三月十三日午前二時 大坪砂男 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)犯罪学の泰斗《たいと》には |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)枕|屏風《びょうぶ》に [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#3字下げ]第一信(三月四日)[#「第一信(三月四日)」は中見出し] ------------------------------------------------------- [#3字下げ]第一信(三月四日)[#「第一信(三月四日)」は中見出し]  拝啓  東都は益々混乱して、犯罪学の泰斗《たいと》には益々御多忙のことだろう。  僕は飛彈《ひだ》の高山で正月を迎え、金沢、福井と流れ、永平寺を窺い、廊下の寒さに震え上って、和尚の紹介状を幸《さいわい》と、すぐこのT村の室田《むろた》邸に現れてすっかり腰を据えてしまった。O駅からさらにバスで一時間も揺られる僻地《へきち》ながら、そこはそれ、ここは銘酒玉雪の醸造元なのだ。  しかも十号の肖像画と十五号の風景画の註文までとったといえば天晴《あっぱ》れ手柄話だが、材料二百倍から逆算したら問題にならぬ収入だし、さらに嘆く勿《なか》れ、その肖像たるや、室田氏の亡き母親の写真を引伸す職人技術の安売なのさ。  酒が物言う時節柄、こうした地方旧家の生活は豪盛なもので、そりゃ昔の目で見たら質実とか品種の変化が乏しいとも言えようが、量の豊富さときては全くの話が気の弱い僕さえ遠慮なく頂戴して、水を割らない地酒にトロリとした時なぞ、根なし草の旅絵師稼業もまんざらでないと遙かに荒都を憫《あわ》れむしだいだ。  この家がまだ、醸造所の奥に別に土塀と門までつけた破風《はふ》造りの、百年近く経っていよう柱の艶を見ても、時代のさび色なのか京風に紅柄でも塗ったのか見別《みわけ》がつかないほど落着ききった感じは、天井の梁《はり》一つ見ても安心できる。  僕に与えられた座敷も、家族の人達とは間に二つも空室をおいて、床の間づきの十二畳。それも京間に近い寸法だから、軟らかい夜具を重ねて枕|屏風《びょうぶ》に煙草盆まで置かれてみると、長閑《のどか》な中に沁々《しみじみ》と敗戦の孤独を味わいながら、襖《ふすま》に貼られた黙翁筆隷書《もくおうひつれいしょ》の|赤壁ノ賦《せきへきのふ》を眺める。  朝は五時から井戸のポンプが聞こえだし、家の人も六時には起きるのを、僕は芸術家という敬遠された肩書にかくれて、でも七時には床を離れて庭に出る。  庭の北側はすぐ岡につづいて、それから南にかけて次第と遠ざかって行く山々の、さらにその奥深くまで室田家の山林なのだ。何千町歩とかいうのだろう。僕には目測もつかないその遠景に白山《はくさん》が雪を頂いている。  二月始めに来た頃はやはり北陸地方の感じをうけたのに、紀元節を境に気温がすっかり変って、三月の声をきくとはや木々の梢からハラハラと冬を振落してしまった。気流の関係か、特別な地熱でもあるのか、この一帯の温さは不思議で、昨日の桃の節句の晴れた一日で春が立ったとの感銘は少しも誇張でない。  従って、肖像画の不満は風景画で補える。白山は冷たく空を切り、中景の山林は落葉樹と常緑樹と疎密の対照をなし、木々の肌は朝の逆光線で透き通る薄さに輝くし、残んの雪と厚みのあるセピアが交って、総《すべて》が単調な色彩のまま千変万化する。その中を遠くから、室田組製材所の機械|鋸《のこぎり》が奇妙な哀調を漂わしてくるなぞ、なかなかに情緒ある風景だ。  近景の庭に相当に手のこんだ造園術が施してあるのに、低い中仕切の柵から奥はあまり人が立入らないとみえて、一種廃園の趣さえある。僕はこの画で遠・中・近景の温度の差を巧《たくみ》に表現して、それの醸《かも》しだす微妙な日本風景を描きたい野心なのだが。  さて、筆不性《ふでぶしょう》が不沙汰《ぶさた》の手紙を書きだすとつい前説が長くなってしまったが、実は昨夜の酔で遅くまで主人公と話しこんで、奇怪な因縁をきかされ、いささか恐しい一夜を明かした結果、かくは専門家にお伺いを立てるわけだし、君にもちょっと興味がありはしないかと思う。  油絵描の居候《いそうろう》も置こうと言うのだから田舎でも馬鹿にならぬインテリ家系で、先々代なぞ明治二十何年という昔に遠く東京まで遊学して蔵前《くらまえ》の高工(或《あるい》はまだ職工学校と言っていたかしら)を一番で卒業したとの自慢だし当主はこれは間違いなしの京大林科卒業、その令夫人も金沢の女高師出と、まあまあ相当話もわかるものだから、僕は酔った口でつい肖像画の不満を画論めいた愚痴で漏らしてしまった。 「モナ・リザの像をご存じでしょう? あの謎の微笑と言われるものは一瞬にして生じるんではありませんね。その人の長い生活の集積が結果しているんで、しかもダ・ビンチは霊筆でこれを永遠のマドンナとして止揚《しよう》しています。だからあの名画の秘密の一つは画面に圧縮された時間の感銘が人をうつのだと思うんですが。  ところが写真となるとこの無心な機械は、ただの何分の一秒かの痕跡を銀粒子の疎密で表したに過ぎませんもの。そこから人の生活を感じようとすることは、それこそ未知の大魚の片鱗を示してその全貌を描けと命ぜられるような難題です。  写生ですと下手は下手なりの解釈が下せるんですが、写真からは根拠になる動勢が得られないんで、よほどのドグマを下そうとしてみても結局はただ一度でもその人を垣間見たい焦燥を覚えるだけに終るんですな。  人の顔は例外なく見詰《みつめ》ていると不思議な怖しさを帯びてくるのが造型の神秘ですし、殊にあの正装した三十歳の婦人の切れ長な目の表情の奥には何かこの世ならぬ冷い感触があって、そうです。やはり女だけが持つ一つの謎の微笑が隠されていて、画家として魅力を感じれば感じるほど容易に筆をつけさせません」  すると、どうだろう、主人公は思いの外の動揺を示して僕を驚かした。 