文書の蒐集 野村兼太郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)十二月八日|※[#判読不可、26-99] [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)十二月八日|※[#判読不可、26-99] /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)いろ/\の -------------------------------------------------------  近頃日本研究が盛んになり、日本ばかりでなく、外國でも滿洲事變以來、大いに日本研究熱が起つてゐると云ふことである。これは滿洲事變の思はぬ副産物ではあるが、甚だ喜ぶべきことである。われわれ日本人として日本の事情を十分に知悉すると云ふことは確かに一つの義務である。從來日本の學問は殆どすべてが外國の模倣であつたと云つても過言ではない。私共が專攻してゐる經濟史について見ても、歐洲中心、歐洲偏重の謗りは免れなかつた。われわれはもつと日本の經濟事情を深く研究する必要がある。それには史料の蒐集整理がさし當つて最も緊急を要することである。  古い時代の史料は今日容易に手に入れることが出來ない。今日漸く史料として市場に出たり、又は研究者の眼に觸れ得るやうになつた、幕末から明治にかけての諸文獻、又それ以前の徳川時代の證據文書類は、その數が少なくないだけにやゝもすれば分散喪失されがちである。今にして蒐集整理して置かなければ、やがてはこれも手に入れることさへ困難になることであらう。近頃日本研究熱に伴なつて、さうした文獻が兎に角ぽつぽつながらも先覺の有志者に依つて飜刻出版されつゝあることは、誠に喜ばしいことである。  私も諸先輩の驥尾に附して、主として徳川時代の史料の蒐集に努めてゐる。危ふく紙屑として、この世から姿を消してしもふ紙片を買求めたり、何人もの手を經て古書として市價を附せられたものを買求めたりして、出來る限り、乏しい財源の許す範圍で、さうした反故同樣な文獻を集めてゐる。もとよりその大部分が從來史家に顧られなかつたやうな所謂百姓文書ではあるけれども、それ等の皺を延ばし、塵や埃に、又蠧魚の糞にまみれながら、われわれの祖先がものした筆の跡を辿つてゆくと、徳川時代の―般民衆の生活がおぼろげながら、浮み出して來る。一片の紙片の裏に、血の出るやうな當時の生活が生々として描き出すことが出來よう。時にはある個人の密事さへ暴露さるゝことがあるが、幾つも集まつて來る同じやうな文書からさへも、當時の生活の動きを知る一端緒が得られる。  例へば奉公人請状を例にとつて見よう。かうした種類の書類は何時の時代でも型が定つてゐる。徳川時代であるから印刷こそされてゐないが、文言は大抵同じである。大體三箇條から成立つてゐる。知つてゐる方も多いと思ふが御存じない方のために、その代表的な雛形を擧げると次ぎのやうなものである。 「一、此作平と申男慥成者ニ私請人ニ相定當丑十二月八日|※[#判読不可、26-99]來ル寅極月八日迄壹季御奉公ニ差置申所實正也、則御給金之儀者金三兩三分ニ相定、此度爲御取替金三兩二分御渡被成慥ニ受取申候殘金一分者首尾能相勤御暇申請候節御渡シ可被下候事 [#ここから1字下げ] 一、宗旨之儀者代々眞言宗ニ而籾谷村安樂寺旦那ニ紛無御座候、寺請證文私方江取置申候間御入用之節ハ差上可申候事 一、御公儀樣御法度之儀者不及申、惣而御家之御作法爲相背申間敷候、若取逃缺落等仕候ハヾ雜物不殘相辨其上右之者尋出思召次第可仕候、此者長煩出候類、惣而入御氣ニ不申候ハヾ、何時成トモ長之御暇可被下候、早速人代差出候共、御給金不殘差出候トモ可仕候、若私共遠方ヘ取替等有之節ハ前方ニ御屆ケ謂人立替可申候、尤入御氣ニ申候而重年仕候ハバ何年モ此手形ヲ以御召仕可被下候、爲後日依而請状如件 年月日   何村 [#地から1字上げ] 人主 誰 印 請人 誰 印 [#ここで字上げ終わり] [#ここから2字下げ] 何村 [#ここから3字下げ] 誰殿」 [#ここで字下げ終わり]  この第二、第三の條項は、多少の文言の相違はあるが、内容に於いて殆ど同一である。宗門の件と柔順なる奉公を誓約する件とは所謂文切形である。すべての奉公人がこの文句通りに柔順であり、請人、即ち保證人がこの通りの誓約を實行したか如何かは、勿論疑問である。有名な馬琴の日記の内にも奉公人に對する苦情が出てゐるやうに、當時と雖も、奉公人が絶對的服從の地位にあつたと見るわけには、假令かうした文言があつたとしても、斷定し得ない。それならばこれを今日の所謂契約と見ることが出來ようか。  私は特に奉公人請状を目標として蒐集したのでないから、資料が不十分でこゝに斷定を下すことを躊躇する。それでも私の得た百通餘りの請状から判斷すると、如何にしても契約とは考へられない。勿論私の有するものゝ内にも、種種なる種類がある。茶杓奉公人と稱する者が純然たる人身賣買であることは云ふまでもないが、普通の奉公人でも、前掲の例にもあるやうに、給金を前金でその大部分を受取つてゐる。  殊に給金と云はずに身代金と云つてゐるものも少なくない。中には質物奉公人請状とさへ稱してゐるものがある。  かうした點から見ても當時の奉公人關係が所謂主從關係に基く絶對的服從に近かつたことは明かである。  奉公人請状の第一の箇條を各地方に依つて比較すると、例へば都會と農村の如き、又都會に近い農村と遠い農村と比較すると、給金や年期關係の數字が出て來る。又同じ土地のものを年代順に並べて見ると、そこに時代的變遷も覗はれるし、男女の性別に比較すれば、違つた勞働關係も知り得る。そればかりでなくそれ等を通じて、當時の社會状態を如實に想像させて呉れる。  私は今最も變化の少ないと思はれる奉公人請状について見ても、なほ幾多の生活の變遷を知り得ることを證據立てようとしたのであるが、未だ十分に説明し得ないのに、與へられた紙面は盡きたやうだ。奉公人請状以外のいろ/\の文書は過ぎ去つたわれわれの祖先の日常生活をより以上にまざまざと物語つて呉れる。  塵埃裡にあつて、屑屋のやうな仕事をしながらも、その勞苦を慰めて呉れるものは、さうした興味である。それ等がやがて自分の頭腦の内の「徳川時代」なる概念を是正し、少しでもはつきりした形で描き出し得る時を樂しみにしてゐるのである。 [#地付き](九年十一月廿七日稿) 底本:「文藝春秋 新年特別號」文藝春秋社    1935(昭和10)年1月1日 ※拗音・促音の大書きと小書きの混在は、底本通りです。 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。