ある夏の夜 One Summer Night ビアス・アンブローズ Bierce Ambrose 妹尾韶夫訳 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)彼《かれ》の姿勢 -------------------------------------------------------  ヘンリ・アームストロングが、埋葬されたという事実、この事実はご当人の彼にとつて、なにも彼が死んだという証拠にはならなかつた。もともと、彼は人の言うことに、容易に屈服しないたちなのだ。だが自分が埋葬されたという事実だけは、感覚がうつたえるので、認めないわけにいかなかつた。彼《かれ》の姿勢――仰向けに寝て、両手を腹の上に組合せ、たいして体を動かさなくても、すぐ切れるような、なにかでその手を結ばれているという姿勢――厳重《げんじゆう》に全身《ぜんしん》をとじこめられ、あたりが暗くて静かであること、これら、埋葬されているという、一群の証拠は、どうにも論駁できないことなので、彼もあげ足とりをしないで、承認するわけなのである。  だが、死――いや、死んではいない。彼は、重い病気にかかつているだけなのだ。そして、そのうえ、病人特有の混迷におちいり、自分の上に降りかかつた、異常な運命に、無関心でいるだけなのだ。彼は哲学者ではなかつた。ただ、病気のため、一時的無関心になつた平凡な人間で、成り行きを恐れる器官が、麻痺しているだけなのだ。だからヘンリ・アームストロングは、すぐ目の前に迫りつつある未来にたいして、なんの不安を感ずることもなく、いま昏々と、安らかに眠りつづけているのである。  けれども彼の頭のうえで、何事かおこりつつある。夏の夜だつた。西の空に、低迷《ていめい》する雲間《くもま》に、時々、音もなく、稲妻がきらめいて、近づきつつある暴風雨を予言していた。墓地《ぼち》の石碑や墓石が、その断続的な光に、気味わるくはつきり映しだされて、瞬間的に踊つてみえた。こんな夜、墓地に迷いこんで、盗見する人間があろうはずはなかつた。だから、ヘンリ・アームストロングの墓を掘り起こしつつある三人の男は、すこしの不安も感じなかつたのである。  この三人のうちの二人は、数マイル離れた地点にある医科大学の若い学生で、第三の男は、ジェスという名前の、大男の黒人であつた。数年前から、この墓地で、あらゆる仕事に使われているジェスは、よく、「墓地のことなら、なんでも知つてまさあ」と、自慢しているものの、現在彼がやつていることから判断すると、この墓地には、記録にのつているだけの数の死体が、埋葬されているかどうか、すこぶる怪しいのである。  囲《かこ》いのそとの、大道《だいどう》から遠く離れた地点《ちてん》には小さい車が一匹の馬につながれて待つていた。  発掘の作業は、そうむづかしくはなかつた。数時間まえ[#「なかつた。数時間まえ」は底本では「なかつた数時間まえ」]軽やかに穴に落しこんだばかりの土には、抵抗がないので、取りのけるのに、骨は折れなかつた。穴から棺を持ちあげるのは、ちよつと困難な仕事だつたが、ジェスは自分の役得になるので、それを上にあげ、ていねいにねじを抜き、蓋を取りのけて、黒ズボン白シャツのアームストロングの死体が見えるようにした。けれどその瞬間、ぱつと稲妻が閃めき、墓地を搖がす雷鳴がとどろいたと思うと、むつくりアームストロングが上体を起こしたのである。二人の学生は、恐怖のあまり、妙なうめき声をあげ、てんでに反対の方向へ逃げだした。かりに呼び戻そうとしたところで、二度と彼らはそこへ戻つては来はしないだろう。  だが、ジェスのみは、たちの違つた人間だつた。  夜が灰色に明けかけた頃、心配のため蒼白く憔悴し、前夜の冒険の恐怖に、まだ烈しく胸を動悸づかせている二人の学生は、ぱつたり学校で顔を合わせたのである。 「あれを見た?」  一人がいつた。 「見た――どうしよう?」  学校の建物に沿つて、二人は裏《うら》へまわつた。そこの解剖室の入口に近い門柱に、小さい馬車がつないであつた。機械的に、彼らは、解剖室にはいつた。  薄暗い隅のベンチに、黒人ジェスが坐つていた。  彼は二人の姿をみると、目と歯で笑いながら立ちあがり、 「お金をもらおうと思つて待つていました」  といつた。  長いテーブルの上に、裸で寝かされている、ヘンリ・アームストロングの死体の頭は、シャベルで殴られて、血と土でよごれていた。 底本:「宝石五月号」岩谷書店    1954(昭和29)年5月1日 ※底本は新字新かなづかいです。なお拗音・促音の大書きと小書きの混在は、底本通りです。 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。