「あの母の写真が、そんな、そんな神秘めいた謎を持ってましょうか? あなたにそう見えるんですか? それは本当ですか?」 「本当にも嘘にも、僕等画描は物の表情をさぐる本能を持ってましてね。例えば白山にしても、春の光をうけた時なぞただの白い山と言いきれないものを、近くの山の複雑な色よりももっと微妙なものを見せますからね」 「ああ、流石《さすが》に芸術家は敏感ですな。母は生前より独りで白山を眺めていたそうです。それに……お話してしまいましょうか……母は奇妙な死に方をしたのです。庭の奥のお笠井戸で……」  主人公の話はこうだ。  彼が小学卒業の年というから丁度関東震災にあたる二十五年前の三月十三日の未明のこと。母親を捜していた家の者が、母屋の東はずれのその部屋の雨戸が少し開いているのを怪しんで外を見ると、その時は珍らしく三寸ほど積っていた雪の上に素足の跡がついていた。それを伝って行くと庭のお笠井戸で止っている。井戸を覗くとさあ大変。大騒になって縄を下して引揚て見れば白無垢《しろむく》の衣装で後頭部を粉砕してすでに息は絶えていた。  雪の上には確かに片道の足跡だけだったし現場も乱れていず、覚悟の衣服といい、井戸に身投して石に頭を打ったことまでは解っても、誰にも自殺の動機が思い当らず、肝心の遺書がどこを捜しても出てこなかった。それにもう一つ不思議なのは、途中を照らして行った提灯《ちょうちん》は井戸べりに置かれてあったが、中には蝋燭《ろうそく》がはいってなかった。  否。家人が一斉に戦慄したのは、主人公の言葉を借りていえば「唯もう恐ろしい因縁」にあるのだ。と言うのは、その人の母親、今の主人から祖母に当るお笠さんが全く同じ状態で自殺している。  雪こそ降っていなかったが三月十三日の未明に発見され、同じく白無垢の衣装を纏《まと》い、後頭部粉砕。原因不明で遺書もなく、おまけに蝋燭のない提灯が井戸わきに残されていた。  室田氏は炉の火に照らされて顔に深い隈《くま》を見せながら語り、僕も後《うしろ》の影に気を配りながら、主人の沈黙に対していた。  君の話をすると、是非御意見を伺ってくれと言う。犯罪ではないが、自殺? 他殺? ではいつも頭を悩している君のことだ。外国あたりの色々な実例からも考証した科学的説明をきかしてくれるだろう。  二十何年かを隔てておこった、この全《まった》き相似型はかなり珍しいと思えたので、敢《あえ》て犯罪都市の花形を煩《わず》らわす次第だ。 [#ここから地から4字上げ] 早々 [#ここで字上げ終わり] [#ここから地から2字上げ] 柳風人《せいりゅうふうじん》 [#ここで字上げ終わり] [#ここから2字下げ] 鑑識課理化学室 [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] 緒方三郎《おがたさぶろう》技師殿 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]第二信(三月十日)[#「第二信(三月十日)」は中見出し]  拝復  画伯悠々の自適ぶりは羨望《せんぼう》のかぎりです。それにしても貴公平素の放浪性から考えて、少々腰の据え方が入念すぎるではありませんか。ただの新円稼ぎ食料喰いのべ作業だけではありますまい。室田邸には新酒の酔に劣らぬ魅力|菩薩《ぼさつ》の存するものあるに非《あらざ》るや?  さて、貴信すこぶる珍重でした。浪漫的香気も無い暴力沙汰ばかり扱わされているせいか、地方にかかるロマンスの秘められていたには一驚を喫しました。  自殺の相似型には、ウイーンで父子三代まで、庭園の同じ樹の枝で縊死《いし》した例なぞあります。この場合は原因は明瞭で三人とも失恋自殺をしたのですから、極端な痴情家系だった訳です。(たしかモーパッサンがこれを材料に小説を書いてると思う)  犯罪学でも相似型は重大に扱っているのは犯罪者には個性や習性から得意な手法があって、それに成功すればするほど同一手段を繰返すものです。ここに犯罪手口法の捜査法もでてくるのですが、お笠井戸物語は果してこのいずれに属しましょうか?  一読した僕は何となく「必然」の感銘をうけましたが、なかなか割り切れない因子を多分に持っているようです。単純に自殺ときめてかからず、もう少し視野を拡げてみたいものですね。  偶然として計算しきれないところに因縁説も出るのでしょうから、必然と考えて、これを支配している一つの意志を発見するよう努力してみてはどうでしょう。ことによると犯罪史の一頁を飾るところまで発展するかも知れませんよ。  残念ながら、貴公らしくもない不備な手紙でしたね。自殺説としても大切な精神状態を測るもとの年齢まで三十前後では少し困りものです。それに昔はかなり早婚だったらしいし、原因に心当りが無いならよけいに環境の説明が必要でしょう。XYZを含む方程式を解くには唯の一式を与えられたのでは答は出ませんぞ。  左の項目に返事して下さい。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 一、二件とも未明発見とあるが、雇人さえ五時に起きる習慣なのに、なぜ家人がそんなに早起する必要があったのか? 二、三月十三日は有名な奈良の二月堂のお水取りの日だが、若狭《わかさ》の遠敷《おにゅう》明神が二月堂の井戸に水を送るという伝説の、その若狭の国に近い土地柄、これと類似の行事でもありはしないか? 三、学士の主人まで因縁だと口走るその原因は? 室田家に係る何か不吉な言伝え或は祖先の人々のうちに精神状態、所業に異状なものでもあったのか? 四、祖父・父(入婿と察するが)の結婚当時の模様と妻を亡した後の態度、婦人関係はいかに? 五、お笠井戸の位置並びに構造は? 水面までの距離は? 周囲の状況は? 六、井戸に関して古く伝わる邪教、迷信の類《たぐい》はないか? 七、蝋燭は水より軽く且《か》つ白いので目に立ち易い物だが、井戸に落ちて浮いていた話は残っていないか? [#ここで字下げ終わり]  右報告をうけてから再診しようではありませんか。