ベルとドラゴン ――経典外聖書―― Bel and the Dragon 作者不詳 村崎敏郎訳 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)使者《みつかい》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)ドラゴン([#割り注]龍に似た傳説の怪獣[#割り注終わり]) -------------------------------------------------------  バビロン人たちは、ベルと名付けた偶像を持つていて、毎日それに大升十二杯の上等の粉と、四十頭の羊と、六杯のブドウ酒を捧げた。そして王はそれを信仰して、毎日礼拝に行つた……だがダニエルは自分の神を信仰していた。  そして王がダニエルに言つた――「なぜおまえはベルをうやまわないのか?」  その人は答えて言つた――「それはわたくしが人の手で作つた偶像をうやまわないで、天と地を作り、生きとし生ける者を支配したまう生ける神をうやまうからでございます」  それから王は彼に言つた――「おまえはベルが生ける神だとは思わないのか? 毎日どんなにたくさん飲み食いなさるか知らないのか?」  その時ダニエルは微笑して、言つた――「ああ、王様、あざむかれないようになさいませ。というのはあれは中はただの土くれで、外は真鍮でございますから、何一つ飲みも食いもいたしません」  そこで王は激怒して、僧侶を呼び集めて、一同に言つた――「もしおまえたちが、これほど費用のかかる品々を食いつくしているのがだれであるかを、わしに知らせなければ、おまえたちを殺すぞ。だが、もしベルがそれを食いつくしていることを証明できれば、その時はダニエルを殺そう。あの男はベルを汚すような不敬を口にしたからじや」  そしてダニエルは王に言つた。「お言葉のとおりにいたしましよう」  さてベルに仕える僧は妻子を除いて六十と十人あつた。そして王はダニエルと共にベルの神殿へ入つて行つた。  そこでベルの僧たちは言つた。「さらば、わたくしどもは外へ出ます。ですがあなた様は、ああ王様、食物を供え、ブドウ酒を用意して、扉をしつかり閉めた上、ご自身の印形で封をなさいませ。そして明日あなた様がお入りあそばしたとき、もしベルがすつかり食いつくしていないようでしたら、わたくしどもは死を覚悟いたしましよう……さもなかつたらわたくしどもをおとし入れるようなうそをついたダニエルが死ぬのです」  そして彼らはそれをあまり気にしていなかつた……というのはテーブルの下に秘密の入口が作つてあつて、そこから絶えず入りこんで、供物を食いつくしていたからであつた。  そこで僧が行つてしまうと、王はベルの前に食物を捧げた。さてダニエルは召使たちに灰を持つてこいと言いつけておいたので、召使たちは王ひとりだけのお目の前でその灰を神殿中にまき散らした。それから一同は外へ出て、扉を閉め、王の印形で封をしてから、立ち去つた。  さて夜になると僧たちは(いつもやりつけていたとおり)妻子を連れてやつて来て、すつかり食べたり飲んだりしてしまつた。  朝になると王は早くお目覚めになつたので、ダニエルはお供をした。そして王は言つた――「ダニエル、封印は元の通りになつているか?」  そしてダニエルは言つた――「さようでございます、ああ王様、元の通りでございます」  そしてダニエルが扉を開くやいなや、王はテーブルの上をごらんになつて、大声で叫んだ――「偉大なるかな、おおベルの神よ、あなた様にはなんの偽りもありません」  その時ダニエルは声を挙げて笑つて、王が中へ入つて行かないように引き止めて、言つた――「サア、敷石をごらんください。そしてこれが何者の足跡か、よくお気をつけてください」  そして王は言つた――「わしの眼には男や、女や、子供の足跡が見える」  そこで王は腹を立てて、僧たちを妻子と一緒に連れてこさせたので、彼らは、いつもそこから自分たちが入りこんで、テーブルの上にある物を食いつくしていた、あの秘密の扉を王に見せた。  それゆえに王は彼らを殺し、ベルをダニエルにまかせたので、ダニエルはベルとその神殿を破壊した。  それからその同じ処に大きなドラゴン([#割り注]龍に似た傳説の怪獣[#割り注終わり])がいて、バビロンの人々はそれを信仰した。  そして王はダニエルに言つた。「おまえはこれも真鍮だというつもりか? そら、これは生きている。飲み食いする。これが生ける神でないとは言えまい。それゆえにこれを信仰しなさい」  その時ダニエルは王に言つた。「わたくしは主なる我が神を信仰します……それこそ生ける神でございますから。だがお許しを願います、おお、王様、さすればわたくしはこのドラゴンを剣や杖を使わずに殺しましよう」  王は言つた。「おまえに許しを与える」  そこでダニエルは樹脂と脂肪と髪の毛を取つて、それを一緒に煮つめて、かたまりをいくつも作つた。それを彼はドラゴンの口に入れた、そこでドラゴンはバラバラに裂けてしまつた。そしてダニエルは言つた。「それ、これがあなた様の信仰した神でございます」  バビロンの人々はそれを聞くと、大いに激怒して、王様に陰謀を企てて、「王はユダヤ人になつて、ベルを破壊しドラゴンを殺し、そして僧を死刑にしたぞ」と言つた。  そこで彼らは王の処へ来て言つた。「われわれにダニエルを渡せ。さもなかつたら王を殺し、王の家を焼こう」  さて、王は人々がきびしくせまるのを見て、やむを得ずダニエルを彼らに渡した。人々は彼をライオンの檻に投げこんだ。そこに彼は六日いた。  そして檻の中には七頭のライオンがいて、人々はそれに毎日獣の胴体二つと羊二頭を与えていた。今ではそれを与えないで、ダニエルをライオンに食い殺させるつもりであつた。  さてユダヤ人の中にハバカクという一人の予言者がいて、スープを作り、入れ物の中にパンのかけらを入れて、取り入れの人たちに持つて行くつもりで野に入つて行つた。しかし主の使者《みつかい》がハバカクに言つた。「行け、汝の持つその食事をバビロンのダニエルにはこんで行け。彼はライオンの檻にいる」  そしてハバカクは言つた。「主よ、わたくしはバビロンを見たことがありません。それにその檻がどこにあるのかも存じません」  その時主の使者は彼の頭の髪の毛をつかんで提げて行き、彼の心が激しく燃え上がるうちにバビロンの檻の上におろしてやつた。  そしてハバカクはこう言つて呼んだ。「おお、ダニエル、ダニエル、神の送りたもうた食事を取りなさい」  そしてダニエルは言つた。「おお神よ、あなたはわたくしをお忘れになりませんでした。それからまた、あなたを求め、あなたを愛する者をお見捨てになりませんでした」  そこでダニエルは起き上つて、食事をした。そして主の使者はすぐまたハバカクを元の処に返した。  七日目に王はダニエルをとむらうために出かけた。そして艦の処へ来たとき、王がのぞくと、見よ、ダニエルがすわつていた。  その時王は大声で叫んで言つた。「偉大なるかな、おお、ダニエルの主なる神よ、あなたのほかに神はありません」  そして王はダニエルを引き出して、彼を殺そうと企てた人人を檻に投げこんだ。すると彼らは王の顔前で瞬間に食いつくされた。 底本:「〔名探偵登場※[#ローマ数字 1、1-13-21]〕」HAYAKAWA POCKET MYSTERY BOOKS、早川書房    1956(昭和31)年2月28日初版発行    1993(平成5)年9月15日3版発行 ※底本は新字新仮名づかいです。なお平仮名の拗音、促音が並につくられているのは、底本通りです。 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。