつけます次第で。 伯爵 (熱心に)窓から降《ふ》ってきたその男! そやつはどこにいる? アントニオ どこに? 伯爵 どこにだ。 アントニオ そこを私は伺ってるんでございますよ。そやつに早く会いたいんで。私は殿様の下男で、お庭の世話を一切いたしておりますのに、そこに人間が降《ふ》って参るようでは、私の評判にけち[#「けち」に傍点]がつくわけでございましょう。 シュザンヌ (低声《こごえ》で、フィガロに)ごまかしておしまいよ、ごまかして! フィガロ お前なんざあ、年がら年じゅう酔っぱらっているんだろう。 アントニオ 酒でも飲まなきゃ、気が狂わあ。 夫人 でも、そんなに、欲しくもないのに飲んでは…… アントニオ 欲しくもないのに酒を喰らい、年がら年中|色三昧《いろざんま》てのが、ねえ奥様、これすなわち、人間と畜生とのけじめ[#「けじめ」に傍点]でござい。 伯爵 (強く)なんとか答えないと、暇を取らせるぞ。 アントニオ ではお暇が出るのでございますかね? 伯爵 何が不思議だ? アントニオ (自分の額に指を当てながら)そりゃもう、殿様がこんな良い下男をお邸《やしき》に置いて下さらなくっても、私はこんな良い殿様を叩《たた》き出すほど間抜けじゃございませんよ。 伯爵 (怒って、庭師をこづいて)とにかく、あの窓から人間をほうりだしたのだろう、なあ? アントニオ さようでございますとも、殿様、たった今しがた、白い胴着を着た奴でね、いや全く、一目散に逃げ出しまして。 伯爵 (待ちきれずに)それから、どうした? アントニオ それから追っ駆けようといたしましたがな、鉄格子に厭てほど手をぶっつけましたので、この指の後足も前足も動かなくなっちまいまして。(手を挙げて見せる) 伯爵 せめて、どんな男だったぐらいはわかったろう? アントニオ そりゃ、もうそうで……もし相手を見ますればね。 シュザンヌ (低声で、フィガロに)見えなかったんだよ。 フィガロ たった一鉢の草花で大騒ぎをするぜ! 泣き上戸め! そんな花なんか幾らかかるんだ? 殿様、下手人をお探《さが》しになっても無駄な話で、窓から飛び降りたのは私でございますよ。 伯爵 何、お前か! アントニオ 泣き上戸め、幾らかかるって? じゃあ、お前《めえ》さんのからだ[#「からだ」に傍点]は飛び降りてから厭《いや》に寸が伸びたんだな、俺の見たのはもっと小さくって細っそりした奴だったがね。 フィガロ 当り前《めえ》よ、誰だって飛び降りる時にゃからだ[#「からだ」に傍点]を縮《ちぢ》めらあ…… アントニオ 俺の見たのは、どうやら……あの痩《や》せっぽちの小姓のようだったが。 伯爵 シェリュバンだと言うのか? フィガロ 違《ちげ》えねえ、セヴィラの門《もん》から、わざわざ馬に乗って帰って来て、今ごろはまたセヴィラに着いているだろう。 アントニオ 俺は何もそんな事いってるんじゃねえよ、そんな事。馬から飛び降りたところを見たんじゃねえよ、見たら見たと言わあ。 伯爵 じりじりしてくるわい! フィガロ 実は私はお局《つぼね》におりました、白い胴着だけ着まして、暑うございましたので! お局で、私は可愛いいシュザンヌを待っておりますと、その時、にわかに殿様のお声と騒がしい物音が聞こえたのでございます! あの手紙の事を考えますと、なんだが急に怕《こわ》くなってしまいまして、今から思えば馬鹿な話でございますが、前後不覚で畑の上に飛び降りましたので、右の足まで少々踏み違えましてね。(足を擦《こす》って見せる) アントニオ お前《めえ》さんが飛び降りたのなら、この紙片《かみきれ》はお前さんに返さなくちゃならねえ、飛び降りたとたんに胴着から落ちたんだからね。 伯爵 (その紙片に飛びついて)こっちによこせ。(紙片をひらいてみてから、ふたたび畳む) フィガロ (傍白で)失敗《しま》った。 伯爵 (フィガロに)いくら怕《こわ》がってもこの紙片に何が書いてあるか、これがどうしてかくし[#「かくし」に傍点]に入れてあったかぐらい、まさか忘れはしまいな? フィガロ (困って、かくし[#「かくし」に傍点]の中を探って様々な書類をひき出す)忘れるどころか……しかし、たくさん持っておりますので、何から何までぴったり合わせるとなると……(一枚の紙片を眺めながら)これは、と? こいつはマルスリイヌからの恋文で、四ページばかり、良い手紙でございますよ!……こっちのほうはただいま入牢しておりまする例の密猟者の請願書でございますかな?……いや、これだ……別のかくし[#「かくし」に傍点]には御別邸の家具の勘定書があったんでございますがね。(伯爵は手に持っている紙片をまたひらく) 夫人 (低声で、シュザンヌに)あら! 大変! シュゾン、シェリュバンの辞令よ。 シュザンヌ (低声で、フィガロに)お前|失《な》くなしたんだろ、あの辞令だよ。 伯爵 (紙片を畳んで)どうだ! 策略《やりくり》先生、この紙片がわからんかね? アントニオ (フィガロに近寄って)殿様がな、これがわからないか? ってよ。 フィガロ (アントニオを押し返して)煩《うる》せえな、この野郎、面《つら》を突き出して、つべこべと! 伯爵 この書類がなんだか忘れたかね? フィガロ あっはっははあ! 大失敗《おおしくじり》、あの小僧っ子の辞令でござんしょう、彼奴《きゃつ》から受け取って、返すのを忘れましてね。おっほっほほお! うっかりしておりました! 辞令を持たずに、彼奴はどうするつもりでございましょう? これから大急ぎで…… 伯爵 どういうわけで、彼奴は辞令をお前に渡したのだ? フィガロ (困って)それは、彼奴が……ちょっとした手続きをしてもらいたいと申しまして。 伯爵 (紙片を眺めて)手続きに不足はないが。 夫人 (低声に、シュザンヌに)封印が。 シュザンヌ (低声にフィガロに)封印が無いんだよ。 伯爵 (フィガロに)答えられないのか? フィガロ それは……結局、ちょっとした事が欠けておりますので、彼奴が掟《きま》りは掟りだから、と申しまして。 伯爵 掟《きま》り! 掟り? なんの掟りだ? フィガロ 書類に御紋所の御印形《ごいんぎょう》を押しますので、もっともそれも、どうでもよろしいようなものの。 伯爵 (紙片をまたひらいてみてから、怒って紙片を揉みくちゃにして)そうか、俺には何もわからんように仕組んであるのだな。(傍白で)フィガロが皆を操っているのだ。今に敵《かたき》をとってやるからそう思え。(伯爵は憤然として出て行こうとする) フィガロ (伯爵を押しとどめて)私どもの祝言のお許しもお与え下さらずに御退出でございますか。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第二十二場[#「第二十二場」は中見出し] [#ここから4字下げ] バジル バルトロ マルスリイヌ フィガロ 伯爵 グリップ・ソレイユ 伯爵夫人 シュザンヌ アントニオ 伯爵の召使い 家臣達 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] マルスリイヌ (伯爵に)殿様、そのお許可《ゆるし》はお控え願います! フィガロにその恩典をお与えになる前に、まず御裁判を願わなければなりません。フィガロと私の間には数々の約束事がございます。 伯爵 (傍白で)仇討ちの味方がきたぞ。 フィガロ 数々の約束事? どういう筋ですかね? わけ[#「わけ」に傍点]を言ってもらいましょう。 マルスリイヌ ええ、ええ申しますとも、嘘言者《うそつき》!(伯爵夫人は肱掛椅子に坐り、シュザンヌはその後ろに控える) 伯爵 どういう事件なのかね、マルスリイヌ? マルスリイヌ 夫婦の約束でございます。 フィガロ たかが証文|一札《いっさつ》で、それも借金の証文でございますよ。 マルスリイヌ (伯爵に)私と夫婦になるという条件付きの借金でございます。殿様はお身分の高いお方でいらっしゃいますし、この郷《くに》一の判官でもいらっしゃいますし…… 伯爵 法廷に出頭するがよかろう、凡ての者の黒白を正すが職務だからな。 バジル (マルスリイヌを指して)そういう事になりますれば、閣下は私がマルスリイヌに求婚を致す事もお認め下さいましょうか? 伯爵 (傍白で)こんどは手紙の下手人が出てきたな。 フィガロ 同じ穴の気狂いがまた一匹か! 伯爵 (怒って、バジルに)お前の権利! 求婚の権利とは! よくもわしの前で大きな口が利けるな、たわけ者め! アントニオ (手を叩きながら)しょっぱなからうめえ名をもらったもんだ。たわけ先生に違《ちげ》えねえ。 伯爵 マルスリイヌ。お前の権限を審判するまでは凡ての事件を中止することとしよう。裁判は評定の広間で公開することにする。ところで信頼すべき君子バジル、お前は街に行って法廷の係の者どもを連れて来い。 バジル フィガロの事件でございますか。 伯爵 のみならず、お前に手紙を渡した百姓も連れてこい。 バジル 私がさような者を存じておりましょうか? 伯爵 口答えするのか? バジル 私は雑用をいたすためにお邸《やしき》に御奉公いたしたわけではございません。 伯爵 ではなんのためだ? バジル 村の教会の歴《れき》としたオルガン演奏者として、奥様にはクラヴサンを、腰元たちには歌を、小姓どもにはマンドリンを教え、特に私の受持ちといたしましては、殿の御意《ぎょい》次第、ギタを弾じてお客人をお慰めいたす事でございます。 グリップ・ソレイユ (進み出て)殿様、私でよろしければ、行って参りましょう。 伯爵 お前の名前と役目は? グリップ・ソレイユ 名はグリップ・ソレイユ、山羊《やぎ》の番人も勤めますし、花火のほうの係でもございます、今日はお邸うちのお祝いもございますし、やたらに喋《しゃべ》る裁判官たちの住所《すまい》も知っております。 伯爵 その忠勤ぶりが気に入った。では行け。(バジルに向って)だがお前、ギタを弾《ひ》きながらグリップ・ソレイユの伴《とも》をして、道々歌を唄《うた》ってなぐさめてやれ。この小僧はわしの客人だ。 グリップ・ソレイユ (喜んで)いやあ! この俺がお客……?(シュザンヌは手でグリップ・ソレイユを制して、伯爵夫人の前であることを知らせる) バジル (驚いて)私が弾きながらグリップ・ソレイユのお伴とは……? 伯爵 それが役目ではないか。行け、厭《いや》なら、暇を遣《つか》わすぞ。(伯爵退出) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第二十三場[#「第二十三場」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前場の役者一同、ただ、伯爵を除く。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] バジル (独語して)やれやれ! 鉄《かね》の壺とは喧嘩もできまい、俺なんかはどうせ…… フィガロ (傍白で)土《どろ》の瓶《かめ》だからな。 バジル (傍白で)奴らの婚礼を助ける奴があるものか、俺は俺でマルスリイヌとの縁組を固めるとしよう。(フィガロに)おい、結論を急いで、俺がもう帰ってこないなどとは思うなよ。(彼は奥の椅子の上にあるギタを取りにゆく) フィガロ (バジルの後をつけながら)結論が聞いて呆れらあ! もう二度と帰ってこられなくなっても、びくびくするなよ……あんまり歌を唄《うた》いたそうな面構えでもないぞ、俺が皮切りに唄ってやろうか?……いいか、やるぞ、許嫁のために景気よく、高らかになあ。(彼は次のようなエスパニヤの短い歌を唄いながら踊り、後じさりに退出する、バジルが伴奏し、他の者どもがバジルに従う) [#ここから4字下げ] 宝の山よりシュゾンの分別 貰《もら》いたいのが此方《こっち》の所存 ぞん ぞん ぞん ぞん ぞん ぞん ぞん ぞん ぞん ぞん ぞん ぞん 惚れた女子《おなご》の可愛いさに 知恵を借すのが男の一存 ぞん ぞん ぞん ぞん ぞん ぞん ぞん ぞん ぞん ぞん ぞん ぞん [#ここから9字下げ] (音が遠ざかり、後は聞こえなくなる) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第二十四場[#「第二十四場」は中見出し] [#ここから4字下げ] シュザンヌ 伯爵夫人 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 夫人 (肘掛《ひじかけ》椅子に坐って)それごらん、シュザンヌ、お前のフィガロの軽はずみであんな手紙を書くものだから、とんでもない騒動になってしまったのね。 シュザンヌ ほんとに奥様、私がお化粧部屋からお居間に入って参りました時のお顔を鏡でご覧になりましたら! にわかに真蒼《まっさお》におなりになりますと、その蒼《あお》さが雲のように消えて、こんどは段々、真赤に、真赤に、真赤におなりになって! 夫人 それで、あの児は窓から飛び降りたの? シュザンヌ 思いきりよく、良い子でございますね! ひらりとばかりに……蜜蜂のように! 夫人 ほんに! あの厭な庭師がねえ! あんまり胸がどきどきして考えがまとめられなかったの。 シュザンヌ まあ! そうは思えませんでございますよ。あれで私は、上《うえ》つ方《がた》の御流儀が立派な奥様方に、ああも楽々と底を割らずに嘘をつかせるものだということがわかりました。 夫人 旦那様がその手にのる方だと思って? もしあの児を邸内でお探し出しになったら! シュザンヌ よくあの児《こ》を囲《かくま》うように頼んで参りましょう…… 夫人 あの児は発《た》った方がいいよ。もう、こうなってからは、お前の代りにあの児をお庭にやる気になれないじゃないか。 シュザンヌ 私だって、もう参りませんよ。そうなれば私の祝言もまた変なことに…… 夫人 (立ち上がって)それでは……あの児やお前の代りに、私が自分で行ってみたら! シュザンヌ 奥様が? 夫人 そうすれば、誰にも迷惑はかけまいし……旦那様だって御乱行の弁解はできないでしょう……あのお嫉妬《やきもち》にお灸《きゅう》を据《す》えて、お不実ぶりを思い知らせれば、それこそ……ねえ、そうしようよ、手始めの首尾が良かったので、二度目をやってみる勇気が出たわ。でも、これだけは誰にも内緒…… シュザンヌ では! フィガロだけに。 夫人 だめ、だめ、自己流を出したがるから……あの露台《テラス》で、とっくり考えてみるから、天鵞絨《ビロード》の仮面《マスク》と杖を持ってきてね。(シュザンヌは化粧部屋に退く) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第二十五場[#「第二十五場」は中見出し] [#ここから4字下げ] 伯爵夫人(ただ独り) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 夫人 私のもくろみ[#「もくろみ」に傍点]もずいぶん大胆だこと! (振り返って)あら! リボン! 私の佳《い》いリボンね! お前を忘れていたのよ!(肱掛椅子の上にあるリボンを手に取って)もうどこにも去《い》っちゃ、いやよ……お前を見ると先刻《さっき》の騒動を思い出してよ、あの児、可哀そうだったわねえ……ほんとに伯爵様、貴方は、なんという事をあそばしましたの? でも、そういう私は、今は何をしているのでしょう? [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第二十六場[#「第二十六場」は中見出し] [#ここから4字下げ] 伯爵夫人 シュザンヌ(伯爵夫人はそれとなく、リボンを胴着の中にかくす) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] シュザンヌ では、お杖と仮面《マスク》。 夫人 いいかい、この事は一言《ひとこと》もフィガロに言ってはいけませんよ。 シュザンヌ (上機嫌で)奥様のおもくろみ[#「もくろみ」に傍点]はほんとに面白うございますわ! 私も今考えてみまして、何から何まで、方《かた》がついて、鳧《けり》がついて、纏《まとま》りがついて、もうどんな事が起こりましても、私の祝言は大丈夫でございますねえ。(シュザンヌは夫人の手に接吻する。両人退出) [#ここから地から2字上げ] [#ここから1字下げ] 幕間に、召使いたちは評定の間《ま》をしつらえる。弁護士用の背付の腰掛け二脚を舞台の両側に置いて、うしろは人の通れるようにする。舞台の中央には踏み段二つある台を据える、その台の後方に伯爵の大椅子を置く。舞台前面の横に書記用の卓と腰掛け、伯爵の台の両側にはブリドワゾン[#「ブリドワゾン」は底本では「ブリドアゾン」]およびその他の裁判官たちの席を設ける。 [#ここで字下げ終わり] [#ここで字上げ終わり] [#改ページ] [#3字下げ]第三幕[#「第三幕」は大見出し] [#ここから地から2字上げ] [#ここから1字下げ] 舞台は玉座の間と呼ばれる広間となり、評定の間に使用される。広間の一方には天蓋《てんがい》があって、その下に国王の肖像。 [#ここで字下げ終わり] [#ここで字上げ終わり] [#5字下げ]第一場[#「第一場」は中見出し] [#4字下げ]伯爵 ペドリイユ(詰襟《つめえり》の上衣をつけ、長靴をはき、一通の封書を持っている) [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 伯爵 (急ぐ口調で)わかったか? ペドリイユ はっ、承知いたしました。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第二場[#「第二場」は中見出し] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 伯爵 (ただ独り、叫ぶ)ペドリイユ! [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第三場[#「第三場」は中見出し] [#4字下げ]伯爵 ペドリイユ(再び戻って来て) [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] ペドリイユ 閣下、御用は? 伯爵 誰にも見つからなかったか? ペドリイユ 誰にも。 伯爵 野馬に乗って行けよ。 ペドリイユ 鞍を置きまして、野菜畑の鉄格子につないでございます。 伯爵 しっかりやれ、一息《ひといき》でセヴィラまでとばすのだ。 ペドリイユ せいぜい三里で、道もよろしゅうございます。 伯爵 宿に着いたら、小姓が来たかどうかを探《さぐ》ることだ。 ペドリイユ いつもの宿でございますか? 伯爵 そうだ、特にいつから来ているかを探れよ。 ペドリイユ よろしゅうございます。 伯爵 彼奴《きゃつ》に辞令を渡したら、直ぐ帰って来い。 ペドリイユ もし参っておりませんでしたら。 伯爵 なお急いで帰って来て、報告しろ。行け。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第四場[#「第四場」は中見出し] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 伯爵 (何か考えながら歩く)バジルを遠ざけたのはいかにも拙《まず》かったな!……短気は損気だ。――バジルからあの手紙を受け取ったが、それには伯爵夫人の身の上に何か事が起こると知らせてあった。俺《わし》が帰った時には、腰元が化粧部屋に閉じこめられていた。妻は怯《おび》えていた、嘘か本当かわからんが。ある男が窓から飛び降りた。すると、もう一人の男が、後から、飛び降りたのは自分だと言うが、それが自白とも……強弁《いいわけ》ともとれるし、……そこで考えの手づるが切れてしまう。そこに何か怪しいことがあるぞ……家来どもの勝手|気儘《きまま》はなにほどの事があろう、とるに足らぬ者どもだ。だが、万一、伯爵夫人に、無礼な奴が手でも出したら……俺は血迷っているのかな? いや全く、神経が興奮すると、日ごろは立派な思考力も夢のように他愛がなくなるものだなあ! 妻は慰み事をしていたが、あの苦しそうな絶叫《さけびごえ》、あの匿《かく》しきれぬ喜悦《よろこび》! あれが女のたしなみなのか、ところで、俺の名誉を……どうしてくれるのだ! それはそれとして、この俺はどうした事だ? あのシュザンヌのお茶っぴいめが俺の秘密を喋《しゃべ》ったのかな?……フィガロはまだ彼奴《あいつ》の亭主ではないのだからな……ぜんたい、どうしてこの浮気がやめられないのだろう? もう幾度も諦めようとは思ったのだが……どっちつかずの心持ちは変なものだなあ! もし文句なしにあの女が思いどおりになるなら、これほど執心もしないだろうに。――フィガロの奴、いやに待たせるなあ! うまく彼奴《あいつ》に探《さぐ》りを入れて(フィガロは舞台奥に現われて、立ちどまる)それから、話し合っているうちに、俺がシュザンヌを想っている事を彼奴《あいつ》が知っているかどうか、それとなくわかるように努めてみよう。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第五場[#「第五場」は中見出し] [#4字下げ]伯爵 フィガロ [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] フィガロ (傍白で)ふふん、なあるほど。 伯爵 ……万一、フィガロが、例の一件で、シュザンヌから一言《ひとこと》でも聞いていたら…… フィガロ (傍白で)そんな事ではないかと思っていましたよ。 伯爵 ……フィガロにはマルスリイヌ婆《ばば》を娶《めあわ》せてやろう。 フィガロ (傍白で)そりゃバジル先生の色恋沙汰でござんしょう? 伯爵 ……そうしておいてから、若い女《やつ》を始末《しまつ》することとしよう。 フィガロ (傍白で)へえ! 私の女房をですかい、なにぶんよろしく。 伯爵 (振り返って)えっ? 何? どうしたのだ? フィガロ (進み出て)私でございますが、何か御用で。 伯爵 なんだかぶつぶつ言っていたなあ?…… フィガロ 別になんとも申しませんが。 伯爵 (フィガロの言葉を繰り返して)私の女房? なにぶんよろしく、とは。 フィガロ それは……私の返事の終いの文句で、なにぶんよろしく、俺の女房に言ってくれ、と申しましたので。 伯爵 (歩きながら)彼奴《あいつ》の女房か!……俺《わし》がお前に来てもらいたいのに、何をぐずぐずしていたのだ? フィガロ (衣紋《えもん》をひきつくろうふりをして)あの苗床に飛び降りまして、泥だらけになりましたので、着更えておりました。 伯爵 一時間もかかるのかね? フィガロ 相当にかかるもんでございますよ。 伯爵 ここの邸《やしき》では召使いの方が……主人よりも衣物《きもの》を着更えるのに手間がかかるなあ! フィガロ そりゃ、召使いには助けてくれる小者がおりませんでございますからね。 伯爵 ……どうも俺《わし》には、お前が無用な危険を犯してまで、飛び降りなければならなかったのか、わけがわからんのだが。 フィガロ 危険どころか! 危《あやう》く生き埋めになるところでございましたよ…… 伯爵 誑《たぶら》かされるふりをしながら、この俺《おれ》を誑かそうとするのだな。狡猾《ずる》い奴め! 俺《わし》の気にかかるのは、危険ではなくて、飛び降りた動機《わけ》だということはよく知っているくせに。 