画論卓越の明快な頭脳を働らかして下さい。 [#ここから地から4字上げ] 匆々 [#ここで字上げ終わり] [#ここから地から3字上げ] 緒方生 [#ここで字上げ終わり] [#ここから2字下げ] 柳|風來散人硯北《ふうらいさんじんけんぼく》 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]第三信(三月十日)[#「第三信(三月十日)」は中見出し]  前略  医者は人を診《み》ると病人にするし、裁判科学者は事件と聞くとみんな犯罪にしてしまう。  前便は迂生《うせい》いささか怪談に怯《おび》え、不備を指摘されて恐縮千万だ。その後室田氏と話合って研究の結果、合理的解決に到達したが、その報告のためにも先ずご出問に答えよう。  御明察通り当地にもお水取りと称する行事があるし、それを案内してもらって帰京するのが始めからの予定だった。そう言訳しても室田氏の令妹お繁《しげ》さんが魅力|菩薩《ぼさつ》だということを否定はしないが、目下僕の心境は芸術|三昧《ざんまい》だからそれ以上の心配はご放念願う。  お水取りと言っても奈良のとは趣きが違う。この家から白山の方角に当る裏山に灌漑《かんがい》用の貯水池があって、雪解で溜りすぎた水を最初に放出する儀式を昔からお水取りと名づけているのだ。  十二日の夜から近隣五ヶ村の青年達が手に手に松明《たいまつ》を持って岡へ登る光景は火の蛇がうねるようだとか。夜半零時を期して村々の選手が池に火焔を写しながら競争して一周し、勝った村の代表が水霊《みずたま》神社に玉串《たまぐし》を捧げ、丁度二時に南口の堰《せき》を切るとこれを合図に、池畔の大松明に点火する。すこぶる壮観を極めるそうで、これを見物しながら一杯やろうという趣向だ。  ところで、この祭礼には土地の有力者はいずれも正装して神社に参集するのだから、大兄が大ぶんと気にしているらしい先代も先々代の場合も勿論出席していて、図らずも五ヶ村の人々の面前で怪死事件? に対する不在証明(アリバイ)が成立しているとは。  次に因縁話以下となるが、佐々成政《さっさなりまさ》の重臣|室田勝左衛門《むろたかつざえもん》を祖先とするこの家の来歴は、今の主人もあまり詳しく知らないらしい。というのが今から五代前に一家を挙げてこの地に遵《うつ》り「玉雪」と銘して醸造を業としだしたのだから、それ以前のことはあまり伝わらずまた格別のこともなかったのだろう。  それから三代目が祖父の室田|介助《かいすけ》氏だ。この介助氏の因業《いんごう》ぶりがとかくの噂を生んで、今なお因縁説なぞに囚《とらわ》れているらしい。  介助氏は多少異状な性格者だったようで、この話は僕等のグループでは文学畑の小柳《こやなぎ》なぞに聞かしたら喜びそうだから、彼の小説の種にもコピイしておくつもりで少し悉《くわ》しく書いてみよう。  少年時代の介助氏は秀才だったらしい。そこで田舎としては大英断で東京に遊学さして卒業を楽しみに自慢で国に呼び戻そうとすると、すっかり東京のハイカラにかぶれた彼は頑《がん》としてきき入れず、勝手に奉職してしまうし、次いで東京で結婚したいから承諾せよと言ってよこす。ここで大分と揉めたらしい。その裏面には介助氏一代の恋愛事件があった訳だ。  彼の下宿の裏に貧乏士族が住んでいて、その娘のお笠さんが下宿中の評判になっていた美少女で、彼氏下宿の窓から一目見て参ったらしい。それも娘が縁側で爪を剪《き》っているところを見染めたと伝えられてるところなぞ、当時の浪漫思潮を表してるじゃないか。  介助氏はしっかり者だから、下宿の連中が歌なぞ作って騒いでる間に、猛勉強して首席で卒業するやすぐ官庁に勤めた。官員さんでなくてはいかぬと考えたところも時代相だね。精勤一年、娘の家の主筋に当る、これまた官員さんを仲人に頼んで結婚を申込んだ。介助の家も士族で、地方ながら豪家の長男、前途有望な官員で、その上故郷の習慣と称して莫大な結納金まで積もうという好条件。これで親の心を動かして承諾を得るや、今度は国に馳帰《はせかえ》って、覚えた自由民権の論を吐いて烟《けむ》に巻きながら、吾輩もこの恋愛競走に負けるようなら生きて再びお目にかからぬ、といった調子で、そこは一人子可愛さの親を説き伏せ結納金までせしめてついに初志を貫徹した。この時お笠さんは十八歳だった。  介助氏は従順な愛妻を目の前に眺めて大いに満足した。その証拠には家の業を嗣ぐ約束を守らず依然として東京で愛の巣を営んで動かない。これでは話が違うと大いに怒った親父はそのとたんに卒中で死ぬ。こうなっては仕方なく帰国して財産を相続すると、このハイカラ人物の性格が一変してしまった。  共産主義にかぶれて散々親をてこずらした若旦那が、店を嗣ぐと急に資本主義者になるという。これはよくある例だが、新教育を受けた介助氏が、これはまた何と、因業一徹な金貸気質を発揮して、一旦証書を取った相手の山林はあらゆる手段を講じて捲上《まきあ》げては、今の大室田の基礎を築き上げたということになっている。  僕はもう少し同情して解釈している。彼は帰郷して見ると、あすこもここも改良しなければならない所ばかり目につくし、それを言い出せば因襲に囚《とらわ》れた土地者は事ごとに細い事は反対する、貯水池の堰も灌漑《かんがい》に便な西口に遷《うつ》そうとすれば、南口は儀式用だけにも昔通り残さねば神罰が当ると聴き入れない。新知識を以《もっ》て任じる彼の善意な計画も、彼等の賤《いや》しい根情から善意にとってもらえないばかりか、妻を東京風にあつかうことまで何かと蔭口をきいて非難めいた態度までとられるとなっては負け嫌いの彼としては、この田舎者共を憎み手強《てごわ》く戦ってやろうと決心したのも無理からぬところではないか。  彼の理論的急進思想と地元の因襲的保守思想の感情的対立の頂点が、新酒の仕込期になって突然原料米の不売同盟となって現れた。この底意地の悪い鈍感な無言の挑戦に、彼は敢然と応じ、逆に新米の不買を公然と宣言し同時に彼の山林への立入を禁じて、従来習慣上認めていた下枝を取れなくしてしまった。