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2016年末を以て著作権保護期間満了を迎えた作品群

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青空文庫では、毎年1月1日にあわせて、新しく著作権保護期間が満了した作家を歓迎する、「Happy Public Domain Day」のロゴを掲げて、新しく「公」が広く利用できるものとなった方々の作品を公開しています。

土地とともにあるパブリック・ドメイン(青空文庫2017年1月1日付そらもよう)

いまだ来ない本のための青空(青空文庫2016年1月1日付そらもよう)

「エッセンス」としての本を残すために(青空文庫2015年1月1日付そらもよう)

「青空文庫」が普通名詞化する未来に向けて(青空文庫2014年1月1日付そらもよう)

春を待つ冬芽(青空文庫2013年1月1日付そらもよう)

本を運ぶ者(青空文庫2012年1月1日付そらもよう)

新しい人へ(青空文庫2011年1月1日付そらもよう)

ハッピー・パブリック・ドメイン・デイ!(青空文庫2010年1月1日付そらもよう)

SOGO_e-text_library(http://www.e-freetext.net/)でもささやかながら青空文庫を支援すべく、2016年末をもって著作権保護期間が満了した方々について、私が入力したもののうち、校正待ちで青空文庫での公開がだいぶ先になるものについて、ページを作って公開させて頂きます。

※青空文庫での校正を得ていないものなので、ご利用は自己責任でお願いします。

ただ、2016年末満了の著作についてはあまり入力しておらず、大半が1月1日に公開されているため今回は2作品のみです。それだけではあんまりなので、こんな活動を続けている思いをそらもようにならって述べさせていただきます。

そらもよう土地とともにあるパブリック・ドメインにおいて、このような文面があります。

パブリック・ドメイン・デイは、かつて存在した様々な作家をあらためて見つめる機会でもあります。
有名・無名を問わず、過去に数多くの作家がおり、そして多彩な作品が書かれたことに、誰もが自由に向き合い、想いを馳せることができるようになるのです。

本日ここに揃えられた19作品は、かつてなされた創作という人の営みに再び光を当てたいという、願いの結晶でもあるわけです。

青空文庫に登録された作品は、いずれも入力者・校正者がそれぞれいて、両者の作業の結果登録されたものになります。「作業の結果」と一口にいいますが、特に中編や長篇ともなりますと、その作業量は非常に莫大な量となってきます。たとえば、私は過去に江戸川乱歩の少年探偵団シリーズを入力しておりますが、その作業に約一年半かけております

その作業をするにあたり、芥川龍之介著「後世」とともに自分が拠り所にしている文章として、柳田国男著「書物を愛する道」があります。

本が日本に有り余るほど出て居ることは、種々なる方面から立証し得られるが、斯く申す自分なども、最初には欲しいものの集めきれぬことを歎き、中頃は選択の標準の示されぬを憾みとし、今は又読まねばならぬものの読み尽されぬことを悲しんで居る。つまりは一生涯、書物の豊富に苦しめられ通したのである。斯ういう中に於て、国内には適当なるものが得られないということは、そもそも何を意味するであろうか。

私は昔、本の虫を自覚していて、中学と高校はよく図書室に出入りし本を借りて通学時間や家で読んでいましたし、大学生の時も大学図書館で借りたり本屋で買ったりしていろいろ本を読んできました。欲しくても集めきれず、どんな本を読んだらいいか悩み、読まねばならぬ本を読み尽くすことなど一生できないであろうと思う日々でした。

でも、読書が趣味というと一種の変人扱いされ敬して遠ざけるような扱いだった覚えがあり、本を読むという行為をもう少し好きになって欲しいという想いを持っていたような気がします。

本を読むということは、大抵の場合には冒険である。それだから又冒険の魅力がある。教科書や法令の如く一読を強いらるるものは僅かであると共に、広告宣伝文以外に其内容の有益を、始から保証してくれる者は無く、実際又各人の今の境涯に、ちょうど適合するか否かは自分でしかきめられず、読んで見なければ結局はそれも確かでない。