フィガロ 間違った知らせをお信じになって、えらい御立腹でお駆けつけになり、モレナ河の早瀬のように、なんでもかんでもお倒しになって、一人の男を理が非でもお探《さが》しになるか、それとも、戸口を毀《こわ》して中仕切りをお破りになるか! というところにたまたま私が居合せましたので、あんまり激しい御立腹でございましたから、どうなることかと…… 伯爵 階段から逃げられたじゃないか。 フィガロ そうなれば、殿様は私を廊下でお捕《つかま》えになります。 伯爵 廊下だと! (傍白で)どうも俺は怒るので、探《さぐ》りたい事もうまくいかない。 フィガロ (傍白で)まあ、相手の出かたを見て、それから、こっちも白兵戦と行こうか。 伯爵 (心持ちを和らげて)そんな事を言うつもりでもなかったのだ、それはどうでもよい事だが。実は俺はな……お前を急場の通信係としてロンドンに連れて行きたいと思ったのだ……しかし、良く考えてみると…… フィガロ 御意見が変りましたか? 伯爵 まず第一にお前は英語を知らんからな。 フィガロ “|こん畜生奴《ゴッダム》!”という英語を知っておりますがね。 伯爵 わからんね。 フィガロ “ゴッダム!”てのを知っておりますと申しあげましたので。 伯爵 それがどうしたのだ? フィガロ いや、どうも! 英語と申すものは結構な言葉で、ほんの僅かで充分用が足ります。“ゴッダム!”だけで、イギリスなら、どこへ参りましても、不自由はいたしません。――脂肪《あぶら》ののった旨《うま》い牝鶏《めんどり》を召しあがりたかったら、居酒屋におはいりになって、店のボオイに、ちょいとこんな仕草で(串を廻わす身ぶり)“ゴッダム!”とおっしゃると、塩漬けの牛の脚《あし》を、麺麭《パン》を添えずに持ってまいります。すばらしいじゃございませんか。もし、殿様がとびきり上等のブルゴオニュの赤か白かを一杯召しあがりたくば、たった、これだけで(壜《びん》の栓《せん》を抜く身ぶり)“ゴッダム!”とね。持って参りますのが麦酒《ビール》で、見事な錫の壺、縁《ふち》に泡が立っております。恐悦至極でござんしょう! さてはまた、小股にきざんで、目を伏せて、肱《ひじ》を後ろに張って、ちょいと腰をひねって歩いて来る別嬪《べっぴん》にぱったりお会いになりましたら、五本の指をそろえて愛嬌作ってお口に当てて、“いよう! ゴッダム!”と言って御覧《ごろう》じろ、女は土方のような力で、殿様の横面を張り飛ばしますが、それがつまり万事承知という証拠でございます。そりゃ、イギリス人も、本当は、会話をいたします時には、あちら、こちらに他の言葉も付け加えますが、しかし、まず“ゴッダム!”が英語の根本であることは昭々として明らかでございます。さればこそ、もし殿様が、この私をエスパニヤにお残しになる特別の御所存がございませんなら、なにとぞ…… 伯爵 (傍白で)ロンドンに来たがっているな、シュザンヌは何も話していないのだ。 フィガロ (傍白で)奴《やっこ》さん、まだ俺が何も知らないと思ってるな、では、そのつもりで、もう少し小突《こづ》いてやろう。 伯爵 いったい、どういうわけで妻はあんな狂言を演《や》ってみたのだろう? フィガロ それはもう、殿様の方が私よりもよく御承知のはずで。 伯爵 俺は何事につけても、彼女《あれ》を第一《まっさき》にして、欲しいものはなんでも与えているがね。 フィガロ お与えにはなりましょうが、お身持ちがよろしゅうございません。無くてかなわぬものを下さらぬのに、よけいなものを下さる方を有難いと思えましょうか? 伯爵 ……昔はお前は何事でもうちあけてくれたものだが…… フィガロ ところが、今では何も隠しだてはいたしません。 伯爵 お前のめでたい祝言に、妻はどれほど出資《だし》たかね? フィガロ では、奥様を例のお医者様から横取りなさるために、殿様は私にいかほどお払いになりましたかね? ねえ、殿様、御奉公大事にいたす召使いをあまりお卑《さげす》みになりますと、悪い御家来にならぬともかぎりません。 伯爵 お前のする事には、どうしていつも、ひねくれた所があるのだろう? フィガロ あら[#「あら」に傍点]を探せばどこにでもございますよ。 伯爵 どうも評判がよくないぞ! フィガロ では、もし評判よりはましでしたら? 殿様ぐらい人をぼろくそにおっしゃる方はたんとはござんすまい? 伯爵 お前が幸運をめがけて行ったのも幾度かわからんが、一度でも、真っ直ぐには行かなかったな。 フィガロ 仕方がないじゃござんせんか? 世の中は込み合っておりますからね? どいつも、こいつも駆け出したがって、せっついたり、押したり、肱《ひじ》で突いたり、倒したり、強い者勝ちで味噌《みそ》っ粕《かす》は蹈《ふ》みつぶされてしまいます。こうしたわけで、相場はきまっておりますから、私は匙《さじ》を投げました。 伯爵 幸運の匙を?(傍白で)こりゃ初耳だ。 フィガロ (傍白で)さあ、今度はこっちの征《せ》める番だ。(正白で)貴方様《あなたさま》は私をお邸の玄関番に御採用下されましたが、まことにありがたい仕合せで。本当のところ、たとえ実入《みいり》はあろうとも、重大な事件の通信係になりたくはございません。ただ、その代り、アンダルチヤの片ほとりに、可愛いい女房とたのしく…… 伯爵 では、女房もロンドンに連れて行けばいいではないか? フィガロ それこそ彼女《あいつ》とも御無沙汰がちになって、やがては、婚礼どこの沙汰ではござんすまい。 伯爵 ……その気性と才気があれば役人としても相当にやれるだろう。 フィガロ 立身出世に才気が要《い》りますでしょうか? 殿様は私の才気などはせせら笑っていらっしゃるのに。なんの取り柄もなく、権門に媚《こ》びるだけでなんにでもなれましょう。 伯爵 ……俺の手元で多少政治を研究すればよいのだ。 フィガロ 政治なら心得ております。 伯爵 言語の基本たる英語のように、なあ! フィガロ 然《しか》り、あれでも自慢の種になりますればね。とにかく、知ってる事も知らぬふりをして、知らぬ事も知ってるふりをする、わからぬ事もわかったふり、聞こえる事も聞こえぬふり、特に力以上の事もできるふりをして、往々、なんでもない事でも重大な秘密のように隠し、さては、垂れこめて鵝《が》ペンを削り、がらがらのすっぽんぽんのくせに深刻|面《づら》を装い、どうにか、こうにか、ひとかどの人物らしくふるまって、探偵を放ち、悪人を養い、封印を溶かして、密書を読みとり、目的の重さを口術にして手段の卑しさを高尚に見せかける事、これすなわち、政治でございます、そうでなかったら、お目にかかりません! 伯爵 お前の言っているのは権謀術策だ! フィガロ 政治でも、権謀でも、結構、私は両方とも親類だと存じますから、お好みなら、御勝手に願います! 私は気さくな王様の、歌の文句にあるように、“はて、あの娘《こ》が可愛ゆてなりませぬ。” 伯爵 (傍白で)此地《こっち》に居たいのだ。わかった……シュザンヌがしゃべったな。 フィガロ (傍白で)思うつぼだ、損をするのはそちら様だあ。 伯爵 すると、お前はマルスリイヌとの訴訟では勝つつもりだな? フィガロ 貴方《あなた》様は御勝手に娘どもを横取りあそばすのに、私がたった一人の老嬢を拒《こと》われば、罪にお問いになるのでございますね! 伯爵 (あざわらって)いやしくも法廷においては、法官たる者は、私見を挾まずに、ただただ法令に拠《よ》るほかはない。 フィガロ 上《うえ》つ方《かた》には寛大に、下々《しもじも》には厳しく…… 伯爵 俺《わし》が巫山戯《ふざけ》ていると思うのか? フィガロ そいつは! 殿様、天機|漏《も》らすべからずでございましょう? イタリヤの諺《ことわざ》にも、“時の神は苦労人”と申します。時の神はいつも本当の事を申しますよ。誰が私に酷《むご》いか親切か、までも教えてくれるのでございます。 伯爵 (傍白で)此奴《こいつ》は何から何まで聞いているわい。今に見ろ、老女と一緒にしてやるから。 フィガロ (傍白で)この俺を相手になかなか味をやるな、大将、何か聞きこんだな? [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第六場[#「第六場」は中見出し] [#4字下げ]伯爵 下僕 フィガロ [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 下僕 (取り次いで)ドン・ギュスマン・ブリドワゾン殿がおいででございます。 伯爵 ブリドワゾンかね? フィガロ はい! そのとおりで。吉例の判事、お邸付きの法官、お手の者の判官様でございます。 伯爵 待たしておけ。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第七場[#「第七場」は中見出し] [#4字下げ]伯爵 フィガロ [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] フィガロ (伯爵が何か考えているのを暫し眺めてから)……こうした思召《おぼしめ》しだったのでございますか? 伯爵 (われに返って)俺《わし》かね?……俺《わし》はこの部屋を公開の法廷にするように命じておいたのだが。 フィガロ そりゃ! もう、何から何まで揃っております。貴方様には大型の椅子、法官たちには相当な椅子で、書記にはけち[#「けち」に傍点]な腰かけ、弁護士どもにはベンチ、傍聴人はただの板敷きで、下司下郎はその後ろで床《ゆか》を擦《こす》りますから、蝋《ろう》引き人足はもう御用はござんすまい。(フィガロ退出) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第八場[#「第八場」は中見出し] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 伯爵 (独り)悪党め、さんざん手こずらせたな! どうも、議論をすると、奴に分《ぶ》がある、詰め寄ってきて、人を言いくるめるのだ……よし! 揃いも揃った雌雄《めすおす》め、共謀《ぐる》になって俺を弄《もてあそ》ぶのだな! 仲よしにも、相惚れにも、なんにでも勝手になるがよかろう、文句はない、がしかし、どっこい夫婦には、断じて…… [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第九場[#「第九場」は中見出し] [#4字下げ]シュザンヌ 伯爵 [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] シュザンヌ (息せききって)殿様……ご免あそばせ、殿様。 伯爵 (不横嫌な様子で)どうしたのだ? シュザンヌ 何か御立腹でございますか。 伯爵 何か用があると見えるな? シュザンヌ (ためらいながら)実は奥様がいつもの血の道で。殿様のエーテルの壜《びん》を拝借に駆けつけましてございます。直ぐにお返しに参りますから。 伯爵 (壜《びん》を渡して)いやいやお前が蔵《しま》っておくがいい。いずれお前にも入用になるだろうよ。 シュザンヌ では、私のような未婚女《ひとりもの》でも、血の道がおこるのでございましょうか? それは御寝室《おねま》でだけ罹《かか》ります特別な病《やまい》でございますよ。 伯爵 のぼせすぎて、未来の夫を手放すような女の…… シュザンヌ 私にお約束のお嫁資《たから》でマルスリイヌを買収あそばしてね…… 伯爵 お前に約束した? 俺《わし》が? シュザンヌ (眼をふせて)そう聴聞《うかが》ったように存じます。 伯爵 うむ、そりゃお前がしんから俺の言う事を肯《き》いてくれればね。 シュザンヌ (伏し目になって)御前様の思召《おぼしめ》しに従いますのが私の務めではございませんか? 伯爵 なら、なぜ早くそう言ってくれないのだ? つれない女だな。 シュザンヌ 本当の事を申しあげますのに、おそすぎることはございますまい? 伯爵 日の暮れに庭に来てくれるか? シュザンヌ お庭なら、毎晩そぞろ歩きをいたしているではございませんか? 伯爵 それにしても、今朝のつれない仕打ちがなあ! シュザンヌ 今朝?――でも、お小姓が椅子の蔭におりましたでございましょう? 伯爵 こりゃ道理《もっとも》だ、こっちがうっかりしていた。だが、俺の方から頼んだバジルをなぜあのように頑固に拒《こば》んだのかね?…… シュザンヌ お互いの間になんでバジルなどが? 伯爵 これも道理《もっとも》だ。だがな、あのフィガロという奴だが、彼奴《きゃつ》がお前になんでも話すのだろう! シュザンヌ それは、もう! 私だって、なんでも申しますわ……申していけない事は申しませんが。 伯爵 (笑って)どうも! 可愛いい奴だ! では庭の事は約束してくれるな? もし、嘘をついたら、いいかね、おい、会いに来なければ、嫁入りの金員《かね》も、嫁入りも、水の泡だぞ。 シュザンヌ (お辞儀《じぎ》をして)それにしても、お嫁入りができませねば、初夜の貢《みつぎ》とやらも無くなりましょう、ねえ、御前様。 伯爵 どこでそんな口説《くぜつ》を覚えた? どうあっても、可愛いがってやるぞ! だが、奥様が壜《びん》を待っているのだ…… シュザンヌ (笑いながら壜を返して)壜にかこつけませんでも、お話ができましたのにねえ? 伯爵 (彼女を抱こうとして)なんと可愛いい奴だろう! シュザンヌ (すり抜けて)誰か参りますよ。 伯爵 (傍白で)もう俺のものだ。(伯爵は逃げる) シュザンヌ さあ、急いで奥様に言いつけて来よう。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十場[#「第十場」は中見出し] [#4字下げ]シュザンヌ フィガロ [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] フィガロ シュザンヌ、シュザンヌ! 殿様とお別れして、大急ぎでどこへ駆けつけるんだい? シュザンヌ お前さんは、せいぜい、訴訟の方をうまくやるんだよ。その方はもう勝ったようなものだよ。(彼女は逃げてゆく) フィガロ (女の後を追って)そうか! だが、ちょっと用が…… [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十一場[#「第十一場」は中見出し] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 伯爵 (独り戻って来て)訴訟は勝ったようなものだと! 俺はあぶなく誑《だま》されるところだった! 不届きな奴らだ! 罰を喰わせてやるぞ……見事な……正しい判決でな……しかし、もし、彼奴《きゃつ》が老女に借金を払ったら……が、どの金で? だが、万一払ったら……ええい! こちらには肯《き》かぬ気のアントニオがついている、あの頼もしい強情なら、フィガロを自分の姪《めい》の夫とは認めまい? あの癖を煽《おだ》ててな……何が悪かろう? 存分に術策を使う場合には何事も準備が肝要だ、愚直な奴の自惚《うぬぼ》れさえもな。(彼を呼ばわる)アント……(彼は去る。彼はマルスリイヌ、その他の者が来るのを見る) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十二場[#「第十二場」は中見出し] [#4字下げ]バルトロ マルスリイヌ ブリドワゾン [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] マルスリイヌ (ブリドワゾンに)まあ、先生、私の事件をお聴き下さいまし。 ブリドワゾン (法服を着ている、少し吃《ども》りながら)しからば! こ、こ、口頭で、お、お話ししましょう。 バルトロ 婚姻の契約なのですがな。 マルスリイヌ それに借金の件も附帯《くっつ》いておりますので。 ブリドワゾン い、いかにも、その他、あれや、これやな。 マルスリイヌ いいえ、先生、あれやこれやはございません。 ブリドワゾン い、いかにも、で、貴方は返済の金子はご、御所持なのじゃな。 マルスリイヌ いいえ、先生、私がお金を貸した方で。 ブリドワゾン い、い、いかにも、で、その金子の督促をなさるのじゃな? マルスリイヌ いいえ、先生、相手に結婚を申し込みますので。 ブリドワゾン ははあ! なるほど、い、い、いかにも、い、いかにも。そこで、相手も結婚を望んでいるのじゃな? マルスリイヌ いいえ、先生、そこが訴訟なのでございますよ! ブリドワゾン 某《それがし》がそのくらいの事をわからんとお思いか、そ、訴訟を? マルスリイヌ そんなことは、先生。(バルトロに)何がなんだかわかりませんね? (ブリドワゾンに)ほんとに! 先生が裁判をなさるのでございますか? ブリドワゾン 他の仕事をするために、こ、この職業を買ったと、お、お思いかね? マルスリイヌ (ため息をついて)そういう職務が売買《うりかい》されるとは、非道《ひど》いこと! ブリドワゾン さようさ、それは無償《ただ》で職業に、あ、ありつけたほうが、よ、よろしいな。で、訴訟の相手方は誰じゃね? [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十三場[#「第十三場」は中見出し] [#ここから4字下げ] バルトロ マルスリイヌ ブリドワゾン フィガロ (彼は揉《も》み手をしながら、いそいそと入って来る) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] マルスリイヌ (フィガロを指して)先生、この悪党が相手でございますよ。 フィガロ (すこぶる上機嫌で、マルスリイヌに)どうやらこの俺《おれ》が気にいらないんだな――判事様、殿様も、もうじきにおいでになりますよ。 ブリドワゾン 俺《わし》はこの、お、お、男にどこかで会ったことがある。 フィガロ セヴィラで、お宅の奧様に御奉公いたしておりましたよ。 ブリドワゾン い、い、いつごろだね? フィガロ 末の坊っちゃんがお生れになる、ざっと一年ばかり前で、可愛いい赤ちゃんでね、私はあの赤ちゃんが自慢だったんでさあ。 ブリドワゾン いや全く、あれが一番、よ、よ、よい児《こ》でした。ところで、お、お前さんはこちらで家を持つのだそうだな? フィガロ お辞《ことば》でおそれいります。惨めな話でござんすよ。 ブリドワゾン 婚姻の、や、約束だろう! いや、はや! き、気が利かぬ男だ。 フィガロ いや、どうも…… ブリドワゾン して、お前さんは俺《わし》の秘書に会ったかね? フィガロ あの、書記のドゥウブル・マンでござんしょう? ブリドワゾン 秘書と書記のかけもちで食っておるのでな。 フィガロ 食ってるどころか、食い荒しておりまさあ。そりゃ、もう! あの男に会って、とにかく、しきたりの戸籍抄本や抄本の付録のことで話しましたよ。 ブリドワゾン 形式は、と、整《ととの》えねばならぬからな。 フィガロ そりゃ、そのとおりで。訴訟の内容《なかみ》が訴訟人のものなら、訴訟の形式は裁判所の飯《めし》の種でござんすからね。 ブリドワゾン どうもこのお、お、男は始めに思ったほどあ、あ、阿呆でもないわい。そこでじゃ、お前さんがなかなかものわかり[#「ものわかり」に傍点]が良いから、わ、わ俺《わし》らもせいぜい面倒を見ましょう。 フィガロ ねえ先生、たとえ貴方がこのいかさま国の裁判官ではござんしょうとも、私は貴方の公正な御判断にお任せしますよ。 ブリドワゾン なんじゃ?……そりゃ、俺は、さ、さ、裁判官じゃ。ところで、もしお前が金を借りているのなら、な、な、なぜ払わんのじゃね? フィガロ ところが、先生は私が借りなかったように思って下さる。 ブリドワゾン いや、ご、ご、尤《もっと》も――ええ、な、何? この男は、な、何を言ってるのかな? [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十四場[#「第十四場」は中見出し] [#ここから4字下げ] バルトロ マルスリイヌ 伯爵 ブリドワゾン フィガロ 廷丁一人 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 廷丁 (伯爵を案内して、叫ぶ)伯爵閣下の御出廷! 伯爵 ブリドワゾン殿、法服でおいで下さったか! しごく内輪《うちわ》の事件でな、よそゆきの服装《なり》では恐縮する。 ブリドワゾン お辞《ことば》で、い、い、いたみ入ります、閣下。法服を着けずには決して、が、が、外出、い、いたしません。何事も、け、け、形式でございますからな、御承知でもござろうが、け、け、形式でな! 平服の判事を笑う奴でも、法服の検事を一目みれば慄《ふる》えあがるものでな。け、形式、け、形式ですぞ! 伯爵 (廷丁に)傍聴人を入れてよろしい。 廷丁 (金切り声をあげて扉を開きにゆく)開廷いたしまああす。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十五場[#「第十五場」は中見出し] [#ここから地から2字上げ] [#ここから1字下げ] 前場の人々 アントニオ 邸の家臣ども 晴れ着を着た百姓の男女 大型の椅子に坐す伯爵 側面の椅子にはブリドワゾン 卓の後ろの腰掛けには書記、他の判事や弁護士の面々はベンチに、マルスリイヌはバルトロのそばに、フィガロは別のベンチに、百姓や家臣どもは後列に立っている。 [#ここで字下げ終わり] [#ここで字上げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] ブリドワゾン (書記ドゥウブル・マンに)ドゥウブル・マン、訴訟の趣旨を読み上げて。 ドゥウブル・マン (書類を読み上げる)“貴《とうと》く、いや貴き、限りなく貴き、貴族にしてかつロス・アルトスならびに、フィエロス山地ならびに他の山地の男爵、ドン・ペドロ・ジョルジュの若き劇作者アロンゾ・カルデロンに対する訴訟。駄作喜劇に関して、当事者互いに著作権を否認して相手方に当該権利を転嫁せんとする件。” 伯爵 双方に理由がある。裁判におよばず。よろしく両人力を合せて、他の一作を著わし、貴族は名を貸し、詩人は才能をふるって、上流社会をして真価を認めしむるように計るがよい。 ドゥウブル・マン (他の書類を読み上げる)“農夫アンドレ・ペトリュッチオの当県収税吏に対する訴訟。違法強制取り立てに関する件。” 伯爵 その事件は俺《わし》の管轄ではない。俺《わし》は出来得る限り、国王のために家臣を保護するを以て任としたい。その次。 ドゥウブル・マン (第三の書類を取上げる。バルトロとフィガロが起立する)“颯爽《さっそう》たる成年未婚女子バルブ・アガアル・ラアブ・マドレエヌ・ニコオル・マルスリイヌの、(マルスリイヌは起立して一礼する)フィガロ……に対する訴訟。”洗礼の名は空白であります。 フィガロ 名無しの権兵衛。 ブリドワゾン 名無しの権現! そ、そのような氏神があるかな? フィガロ それが私の氏神でござい。 ドゥウブル・マン 名無しの権現フィガロに対する訴訟。身分は? フィガロ 貴族。 伯爵 お前が貴族?(書記は書きとめる) フィガロ そりゃ神様の思召《おぼしめ》し次第では王侯の嫡流となったかも知れません。 伯爵 (書記に)続きを読んで。 