やがて遠くから来た何十駄かの米俵が賑かに室田家の前で下されるのを眺めては、同盟連の方は手持米は売れず、冬の薪材にも困ることになって動揺しだす。ここを介助は各個撃破に出て、売らぬ約束なら金では買うまい。物と交換なら不都合はあるまいと説いて二人三人と違反者が出だしては、もう総崩れとなって介助の勝利に帰した。  勝ったばかりでなく、彼の研究で、時期のおくれた新酒の冬仕込が成功してこれが先例となるほどの評判まで取ってしまったのだから相当な人物だ。  殖民地あたりで働らかしたら天晴《あっぱ》れ名をなした傑物だったかも知れないと思う。  さらに同盟に味方した小作人から土地をとりあげようとすると、彼等は庭に土下座して歎願するのに、とても生活が立たないような条件を出しても、一人として土地を去ろうとする者がなかった。  ここで介助氏ははっきりと農民の土地に対する執着を教えられて、田畑を抵当には金を借さず、山林専門の方針が立てられたと見ていい。後に小作問題がおこり、当代になってこの美材で室田組製材所が本業以上の成績をあげるといったような先見ではあるまい。  この頃から介助氏にも「土の執念」がとりつきだして、次いでおこった恋妻の自殺がそれを決定的にしてしまったのだが、これも戦っているうちに相手の農民の気風に自然と感化されたとの見方よりは、土地での威勢が確立するに従って本性があらわれ、心の孤独が一層かたくなにしたとする方が正しかろう。ここに彼の文化人になりきれない郷土性がある。  これも僕等東京人から見ての話で、困苦に生きぬいてきた北陸人としてはその風土性と言うべきか、負けじ魂は我執となり、所有の観念は偏狭に発達して行くのだ。  実例を記しておけば、赤松山を手に入れた時なぞも依然として立入禁止を実行して、松茸の期節となって家人が採ろうとしても許さず、あたらそのまま立ち腐れにしてしまったという。  又、骨董も相当の趣味で集め、僕の見せてもらった物の中でも、古九谷《こくたに》なぞの逸品があって、普通ならこれを人に見せて自慢するところを、彼は手をつくして我が物としたが最後蔵にしまいこんで「室田家にはいった骨董はもう陽の目を見ない」と言われたくらい、絶対|他見《よそみ》をこばんだと伝えられている。  ここまで来るともう利害を離れた性癖だし偏執と称してもいいだろう。これがお笠さんの部屋には偏愛となって現れている。  今は大阪で罹災《りさい》したお繁さんが入っていて僕は肖像画の参考に着物やお笠さんの写真を見せてもらいたくて一度訪ねて行って驚ろいた。  敷きつめた絨毯《じゅうたん》の上に朱塗りの箪笥《たんす》・鏡台、書院窓の前に蒔絵《まきえ》の机、砂子散《すなごちら》しの襖《ふすま》の引手には総《ふさ》が下って長押《なげし》の釘隠しが七宝《しっぽう》細工、そこに節電でまた取出された昔の台附石油ランプまで置いてあったのだから何とも異様な和洋|折衷《せっちゅう》だ。そこで見せてもらった写真の介助氏が五つ釦《ぼたん》の背広に手には山高帽を持っていて、椅子にかけたお笠さんは鬢《びん》のつまった丸髷《まるまげ》に妙に胸元を張らした着物の着方なのだから、僕はすぐ唐人《とうじん》お吉《きち》を連想した。  その上、お笠さんの衣装だったという小浜縮緬《こはまちりめん》の総絞《そうしぼり》の絢爛《けんらん》さまで見せられては、僕は恐れ入って引上げた。  さて、こう大切にしていたお笠さんが一人娘を残して二十七歳の若さで自殺したとなると、今までに泣かされた連中は待ってましたとばかり強欲の祟《たたり》だと囁《ささや》いたのも当然、僕もまた祟だと思うが、その説明は後にしよう。  妻に死なれていよいよ土の執念の権化となった介助氏も一人娘は可愛く、後妻もとらず学校へも出さず、箱入娘で育て上げ、年頃になって縁談を持ちこまれても剣もほろろに追返していたのが、娘の二十歳の誕生祝の日に子飼《こがい》から仕込んだ作三《さくぞう》と茂兵衛《もへえ》の二青年を呼びよせ「お前たち二人別々に酒を醸《じょう》してみろ。うまくできた方に娘をやろう」と宣告した。  さあこうなるとお互に意地でも負けられず夜の目も眠らず競って、作三なぞ深夜ひそかにお笠井戸で水垢離《みずごり》までして祈ったが、結果は茂兵衛の勝利に帰した。  茂兵衛は酒造りの名人だった。この腕前をわきに取られまいと婿にしたとの噂も否定できないことには、婚礼の日に一度上座にすわらしてもらったきり、あとは作業場に追い使われて、夜ねるだけが母屋に許されても、寝室は無論別で、新妻の気嫌がよほど良くなければその室に近づくことも認められない。そんな生活が五年も続いた。五年で終ったのは介助が父と同じ五十一歳で同じ脳溢血で倒れたからだが、茂兵衛はその態度を急には改めようともせず、室田の財産は預り物、妻はやはり主筋の娘と思いこんでいたらしい。  こんな夫婦関係でも従来になく子宝に恵れて、すぐ産れたのが今の当主、二男は早逝《そうせい》、三男と末子のお繁さんの旦那さんとは学友だったから一緒に兵隊にとられ、同じく満洲から行衛不明組という気の毒な身の上だ。  で、茂兵衛さんは口数の少い腰の低い人だったから気うけも良かったし、何不足ない細君が三十三の厄年にこれまた理由のない自殺をとげたとなると親の強欲が子にまで祟ったとなったのも、介助氏の不徳のいたすところだろう。  その後の茂兵衛さんはQ町に女があったとか言われても、家の中は綺麗に、子供まで大切な預り物と心得たかのように大学教育まで授けて、つい先年敗戦を知らずに亡《なくな》った。  以上が物語の大略だが、折があったら小柳にも話しておいてくれないか、いずれ充分材料を集めて帰京したときコーヒーを飲みながら三人で大いに論じよう。  ここで僕の解釈となるが、僕はふと君から講義された催眠術のことを思いだした。ジプシーが運命判断や透視術で自己催眠に入る方法に水晶凝視(クリスタル・ゲージング)や火焔凝視(ファイヤー・ゲージング)をするという。