本を読むという行為を好きになってもらうにあたり、「本」を少なくない対価を払うに値するものと思ってもらうことはとても大変です。読んでみるまでは内容がわからないのに、対価を払わないといけないからです。

新刊はまだ宣伝してくれるからいいのですが、少し古くなると宣伝もなくなります。そうなると、その本を読むためのハードルがいくつも出来て、よけいに読みにくくなるのです。

所謂馬糞紙の箱に入れる風が始まって、菊判四六等々の大きさ以外に、外から本の性質を見当づける途が先ず無くなり、次で文庫が始まってどれも是も川原の小石の如く、手に取って細字の標題を読まなければならぬようになった。(中略)とにかく是ほど数多い日本の古書が、僅か三十種か四十種以外、誰にも省みられなくなった原因は特色の没却、即ち文庫それ自身の外形の単調化に、在ったということまでは考えて見る必要がある。

だとか、

今一つ、古人が大きな損をして居る点は、文体の急激な変化ということにも在る。(中略)所謂口語体が奨励せられ出してから、この障壁は一段と高くなった。殊に書名によって内容を察し、又はただ数頁をぱらぱらと拾い読みして、面白かろうかどうかを決定する風が盛んになっては、古書は年月と共に益々不人望になって行くことも已むを得ない。

だとか、

もう一つ、我々が古書を疎遠にする理由は、統一の欠けたものが多いこと、何が目的で此本を世に残したのかを、はっきりと把えられないものが多いことである。

の点で、古書が読みにくいのは確かです。それでも読んで欲しいと思うのですが、そのためには、文章を書きなおしたり、挿絵や表紙をあたらしく目をひく絵をつけて発売したり、ドラマやアニメや舞台などにしていくことが必要だと思います。それによって新たな命が吹きこまれ、新たな読者に届き、そして読み継がれる本が出来ていくのだと思っています。

その一助として、テキスト化してインターネットにあげておくことによって読んでもらう助けにしていただき、そこに新しいものを付け加えて今の時代に出し直してもらうために、せっせと昔の作品を青空文庫にあげているのです。

自分があげたテキストなどを誰かがまとめてAmazonで売るのも含めて、以下にあげるような役割をだれかがするための助けになればいいと思っています。

古書を粗末にし又は少しも利用せぬという悪い傾向が、斯ういう事情に基づいて居るとすれば、それを救済し得るものも「文庫」の外には無い。それ故に自分などは、単なる完形保存の事業の他に、別に古書を現代人と繋ぎ付ける略本というものの流布を希望し、それを却って文庫の主要なる任務だとも思って居る。勿論略本は一方に広本の確保と、十分に特色を発揮し得るだけの、責任ある妙録を条件とする。そうして又是によって良書を知り、新たに未知の分野を拓くもので無ければならない。本の名前ばかり際限も無く教えられて、中味はちっとも読んで居ないという人ばかり多い世の中に、折角歓迎せられた「文庫」というものが、今の姿ではまだ本当に働いて居るとは言われぬであろう。

なお、もし著作権保護期間が今のまま死後50年のままであれば、今後三年間はぼくにとっては当たり年となるべき年だと思っています。なぜなら、

1967年没:矢崎源九郎「ニールスのふしぎな旅」や「絵のない絵本」などを翻訳

1968年没:村岡花子(むらおか はなこ、1893年〈明治26年〉6月21日 – 1968年〈昭和43年〉10月25日)「クリスマス・カロル」や「赤毛のアン」などを翻訳
1968年没:保篠 龍緒(ほしの たつお、1892年11月6日 – 1968年6月4日)「アルセーヌ・ルパン」シリーズを翻訳

1969年没:大場 正史(おおば まさふみ、1914年1月1日- 1969年7月17日)「バートン版アラビアンナイト」や「カーマスートラ」などを翻訳
1969年没:村上 啓夫(むらかみ ひろお、1899年 – 1969年)「海底二万里」ジュール・ベルヌ著や「新版千一夜物語」R.L.スティーブンソン著などを翻訳

新たにみんなのものとなればそれを下じきにした作品がさかんに作られること間違いないと思うと共に、私が読みたいものが多数…

これからも著作権保護期間が延長されませんように。

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