廷丁 (金切り声で)お静かに願いまああす! ドゥウブル・マン (読む)“……前掲颯爽婦人に依《よ》って、当該フィガロの結婚に対し、異議の申し立てをなすことを目的とする件。国手バルトロは原告たる婦人のために弁護し、しかして当該フィガロは、もし法廷の許可あらば、本裁判所判例の慣習に反するも、フィガロ自ら弁護するものとす。≫ フィガロ ドゥウブル・マン先生に申しあげますが、慣習というものは往々濫用されるのです。目前《めさき》の見える訴訟当事者はなまなかな弁護士たちよりも自分の事件を分明《はっきり》と心得ていますよ。弁護士たちは、冷汗《ひやあせ》をかいて、どなりたてて、物識りの癖に事件そのものは御存じなく、訴訟人が訴訟に負けようが、傍聴人が欠伸《あくび》をしようが、裁判官諸公を眠らせようが馬耳東風なのです。しかも、後《あと》ではキケロの『ムレナ弁護』でも作成したように膨《ふく》れあがってね。私ならしごく手みじかに事件を話せますがね。さて、皆様…… ドゥウブル・マン それが無用の冗説《じょうぜつ》ですぞ、貴方は原告ではないから、ただ答弁なさるだけです。バルトロ国手、前へお出になって、契約書をお読み下さい。 フィガロ なるほど、契約書か! バルトロ (眼鏡をかけて)契約書は正確じゃ。 ブリドワゾン と、と、とにかく、お読みなさい。(聴衆笑う) ドゥウブル・マン お静かに、皆さん! 廷丁 (金切り声で)お静かに願いまああす! バルトロ (読む)“小生は署名して、姓名中略……颯爽たるマルスリイヌより、当アグアス・フレスカスの邸において正金二千ピアストルの金額を受領したる事を認め候、しかも該金額は請求あり次第、当邸において返済し、加之《しかのみならず》、感謝の標式《しるし》として彼女と結婚仕るべく候、云々。単にフィガロと署名。”そこで、私の結論は、金子の支払いと、訴訟費用を含む婚姻契約の履行《りこう》ということになるのです。(弁論を始める)さて、皆さん……かくのごとき興味津々たる事件は未《いま》だ嘗《かつ》て法廷の裁判にかけられたことはございません。しかして、かの歴山《アレクサンドル》大王が佳人タレストリスと婚姻の約を締結してよりこのかた…… 伯爵 (バルトロの書を遮って)弁護人は何もそれほど昔に遡《さかのぼ》らずとも、証書が有効であることは認めるのだね? ブリドワゾン (フィガロに)な、な、何か……今の朗読に、ふ、ふ、不服がありますかね? フィガロ 皆さん、今の文書の読み方には、悪意があり、錯誤《さくご》か手落ちがあります。なぜならその書類には、“当該金額を彼女に返済仕るべく、加之[#「加之」に傍点]、彼女と結婚仕るべく候”とは言っていないので、“当該金額を彼女に返済仕るべく、しからずんば[#「しからずんば」に傍点]、彼女と結婚仕るべく候」とあるのです。それは大きな違いですよ。 伯爵 書面には、“しかのみならず”とあるのか、それとも、“しからずんば”か? バルトロ “しかのみならず”とございます。 フィガロ “しからずんば”でございますよ。 ブリドワゾン ドゥウブル・マン、貴公自身で、よ、読んで見るがよい。 ドゥウブル・マン (書類を手にとって)それが最も確かで。当事者は時々、読みながら、ごまかしますからな。(読む)え、え、えと、“颯爽、え、え、えと、嬢え、え、えと、あっ! これこれ! 当該金額を請求あり次第、彼女に当邸において、返済仕るべく……しかのみならず……しからずんば……しかのみならず……しからずんば……”、どうも、文字の書き方が悪いので……インキの染《しみ》ですかな? ブリドワゾン 染《しみ》がある? 俺《わし》には、わ、わかっとる。 バルトロ (弁論を続けて)私は主張します、それは結合的接続詞“しかのみならず”でありまして、文句の相関的各部分を連絡するものであります。“令嬢に返済仕るべく、しかのみならず、彼女と結婚仕るべく候、”であります。 フィガロ (弁論して)私も主張いたしますよ。それは問題の相関的各部分を分離する択一的接続詞“しからずんば”です、“娘御に返済仕るべく、しからずんば、彼女と結婚仕るべく侯”なのです。物|識《し》り面《づら》には物識り面以上でむかいますよ。そちらがラテン語を話すなら、こちらはギリシャ語で相手になって、退治してしまうんでさあ。 伯爵 こういう問題はどう裁いたものかな? バルトロ しからば、皆さん、一刀両断して、ただの一字のことで冗言を費《ついや》すのはやめましょう、そこで、“しからんずんば”としておきましょう。 フィガロ 書式に願いますよ。 バルトロ そういたすことにしよう。こんな悪辣《あくらつ》な遁辞《とんじ》は悪人を救うものではない。では、そういう意味で書面をいちおう調べましょう。(読む)“当該金額を彼女に返済仕るべく、しかるところにて、彼女と結婚仕るべく候。”こういう意味でしょう、皆さん“この寝台にて出血療法をなさるべく、しかるところにて、温くおやすみなさるべく候、”その場所において、です。“大黄《だいおう》の二柆を服用せらるべく、しかるところに少量の羅望子《タマラン》を加えらるべく候、”つまり、“当|邸《やしき》、しかるところにて彼女と結婚仕るべく候、”皆さん、正に、“当邸、しかる場所において……”ですぞ。 フィガロ とんでもない事です。書面の文句はこういう意味ですよ、“貴方《あなた》を殺すものは病いであろう、しからずんば医者であろう、”さにあらずんば医者なるべし。疑いありません。別の例なら、“貴方《あなた》が面白いものを書けなければ、阿呆も貴方を貶《けな》すだろう。”しからずんば阿呆もまたです、意味は明瞭です。なぜなら、その場合には、へぼ作者か、しからずんば阿呆か、が支配的な名詞なのです。バルトロ先生は私が文章法を忘れたとでも思っておられるのですかね? それ故、“当邸において彼女に返済仕るべく、|,《コンマ》しからずんば、彼女と結婚仕るべく……” バルトロ (急いで)|,《コンマ》はありません。 フィガロ (急いで)|,《コンマ》があるのです。皆さん|,《コンマ》があって、その後《あと》が、“さにあらずんば、彼女と結婚仕るべく候。” バルトロ (書面を見ながら、急いで)|,《コンマ》はありませんぞ、皆さん。 フィガロ それは、あったのですよ、皆さん。とにもかくにも、結婚した上に借金を払う奴がありますか? バルトロ (急いで)そうとも、我々は結婚しても会計は別々じゃ。 フィガロ (急いで)結婚が借金払いにならなければ、私たちは別居しますよ。(裁判官たちは立ち上がって、低声に話し合う) バルトロ おかしな借金払いだな! ドゥウブル・マン お静かに、皆さん。 廷丁 (金切り声で)お静かに願いまああす! バルトロ この悪童にしてこの借金払いあり。 フィガロ 貴方は自分自身の訴訟で弁論しておいでですかね? バルトロ 俺《わし》はこの女《ひと》を弁護しているのさ。 フィガロ でたらめを陳《なら》べるのも結構ですが、中傷はいいかげんに願いましょう。訴訟当事者の激昂を慮《おもんぱ》って、裁判所が第三者を頼むのを許したのは、なにも穏当な弁護人が勝手にずぶとい特権者になるのを承知したわけではありませんぜ。そういうのは、最も貴い制度を堕落させることです。(裁判官たちは、低声で話し続けている) アントニオ (裁判官たちを指しながら、マルスリイヌに)あの人たちは何をぶつくさ言ってるんだね? マルスリイヌ 誰かが大法官を買収すると、大法官がまた他の判官を買収するのさ、だから、私の訴訟は負けだよ。 バルトロ (低声で、陰気な調子で)なんだか、心配になってきたわい。 フィガロ (陽気に)しっかり、マルスリイヌ! ドゥウブル・マン (立ち上がって、マルスリイヌに)これは! 聞きずてできません! 俺《わし》は貴女《あなた》を告発する、しかも、裁判所の名誉のために、他の事件を正《ただ》す前に、貴女《あなた》の失言の判決が下されねばなりませんぞ! 伯爵 (腰かけたまま)いや、書記に言っておくが、俺《わし》は自分個人に対する中傷については発言せぬ、いやしくもエスパニヤの法官たる者はアジヤの法廷にふさわしい越権を犯してはなるまい、問題外の弊害は預かっておこう。俺《わし》の判決の理由を述べて、フィガロの事件を裁定しよう、この事を拒《こば》むいかなる法官も法の大敵であるぞ。原告たる婦人は、そもそも何を請求するのかね? 借金の支払いなきゆえの結婚ではないか? その二つは両立し得るだろう。 ドゥウブル・マン お静かに、皆さん。 廷丁 (金切り声で)お静かに願いまああす! 伯爵 被告の答えは? 今までどおりの身分を保有したければ、それは許される。 フィガロ (悦《よろこ》んで)勝ちだ! 伯爵 しかし、本文には、“当該金額を、彼女の請求あり次第、返済仕るべく、しからずんば、結婚仕るべく候云々……、”当法廷は、原告たる婦人に対し、被告が現金二千ピアストルを支払うべきことを申し渡し、もし支払わざれば、今日中に結婚すべきである。(伯爵は立ちあがる) フィガロ (愕然《がくぜん》として)負けだ。 アントニオ (欣然《きんぜん》として)立派なお裁きでござんしょうな? フィガロ 何が立派だ? アントニオ もうお前《めえ》なんか俺の甥《おい》にならずに済むからさ。御前様、ありがとうございます。 廷丁 (金切り声で)御退出を願いまああす。(聴衆退出) アントニオ さあ、シュザンヌにすっかり、話してやろう。(退出) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十六場[#「第十六場」は中見出し] [#ここから4字下げ] 伯爵(そちこち歩きながら) マルスリイヌ バルトロ フィガロ ブリドワゾン [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] マルスリイヌ (腰をかけて)やれ、やれ! これで、ほっとした! フィガロ こっちは息がとまらあ。 伯爵 (傍白で)とにかく、敵《かたき》は討った。いい心持ちだ。 フィガロ (傍白で)バジルがおれば、マルスリイヌの結婚には反対したに違いないのだがなあ、何をしていやがるんだろう、彼奴《あいつ》め!――(去ろうとする伯爵に)殿様、もうお引きあげでござんすか? 伯爵 裁判はすんだからな。 フィガロ (ブリドワゾンに)それも、これもこのだん袋の裁判官が…… ブリドワゾン 俺《わし》が、だ、だ、だん袋! フィガロ そんなところでさあ。私はあんな女と夫婦になるもんか、これでも、貴族ですからね。(伯爵は立ちどまる) バルトロ 夫婦になるのさ。 フィガロ 歴《れき》とした両親の承諾がなくとも? バルトロ 両親の名を言うがいい、会いたいものだ。 フィガロ 少し待ってもらいましょう、もう直《じ》きにめぐり会うことになってるんです、十五年も尋《たず》ねているんですからね。 バルトロ おめでたい奴じゃ! 捨児《すてご》のくせに! フィガロ 行衛不明の児ですぜ、先生、人浚《さら》いに浚われた児なんですよ。 伯爵 (戻って来て)浚われた? 行衛不明? その証拠は? そうでないとでも俺《わし》らが言ったようにどなるなあ。 フィガロ ねえ、殿様、私の身についた襞飾《ひだかざ》りの産衣《うぶぎ》や縫取りのある敷物や金細工が悪漢《わるもの》の手に渡ったからには、私の卑しからぬ生れもおわかりでございましょう。それに、私のからだ[#「からだ」に傍点]に分明《はっきり》とした徴《しるし》をつけておいてくれた心づかいは、私が貴重な児だったことの証拠じゃござんせんか、どうです、この腕の綾文字《あやもじ》は……(彼は右の腕をまくろうとする) マルスリイヌ (勢いよく立ち上がって)右腕の刀《メス》の痕《あと》? フィガロ その痕のあるのをまたどうして知って? マルスリイヌ まああ! あの子だ! フィガロ ええ、私は私ですがね。 バルトロ (マルスリイヌに)あの子とは! 誰のことだ? マルスリイヌ (勢いよく)エンマニュエルですよ。 バルトロ (フィガロに)お前はならず者に浚われたのか? フィガロ (興奮して)お城のすぐそばです。ねえ先生、この私を貴族の我が家に連れ帰って下されば、その御尽力には、どんなお礼でもね、黄金の山でも歴とした両親は惜みますまいよ。 バルトロ (マルスリイヌを指して)これがお前の母親だ。 フィガロ ……乳母《うば》でしょう? バルトロ 生みの母だ。 伯爵 此奴《これ》のお袋か! フィガロ わけを言って下さいよ。 マルスリイヌ (バルトロを指して)これが父親《てておや》だよ。 フィガロ (情けなくなって)うわああ! 目も当てられねえ! マルスリイヌ 親子だもの、幾度も幾度も虫が知せたろう? フィガロ どういたしまして。 伯爵 (傍白で)母親か! ブリドワゾン こ、これでは当然、結婚はできませんわい。 バルトロ 俺《わし》も結婚はごめん蒙《こうむ》る。 マルスリイヌ 貴方までも? ではこの子をどうなさるおつもり? お約束がありますよ…… バルトロ 俺が阿呆だったのさ。そんな思い出にこだわっていたら、誰とでも夫婦にならずばなるまい。 ブリドワゾン そ、それは、よくよく相手を調べてみれば、だ、誰でも、だ、誰とも、結婚は、で、できませぬな。 バルトロ 誰知らぬ者のない過《あやま》ちだらけの女とはな! 若い時分にも身持ちは善くなかった女だからな。 マルスリイヌ (ようやく興奮して)そりゃ、もう、不身持ちは御想像以上でね! 数々の過《あやま》ちも今さら隠そうとは思いません、今日こそ、そのいいみせしめです! それにしても、三十年の、面白くもない生涯の末に罪ほろぼしをするなんて、あんまりつろうございますよ! 私だって、恥かしからぬ女になるつもりで生れついていましたし、少しはものの道理がわかるようになってからは、真面目《まじめ》にもなりました。それでも、ぼうっとなる年ごろには、経験も足らず、暮しも貧しく、不如意に責《さいな》まれる間も誘惑《いざな》う男達につけまわされ、かぼそい女の身で、群がる狼にどうして立ちむかえましょう? 今、私たちを厳しく裁く殿方はたぶん今までに大勢の女を堕落させたことでしょうよ! フィガロ 罪の深い奴らに限って、因業《いんごう》なものさ、それがお定《き》まりですよ。 マルスリイヌ 虫のよすぎる殿方に申しあげます、情け容赦もなく、女たちを情慾の玩具《おもちゃ》にしたり、犠牲《いけにえ》にしたり、非道《ひど》い目にお会わせになる殿方様! 若い女どもの過ちは貴方がたの罪でございますよ。貴方がたや判官がたこそ、いい気になって女どもを裁いて、とんでもない疎漏《そろう》から、私たちの生活《くらし》の正しい手段《てだて》さえお取りあげになるのです。憐れな女どもにたった一つの職業でもございますか? 女の化粧は、女の生れながらの資格なのに、男の職人たちが寄ってたかって、女の仕事をいたしておりますよ。 フィガロ (憤慨して)兵隊にまで縫取りをさせやがる! マルスリイヌ (興奮して)上流社会にしたところで、男から女へはお粗末なお志だけです、上辺《うわべ》の恭《うやうや》しさに釣られても、実は奴隷のありさまで、財産については未成者《こども》扱い、過ちについては成年者《おとな》扱い! ほんとに! どこから見ても、殿方の女扱いは恐ろしいやら情けないやら! フィガロ もっともだ! 伯爵 (傍白で)ごもっともすぎる! ブリドワゾン いやはや、ご、ご、もっとも。 マルスリイヌ ねえ、忰《せがれ》や、(バルトロを指して)こんな碌《ろく》でなしに袖にされたとて、それがなんだろう? もと来た道を振り返らずに、ゆく手を眺めることだよ、それだけが肝心だよ。二《ふた》月か三《み》月もすれば、お前の許嫁は自由の身になるし、私が請《うけ》合ってお前の言うことを肯《き》かせるからね。女房とやさしい母親から存分可愛いがられて暮らすんだよ。私たちには親切にして、お前は仕合せになっておくれ、ねえお前、陽気で、こだわらずに、誰でも温い気持ちになってくれれば、それで私は何不足もないよ。 フィガロ おっ母《か》さん、有難いことを言って下さる、御意見|確《しか》と身につけます。人間て奴はおめでたいもんだ! 地球は何千年となく、ぐるぐる廻って、その歳月《としつき》の大海原に、なんの因果か、二度とは帰ってこない惨めな三十年を授ったが、それを誰から授ったかを思い悩んで、もっと苦しむところでしたよ! そんな事でくよくよしても始まらない。喧嘩口論で暮らすのは、絶えず首枷《くびかせ》の重みを増すようなもので、まるで牽船《ひきぶね》の馬でさあ、とまる時でも休まずに、歩かないでも引っ張りつづけるんですからね。なにはともあれ待つことです。 伯爵 馬鹿らしい事件が邪魔だ! ブリドワゾン (フィガロに)と、ところで、例の貴族やお邸は、ど、どうした? お前さんは法律に、そ、背いたな。 フィガロ その法律こそ、私にとんでもないまねをさせるところだったんですぜ、その法律が! 癪《しゃく》の種の百エキュのために幾度もこの老人を危くやっつけそうになったが、それが今じゃ私の父親《てておや》だ! だがね、私の徳義が天から救われた以上、ねえお父《とっつ》あん、重々お詫びを申しあげますよ……それからお母《っか》さん、接吻して下さいよ、……母親としてこれ以上はないというほど、(マルスリイヌはフィガロの首に飛びつく) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十七場[#「第十七場」は中見出し] [#ここから4字下げ] バルトロ フィガロ マルスリイヌ ブリドワゾン シュザンヌ アントニオ 伯爵 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] シュザンヌ (財布を手に持って駆けつける)殿様、お留《と》め下さいまし、その人たちが一緒になりませんように、奥様からいただいたお嫁資《かね》をこの女《ひと》に払いに参りました。 伯爵 (傍白で)けしからん女房だ! 何事も俺《わし》には不利だ……(去る) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十八場[#「第十八場」は中見出し] [#ここから4字下げ] バルトロ アントニオ シュザンヌ フィガロ マルスリイヌ ブリドワゾン 伯爵 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] アントニオ (フィガロが母親と抱擁しているのを見て、シュザンヌに言う)ああ! そうかい、払うのかい! まあ、ご覧よ。 シュザンヌ (くるりと背を向けて)見たとも、帰ろう伯父さん。 フィガロ (シュザンヌを引きとめて)頼む、帰らないでおくれ、見たって、何をさ? シュザンヌ 私《わたし》のおめでたさとお前のだらしなさをさ。 フィガロ どっちも眼がね違いだ。 シュザンヌ 勝手に一緒になるがいいや、撫でたりさすったり。 フィガロ (陽気に)撫でもさすりもしようが、一緒にゃならねえ。(シュザンヌが去ろうとするのをフィガロが引きとめる) シュザンヌ (フィガロの横面を張りとばして)よくもずうずうしく引きとめられるね! フィガロ (一同に向って)恋とはこんなもんでござい! 去《い》く前に、頼むから、このなつかしい女《ひと》をよううく視《み》てくれ。 シュザンヌ 拝見しているよ。 フィガロ どう思う?…… シュザンヌ ひどい御面相だこと。 フィガロ その悋気《りんき》がうれしいぞ! この娘はあんたでも容赦しませんや。 マルスリイヌ (両手をひろげて)おっ母さんに抱きついておくれ、可愛いいシュザネット、お前にからかう憎い男は私《あたし》の忰《せがれ》なんだよ。 シュザンヌ (マルスリイヌの方へ駆け寄って)あなたが、この人のお母さん!(二人は互いに暫く抱擁している) アントニオ 親子のできたてか? フィガロ しれたことだ。 マルスリイヌ (興奮して)やっぱり、この子に惹《ひ》かれたのは、ほんの勘ちがいで、母子《おやこ》の血筋がものをいったのだねえ。 フィガロ 私の方でお思召《ぼしめ》しをはねつけたのは、ねえ、お母さん、分別が本能の代りにものをいったんですよ。お母さんを嫌うどころか、懐かしいからこそお金も借りたんで…… マルスリイヌ (フィガロに書類を渡して)これはお前のものだよ。さあ証文を収めておくれ、お祝言のお嫁資《かね》だよ。 シュザンヌ (フィガロに財布を投げてやって)ついでにこれも取っといておくれ。 フィガロ ありがたい。 マルスリイヌ (ますます興奮して)不仕合せな独り身になって、危《あやう》く目も当てられない女となるところを、今じゃ、世界一果報な母親になったよ。さあ、抱きついておくれ、二人とも、せいいっぱい可愛いがってあげるよ。こんな嬉しいことはない、ああ! どんなに二人を可愛いがることやら! フィガロ (ほろりとして、勢いよく)もう止《よ》して、お母さん! 止して下さいよ! 生れて初めての涙に濡れたこの目が溶けて無くなっちまうのが見たいんですか? だが、こりゃ嬉し涙ですぜ。それにしても、なんという馬鹿らしいこった! 危《あぶな》く赤恥をかくところでしたよ。ご覧なさい、両手にまで涙が流れているような気がしまさあ。(両手を開いて見せて)この冷汗《ひやあせ》の涙を馬鹿正直にも、握りつぶしていたんだ! こんな恥は消えて無くなれい! 私は一時《いちどき》に笑いたくって、泣きたいんだ、こんな心持ちは二度たあ味わえませんよ。(彼は一方には母親を、他方にはシュザンヌを抱く) マルスリイヌ お前ばかりが! シュザンヌ お前さんばかりだよ! ブリドワゾン (手布《ハンケチ》で目を拭きながら)いや、全く! わ、俺《わし》まで、お、おめでたいかな? フィガロ (興奮して)どんな苦労でも、もうものともしねえぞ! 万が一、この二人の大切な女を傷つける気なら、俺が相手になってやるぞ。 アントニオ (フィガロに)ごてごてと、ぬかすなよ、頼むぜ。家と家との間の縁組じゃあ、両親《ふたおや》の承知が先だからな。お前さんにゃ、ちゃんとした両親《ふたおや》があるのかね? バルトロ 俺《わし》が承知するって! こんな変り者のお袋の手を握るぐらいなら、手なんか、乾《ひから》びて落ちてしまった方がいいわい! アントニオ (バルトロに)それじゃ、あんまり邪慳《じゃけん》なお爺《やじ》じゃないかな?(フィガロに)そうなれば、ねえ色男、お話はおしまいだぜ。 シュザンヌ まあ! 伯父さん…… アントニオ 誰の子供でもない奴に、俺の妹の娘が嫁《や》れるものかね? ブリドワゾン だ、誰の子供でない奴が、あ、あるものか? 馬鹿め、誰でも、い、いずれ、だ、誰かの、こ、子供じゃよ。 アントニオ 馬鹿らしい!……こんな男に俺の姪《めい》が嫁《や》れるものか。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十九場[#「第十九場」は中見出し] [#ここから4字下げ] バルトロ シュザンヌ フィガロ マルスリイヌ ブリドワゾン 伯爵 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] バルトロ (フィガロに)それでは、これから、お前を養子にする親を探しにいくんだね。(去ろうとする) マルスリイヌ (駆けて、バルトロを抱くようにして連れ戻して)待って下さい、先生、帰っちゃいけませんよ。 フィガロ (傍白で)いけねえ、アンダルシヤの馬鹿野郎どもは、総攻撃で俺の祝言の邪魔をしやがるな。 シュザンヌ (バルトロに)お父《とう》さん、あなたの忰《せがれ》ですよ。 