この火焔凝視が事件の謎を開く鍵だと気付いたのだ。  あの奇癖ある介助氏の執拗な愛撫をうけていたお笠さんの心境を思うに、東京を離れてこんな田舎で暮すのは、よしんば錦を着せられても、自分の部屋のように華かなものではなかったろう。座敷牢にでも入れられているようなものでいつとなく気鬱症にもかかり、ヒステリーが内攻していたと見ていい。偏愛度をすごした祟だね。  夫も珍らしく留守だし、気候も少し春めいてきたお水取りの夜を独り庭に出て大松明の燃え上がるのを見詰るうち、ヒステリー性自己催眠に陥って、岡の上の騒《さわぎ》までどこかあの世で自分を呼んでいる声にきこえてくる。 「はい、今すぐ参ります」とお迎えを待たしてある気になって大急ぎで晴《はれ》の白無垢《しろむく》に着更《きがえ》ると火の方に向って走って行く。丁度その方角に井戸があるのだから行当ってつい覗く。その自分の影を出迎《でむかえ》と思うから「はい、はい」と言いながら跳びこんで頭を石に打ってしまう。充分にあり得るではないか。  第二回目も同じくだ。そんな母の遺伝もあり、夫の気質は違っても、大事にして祭りこまれたんではいっそ気詰りのもとで、同じ条件の下に火焔を視て催眠状態に入ると、母の声が呼んでいるから「はい、いますぐに」と模倣心理で、聞いた記憶をそのまま、母と同じ白無垢に更えて走り、井戸に当り、この底に母がと思って跳びこむ。井戸の内側は粗く玉石で組みあげてあるのだから、狭い場所のことだし水に落る前に頭を打つ方が普通だろう。  それに蝋燭のない提灯なぞと怪談めいた威《おど》しに乗ぜられたのは児戯に類する話だった。火をつけぱなしたまま置き忘れられた提灯なら燃えきってしまうが理の当然だものね。むろん蝋燭が井戸に浮いてた話なぞ残っていない。  この地方の井戸の造りは、あまり他《はた》で見かけないから御註文ついでに記すと、井桁《いげた》の三方だけを石で囲み一方の汲口は地面と水平な敷石を置いたままだから、まことに汲み易くできてるが跳びこみ易いことも確かだ。  お笠井戸は介助氏が酒造用の良水を得ようと庭中を散々掘り歩いた一つを装飾に残した物だけに見事な御影石造で覗けば水面まで一間足らず綺麗に澄んでいて飛ぶ鶏の影も写すだろう。周囲一帯は五六尺の灌木がかなりの厚みで繁っているし通路口さえS字状にうねりながら包まれているから、遠くから石を投げてその石が井戸に沈んだとの考え方も、木を伝って来て何かしたろうとの想像も全く許されないようにできている。  全く女のヒステリーには脅《おびや》かされるが、こう話がわかっては室田氏とも顔を見合って笑い出してしまった。でも怪談が消滅すると少し索寞とするな。伝説の美はそのままがいい。やたらに近代的解説を下すのは考えものだ。どうもこれは殺人とは縁がないようで、犯罪史の一頁を飾りそこねたことは何とも大兄のために惜しまれてならない。 [#ここから地から3字上げ] 柳風人 [#ここで字上げ終わり] [#ここから2字下げ] 緒方三郎契兄案下 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]第四信(三月十二日、至急電報)[#「第四信(三月十二日、至急電報)」は中見出し]  ウナ  オミズ トリニユクナ」○ジ イゴ オカ  サイヲミハリセヨ」ヲガ タ [#3字下げ]第五信(三月十三日)[#「第五信(三月十三日)」は中見出し]  遅かった。手おくれだった。  発信時刻の正午から見て、当然夕刻に着くべき電報が、祭礼気分の怠慢で十三日の五時に配達されてしまったのだ。  何も知らぬ僕等は他に三人の客人と予定通りお水取りを見物して、帰路の寒さに酔も醒めまた炉端で一盃始まったのが四時だった。早起した室田夫人のサービスで話の花が咲いてる最中に君の電報が渡された。  一読してはっとした僕は主人に渡した。室田氏も急に部屋中を見廻して、やがて女中に、「お繁はまだかね? 起こしておいで」  その一・二分の長かったこと! 女中は走り帰って部屋は空だし、その東廊下の雨戸が少し開いていると報告した。  正直に言って体中の血が氷ついた癖に反射的に立上ったのは僕だった。  くどくは書くまい。第三の犠牲者はお繁さんだった!  白無垢の衣装! 砕かれた後頭部!  型通りだ。ただ一つ、僕は素早く井戸べりを眺めたが提灯は無かった。その代り敷石の上に点々と蝋の垂れた後。それから引揚られたお繁さんの右手にも蝋が附いていた。今度は提灯の無い蝋燭の跡だ! 然もその蝋燭は井戸にも浮いていなかった。  部屋を調べて遺書は無く、縫いかけの銘仙《めいせん》には針がささったままだし、机の上には編みかけの靴下が置いてあった。  是は自殺ではない。ヒステリーの発作でもない。近代教育をうけたお繁さんは煩悶《はんもん》こそしていたが、そんな薄弱な精神の持主ではない。その知性は誰より僕がよく知っている。  尚また正直に言えば、僕は今日肖像画を仕上るのに、ただ一人血縁の女性たるお繁さんにモデルになってもらう堅い堅い約束があったのだ。  僕は自説を撤回する。殺人だ! 謀殺だ!  君にいかなる鬼神の業があってこの事件を予測し得たのか?  いま僕一人騒いで室田家に迷惑をかけるわけにも行かず悩んでいる。でも何としてでも犯人の首ねっこを取拉《とりひし》いでやらずにはこの胸がおさまらない。  頼む、教えてくれ、犯人は誰だ!  五十年に渡って三度、通り魔のような兇悪な呪《のろい》を放った怪物は何物だ。  頼む! [#3字下げ]第六信(三月十六日)[#「第六信(三月十六日)」は中見出し]  粛啓  慎んで故人に哀悼の意を捧げます。  貴兄の胸中を察するにつけ、迂生《うせい》の不明をお詫《わび》します。言訳めきますが、万一にもと予感があったので見張という字を使ったけれど大部分の意味は井戸を観察してもらいたかっただけでした。  僕に鬼神の業なぞありようはなし、あったら警察電話を活用して事を未然に防いでいたでしょう。  しかし事件もここまで発展するとやや輪郭が明らかになったようです。考察してみましょう。  