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罪体《コーパス・デリクタイ》

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III

サミュエル・ウォルコットがニーナ・サン・クロワを住まわせるために選んだ家は、ニューヨークから北、遠く離れた田舎にあった。その家は非常に古く、庭の芝生はのび放題だった。家の形は正方形で、古い様式で作られたレンガ製。大通りからかなり奥まったところにあり、さらにまわりの木が通りから目隠しになっていた。まわりはぐるっと鉄さびが浮かんだフェンスで囲まれていた。ヴァージニアでよく見かけるような、没落貴族の屋敷みたいな感じだった。

ある十一月の木曜日、午後三時頃、小男が一人、荷車を引いていた。男はニーナの家の裏手にある路地で立ち止まった。男が勝手口を開けると、黒人の老家政婦が台所からやってきて、何か用かいと尋ねた。男は奥様は家にいるかと尋ね、老家政婦は奥様は今お昼寝中でお客に会うことは出来ないと答えた。

「そりゃぁいいや。」男が言った。「今なら大騒ぎになることもねぇや。実は奥様がおらの店に先週ワインを注文してくださったんだ。うちの旦那がすぐ届けろって言ってたんだが、うっかり今日まで忘れちまってたってわけさ。なぁおばさん、今から地下室にワインを置かせてもらえないかな、で、それを奥様に黙っててもらえば、ワインが注文通りに来なかったことに気づくはずもねえって寸法さ。」

これだけ言い終わると、男はポケットから一$銀貨を取り出して、おばあさんに渡した。「頼むよおばさん、お願い。奥様に気づかれたら俺の仕事がなくなっちまうからさ。何も言わずにとっといてくれよ。」

「まかせときな、あんた。」老家政婦の顔が五月の朝だったかのように輝いた。「地下室のドアは開いてるよ。そっと運んで、奥の方に入れておけば、いつ地下室に運ばれたかなんて誰にもわかりゃしないよ。」

老家政婦は台所に戻っていった。一方小男は荷車にある荷物を下ろしはじめた。ワインを五ケース地下室に運び込み、家政婦が言ったとおりに奥の方にしまい込んだ。それから、誰も見ていないことを確かめながら荷車にとって返すと、厳重に包んだ紙包みをさらに運び込んだ。小麦粉みたいな粉末がいっぱい入った包みを二つ、それから古新聞で包み込んだやや小さめのものである。それらの包みを、男はワインケースの後ろに慎重に隠して置いた。その後で男はドアを閉め、荷車に戻ると、そのまま路地を走り去ってどこかに行ってしまった。

同じ日の午後八時頃、メキシコ人水夫が一人、正面玄関を素早く開けて、屋敷の横手に回り込んできた。その水夫は窓のそばで立ち止まり、指でコツコツと窓ガラスを叩いた。中から女性がすぐに窓を開けた。背高でしなやかで、目を見張るようなプロポーションの女性だった。スペイン系の顔立ちをしており、肌の色は浅黒く、髪の毛をすらっと伸ばしていた。水夫は窓から中に入った。それを見届けると女はカギを掛け、男の方に振り返った。その顔は笑っていた。

「あぁ、あなただったの。よく来てくれたわね。」

水夫の口調は素早かった。「俺以外に誰を待ってたんだ?」

「そうね、大司教様だったかしら。」

「ニーナ!」男の声がうわずった。そこには愛情やら引け目やら憎しみやらがこもっていた。黒く日焼けした顔が蒼白になった。

一瞬女がひるんだ。眉をひそめて後ずさった。「違うわよ。まだ大丈夫よ。」

男は暖炉のそばに行き、椅子に腰掛け、顔を手で覆った。女は静かに男の後を追い、男にもたれかかった。ものすごい苦しみからか、それとも素晴らしい演技のたまものか、男の首の筋肉は激しく引きつり、肩は震えていた。

「あぁ…」男はただつぶやくばかりだった。「私にはできない、私には…」

女はその言葉を聞きとがめ、誰かに顔を叩かれたみたいに素早く立ち上がった。男の前に自分の顔を突き出した。小鼻をふくらませ、目に怒りの炎をたぎらせていた。

「私にはできないですって!? つまりあの女を愛している訳ね! 駄目よ! 言うとおりにしてもらいますから! 分かった? あたしの言うとおりにするのよ! あなたは私の夫を殺した! 邪魔者を振り払ったの! でも、私は邪魔者扱いされるいわれはないわ! 証拠はそろっているのよ。大司教様には明日お見せします。あなたは縛り首間違いなしよ! いいこと? 縛り首よ!」

女のボルテージはしゃべるうちに盛り上がり、最後は金切り声だった。男はゆっくりと女の方に向き直り、顔は見なかったが、手を女に向けて広げた。女が立ち止まり、男を見下ろした。目の奥に燃える炎が消え、胸が波打ち、唇が震えはじめた。声を上げながら男の胸に飛び込んだ。首に抱きつき、男の頬に自分の頬をすり寄せてきた。

「あぁ、ディック、ディック!」女の声は涙声だった。「とってもあなたを愛してるの! あなたなしじゃもう生きていけないの! あなたがいない時間なんて! とっても…とっても欲しいの…捨てないでディック!」