マルスリイヌ (バルトロに)知恵といい、腕といい、顔立ちといい、そっくり。 フィガロ 一文も御迷惑かけなかった忰でさあ。 バルトロ で、あの百エキュの着服は? マルスリイヌ (バルトロを愛撫しながら)皆でせいぜいやさしくしてあげますよ、父《とう》さん! シュザンヌ (バルトロを愛撫しながら)皆で、せいぜい可愛いがってあげますよ、お父《とう》ちゃん! バルトロ (ほろりとなって)父《とう》さん! お父《とう》さん! お父《とう》ちゃん! これじゃ俺《わし》の方がこの先生よりおめでたいわい。(ブリドワゾンを指して)まるで子供のように意気地《いくじ》がない。(マルスリイヌとシュザンヌは彼を抱擁する)いやいや! 俺はまだ“諾《うん》!”とは言わぬぞ。(振り返って)はて、殿様はどうなされたのだろう? フィガロ さあ、皆の衆、殿様のところへ急ごう。そうして、ぎりぎりの御返答を伺おう。また何か、からくりをおやりになると、始めからやり直しになるからなあ。 一同 さあ大急ぎ、大急ぎ。(一同、バルトロを連れ出す) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第二十場[#「第二十場」は中見出し] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] ブリドワゾン (独り)この先生よりも、お、おめでたい! そ、そんな事は、こ、こっそり言うことじゃ、いやはや……、こ、ここでは、ど、どいつも、こ、こいつも、れ、礼儀をわきまえぬなあ。(去場) [#改ページ] [#3字下げ]第四幕[#「第四幕」は大見出し] [#ここから地から2字上げ] [#ここから1字下げ] 舞台は広間となり、飾り燭台、釣り燭台は点《とも》され、花や花輪に飾られ、祝事が行われるばかりになっている。前面右手には文具を備えた卓、その後には椅子。 [#ここで字下げ終わり] [#ここで字上げ終わり] [#5字下げ]第一場[#「第一場」は中見出し] [#4字下げ]フイガロ シュザンヌ [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] フィガロ (シュザンヌを抱きしめて)どうだい! 可愛いい奴め、嬉しいか? お袋のなんとも言えない善《い》い言葉で、さすがのお医者さんも改心したぜ! お医者さんも厭々ながらお袋を貰《もら》うし、お前の頑固伯父さんもとり静められたんだ、お怒《むずか》りあそばすのは殿様ばかりだ、それもそのはずだ、俺たちの祝言はあちら様の御祝言の御褒美だからな。この上首尾でちったあ笑ってくれねえか。 シュザンヌ なんだか様子が変だと思わなかったかい? フィガロ こんな面白い事もないと思った。俺たちは殿様からお嫁資《かね》を捲きあげようと思っていたが、そこからは流れ出ないお嫁資《かね》が二《ふた》口も手にはいった。お前は執念深い恋敵につけねらわれていたが、その性悪婆《しょうわるばば》にこの俺が悩まされてもいたんだ、それががらりとひっくり返って、俺たちのためには世にもやさしい母親になったんだぜ。昨日までは、俺は、世の中に、たった独りぼっちだったが、今じゃ両親《ふたおや》が揃っちまった。俺が勝手に位をつけたほど立派な代物《しろもの》でもないが、金持の見栄を持っていない俺たちには、まずまず結構な両親だ。 シュザンヌ だが、お前が仕組んで、二人で楽しみにしていた事はまだどうにもならないじゃないか! フィガロ 運という奴が俺たち以上に働いてくれたじゃないか。世の中はとかくこうしたもんだ、こっちはこっちで、働いて、もくろんで、お膳立てをすると、うまい運《めぐ》り合せが向うから仕上げてくれる。世界を一《ひと》飲みにしようとする意地の汚ねえ野郎から飼犬に導《ひ》かれるおとなしい盲目《めくら》にいたるまで、どいつもこいつも運命の玩具《おもちゃ》だ、それにしても、取り巻きたくさんの豪勢な盲目よりも犬に導《ひ》かれる盲目の方が、よっぽど路も確かで、見当も間違えねえや。――恋という可愛いい盲目のためならなあ……(フィガロはさらにやさしくシュザンヌを抱く) シュザンヌ ほんとに! それだけが身に沁《し》みるよ! フィガロ だからさ、俺は犬になって、恋の奴《やっこ》の座頭めを可愛いい女の門口に連れて行って、そこで生涯暮らすのだ。 シュザンヌ (笑いながら)惚《ほ》れた女とお前とかい? フィガロ この俺と惚れた女だ。 シュザンヌ 他所《よそ》の住家《すみか》にゃ往《ゆ》かないね? フィガロ もし俺がそんな男だったら、百万人の色男がお前の所《とこ》に往ってもいい…… シュザンヌ 話が大袈裟《おおげさ》だよ。本当のことをお言いよ。 フィガロ 本当も本当も一番本当のところだ! シュザンヌ いいかげんにおしよ、意地悪! 本当がそんなにたくさんあるのかい? フィガロ そりゃあ、あるとも! 時がたてば、乱痴気《らんちき》も分別くさくなったり、昔の些細《ささい》な根もない嘘がとんでもねえ本当になったり、本当もいろいろ様々だ。口には出さぬが心で知ってる本当もある、うっかり喋《しゃべ》れない本当だ。本気にもならずに振りまわす本当もある、うっかり乗れない本当だ。それから、のぼせあがった恋の約束、母親《おふくろ》の小言《こごと》、酒飲みの誓言、お役人の宣言、商人の請合《うけあ》いそれからそれと限《きり》がねえや。ただシュゾンに惚れた俺の心こそ無垢《むく》の本当だ。 シュザンヌ その嬉しさが気狂いじみてて、気に入ったよ。ほんとに仕合せそうだよ。そこで、殿様とあいびきの相談だがね。 フィガロ そんな話ならご免|蒙《こうむ》ろう、危《あぶ》なくシュザンヌをしてやられるところだったからな。 シュザンヌ じゃあ、もう、あいびきは御免なんだね! フィガロ この俺を本当に好きなら、ねえシュゾン、そこんところをはっきり言ってくれよ、奴《やっこ》さんなんか待ち疲《くたび》れるがいいや、それが刑罰だ。 シュザンヌ あいびきを断わるよりも約束した苦しさの方がひどかったよ。それも、もうお終《しま》いさ。 フィガロ 本当か? シュザンヌ 私《わたし》ゃお前さんたちのような物識《し》りじゃないからね! 本当はたった一つだよ。 フィガロ じゃ、ちったあ惚れてくれたか? シュザンヌ たんとだよ。 フィガロ それだけじゃ足りねえ。 シュザンヌ どうしてさ? フィガロ 好《す》いた仲なら、ねえおい、過ぎてもまだ足りねえ。 シュザンヌ そんな洒落《しゃれ》た[#「洒落《しゃれ》た」は底本では「洒落《しゃれ》れた」]ことは私にゃわからないんだよ、好きなのは亭主ばかりさ。 フィガロ その言葉を忘れるなよ、そうなら、世間にたった一つの別格だ。(フィガロはシュザンヌに接吻しようとする) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第二場[#「第二場」は中見出し] [#4字下げ]フイガロ シュザンヌ 伯爵夫人 [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 夫人 そうれ! だから言わないこっちゃない、どこへ行っても、二人が一緒にいないことはないんだからね。さあさあ、フィガロ、そんなに内緒話ばかりしていると、さきの見込みが無くなって、祝言も、お前の身の上も台無しになるよ。皆がお前を今か今かと待ちかねているのよ。 フィガロ いや、全く、うっかりしておりました。これから行って、言いわけをして参りましょう。(彼はシュザンヌを連れて行こうとする) 夫人 (シュザンヌをおさえて)この女《ひと》はまた追《つ》いてゆく。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第三場[#「第三場」は中見出し] [#4字下げ]シュザンヌ 伯爵夫人 [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 夫人 衣物《きもの》をとりかえっこする支度はできているの? シュザンヌ もうその支度は要《い》りませんでございます、奥様、例のあいびきもいたさなくなりましたし。 夫人 まあ! 意見が変ったの? シュザンヌ フィガロの意見が。 夫人 私を誑《だま》したのね。 シュザンヌ とんでもない! 夫人 フィガロはお嫁資《かね》を逃《の》がすような男じゃないよ。 シュザンヌ まあ、奥様! 何をお考えになってそんな? 夫人 結局、お前は伯爵と申し合わせたものだから、あいびきの計略を私に打ちあけたのを後悔しているのでしょう。お前の心持ちはわかってるの。勝手におし。(夫人は去ろうとする) シュザンヌ (跪《ひざまず》いて)どうぞ奥様、お情けを! 私がどんなに苦しみますことかおわかりになりますまい! これほどお可愛いがり下さいましてお嫁資《かね》までも頂きましたのに!…… 夫人 (シュザンヌを助け起こして)まあ……私は何を言ったのだろうね? お庭に行く役を私に譲ってくれたのだから、お前は行くには及ばないのね、お前は夫との約束を守って、私が旦那様を取り返すのを助けてくれるのね。 シュザンヌ 私ほんとに悲しゅうございましたわ! 夫人 私が軽はずみだったのよ。(夫人はシュザンヌの額《ひたい》に接吻する)それで、あいびきの場所はどこ? シュザンヌ (夫人の手に接吻して)ただ、お庭と伺いましただけで。 夫人 (卓を指して)あのペンをとってちょうだい、場所をきめておこうね。 シュザンヌ 私が旦那様にお手紙を! 夫人 書かなければね。 シュザンヌ 奥様! それだけは御自分で…… 夫人 万事私が引き受けてよ。(シュザンヌは腰をかけて、夫人の言うことを書く)“今宵晴れなば、栗の木の、木《こ》の下闇は……今……宵晴れなば……” シュザンヌ (書く)“栗の……木の……木の下闇は……”それから? 夫人 それだけで旦都様がおわかりにならないと思って? シュザンヌ (読み返して)ほんに、そうでございますね。(シュザンヌは書面を畳《たた》んで)なんで封をいたしましょう? 夫人 留め針で、急いでね! その留針《ピン》がお返事の代りになるの。裹に“封じ目の留針《ピン》をお返し下されたく”と書いてね。 シュザンヌ (笑いながら書く)ほんとに! 封じ目の留針《ピン》! これこそ辞令の封印よりよっぽど面白うございますね。 夫人 (シェリュバンの事を思い出して悲しげに)ああ、ほんとにね! シュザンヌ (身のまわりを探しながら)ただいま、留針《ピン》がございませんが! 夫人 (上衣を脱《ぬ》いで)この上衣の留針《ピン》をね。(シェリュバンのリボンが胸から落ちる)あっ! 私のリボン! シュザンヌ (リボンを拾って)あの可愛いい盗人のリボン! 可哀そうに、お取り返しになって!…… 夫人 あの児の腕に巻いておいたほうが? 佳《よ》かったね! じゃ与《や》っておくれ! シュザンヌ あの児の血のついたリボンなんぞ、奥様には向きませんでございましょう。 夫人 (また取り返して)ファンシェットにはお誂え向きね……あの娘《こ》が花束を持って来しだい、与《や》ろうよ…… [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第四場[#「第四場」は中見出し] [#ここから地から2字上げ] [#ここから1字下げ] 羊飼いの娘 小娘の装いをしたシェリュバン ファンシェットならびに彼女と同じ服装の娘大勢、いずれも花束を持っている 伯爵夫人 シュザンヌ [#ここで字下げ終わり] [#ここで字上げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] ファンシェット 奥様、街の乙女たちが奥様に花を差しあげに参りました。 夫人 (急いでリボンを握りしめて)可愛いい娘《ひと》たちだこと。皆を知らなくっても赦《ゆる》してちょうだいね。(シェリュバンを指して)その、順《おとな》しそうな、可愛らしい娘《ひと》は誰《だあれ》? 羊飼の娘 私の従妹《いとこ》でございます。今日のお祝いだけに参りましたのでございます。 夫人 綺麗《きれい》な娘《ひと》ね。一度に二十も花束は持てないから、遠くから来た娘《ひと》のをもらいましょうね。(夫人はシェリュバンの花束を受け取って、シェリュバンの額に接吻する)ねえシュゾン……この娘《ひと》、誰かに似ているでしょう! シュザンヌ ほんとに、間違えるほど似て。 シェリュバン (傍白で、両手を胸に当てて)ああ! この接吻が待ちどおしかった! [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第五場[#「第五場」は中見出し] [#ここから4字下げ] 娘たち、その仲間にシェリュバンも交わる。ファンシェット アントニオ 伯爵 伯爵夫人 シュザンヌ [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] アントニオ 御前《ごぜん》様に申しあげます、彼奴《あいつ》がこの仲間にまぎれこんで居りますんで、私の娘の所《とこ》で彼奴に着物を着せましてね、彼奴の着物は娘の所《とこ》にございます、これこのとおり、こいつの軍帽を包みの中から見付けて参りましたんで。(アントニオは進み寄って娘たちを眺めてから、シェリュバンを認めて、女頭巾を奪《と》ると、長い人毛が落ちる。アントニオはシェリュバンの頭に軍帽を載せながら言う)それ見たことか、ご覧のとおり、軍人さんで! 夫人 (後しざりして)あら! シュザンヌ いたずらっ子め! アントニオ こいつに違げえねえと言ったとおりでござんしょう!…… 伯爵 (怒って)おい令夫人、これはなんのまねだ? 夫人 それがどうしたのでございます! 貴方よりも私の方がびっくりしておりますよ、とにかく貴方と同《おんな》じように怒っておりますわ。 伯爵 それにしても、先刻の、今朝の事もあるじゃないか? 夫人 それはもう、これ以上隠しだてをいたしましたら罪が深《ふこ》うございますから、申しあげましょう。じつは、この児は私の部屋に参っておりました。この娘たちが座興にこの児に女の着物を着せましたのも、手はじめは私たちがいたしました。ちょうどこの児に衣裳をつけております時に、不意に貴方がおいでになりまして、あんまりお立腹なので、この児は逃げますし、私は困ってしまいました。それで何もかも恐ろしくなって、あの様な始末になってしまったのでございますわ。 伯爵 (口惜《くや》しそうにシェリュバンに)お前はなぜ出発しなかったのだ? シェリュバン (にわかに軍帽を脱いで)殿様…… 伯爵 お前の違背を罰するから、そう思え。 ファンシェット (おちゃっぴいらしく)殿様、私の申すこともお聴き願います! いつも殿様がおいでになって私に接吻あそばす時は、きっとおっしゃいますわね、“ファンシェットや、接吻してくれるなら、なんでも好きなものを与《や》るぞ”って。 伯爵 (赤面して)俺《わし》が! そんなことを言ったかね? ファンシェット おっしゃいましたとも、シェリュバンをお罰しになるくらいなら、私の夫《おっと》として頂きとうございます。そうなりませば、狂うばかりに殿様をお慕い申しあげますわ。 伯爵 (傍白で)小姓|風情《ふぜい》にまでしてやられるのか! 夫人 とうとうお倉に火がつきましたねえ! 私と同じように潔白なこの娘《こ》の申し分には本当の事が二つございますわ。つまり、私の方では知らず識《し》らずに御心配をおかけいたしましたのに、貴方は質《たち》の悪いことばかりあそばしますから、私の当然の心配が増すばかり。 アントニオ 御前様でもやっぱり? 驚きましたな! とにかく、この娘《こ》は死んだお袋と同じように私がとっちめてやりましょう……もっともありがちの事じゃござんすがね、小娘だって、年ごろになりゃ……それは奥様もお覚えがござんしょう…… 伯爵 (当惑して、傍白で)どうも、俺を目の敵《かたき》にする悪霊が邸中をぐるぐるまわっているな! [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第六場[#「第六場」は中見出し] [#ここから4字下げ] 娘たち シェリュバン アントニオ フィガロ 伯爵 伯爵夫人 シュザンヌ [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] フィガロ 殿様、あまり娘たちをお引き留めになりますと、祝言もダンスも始めかねますが。 伯爵 お前が踊る! 気をつけてものを言えよ、今朝窓から飛び降りて右の足を挫《くじ》いたじゃないか! フィガロ (脚《あし》を動かしてみて)まだ少々痛みますが、なんでもございません。(娘たちに)さあ、さあ、娘子軍《じょうしぐん》、さあ行こう! 伯爵 (行こうとするフィガロをとめて)畑の土が柔かだったのは何より仕合せだったなあ! フィガロ 勿怪《もっけ》の幸いで、おっしゃるとおり、柔かくございませんでしたら…… アントニオ (行こうとするフィガロをとめて)それから、下まで飛び降りながら、からだを縮《ちぢ》めたっけね。 フィガロ もうちっと気が利いた奴なら、ねえおい、宙で停《と》まったかも知れねえだろう?(娘たちに)行こうぜ、娘さんたち! アントニオ (またフィガロをとめて)そこで、飛んだり縮んだりしている間に、児小姓《こごしょう》はセヴィラ目指して馬の早打ちか? フィガロ 早打ちやら、のこのこ歩きやら…… 伯爵 (またフィガロをとめて)ところで、小姓の辞令はお前のかくし[#「かくし」に傍点]の中にあったっけな? フィガロ (少し驚いた風で)まさにそのとおり、それにしてもなんという御詮議でござんしょう?(娘たちに)さあ行こう、娘さんたち! アントニオ (シェリュバンの腕を引っぱりながら)さきざき俺の甥になる男は嘘つきだ、とこの小娘が言ってるぜ。 フィガロ (びっくりして)シェリュバンか!……(傍白で)へまをやりやがる、このおっちょこちょいめ! アントニオ おい気は確かかい? フィガロ (その意味を探ろうとして)確かだ……確かだとも……何をつべこべ言ってやがるんだ? 伯爵 (そっけなく)アントニオは何もつべこべ喋《しゃべ》ってはおらん、においあらせいとう[#「においあらせいとう」に傍点]の上に飛び降りたのはシェリュバンだと申しておるのだ。 フィガロ へえ! この男がそう申しますなら……そうかも知れません、私の存ぜぬ事で議論はいたしません。 伯爵 してみると、お前もこの児も、飛び降りたのか?…… フィガロ 二人でいけないわけもございますまい? 飛び降り病は伝染《うつ》りますからな、パニュルジュの羊の群で御案内のとおり、特に殿様御立腹の砌《みぎり》は、誰も彼も我がちに、命がけで…… 伯爵 なに、二人一時にか? フィガロ 二人はおろか二ダースでも飛び降りましたでしょう。ねえ殿様、怪我人さえ出さねばそれで結構じゃございませんか?(娘たちに)困るなあ、一緒に来るのか、来ねえのか? 伯爵 (激して)茶番もいいかげんにせんか?(軍楽のプレリュウドが聞こえる) フィガロ さあ行進の合図だ、娘さんたち、めいめい受け持ちの場所につくんだぜ、受け持ちの場所に! さあ! シュザンヌ、腕を組もう。(一同退散、シェリュバン独り、頭をうなだれて舞台にのこる) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第七場[#「第七場」は中見出し] [#ここから4字下げ] シェリュバン 伯爵 伯爵夫人 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 伯爵 (フィガロの去りゆくのを見送りながら)あのくらいずうずうしい奴がいるかね? (小姓に)ところでお前のことだが、穢《けがら》わしいまねばかりする悪童だな、早く衣物《きもの》を着更えろ、もはや今宵の祝言には顔を出すこと相成らんぞ。 夫人 この児はさぞ悒《ふさ》ぐことでございましょう。 シェリュバン (前後の考えもなく)たとい牢獄《ひとや》の百年にかけても、額《ひたい》に受けた幸いを頂いてまいります。(彼は軍帽をかぶって、走り去る) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第八場[#「第八場」は中見出し] [#ここから4字下げ] 伯爵 伯爵夫人 [#ここで字下げ終わり] [#ここから4字下げ] (伯爵夫人は黙ってしきりに扇を使う) [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 伯爵 彼奴《きゃつ》の額に何か嬉しいしるしでもあるのかね? 夫人 (当惑して)あの……初めての軍帽……のことでございましょうよ、子供にはなんでも玩具でございますからね。(夫人は去ろうとする) 伯爵 お前はここにいてくれないのか! 夫人 私が気分のすぐれませんのは御承知じゃございませんか。 伯爵 お前の腰元のために暫く待ってもらいたいね、さもないと、お前が怒っているとしか思えないからな。 夫人 ああ、二組の婚礼の行列がまいりましたよ、ここで腰をかけて迎えてやりましょう 伯爵 (傍白で)婚礼か! とめてとまらぬ事なら、許すほかはあるまい。(伯爵と夫人は広間の一方へ退いて腰をかける) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第九場[#「第九場」は中見出し] [#ここから地から2字上げ] [#ここから1字下げ] 伯爵と伯爵夫人(腰をかけている)、エスパニヤぶりの仮装舞踏の行進曲が奏《かな》でられる。銃を担《にな》う密猟監視兵の一隊。 警察官一名、裁判官数名、ブリドワゾン、晴衣《はれぎ》を着た百姓の男女たち。 二人の娘は白い羽毛を飾った乙女頭巾を手に持っている。 他の二人の娘は白いヴェールを、他の二人の娘は手袋と花束とを別々に持つ。 アントニオは花嫁をフィガロに嫁《とつ》がせる者としてシュザンヌの手を把《と》る。 他の娘たちは、マルスリイヌのために、前例にならって、それぞれ乙女頭巾、ヴェール、白い花束を持っている。 フィガロはバルトロ国手に花嫁を戻す者として、マルスリイヌの手を把《と》る、国手は小脇に大なる花束をかかえて、行列の殿《しんがり》をつとめる。娘たちは伯爵の前を通りながら、シュザンヌとマルスリイヌに与えらるべき総《すべ》ての装飾物を家臣たちに渡す。百姓の男女の群は広間の両側に二列に並ぶ、踊子は、カスタニェットを鳴らして、エスパニヤ舞踊のひとくさりを舞う。次に、二部合唱の|前後を綾どる曲《リトゥウルネル》が弾《かな》でられ、その間、アントニオはシュザンヌを伯爵の前に連れてゆく、シュザンヌはそこに跪《ひざまず》く。 伯爵が彼女に乙女頭巾を頂かせ、ヴェールをかぶせ、花束を与える間、二人の娘は次の二部合唱を歌う。 [#ここから3字下げ] 乙女につらき因襲《ならわし》を 浄《きよ》めたまいし我が君の 正しき徳を言祝《ことほ》がん 高き勲《いさお》を謳《うた》わなん(意訳) [#ここから1字下げ] シュザンヌは、跪きながら、二部合唱の最後の数句が歌われる間に、伯爵のマントの裾《すそ》を引っぱって、手に持っている手紙をちらりと見せる、次いで彼女は観客席の方に向う手を頭上に加え、伯爵は彼女の乙女頭巾を整えるふりをすると、彼女は伯爵に手紙を渡す。 伯爵はさりげなく、手紙を胸に隠す。