第一の疑問は致命傷です。一間未満の高さからではどんな落ち方をしても後頭部を粉砕はできません。周囲が枝の細い灌木では登ることもできないから木から跳ぶのも不可能です。よって自殺説は捨てましょう。残りは過失か殺人です。過失としては要約しきれないから捨てれば殺人となります。  兇器を投げることも、木を伝うことも不可能との説に従えば、足跡を残さず、三人の被害者の同一部位に同一程度の強打を与えるこの機械的正確さは何でしょう?  第二の疑問は蝋燭です。些細《ささい》なようで一番重大な点だと思います。燃えきったと君の説ながら、それなら垂れた蝋やその形で、提灯に慣れた昔の人が殊さら蝋燭のない提灯なぞと言伝えないと思うのですが。  お繁さんの場合が証明しているように、必要だったのは蝋燭で、提灯はこれを運搬したに過《すぎ》ないでしょう。暦で見るとこの十三日の午前は月明です。その地が曇でなかったら途中を照らす必要はありませんから。  すると蝋燭は一体どこに行ってしまったのでしょう? 手に持っていたのは確かだから墜落と一緒に井戸に落ちて浮いていなければならない。然《しか》るにそれが無いのは?  誰かが取出して隠したとの考え方は無理としたら、それは流されたとより考えられません。飛ぶ鳥も写すほど澄んだ水では湧井戸とは思えないから、粗い玉石の隙に流れ口があったことになるのも不思議ですし、流れるためには水が補給されねばならないのも変ではありませんか?  僕等はここに十三日のお水取という条件をもっています。南の堰口とさして遠くないお笠井戸が、もし地下で連絡していたとしたら水の補給は必然的にあり得ますね。  さらに、もしかかる水路が丈夫な鉄管で連なっていて落差に相当するだけの水圧が働けば、この強い力はどんな仕事もできる筈です。  五十年に三度通り魔のような犯人! この犯人という観念はかなり困難を感じるではありませんか。それよりお笠井戸自身が一個の殺人機械だと想像する方がずっと楽でしょう?  実証してみて下さい。専門家の援助が必要だと思うけれど注意して分解し、なるべく図面をとってほしい。  意外な推理だと思いますか? 種を明かしましょうか。学校に就て調査した結果、室田介助は機械科卒業で「水圧機の自動装置に就て」という論文を提出しています。  さて最後に次の一連の疑問が残ります。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] a、なぜ三月十三日午前二時に出て行ったか? b、なぜお笠井戸を選んで行くのか? c、なぜ白無垢を着る必要があるのか? d、蝋燭は何の目的に使用されたか?(お繁さんが左ききでなければ、それは単に照らす為か、焼く為か、蝋をたらす為かで、右手で仕事をする目的ではない) [#ここで字下げ終わり]  右の項目は単に推理では解決できません。従って色々な仮説を設けて適否を考えてみるのが普通の方法です。だが僕はその前に「何が彼女達を自発的にかかる行動に導いたか?」を研究してみたいのです。  五十年の歳月を距《へだ》てては「人」が直接彼女達を誘惑できないでしょう。然し一つの意志が三人を導いた感銘は去りません。然らばその一つの思想を伝達した「物」は?  ここに僕等は被害者が三人とも同じ部屋に住んでいたという条件を持っている。入念に捜索して下さい。造作・調度品について人の気のつかない隠し場所、そうした処に「秘められた文書」がなければならないと信じているのです。  僕の推理はこれで終りにしましょう。後は勘の色《よ》い君にバトンを渡します。  風景画は完成しましたか? それこそ偶然に事件の地形を描いたらしいですね。四月の展覧会には出品さしてもらえるのでしょう。記念に写真をとらして下さい。どうやら犯罪史の一頁が飾れそうではありませんか。  薄命の人のためには気の晴れるまで泣いてあげて、さらりとした元気で早く帰京して下さい。小柳と一緒に、珈琲を温めて待っています。 [#ここから地から2字上げ] 敬具 [#ここで字上げ終わり] [#ここから地から2字上げ] 緒方生 [#ここで字上げ終わり] [#ここから2字下げ] 柳風人雅兄硯北 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]第七信(三月二十四日)[#「第七信(三月二十四日)」は中見出し]  拝復  大兄の手紙は驚くべき予言書だった。  室田氏と熟議の上、機械智識のない僕等が下手にいじるよりは君の説を実験してみるに若《し》かずと十九日の初七日の仏事も匆々《そうそう》に、二人で庭の奥にしのびこみお笠井戸の両側に立ったのが午後二時十分前。  南の堰は儀式用に一時間放水するだけで、普段は人目につかない場所なのを幸と、心きいた下男に言付けて、合《あわ》した時計が正二時を指したとき閘門《こうもん》を開けと命令しておいた。  僕等は井戸の中に蝋燭を浮べておく用心深さで事に当ったけれど、真昼間なのに正二時と合図されると後頭部がむずむずした。  一分・二分変化なし。三分・四分変化なし。四分十秒。俄然!  突如として御影石の敷石はガックリと内側に急傾斜し、次の瞬間、水際の玉石の一つが巨人の拳《こぶし》の如く水面に突出して来た。  ハッと息をのむ間に、玉石も敷石も今度は爬虫類の滑かさでスーッと原《もと》の位置に戻るとカチッと金属製の音が一つ。  総《すべて》は三秒ほどの出来事で、あとは依然たる静寂だ。  また一つ変化が起った。それは水面にもくもくと波紋がおこり、蝋燭は動きだし、水位が少し上ると玉石の隙の一個処から吸われるように流れ出て行った。注意して視《み》ればわかる程度の水の流れはいつまでも続いていた。  室田氏は打合しておいた通りすぐ郵便局に走って学友の機械技師を招待すべく京都に打電した。  その夜と二十日一ぱい部屋の捜索にかかって失敗だった。お笠さんの遺書か日記の類とは目当をつけていたが、見たこともない物を捜すのは難かしかったし、こんな事には素人の二人は、とかく必要のない物に気をとめて時間を空費するのであった。  