男が素早く右手を動かし、袖から大ぶりのメキシカンナイフを取り出した。女の背中をゆっくりと撫でた。やがて心臓の鼓動をその手に感じると、ナイフを持ち直し、柄をしっかりと握りしめ、女の胸にその鋭い刃を突き通した。傷口から新鮮な血が噴き出し、男の腕から足まで血に染まった。女の体が、体温を保ったまま、男の腕の中を滑り落ちた。男は立ち上がり、女の体からナイフを引き抜き、ベルトにつけた鞘に入れた。女の服のボタンをはずし、服を脱がせた。そうしながら男は、床に落ちていた書類の束を手に取り、さっと斜め読みすると、ポケットにしまい込んだ。女の服を脱がし終えると、男は女の死体を抱き抱え、廊下に出て、階段を上りはじめた。死体は自分を支えないから、持っている人が体重をすべて支えなければならない。そのため、死体運びはとてもつらい作業となった。男はむごたらしくも死体を二つに折り曲げ、ひざをあごにつけた状態にして、一歩一歩確実に階段を踏みしめて、浴室に死体を運び込んだ。浴室のタイル張りの床に、死体を寝かせた。そして窓を開け、シャッターを下ろしてガス灯をつけた。浴室は狭く、窓の下にある浴槽はごく普通のほうろう引きのブリキ製だった。そして、足つきのため、床からおよそ六インチ浮いていた。男は浴槽に入り、ナイフで金属製の栓をこじり取り、かわりにポケットからその穴に合うように作られた陶器製の栓をねじ込んだ。この栓にはプラチナ製のワイヤーが取り付けられていた。男はワイヤーの端をつかみ、浴槽の外に固定した。これだけ済ませた後、男は死体のそばに行き、裸にして桶に放り込み、死体をメキシコナイフで解体しだした。ナイフの刃はカミソリのように研ぎ澄まされていた。男は死体の解体を手早く、かつものすごく丁寧に進めていった。

やがて死体はバラバラに刻まれた。男は鞘にナイフを収め、手を洗い、一階の廊下におりてきた。水夫は慣れた手つきでドアを開け、地下室に入り込んだ。地下室でガス灯をつけ、ワインケースをひとつ開封し、中のビンをつかめるだけつかんで、また浴室に戻ってきた。ビンの中身を浴槽の中の死体にすべて注ぎ、空きビンを手に地下室に戻ってくると、ワインケースにビンを戻した。この作業が繰り返された。ワインケースがあとひとつとなる頃には、浴槽の半分くらいまで中の液体がたまっていた。液体は硫酸であった。

男はまた地下室に戻り、最後に残っていた五番目のワインケースを開けた。五番目のケースには、本物のワインが入っていた。男はそのワインを、硫酸が入っていたビンにまんべんなく注いでいった。硫酸のにおいを飛ばしてしまおうというねらいだった。それから男はガス灯を消し、紙袋二つと小さいがずっしり感がある包みを持って浴室に上がってきた。紙袋の中身は硝酸ソーダだった。浴室のドアの前で男は荷物を下ろし、小さい紙包みを空けた。中から長いチューブがついた大きなガスバーナー――一般的なガスストーブについているバーナーとは見た目からして違うものである――が二つ出てきた。男はチューブを浴室の元栓につなぎ、浴槽の下にガスバーナーを置き、元栓を全開して火をつけた。そして、女の下着と、服をはいだときに見つけた書類の束を浴槽に投げ入れ、持ってきた硝酸ソーダをまんべんなく硫酸の上に撒いた。これだけ済ませると男はそそくさと浴室から出てきてドアを閉めた。

浴槽の中では早くも硫酸が死体に作用し、分解しはじめていた。ガスの火に燃やされて、硫酸が沸騰してきたために、恐るべき勢いで死体を溶かしていったのだ。時々男は注意深く浴室のドアを開けた。湿ったタオルで口と鼻を守りながら、このむごたらしい有様を見守っていた。夜も更けていき、浴槽の中身はどろどろになっていった。明け方4時に男が浴槽を見ると、浴槽には非常に濃い液体があるばかりとなっていた。ここで男は一気にガスの栓を閉め、また部屋から脱出した。たっぷり三十分は廊下で待っていた。やがて、硫酸が冷めてきて、ひどい臭いが収まってきた頃を見計らって、男は浴室に入り、プラチナワイヤーをつかみ、プリキ栓を抜き取って、浴槽の中身をすっかり流してしまった。それから風呂の蛇口をひねり、お湯できれいに浴槽をすすいで、もともとあった金属の栓を穴に戻した。そのあと、ゴムチューブを元栓から引っこ抜き、バラバラに切り刻んで、ブリキ栓を砕き、プラチナワイヤーをぐちゃぐちゃに丸めて、みんなまとめて下水口に流してしまった[#注三]

悪臭は完全に抜けていた。男は浴室に戻ると、自分が行った作業の痕跡が残っていないかどうか手際よく調べた。男は細心の注意を怠らなかった。浴室に何の証拠も残っていない事にようやく満足すると、ガスバーナーを二つとも持って、浴室から出てきてドアを後ろ手で閉めた。そして屋根裏部屋に行き、ほこりまみれの荷物の中にバーナーを隠し、一歩一歩屋根裏部屋から階段を下りて、一階の廊下までやってきた。男が、女を殺した部屋に足を踏み入れたまさにその時、警官が二人飛び出してきて男を捕まえた。男は罠にかかった動物みたいに悲鳴を上げ、その場にうずくまった。

「あぁ、無駄だった! なんて無駄なことを!」男が叫んだ。その後は我に返り、ずっと黙っていた。警官たちは男に手錠を掛け、パトロール中の警官に応援を頼み、男を警察署に連行していった。男は、自分はメキシコ人水夫のヴィクター・アンコーナだと名乗ったきり、一切の供述を拒んだ。翌朝、ヴィクター・アンコーナはランドルフ・メイスンを呼び寄せ、長いこと話をしていた。

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