二部合唱は終り、花嫁は立ち上って、伯爵に最敬礼をする。フィガロは彼女を伯爵の手から受け取り、彼女とともに、広間の一方の側、マルスリイヌの傍らに退く。(この間、踊子はまたエスパニヤ舞踊のひとくさりを踊る) 伯爵は、急いで、受け取った手紙を読もうとして舞台の端まで進み出て、胸から手紙を取り出すが、取り出しながら、ひどく指を刺された男のような身ぶりをして、指を振ったり押したり、吸ったりしてから、留め針で封じてある手紙を眺めながら言う。 [#ここで字下げ終わり] [#ここで字上げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 伯爵 (彼が喋《しゃべ》る間も、フィガロが喋る間も、オルケストルは静寂《ピアニシモ》に弾《かな》でられる)女というものは実に厄介だ、やたらに留針《ピン》を使うのでなあ。(彼はピンを捨てて、手紙を読んで、手紙に接吻する) フィガロ (伯爵の様子を逐一《ちくいち》見とどけて、母とシュザンヌに言う)誰か娘っ子が通りすがりに手渡した恋文ですぜ。ピンで封じてあったもんだから、飛びあがるほどちくりとね。(ダンスがまた始まる。手紙を読んだ伯爵は裏を返して見ると、返事の代りにピンを返してくれという意向を知って、地面の上を探す。ようやく見つけて、そのピンを袖《そで》に着ける) フィガロ (シュザンヌとマルスリイヌに)可愛いい相手から来たものなら、なんでも大切だ。そら、奴《やっこ》さんピンを拾ったぞ。全く! 変り者だな!(この間、シュザンヌと伯爵夫人は互いに合点《うなず》き合う。ダンスはおわり、さらにリトゥウルネルの二部合唱が始まる。フィガロは、マルスリイヌを伯爵の前に連れて行って、前のシュザンヌの例にならう、あたかも伯爵が乙女頭巾を手に持ち、二部合唱が始まろうとした時、次のような叫び声で式が中断される) 廷丁 (戸口で叫ぶ)はいって来てはいけません、皆さん! そう皆は、はいれませんよ……兵隊さん助けてくれよ! 兵隊さん!(兵士数名戸口へ急ぐ) 伯爵 (立ちあがって)なんだね? 廷丁 閣下、バジル殿が歌いながら歩きますので、村中の者がついて参りました。 伯爵 バジル一人だけはいるがよい。 夫人 私はこれでご免|蒙《こうむ》ります。 伯爵 いや、御苦労だったね。 夫人 シュザンヌ!(伯爵に)シュザンヌは直ぐに帰って参りますからね。(傍白でシュザンヌに)さあ、これから衣物《きもの》を取り代えるのよ。 マルスリイヌ あの男が来て、ろくな事はありはしない。 フィガロ よし来た! 私が凹《へこ》ましてやりまさあ。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十場[#「第十場」は中見出し] [#ここから地から2字上げ] [#ここから1字下げ] 伯爵夫人とシュザンヌを除いて、前場と同じ登場人物、バジル(ギタを携えている)、グリップ・ソレイユ バジルは第五幕末段のヴォドヴィルの節《ふし》で次の唄をうたいながらはいって来る。 [#ここから3字下げ] 惚《ほ》れた弱味はせんもなや 移りやすいが恋ごころ りんきの虫を封じませ 浮気の鳥は飛ぶばかり 心変りが罪かいな 恋にゃ翼があるものを 恋にゃ翼があるものを 恋にゃ翼があるものを [#ここで字下げ終わり] [#ここで字上げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] フィガロ (バジルの方へ進み寄って)全くだ、さればこそキュピッドの背中には羽が生《は》え候だ、ねえ大将、その唄《うた》の心は? バジル (グリップ・ソレイユを指しながら)つまり、殿様の客人となったこの男を慰めて、殿への服従を証拠だてた上からは、今度は俺《わし》の方からお裁きを求めてもよかろうということだ。 グリップ・ソレイユ とんでもない! 殿様、この人のみすぼらしい唄なんか面白くもなんともございません…… 伯爵 で、結局お前の願いの筋は? バジル 私のものを、つまりマルスリイヌを申し受けたいのでございます、そこで不服を申し立てたく存じまするのは…… フィガロ (近寄って)しばらく、貴殿の恋の狂乱にもお目にかからなかったが? バジル お前も、いつまで人を。 フィガロ 私の目が立派な鏡になるから、私の予言が当ったかどうか、鏡にかけて見て下さいよ。万一、この婦人に指一本でも指そうとしたら…… バルトロ (笑いながら)なぜだ? 言いたい事は言わせるがいい。 ブリドワゾン (フィガロとバジルの間に進み出て)と、と、友だち同志で、あ、あ、争うのかね? フィガロ 私たちが、友だち? バジル とんだ間違いだ! フィガロ (矢継ぎ早やに)この人が抹香《まっこう》くさい歌を作るからですかね? バジル (矢継ぎ早やに)この男が三面記事のような詩を書くからかね? フィガロ (同じく)どぶろく屋の音楽師が…… バジル (同じく)乞食記者めが! フィガロ (同じく)へぼ音楽坊主が! バジル (同じく)外交官の下廻りが! 伯爵 (腰をかけたまま)両人とも無礼であるぞ! バジル 何かにつけて私をこきおろしますので。 フィガロ そううまくいけば結構だが! バジル いたるところで私をうつけ者と言いふらしまして。 フィガロ してみると、私は反響《こだま》かね? バジル 俺《わし》の手にかからずに名を挙げた歌い手が一人でもあるのかね? フィガロ 調子っ外《ぱず》れの名があがらあ。 バジル また、つべこべと! フィガロ 本当の事なら、言ってもよかろう? お前さんはぺこぺこ、ちやほやされる上《うえ》つ方《かた》かね? ねえ、ちんぴらさん、嘘つきを飼い殺しにする力がなけりゃ、本当の事はそのまま承服するもんだ。俺たちから本当の事を言われるのが厭なら、なぜ祝言の邪魔をしに来るのだ? バジル (マルスリイヌに)お前さんは、俺《わし》に約束したか、しないか、もし四年たっても、相手ができなかったら、俺《わし》に一番槍をつけさせると言ったじゃないか? マルスリイヌ どういう条件でお約束しましたかね? バジル 行衛不明の息子にめぐり会って、俺《わし》がその子を悦《よろこ》んでもらってやればな。 一同一緒に その子が見つかった。 バジル それがどうした! 一同一緒に (フィガロを指して)それがこの子でござい。 バジル (怯《おび》えて後へ退いて)こんな化物《ばけもの》を! ブリドワゾン (バジルに)こうなっては、あ、あ、あなたもこの人の母親を、も、も、もらわぬじゃろうな? バジル こんなならず者の父親《てておや》だと思うほど惨めなことがあろうか? フィガロ こんな奴のせがれだと思うようなね、冗談《じょうだん》じゃねえや! バジル (フィガロを指して)この男がここで幅を利かせるなら、俺《わし》はもう用はないわい。(バジル退去) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十一場[#「第十一場」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前記と同じ面々《めんめん》、バジルを除く [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] バルトロ (笑って)ハッ ハッ ハッ ハッ! フィガロ (雀躍《こおどり》して)そこでめでたく女房がもらえるというものだ! 伯爵 (傍白で)俺《わし》も女が手にはいる! ブリドワゾン (マルスリイヌに)これで、い、い、一同、ま、満足じゃな。 伯爵 婚姻契約書を二通作るがよいぞ、署名いたそう。 一同一緒に 万歳!(一同退出) 伯爵 俺もしばらく退出することにしよう。(他の者どもと共に去ろうとする) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十二場[#「第十二場」は中見出し] [#ここから4字下げ] グリップ・ソレイユ フィガロ マルスリイヌ 伯爵 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] グリップ・ソレイユ (フィガロに)じゃ、先刻《さっき》言いつけられたとおり、俺《おれ》はこれから、大きな栗の木の下で、花火を仕掛ける加勢をしよう。 伯爵 (駆けて戻って来て)どこの阿呆がそんなことを言いつけたのだ? フィガロ 何か不都合なことがございますか? 伯爵 (強く)それに、妻は気分がすぐれぬし、どこで花火が見えるのだ? 妻の部屋の真向いの築山《つきやま》にかぎるよ。 フィガロ わかったか、グリップ・ソレイユ、築山だぞ。 伯爵 大きな栗の木の下なんて! とんでもない考えだ!(去りながら、傍白で)危く、俺のあいびきを照らされるところだった! [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十三場[#「第十三場」は中見出し] [#ここから4字下げ] フィガロ マルスリイヌ [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] フィガロ 殿様はひどく奥方を気になさいますなあ!(去ろうとする) マルスリイヌ (フィガロをとめて)忰《せがれ》や、ちょっと一言《ひとこと》言っておくがね、何も彼《か》も言って、さっぱりしたいのだよ。私の勘違いから、可愛いいお前の女房にもすまない事をしてしまったの。バジルからは、あの女《こ》がいつも殿様をはねつけているとは聞いていたけれど、やっぱりあの女《こ》が殿様と示し合せていると思ったものだからね。 フィガロ たかが女の出来心でこの私がぐらつくなんて思われちゃ、忰を見|損《そこな》ったというもんですぜ。私を誑《だま》すような、どんなすれっからしでも、びくともするんじゃありませんや。 マルスリイヌ いつもそう思っていられりゃ仕合せだがね、ねえお前、それにしても嫉妬《やきもち》というものはねえ…… フィガロ 自惚《うぬぼ》れから生れる不肖の子でさあ、でなけりゃ、狂人《きちがい》の病いですよ。なんの! おっ母《か》さん、私《わたし》ゃここに(胸を指して)安心立命の……哲学って奴を持ってますからね、万一にも、いつか、シュザンヌが私を誑《だま》すことがあろうとも、先手を打って赦《ゆる》してやりますよ、私に妬《や》かせるには骨が折れますぜ。(フィガロはふり返って、ファンシェットがここかしこ何か探しているのを見つける) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十四場[#「第十四場」は中見出し] [#ここから4字下げ] フィガロ ファンシェット マルスリイヌ [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] フィガロ 危《あぶ》ねえ!……小娘の立ち聞きだ! ファンシェット まあひどい! 立ち聞きなんかしやしないわ、そんな事は悪い事だって。 フィガロ そりゃそうだ、だが、悪い事が役に立つから、世間じゃ悪《あく》と役《やく》とを道|連《づ》れにさせるのだ。 ファンシェット 私《わたし》ゃあの人がここにいるのじゃないかと思って探してたの。 フィガロ もうごまかしていやがる、おちゃっぴいめ! 彼奴《あいつ》がここにいないことは知ってやがるくせに。 ファンシェット そりゃ誰のこと? フィガロ シェリュバンよ。 ファンシェット 探してるのはシェリュバンじゃないの、あの児ならどこにいるか知っててよ、シュザンヌ姉ちゃんを探してるのよ。 フィガロ お前、シュザンヌになんの用があるんだ? ファンシェット ねえ兄さん、あんただけに言ってあげるわ。――実はね……私、シュザンヌ姉ちゃんにピンを返しにゆくところなの。 フィガロ (強く)ピン! ピンだって!……どこからの使いだ、ええファンシェット? お前の歳《とし》で、もうほ[#「ほ」に傍点]の字遊びたあ……(彼は自制して、穏やかな調子に返って)ねえ、ファンシェット、お前のやってることは結構な仕事だ、全くお前は親切な娘《こ》だからね…… ファンシェット じゃなぜ怒ったの? 私もう帰るわ。 フィガロ (押しとどめて)怒るものか、冗談だよ。ねえ、そのピンは殿様がシュザンヌに返してこいとおっしゃったんだろう、殿様が持っていらしった手紙の封をしたあのピンだろう、俺の言うとおりだろう。 ファンシェット それほどよくわかってるならなぜ問《き》くの? フィガロ (探るように)そりゃ殿様が御用をお言いつけになるのに、どういう風になさるかを見分けるのが面白いからさ。 ファンシェット それは、あんたたちが言うことと同じよ。“ねえ、可愛いいファンシェットや、このピンをお前の美しい従姉《いとこ》に返して、このピンは大きな栗の木の封印だよ、とただそれだけ言っておくれ”って。 フィガロ 大きな?…… ファンシェット く・り・の・木。それから、こんなこともおっしゃったの、“誰にも見つからないように用心おしよ”って…… フィガロ なんでもお言いつけに従うことだ。幸い誰にも見つからなかったからな。立派に御用を果してシュザンヌにも殿様のおっしゃった事だけしか言うんじゃないよ。 ファンシェット どうしてほかの事なんか言えて? 殿様は私なんか小娘《ねんね》だと思っていらっしゃるのよ。(ファンシェットは駆けて去る) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十五場[#「第十五場」は中見出し] [#ここから4字下げ] フィガロ マルスリイヌ [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] フィガロ こりゃいったいどうしたというんだ? マルスリイヌ どうしたんだろうね? フィガロ (息もつけずに)人もあろうに、あん畜生に!……これにゃ何かわけがあるぞ!…… マルスリイヌ わけがあるって! じゃ、どんなわけがさ? フィガロ (双手《もろて》を胸に当てて)今|聴《き》いた事が、(胸を示して)ここんとこに、鉛のようにねえ。 マルスリイヌ すっかり安心していた胸は、やっぱり風船玉だったのかねえ? ピン一本で気が抜けてしまうんだね! フィガロ (怒気をみなぎらせて)ところが、そのピンというのがね、おっ母《か》さん、彼奴《あいつ》が拾ったピンなんですぜ! マルスリイヌ (フィガロの言ったことを思い出させて)嫉妬《やきもち》なんて! なんだ! わたしゃここに、ねえ、おっ母《か》さん、安心立命の……哲学を持っていまさあ、もし、シュゾンがいつか私を誑《だま》しても、赦《ゆる》してやりますよ……なんて。 フィガロ (勢いよく)まあ、まあおっ母《か》さん! 人間は感じたとおりを言うもんですよ。どんな裁判官でも自分の事件の弁論をさせて、法律の説明をさせてご覧なさい! 恋にかけては、裁判官がどんなに血迷ってもわたしゃ驚きませんね!――そこで、ピンの使い分けをする可愛いい女のことですが、あの栗の木通信では、まだあいびきをする気にはなっていないでしょうね! 私が祝言をする以上、女房の事で怒るのが当り前だとしても、だからと言って、他の女と一緒に彼奴《あいつ》を捨ててしまう気にはなれませんぜ…… マルスリイヌ 見事な結論だね。そういうのを疑心暗鬼って言うんだよ。彼女《あのこ》が弄《もてあそ》んでいるのは殿様ではなくって、お前だということがはっきりわかっているのかい? わけも問《き》かずに彼女《あのこ》を悪く思うほど新しい種があがったのかい? たとい彼女《あのこ》が栗の木の下に出かけるにしろ、どういう目算《つもり》で行くのか、何を言うのか、何をするのか、お前にわかっているのかい? お前のめがね[#「めがね」に傍点]はもう少し確かだと思ったがね! フィガロ (感激して母の手に接吻して)ごもっともだ、おっ母《か》さん、そのとおり、そのとおり、全くそのとおりですよ! しかし、自然に嫉妬《やきもち》をやくのも無理はない、雨降って地固まる、でね。おっしゃるとおり、咎《とが》めたり騒いだりする前に様子を探りましょう。あいびきの場所はわかってるんだ。さよなら、おっ母《か》さん。(退出) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十六場[#「第十六場」は中見出し] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] マルスリイヌ (独り)さよなら、その場所なら私だって知ってるよ。それをつきとめておいてから、シュザンヌの演《や》り方を観《み》てもいようし、忠告さえもしましょう。なんて好《す》いたらしい嫁だろう! ほんとに! 私たち女が、自分勝手な角《つの》つき合いをしなければ、女を虐待《いじめ》る男たちを向うにまわしても、お互いに身が守れるのにねえ。あの男たち、威張りくさった、恐ろしい男たち……(笑いながら)そのくせ、何となくおめでたい男たち。 [#改ページ] [#3字下げ]第五幕[#「第五幕」は大見出し] [#ここから地から2字上げ] [#ここから1字下げ] 舞台は庭園内の栗の木立の下、左右には四阿《あずまや》がある。これは一名キオクスあるいは庭のお宮とも呼ぶ。舞台の奥には手入れをした空地、前面には芝を植えた腰掛け。舞台は暗い。 [#ここで字下げ終わり] [#ここで字上げ終わり] [#5字下げ]第一場[#「第一場」は中見出し] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] ファンシェット (独り、片方の手には二枚のビスケットと、オレンジ一つを持ち、他方の手には火を点《とも》した提燈《ちょうちん》を持って)左の方の四阿《あずまや》だって言うんだけど。あ、これだ。――でも、相役をつとめてくれるお小姓さんが来てくれなかったらこまるわ!……あの執事部屋の小父さんたち、厭な奴ぞろい、たったオレンジ一つでも、ビスケット二枚でもくれたがらないのよ! 娘《ねえ》ちゃん、誰に与《や》るんだい、だって。――いいじゃないの、誰かさんにあげるのよ――ふん! 俺たちにゃわかってるんだ――じゃ、いつ持って行けばいいの? 殿様の前に出られないあの児《ひと》を干乾しにはできないわよ、って言ってやったの。――それでも、押し問答しているうちに、頬《ほっ》ぺたに接吻されちゃったわ、ずうずうしい奴!……ほんとに、どうなることやら? 殿様はあの児《ひと》を返して下さるのかしら。(彼女を手探りに来るフィガロに気がついて、叫び声をあげる)ああっ!……(彼女は逃げだして、左手の四阿の中に入る) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第二場[#「第二場」は中見出し] [#ここから4字下げ] フィガロ(肩に長いマントを引っかけ、底の浅い、鍔広《つばひろ》の帽子をかぶっている) バジル アントニオ バルトロ ブリドワゾン グリップ・ソレイユ その他召使いや役夫の一群 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] フィガロ (最初は独り)ファンシェットだな!(彼は人々が登場するに従って、一瞥《いちべつ》を与えながら、突慳貪《つっけんどん》な口調で)今日は、皆さん、今晩は、皆、揃ってるかね? バジル お前がぜひ来てくれと頼んだ者たちは来たよ。 フィガロ もう何時ごろだろう? アントニオ (空を眺めながら)もう、月も出るころだ。 バルトロ いよう! えらい黒装束だな! まるで謀叛人といった風体《ふうてい》だ! フィガロ (そわそわしながら)ちょっと伺っておきますがね、皆さんは祝言のためにお邸に来てくれたんでしょうね? ブリドワゾン も、もちろん。 アントニオ 俺《わし》ら、これからお庭の方へ行って、お祝いの始まる合図を待つつもりだ。 フィガロ 皆の衆、あんまり遠くに行ってくれるなよ、ここの栗の木の下で、私がもらう立派な花嫁と嫁《かしず》け給う天晴《あっぱ》れな殿様とを言祝《ことほ》ぐんだぜ。 バジル (その朝からの始末を思い出して)ははあ! なるほど。事の次第は読めたぞ。悪いことは言わない、この場をはずそうよ。あいびきがあるのだ、今すぐ、わけを話してやるからな。 ブリドワゾン (フィガロに)では、俺《わし》らはま、また来るよ。 フィガロ 私が呼ぶのが聞こえたら、皆、駆けつけて下さいよ、万一面白い芝居をお目にかけられなかったら、お叱り下さるべく候。 バルトロ 忘れるなよ、分別のある者は上《うえ》つ方《かた》とは争わぬことじゃ。 フィガロ 心得ておきますよ。 バルトロ 御身分からして、我々よりもずんと上の方々だからな。 フィガロ 知恵才覚が上ではないってことを貴方忘れていらっしゃる。しかしね、人間も意気地なしと思われると、悪党どもから勝手なまねをされるってことも覚えていて下さいよ。 バルトロ しかと心得た。 フィガロ ついでに、私が母方の歴《れき》とした先祖の、“颯爽《さっそう》”という名を持っていることもですよ。 バルトロ どうかしているぜ、この男は。 ブリドワゾン ま、ま、全く。 バジル (傍白で)伯爵とシュザンヌは俺《わし》を出し抜いて、仕事をはこんだな、ひょんなはめ[#「はめ」に傍点]になろうとも、俺《わし》の知ったことかい。 フィガロ (召使たちに)お前《めえ》さんたちに言っとくがな、俺《わし》が言いつけたとおり、この近所を燈火《あかり》で照らすんだぜ、もし間違ったら、手当り次第に腕をひっ掴《つか》んで噛《か》み殺すぞ……(彼はグリップ・ソレイユの腕をこづき廻わす) グリップ・ソレイユ (叫んで、泣きながら逃げ出す)あいた、た、た、あ! フィガロの畜生め! バジル (退出しながら)花婿殿、ひどく御機嫌だな!(一同退場) [#ここで字上げ終わり] [#5字下げ]第三場[#「第三場」は中見出し] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] フィガロ (ただ独り、暗闇の中をいったり来たりしながら、きわめて沈痛な口調で独語する) [#ここから2字下げ]  噫々《ああ》、女! 女! 女! 弱ああい、当てにならねえ代物《しろもの》だなあ! 凡《およ》そ生きとし生けるものは本能に縛られるが、手前の本能は男を誑《だま》かすことか?……  俺が伯爵夫人の目の前で、彼奴《あいつ》との祝言を急《せ》かせているのを依怙地《いこじ》に退《しりぞ》けたあげく、いざ祝言となった式の最中、彼奴《あいつ》が誓いの詞《ことば》を陳《の》べている時にも……伯爵は、媾曳《あいびき》の文を読みながら嗤《わら》っていやがった、悪党め! この俺こそいい面《つら》の皮だ! そりゃ、いけませんよ、伯爵閣下、彼女《あいつ》ばかりは渡せません……渡して堪《たま》るものか。貴方は豪勢な殿様というところから、御自分では偉い人物だと思っていらっしゃる! 貴族、財産、勲章、位階、それやこれやで鼻高々と! だが、それほどの宝を獲《え》られるにつけて、貴方はそもそも何をなされた? 生れるだけの手間をかけた、ただそれだけじゃありませんか。おまけに、人間としてもねっから平々凡々。それにひきかえ、この私のざまは、くそいまいましい! さもしい餓鬼道に埋もれて、ただ生きてゆくだけでも、百年このかた、エスパニヤ全土を統治《おさ》めるぐらいの知恵才覚は搾《しぼ》りつくしたのです。