一つだけ記しておきたい物が押込《おしこみ》の古本の中にあった。千代紙で表紙をつけリボンで綴じた冊子だが、内容は博識の君にして尚且《なおかつ》知らないと思えるのは、新帰朝の森鴎外若かりし日のS・S・S(新声社《しんせいしゃ》)同人の飜訳になる英独抒情詩集で「於母影《おもかげ》」を附録とした明治二十二年の「国民之友」夏期増刊号という珍品だ。年号から見てお笠さんの物だったろう。この発見で、僕のお笠さんに対するイメージが一段と精彩をつけてきたのだが。  技師の到着を待ちかねて、二十一日・二日は家人を遠ざけて三人して重労働で土にまみれながら井戸を解体した。  緒方技師の洞察通り、お笠井戸は精密堅牢な殺人機械だった、敷石を支えている石磐が梃子《てこ》で下方の水圧ピストンに連結して、この梃子はさらに、頭に玉石をつけた鉄棒のゼンマイに繋がれている。 [#ここから1字下げ] a、落差五十メートルの水圧が細い丈夫な鉄管で送られ、ピストンに作用して、梃子をおさえている止金の力に勝った瞬間、急劇に梃子を前方におし進め、上部の石磐を後退させるから、支えの外れた敷石は井戸側に急傾斜する。(人間落下) b、梃子が前方に圧される時、玉石附鉄棒のゼンマイは強力に引延ばされ、次の瞬間にこの止金が外れ、ゼンマイの力で玉石を水面に突出させる。(頭部粉砕) c、玉石の突出で、梃子とピストンの連結は外れ、梃子は原《もと》の位置に戻るから、敷石は水平に復し、玉石附鉄棒も引込む。 d、ピストンは圧《お》しきられると排水孔を開き、水が注入されている間はその水を井戸の中に流出する。 e、水位を常に一定に保つため、平常水位の少し上方の玉石の隙に流出口が用意されていて、余分な水はそこから鉄管で近くの谷川に放水される。(蝋燭流失) f、堰が閉められ、注水が終れば水圧のなくなったピストンは原に戻り、再び梃子と連結して総て最初の状態に復す。[#地から1字上げ]以上 [#ここで字下げ終わり]  なかなか偉そうに説明するが、これは聞いたままだ。僕にはまだ水圧は管の太さに関係なく落差だけが問題だと言われても、どうも納得できない感じでいるぐらいだから。  二十三日は堰口を探索して、岩の間に設けられた巧妙な注水口まで発見して帰り、夜になって室田氏が技師に口止の饗応をしている間、僕は思い立ってまたお繁さんの部屋に入った。少し感傷的になっていた僕は入っただけで三代の女性の気息を感じ、柱の隅々にまで昔の鬢附油《びんつけあぶら》の丁字《ちょうじ》が匂ってしかたなく、つい鏡台の前に座ってしまった。浅間《あさま》しいが、旅烏が女の匂にひかされたんだ。  でも、捜す気はあったんだから抽出《ひきだし》を抜いてはかき廻して最後の抽出をさしこもうとした時、発見した!  抽出をぬきだしたあとの狭い隙間に薄い紙包が隠されてあった。取出して見ると妙なものだった。二つ折の半紙を五枚綴じた煤《すす》けきった古文書の表題を判読すれば「白山|比刀sひよう》神社巫女口伝書」とあって一枚めくると、くねった読みにくい筆癖で次のように始まる。 [#ここから1字下げ]  おとのさまおいかりにふれおてうちたまはりますところ、おみおくさまかくべつのいのちごひにて、はつのいのちながらへますことおなさけおじひおがみたてまつり、あすはおやかたはなたれますときき、ひとめをはばかりはつがおれいの心ひとつに、このふみしるしまゐらせそろ。 おゆくへしれぬわかとのさまたまよせに、ひをえらびてとのねがひもおゆるしなく、つい心みだれてよまひぎつねのたまなぞよびだし、みぐるしきさまおめにとめまゐらせ、はついちだいのしつたい、くやしくくやしく、いまいちどとのねがひもおゆるしのけしきなく、しらやまがみのたまよせなぞとはかたりものよとおはかせにてをかけられてのおいかりなさけなくそろ。 このはぢはつひとりはしのびても、しらやまがみのごゐとくけがしまゐらせては、ごばつのほどもおそろしく、みこのやくそくごとなさらぬ人にひほうもらすはいのちちぢめるとしりつつ、おみおくさましたしくおためしねがひ、しるしあるものかなきものか、ごとくしんくだされたく、あまさずくでんがきまゐらせそろ…… [#ここで字下げ終わり]  本文はあまりにもくどくどしくたどたどしい。いずれ東京に持参して閲覧を願うから、以下の秘法は抄録すれば、 「巫女の約束事を済してない婦人には、心のうちに深く深く逢いたい見たい恋しいと日頃から思い詰めた人の魂だけが呼び寄せられる。それも年に一度だけお水取の日の三月十三日、時刻は丑の刻とあるから午前二時に限られている。  先ず前の日から精進潔斎《しょうじんけっさい》してと、魚鳥絶《ぎょちょうた》ち茶絶ち等のさして困難でない四・五個条を並べ、魂は色を嫌うから必ず白衣に更え、いかに寒くも素足となって、己の部屋から白山の方角に向って進み、最初に出逢った鏡のように澄んだ水辺に正坐する。  ここで一心に白山神を祈念して、丑の刻に遅れることなく用意の蝋燭を灯し、右手に捧げて水をさし覗き、己の顔を水に写す。  写しながら呪文〔なむしほら、さほらきやるに、をんぼりもころ、ぶどやちきり、のらのらそもこ、しらすくりよきり、をん〕を繰返し繰返し称《とな》えて、刻満つるや己の影に一筋の白気が立つと見るまに忽《たちま》ち思う人の姿と変ること疑なし。この時その人と語ること目の前の人に物問うと少しも違わず、然も呼び寄せられた魂には嘘が許されないから、これより確な事はない。ただ、この秘法を他に洩すなら、己の一番大事な人の身の上に禍《わざわい》が下るから夢々|疎《おろそ》かにしてはならない」  これが巫女初女の口伝だ。しんと静まりかえった婦人部屋で読んでいた時の気持ときては僕まで呪文にかかったように心底から怖かった。何が怖いと言って怪異の気もあったろうがこれに指導されてああした行動に出た女の執念がまだその辺に漂っているようで身動ができず、やっと顔を上げて自分の影が鏡に写った時はゾッとした。僕は走り帰って夜具を頭から被《かぶ》ったんだがこの精神錯乱状態で廊下を走っている間に、事件の真相を理解した。