ところで貴方はこの私と勝負をなさるおつもりですな。誰か来た……彼女《あいつ》だ……誰でもないのか……いやに真暗な夜だなあ。俺はこうして間抜けな亭主の役を勤めてはいるものの、実はまだ半端な亭主にて候だ!(彼はベンチに腰をおろす)  ぜんたい、俺の身の上ほど珍妙なものがまたとあろうか。忰《せがれ》は忰だが親がわからず、悪漢《わるもの》に拐《さら》われ、うしろ暗い奴らの仁義沙汰で育てられたが、それがつくづく厭《いや》になって、せめて恥かしからぬ仕事にありつきたいと念《おも》うには思ったが、さて、どこへ行っても相手にされず! 学んだ知識は化学、薬学、外科治療、しかもさる貴族のおかげを以て、辛《から》くも手にはいった職は獣《けだもの》の針医ときやがった! 病み煩《わずら》った四足《よつあし》どもをちくちく刺すのも厭気《いやき》がさして、何か陽気な商売もがなと、盲目滅法《めくらめっぽう》に飛びこんだのが芝居道だ。が、それも首っ玉に石を結びつけて身投げの為体《ていたらく》だ! が、とにもかくにも、俺は脚本にトルコ後宮の淫風を書きなぐった。天晴《あっぱ》れエスパニヤの作者となりすまして、思うぞんぶんマホメットにけち[#「けち」に傍点]をつけてやろう、と思うとたんに、どこからとも知れぬ使いの者が現われて、その御注進によれば、荘厳御門の名も高きトルコ帝国を始めとして、お次がペルシャにインドの一角、エジプト全土をひっくるめて、バルカ、トリボリ、チュニス、アルジェリア、モロッコの諸王国のお偉方《えらがた》が俺の台詞《せりふ》でお冠を曲げたとおっしゃる。そこで、俺の喜劇はまんまと失敗、悦《よろこ》んだのは回々《ふいふい》教徒の王族どもだ。しかもそれが一人のこらず無学文盲《あきめくら》と見たはこっちの僻目《ひがめ》か、あまつさえ俺の肩先きを蚯蚓腫《みみずば》れにして、キリスト教徒の犬畜生とまで吐《ぬ》かしやがった――堕落を肯《がえん》ぜざれば虐待に甘んぜよ、という復讐だな――俺の頬はげっそりとこけて[#「こけて」に傍点]家賃《たなちん》の切れ目が店《たな》だての期限かとはるかかなたを眺めてみると、はや、怕《こわ》い執達吏の小父《おじ》さんが、法官の鬘《かつら》、耳に鵝《が》ペンをはさんで、のそりのそりと御入来だ。こっちはひたすら恐縮して、ただもうじたばたするばかり。当時世上の問題は、富の性質|如何《いかん》にとどめをさした。富を論ずるに富を所有する必要もなかったから、俺は赤貧とはいうものの、貨幣の価値とその利潤について論文を書きなぐったが、書いたと思うそばから俺はもう泥棒馬車で運ばれ、馬車の中から眺めると監獄の吊《つり》橋が渡れとばかりおろされ、そこに入るや否や、希望も自由もおさらばという始末だ。(彼は立ち上がる)  人を監獄にぶち込むなんざあ朝飯前の、三日天下の長官どもをなんとかとっちめてやりたいものだなあ。免職が奴らの慢心を払い除《の》けた暁に、俺は言って聴《き》かせてやりたい。愚劣なる印刷物は発行禁止の国にあらざれば権威なく、誹謗の自由なくんば追従の賛辞もなく、かつまた、些細《ささい》の記事を惧《おそ》るるはただ小人あるのみ、と。(彼は再び腰をおろす)  監獄のお客にしておくのも飽《あ》きがきたとみえて、ある日、俺は往来に抛《ほう》り出された。監獄は出ても飯を食わずにはいられぬから、またまた鵝《が》ペンを削りなおして、問題ござんなれと会う人ごとに訊《たず》ねてみたら、俺の官費隠退の間に、マドリッドにおいては、物産交易の自由が制定せられて、それが出版刊行物にも及んだとの噂だ。そこで、主権、信仰、政治、道徳、顕官、金融組合、オペラその他の興行、相当の顔役、ざっとこの辺に筆《ペン》先の饒舌《じょうぜつ》が触れぬかぎり、数名の検閲官の監督の下なら、俺は自由に出版ができると承わった。寛大至極なこの自由を利用して、俺は定期刊行物を御披露におよび、人まね小まねも気が利かぬから、あえて自ら「がらくた新報」と名づけた。  いまいましい! 今度も俺を目の敵《かたき》にする三文記者がうじゃうじゃと湧いて出て、新聞はたちまち発行禁止、またもや元の無職渡世となりさがった! いよいよ俺も運の尽きというところへ、就職口《くち》を心配する奴が現われたが、悪いことには、その口がぴったり俺に嵌《はま》り役だった。ところで、会計係御入用のおりから、その口にありついたのが舞踊《ダンス》の先生で、俺の口は泥棒のほかには無くなった。破れかぶれで始めたのがファラオン博打《ばくち》の胴元だが、さて、どんなもんです。善男善女よ! たちまち料理屋で食事をする身分に成りあがり、紳士貴顕も俺に門戸を開いたものだが、その代りに利益《あがり》の四分の三は彼奴《きゃつ》らに占《せし》められた。甘《うま》い汁を吸うには、知識よりも権謀《やりくり》がましだと俺もそろそろ悟れたから、浮びあがろうと思えば浮びあがれもしたろうが、どいつもこいつも、俺には正義を強《し》いながら、奴らは勝手に盗みほうだいで、こっちはいよいよ没落の体《てい》だ。今度こそは、二十|尋《ひろ》もあろうという深い淵瀬に身を投げて、娑婆にも暇乞いというところへ、助ける神もあって、俺はまたまた振り出しの理髪|稼業《かぎょう》、道具袋と皮砥《かわと》に二度の勤めだ。それからというものは、埒《らち》もない名誉は、欲《ほ》しがる阿呆にお預けとして、恥や外聞はてくてく歩きの男には邪魔ものゆえ、往来の真中に投げ捨てて、町から町へ顔|剃《そ》り商売、結局のんきな貧乏身過ぎに立ち戻った。  ところが、さる貴いお方がセヴィラお通りの砌《みぎり》、某《それがし》に一顧を垂れ給うたから、こっちはこっちで婚姻の斡旋《とりもち》、俺の力で奥方ができあがったその返礼に、先方では俺の女房を横取りという寸法だ。そこで暗闘が始まり嵐が起こる。危く母親を娶《めと》って世間に顔向けもならぬ羽目になろうとするところに、両親の正体が一時《いちどき》に露《あら》われ、(彼は興奮して立ち上がる)いやはや、それからが議論口論、貴様らだ、彼奴《あいつ》だ、俺だ、俺たちじゃない、それならいったい誰が誰だ。(彼はまた腰をおろす)  いや全く、不思議な事件の珠数《じゅず》つなぎだなあ! どうしてこんな事になったのだ? なぜこんな事になって、他の事にはならなかったのだ? こんな運命《さだめ》を誰が俺に授けたのだ? 理由《わけ》もわからずに浮世の旅に追われたあげく、理由《わけ》もわからずに、おさらばと相成ることか。陽気な性分《しょうぶん》に任せて路のほとりに撒《ま》き散らした人生《いのち》の花の数々、それももって生れた陽気な性分とは言うものの、他の持ち物と同じく俺の持ち物なのか。さては、持てあましているこの俺自身がそもそも何者だ。為体《えたい》も知れぬがらくたの、とりとめもない寄せ集めだ。搗《か》てて加えて、阿呆らしいけち[#「けち」に傍点]な野郎だ。とるにも足らぬ巫山戯《ふざけ》た獣《けだもの》、道楽ならなんでもござれの、快楽《たのしみ》には目のない若者、その日暮らしの万屋《よろずや》商売、こちらでは先生、あちらで下郎、出たとこ勝負の風来坊、虚栄ゆえの野心満々、必要ゆえの刻苦勉励、だが、怠けることは……無二の好物! 今日主義の演説使い、疲《くたび》れ休めの詩人にもなれば、風向き次第の音楽家、気|紛《まぐ》れの色男にもなりつくして、何から何まで、目にも視《み》、手にも掛けたが、結局、骨折り損のくたびれ儲《もう》けか。とうとう、夢も望みも破れて砕けて幻滅の男となり果てた……幻滅の男と! シュゾン、シュゾン、シュゾン! これほどまでに俺に苦労をさせるのか! 跫音《あしおと》が聞こえる……誰か来た。これからが乗るか反《そ》るかの岐《わか》れめだぞ。(彼は右手の通路に姿を隠す) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第四場[#「第四場」は中見出し] [#ここから4字下げ] フィガロ 伯爵夫人(シュザンヌの衣物《きもの》を着て) シュザンヌ(伯爵夫人の衣物を着て) マルスリイヌ [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] シュザンヌ (低声《こごえ》で、伯爵夫人に)そうでございますよ、フィガロもここに参るだろうとマルスリイヌが申しておりました。 マルスリイヌ 確かに、来ているのよ、小さな声でね。 シュザンヌ そうなると、一人が私たちの言うことを立ち聞きしていると、もう一人が私とあいびきをしに来るのね。 マルスリイヌ 一言《ひとこと》も聴きもらさないように、私はあの四阿《あずまや》の中に隠れようよ。(彼女はファンシェットが入った四阿の中に隠れる) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第五場[#「第五場」は中見出し] [#ここから4字下げ] フィガロ 伯爵夫人 シュザンヌ [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] シュザンヌ (聞こえよがしに)奥様お慄《ふる》えになっていらっしゃいますよ! お寒いのでございましょうか? 夫人 (同じく聞こえよがしに)しめっぽい夜ね、私、館《うち》に入るわ。 シュザンヌ (同じく)もう御用がなければ、私はこの木の下でしばらく涼んでまいります。 夫人 (同じく)夜露に濡れるよ。 シュザンヌ そのつもりで支度して参りましたから。 フィガロ (傍白で)ふむ、なるほど、夜露か!(シュザンヌはフィガロと反対側の通路の近くに退《しりぞ》く) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第六場[#「第六場」は中見出し] [#ここから4字下げ] フィガロ シェリュバン 伯爵 伯爵夫人 シュザンヌ (フィガロとシュザンヌは舞台前面に退いている) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] シェリュバン (士官の服を着て、|恋の歌《ロマンス》の一節を陽気に歌いながら登場する) [#ここから3字下げ] ラ・ラ・ラ 忘るべしやは 名づけの母 [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 夫人 (傍白で)あの児《こ》だわ! シェリュバン (立ちどまって)ここは散歩するところだから、急いで隠れ家に帰ろう、帰ればファンシェットが……あれでも女だからな! 夫人 (聴き耳を立てて)まあ、呆《あき》れた! シェリュバン (遠くをみるように腰をかがめて)見|損《そこな》いかな? 暗い、向うの方に、羽毛《はね》のある頭巾が見えるが、シュザンヌらしいぞ。 夫人 (傍白で)もし伯爵がいらしったら!……(伯爵は舞台の奥に現われる) シェリュバン (伯爵夫人に近寄って、その手を握ろうとする、夫人はそうさせまいとする)そうだ、これがシュザンヌという可愛いい娘《こ》なんだ。全く! この柔かいお手《てて》が何よりの証拠じゃないか、はっと驚くこのお手《てて》の慄《ふる》えがねえ、とりわけ、私の胸の動悸《どうき》がねえ!(彼は夫人の手の甲を自分の胸に当てようとする、夫人は手を引く) 夫人 (低声《こごえ》で)あっちへ去《い》ってよ! シェリュバン お庭のここまで、わざわざ訪ねてくれたのはなさけぶかいね、先刻《さっき》から私は隠れていたんだもの…… 夫人 フィガロが来るよ。 伯爵 (進み出て、傍白で)あすこに見えるのはシュザンヌではないかな? シェリュバン (夫人に)フィガロのことなんか心配しやしないよ、だって、お前はフィガロを待ってるんじゃないもの。 夫人 じゃ、誰を? 伯爵 (傍白で)シュザンヌは誰か相手があるな。 シェリュバン 殿様を待ってるんじゃないか、いたずら女め、今朝、私が椅子の後ろにいた時、殿様があいびきにおいで、とおっしゃったじゃないか。 伯爵 (傍白で、立腹して)また、あのけしからん小姓めが! フィガロ (傍白で)諺《ことわざ》に曰《いわ》く、立ち聴きすべからずか! シュザンヌ (傍白で)お喋《しゃべ》り小僧! 夫人 (小姓に)私もう帰らしてね。 シェリュバン 言うことを聴いてやる御褒美をくれなければ帰さないよ。 夫人 (恐れて)どうしても、帰してくれないの?…… シェリュバン (熱心に)まず、お前の分として、接吻二十ぺん、お美しい奥様の分が百ぺんさ。 夫人 どうあってもかい?…… シェリュバン そりゃ! そうだとも、どうあっても。お前は殿様のために奥様の代りを勤めるんだし、私はお前のために殿様の代りになるんだもの、一番馬鹿を見るのはフィガロさ。 フィガロ (傍白で)ふてえ餓鬼め! シュザンヌ (傍白で)小姓にしては凄腕《すごうで》だこと。(シェリュバンは伯爵夫人に接吻しようとする。伯爵はシェリュバンと夫人との間に入りこんで、その接吻を受ける) 夫人 (身を引いて)ああ! びっくりした! フィガロ (傍白で、接吻の音を聴きながら)俺《おり》ゃ、とんでもない女と夫婦になるところだった!(彼は聴き耳を立てる) シェリュバン (伯爵の上衣を手で触《さわ》って見て、傍白で)殿様だ!(彼は逃げ出してファンシェットとマルスリイヌの入った四阿《あずまや》の中に隠れる) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第七場[#「第七場」は中見出し] [#ここから4字下げ] フィガロ 伯爵 伯爵夫人 シュザンヌ [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] フィガロ (近寄って)もう我慢が…… 伯爵 (小姓にものを言っているつもりで)二度と接吻でもして見ろ……(相手は小姓と思って張りとばす) フィガロ (伯爵の手の届くところにいたので、その張り手をくう)あ痛《い》た、た! 伯爵 ……初めの接吻、擲《なぐ》られ損たあ、この事だ。 フィガロ (傍白で、頬を擦《さす》りながら退却して)立ち聴き必ずしも役得ならず、か。 シュザンヌ (反対側で声高く笑う)はっ、はっ、はっ、はっ! 伯爵 (伯爵夫人をシュザンヌと思いこんで)あの小姓ぐらい、わけのわからん奴があるかね? 厭というほど擲られて、笑いながら逃げ出すなんて。 フィガロ (傍白で)俺が擲られて小姓が痛かったら不思議だあ! 伯爵 どうした事だ! 一歩歩いても小姓にぶつかる……(夫人をあくまでシュザンヌと信じながら)しかし、そんな変な事はどうでもいい、せっかく、お前とここで会う楽しみの邪魔になるからな。 夫人 (シュザンヌの口調をまねて)楽みにしていらっしゃいまして? 伯爵 あの味のある文《ふみ》をもらってはなあ!(夫人の手を握って)慄《ふる》えてるね? 夫人 恐《こわ》かったのでございますもの。 伯爵 手紙はもらったが、接吻は禁物というわけでもなかろう。(彼は夫人の額に接吻する) 夫人 お浮気ばっかり! フィガロ (傍白で)この女《あま》め! シュザンヌ (傍白で)御愛嬌たっぷり! 伯爵 (夫人の手を握りながら)いやどうも、肌理《きめ》がこまかくて、柔かい手だね、伯爵夫人の手はこんなに佳《よ》くはないよ! 夫人 (傍白で)まあ! 非道《ひど》い事を! 伯爵 こんなに締まっていて、むっちりしている腕! うま味があって、いたずら好きな、こんな綺麗な指が夫人《あれ》にあるだろうか? 夫人 (シュザンヌの声色《こわいろ》で)これが恋と申すもの? 伯爵 恋というものが……心の語りぐさなら、快楽《たのしみ》は恋の実禄だね、実禄なればこそ、お前の膝に引き寄せられる。 夫人 では、もう奥様はおいとしいとは思召《おぼしめ》しません? 伯爵 それは、いとしくは思うがね、だが、三年も一緒にいると、夫婦の間も興覚めてくるものさ! 夫人 では奥様になんの御不足が? 伯爵 (彼女を愛撫しながら)お前の持っているものがさ、愛《う》い奴だ…… 夫人 はっきりおっしゃって。 伯爵 ……なんと言うか、もっと紋切り形でないもの、ふるまいに、もっとぴりっとしたところをね。なんとなく味のある、たまには言うことをきかない、とでもいうか? 女というものは、我々を愛しさえすれば、勤めを果したと思っている、そうきまってしまうと、愛して、愛して愛し続けて、あんまり機嫌をとりすぎ、ねちねちと世話を焼きすぎて、それが年中で、休みなしときたひには、誰だって、いつかは、日ごろ求めていた幸福《しあわせ》もうんざりするものだということがわかるよ。 夫人 (傍白で)まあ! なんという教訓《みせしめ》だろう! 伯爵 いや全く、シュゾン、俺《わし》は考えたよ、世の常の女房からは消え失《う》せた楽みを他に求めるのは、女たちが我々男の興味をつなぐ術を究《きわ》めないからだ、とりかえひっかえ、恋の新味を見せて、いわば、変ったものの面白さで女を手折《たお》る面白さをひきたたす術を究めないからさ。 夫人 (つんとして)では何から何まで女がいたらないのでございましょうか?…… 伯爵 (笑いながら)そこで男には責任なしかね? それが男女の自然なら、変えるわけにもいくまい? 我々男の勤めは女どもを手に入れることで、女の勤めは…… 夫人 女の勤めは?…… 伯爵 我々男を手放さぬようにすることだが、えて忘れがちだ。 夫人 それは私のことではございません。 伯爵 こちらでもない。 フィガロ (傍白で)こちらでも。 シュザンヌ (傍白で)こちらでも。 伯爵 (夫人の手を握って)反響《こだま》にひびくね、低声《こごえ》で話そう。お前は何もそんな事を考えるには及ばない、恋に勇み恋に美しくなるようにできた女だ! ちょっと浮気心もあって、なかなか気をもませる情婦《いろ》だよ!(彼は夫人の額に接吻して)なあシュザンヌ、カスティルラの武士《もののふ》に二言《にごん》はない。この金子《きんす》はお前が恵んでくれた嬉しい機会《とき》にな、二度と還えらぬ貢《みつぎ》を買い戻そうためさ。それにしても、お前の好《す》いたらしさが飛び切りなので、このダイヤも景物にするから俺《わし》を慕うしるしに身につけておくれ。 夫人 (お辞儀をして)シュザンヌめはありがたく頂戴いたします。 フィガロ (傍白で)このくれえずぶてえ女《あま》は見たことがねえや。 シュザンヌ (傍白で)結構なものが頂ける。 伯爵 (傍白で)此女《こいつ》、慾にもからんでいるな、願ったりかなったりだ! 夫人 (奥を眺めて)あら、松明《たいまつ》が。 伯爵 お前の祝言の支度だよ。しばらく四阿《あずまや》に隠れて、あの連中を通りすごさせようか? 夫人 燈《あか》りも点《つ》けませずに? 伯爵 (やさしく夫人を誘って)そんなものが要《い》るものかね? 本《ほん》を読むんじゃあるまいし。 フィガロ (傍白で)彼女《あいつ》め行きやがるな、うむ! そんな事だろうと思っていたんだ。(彼は進み出る) 伯爵 (振り返って、高声に)そこを通るのは誰だ? フィガロ (憤然として)通るとは! 心あってまかり出《い》で候。 伯爵 (低声で、夫人に)フィガロだ!(彼は逃げる) 夫人 お一緒に参りますわ。(夫人は右の四阿に隠れる、その間に伯爵は奥の林の中に身を匿《かく》す) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第八場[#「第八場」は中見出し] [#ここから4字下げ] フィガロ シュザンヌ(暗闇の中) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] フィガロ (伯爵と彼があくまでシュザンヌと思いこんでいる伯爵夫人の行衛《ゆくえ》を見届けようとして)もう何も聞こえない。二人とも入りやがったな、この俺のざまはどうだ。(声も変わってしまって)ねえ、皆さん、間抜けな旦那様がた、銭を払って探偵を養って、幾月も幾月も悋気《りんき》のまわりをぐるぐるまわって、虫封じもできない貴方がたに申しあげますがね、どうして私のまねをなさらないんです? 私なんざあ、夫婦始《ふうふはじ》めの日から女房の後を探《つ》けて、聴き耳を立ててちょっと手を翳《かざ》せば楽屋はまる見えですよ、面白いもんです、もう一点の疑いもありません、肚《はら》はきまってるんです。(勢いよく歩いて)幸いに、こっちは平気の平左で、嬶《かか》あの不義密通なんか痛くも痒《かゆ》くもありませんや。姦夫姦婦の種《たね》はもうあがってるんです! シュザンヌ (暗闇の中を静かに近寄って来て、傍白で)さんざん疑《うたぐ》ってから後悔するだろうよ。(彼女は伯爵夫人の声色《こわいろ》を使って)そこにいるのは誰《だあれ》? フィガロ (悪く巫山戯《ふざけ》て)誰ぞと仰《おお》せらるるや? おぎゃあと生れたその時に、ペストにでも罹《かか》って往生すればよかったと、つくづく思っております野郎で…… シュザンヌ (伯爵夫人の声調《こわね》で)おや! やっぱり、フィガロだね! フィガロ (眺めて、勢いよく)伯爵夫人でございましたか! シュザンヌ 小さな声でね。 フィガロ (急いで)ああ! 奥様、よいところにおいで下さいました! 殿様がどこにおいでになるか、御承知でございますか? シュザンヌ つれない方なんか、どうでもいいじゃないか? あのねえ…… フィガロ (いっそう急いで)それに、花嫁のシュザンヌがどこにいるとお思いになります? シュザンヌ 小さな声でお話しってば! フィガロ (ひどく急いで)身持ちのよい、彼女《あいつ》だけは別ものと思いましたあのシュゾンが! 二人であすこに隠れたんでございます。呼んでやりましょう。 シュザンヌ (手でフィガロの口を閉《ふさ》ごうとして、声色を使うのを忘れる)呼ぶんじゃないよ! フィガロ (傍白で)なんだ、シュゾンか! ゴッダム! シュザンヌ (伯爵夫人の声調で)なんだか心配の様子ね。 フィガロ (傍白で)とんでもない女だ! この俺を驚かそうなんて! シュザンヌ 敵《かたき》を討つのよ、フィガロ。 フィガロ それほど御執心でございますか? シュザンヌ 敵討ちなんて、女らしくないかね! でも、男にはいろいろな討ち方があるのにねえ。 フィガロ (心底を打ちあけるように)奥様、ここでは水入らずでございます。女の敵討ちにも、……男と同じように、いろいろございますよ。 シュザンヌ (傍白で)いやってほど打《ぶ》ってやるから! フィガロ (傍白で)祝言の前にはこんなまねも面白《おもし》れえ…… シュザンヌ こんな敵討ちも恋に絡《から》まなければなんにもならないだろう? フィガロ どこにも恋心がないとおっしゃるのは、敬う心が恋を匿《かく》すからでございます。 シュザンヌ (むっとして)真面目《まじめ》に思っているのか知らん、沁々《しみじみ》と言ってくれないのね。 フィガロ (滑稽な熱意をこめ、跪《ひざまず》いて)ああ! 奥様、お慕い申しております。お考え願います。この時、この場所、このいきさつ、それに、私のお願いに雅《みや》びはなくとも、殿様へのお恨みが軽くなれば。 シュザンヌ (傍白で)打《ぶ》って、打《ぶ》って、打《ぶ》ちのめしてやりたい! フィガロ (傍白で)嬉しくって、どきどきしやがる。 シュザンヌ それにしても、考えての上だろうね?…… フィガロ そりゃ、もう奥様、そりゃ、考えぬいた末でございます。 シュザンヌ ……御勘気に代えても、シュザンヌの恋に代えてもね…… フィガロ ……もう一刻も延ばせません、奥様お手を。 シュザンヌ (自分の自然の声で、フィガロを張りとばす)手はこれだよ。 フィガロ いや! 御無礼な! なんたる御|打擲《ちょうちゃく》! シュザンヌ なんたる御打擲だって? じゃ、これは!(再た打つ) フィガロ いったいどうしたんだ? 冗談《じょうだん》じゃねえ! 今日はなぐられ日か? シュザンヌ (一句ごとにフィガロを打って)ほんとに――シュザンヌはどうかしているよ、これがお前の疑心《うたがい》、これがお前の敵討ち、これがお前の裏切り、策略、中傷《わるくち》、魂胆。これがお前の恋なのかい! 今朝言った恋なのかい? フィガロ (笑って立ち上がりながら)荒女神、荒女神! そうさ、これこそ恋だ。なんたる果報! なんたる嬉しさだ! ひっぱたいてくれ、俺の色女、休まずにひっぱたけ。だが、俺のからだ[#「からだ」に傍点]を打撲傷《うちきず》で染めわけてから、ねえシュゾン、女からさんざん擲《なぐ》られた天下一の仕合せ者を、やさしく眺めてくれよ。 シュザンヌ 天下一の仕合せ者だとさ! 浮気者、やっぱりお前はその口車で奥様を迷わせたんだよ、だから私まで、ほんとに、うっかりして奥様の代りに誑《だま》されたんだね。 フィガロ その佳《い》い声の音色《ねいろ》で俺が化《ば》かされるかい? シュザンヌ (笑いながら)私だってことがわかったのかい? ほんとに! どうしたら敵が討てるかねえ? フィガロ さんざんひっぱたいておいて、相手を怨《うら》むなんざあ、あんまり女すぎるぜ! それはそれとして、お前は殿様と一緒だと思っていたのに、どうしてここにいたんだ、結局罪もないお前が、そんな衣物《きもの》を着て、どうして俺を誑《だま》したんだ…… シュザンヌ でもね! もう一人の方にかけた罠《わな》に自分からひっかかる奴がよっぽど罪がないよ! 狐を一匹とっちめようとしたのに、二匹|捉《つかま》えたって、こっちのせいかねえ? フィガロ 誰がもう一匹を捉えるんだい? シュザンヌ 奥様がだよ。 フィガロ 奥様が? シュザンヌ 奥様さ。 フィガロ (狂喜して)やい! フィガロ! 首でもくくれ! これがわからなかったんだからなあ。――奥様がねえ! いやはや! なんと奇略縦横の雌どもだ!――それで、木の下のあの接吻は?…… シュザンヌ 奥様が頂戴あそばしたのさ。 フィガロ して小姓の接吻は? シュザンヌ (笑いながら)殿様へ。 フィガロ それも今朝のように、椅子の後ろには? シュザンヌ 相手がいないよ。 フィガロ そりゃ確かか? シュザンヌ (笑いながら)また平手の雨が降るよ、フィガロ。 フィガロ (彼女の手に接吻して)お前の打擲は宝だが、殿様から頂いたのはお刑罰《しおき》だったな。 シュザンヌ あんなもの、平気で、我慢おしよ。 フィガロ (自分の言うとおりの科《しぐさ》をして)こりゃもっともだ。お膝をついて、前にかがんで、三拝九拝、腹這《はらんば》いだあ。 シュザンヌ (笑いながら)全くね? 可哀そうなは殿御でござい! さんざん御苦労のあげくの果てに…… フィガロ (起きあがって跪《ひざまず》き)……ものにしたのは奥方様か! [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第九場[#「第九場」は中見出し] [#ここから4字下げ] 伯爵(舞台の奥から出てきて、いきなり右手の四阿の方へ行く) フィガロ シュザンヌ [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 伯爵 (独語して)シュザンヌは林の中にはおらん、ここに入ったのかもしれんぞ。 シュザンヌ (フィガロに低声《こごえ》で)奴《やっこ》さんだよ。 伯爵 (四阿の戸を開《あ》けて)シュゾン、そこにいるのか? フィガロ (低声で)贋《にせ》の奥様を探してね、ところで、俺も勘違いをして…… シュザンヌ (低声で)奴《やっこ》さんにはまだそれがわからないんだよ。 フィガロ どうだ、そろそろとっちめてやろうか?(彼は彼女の手に接吻する) 伯爵 (振り返って)妻の足元に誰かいるな!……しまった! 俺は無手だ。(彼は進み寄る) フィガロ (決然と立ちあがって、声を変えて)恐れ入ります、奥様、このかりそめのお目もじで、深いお情けを蒙《こうむ》ろうとは思いもよりませんでございました。 伯爵 (傍白で)今朝、化粧部屋の中にいた奴だな。(額《ひたい》を叩いて、さてはという身ぶり) フィガロ (擬態を続けて)あのような愚かしい邪魔ものゆえに、奥様との快楽《たのしみ》がこれほどおくれようとは思いもよりませんでございました。 伯爵 (傍白で)殺されても、死のうとも、かくまでの地獄の責め苦があろうか! フィガロ (彼女を四阿の方に連れて行って、低声に)喚《わめ》いてるぜ。(正白で)さあ、奥様、急ぎましょう、して、今朝窓から飛び降りました時にいじめられました、あの敵討ちをいたしましょう。 伯爵 (傍白で)よろしい! 万事明々白々だ。 シュザンヌ (左手の四阿のそばで)入る前に、誰か追《つ》けてこないか、見ておくれ。(フィガロは彼女の額《ひたい》に接吻する) 伯爵 (叫んで)思い知れ!(シュザンヌはファンシェットやマルスリイヌやシェリュバンが入った四阿の中に逃げこむ) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十場[#「第十場」は中見出し] [#ここから4字下げ] 伯爵 フィガロ(伯爵はフィガロの腕を掴《つか》む) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] フィガロ (おおげさな恐怖をよそおって)やっ、御主人様だ! 伯爵 やあ! 悪党め、貴様だな! こらっ、誰かおらぬか! 誰か。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十一場[#「第十一場」は中見出し] [#ここから4字下げ] ペドリイユ 伯爵 フィガロ [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] ペドリイユ (長靴をはいている)閣下、こちらにおいででございましたか。 伯爵 御苦労、ペドリイユだな。お前一人か? ペドリイユ セヴィラから、早馬でただいま帰って参りました。 伯爵 もっと近く寄れ、大きな声でどなれ! ペドリイユ (懸命に叫ぶ)小姓は捕《つか》まりません。報告おわり。 伯爵 (ペドリイユを突き飛ばして)何を! 馬鹿め! ペドリイユ でも、殿様がどなれと。 伯爵 (依然、フィガロを放《はな》さずに)人を呼ぶんだ。――こらっ、誰かいないか! 聞こえないのか! 皆出てこい! ペドリイユ フィガロと私と、二人おります、ほかに誰が参ります? [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十二場[#「第十二場」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前場の人物たち ブリドワゾン バルトロ バジル アントニオ グリップ・ソレイユ 祝言の参列者一同 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] バルトロ これ、このとおり、お前の初めの合図で…… 伯爵 (左手の四阿を指して)ペドリイユ、この戸口はお前に任せたぞ。(ペドリイユは戸口にゆく) バジル (低声で、フィガロに)大将がシュザンヌと一緒にいるところを見つけたのかね? 伯爵 (フィガロを指し)家来一同、こいつを取り巻いて、生命《いのち》にかけても逃がすなよ。 バジル これは! これは! 伯爵 (怒って)黙らぬか!(フィガロに、冷ややかな口調で)おい、色男、俺の問に答えるか? フィガロ (冷静に)それはもう! 私とて御家来の数には漏《も》れますまい? こちらでは万事殿様の御命令次第で、殿様だけは別でございますが。 伯爵 (自制して)俺《わし》だけが別かね? アントニオ こりゃ、そのとおりだ。 伯爵 (また怒り出して)違うわい、俺が肚《はら》がたって来るのは、こやつが故《ことさ》ら平気な面《つら》を装うからだ。 フィガロ 私どもは、自分にはわからぬ利害から、殺したり、殺されたりする兵隊でござんしょうか? なぜ私が怒らなければならないかそれが知りとうございます。 伯爵 (われを忘れて)おのれッ!(自制して)知らぬふりをする君子に申しあげるがね、はなはだ恐縮だが、現にお前に案内されて、その四阿に入った婦人は誰だか言ってもらおうか! フィガロ (意地悪く別の四阿を指して)そちらの四阿でございますか! 伯爵 (急いで)こちらだ。 フィガロ (冷静に)これはお門《かど》違い。じつは、特別に御贔屓《ごひいき》にあずかりますお若い御婦人で。 バジル (驚いて)これは、これは! 伯爵 (急いで)皆の者、聴《き》いたか? バルトロ (驚いて)一同|承《うけたまわ》っております。 伯爵 (フィガロに)して、その若い婦人には、妻としての勤めがあることも、お前は知っているだろうな? フィガロ 私の存じておりますのは、さるお大名がしばらく御寵愛になった御婦人でございますが、お大名のほうがお飽《あ》きになりましたのか、それとも御夫人がいとしいお方《かた》よりも私のほうがお気に召しましたのか、今日も今日、この私に嬉しい思召《おぼしめ》しを。 伯爵 (勢いよく)思《おぼ》し……(自制して)馬鹿正直なところもあるな! 皆のものに言っておくが此奴《こやつ》の白状していることを、俺はまさに、相手の口から聴いたのだ。 ブリドワゾン (仰天して)あ、あ、相手の女! 伯爵 (激怒して)さて、破簾恥が公《おおやけ》になった以上、処罰も公にしなければならんぞ。(彼は問題の四阿の中に入る) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十三場[#「第十三場」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前場の登場人物一同(伯爵を除く) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] アントニオ 正しいお裁《さば》きだ。 ブリドワゾン ぜ、ぜ、ぜんたい、誰が人の、にょ、にょ、女房を奪《と》ったのだね! フィガロ (笑いながら)誰もそんな甘《うま》い汁は吸いませんよ。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十四場[#「第十四場」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前場の人物一同 伯爵 シェリュバン [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 伯爵 (四阿の中で話しながら、まだ姿は見えない何者かを引き連れて)おい令夫人、いくら|※[#「足へん+宛」、第3水準1-92-36]《もが》いても無駄な話だ、絶体絶命だ、のっぴきならぬ時が来たのだ!(相手を見ずに出てきて)忌《いま》わしい野合の種なんか宿されてたまるものか…… フィガロ (叫ぶ)シェリュバンだ! 伯爵 小姓めか? バジル これは、これは! 伯爵 (われにもあらず、傍白で)またしても、けしからん小僧めが!(シェリュバンに)そこの中で何をしておった? シェリュバン (おどおどしながら)仰《おう》せに従い、隠れておりました。 ペドリイユ それじゃ、馬こそくたびれ[#「くたびれ」に傍点]もうけだ! 伯爵 アントニオ、お前が入って、判官の面前に不貞の妻を連れてこい。 ブリドワゾン お前さんがお、お、奥様を探しにい、い、いくのかね。 アントニオ すばらしい授《さずか》りものがございますぜ……殿様は郷中《くにじゅう》の別嬪《べっぴん》をお漁《あさ》りになりましたからな。 伯爵 (激怒して)入らんか!(アントニオは四阿の中に入る) [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十五場[#「第十五場」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前場の人物一同(アントニオを除く) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 伯爵 皆、見ているがよかろう、小姓めが独りでいたわけではない。 シェリュバン (おどおどして)私の身の上は、お優《やさ》しいお方に慰めていただきませんでしたら、あんまり酷《つら》すぎたでございましょう。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十六場[#「第十六場」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前場の人物一同 アントニオ ファンシェット) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] アントニオ (まだ姿は見えぬ誰かの腕を掴《つか》んで連れて来る)さあ、さあ、奥様、出ておいでになるのに、そう世話をお焼かせになっちゃいけません、貴女がお入りになったことは、ちゃんとわかっておりますからな。 フィガロ (叫ぶ)この小娘が! バジル これは、これは! 伯爵 ファンシェットか! アントニオ (振り返って、叫ぶ)ひやあ! 殿様、とんでもねえ話で。こんな騒ぎを起こしたのが私の娘だってのを皆さんにお目にかけるのは、ご冗談がすぎますなあ! 伯爵 (苛立って)小娘が入っていると誰が思うものか。(彼は去ろうとする) バルトロ (伯爵の前に立って)あいや、伯爵閣下、こりゃいよいよわけがわかりませんな。私は、びくともいたしません、私は…… ブリドワゾン いや、どうも、こ、こ、こみ入った、じ、じ、事件じゃ。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十七場[#「第十七場」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前場の人物一同 マルスリイヌ [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] バルトロ (話しながら四阿に入って、出てくる)奥様、御心配には及びません、断じて御迷惑はおかけいたしません、大丈夫(振り返って叫ぶ)マルスリイヌだ! バジル これは、これは! フィガロ 全く、乱痴気にもほどがあらあ! お袋までも仲間入りか? アントニオ 後《あと》になるほどぼろ[#「ぼろ」に傍点]が出る。 伯爵 (いら立って)そんな事はどうでもいいわい。伯爵夫人を…… [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十八場[#「第十八場」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前場の人物一同 シュザンヌ(扇で顔を隠している) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 伯爵 ……うむ! とうとう出てきたな。(彼は女の腕を荒々しく掴《つか》んで)皆、どう思う、このけしからん女の制裁は……(シュザンヌは跪《ひざまず》いて、顔を伏せる。――伯爵は言葉を続けて)ならん、ならん!(フィガロもかたわらに跪《ひざまず》く。――伯爵、さらに語気荒く)ならん、ならん!(マルスリイヌも伯爵の前に跪く。――伯爵さらに荒々しく)ならん、ならん!(ブリドワゾンを除いて、一同跪く。――伯爵、われを忘れて)たとえ、百人跪こうとも、ならんぞ! [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]第十九場(最後の場面)[#「第十九場(最後の場面)」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前場の人物一同 伯爵夫人(別の四阿から出てくる) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] 夫人 私でも数に入れていただけましょうか。 伯爵 (夫人とシュザンヌを眺めながら)やっ! これは、どうした事だ? ブリドワゾン (笑いながら)いやはや、こ、これこそ、れ、令夫人じゃ。 伯爵 (夫人を助け起こそうとして)どうしたのだ! お前なのか?(頼み入るような口調で)誰も彼も赦すほかはあるまい…… 夫人 (笑いながら)私の代りに、“ならん、ならん”とおっしゃってはいかが? 今日はもう三度目でございますよ、無条件でお赦しいたしますのは。私《わたくし》。(彼女は立ちあがる) シュザンヌ (立ち上って)私も。 マルスリイヌ (立ち上って)私も。 フィガロ (立ち上って)私も。ここも反響《こだま》にひびきますな!(一同立ち上る) 伯爵 反響《こだま》か!――奴らを相手にして謀《はかりごと》を練ったが、奴らにかかってはこっちが子供扱いだ! 夫人 (笑いながら)そんな事お悔《くや》みにならなくってもねえ、貴方。 フィガロ (帽子で膝を払いながら)芝居もこのくらいに演《や》れますと立派な大使ができあがりますなあ! 伯爵 (シュザンヌに)ところで、ピンで封じた、あの手紙は?…… シュザンヌ 奥様のお言葉を私が書きまして。 伯爵 返事は届くところへ届いたわけだ。(彼は夫人の手に接吻する) 夫人 めいめいがもらうものをもらうことでございましょうよ。(彼女はフィガロには財布を、シュザンヌにはダイヤモンドを与える) シュザンヌ (フィガロに)またお嫁資《かね》だよ! フィガロ (手の中で財布を叩《たた》いて)それも三方からな。こいつが一番手に入れるのに骨が折れた。 シュザンヌ 私たちの祝言のようにねえ。 グリップ・ソレイユ じゃあ、花嫁の靴下留めのリボンは俺がもらおうか? 夫人 (大切に胸に蔵していたリボンを抽《ひ》き出して、地上に投げて)そのリボンならシュザンヌの衣物《きもの》に着いていたのよ、さあ、それよ。(祝言に集まった少年たちがそれを拾おうとする) シュリュバン (すこぶるすばやく、駆けて、リボンを拾って言う)欲しい奴は腕ずくで奪《と》って見ろ! 伯爵 (笑いながら、小姓に)お前のような恐りっぽい奴が、先刻《さっき》、擲られたのに、どうして笑ったのだ? シェリュバン (一歩退き、剣を半ば抜いて)私が擲られたと仰《おお》せられますか、連隊長殿? フィガロ (滑稽な怒りかたで)こいつへの御打擲を私の頬《ほっ》ぺたが受け留《と》めましたので。そういうのが上《うえ》つ方《かた》のお裁きでございます。 伯爵 (笑いながら)此奴《こやつ》の頬か? はっ、はっ、はっ! 如何《いかが》でござる伯爵夫人! 夫人 (何かに気をとられていたが、はっとわれにかえって、情をこめながら、とりとめのない返事をする)ほんとに! そうでございます、ねえ貴方、どんな事があっても、全くねえ、それに違いございませんわ。 伯爵 (判事の肩を叩いて)そこで、ドン・ブリドワゾン殿、貴公の御意見は? ブリドワゾン も、も、目前の事件についてでござるかな、伯爵閣下?……さ、さ、さようさ、わ、私としては、な、なんと申しあげて、よ、よろしいやら、これが、わ、私の考え方でな。 一同一緒に 結構なお裁きだ! フィガロ わたしゃ貧乏でした。誰からも軽蔑されました。少しばかりの知恵才覚をふるいましたが他人《ひと》の憎しみを増すばかりでした。ところが、可愛いい女房とお金がたんまり…… バルトロ 親切な味方が続々かえってくる。 フィガロ ほんとでしょうか? バルトロ 俺《わし》の知っとる味方ばかりじゃ。 フィガロ (観客に一礼して)この女房とお宝《たから》は別にしておきまして、満堂の皆様、私に栄誉《ほこり》と快楽《たのしみ》とをお与え下さるよう、お願いいたします。(ヴォオドヴィル〔俗謡入りの喜劇〕の唄《うた》の曲が奏《かな》でられる) [#ここから5字下げ、折り返して13字下げ]  ヴォオドヴィル (意訳)本来、十節からなる歌謡であるが、上演に際してはその数節を 撰《えら》んで唄《うた》うのを慣例としているから、ここは次の三節にとどめた [#5字下げ]シュザンヌ [#ここから3字下げ] 亭主の浮気は自慢顔 茶飲み話の笑いぐさ 女房の浮気はいのちがけ 顔むけならぬ恥さらし、 愚痴も涙も鏖芥《ちりあくた》 それほど女は弱い者 それほど男は強い者 [#5字下げ]フィガロ [#ここから3字下げ] 人の生れは当り不当り 一人は王様一人は牧童 運命《さだめ》の針《はり》は西東 知恵才覚があればこそ 王侯貴人の鼻面を 自由自在に引き廻す 大先生はヴォルテエル [#5字下げ]ブリドワゾン [#ここから3字下げ] お、お、凡そ芝居の性根《しょうねん》は 人心世相を、え、え、描きあげ ちゅ、ちゅ、中傷|讒誣《ざんぶ》を乗りこえて よしあし草《ぐさ》は、ひ、ひ、人まかせ き、き、喜怒哀楽のゆきかいを 綴り合わせて、た、た、娯《たの》しませ う、う、唄《うた》でおわるが世のならい。 (合唱)唄でおわるが世のならい。 [#ここから5字下げ] |Tout finit par des chanson.《トゥウ フィニ パアル デ シャンソン》 [#地から2字上げ](おわり) [#改丁] [#3字下げ]鬼才ボオマルシェエ[#「鬼才ボオマルシェエ」は大見出し] [#11字下げ]「泣くが厭《いや》さに笑い候」……理髪師フィガロ 『セヴィラの理髪師』と『フィガロの結婚』は、一つはロシニの、一つはモツァルトの作曲にかかるオペラとして、日本でも一般に知られているが、原作はいずれもフランス十八世紀の劇作者ボオマルシェエの手になる脚本である。この二つの劇はその書きおろし以来、フランス国立第一劇場コメディイ・フランセエズにおいても、第二劇場オデオンにおいても、絶えず繰り返して演ぜられ、芝居|好《ず》きなパリ人士を常に興がらせている。歴史的に考察すると、この二つの劇はルウソオの『社会契約』やモンテスキュウの『法の精神』やヴォルテエルその他百科学者の群れの著作に追随して、フランス革命の近因ともなった傑作として挙《あ》げられるものであるが、今日《こんにち》になって現に舞台で演ぜられるのを観《み》ると、両作ともきわめて甘い、全く興味中心のお芝居で、要するに文学的レヴィユの価値を与えらるるにすぎぬだろう。ただ文学的レヴィユとしては、確かに第一流というべく、特に『フィガロの結婚』にいたっては、平俗にしてしかも華やかな恋愛を中心として、貴族の無為、放縦、堕落を伯爵アルマヴィヴァに、庶民の反抗心と機略とを腕のフィガロに配して、警句や機智に充《み》ちた幾多の面白い場面を積み重ね「もの皆|唄《うた》でおわる」という陽気な唄の結句にいたるまで、徹頭徹尾観客を歓《よろこ》ばすたぐい稀な傑作に相違ない。  おもうに、十九世紀末にエドモン・ロスタンが『シラノ』を描いて、ドレフュス事件以来とみに沈滞した軍国主義に甦生の息を吹き込んで、伝統的な尚武の気風に浪漫的な花を咲かせたが、十八世紀末の『フィガロ』が永年の専制政治からまさに解放されようとする庶民の代弁者として、一世紀後の『シラノ』と対立しているのは偉観である。