否、明々白々に直感したんだ。  僕の感得したのは一つの「邪悪な精神」とも言うべきもので、これに思い到るや、個々の事件の隅々までもう明瞭になっていた。東洋的には勘とか覚《さとり》とかに当るものだろう。  君も推理の種明《たねあか》しをしてくれたが、そもそも推理などとは事の真相が把握されて後にその説明にだけ使用される鈍物かも知れない。  ともかく、僕はまた起き上って念のため歳時記を繰って見た。はたしてお水取は旧暦時代には二月七日と十二日に行われ、三月十三日に改められたのは新暦後のことだった。  さて、書くとなると物語風にでも順序を立てなくては説明になるまい。  或日、介助は浮かぬ顔をしている妻の机の上で千代紙表紙の於母影と題する本を見た。 「この本はどうしたんだい?」 「ええ、昔いただいた物ですわ」 「誰に?」 「……さあ誰からでしたか、忘れましたわ」  この時から介助の心に暗い影がさし始めた。彼の東京時代の下宿にいた青白い詩人と自称する男の机の上でこれとそっくりな千代紙綴の本を見た記憶が甦《よみがえ》ったからである。  介助は胆汁質《たんじゅうしつ》の剛腹な男だから顔色にこそ出さなかったが疑《うたがい》は日増に成長して、いかに妻に愛情を誓わしても、その従順な肌をまさぐっても、彼の心を晴らす術はなかった。  従順な妻の本心は? これは骨董のようにしまっておける物ではない。独裁者の心に猜疑《さいぎ》が湧いては、もう地獄まで流れる外はない。  試そう! 彼はそう決心するとその方法を考えた。科学を学んだ合理癖は実験を思い立つと、自分の設計した機械を細い部分品として東京に注文し、人目を避けた永い労力の後に殺人井戸を完成した。  虫干しの期節がくると、彼は妻に語った。 「蔵の中に昔からの反故《ほご》が詰った葛籠《つづら》があって邪魔だから、虫干し乍《なが》らゆっくりと要るものと要らないものに整理してくれないか?」  妻は素直に「はい」と答えた。  三日たってから、彼は入要と不要に分けられた二つの反故を丹念に調べて、その中に彼の創作した『巫女口伝書』が無いのを確めると妻の部屋の方を見て心の中で宣告を下した。 「お笠! お前が俺に心まで捧げている限り俺はお前に繁栄と幸福を与えよう。だが、反逆の心を抱くならお前は勝手に破滅の井戸へ進むがいい。これは俺のせいではないよ。俺は深切にも、か弱いお前にはとても実行する気になれないような恐怖を沢山もりこんでおいたのだから、お前を守ってやるためではないか。それをしも冒して行くなら、それこそ自業自得というものだよ」  ここに二つの危険な心理が三月十三日午前二時を中心として輪廻《りんね》しだした。  最初の三月十三日が事なく済んだとき、彼は妻に西陣の帯を贈った。二度目が無事だったとき小浜縮緬の総絞を作らした。三度目のお水取から帰ってきた介助は妻が出迎えないのを知ると炉端に坐って独り酒を呑んでいた。やがて家の者が騒ぎだし、手に手に提灯を捧げて走り、蒼くなって戻って来た下男が変災を告げると、彼は始《はじめ》てゆっくりと立ち上った。榾火《ほだひ》に照らされた顔は無表情だった。  ここで僕は思うのだ。秀才介助の計算にはたして遺漏はなかったろうか? 人の心理についてどこまでの理解があったろうか? 誰も知らない秘密を自分だけが知っているという観念は、絶えずその人の心をゴムの弾力でひき、やがて歪《ゆが》めることを知っていたろうか? 出来るかしら? は出来るとなり、為《し》てみようか? は為なけれなならないと変り誘惑はいつか全く強迫観念となって、一見不可能と思える恐怖をもたやすく乗越さして行くことを! 冒険に対する自発的意志が誕生した後では「東京の母に会って見たい」そんな単純な動機でも、か弱い女を殺人井戸に走らすだろうということを!  少くも井戸は埋めるべきだった。彼としては一代の傑作でありもう決して悪さをしない機械と安心してはいたのだろうが。呪の書も極力捜し出して焼き捨てるべきだった。調べて簡単に見つからなかったとてその部屋を封じるだけで済すべきではなかったのだ。  心|奢《おご》った彼はやはりせせら哂《わら》っていたろう。このままでも大丈夫さ、どこにこの秘密を見ぬく神智があろうかと。  誤算だ! 彼の人生は終ってもその邪悪な精神は、井戸にあっては年に一度の鉄の意志をふるい鏡底に潜んでは折あらば呪の光芒を発しようとかまえついには娘に祟り、さらに夫の一言を得て生活の設計の根拠を得ようとの苦悩の果に知性と恐怖を越えて進んだ孫娘さえ抹殺し、揚史《あげく》は緒方三郎の神算《しんさん》にあって兇漢の正体を白日の下に暴露しようとは!  疲れた。何とも言えず疲れてしまった。もう筆を擱《お》こう。これ以上書けば後は愚痴が出るばかりだ。すでに又もや君に笑われるだろうほど、推理ならぬ支離滅裂だ。僕は明日ここの家とお別れする。帰京は十日ほど遅れるだろう。奈良に廻って寺々に古き仏達をおろがみたいと思うから。では万々拝眉《ばんばんはいび》の上にて [#ここから2字下げ] 緒方三郎賢兄榻下 [#ここで字下げ終わり] [#ここから地から1字上げ] 柳風下 [#ここで字上げ終わり]  追伸 一つだけ君の推理を補足してはいけないかしら? 僕の風景画は、君の手紙によると「それこそ偶然[#「偶然」に傍点]に事件の地形を描いた」とあるが、問題の閨房《けいぼう》はこの家の東はずれにあって、その廊下に近くカンバスを据えるなら、当然[#「当然」に傍点]その地形を描くのではなかろうか? もしもその画家が、その部屋の主としばしば顔を合せたかったとしたならば。 底本:「探偵小説アンソロジー 甦る名探偵」光文社文庫、光文社    2014(平成26)年10月20日第1刷 初出:「苦楽(海外版)」    1948(昭和23)年8月号 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:sogo 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。