『シラノ』も『フィガロ』もともにフランス一流のエスプリ・ゴオロワと派手な感傷主義とを充分に利かせた民衆戯曲中の珍品である。 『フィガロ』の作者ボオマルシェエ。これがまた桁《けた》はずれの変り種で、フランス革命前のごとき乱脈な世相からでなければ決して生れぬ鬼才中の鬼才であった。彼はほとんど事業狂とも形容すべき仕事師で、生れはパリの時計屋の息子だが、貴族の地位を金で買い、時の政治家や財政家と結んで檜舞台に乗り出し、私設外交官のような役割りを勤めるかと思うと、莫大《ばくだい》な身銭《みぜに》を切って『ヴォルテエル全集』の出版者となったり、武器の調達者となってアメリカの独立戦争を援《たす》けたりした。金も儲《もう》けたが損もした。劇作は空前の当りをとったが、それは彼の波瀾に富んだ一生から観《み》ればむしろ余技の観がある。彼は思想においてはあくまでも民衆の味方であったが真の革命家となるにはあまりに反語的で懐疑的であった。 「自由がそもいかなる実《み》を結ぶか。この苦《にが》き芽は必ずや賢明なる制裁を伴う法律に接木《つぎき》せられねばならぬ」という彼の晩年の述懐は、大革命の体験からえた苦言としてことに貴いのである。フランス革命の激しさは、彼の漸進的な改革主義をはるかに超えて、血で血を洗う狂気沙汰に燃え上るのを視《み》ては、彼は心から戦慄して、苦悩する市民とともに方針を誤ったと思った。大革命を期として彼の目的は齟齬《そご》し、稀有《けう》な鬼才も揮《ふる》えば揮うほど自らの不利となって面白からぬ晩年を淋しく閉じたのである。幸い彼は劇作者として数種の作を書き、なかんずく『セヴィラの理髪師』と『フィガロの結婚』を傑作として後世に遺《のこ》すことができたから、我らフランス文学専攻の学徒からも研究の対象とされるが、彼のごときその全生涯を働きとおし暴《あば》れぬき、楽しみほうだい楽しんだ男は、後世自分の劇作が研究の題目となるのを墓の中で知ったら、「とんだ暇人《ひまじん》もあるもの哉《かな》」と破顔一笑することだろう。  一七八○年代におけるフランスの社会を顧《かえりみ》るに、もろもろの新思想がむらがり起って、社会の四隅に波のように拡がっていった。いたるところにサロンが開かれ、哲学的論議はおのおののサロンを壟断《ろうだん》していた。その中でも特に著名なのはレスピナス嬢を主人公とするサロンであった。百科学者や貴族や外国の名士の群れがこのサロンを訪れて、誰も彼も新思想の代表者のごとくふるまった。客たる資格はただ進歩《プログレ》の説を支持して専制を憎みイギリスを崇拝するだけで足りた。これら貴族ないし有閑階級のサロンにおいては、おおむね百科全書ならびに、ヴォルテエルの影響が支配していたのである。  また一方においては、同じく上層社会の懐疑的な潮笑的な人士から排斥されたにもかかわらず、ルウソオの影響が同時に浸《し》みこんでいった。十九世紀浪漫主義の母といわれるスタアル夫人の文学的第一歩がジャン・ジャックの讃美によって踏み出されたのは広く知られている。素朴な自然への憧憬や飾らぬ田園情調が人心を強く刺激して、芝居の背景すら伝統的な幾何学的なヴェルサイユ式庭園よりもむしろ英国風の鄙《ひな》びた、自然を歪めぬ風致に近づいたのである。妃マリイ・アントワネットさえ、トリヤノン宮において羊飼いの娘に扮《ふん》して、ひたすら田園趣味に耽《ふけ》って楽しんだ。  しかるに一度上層の階級を離れて民衆の中に下ると、世相はさらに真剣味を帯びていた。民衆はすでに自然の感情と戯れてはいなかった。自然感は彼らの心に充《み》ち魂を熱していた。社会の上層においては思想は精神の体操や娯楽にすぎなかったが、下層においては栄養とも希望ともなったのみならず、一転して生存の理由ともなっていた。すなわちヴォルテエルの影響のうすれてゆく辺《あたり》にルウソオの勢力が著しく濃くなってきたのである。ジャン・ジャックこそ階級的差別観によって虐《しいたげ》られた、昂然たる第三階級の魂の慰安者であった。名もない一青年がパリの街頭に立って、傾聴する群衆に『社会契約』を解説していた。それが後年のジャン・ポオル・マラアであった。ある版画家の娘は日ごろ崇拝するルウソオの姿を垣間《かいま》見んものとプラトリエエル街まで出向いたり、夜は部屋に籠って愛する文豪の著作に読み耽《ふけ》り、ついに身を以て『新エロイイズ』を生活する運命を担うにいたった。それが断頭台上に消えたロオラン夫人であった。ミラボオ、スタアル夫人、マラア、ロオラン夫人、この四者には特にジャン・ジャックの感化が強く深いのである。  ヴォルテエルの思想とルウソオの思想とにさらに代表的百科学者ディドロの思想が加わって一丸となり、当時なんぴともすでに永続を欲しなかった現在の社会を解体する潮流に溶け入ったのであった。この三大家が植えつけた自然感、すなわち生存欲、知識欲、ならびに現存の専制を嫌ってこれに代る他のものを求めんとする念慮がまさに爆発せんとした精神的混乱期に、初めて『フィガロ』が演劇の舞台に現われたのであった。  架空な『フィガロ』がすでに時代の産物である以上にボオマルシェエは、それに輪をかけた破格な時代の産物であった。彼は階級制度がまだ存続し、身分の隔てが個人的能力を重く圧していた時代に、驚くべき個性を発揮して社会のあらゆる柵を乗り超え、立身出世の道を拓《ひら》いた不思議な男であった。  彼の本名はピェエル・カロン、パリ、サン・ドゥニ街の時計商の店で生れた(一七三二年)。彼は父の業を継いで若き時計製作者として腕を磨いたが、古典的教養を獲得する事も怠らなかった。単なる職人として一生を送るには彼の野心は少々大きすぎた。彼は苦心の結果、指輪に嵌《は》め込むほどの小さな平たい時計を考案して、ポンパドゥウル夫人やルイ十五世の姫君に献上し、王家の信用と寵愛とを恣《ほしいまま》にするようになった。加えて、彼は音楽の才が豊かであったので、いつのまにか流行に先んじて竪琴《ハアプ》を弾ずる術を巧みに修得して、王の姫君達の音楽教師となった。自由に宮廷に出入するようになってからは、彼は知名の財政家パリ・デュヴェルネエと結んで相当の資産を作るには抜け目がなかった。金ができると彼は貴族になりたくなった。そこで、王の秘書官と狩猟官の役を買ってまんまと貴族になった。貴族になってみるとピェエル・カロンという名では幅が利かないので、最初の妻の所有地ボオマルシェエを採《と》って、カロン・ド・ボオマルシェエと名乗った。加賀の前田といった具合いである。こんな事は綱紀の紊乱《ぶんらん》した十八世紀のフランスでは珍しくもなかったらしい。しかし、彼の出世ぶりは生れながらの貴族からは憎まれた。貴族達は、平民あがりの彼をなにかにつけて軽蔑するような態度に出た。しかるに、彼は生得《しょうとく》の貴族よりも腕で獲《え》た貴族たる事をむしろ誇りとして、「拙者は地位を買った受け取りを持っている」と公言した。ある日ヴェルサイユ宮の廊下でさる貴族が成り上りの彼を侮辱するつもりで、辞令だけを恭々《うやうや》しくして、実は懐中時計が破損したから、ちょっと大兄に調べて頂きたいと彼の目の前に時計を突きつけた。すると、彼も恭々しく、私は誠に手先きが不器用で時計の修繕は不得手でございます、と答えたが、相手は、それでもなお執拗に頼むので、彼はやむを得ず時計を手に把《と》った後、故《ことさら》に指の間からそれを床の上に落してしまった。毀《こわ》れた時計を慌てて拾い上げた相手を顧みて、不敵な彼は、それだから申さぬ事ではない、某《それがし》は手先きがいたって不器用だと、な、と言い放って、後も見ずに去ったそうである。  彼の名声は年を経《ふ》るに従って増大した。ことに彼の名をフランスの国外までも響かせたのは、一七六四年のクラヴィホ事件であった。クラヴィホはスペインの文学者で、ボオマルシェエの妹の許婚者であったが、結婚のまぎわになって破約した。愛妹の名誉を理由なく、釈明もせずに傷けられて、ボオマルシェエは単身マドリッドに乗り込んだ。彼はこの破約事件をスペインの社会問題にまで煽《あお》りたて、クラヴィホをして破約を取り消させたのである。しかるに、クラヴィホは表むきには和解を装いながら、陰にまわって竊《ひそ》かにボオマルシェエ投獄の狡計をめぐらしていた。ここにおいてボオマルシェエは異常な勇気と術策とをふるって、敵地に在《あ》りながらただ独りでスペインの大臣大官を初め多くの敵を相手にして問題の重大性を誇張し、スペイン王宮にまで入り込んで説得し、ついにクラヴィホの社会的地位を粉砕してしまった。  一七七〇年、パリ・デュヴェルネエの相続者たるド・ラ・ブラァシュ伯との間に一大訴訟問題が起こって、彼は十三万九千リイヴルの金額を請求された。この訴訟は、控訴院では彼の勝訴となったが大審院では敗訴の宣告を受けた。彼は一方にド・ラ・ブラァシュ伯と争う傍ら、その事件の主任判事たるゴエスマンとの間にも訴訟を起こし、判事夫人に貸し金があると主張した。これらの訴訟事件を彼は四巻の『回顧録』に綴って、その縦横|無碍《むげ》の才筆に一世を驚嘆せしめたばかりでなく、ゴエスマン排撃の輿論を醸《かも》し出すと同時に、ついにゴエスマンとともに当時のモオプウ内閣不信任の機運まで作ってしまった。彼の名作『セヴィラの理髪師』はかかる闘争の片手間に書かれ、上演されたのであった(一七七五年)。  常に野心に燃え、驚異的な事業に饑《う》えていたボオマルシェエは劇作の成功ぐらいではとうてい満足してはいられなかった。彼は間もなく、ヨーロッパの諸国を訪れて、ルイ十六世やマリイ・アントワネットに対する中傷を鎮撫する私設外交官のような役目を引き受けて東奔西走したが、時あたかもアメリカ独立戦争が勃発《ぼっぱつ》した。ボオマルシェエがかかる絶好の機会を見逃がすはずがない。彼は機運に乗じてフランスの国威を発揚すると同時に、自分もたらふく儲けてやろうと直《すぐ》に肚《はら》を決めて、政府の内諾のもとに十数隻の運送船を仕立てて、巨多の戎器《じゅうき》を独立軍に輸送した。もし彼の目算どおり独立軍が金を支払ってくれたら、一躍《いちやく》大金持になるところであったが、この大事業で彼の獲たものは無鉄砲な名声と莫大な損失であった。しかも三面六|臂《ぴ》の彼は外国の戦争に手を貸しながら、国内においては劇作者の利益を擁護する運動を唱道して、今日の劇作家協会の基址を築くと同時に、損失を忘れてヴォルテエル全集の上梓に尽瘁《じんすい》した。もちろんその全集は今日からみれば完璧を以て許すことはできぬにしても、すでに外国に散逸した文豪の文献までも丹念に蒐集して余力を剰《あま》さなかった点は、当時として最善の努力を傾注したものというべきであった。その他彼は国家の財政問題にも関与し、蒸気ポンプを利用してセイヌ河の水をパリ市内に供給するごとき公益事業にも携わりながら、自分の享楽主義を充分に満足させることも決して忘れなかった。かくて一七八四年、物議に物議を重ねた末ようやく上演の運びにいたった『フィガロの結婚』の大成功は、彼の全生涯における得意の絶頂であった。  やがて、フランスの天地が暗くなってきた。彼の賑《にぎや》かな反語は、ようやく時代の空気と相|容《い》れなくなった。ついに大革命がきたのである。彼が贅《ぜい》を尽くして新築した邸宅があたかもバスチイユ監獄の正面であったのが運が悪かった。当年のバスチイユは民衆の呪誼《じゅそ》の象徴であった。狂える民衆の眼にはボオマルシェエの壮麗な家もバスチイユの延長と見えたのであろう。当時ミラボオに敵視された事も一因となって、彼はいかに良市民の資格(シヴィスム)を弁疏しても甲斐がなかった。彼は疑われ、監視せられたあげく、戎器|隠匿《いんとく》の名のもとに私財を掠奪されるにいたった。間もなく彼は革命政府から銃の購入のためオランダ派遣を命ぜられたにもかかわらず、理由のない嫌疑によって一時アベイの獄に投ぜられた。アベイの獄から釈放されると彼はさらに革命政府の海外商務官としてオランダに赴き、銃の購入に尽瘁したが、政府の命令が一途《いちず》に出《い》でず、彼の信用も旧《もと》のごとくではなかったから、南船北馬の骨折りも結局甲斐がなかった。やがて、彼の名は亡命者の名簿に記入せられ、三年の間彼はオランダやベルギーやドイツの各地を放浪してつぶさに窮乏を嘗《な》めた。  革命後、執政官政府の時に彼はようやくパリに帰来することができて、久しぶりで離散した妻や娘達とささやかな家庭生活を営むことができるようになった。当時、彼はすでに老境に入って耳は全く聞えなくなり、生活にも余裕が乏しくなったが、意気は毫も衰えず、常に快濶で、書を読み、文を売り、一七九二年には前述の二作と併せて三部作を形づくる『罪の母』を書いてのこんの闘志を発揮し、彼の最後の仇敵たりし弁護士ベルガスを槍玉にあげたが、老いはいよいよ迫ってきてついに十八世紀の最後の年に、稀に見る風雲児も波瀾重畳の幕を閉じた。  この奇智警句湧くがごとき快楽児、いかに困難な事業――文芸、政治、外交、商業、工業――にも真向《まっこう》からぶつかって、いたるところで問題をひきおこし、訴訟の種を蒔《ま》き、巨額な富を獲《え》たかと思うと莫大な借金を背負いこみ、自ら楽しむと同時に人をも楽しましめたボオマルシェエはまことに十八世紀末の最も複雑な人物であった。彼は生涯を通じて多くの敵と多くの味方との間を華やかに賑やかに、絶えず鳴り物入りで送り続けた。あらゆる権謀術数を弄して敵を破り敵からも傷つけられたが、彼は断じて陰険な男ではなかった。もし陰険に対して陽険という形容詞があり得るなら、彼は正に陽険な怪男児であった。彼のごとき人物こそ、旧時代が終り新時代が始まらんとするめまぐるしいばかりの混乱期の代表的存在といってよかろう。 『セヴィラの理髪師』の筋はここに精《くわ》しく述べるまでもない。若きアルマヴィヴァ伯爵は佳人ロジイヌに恋しているが、ロジイヌの後見人バルトロ医師が厳重に監督している。それというのも、バルトロ自身が年甲斐もなく、竊《ひそ》かにロジイヌを妻にしたいからであった。そこで、伯爵は機略に富んだ理髪師フィガロの策と術とに頼って、バルトロの横恋慕を出し抜き、めでたくロジイヌと結婚する。 『セヴィラの理髪師』においてボオマルシェエが操った題材はすでにモリエエルが『女大学』で描いた題材と同工異曲にして、圧制的な権力で身を鎧《よろ》う老年に対抗して青春を擁護する思想に特に新味があるわけではない。しかし、この劇によって、十八世紀の通弊でもあった客間《サロン》の滑稽趣味は、久しぶりで再び街頭に出て自由な空気を呼吸したと言えよう。加えて、舞台をパリに採らずスペインに求めたのも、当時として多少の新しさを伴っていたろうが、しかもそれ以上に注目に値いするのは、作者がフィガロという人物に異常な重味を与えている点である。フィガロは一個の下僕にすぎぬが、それはすでにモリエエル喜劇に出てくるスカパンやマスカリイルの同類ではない。フィガロは社会における下僕の地位を自覚している。彼は下僕の不満と反抗心とを体し、下僕が世に処して生活を完うするには、いかなる哲理によりいかなる手段に訴えて上流の搾取に備えなければならぬか。そこにフィガロの使命と闘争とがあり、そこにやがて来《きた》らんとする時代の平等と自由とが――おそらく夢として――横たわっているのである。 『セヴィラの理髪師』に次ぐ『フィガロの結婚』が始めて上演を許されたのは一七八四年であったが、この劇が公許を得るにいたるまでには、すったもんだの論議が幾度も重ねられた。旧制度(アンシャン・レジイム)に対する反抗、揶揄《やゆ》の露《あら》わなこの劇が、国王からも官権からも禁遏されるのはむしろ当然であった。しかるに明敏な作者は、新奇を好み、快楽を追い、スキャンダルを求めてやまぬパリっ児の心理を見抜いて巧みに観衆の好奇心を煽《あお》り、結局王侯も官権も、その上演を許さざるを得ぬように四囲の情況を有利に導くほどの凄腕《すごうで》を揮《ふる》った。この劇は、最初には、特殊のサロンにおいて、三百人の貴顕の面前で試演せられ、ついでフランス座において公開されたのである。実に華々しい成功で、新作を観《み》んものとフランス座に押し寄せた群衆の熱狂ぶりは空前であった。劇場の入口では、押すな押すなの騒ぎで、蹈《ふ》み殺されたり負傷した観客も数名に及んだと伝えられている。 『セヴィラの理髪師』では、アルマヴィヴァ伯爵とロジイヌとの結婚が主となっているが、『フィガロの結婚』においては、用人フィガロと腰元シュザンヌとの結婚が主になっている。かつてフィガロの策略によって首尾よくロジイヌを妻として迎える事もできた伯爵は、ようやく夫婦生活に倦怠を覚えてシュザンヌに食指を動かし、一度廃棄した「初夜の権」を悔《くや》みはじめる。そこでフィガロは愛するシュザンヌと夫婦になるために、あらゆる知恵を搾《しぼ》って伯爵夫人や侍童シェリュバンを巧みに操縦しつつ、伯爵のみだらな野心を退治してシュザンヌと結婚する。  この劇においては、フィガロはすでに恋する男女に仕える脇師ではない。下僕ではあるが彼自身が恋の仕手である。下僕はあくまで主人と対等の地位に立って一人の女性を争うのである。しかも下僕は智謀においても、戦術においても、勇気においても主人を遙かに凌駕《りょうが》している。  ボオマルシェエはこの劇において、アンシャン・レジイムを曲庇する堕落貴族、不正の法律、不正の権力、不正の政策に極力反抗して、思索の自由、言論、著作の自由を擁護せんとした。彼は明かに社会の一方に無能と享楽とがあり、他の一方に才能と貧困とが厳存するのを指摘している。それはすでに作者一人の思想ではなく、十八世紀哲学や百科学者によって唱道せられ、民衆に支持せられて、フランス全土に弥漫《びまん》した社会常識でもあった。ある夜、伯爵邸の庭の一隅に佇《たたず》んでシュザンヌを待ち焦《こが》れているフィガロの独白にもその辺の消息は明かに表明されている。『……いけませんよ、伯爵閣下、彼女《あいつ》ばかりは渡せません……渡して堪《たま》るものか。貴方は豪勢な殿様というところから、御自分では偉い人物だと思っていらっしゃる! 貴族、財産、勲等、位階、それやこれやで鼻高々と! だが、それほどの宝を獲《え》らるるにつけて、貴方はそもそも何をなされた? 生れるだけの手間をかけた、ただそれだけじゃありませんか。おまけに、人間としてもねっから平々凡々。それにひきかえ、この私のざまは、くそいまいましい! さもしい餓鬼道に埋もれて、ただ生きてゆくだけでも、百年このかたエスパニヤ全土を統治《おさ》めるぐらいの知恵才覚は搾《しぼ》りつくしたのです。ところで、貴方はこの私と勝負をなさるおつもりですな。……』という文句で始まる例の長独白《ながぜりふ》は、ユウゴオの『エルナニ』の長独白と相俟《あいま》って、フランス演劇史上最も名高いものである。  今日ではフィガロの独白のごときは、狂言に出てくる太郎冠者が馬鹿殿様を誑《たぶら》かす軽い笑劇ほどの思想内容にすぎぬが、これが維新前なら、封建諸侯に対する反抗的劇作として作者は重刑を課せられたでもあろう。  ボオマルシェエの劇や名高い『回顧録』の文章は対話体としてほとんど完成の域に達したものといわれている。その才華、機智、滑稽、真に端倪《たんげい》すべからざるものがある。しかしながら、それはモリエエルの喜劇におけるがごとき、内部から、自然に滾々《こんこん》と湧いて出る文章とは自《おのずか》ら異っている。彼の文章を精細に読んでみると効果を意識し、反省を重ね、技巧を凝《こ》らして作り上げた跡が感じられる。精巧な、緻密な機械を見るような印象を与えられるのである。彼の文章や劇の構成を批評して、さすがに時計屋の忰《せがれ》だけあって、秒を刻み分《ふん》を計《かぞ》えて過たぬこと時計のごとし、と言った批評家がある。  とまれ、ボオマルシェエという男は、奇《く》しき時勢に生れ、奇しき運命の籤《くじ》を抽《ひ》いて、六十七年の奇しき生涯を送った珍しい人間であった。彼が死ぬ前日、彼と半生の苦を分《わか》った親友ギュダンと永年知己であったある書肆《しょし》の主人ボッサンジュとが彼を訪れた。その時、ボッサンジュは次のような述懐をしたと伝えられている。 「ねえ、先生、あなたぐらい不思議な頭の持主はありませんよ。時計屋さんとしては、二十二歳で、新しいシステム時計を発明なされた。音楽家としては、立派な教師にもなり、機械製作者としては、並びない腕前を発揮なされた。実業や外交の方面にまで手を拡げて、偉い権力者達の忠言者となるかと思うと、芝居の脚本にも筆を染めて群を抜《ぬき》んでられる。出版に従事なさったかと思うと、船主にもなって、アメリカ人に軍需品を送ったり、フランスのために銃砲を供給したりなされた。貧しい人には金を、地位の欲しい人には地位を与え、知恵のない人には知恵を貸しておやりになった。その上、多くの友達から親しまれ、近づいて来る女達からは可愛がられ、今年ははや六十七歳になられたが、しかも拙者よりはよほどお若い……全く、不思議な仁もあればあるものかな!」  こんな言葉をのこして、ボッサンジュ老人は杖を曳き曳き、ギュダンと連れだって帰っていった。やがてボオマルシェエは家族たちに接吻してから、いつものとおり寝室に昇っていった。  その翌日、一七九九年五月十八日、彼は寝室の中で冷たくなっていた。卒中であった。しかも死相眠れるがごとく、口辺には微笑の影さえ漂っていたという。  ボオマルシェエはかつて彼の分身フィガロに語らせたことがあった。 「人間? それは舞台に現われたように舞台から退いて、もと来た道をとぼとぼと帰ってゆく者です。それから、諸厄……諸病……老耄《おいぼ》れて力も尽きた木偶……冷たいミイラ、一個の骸骨、一つまみの塵、かくてついに虚無《リヤン》……虚無《リヤン》!」  これが神を信ぜず、来世を俟《ま》たぬ十八世紀の児の人生観であった。  畢竟《ひっきょう》するに、ボオマルシェエは、その生涯を挙げて活動のための活動を追う一個の快楽児であった。その奮闘はまことにめまぐるしいほど華々しく、フランス国内はおろか、ヨーロッパ中を股にかけて、如意の腕を揮《ふる》い、如意の文を舞わし、如意の舌を弄したが、彼の為人《ひととなり》のどこからも偉大とか深遠とかいう印象は得られない。版画家ホップウッドの描いた彼の横顔は、いかにも気の利いた男前ではあるが、どことなく猿に似たところがないではない。ボオマルシェエは蓋《けだ》しフランス文学の孫悟空か。 (N・B)ボオマルシェエ研究に関してぜひ読まねぱならぬ文献は、ルイ・ド・ロメニイの『ボオマルシェエとその時代』である。上下二巻。暇の乏しさから、この貴重な参考書を改めて、読みなおすことができなかったので、やむを得ず、ラルウス世界大辞典旧版およびルネ・ダルセエムの『ボオマルシェエ伝』ならびに二三のフランス文学史に拠《よ》って本稿を綴った。 [#地から3字上げ](訳者) 底本:「フィガロの結婚」岩波文庫、岩波書店    1952(昭和27)年5月25日第1刷発行    1976(昭和51)年5月17日第19刷改版発行    1992(平成4)年10月15日第36刷発行 ※底本の二重山括弧は、ルビ記号と重複するため、学術記号の「≪」(非常に小さい、2-67)と「≫」(非常に大きい、2-68)に代えて入力しました。 ※「アンダルチア」と「アンダルチヤ」と「アンダルシヤ」、「暫く」と「しばらく」の混在は、底本通りです。 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。